おぐにあやこの行った見た書いた

7打席ぶりのヒット

息子のバットがここ3試合ほど沈黙していた。
ファーボールか三振か。
3三振、なんて日もあった。
下手にスコアをつけてるから、ついつい 「7打席連続でヒットなし」 なんて数えちゃうわけだな。

ところが、昨日の試合。
息子は投手としての登板なし、の日だったが、1打席目三振のあと、2打席目にセンター返しのきれいなヒットを久しぶりに打った。

ああ、快音。

硬球を使ったパワフル野球は息子には不利かなあ、と思ったけれど、息子によると、

「バットの真芯に当たれば、ちゃんと飛ぶんだよ」 

だそうで。
それを証明してくれるようなヒットだったのでした。

野球が始まって2カ月余り。
やはり、野球シーズン初日の号泣事件が、息子にとって一つの転機になっていたことは確かなんだと思う。
あの時を境に、夜のベッドの中で 「このまま目が覚めなきゃいいのに」 なんて哀しいことを言わなくなった。英語を極端に嫌うこともなくなった。
クラスの中で唯一、息子に親しげに話しかけてくれるファイークという少年を相手に、少しずつ英語をしゃべろうとしていることも、漏れ伝わってきた。
野球チームでは、かっこつけてる分、下手な英語なんてしゃべらないぞ、とどこかで思っているらしく、英語でチームメートと会話することはないが、それでも、何人か 「好きな友達」 はできたようだ。
もちろん、今でも、ベンチの中では一人ぽつねんと、所在なげなことも多いけどね。

あれも、これも、野球のお陰、なんだと思う。
だけど、嗚呼!
もう2〜3週間で、春の野球シーズンはお終い。
夏は、暑いから、野球はしないんだって。
日本の夏のほうが、たぶん、ずっと蒸し暑いと思うんだけどね。
次のシーズンは秋。
春ほど試合数もないし、期間も短い。
それが終われば……野球のない、長い長い冬がまたやってくる。

だからついつい焦っちゃう。
ああ、どうか、野球シーズンのうちに、もっと英語がしゃべれるようになって、お友達と会話できるようになって、毎日が楽しくなって、息子の幸せそうな顔をもっともっと見られないかしら、なんて。

さて、今の季節、多くの少年野球リーグはトライアウトを行う。
よりレベルの高いチームで、これからの秋、冬、来春を通して、遠方のチームとも対戦するセレクトチームの選考会、である。
我がチームの中でも、9歳でチーム一のパワーを誇るザックと、米国東海岸空手チャンピオンのマイケルは、トライアウトを受けることが決まっている。
色々な課外活動を幅広く行うことのほうを好むこの国では、1年中、週に何日間も野球漬けの日々になることなんか望まない親も多い。だから、思ったより、セレクトチームの希望者もいないんだそうで。
ザックもマイケルもたぶん、選ばれると思う。
比較的、息子に優しくしてくれた2人が、秋からチームにいなくなると思うと、ちょっと寂しい。

実は、このトライアウトに息子も挑戦させちゃおうっか、という話も我が夫婦の中にはあった。
上を目指せば目指すほど、色々なチャンスをつかむことのできるこの国では、より競争の激しい場所を求めていくことが成功への道。だから本気で野球をやりたいヤツは、上へ、上へ、と上っていく。
一方、はなから、「お楽しみ目的の野球」 を銘打ってる地域リーグの通常チームは、週に2〜3回試合することはあっても、練習はほとんどなし、という具合。
少々物足りない、というのが本音でもあった。

もちろん、息子にはとてもそんな実力はないと思うし、選ばれない可能性のほうがずっと高いと思うのだけれど、やはり、せっかくこの国に来たのだから、本当に野球が好きで、本気で野球をやってるヤツラの存在を、息子にみせてやりたい、と思ったのだ。

そんなこんなで夫婦して思い悩み、息子の希望を聞いてみれば、
「どっちでもいーよ」
の返事。

なかなか本音を言わない彼のこの言葉を、「翻訳」 するならば、
「実力が上のチームってどんななんだろう。気になるな。見てみたいな。挑戦してみたいな。でも怖いな。オレが一番下手だったら嫌だな。トライアウトを受けて落ちたらいやだな。それに新しいチームになったら、どんなチームか分からないし。今のままのほうがちょっと安心だな。でも、セレクトチームに入れて、上手になったら、父ちゃんも母ちゃんも、土曜日の日本語補習校を休ませてくれるっていってるし、それだったら、学校は休みたいから、セレクトチームのほうがいいな。でも、受からないだろうな。怖いな……」
というような葛藤の果ての、「どっちでもいーよ」 なのである。

