おぐにあやこの行った見た書いた

一軒家に引っ越すということ 2 (締め出しをくらった初夜)

10月28日の日曜日。
我々家族は1カ月暮らしたDC直近快適アパートメントを引き払い、いよいよポトマックの外れの新居に完全転居いたしました。

家にある荷物は、私たちが手荷物で持ち込んだ荷物と、防寒具など航空便で届いた荷物。さらに、夫の前任者が売ってくれた、ソファ2セット、テーブルセット、ベッド4個など。
暮らすために、初日から最低限購入が必要と思われたのは、

・掛け布団とシーツのセット
・ランプ
・スプーンとフォーク

でした。

アメリカでは間接照明が中心なので、トイレやバス、キッチン以外ではほとんど照明がありません。真っ暗な中で暮らすわけにはいかないので、最低限数個のランプが必要だったのです。
さらに、お皿やお鍋はあれこれ知人にお借りできたのだけれど、なぜかスプーンとフォークは盲点でして。
こちらも急を要しました。

ってなわけで、夜暗くなるまで、あっちこっち買い物をしまくって、さて、家に帰ってきたのは午後7時過ぎ。

ガレージを開け、家に到着。
ガレージから部屋に続くドアを開けようとしたら……。

あれれ?
開かない……。

なんとなんと。
ガレージと部屋をつなぐドアは、部屋側からは普通に開けられるドアなのに、ガレージ側からだとカギが必要なのです。
バタンと締めるだけで勝手にカギがかかっちゃうのですね。
慌てて、部屋のカギを試してみたのだけれど、どうも違うカギみたい。

仕方なく、ガレージの外に出て、玄関から入ろうとして、真っ青に……。
なんとなんと、たぶん慎重派のうちの息子が (本人は固く否定)、ドアにチェーンロックを掛けてたのです。

ど、ど、どあが、開かない……。

引っ越し初日から、なんと我々家族は、家から完全に閉め出されちゃったのでした。
買い物に出かける時は部屋から玄関ではなく、ガレージ経由で外に出たため、チェーンロックに気付いていなかった、というわけ。

裏庭に回って窓なども試してみるものの、いずれも締めた途端、内側から勝手にロックがかかる仕組み。
どうやっても、入れる場所はなかったのでした。

しんしんと冷え込んでゆく夜。
家族3人で、ガレージの中。
明日は息子の現地校初登校の日だというのに……。
夕飯もまだ。
お腹は、ぐうぐう。
いったいどうすればいいんだろ。

結局、不動産会社の担当者の連絡先がすぐに分からなかったため、不動産の仲介でお世話になったK女史に電話して、相談してみました。

結論からいうと、カギ屋さんを頼むまでもなく、K女史が日頃世話になっているという、家のあれこれをやってくださっている男性が、わざわざ我が家まで来て、チェーンロックを開けてくれたのでした。
最初はチェーンを切る予定だったのですが、懐中電灯でよく見ると、すぐに壊せそうなチェーンだったため、金具を壊して外し、ようやく家族3人で無事に家に戻ることができたのでした。

いやはや。
参った参った。
家族とも、精神的に疲れ切っちゃって、とてもそれから料理して食べようという気も起こらず、その夜は、お湯を入れるだけで食べられるご飯、というやつと、インスタントみそ汁を食べて、おしまいにしました。

この 「お湯を入れるだけで食べられるごはん」 ですが、日本の友人が 「絶対に役に立つから」 と持たせてくださったものです。
渡米から1カ月間、何でもそろった快適なアパートで適当に料理して暮らし、「さすがにこんなの必要なかったわー。文明国アメリカだもんねー」などとのたまっていたら、とんでもない!!

お湯を入れるだけで食べられるご飯は、3種類。
わかめごはん、かやくご飯、お赤飯。
息子は、しみじみと 「こんなことがあった後に食べるご飯は本当においしいね」。
いやはや、まったく。

すっかり遅くなり、真っ暗な部屋。
寝室のウォークインクローゼットについている電球の明かりを頼りに、買ってきたばかりのランプを家族で必死で組み立てました。
これがないと、部屋が暗いままですもんね。

苦労しながら組み立てたランプは、本当にまぶしくて、なんか家族してしみじみ見入ってしまいました。
夫がぽつり。

「なんかもう、遠くまでキャンプに行きたいとか思わないよな。これで十分、サバイバルだもんな」

まったく同感。

暗闇の中、携帯電話を命綱に、K女史に電話した時、彼女は言いました。
「大丈夫。結構よくあることだから、悲観しちゃダメよ。うちなんか、2階の窓を一箇所、カギを開けておいて、いざとなったら近所から長いはしごをかりて、屋根に上って、窓から家に入ることにしてるのよ」

たぶん50台後半のはずのK女史が、屋根に上る姿を想像した時、なんだか私、胸があつーくなってしまった。
ほんの1週間ほど前、たかだかディスペンサーを直しただけで、有頂天になってた私だけれど。
あんなの序の口。
こっちの人は、何だって自分でやれちゃうんだ。

K女史に、「あなたは本当に運がいいわ。もし、カギ屋を呼んでも普通は2時間くらい待たされるのが普通で、お値段もすごく高いの。今回は、10分でそっちに駆けつけてくれる人が見つかっただけでも、あなたはすごくラッキーなのよ」 と言われて、しみじみ思った。

この国では、「私はラッキー」 と思えた人のほうが強いんだ。
寒風の中、震えながら何かを学んだ、引っ越し初の夜……。


テレビがなかった夜に

9月27日に、引っ越しを開始しました。
本来なら、その夜からポトマックの外れに借りたその一軒家に寝泊まりするはずだったのですが……。
なんとなんと、その夜は、レッドソックス対ロッキーズ戦も第三戦。松坂登板が決まっており、松井稼頭央対決は見られそうだし、岡島も投げるかも、ってな話。

新居だとケーブルサービスを立ち上げてもらってないのでテレビが観られないわけで、レッドソックス見たさに家族で月極めアパートメントにいったん戻ったのでした。

楽しい夜でした。
お引っ越しを案じておいしいちらし寿司を作ってくださった夫の職場の先輩の奥様のお陰で、夕飯はとても豪華だったし。
私が適当に冷蔵庫の残りものでつくったつまみを加え、その夜は何人か呼んでレッドソックス観戦大会。

飲んだくれながら、ふと、心の片隅で思ったこと。
「引っ越しの最中というのに、こんなにノンビリしてていいのか? 本当に私たちは明日から、あの一軒家で暮らしを始められるのかしらん?」

不安にはなったけれど、酔っぱらってるから、結局、「ま、なんとかなるよな」 と。
実はこの読みがとんでもなく甘かったことが、翌日の夜に明らかになるわけですが、それはまあ、後の話として。

悔しかったのは、翌日日曜日の夜。
月曜日には、ケーブルテレビのセットアップが済んでテレビを観られるようになったというのに、我らがレッドソックスは日曜日の夜、4戦連勝であっさり優勝を決めてしまっていたというわけ。
唯一、テレビが観られなかった夜に、優勝してしまうなんて!

……一番肝心な試合を、引っ越しのせいで見逃した我々家族だったのでした。
がぁあああああああん!
(実は、レッドソックス観戦どころではない騒ぎに巻き込まれたのですけどね。それはまあ、次のエントリーで)。

一軒家に引っ越すということ 1

これまで、米国暮らしの知人や友人から、たくさんの助言をいただきました。
曰く、

「庭は狭いほうがいいよ。芝刈りと雪かきが物珍しさで楽しいのは1回かせいぜい2回。文字通り地獄だよ」
「一軒家をメインテナンスするのは大変だから、タウンハウス(数件のみの集合住宅)のほうがいいよ」

でもさ。
息子は 「庭でキャッチボールがしたい」 というし、
広い一戸建てに住む、なんて体験、たぶん人生最後だろー、とか思っちゃうと、「苦労を勝ってでも、借金してでも、米国で一軒家ライフを体験してやろーではないか!」 と決意しちゃったわけ。

ほら。
なにしろ私の人生訓は、

「迷ったら、やったことのないほうを選ぶ」

ですから。

しかし。
予想通り、なかなか大変だわー。
自分の生活力のなさを痛感するのみ。

ということで、本日、引っ越し2日目。
少しずつ、エントリーをアップしてみます。

繊細な味、見つけたぞ

アメリカで外食すると、なんか、いつもものすごい。
ドーンとハンバーガーが皿を占領してて、そこに、これでもか、これでもか、ってほどのフライドポテト。
サイドディッシュの感覚でサラダなんか頼もうものなら、巨大なサラダボールにいっぱいの (おまけにドレッシングたっぷりの) シーザーサラダなんかが登場し、サラダの上には、へたをしたら肉のグリルとか乗ってたりして、「おいおい、これじゃメインディッシュだよ」 状態。

おいしいものは、確かにおいしい。
でもさ。
この半分の量で、半額で出してくれたら、むちゃくちゃうれしいんだけどな。
……といつも思うのである。

ところが渡米1カ月目にして、アメリカで 「繊細な味」 というヤツに出会ってしまった。

Butterfield 9 というお店。

ワシントンDC情報のネット掲示板で見つけたお店なのですが、夫に話すと、「あれれ、それ、職場の近くだぞ」。
となるともう、行くしかないでしょー。
一説によると、ここのパティシエは日本人の方だとか。
むむむ。

ということで、行って参りました。
平日の1時を過ぎているというのに、お店はほぼ満員。
前菜、主菜ともに、「どかーん」 とか 「ばばーん」 とかとは無縁の、なんとも繊細なお皿。
見かけも、味も。
「アメリカじゃないみたーい」 と叫ぶ我が親子。

息子は、メニューに 「tuna tataki」(まぐろのたたき、ですな) を見つけて大喜び。
私はデザートに向けて、パンを食べるスピードを抑えるのに必死。
だって、パンも、それについてきたハチミツやジャム、サワークリーム(かな?)も、
むちゃくちゃおいしいんだもーん!

