スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

米国でのピアプレッシャー

日本の中高生を取材していて、いつも呆然としたのは、彼ら彼女らの間のピアプレッシャーの強さだ。もちろんそれは今に始まったことではなく、私が中高生だった時代も、ピアプレッシャーは強かった。私自身がそれをヒシヒシと感じていたことを、大人になった今も、結構生々しく覚えていたりする。

でも、日本にいた時、漠然と思っていた。
あらゆる意味で多様性に満ちた社会で、多様性を認める米国社会では、中高生だってピアプレッシャーとある程度無縁でいられるに違いない、と。

先のエントリーにも書いたスクールカウンセラーさんにそんな話をしたら、
「とんでもない!」 という答。

そもそもティーネイジャーのピアプレッシャーが極めて強いのはどこの社会でも変わらないし、米国には日本とは違う類のプアプレッシャーも存在するというのだ。

「例えば、黒人の子が白人の子たちと頻繁に遊んでたりすると、『なんであんた、白人とばっかり遊ぶわけ?』 などと黒人の友人に言われちゃったり、人種間のピアプレッシャーもあるんですよ」

なるほどなあ。
いつも近所の中高生が学校から帰る風景を見るたび、なんだかんだ言って人種ごとにグループが分かれてる感じがして、気になってたのだけれど。
その風景を、ピアプレッシャーという観点から見たことはなかった。
そういう意味でも、彼女との会話はとても勉強になった。

「私の務めている学校は、90以上もの国から生徒が集まっていて、40以上もの言語が存在するの。人種間の緊張はない、とても開かれた雰囲気の良い学校なのだけれど、それでもカフェテリアで食事をする時なんかは、自然と分かれてしまう。『食事する時くらい、自国語で会話してくつろぎたいよ』 って思いがあるんじゃないかしら。いわゆる コンフォートゾーンというのは確実に存在すると思うの」

あらためて、日本を思う。
日本の子どもたちを取材するのに、東京で取材するだけで事足りていた(厳密に言うと本当はそうではないはずだけれども、ある程度は、という意味で) のが、今になってみれば、すごく不思議。
こっちでは、ジャーナリストが子どもたちのインタビューをまとめる時、極めて限定的に対象を絞ってしまうか、あるいは全米の特徴的な複数の都市で、様々な人種の子たちをバランス良く取材する。
「アメリカの子どもたちは今……」 みたいな言い方でこの国の子どもたちを語るのは、とうてい無理だ、というのが実感。


スポンサーサイト
プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
RSSリンクの表示
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。