ところが、そんな息子をながめながらの我が夫婦の心の揺れは、今のチームの監督からの1本のメールで一気に消えちゃった。

「僕らのチームは、あなた方の息子さんをチームメートに迎え入れられて本当に幸運だったと思います。息子さんが、野球チームに入ったことで、以前より幸せそうで、友達もできた、というお話を聞いて、僕も本当にうれしいです。だって、僕らの野球で一番大事なのは、それだと思うから」

夫がぽつり。
「トライアウトはやめよう。今のあいつにとって、一番大事なのは、野球がうまくなることじゃなくて、野球を通して友達や仲間を作ることなんだから」

私も、120%同感。

そんなわけで、今年の秋、そして長い冬の後に待っている来年の春も、今の仲間と一緒にプレイすることに決定!
英語ネイティブの野球ママの会話はものすごく早くて、なかなか私にはついていけないんだけれど、こうなったら息子に負けず、私もここで友達を増やすぞ! と心に決めたりしてます。

ライト兄弟の格好って?

息子の学校でこんな宿題が出た。
BOOK REPORT.
期限は10日後。

なーんだ、読書感想文か。
と、最初は思ったのよ。
ただ、英語の本読んで、感想文を英語でなんか書けるのかなあ、うちの息子、とだけ心配したけど。
(というか、現実には、ライティングの宿題はいまだ私が全部手伝ってる状態なので、「私に書けるのかなあ」 なんだけどさ。)

ところが、宿題の詳細を知って驚いた。
・アメリカの歴史上の人物を一人選び、その人の伝記か自伝を1冊読む。
・どの本を読むかは、先生の許可をもらわねばならない。
・ブックレポートの内容には、「人物の名前」「なぜ有名なのか。職業」「彼らが生きたのはどんな時代だったのか」「彼らの教育的なバックグラウンド」「彼らの人生の中で最も重要な出来事は何だったか」が含まれなければならない。

……とまあ、ここまでは、いいわよ。
次がすごい。

その人物のような衣装を着て、そのような格好で、その人物について学んだことをみなの前でプレゼンテーションすること。

つまり、単なる読書感想文なんかではなく、
むしろ、プレゼンテーションに主眼が置かれた宿題だったというわけ。

なにしろ、日本でだって、みなの前で何かを発表する、というのを何より嫌い息子の性格からいって、プレゼンテーション、というのは最低最悪の課題なのだ。
しかし、アメリカの現地校って、この、プレゼン系の課題がやたらめったら多いのよね。
さすがは、Show & Tell の国。

息子が学校に行ってる間に、つらつらと策を練った。
息子が好んで読んだ伝記といえば……、ベーブルースがあったな。
あれだったら日本語版の本も、家にあったんじゃないか?
となると、テキトーに野球のユニフォーム着せて、バット持たせて、簡単な文章でプレゼンさせればどうにかなるか。

ところがところが。
今朝、息子によくよく話しを聞いてみると、息子はすでに、課題の人物を自分で決めて帰ってきたらしい。

「で、誰にしたの?」
「うーんとね、たぶん、ライト兄弟」

ら、ら、ら、らいときょううだい……。
それって、飛行機乗りみたいなこんな格好(ページ中程) をさせなきゃだめってこと? と思っていたら、ライト兄弟で残るのはフォーマルな背広姿の写真で、こんなイメージ(ページ中程)なのねえ。
いずれにせよ、どーすんねん!

おまけに、息子曰く、

「いや、ライト兄弟を選んだつもりなんだけどさ。英語もよくわからないし、もしかしたら、トマスなんちゃらって人を間違えて選んじゃってるかも……」

トマスなんちゃらって、あんた、それはきっと、トマス・ジェファーソン。
米国第三代大統領で、アメリカ独立宣言を起草した、っちゅう男でしょ。
そんな小難しい話、あんたに(というか私に)、レポートが書けるわけないじゃん!