メインディッシュにほたてのグリルを頼んだら、周囲にバニラを上手につかったむちゃくちゃおいしいソースが飾ってあって、なんか感動。
大きなお皿にね、ホタテの貝柱が3つしか乗ってないの!

3つだけっ!

どかーん、と山盛り、じゃないのよ。


それが、妙にうれしい。
メインディッシュを食べてもなお、腹八分目。
ああ、こんな感覚、初めてだわーん。

デザートに至ってはもう、あなた、感動ものです。
ちなみにサイトの写真はこんな感じ

どかーん、と甘ったるいケーキの巨大な固まりが出てきたりしません。
一品一品がもう、技が細かくて細かくて。
幸せいっぱい!!

ただし。
お財布は、ちょっと不幸せ。
やっぱ、おいしいものは、お値段のほうも。

ランチコースは25ドル。
最初はね、25ドル、と聞いて、何となくついつい100掛けて 「2500円かぁ〜。許容範囲かな」 とか思ったわけ。
でも、掛けるのは、100じゃなくて、120ですもんね。
(つまり、3000円)。

さらに、ランチコースにはデザートはついてるけど、お茶はついてないし、あまりにおいしいデザートを前にすると、どうやったって、紅茶とか頼んじゃうじゃない?
で、約30ドル。

さらにさらに。
この国には、チップというものがありますので。
それが15〜20%として、35ドル?
……ははは。4200円也。
今度は、いつ食べられるかなぁ。

ホロコースト記念博物館

息子の長い長い 「秋休み」 も、いよいよ今週でお終い。
週末には新しい家に引っ越し。
駅に近い超便利な家具付きアパートから、ほとんど何もないサバイバル生活へ。
週明けには息子も、現地校で 「サバイバル」 せねばなりません。

そんなわけで、平日の空いている日に行っておくべきところはないか、と考え、こんなコースを立ててみました。

・造幣印刷所 (結構人気で、整理券を配ったりもするそうで)
・ホロコースト記念博物館 (〃)
・アメリカ歴史博物館 (行き残したスミソニアンの博物館の一つ)

実は先週、知人から 「漫画アメリカの歴史」という全12巻のシリーズを貸してもらいました。
コロンブスの新大陸 「発見」 、ネイティブアメリカン、建国の父ジョージワシントンに開拓地ジェームズタウン、独立戦争、奴隷解放、鉄道の発達や自動車時代、ゴールドラッシュに大恐慌、第一次、二次世界大戦から冷戦時の宇宙開発まで。
大人が読んでも知らないことがいっぱいで、むちゃくちゃ面白かった!
猿谷要先生が監修、というので、とても信頼感を置いて読めましたしね。

親子で歴史を少し学んだところで、数日前には、アメリカンインディアン博物館にも行ってきました。
残すは、ホロコーストかな、と。
で、単に距離が近いという理由で、ホロコースト記念博物館の隣にある造幣局と組み合わせてみたわけです。

昨日朝、雨の中まず造幣局へ。
整理券も出す人気、と聞いていたのだけど、さすがは雨の日。それも平日の開館直後。整理券などなく、2〜3分待ったら中に入れてもらえました。
普段何気なく使ってきた米ドル札ですが、実は「漫画アメリカの歴史」に出てきた歴代大統領の肖像画が載ってたのねえ。

1ドル札は、お馴染み、ジョージ・ワシントン元大統領。建国の父、ですね。2ドル札は、トーマス・ジェファーソン元大統領。独立宣言を起草したえらい方です。が、地下鉄のパスを買う自動販売機など2ドル札を受け付けない機械が多いので、ちょっと不便なお札です。
便利な5ドル札は、エイブラハム・リンカーン元大統領。南北戦争の例の方です。

と、ここまでは良かったんだけど、

10ドル札。アレキサンダー・ハミルトン。
ありゃ、誰だっけ。
「漫画アメリカの歴史」を紐解くと、なるほど、初代財務長官ね。
この人と2ドル札のトマス・ジェファーソンさんとの対立がきっかけで、米国に「政党」が生まれたんだって。
へええ。

お次は事実上、一番大事な20ドル札。
(100ドル札は、「お釣りがない」とか言われて受け付けてもらえないことも多く、不便なの。100ドル近い買い物はたいていクレジットカードだしね)。

出たな、アンドリュー・ジャクソン元大統領。
貴族出以外の初の大統領で、民主主義の発展に努めた人、という評価もある一方、これはあくまで白人を対象にしたもので、ネイティブアメリカンや黒人に対しては冷酷だったんだそうで。
ちなみに 「OK!」 という今や英語になくてはならないフレーズも、この人が生み出したんだとか。
「All correct」 と署名すべき書類に、ジャクソンさんが「A」を「O」、「C」を「K」と勘違いし、省略して記入したのが最初なんだって。
なーんて知識も、へへへ、実は全部、「漫画アメリカの歴史」で読んだ話なのだ。
漫画といえど、あなどれない!

造幣局は極めて面白かった。
流れ作業でただの紙がお札になっていく様もおもしろかったし、何より、お金が大好き (というか貯金マニア、だろうか) な息子のハマリ具合はまた笑えた。
なにしろ、無料で配布してるパンフレットを自宅に大事に持ち帰り、お札の写真を丁寧に丁寧にハサミで切り抜き、「宝物」扱いしてんだから。
まったく〜。

その次に行ったのが、ホロコースト記念博物館でした。
これも 「漫画アメリカの歴史」 を読むことで、ナチス時代のドイツと同盟を結んでいた2国はどこか、という程度までの知識を息子が身につけたようだったので、連れて行くことに決めました。

開館は93年春。
周囲の多くの予想を裏切り、週末などはなかなかすぐには入れない、「人気」の博物館となっているそうです。
ただし、全館を見学できるのは11歳以上。
一方、息子は9歳。
そこで11歳未満にも公開されている部分のみの見学となりました。
それが、Remember the Children: Daniel's Story という展示でした。

これは本当に優れた展示でした。
ダニエル君というユダヤ人の少年が、ナチスの台頭で、どんな風に変わっていったか、という物語。
サッカーと水泳とスケートが好きだった少年が、第一次世界大戦の英雄で、街の人からも尊敬されていたお父さんが、どんな風になっていったのか。子どもの視点で、日記形式で展示されています。

ちょうど子ども時代、アンネの日記を読んだ時の感覚がよみがえってきた感じでした。
展示の英語を一語一句すべて息子に日本語訳してやるのは、結構大変でした。
というか、途中、胸が詰まって言葉が出なくなり、困りました。

最後の部屋に、「覚えていよう。感じたことを言葉にしよう」というようなコーナーがあって、子どもたちが思い思いのメッセージをカードに書いてました。
息子に 「何か書けば」 と言ったんですが、息子は 「こういうの、書きたくない。無理矢理書かされるのは嫌だ」 と言ったので、そっとしておくことにしました。

何か重いものを抱え込んだ時、言葉にする努力ってものすごく大事だと思うんだけど、まあ、それを親が子に押し付けることもないかな、と。
展示されたメッセージは、こんな感じ。

「ダニエル君! 君はずっと僕の友だちだ!」
「平和! 平和! 平和!」

こういう時、気持ちを少しも言葉にしない息子を私はいつも物足りなく思うのだけれど。
でも、私は、息子が、「ダニエル君! ずっと僕の友だちだ!」 などとあっさり書いてほしいかというと、たぶん、そうでもないんだろう。
きっとね。

最後に、アメリカ歴史博物館で、この国の歴史の固定化を、と思ったんだが。ざんねん無念。
なんと改修中でした。
再オープンは来年、だそうで。
がっかり。

その代わりに、自然史博物館に再び行き、今度はIMAXを楽しんできました。
SEA MONSTERS 3D という演目で、これはものすごーーーーく楽しめました。こんなすごい3D映像が、8ドル程度で見られていいのか?って感じ。
特に恐竜が好きな子どもたちには、超オススメ、です。

電気とガス会社に電話したの巻

新居への引っ越しを週末に控え、電力会社とガス会社に電話してみた。

こんなこと、職場にアメリカ人の助手もいる夫が、要領よくこなしてくれよ、と思うが、
一方で、自分の知らないところで全部終わってしまったらそれはそれで悔しいと思ってしまう私なので、
結局、夫に何も言わず、こっそり自分でやってしまうのである。

電力会社は、Pepco
ガス会社は、Washington Gas
という会社。
不動産仲介業のK女史に電話番号のリストだけもらい、自宅でトライ。

まずはPepco.
おー。いきなり音声ガイダンスだ。
ラッキ〜!

