まあ、聞いてくださいな。
ネットで見つけた「この道40年」のクローデッテ先生のおうちに、先週の水曜日、出かけていきました。
車で15分くらい。
ロックビル郊外の住宅地にあって、楽譜でごっちゃごちゃのレッスンルームには古びたYAMAHAのグランドピアノと、アップライトが1台。
クローデッテ先生は、
この写真より実際はもう少しお年を召されているんだけど、それでも、この業界にしてはあまり若作りしてない人だった。
「まあ、座って」
薦められるまま、グランドピアノの前に座る私。
とりあえず簡単な自己紹介の後、さっそく、バッハのシンフォニア11番から。
ほんと、自分でもこういう時、不思議だなあと思うんだけど、なんか緊張しないのよねえ。子ども時代はこういうシチュエーションだと、心臓ばくばく状態になるくらい緊張したのに。
ということで、バッハはつつがなく弾けた。
自分でも、満足、の出来具合。
「
gorgeous!!!」
クローデッテ先生が大げさに言う。
「ごーーーーー」の後にしっかり「r」の音が発音されていて、なんだかむちゃくちゃほめられた気分。
ちなみに、辞書で gorgeous をひくと、「華麗な、素晴らしい、豪華な、見事な、華やかな、きらびやかな、すてきな、かっこいい」だってさ。
いやーん、それほどでも。
すっかり気をよくした私。
次は、グラナドスのアンダルーサを弾き始める。
こちらは、「楽譜は要らないわ」 と格好付けて楽譜を閉じてしまったのが後で響いた。途中、一瞬、音がわからなくなり、頭が真っ白。合計20秒間くらい緊張で心臓バクバク状態に。
でも、幸運なことにあっさりごまかせて、そのまま落ち着けた。
やっぱり、無理は禁物だ。
ということで、少々消化不良の演奏になってしまった。気落ちしつつも、まあ、仕方ないよな、と半分開き直り始めた私に、クローデッテ先生がかけた言葉は……。
Gorgeous! Beautiful! ……。
この辺りで、私、少々不安になってきた。
もしかしてそれ、あなたの口癖?
半ばやけっぱちのまま、いまだ完成にほど遠いベートーヴェン「悲愴」の第三楽章へ。
生ピアノで1週間練習出来たお陰で、タッチの差で音色に変化をつけられるようになった、という面では、日本にいたころより進歩したとは思うけれど、「どう考えても、これはベートーヴェンの悲愴じゃあないよな」、という程度の演奏をいまだ脱出できてないのだった。
やけっぱちが功を奏したのか、とりあえず一度も止まらず、致命的な音を外すこともなく、練習通りには弾けた。
弾き終わった後、
「……とまあ、こういうわけで、私は古典が苦手。この曲について言えば、なかなかベートーヴェンの音にならないんですわー」
と、ぼやこうとしたら、その前にクローデッテが……。
Gorgeous! Really gorgeous!……。
つまり、そういうことである。
クローデッテ先生はたぶん、生徒が演奏した後、まずほめるのが指導姿勢で、最も彼女が愛用しているほめ言葉が 「ごーじゃす」 なのだろう。
うむむ。
人間、ほめられて悪い気はしないというけれど、3曲弾いて、3曲とも同じほめ言葉をもらって喜ぶ生徒はいないと思うぞ。
半分意地になった私は私で 「こんなのベートーヴェンの音じゃないと思うんです」 と主張してみたんだけれど。
クローデッテ先生は優しげに言うわけ。
「そんなことないわ。あなた、自分が思ってるよりずっと素敵な演奏ができてるわよ。リズムも音も間違いはなかったし、きちんと大きな音も出ていたし!」
いや、そういう問題じゃなくってさ。
リズムや音の間違いなんて、問題外。大きな音が出てりゃーいいってもんでもないわけで、あなた……。
思わず、木曽センセがアメリカのピアノ教育について、ぼそっと語った言葉を思い出しちゃった。
曰く、
「アメリカの人は、何というか、早く弾けて、音が大きければ、それで良し、というようなおおざっぱなところがあるので……」
「ロシアにピアノの勉強に行った時、アメリカから来た人の演奏に『ええっ! こんなので本当にいいの?』と仰天させられました。16分音符なんて崩れてるし、ちっとも指なんか回ってないのに、本人はすっかり弾けた気になって……おまけに、完全に自分の演奏に酔ってるの」
「まあ、おもしろいといえばおもしろいんですけどねえ」
……はははは。
本当にそういう世界なのかも。
とまあこんなわけで、そのあと、クローデッテと少し会話。
どの作曲家が好きか、とか、どの演奏家が好きか、とか、どんな曲を弾いてきたか、とか、私のピアノ歴(恐怖の25年以上ものブランク)なんかについて。
クローデッテが聞く。
「ところで、悲愴は1、2楽章は?」
「渡米直前に、最後の曲を選んでって、日本の先生に言われたので、その時に一番ほれこんでた曲を選んだんです。3楽章なら、渡米までに間に合うかも、と先生にも言っていただいたので。1、2楽章はもっと難しいし、時間もかかるけど、と」 と私。
そしたら、クローデッテは、「not really」という。
んなこと、ないわよ、というわけ。
クローデッテはおもむろに悲愴1楽章の最初のページを開けて、
「おーけい。さあ、弾いてみて!」
は?