さらに息子曰く、

「学校で習ったから、ジャッキー・ロビンソンでも良かったんだけどさ」

ジャッキー・ロビンソンか。
黒人初の大リーガー。
有色人種に門戸を閉ざしてた大リーグで、初めてアフリカンアメリカンの選手として活躍した人よね。
あ、それいいじゃん。
この前、ヤンキースタジアムで、背番号42番がなぜ全球団において永久欠番になっているかを学んだばかりだし。
衣装のほうも、家にある野球のユニフォーム着てさ、
でもって、顔を黒く塗って……って、それは、それで、NGか。

とりあえず。
たぶん、息子が選んだのはライト兄弟。
これから親子で必死で英語の本を読み解き、
課題にそってレポートをまとめ、
息子にもできそうな、ごく簡単なプレゼンの文章を書き、
おまけに、ライト兄弟の衣装 (どんなやねん!!!) を考えねばなりません。

ものの本によると、ライト兄弟は、自作の飛行機(というか、フライヤーと言うのね)に腹這いになる時すら、普通の白いワイシャツにネクタイ、スーツ姿だったんだそうだ。
息子は、一切、フォーマルな服なんて持ってないしなぁ。
さて、どこまでこだわるべきか、それが問題だ。

でも、日本で同じ宿題が出たらもっと大変だろうね。
織田信長。派手派手な着物を用意するのかしらん。
一休さん。髪の毛、そっちゃったりして。
二宮金次郎。やっぱ、薪を背負うのかねー。
水戸黄門。これは結構大ウケしそう〜。
聖徳太子。ここまで時代を遡ったら、衣装は手作り決定よね。
アメリカって歴史が浅いから、「衣装付きのプレゼン」 も成立するのかも。

アメリカのお誕生日パーティー

野球シーズンが始まって間もない4月上旬、突然、息子にお誕生日会 (5月22日) のお誘いがありました。
誘ってくれたのは、野球チームの監督の息子で、息子と同い年のブライアン。
ブライアンのお誘い、というよりは、
新メンバーの外国人である息子を気遣った監督の奥さん (つまりブライアンのママ) からのお誘い、というのは、火を見るより明らかでした。
本当にありがたいなあ、と感謝しつつも、いきなりお誕生日会というのは、英語をまともに話せない息子にはハードルが高すぎやしないか? と思ったり、いや、誕生日会までの1カ月ちょっとの間に野球を通してブライアンと仲良くなってるし、きっと大丈夫だ、と思ったり。
親として、随分と心が揺れたものです。

そもそも、ちょうどその頃は私、まだ息子の、「号泣事件」 をまだ引きずってもいたしね。
さらにさらに。
友人からこんな話を聞かされた後でもあったの。
そこの娘さんは、アメリカの保育園に行ってお友達もたくさんいたんだけど、お誕生日にお呼ばれしたので娘を行かせてみたら、その夜、「明日から保育園に行きたくない」 と号泣したんだそうです。
なんでも、保育園の中では先生が上手にフォローしてくれるお陰で、娘さんは自分があまり英語がわからない、ということを意識せずに済んでいたのね。それが子どもたちばかりの空間で、突然、疎外感を感じ、みなと同じように英語ができない自分に気付いた、というような話。

「大丈夫かなあ」
「1カ月もあれば、野球のチームメートだもん、仲良くなるよ」

あれこれと思い悩む我が夫婦。
そんな両親の期待と不安をよそに、息子の1カ月は飛ぶように過ぎました。
チームの中には、息子に積極的にアプローチしてくれる子が何人かいて、その子たちとは言葉を介さなくてもなんとなく楽しそうに遊べるようになっていた息子なのですが、肝心のブライアンとは……

まったく、会話なし。

こんな状態で、お誕生日会に行くのかよ……とほほ、といった状態のまま先週を迎えました。
そろそろ、お返事をする期限も迫っていたわけで、息子に、
「あんた、どうするの? ブライアンの誕生日、行くの? 行かないの?」

私の詰問に、息子は
「うーん、どっちでもいい」

行ってみたいけど、やっぱりちょっと怖い……というのが本音だったみたい。
さらに息子は、

「だって、ブライアンって話したこともないし、何が好きかも知らないから、お誕生日のプレゼントに何を持っていっていいかだって分からないし」

案外、具体的なことを心配してる息子の様子に、私の心はスパッと決まっちゃった。
よし、こりゃ、行かせてみよう。
それで私のほうから、ブライアンのママに 「ぜひぜひ、参加しま〜す。でも、ブライアンのプレゼント選びで迷ってるので、好きなものを教えてね!」 とメールしたのでした。

すぐに返ってきた返事は、
「ブライアンに直接聞いてみたら、日本の野球選手の野球カードがほしいんですって」

これを息子に告げた時の、息子のうれしそうな顔ったら!
さっそく、大事に大事にファイリングした自分の野球カードコレクションをながめ、同じ選手で複数のカードを持っているものを選び出し、なかなかバランスの良い10枚のカードセットを実に楽しそうな表情で作ったのでありました。

ブライアンと、一言も言葉を交わしたことがないくせにね。
野球カードを集めてる同好の士、と思うと、俄然、身近に感じちゃった、ということのようで。
ああ、男って、なんて、単純!