日本では大嫌いな音声ガイダンスだが、米国だとほっとしたりする。
なぜかというと、音声ガイダンスの機械の英語のほうが、ゆっくりとはっきり発音してくれているから。
ぺらぺらぺらぺらん〜、とやられちゃうと、もうダメ。
電話の英語、ものすごく苦手なんだ〜。

英語での案内か、スペイン語での案内か?と聞かれ、
とりあえず、1番を押す。これ、英語案内ね。
さらに、どんなサービスが必要なんだ? と機械の音声に聞かれ、

ゆっくりと、
「にゅー・あかうんと!」
と言う。

機械の声が念を押す。
「にゅー・あかうんと、ですね。良ければ1を押してください」
ほいほい、1番を押すのね。

あとは、適当にイエス、イエスと答え、いよいよ住所を告げる段に。
機械の声が要求する。

機械 「住所を言ってください」
私  「○○○○(と番地)、カーシーレイン」
機械 「すみません、理解できませんでした。もう一度言ってください」
私  「○○○○、カーシーレイン!!」
機械 「○○○○、ウエスト、カーシーレイン、ですね」

ここで一瞬迷った。
カーシーレイン、は通じたぞ。
しかし、ウエストとは私は言ってない。
確かに、あの家は、通りの西側だ。
が、住所だと特にウエスト、と付けなかったはず。
どうしよーかなー。

迷った末、

「のー」
と答えてやった。
一度くらい、機械に反発するのも良いかな、と魔が差したわけ。

もう一度、最初からやり直して、それでも 「ウエスト」 が住所に付いたら、そのまま進めばいいや、と。

ところが、これが甘かった。

機械 「もう一度、住所を言ってください」
私  「○○○○、カーシーレイン!」
機械 「すみません、理解できませんでした。もう一度言ってください」
私  「○○○○、カーシーレイン!!」
機械 「すみません、理解できませんでした。もう一度言ってください」
私  「○○○○、カーシーレイン!!」
機械 「すみません、理解できませんでした。オペレーターにおつなぎします……」

ちくしょー。
なんだよ、機械の分際で、人の英語に難癖つけやがって!
君にはこの、人間味あふれる英語の奥深さが理解できないのか>音声ガイダンス。
すっごく気分悪い〜。
一度通じた時に、そのまま進んでおけばよかった。

でもまあ結局は、ソーシャルセキュリティーナンバー(SSN、社会保障を受けるための番号。戸籍のない米国では、身分を証明する最強兵器)を求められたわけで、夫はまだSSNを申請中で、だから音声ガイダンスのみでは手続きは完了できなかったわけで、だったら、早々にオペレーターにつないでもらって結果オーライかな。

運転免許証取得のためには居住証明として水道代や電気代の請求書が効力を発揮するわけで、絶対にアカウントの名義に私の名前を載せたかった。
その旨説明すると、あっさり2人名義にしてくれた。
ラッキー。

ということで、電力会社はおしまい。
お次はガスだ。

ガス会社のほうは、少々敷居が高いと聞いていた。
9.11の多発テロ以降、ソーシャルセキュリティーナンバーなしにはガスのアカウントを電話やネットでは開けないため、身分証明書を持参してわざわざ事務所まで出向かねばならない、と聞いていたから。
しかし、電話して、住所を告げると、

「記録がないんですが、お宅にはガス設備が本当にあるのですか?」と聞かれた。
よくよく新居の資料を見ると、ははは、オール電化だったよ。
暖房代が高くつくから、と悪評高いオール電化だけど、今回ばかりはほっとした。
とりあえず、ガス会社に出向く手間ははぶけたというわけ。

いつかあの音声ガイダンスを1回でクリアしてやるぜ!
妙な闘志を燃やしてしまう私なのである。

現地校入学への道 3

本日も、International Student Administration Office へ。
今回の目的は、息子が先日受けたツベルクリン反応の結果を見てもらう、というもの。
陽性だと、今度はレントゲンを撮って、結核ではないことを証明しなきゃあならない。この医師が、とんでもなく不便な場所にいて、車なしではとっても大変らしい。

ああ、どうかどうか、陰性でありますように!

半ば祈るような気持ちで、息子の腕を見せたら、あっさりネガティブ。
らっき〜〜!!
日本人は子どもの時にBCGを接種してるから、陽性が出やすいと聞いていただけに、
この結果にひとまず、ホッ。

さて。
お次は、現地校へ。
本当は、いったん仮住まいアパートの最寄り駅に戻り、バスで30分かけて出かける予定だったんだけど、今回も、不動産仲介でお世話になったK女史の親切で、送っていただけることに。
なんか、いいんだろうか。
今日はむちゃくちゃ、運がついてるのであった。

朝10時15分。
いよいよ、転入予定のRP小学校(一応頭文字ね)に到着!

実はこれに先立ち、朝、「11時ごろにおうかがいしていいですか?」と電話しておいたんだ。
応対してくれた学校の秘書さんは、すっごくフレンドリーな女性。
すごく親切なので、「彼女を手放してなるものか」 としっかり名前を聞いておいた。いざ小学校で困ったことがあったら、彼女の名前を連呼してやる! と。

その名前は、「クウォリア」。
随分と変わった名前だなあ、と思ったけど、実際に学校の事務室の机のネームプレートを見て、自分のおろかさを笑ってしまった。
……「クローディア」、だってさ。

ま、私の英語力なんてこんなもんである。

クローディアに入学のための資料一式 (パスポートやビザのコピー、戸籍謄本のコピー、出生証明書、日本の小学校からの2通の記録書類、家の賃貸契約書など) を手渡すと、逆に、転入に必要な書類をどさっとくれた。
まだ全部読んでないから分からないけれど、

・登校前に用意するもの (消しゴム付き鉛筆12本、色鉛筆、最低100ページあるノート、とかそういう感じのリスト)
・無料および減額の学校給食申込書(低所得世帯向けのサービス)
・スクールバスの説明書
・昼食スケジュール
・学校規則と誓約書
……などなど。

むちゃくちゃ大量。
中には、全部息子に説明した上で、親子でサインしなければならない書類なんかもあるようで、後から頑張って解読します。

クローディアはペルーから来た娘さんで、「私がいたペルーには日本人はいっぱいいたの。私も少しくらい日本語がしゃべれたらいいのに……」とか言ってくれちゃう。
不安なところに、こんな言葉をもらっちゃったもんだから、もう、一気に親近感爆発の私なのだった。

「ちょっとだけ学校を見せてもらえない?」と頼むと、あっさりOK。
クローディアが学校の隅々まで案内してくれた。
1階は、幼稚園と小学1年生の教室。昼食を食べるカフェテリア。ESOL(母国語が英語以外の生徒のための授業)の教室など。2階には、3年生や高学年の教室もあった。

感動したのは、カフェテリアにたくさんの国の旗が並んでいたのを見たとき。
「この学校には19カ国から来た生徒さんがいるんです」 とクローディア。
19とはすごい!!!
本当にうれしくなった。

(なぜか、日本の旗はなかった。クローディアにそれを告げたら、「ええっ! いやだ〜、どうしてかしらん……」 と頭を抱えてた。「これまで人数が少なかったからかしら、今は日本人も数人いるのに」 とも)

「こちらが3年生の教室の一つです」
クローディアの言葉に、
私はのぞき込む。
息子は逆に、あわてて身を隠す。
なんと対称的な、我が親子の行動。
こんな子で大丈夫かしらん。

でも教室には、ちょうど、白人、黒人、ヒスパニック、アジアンが4分の1ずつって感じで、息子がこの環境の中でどんなことを学んでいくのか、ちょっぴり楽しみ。

全校生徒は410人。
東京の小学校は1学年30人程度の小規模学校だったので、大きく感じるけれど、クローディアによると 「この周辺ではむしろ小規模校なんですよ」 とのことだった。

途中、副校長先生(たぶん)とご挨拶。
ものすごく背の高い黒人男性。
息子にフランクに握手の手を差し出し、
「ここでの挨拶の仕方だよ」
と、なんだか手遊びみたいな挨拶を教えてくれた。
少しは息子も緊張が解けたかな。

懸案だったESOLの先生の入院話の方は、確認してみたら案の定、簡単なものではないようだった。
「うまくいけば来年の1月くらいには復職してもらえると思うんだけど……」とのこと。
それまでの間は、代わりの先生が週に3回だけ来てくれているそうだ。
つまり、週2日は丸一日、まったく英語のわからない状態で、普通のクラスに座り続ける、ってこと。
息子のことだから、凹むだろうなあ。