は?いきなり、一楽章を、初見で弾け、と???
固まる私。
おまけに、悲愴の三楽章は複数の演奏家の演奏を編集して、何百回と聴いてきたけれど、一楽章なんて最近はほとんど聴いてないぞ。
思わず、楽譜のフラットを数える私。
もちろん、ベートーヴェンといえば、ハ短調。フラットは3つ。
「3つだ。よかったー。4つだったら、初見では絶対に弾けないもん」
正直に英語で告白する。
こうい時は正直が一番だもの。
結局、つごう4ページ、初見で延々と弾かされた。
カメのようにのろい歩みの第一楽章。いくらゆっくり弾いたところで、初見ですから、音を頻繁に外します。外すたび、楽譜にチェックを入れられるのが、ちょっと哀しい。
私が音を探したりしてリズムが揺れると、クローデッテ先生は音を教えてくれるわけだけど、これが、英語なのよね。
「ドレミ」
でもなければ、
「ツェーデーエー」
でもなく、
「ABS(エィビースィー)」
なんだもの。
頭、ごっちゃごちゃ。
大パニック。
しかし、第三楽章のレッスンをつけてもらうために来たのに、なぜ肝心の第三楽章は 「gorgeous」の一言で片づけられて、第一楽章を初見で弾くような事態になっちゃったんだろう?
そんなわけで。
「じゃあ、来週はここまでね」。クローデッテ先生はにっこり。
予期せぬことに、第一楽章も手をつけることになってしまったのだった。
まあ、第一、第二楽章を乗り越えた先にあるべき第三楽章を、独立させて弾いていることで、絶対にたどり着けない解釈や音色があるんじゃないか、とずっと不完全燃焼感があったわけだし、これはこれで良い機会なのかも。
しかし、第一楽章は難物です。
まさかクローデッテ先生も、「大きな音が出てるからOKよ」とは言わないと思います。
(もしもそう言われたら、早々に別の先生を捜そうと思います)
さて。
「ほかに何か弾きたい? モーツァルトは? ショパンなんかどう? メンデルスゾーンもいいわね」 とクローデッテ先生にあれこれ言われたので、「日本では時間がなくてできなかったツェルニーをちゃんとやりたいんです」 と正直に言ってみた。
日本ほど、ツェルニーを多用する国はない、とある本で読んだことがあるが、とりあえず、クローデッテ先生はツェルニー派らしく、「ぜひやりましよ」と。
「どの指が弱いの?」と聞かれたので、「そりゃもう。左手全部。あとは左右両方の薬指と小指」と答えると、クローデッテ先生に 「そりゃ、あなた、誰だってそうだわよ」と笑われた。
「じゃあ、ツェルニー50番の、12番をやってみましょー」
クローデッテ先生が開いたページを見ると、最初から最後まで左手は32分音符だった。
これを指定通りのスピードで弾けるとは、とうてい思えないんだけどな。
ま、頑張るかー。
さらにさらに。
「ところであなた、スケールは練習したことある?」
ごめん。
実は私、そもそもスケールってどんなものか知りません。
子ども時代、ハノンは、細々とやりましたっけ。
「ハノンならやったけど」
「ハノンとは違うの。スケール」
「だったら、やったことないと思う」
そう答えた時のクローデッテ先生の驚きようったら!!!
Incredible! I can't believe that!!思わず、すんません、と謝りたくなったよ。
謝らなかったけど、もちろん。
そんなわけで、スケールの薄っぺらな本を手渡された。
まずはハ長調。Key of C Major.
Paralell motion in octaves / Contrary motion starting on the same note / Paralell motion in thirds or tenths / Paralell motion in sixths / C Major Triads / C Major Cadences / C major Arpeggios / Dominant Seventh Arpeggios...と続きます。
つまりだな、普通の音階、左右が逆に昇降する音階、3度と6度に、和音のコード進行があって、アルペジョ、って感じ。
運指訓練なら、ハノンのほうが色々バリエーションがある気がする。むしろ、全音階について主音だの上主音だの下属御だの属音だの(だったっけ?)をお勉強しましょー、ってことか。それも全部英語で??
こりゃまた、厄介そう。
というわけで。
ピアノに詳しい皆さんに質問。
若い子みたいに音楽のキャリアを真剣に考えているわけでもなく、趣味でピアノを弾いているオバサンが、運指目的のハノンではなく、スケールを習う意味って何なのでしょう?
どうせ習うなら、どういうことを心がければ良いのでしょう?
そんなこんなで、私のピアノライフがとうとう、アメリカでも始まりました。
どうなることやら……。