さて、ブライアンのお誕生日会は二部構成。

前半は、みんなで映画館に行き、ナルニア物語(第2作目)を見る。
後半は、映画館の隣のピザレストランでピザを食べ、ケーキを食べ、プレゼント交換、といった具合。

誕生日会に映画かよ、と日本人の感覚だと驚くけど、こっちのご家庭のお誕生日会はなんだかとっても派手派手で、ほかにも、スケートリンクを貸し切ってパーティーとか、クラウンや手品師を雇って子どもたちを喜ばせるとか、いろいろ。
そういえば、船を借り切って、ポトマック河3時間のクルーズパーティー、なんて話も聞いたことがあったな。
スポーツセンターとか色々な施設も、お誕生日などのパーティー向けの貸し切りプログラムを持ってるところが結構あるのね。
いやはや何かとお金がかかるわけで、当然それを前提にプレゼントを選ぶから、プレゼントを渡す方もそれなりにお金がかかるわけです。

もちろん、ブライアンのお誕生日では、映画代もピザ代も、みなホスト側の負担。
ちなみに、ブライアンのママによると、数週間後にはブライアンの妹のお誕生日パーティーが迫っており、この時は女の子たちにパジャマ姿のままで集まってもらい、枕カバーを作ったり、ケーキを焼いたり、いかにも女の子なイベントを企画してるんだそうで。
すごいなー。

さてさて。
でもって、本日、行って参りました。
親子して、アメリカ初のお誕生日会体験!
ブライアンのママの気遣いで、「アヤコが一緒のほうが息子さんも気が楽でしょー」 と映画とピザの両方に私まで招いてもらっちゃった。
ナルニア物語は、そもそも我が親子は第一作を見てないし、おまけに、英語はアメリカのアクセントではないし、私でも分からないところがいっぱいあったわけで、たぶん、息子はチンプンカンプンだったはず。
さらに、ピザレストランでも息子は、ものすごい勢いでしゃべくりまくる少年たちの隅のほうで、ぽつねんとピザを食べているような状態だったんだけどね。
それでも、プレゼントの野球カードを思った以上にブライアンに喜んでもらえたことで、息子は本当にほっとしたみたい。
思えば彼が一番心配し、脅えてたのは、「プレゼントを喜んでもらえなかったら、どうしよう」 ってことだったのねえ。

最後にお返しのお菓子なんかを配ってもらい、「ありがとう!」 と言って帰る時には、「あーおもしろかったね」「行ってよかったね」 と何度も何度も言ってる息子だったのでした。
所在なげで、心細い瞬間もいっぱいあっただろうにね。
私も、なんだかほっとしちゃった。
ブライアンとママに、「ぜひぜひ今度、野球カードコレクションを持って、我が家に遊びに来てね」 とプレイデートのお願いもしてきちゃった。

思えば私、息子のお誕生日会なんて、やったこと、なかったのよね。
なにしろ息子の誕生日は5月5日。つまりゴールデンウィーク中なもので、ついつい、それに甘え、いつも家族で夫の実家のある仙台に出かけていたので、友達を招く機会もなかったの。

来年はいっちょ頑張って、息子のために、派手な誕生日会を企画してみようかしらん。

チベット問題をめぐるあれこれ

カレッジの春期授業が終わってしまって、自由時間が増えたので、久しぶりに行きつけ以外の別の図書館主催の英会話クラブなんぞにも顔を出してみた。
いわゆる英語を学ぶ外国人向けに無料で開かれているもので、ボランティアのアメリカ人が会話相手となる。

これまでにも、ヒロシマ・ナガサキ問題やら、パールハーバーやらをテーマに議論を吹っ掛けられ、ネイティブ相手にヒイヒイ言いながら説明したり、議論したり、してきたわけだけど。
最近は、中国をめぐる議論が増えてきた。

やっぱり、五輪の前だし。
おまけに、チベット、だし。

だいたい最初に議論を吹っ掛けるのは、自由を愛するアメリカの人たち。
「チベットの独立、なぜ認めないんだ?」
なにしろ、もともと 「コミュニストの国=人権侵害=中国」 という先入観があるうえ、他国に開拓者を多数送り込み、最後は反乱を起こしてアメリカの一部にしちゃう、という手法で領土を拡大してきた国の人だけに (テキサスしかり、カリフォルニアしかり)、心情的にもチベットに肩入れしちゃう人が多いんだろう (そう単純でもないんだろうけど。)