息子だけでなく、私だって。
渡米直後に、「ESOLの先生が入院中」なんて情報を聞いたら、ひええええ、とのけぞって、「そんな学校じゃダメよー」と思い悩んでたかも。

でも、

どんな良い先生だって突然病気で入院することだってあるし、
どんな良い学校だって、校長先生一つで変わったりもするし、
どんなに選び尽くしても、何が幸いするかなんて、結局、やってみなきゃ、わかんない。

それは日本でも、アメリカでも同じことなんだよね。
こんな当たり前のこと、なーんか忘れてた気がする。

家探しに学校探し。
あれこれ情報に当たったり、ネットで検索したり。
そのたび迷ったり、うじうじ悩んだりした。

「迷ったら、やったことのない方を選ぼう」って、
私は、自分が相手なら、あっさりと胸張って言えるのに、なぜか、子どものことになると、少し心配性になってしまう。
まして勝手の違うこの国で、事情が分からない分、余計に腹をくくるまでに時間がかかってしまったんだろうな。

物理的にも、気持ちの上でも、なんだか随分と遠回りしたのかも。
もちろん、それもこれも、貴重な経験でした。
でも、そろそろ、どーんと腹をくくりましょ。

というわけで。
無事、現地校での手続きを終えた後は、ローカルバスで30分かけて仮住まいの最寄り駅まで戻って来ました。
めでたしめでたし。

4度目の週末

驚いた。
渡米後、もう3週間半にもなるのねえ。
ということで、4度目の週末。

にわかファンなりに、レッドソックス三昧です。
土曜日の夜は、息子が「このチームが勝った瞬間を最後まで見たい」と言ったため、その気持ちを尊重し、最後まで見ました。試合開始は午後8時。終わって寝る時にはもう、夜中でした。
でも、大量得点で盛り上がり所の多い試合だっただけに、親子で大歓声を挙げました。
そして本日。現在、松坂登板の試合を家族で応援観戦中。
現在、4回途中。勝ってます!
わくわくどきどきです。

今週末を振り返ってみると……。

土曜日は、日本語の補習校 (こちらは日本人学校がないため、毎週土曜日、補習校に通う人が多いです。日本語の維持というだけでなく、まだ英語ができず自信をなくしがちな子が日本語の通じる環境で自信回復したり、日本人同士の同世代の友だちを得たり、色々な役割を負っているようです) の見学。
これも車がないので、最寄り駅から片道20分歩いてみました。
いいお天気だったので、良いお散歩になりました。

普段、新しい場所に行くと、私の後ろから付いてくることの多い息子が、なぜか、補習校ではスタスタと私の前を歩いていて驚きました。
やっぱり日本語が通じる場所、というだけで、幾分、自信がわいてくるのかもしれないな。
補習校の先生に、「国語や算数は好き?」と尋ねられたうちの息子。
きっぱりと、

「大嫌い」

と即答したのには参った〜。
さらに、「どんな教科が好き?」と聞かれて、

「うーん、どれも嫌い」

だってさ。
いかにも息子らしい返事に、予想はしていたけれど、ガックリ……。
君が、あれもこれもやってみたい、好奇心とやる気にあふれる少年ならば、このアメリカって国は、ほんと、色々なことを試してみられるのになあ。

一方、日曜日は、ようやく車のバイヤーさんに車を見せてもらいました。
夫曰く、
「一台は、日本から親たちが来ても大丈夫なように7人くらい乗れるものを。もう一台はもう、小さくて汚いのでいいです」。
私はその、小さくて汚い のに乗る予定。

15年前くらいに4年間、車に乗ってましたが、何度も車をぶつけ、雪が降れば滑り、最後の事故では車を大破させた私ですから、これはもう、「はい、どうせぶつけるから、汚いのにしてください」 というしかないわー。

たぶん、ワシントンDCの今週末は、紅葉も美しいし、また、寒くなる前の行楽の最後のチャンス、なんだろうな。
でも我が家は、いまだ車もないし、結局、生活のセットアップの用事に追われて、あとは家でゴロゴロ。
夫は仕事に振り回されているし。
なんだかなぁ。

それでも。
来週明けは、息子の現地校入学と、新居セットアップに向けての手続きの総仕上げ。さらに、来週末には、とうとう、新しい 「我が家」 に引っ越しです。
まずは、よーし、レッドソックスを応援するぞーーーーっ!

現地校入学への道 2

本日、International Student Administration Office へ。
先日、「現地校入学への道1」に書いた、例のあのオフィスである。
車もないし、今回は最寄り駅からバスで行こうと覚悟を決めていたのだけれど、不動産仲介業のK女史が 「あら、事務所に近いし、駅からの送り迎えくらいしてあげるわよ」 と。
厳密には、彼女の仕事の範疇ではないわけで、とっても申し訳なかったのだけれど、彼女の申し出はとてもうれしかったのだった。

事務所の受付で名前を書くと、数分後、小さな部屋に通された。
こっちは緊張でガチガチ。
だってすごい話、いっぱい聞かされてきたのだもの。
自ら実体験した 「窓口の人によって必要書類が違う」 という類の話はもちろん、さっきもK女史からこう言われたばかり。
「おたく、2日後に面接予約が入れられたなんてラッキーよ。私のお客さんで、面接の予約を入れるのに2週間もかかったんだから! 家の引っ越しも済んで全部準備が整っていたのに、2週間も学校に通えなかったのよ!」
……ひええええ。
予約に2週間もかかるって、どういう事務所なんだろ。

募る不安。
高まる緊張。
書類はこれで足りてるかしらん。
息子はハローウィーン(10月31日)までに、学校に通えるのかしらん。

担当してくれた女性は、家族3人の旅券とビザ、息子の出生証明書、学校の記録(日本の小学校で発行してもらった英文書類)、家の契約書をそれぞれチェックし、パソコンに打ち込んで行く。
同時に、別の女性がこれらの書類をコピーしに行く。

あれ?
と思ったのは、この2人がスペイン語でしゃべっているのに気付いた時のこと。
よくよく耳をすますと、この事務所、飛び交う会話のほとんどがスペイン語だ。もしかしたら、ヒスパニックの子どもたちの編入が多いため、スペイン語のできるスタッフを数多く雇ってるんじゃないだろうか。
よく見れば、事務所の壁には、中南米各国の民芸品などがところ狭しと張られてある。
ヒスパニックの子どもたちを勇気づけようという心遣いに、ちょっとうれしくなる。

少しずつ緊張が解け、落ち着いてきたところで、小部屋の中も観察すると、壁に大きな写真が1枚貼ってあった。
イランのペルセポリスの美しいポスターだと気付いた時は、さすがにちょっと胸が熱くなった。国同士は決して仲良しじゃないのにね。
部屋の一番奥に、日本の小さな招き猫を見つけた時は、さすがに息子に教えてあげた。
「ほら、見てごらん」

猫の胸には大きく、「福」 の一文字。
バカげた話だけれど、それだけで何だかうれしく、心がほっこり温まった。いつかこの国に慣れたら、この事務所に少し慣れたら、日本の民芸品でも持ってきて、「これ飾ってもらえませんか?」とお願いしてみよう、と思った。

そんな感慨にふけっているうちに、なんとなんと!
書類審査はパスしたみたい。
やった〜。

次は、息子の英語テスト。
他言語を母国語とする子どものための英語教育のレベルを見るのが目的で、いわば、「どれだけできるか」というより、「どれだけできないか」を検査するようなもの。
「だから、できなきゃできないほうがいいのよ」と息子を励ますのだけれど、息子はもう、緊張しちゃって大変。
それでも、これは親が同席できないので、「がんばれよー」と私は部屋を出るしかない。
レベルによっては色々と難しいテストを受ける子もいるそうだが、息子の場合、はなから何も分からないので、そのお陰か、数分でテストは終わった。

息子に聞くと、
「あのね、これは何と聞かれたから、イスをチェアーって言ったら、グッドジョーブ!ってほめられた」
「あとね。ローマ字の大文字があって、Tはどれ? と聞かれたから、指さしたら当たった」
「でもほかの質問は全然分からなかった」

で、次がいよいよ、予防接種。
日本にいる時に、「ある程度日本で打っていかないと、アメリカで一度に何本も打たれるわよ」 と助言されていたので、それなりに日本でも打ってきた。
それも、こちら Montgomery地区 のホームページから必要な予防接種一覧をプリントアウトし、医師に見せ、計画を立て、その結果、ポリオの追加とか、B型肝炎2回を接種したんだけど。

こちらは結構悲惨な結果だった。
最初に 「これが必要です」 と言い渡されたのが、

1、水疱瘡
2、おたふく、はしか、風疹のMMR
3、破傷風とジフテリンのTD
4、B型肝炎の3度目
5、ツベルクリンテスト

なんと注射4本にツベルクリン、だよ。
それも一気に。
ひええええ。
1日に針5本????


私、この時ばかりは必死で英語を読みました。
電子辞書を使いまくり。
まず、1番の水疱瘡。これは一度接種していて、その接種証明(英文)もあるのに、なぜ?