先日は、アメリカ人ボランティアの一人エドが、よせばいいのに、「中国共産党の公式見解が我が意見」 みたいな中国人のハイディにそんな議論を吹っ掛けちゃったもんだから、私は内心、「あっちゃー」 っと思ったのだった。
日頃は英語が流暢なハイディが、一瞬口ごもってるので、なんだか気の毒になって、

「いや、中国政府にも色々問題はあるけど、チベット問題の報道のあり方ってちょっと一方的過ぎるかもね」

なーんて灰色見解を、助け船のつもりでつい口にしてしまったら、ハイディが一言。

「ちょっと、ですって? 『ちょっと』 じゃないわよ。ものすごい偏向報道よっ!」

それから10分間、ハイディの独演会。

「ダライラマは正式なチベット人民を代表する存在じゃない。単なる一宗派に過ぎないんだから、政府がダライラマと話し合う必要なんかないわ」
「英国政府はアイルランドの独立を喜んで認めた? エド、あなたはIRAを良しとするわけ?」

ひええええ。
激しい。なーんだ、助け船なんていらなかったのねえ。

さあ、そろそろ、英語力という圧倒的なアドバンテージを持ったエドが、攻勢に転じるか……と息をひそめて見守っていたら、エドはあっけらかんとこう言う。

「へ? チベットって、中国の領土の一部だったのかい? 最近になってチベットって国を中国が侵略した、とかそういうんじゃないの? なーんだ、そうなんだー」

………。
エド。
そんな状態で、中国共産党を固く信じる彼女に、議論を吹っ掛けないでよー。
ハイディはエドと議論するのがバカらしくなったのか、今度は私一人を相手に延々と主義主張を大展開してくれて、聞き役に回った私はすっかりつかれたのだった。

そんななかで、おんなじテーブルでこれまでずっと黙って議論を聞いていたペルーからの移民夫婦が、ぽつりと一言。

「……で、ダライラマって誰?」

どっひゃーん。
ハイディも、これにはさすがに呆然。
この爆弾発言で、チベットをめぐる議論はお開きとなったのだった。

で、お次は本日の出来事。
ルーマニア、ブラジル、アルゼンチン、ナイジェリア、中国、日本 (これは私ね) の出身者で、お互いの国の民族衣装について話し合っていた時のこと。

いきなり、ルーマニアのおばちゃんが、中国人のばあちゃんに対して、こう言ったのさ。

「中国の民族衣装って、ダライラマが着てる、オレンジのドレスでしょ?」

のんのんのーん!

と、焦りまくるのは、ほとんど私だけ。
ものすごく固い表情で、「ノー」 とだけ言い切る中国のばあちゃんの目がちょっと怖かった。

人の振りみて我がふり直せ。
教訓1。「もっともっと世界を勉強しなきゃ」
教訓2。「生半可な知識で、タッチーな議論に飛び込むのはやめよう」
教訓3。「英語力で負けてても、知識力で勝っていれば、議論に勝てる道はある」

たくさん新聞を読んで、たくさん本を読もう、とあらためて痛感する42歳。

ジョイントコンサートを終えて

昨日、日本から来られた合唱団との合同コンサートがあった。
昨年末に、こちらの合唱団に入れていただいて以来、約半年近く、このジョイントコンサートを最大の目標にみんなで頑張ってきたものだから、終わった時にはもう、涙と抱擁、というような具合となり、一夜明けた今日はもう、なんだか気持ちが抜け殻状態、なのだった。

今回は、色々と悩んだことも多かった。
これまでの私の習い事は、一人で時間のやりくりが可能なものばかりだったから、仕事を抜け出したり、睡眠時間を削ったりしながら、どうにかしてきた。仕事を抜け出した時は、その分、夜中に自宅で帳尻を合わせば良かったし、そういう意味では、息子との時間を大きく削らなくても済んだのだ。

でも、今回の合唱は違った。
一人でどんなに練習したところで、目指すべき場所には、みんなと練習しなければ到達できない。
合唱の難しさは、そこにある。
週に1度の平日の定期練習も、別の平日にやるパート練習も、自分の都合をどうにかすると参加できたが、メリーランド州側とバージニア州側との合同練習だけは困った。日曜日の午後を丸ごと使った練習だったから。

息子は土曜日に補習校に通っているので、私たち家族にとって、日曜日は唯一、一緒に過ごせる貴重な日だ。まして、このブログにも何度も書いているように、渡米後の息子はとても不安定で、ストレスをためていて、日曜日の家族デーにエネルギーを充填しては、どうにかこうにか次の1週間を乗り切っているような状態だった。
だから、とても、息子との日曜日を捨てて、合唱の練習に行く、という選択はできなかった。

日本では、週に1度はベビーシッターさんを頼んで、飲み歩いたり、コンサートに行ったり、遊び回っていた 「悪妻・悪母」 の私だったんだけど。
あれは、やっぱり息子が安定していて、赤ちゃんの時からお世話になっているシッターさんとの信頼関係もバッチリだったゆえに、成立していた暮らしだったんだな。

そんなわけで、合唱団の中では新米の身でありながら、肝心の合同練習にまったく参加できない日々が続いた。
今の状態の息子を残して、日曜日に家を出る選択は、どうしてもできなかったからだ。
迷いに迷った挙げ句、私の合同練習への欠席が問題になったら、その時は舞台をあきらめよう、と気持ちを固めた。
いわゆる「舞台」とか「本番」とかへの執着心は、とことん強い方だと自分でも自覚している私だから、そういう結論を出すまでには、実は結構悩んだ。

それでも。
仲間を見回せば、私だけでなく、色々な人が色々な事情を抱えていた。
事情を抱えながら、何かを犠牲にしたり、無理したりしながら、必死に時間と気持ちを持ち寄って、練習しているのも分かった。
だからいつも後ろめたかったし、申し訳なかった。
中途半端、と言われれば、それは事実には違いなく。
でも、誰もそんなことは言わないわけで、結局は自分で自分に 「中途半端ではないか」 と言ってしまい、その言葉に自分で思い悩むような日々が続き……。
つまり、自分の中で、気持ちにうまく折り合いを付けられなくなっていたんだと思う。

何がつらいといっても、合唱というのは、自分一人で練習するだけでは、どんなに努力してもうずめられないものがある、ということが、ものすごくつらかった。
誰かと一緒に何かをする、ということは、こういうことなんだな、と思い知らされた。
つくづく、そういうのに向いてないな、とも。
「みんな」 で創り上げる喜びは、もちろん、まぶしいくらい感じられたけれど、その過程で何度、「みんな」 の難しさを痛感したことだろう。

色々な人の助けを受けて。
色々な人の支えを受けて。
色々な人の許しも受けて。
そして、家族の応援も受けて。

それでも、一度はあきらめた舞台に立つことができた。
それは、本当に本当にありがたいことだった。

私自身はちっともうまくないのだけれど、周囲の美しいハーモニーに包まれて歌い、下手なりにそこに溶け込み、一部になっていくプロセスが、ものすごく感動的なんだということも知った。

「みんな」 はしんどかったけれど、
「みんな」 は難しかったけれど、
一人では届かない何かに、触れることができるんだと知った。

ほかにも、心に残ったことはいろいろ。
大好きな嶋田先生のレッスン。
香織先生のピアノ。
日本から来られた合唱団の、舞台本番のものすごい集中力。
日本から来られた友清和親先生に、本番前の2日間、レッスンをつけていただけたのも、とても貴重な体験だった。なにしろ、友清先生は、「水のいのち」の作曲家、高田三郎先生から直接学んだ方。そのレッスンは、高田先生の生きた言葉がいくつも散りばめられていて、とても心に残るものだった。

でも。
課題だった 「みんな」 には、今一歩及ばず。
ここのところが、今回の宿題。

レッドソックス戦、初体験

野球の神さまに見放され、先週末は雨で野球の試合予定が全滅。
今日の試合も微妙。週末は……またダメそう。
なんでも、この季節にここまで雨が降るのは、60年に1度のこと、らしく。
(知人がそう言ってた。情報源不明ゆえ、ホントかどうかびみょー)。

しかし。
この雨と雨の狭間に、ボルティモアまでレッドソックス戦を見に行ってきた。
とりあえず、我が家はにわかレッドソックスファンなので。
「ビール飲みながら応援するのに、応援チームが決まってないとつまんないだろ」的な夫や私のテキトーさに比べれば、息子はより熱心で真面目なレッドソックスファン。どうしてもレッドソックスの試合を生で見せてやりたかった。

どうせ夫は仕事で忙しいし、私1人で息子を連れて夜遅くのボルティモアの街から家まで車を走らせる自信もなく (ものすごく運転が下手だからね)、結局、平日デーゲーム、という珍しいスケジュールの試合のチケットをゲットした。
息子を午後、学校から早退させ、一路ボルティモアへ。

試合は最初、なかなかよかった。
レッドソックスはホームランも打つし、
ラミレスは生で見てもあのまんまだし、
レフト守備ではスーパーキャッチを見せてくれるし、
レッドソックスファンは予想に違わず熱狂的だし、
うるさいし、
よく飲むし、
……ははは。
いや、実に楽しい!