担当者はいう。
「法律が変わって、2回必要になりました」
うっそー。
担当者が見せてくれた日本語の説明文を読むと、なぜかそこには、「1回」と書いてあるんだけど。
それを指摘すると、担当者は、「この説明文は古いんです」 といって、説明文を丸めて捨てちゃった。
がくっ。

2番目のMMR。
これは悔しかった。
だって、風疹やはしかはきちんと接種済み。
おたふくの罹患証明書も持参したのに。
「罹患証明書だけではだめ。ここで血液検査ができれば、結果いかんでなしで済ませられるんですが、ここでは血液検査はしてませんので、接種してもらうしかありません」
というのがご回答。
がぁーーーーーーーーーーん。

3番目のDT。
日本の場合、これに百日ぜきを加えたDTPというのを打つわけです。息子はこれを4回もすでに日本で接種している。
一方、担当者がくれた日本語の説明書には「最低3回接種すること」とある。じゃあ、いいじゃん!
しかし。
担当者の回答はこれ。
「こちらでは、7歳以上で接種が必要です。おたくの息子さんは4回目であってもまだ2歳。これじゃダメなんです。日本でポリオの追加なんかするくらいなら、DTをやってこれば良かったのにねえ」
ふえええええん(涙)。

4番目のB型肝炎のみ、覚悟しておりました。
3回接種が義務づけられていることはHPにも掲載されていたし、日本では3回目は間に合わなかったのです。

5番目のツベルクリン反応。
陽性となれば、すわ、結核? と疑われ、レントゲン行きです。
が、日本でBCGが義務づけられているので、結構陽性って出るそうなのです。
これがいやだったから、接種証明書の欄外に、きちんと日本のBCG事情を医師サイン入りで説明してあるというのに、それでも
「やることに決まってます」
この一言で、日本での準備なんて、あっさり、おじゃん。

1日5本も針を刺したら、絶対に息子はめげるよなあ。

ところが。
医師がやってきて、息子に打ったのは注射2本と、ツベルクリン反応だけだった。
なぜか水疱瘡は、打たれなかった。
案外、やっぱり1回で良かったんじゃないの?
ついつい、疑ってしまう私なのである。

さらにB型肝炎3回目は 「11月にやりましょう。8月の前回の接種からまだ間が開いてないので」と。

よかった。
針3本なら、まだ許容範囲だろ。
……と思ったら、問題は、本数だけじゃなかったんである。

美しき女性のお医者さん、脅える息子に大丈夫大丈夫よ、と英語で言ってくれるが、当然息子には通じないしね。
アルコールで肌を拭いた後、医師が注射をつかむのを見た瞬間、私、凍り付きましたよ。
だって、ドラえもんみたいに、「ぐー」 で注射を握ってる!

ぶすっ!

まさに肌に垂直に。
こんな注射、見たことないぞ。
息子の顔が、ゆがむゆがむ。

さらにもう1本。
「今度はちょっと痛いわよ。痛かったら、アウチ!、って叫びなさいね」
という医師の言葉を、私は急いで通訳する。
息子は、その瞬間、

「あうちあうちあうちあうちあうち……」

叫び出す。
おいおい、まだだってば。

またしても、「ぐー」の手の形で注射を持って、
垂直刺し。

ぶすっ!

息子よ、ごめん。
申し訳ないが、母ちゃんは一瞬、噴き出しそうになってしまった。
痛いなら、日本語で痛い、痛いと騒げば良いものを。
ついつい、生真面目なんだな。
言われた通り、

あうちあうちあうちあうちあうちあうちあうち……

かわいそうな息子よ。
でも、後で聞いたら、

「アウチ! って英語を言わなきゃ、とそっちに必死で、気が散って、最後の注射は痛くなかった」

だって。
ま、結果オーライですか。

まあ、こんな感じで、「現地校入学への道」 の最難関と言われた事務所での書類提出と面接と予防接種を終えたのでした。
めでたしめでたし。

来週は、ツベルクリン反応の結果を見せに行かねばなりません。
陽性が出たら……レントゲン検査が義務づけられてるそうです。
結核でないことを、証明するためです。
どうかどうか、陰性でありますように!!

大草原の小さな家のお父さんになった朝

何かというと……。
昨日壊れたディスポーザーの話。
直しちゃったの、自力で。

昨夜は何時間もディスポーザーのお勉強。
環境への影響から始まって、その歴史、構造、入れてはいけないもの、様々なトラブル、など。

さらに今朝は、在米経験のある知人から、ネットを通してこんな助言をいただきました。
「ディスポーザーに何か固いものがはさまってる場合は、それを取り除き、シンク下のディスポーザー本体についてるリセットボタンを押せば、直ります」

よしっ。
やってみよう。
朝一番に、ディスポーザーをのぞき込む。
昨日の夜まで、ディスポーザーの中には鋭い刃が並び、絶対に手など入れてはいけないんだと信じていた。が、昨夜、構造をあれこれ調べたお陰で、どうやらそうではないと知った。
刃自体は、触ってもけがしないくらい鈍い。
回転の力で粉砕する仕組みらしいのだ。

手を突っ込む。
生ゴミの嫌な感じ。
油でヌルヌル。
いや〜〜ん。

素手で生ごみをつまみ出す。
結構たくさん出てきたのが、なんとなんと。

タマネギの茶色い薄皮。。。

あっちゃー。
これ、流しちゃってたんだっけ。
昨夜のディスポーザーにわか勉強で、「流しても粉砕されないもの」の筆頭だったっけ。
粘着力の強いものと、薄いものは、ディスポーザーには鬼門なのだ。卵の薄皮なんかもダメらしい。
反省、反省。

時間をかけて生ゴミを取り出した後、洗剤でヌルヌルドロドロを取ってみた。
指先で隅から隅までディスポーザーを触っていくと、昨夜、ネットで見た横断図と同じ。なるほど、なるほど。

しかし、生ゴミを全部取り除いて、リセットボタンを押してもなお、途中で止まってしまう。
うーん。
まだ何か詰まっているのかな。

さらに触る。
隅から隅まで。
これが、刃。
これが、粉砕された生ゴミが流れていく穴か。
小さな穴を一つひとつ指でたどっていたら、ふと、小さい固いものが詰まっている穴を見つけた。
も、もしかして、これ???

指で取り除こうとするが、固く食い込んでいてダメ。
フォークの先でごりごりやって、ようやく取り出したのは……。

直径3ミリほどの黒い物体だった。
なんだろ。
石?
いずれにしても、こんなの流した記憶ないんだけどなあ。

これを除去した後、再びリセットボタンを押して、スイッチをいれたら……。

あああああっ!
直ったーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!

一瞬、こみ上げる、ものすごい達成感。
この小石のせいでディスポーザーが止まり、
さらに粉砕されずに残ったタマネギの皮のせいで、排水が詰まっていたらしい。
なーるほど。
分かってみれば、すっごく単純な話。

思えば日本で、電化製品なんて自分で修理したこともなかった。自分で直す対象として見たことすらなかった。
掃除機のコンセントがダメになった時も、電気屋さんに持ち込んだ。
確か中学や高校の生活家庭科あたりで、直し方を教わった気がするけれど、そんなの自分でできるわけないじゃん、と思いこんでた。

アメリカの人は何でも自分でやっちゃうのかもしれない。
ものすごく、生活力に勝っているのかもしれない。
もし、そうだとしたら、本当に本当にすごいことだ。
私の頭の中に、懐かしいあのメロディーが流れてきた。

大草原の小さな家の、テーマソング。

ちゃーちゃちゃちゃーちゃちゃちゃっちゃちゃーーーん〜♪

なんだか今朝は、大草原の小さな家の、たくましい父ちゃんになった気分だわ。(母ちゃん、ではなく)。

「母ちゃんすごい!」
「おまえ、すごいぞっ」
息子と夫が素直に手を叩いてくれた。
へへへ。まあね。
日本でも生ゴミが苦手で、排水溝の生ゴミや髪の毛なんかを絶対に触らなかった夫と、本当にアメリカで一軒家を維持していけるのか、すごく不安。
やっぱり私が、大草原の小さな家の父ちゃんになるしかないのかも。

小さな3ミリほどの石は、きれいに洗った。
目の前の小さな小石。
これは私の宝物だ。
絶対に捨てるもんか。
アメリカでの問題を一つ、自力で解決できた戦利品だもの。

なんか、自信が沸いてきた朝なのだった。

ディスポーザー、といふもの

今夜のビッグニュース。
いきなり、台所の ディスポーザー が壊れた。
ディスポーザーって、実は私、アメリカで初めて使ったんだ。

日本では私、台所シンクの流し口にパンストくらい目の細かいネットをセットし、野菜クズからヨーグルトまで水分を切って生ゴミとして処理してきたから、アメリカで初めてディスポーザーを見たときは、たまげた。

「これ、どうやって使うんだろね」と私。
「細かく粉砕してくれるんだろ。シンク下から、細かくなった生ゴミを取り出してゴミ箱に捨てるんじゃないのか?」と夫。

ぶぶーーーーっ。
(↑ 間違い、の音)

違うのねえ。
水を流しながら、スイッチを入れると、生ゴミが一瞬にして粉砕され、ドロドロ状になって、そのまま下水へ……。

ひえええええ。
私は仰天しましたわよ。
だって、それ、絶対に、環境破壊じゃん、と。
思い出したのは、あの数値。

台所から流すもの   浄化に必要な水量(300リットルの浴槽)
てんぷら油500CC    330杯
マヨネーズ大さじ1杯   12杯
米のとぎ汁500ml    4杯
牛乳コップ1杯      9・4杯

……って、あれです。
まずいよ。マヨネーズほんのちょっとでこれだもの。
ドロドロの生ゴミといったら!!