今回は内野席だったんだけど、
中盤に入って、はるか彼方の外野側のブルペンを見てた息子が突然、
「母ちゃん! あれ、岡島だっ!」

……。
なぜ、米粒ほどにしかみえないピッチャーが岡島と分かるのか?
母ちゃんにはぜんぜん、わからんぞ。

「まだ、普通のキャッチボールだから分からないかもしれないけど、もう少ししたら頭を下げ始め、あのピッチングフォームになるから、母ちゃんも見ててごらん」

はいはい、そうさせていただきます。
しかし、ほんとに不思議。
漢字はもとより、今やカタカナまで忘れ去っていくほどの記憶力の悪さを発揮してくれている君なのに、なぜ、野球選手のフォームとか背番号とかポケモンの名前とか、そういうことだけは覚えられるんだ?

でもって、確かに、その米粒ピッチャーは岡島だった。
二死満塁のタイミングでマウンドに。
親子で必死で応援したんだけどなぁ……。
なんと、満塁本塁打を打たれ、一気に逆転されちゃった。

ここのところ、息子がマウンドでバカスカ打たれるのを見ている私として、これまた妙に身につまされる思いがしちゃったりして、普段だったら、「こら〜、岡島、いいかげんにせんかーい」 とか阪神ファンの乗りで叫ぶところが、もう今回は、「つらいよなあ。つらいよなあ。うん、がんばれ。踏ん張ってくれ〜」的応援になっちゃったりして。

ヤンキースの先日の井川先発の試合なんて、テレビで見ようと思ったら放映されてなかったので諦めたわけだけど、テレビで視ていたら、これまたいたたまれなかった気がする。
(やたら打たれて失点し、あーん、全然ダメダメじゃーん、となってしまった試合だったらしいからね)

ということで、マウンドのピッチャーの心中に思いを馳せるばかりで、妙につらくなってしまった。
一方、当の息子はというと、「まったくもー。あんな場面で打たれるなよなー。それも満塁本塁打なんて。打たれたくても、普通、打たれないぞ」、とプリプリしている。

……。
君はあれをみて、いたたまれなくならないのか。
案外、本人はポカスカ打たれる経験を、ヘとも思ってないのかも。
うーん、わからん。

結局、試合は岡島の本塁打被弾の結果、逆転負けで終しまい。あーあ。
でもやっぱ、応援してるチームの試合を見に行くのはいいね。勝っても負けても、気持ちよく迷わず応援できるから。

地元ナショナルズとシカゴカブスの試合を見に行った時は、カブスの福留を応援しつつも、地元だからナショナルズを応援したり、しかし途中から、あまりのナショナルズの弱さに閉口し、カブスの応援に転向しちゃったり。
あるいは先日のヤンキースvsマリナーズ戦 (NYまで見に行ったのだ) なんか、イチローと城島と松井を応援するという、なんとも典型的な日本人型応援に終始しちゃったし。

今度はぜひ、ニューヨークでもボストンでもいいから、宿命のレッドソックスvsヤンキース戦を見たいもんだ、と親子して密かに計画中。
今シーズンは難しそうだし、来シーズンになっちゃうかなあ……。

野球の神さま

このところ、毎週2回のリズムで試合がある。
週に1試合は先発し、3イニング投げている息子。
もともと、4、5年生のリーグらしいのだけれど、息子たちのチームは4年生が主体だから、5年生主体のチームとぶつかるとやはり苦戦する。子どもの1年の差は大きいのだ。
息子の場合、チームメートより身体も一回り小さいので、余計にハンディをしょってもいる。

ここのところ、5年生主体の強いチームに当たることが多く、こうなると息子もパカパカ打たれちゃってる。この前なんか1イニングに7点とか取られちゃったし (味方のエラーも結構すごかったけど)。
昨日も、ファーボールを2個連続で出しちゃったし。
ちょっと強い相手になると、息子の球じゃ、力負けするのだろう。
本人なりに、思うところもあるらしい。

とはいえ、彼はとても運の強いヤツだと思う。
あれほど雰囲気の良いチームに偶然はいることができたのも、運の強さの一つ。
チームメートの中で、もっとも息子を好いてくれてる子が、偶然同じ学校の1年上の男の子だった、というのもラッキーだ。学校で、挨拶を交わせる相手が増えたんだもんね。

息子はそんな運の強さを、試合でも発揮する。
一打サヨナラの場面では、緊張で震えながらもヒットを打ち、サヨナラ勝ち。
1イニング7点とられて負け投手必至、という試合で、同点打となった息子の 「ヒット」 は、ただのファーストゴロ。それがなんとなんと、1塁ベースに当たり、イレギュラーしてライトまで転がったのだった。おまけに試合はその後、逆転勝ちし、「負け投手」もなし。
いや、あれはホント、野球漫画みたいな展開だったよ。

「うそだろ……。しんじられない」 って感じ。

そんなわけで最近は、息子をこう励ますことにしている。

大丈夫。あんたにはきっと、野球の神さまが付いてるんだよ。

試合中、バッターボックスで空振りしたり、マウンドで苦しんでる時にも、
「野球の神さまがついてんだから、大丈夫!」 と声をかける。
こんなの、日本だったら絶対に恥ずかしくてできないよな。
日本では、このような親は 「バカ親」 とか呼ばれるもんな。
でも、とりあえず、今は周囲に日本語が分かる人がいないから。
いいよね。

野球の神さま。
お天気予報はこれから3日連続雨だそうですが、
きょうは練習、明日あさっては試合があるのです。
雨で流れませんように!

カレッジの社会学、無事修了

本日、カレッジの社会学の期末試験があった。
中間試験は、エッセイ問題にものすごく苦しんだ。
(だって、単語が全然思い出せなくて、中学生レベルの英語で社会学的な概念を説明しなきゃならなかったんだもん)。
でも、今回は、エッセイ問題は自宅持ち帰りで、試験日に提出すればよかったから、随分と気が楽だった。選択問題だけの試験なら、ははは、共通一次世代の私には、ラクショーラクショー。

……と思ったら、案の定、試験問題の英語がよくわからず、ちょいと悩んでしまった。

そうそう。今日はもう一つ、ニュースがあった。
なんとなんと。
電子辞書が1つ、戻ってきた。
先生が教室にメモ付きでぽつんと置かれているのを見つけてくださったらしく、「たぶん、何か知らずに盗んじゃった子が、使い道がなくて戻したんじゃないかしら」 というのが先生の分析。
何はともあれ。
すっごくうれしいのだった。

1月下旬から始まったこのクラス、思った以上に面白かった。
最初は、「英語を勉強するより、英語で勉強したい」 というだけで選んだ科目だったけれど、中身のほうがずっと楽しかった。
まず、アメリカの教科書って、どんどん新しいセオリーを紹介してくれているから、20年前の学生生活では学べなかった話が結構ある。
おまけに統計なんかも満載。米国の貧困やら人種やら寿命やら、そういった統計を通して、随分とこの国を学ぶこともできた。

でも一番おもしろかったのは、実に多様性に富む若いクラスメートたちだった。
みんな普通に英語をしゃべるので、私一人だけがおばさんで、おまけにガイコクジン、と思ってたら、どうやらそうでもなかったみたい。
あちこちからの移民の子がたくさん混じっていた。

人種や民族、偏見や差別についての授業では、
プエルトリコからの移民の娘さんが、引っ越した先のコミュニティーで嫌がらせを受けて、そこを立ち退かざるを得なかった体験を話したり、アルジェリアから来た白人の娘さんが 「私の第一言語はアラブ語だけど、エスニックアイデンティティーは 『アフリカ人』。でもこの国では 『ホワイト』 と見られる」 などと語ったり。
日本で同じ授業をやったなら、どこまでも他人事でしかないだろうテーマなんだろうけれど、この国では誰もが当事者だ。ディスカッションで体験談が飛び出し始めると、徐々に生徒たちが生き生きしてくる。

普段は、高校生に毛が生えただけの、どうしようもなくガキっぽい子たちで、ほとんど母親の目で 「ああ、かわいい子たちだなあ」 なんて見てきたわけだけど。
カレッジだから、中には学費を払えなくなって4年制大学をいったん退学し、教養課程の単位だけ集めにカレッジに入り直した子など、経済的な事情を抱えた子もいる。
それぞれに、色々な人生を抱えているのだ。

先生自身もこの国ではマイノリティーに属するわけで、

「最初は人種をテーマにした授業をするのに躊躇がありました。私自身がこの国ではマイノリティーだから、どうやってもバイアスが掛かってるんじゃないか、などと受け取られるかも、などの危惧もあって」

と話しておられた。
強い反発を示す生徒が毎年いる、とも。

こんな話を聞いて、ああ、もっとこのカレッジで学びたいなあ、と思った。
秋のセメスターでまた、一つ何か授業を取ってみようかな。
今度は、もちっと英語でディスカッションに参加してみたいもんだ、というのが、次回の目標!