ところが。
色々調べてみると。

アメリカではディスポーザーの歴史ってすごく古い。
発明されたのがちょうど80年前。商品化されたのが約70年前。
アメリカでは多くの自治体で、生ゴミを水道に流すことを禁じ、むしろディスポーザーの設置を義務づけてきた経緯があるっていうのよね。
うーむ。
さらにさらに。
下水システムが古いため、過度に負担が掛かるだろう、と長い間ディスポーザーの設置が禁じられてきたニューヨークですら、あれこれ研究した結果、ちょうど10年前に、設置を禁じた法律が改正されてるみたい。

日本では、まだまだメジャーじゃないディスポーザーだけれど、「ゴミの量の削減になる」などと、むしろ、エコフレンドリーな商品として宣伝されることも多いらしい。
もちろん、その真偽は、下水処理や浄化槽のシステムによって変わってもくるようなんだけど。
このあたりは、また今度調べてみることにしよー。

アメリカなんかでは、ディスポーザーで流されたドロドロ生ゴミちゃんを含む汚水を上手に処理して、堆肥にリサイクルしてる、なんて話もあるようで……。

とまあ、ディスポーザー一つ壊れただけでも、色々勉強ができて楽しいわ!

……というのは、ただのやせ我慢でして。
すっごく困ります。
ほんとに困ってますっ!

ディスポーザーが壊れる

生ゴミが処理できない

生ゴミネットとかを設置できないので、どうやっても細かいゴミは流れてしまう

どんどんゴミがディスポーザーにたまっていく

排水がつまる

台所のシンクが洪水だーーーーーーーーっ!

まいった、まいった。
明日は朝一番に、アパートメントのフロントデスクに相談になきゃ。
今日は、ディスポーザーが壊れた後、さらに親子でテレビを観ていたら、カートゥーンチャンネル(子ども番組専門)で突然映像が止まったまま、音も出なくなっちゃった。
20分くらい待ったけど、これまた、うんともすんとも言わない。

一瞬、テレビまで壊れたかと思った。
もしかして、私って、破壊光線でも出して生きてるんじゃないかしら、と。

チャンネルをあちこち変えてみたら、数チャンネルで同じ現象が起きていたけれど、ほとんどのチャンネルは無事だった。
どうやらテレビが問題ではないらしい。
となると、ケーブルテレビ会社の問題かしらん。
なぞは深まるばかり。
数時間後、確認したら、すべて直ってました。

アメリカで一軒家を借りたある方に、「毎月のように何かが壊れるわよー。先月は冷蔵庫。今月は乾燥機、みたいな」 と聞かされたこともあります。
今の月極めアパート以上に、一軒家を借りたら、家の維持って大変そうで、これからも、あれやこれや、色々なものが壊れていくのかもしれません。

モノが壊れるのは、単に不便というだけでなく、やっぱりとても哀しくて、気分が沈んでしまう。時には、「アメリカだから」 とネガティブな気分になっちゃうときもあるかも。
そんなの、いやだなあ。
ということで。

決めた、決めた。
アメリカで一つひとつ、モノが壊れるたびに、一つひとつお勉強してみることにしよう。
モノが壊れるたびに、落ち込んでたんじゃ、この国じゃ気持ちが持ちませ〜ん。
やっぱり、前向きに生きないとね。

ということで、今回は、ディスポーザー。
渡米以来ずっと、単に 「ひどい環境破壊」 と思いこんできたけれど、色々な研究や色々な見方があることが少し分かった。
引き続き、ディスポーザーが直るまで、情報収集してみることにします。

少年野球の試合@アメリカ

そうそう。
昨日、動物園から 「たぶん家の最寄り駅に着くだろー」 と、当てずっぽうで飛び乗ったバスが、弱冠、予想していたのと違う場所にたどりつき、しかたなく家まで15分程度歩いたのですが。
お陰で良いものを見られました。

最寄り駅近くにある草野球のグラウンドで、子どもたちが試合をやってたのですっ!
我々親子にしてみれば、

初の少年野球の試合@アメリカ、ですな。

歩き疲れていたのも忘れ、親子してグラウンドで試合観戦しちゃいました。
大人のコーチがピッチャー役をやっているあたり、どうやら7、8歳までのチームのようです。
(リトルリーグでは、子どもたちがピッチャーをやるのは9歳からだそうです。たぶん)

赤いユニフォームのチームは、結構守りが堅い。
内野ゴロをきっちりアウトにしてくる。
が、それもそもはず。外野がいない。
硬球を小さい子が打つわけだから、まず外野なんか飛ばない。守ってる子も、あまり外野とか気にせず前へ前へ出てきて、内野手のすぐ斜め後ろを守っている。
内野手は、たいていの打球をポロポロっとこぼすのだけれど、すぐ近くにいる外野手が、これをあっさりカバーして、アウトを取っていく。
おもしろいもんだな、と思った。

内野手の子は、はっきり言って、決してうまくない。
でも、内野手の子がこぼした球を、ほとんど間をおかずに他の子がフォローしている。
それぞれの子は決して上手じゃないのだが、プレーが途切れず流れていく姿を見ると、ほほー、と感心してしまう。

対する青いユニフォームのチームは、打撃はまあまあだが、守るほうはかなりひどい。
内野手がエラーし、外野手がこれをフォローできてない。
うーむ。
内野ゴロをなかなかアウトにしとめられなかった、かつての息子の少年野球チームみたいだ……。

しかし、どの子もユニーク。
投げ方も、打ち方も、フォームなんて、てんでバラバラ。
みんな、「小さなメジャーの選手」 みたいだ。

一方、子どもたちを見守る親たちの姿も……笑えた。
なーんだ、日本とほとんど変わらないじゃん、と。
ほとんどルールを分からず、でも、声を張り上げて応援してるママ、ママ、ママ。 (ははは、私もそうだ)。
一方、仕事を放り投げて駆けつけたのか、ネクタイにスーツ姿のパパもちらほら。

アメリカの少年野球チームは、たいてい平日の夕方に練習し、週末は基本的に試合なんだそうだ。世話する監督やコーチ陣を支えるのが、子どもたちのお父さんたち。平日の夕方に少年野球の世話をしてくれる人がチームにいるかどうかで、練習日の数なんかも増減するという。
朝早く出勤し、午後4時過ぎにはラッシュアワーが始まる国だから可能なんだろうなあ。

(もちろん、日本でも地域差はあるんでしょうね。高知県の知人によると、その地域の少年野球チームは、平日も毎日、放課後は学校校庭で練習があるそうです。息子のチームなんか、土日にも学校校庭を十分に借してもらえなかったのになあ)

シーズンオフのはずのこの季節に、なぜ試合をやっていたのか、色々なぞもありましたが、必死で応援しているママたちにあれこれ質問するのもはばかられ、試合終了を待とうと思っていたら、息子のほうから

「母ちゃん、もういいよ。帰ろうよ」

と言われ、今回はリサーチせずに帰ってきました。
久しぶりにチームで野球をやる同世代の姿を見て、息子も少々落ち込んじゃったかな。
……と思ったら、帰宅後、ちょっとだけほっとした様子で、

「あんまり上手じゃなかったね」

あたりまえでしょー。
あんたより1歳下の子たちなんだからっ!
思わず、

「9歳からのチームはむちゃくちゃ上手かもよー」

と脅したら、びびった顔になり、

「8歳までのチームでちょっと練習してから9歳からのチームに入れてもらえないかなあ」

だって。
ああ、情けないっ!

それにしても、いいなあ、少年野球。
早く、やりたいなあ。
来年3月までなんて、とても待てないや。
思い切り寒くなる前に、引っ越し先の近くのどこかで少年野球をやってないかなあ。

現地校入学への道 1

さてさて、お次は息子の現地校入学です。
メリーランド州のMontgomery地区では、以下の書類と手続きが必要とされています。

・両親と本人のパスポート、ビザ
・本人の出生証明 (大使館で戸籍謄本を英訳してもらう。10ドル)
・在住証明 (家が賃貸なら、賃貸契約書)
・日本の小学校での在学証明書及び成績表 (いずれも英文)
・予防接種証明書

これら全部がそろったら、外国人生徒入学事務所に電話し、予約を取って出かける。
そこで書類手続きをしたうえ、英語の試験 (もちろん息子が! 英語が母国語でない子への英語教育を受けるため)をして、さらに足りない予防接種があればそこで打つ。
……ってな手順は、複数のガイドブックや知人の情報で確認済み。

出生証明書は今朝、大使館に行って申請。明日午前には受け取れる予定。
(この大使館、最寄りの地下鉄駅からは15分くらい歩くので不便だなあ、と思っていたら、なんと、今のアパートの最寄り駅からバスが出ててね。大使館のほとんど目の前に留まるの。超ラッキー!)
在住証明は、明日、家の契約をするから、明日にはゲットできるはず。

となると、残る作業は、外国人生徒入学事務所に電話をし、アポイントメントを取る、という作業だけ。
でも私、電話での英語ってほんと、苦手なのよね。
よみがえるのは、comcastというネットやケーブルサービスの会社との電話の記憶。最初から最後まで、一言もわかんなかったわ。

でも勇気を出して、本日午後、電話してみた。
「うんちゃらかんちゃら(事務所の名前)、へんたらはんたら(電話に出た人の名前)、めいあいへるぷゆー
ここまではOK。
こっちも名乗り、子どもを現地校に入学させたい旨を伝えた。
そしたら、電話口の彼女は 「必要なものはね、」と順に列挙し始めた。
さすが、外国人相手の窓口だけあって、すっごくわかりやすく、ゆっくり話してくれる。

「息子さんとあなたのパスポート。えっと、お父さんも一緒にいる?」
「います」
「じゃあ、お父さんのパスポートもね。それから出生証明書」
「明日、日本大使館で入手予定です」
「それから、前の学校での在学証明と成績表」
「それは日本の小学校で入手済みです」
「それから予防接種証明書も」
「日本でちゃんと英語のを作りました!」

……ここまではね、良い調子だったのよ。
で、残すは在住証明。

「それから、ぷるーふおぶれじてんしーね」
「賃貸契約書があります!」
「その家ってあなたの家?」
「いえ、賃貸ですから。別に所有者がいます」
「じゃあ、別に、はうじんぐふぉーむがいるわね」
「へ? 何ですか、それ」
「学区の学校に行ったら書類があるから。それに記入し、あなたと家の所有者の両方のサインが載ってなきゃダメよ」
「……はぁ」
「さらに、住所を証明する三種類の書類もよろしくね」
「三種類?」
「そう。例えば、銀行からの計算書とか、クレジットカードの請求書とか、図書館からの手紙とか、職場からの『この従業員はここに住んでることを証明します』っていう証明書とか」
「あの……(と、つい、日本語で言ってしまったぜ)。職場からの証明書は取れます。でも、引っ越しがこれからなのに、銀行やクレジットカードからの書類が取れるはずないじゃないですか」
「じゃあ、引っ越してから、それらがそろってから、また電話して」
「………」

絶望的な思いで電話を切ったのだった。
私のクレジットカードの住所は日本だし (アメリカでは簡単にクレジットカードは取れないのだ)、銀行口座は仮住まいの今のアパートメントだし、携帯電話の住所はなんとDCの夫の会社だ。
当たり前よね。
これから引っ越す物件は、わずか数日前に見つけたばかりの家だもの。
予言者でもない限り、そんな書類、数日でそろうわけないじゃーないか!

しばし呆然。
いったい、息子が現地校に通える日はいつなんだろう……???

思わず、とあるネットサイトで、在米経験のある方や在米期間の長い方々がこれまで助言してくれた情報を読み返す。
どこにも、
「はうじんぐふぉーむ」だの、「3種類の在住証明」なんて、書いてない。

が、一つの文章が目に留まった。

「アメリカでは、必要書類が窓口の担当者によって違います」

……。
ほんまかいな、と思うよね?
でもね、たぶん、ほんと。
なぜなら、日本大使館で、メリーランド州の運転免許証取得のために必要な書類を尋ねたら、大使館の窓口の方が当たり前の顔してこう言ったの。

「さあ。この国では、窓口の人によって違いますからねえ」

おいおい、まじかよ。
本当にそんなことってあるわけ?
お役所だろ。
日本ではあんな腹だたしかった お役所仕事 という言葉が無性に懐かしくなっちゃったりして。

しばらく落ち込みながら、親子でプリンなど作った。
巨大オーブンをいまだ使いこなす自信がないため (おまけに仮住まいなので、汚したら面倒かな、と)、焼きプリンは無理だが、牛乳を入れて温めて作るプリンの素というのを見つけたのだ。
そんなこんなで気持ちを整え、1時間後、もう一度、同じ事務所に電話したのだった。

「なんちゃらかんちゃら、マリア、めいあいへるぷゆー

おお、今度の人は、マリアというのか。
さっきの人と声が違うぞ。
それでも念のため、私は思わず、思い切り声色を替えて話してしまう。

「えっとー (ちょっとカワイ子ぶりっこな声で)、私は日本から来たばっかりなんですが、息子を入学させるのに必要な書類について教えていただければ、と」

そしたら、マリアは言ったわよ。

「あれとこれとあれとこれと (とまあ、上記に挙げたのと同じもの)、それから在住証明ね」
「……リース契約書とかでもいい?」
「OK、問題ないわ」
「ほかには?」
「それだけよ」

……。
マリア、君は、予防接種証明を忘れているぞ。
まあ、いいか。
さっきの人と、全然言うことが違うのだった。
その場で金曜日のアポイントメントを取った。
もう一度、必要書類をこちらから列挙して確認を取った。
大丈夫だ。

それでも、金曜日当日に別の人が出てきて、「はうじんぐ・ふぉーむは?」とか言われたらたまらないので、「マリア、あなたを呼び出せばいいのよね」と確認までした。
マリアは 「うーん、当日対応するのは別の人かもしれないけど、まあ、私もその時にはいますよ」と。

電話を切った時は、もう、マリアが神さまに思えたよ。
アベマリアか何か、歌い上げてしまいそうな気分。

ああ、マリア。
なんて美しい響きの名前なんだろ。
ほんと、神の子を宿した聖母、って感じ。
ああ、マリア。
あなたに救われました。

……いや。
金曜日にならないと、本当に 「救われた」 かどうかは、わかんないけどね。


 


2度目の動物園

家探しの話は、大家さんが旅行中とかで、返事待ち。
ちょっとイライラ。

というのも、米国 (というか、引っ越し先の州)では、引っ越せばすぐに学校に行ける、というわけではないんですねえ。賃貸契約書がなければ、学校の手続きは進められません。契約書があって初めて、教育委員会に予約を取り、面接を受けたり、予防接種をしたりして、学校の入学許可をもらえるのです。

ちなみに夫の仕事の都合で、車を選びに行くのが今週末日曜日、引っ越しは来週土曜日の27日。となると、できるだけ早く契約だけ済ませて、学校手続きだけでも引っ越し前に済ませてしまいたい、と思っちゃうじゃないですか。

しかし……車がない状態で、いったいどうやって、この車社会の国で教育委員会に行くのだ???
高い買い物するんだから、車のディーラーさんに車を出してもらえないか交渉しようかしらん。
とほほ。

そんなこんなで、またしても少々ブルーな朝。
からりと秋晴れの空を見て、悔し紛れに宣言。

よーし、今日も動物園だっ!

2度目なんですけどね。
こういう日は、難しい歴史物の博物館やら、お勉強ちっくな史料館は絶対にダメ。
できれば屋外。
単純なやつ。
となると、やっぱ、動物でしょー。

さて。動物園は2度目でしたが、今回も収穫は山盛りでした。
まず、パンダ。
アメリカのパンダはとってもアクティブって話は前回書きましたが、今回は非常にアグレッシブな食事風景を見ることができました。

パンダって、笹の葉っぱを一つずつポリポリと食べていくのだと思っていたら、違うのねえ。
ワシントンDCのパンダたちは、大きな笹の木を体中で抱え込んだかと思うと、口を使って葉っぱのついた部分だけを上手にかみ切り、口の端にどんどんと貯めていくの。口いっぱいに葉っぱの束ができたころを見計らって、今度はおもむろにその葉っぱの束を手で上手につかみ、いっぺんにムシャムシャムシャとまとめ食いしていくの。
あれには驚いた。
あんまり見事なので、ぼーっと見とれてしまいました。
上野動物園では、見たことのない光景だったなあ。

さらに今回見事にはまっちゃったのが、無脊椎動物の展示館。
なんと2時間も、観察しちゃった。
タコにエサをやる時間に見に行ったら、そのスタッフのオジサンを息子がすっかり気に入り (いや、息子が気に入ったのはスタッフの方ではなく、『エサやりを見る』という行為のほうだったんだけれど)、そのオジサンに付いて回っちゃったのね。

そしたら、次々に。
コウイカのエサやり。
イソギンチャクのエサやり。
ウニのエサやり……。
ね、シュールでしょ。

オジサンが 「ウニには5枚の歯が裏側についていて……」なんて説明を始めたから、「ああ、知ってる知ってる。よく海岸で拾って、開いて食べたよ」と言ったら、

「おお、君たちはもしかして日本から来たのか? いいなあ、日本は! 南北に細長い国土だから、北の海と南の海と、本当にまったく違うんだよ。ああ、一度行きたいなあ!」
だって。

私の目にはアメリカの国土のほうがよっぽど変化に富んで見えるんだけどなあ。そう言うと、
「でも、日本はあんなに小さい国なのに北と南で全然違うなんてすごいじゃないかっ」と反論された。
うむむ。
海の無脊椎動物を愛する男、って感じでありました。

あとは彼に、
タコのオスメスの見分け方や、交尾風景がいかに美しいか。
ゴキブリがいかに、不思議な昆虫か。
タコがいかに、かしこいか。
イソギンチャクとだって意思疎通ができること。
(ちとオーバーだが)
あれこれ熱く語っていただいたのでした。

そうそう。
発見といえば、もう一つ。
は虫類館の玄関に、タラの木が群生してた。
この季節だから、もちろん芽などでてないけれど、間違いないと思う。
春になったら、タラの芽の天ぷらだっ、と思ったけど、さすがに場所柄、山菜採りは、まずいかしらん……。

とまあ、そんなこんなでたっぷり1日遊びほうけているうちに、不動産仲介のK女史から電話報告。
「すべてうまくいってます。大家さんに、息子さんの学校の事情を話したら、旅行から帰る前に契約書だけ交わしてくれるそうです」

なんとなんと。
あさって、いよいよ賃貸契約書を交わすことになりました。

お見合いのし過ぎ? (家探しへの道4)

ここで少し、私の「家探し」、中間報告。

なんかふと思ったんですが、
もしかしたら私、「お見合いし過ぎて婚期が逆に遅れちゃう現象」 かしらん。

いえ、お見合い、したことないんですけどね。
ほら、よく聞くじゃないですか。
最初はおもしろ半分に、「社会勉強だから」と気楽にお見合いを重ねているうちに、頭でっかちになり、相手の男性を見るチェックポイントばかり増えていき、帯に短したすきに長し、で、なかなか思い切れなくなっちゃう、って話。

なんか、似てるぞ。
私に。

最初はね、社会見学気分だったんです。
夫は毎日仕事。
こっちは車もなし。
毎日ヒマですから、ついつい、不動産の仲介業の方の車に乗っけてもらって家を探して回るのが、最大のお楽しみ行事となってしまって。

いえ、最初はよかったんです。
「色々な家があるのねえ」とか、すごく面白かった。
アメリカでの家の流行り廃りも見えてきたし、
様々な住まい方も見せてもらった。
色々なお庭。
色々な地下室。
色々なリビング。
なかなか得がたい経験だったんです。

ところが、どうも、ばしっと心が決まらない。
学区ならここがいい。
庭ならあの物件がいい。
台所はこっち。
地下室はあの物件が最高だったなあ。
お値段はここがいいし、
あの物件なら、学校まで徒歩圏内だったっけ。

そんな感じで、なかなか一つの物件に決まらなかったの。
「もしかして、お見合いのし過ぎ状態?」
ある時、はたと気付いたのでした。

やめた、やめた。
家探しはとても楽しかったけど、なかなか決まらないのは単なるストレス。そろそろ社会見学もお終いにして、決めちゃおう。
そんな境地に至ったのでした。

選んだのは一軒家。
アプリケーションを出して、今は貸し主さんからの返事待ち。
たぶん、最初に決め掛かっていたタウンハウスのほうが芝刈りや雪かきの面倒もないし、管理も楽だし、冬の暖かいし、電気代も半額で済んだのでしょう。
一軒家を選んだことを、いつか夫婦で後悔するかもなあ……と思いつつ、結局今回も最後はこれ。

「迷ったら、やったことのない方を選ぶ」

東京ではマンション暮らしでしたから。
初の庭付き一軒家暮らし、やってみよーじゃないですか!

ところで。
家探しの中でとてもおもしろいなあ、と思ったことが2つ。

まず一つ目は「間取り図」。
日本では、物件案内といえば、何よりまず「間取り図」じゃあないですか。それと専有面積でだいたいの広さをつかむ。
ところがアメリカでは間取り図というのを見たことがありません。

基本的には、ベッドルーム(寝室)とバストイレの数の表示だけ。
最初は、「いったいどんな間取りなんだーっ!」と大混乱。
でも、10軒も物件を見て回ったら、なんとなくパターンが見えてきた。
メインフロアには台所とリビングルームとファミリールーム。
上階に、ベッドルームが3つとか4つ。
地階には大きな地下室があって、これはカーペットが敷かれて部屋にできるものから、タイル張りのところまで色々。
あとは、それぞれにちょっとした部屋や収納スペースがついてる感じ。
なーるほど、だから「間取り図」がいらないわけね。

もう一つはトイレ。
アメリカの一軒家って、風呂が3箇所にトイレが4箇所とか付いてるわけ。
日本だとせいぜい、3階建ての家なら各階にトイレが1つずつとかじゃない? お風呂が2箇所以上、なんてありえないですよね。
なぜ一家族で住むのに、複数の風呂がいるの????

アメリカ暮らしの長い人に尋ねたら、
「ご夫婦でも、自分のトイレと夫のトイレって分けてる人もいますしねえ……」
ま、まじですか?

アトピー性皮膚炎のせいで、トイレ掃除や風呂掃除など水回りの掃除が大嫌いな私は、「一つでも掃除が大変なのに、なんでトイレや風呂がいくつもあるのよっ!」と憮然としちゃうのでした。
一軒家を借りたら、私、いくつかのトイレと風呂を使用禁止にして、倉庫として使っちゃうと思います。

なんだかんだ、10軒以上見て回った計算です。
そろそろ、「お見合い」ともサヨナラかな。

アプリケーション・ブルー?(家探しへの道3)

世の中には、マリッジ・ブルー (「本当に結婚していいのかしら?」「この人でいいのかしら?」「私の人生どうなっちゃうの?」みたいなの) とか、マタニティー・ブルー (「子どもを産んでもやっていけるのかしら」「私の人生どうなっちゃうの?」) とか、内定ブルー (「必死で就職活動してきたけど、内定をもらっちゃうと不安。本当にこの会社でいいの?」) とか、色々ありますが。

一昨日夜の私はたぶん、アプリケーション・ブルー??
何かというと、土曜日、家を見に行った先で、まったくリサーチしていない地域、学区にもかかわらず、衝動的にアプリケーション(本契約前に提出する申込書)を出してしまったのです……。

お値段は、これまで見た物件の中では最も良心的。
家は、3人家族には十分すぎるほど広く、
庭は、「ひろびろ〜」とはいかないまでも、キャッチボールするにはいい感じで、
台所と洗濯機のある場所がワンフロアだから動線も良く、
高速道路の入り口が近く(米国の方はこの点をとても重視されるようです)、
おまけに近所の方に尋ねると、近所に子どもも多く、お隣は息子と同い年くらいの男の子がいて、目の前がスクールバスのバス停。
公園には歩けそうな距離で、学校もすぐ近く。
不動産仲介業のパワフル日本人K女史の「こんな物件、まずないわっ!」の一言もあって、

ええいっ、一気に突っ走れ!

とばかりに、土曜休業の不動産オフィスに押しかけ、アプリケーション提出となったのでした。

ところがところが。
これまで探してきたのは、いずれも日本人の知り合いが「この学校はいいよー」と勧める小学校の学区。教育レベルも高く、とりあえず知り合いもいるから安心感もありました。
が、今回、アプリケーションを出した物件の学区は少々変わっていて、学校自体は隣町にあるの。それだけに情報収集もできてないし、ESOL(英語を母国語としない生徒たち向けの授業)がどんな雰囲気なのかとか、全然見えない。
そもそも、学校に一人も日本人がいないかも。
「学校に一人か二人は日本人の子がいるところがいい」という息子の願いは、かなうのかしらん?

土曜日の夜。
闇が深まるにつれ、段々と不安になる私。
夜中に目が覚めてからは、なんと!
寝られなくなっちゃいました。

ネットであれこれ検索してみちゃったり。
ちょっとした記述に心揺れたり。
その物件の学区の中学校について、一人の親が 「課外活動に熱心な素晴らしい学校です。唯一の問題は安全性」 なんて書いてあるのを見て、すごく怖い想像をしちゃったり。

州の一斉テストの学年学科別の達成度やら、給食補助率、人種割合まで全部ネット上でオープンになっているだけに、どんどんとつまらないことまで気になってしまう。
そういう自分の心の動きがまた情けなく、鬱々としてしまう。
「本当に、あの家でいいんだろうか?」

結局、朝まで寝られなかったのでした。
まいった、まいった。

翌日、お日様輝く昼下がり、もう一度、その家を見に行きました。
お隣の学区にお住まいの日本人家族が人脈を駆使して、私たちが選んだ物件の学区にも日本人の家族がおられることを調べてくださいました。
学校に日本人の子がいるかどうかまったく分からない段階から、なぜか「この家がいい」と頑強に言い張っていた息子が、このニュースを聞いた途端、心底ほっとした顔をしたのを見て、私の緊張も解けた次第。

そこまで来て、やっと気付いたのさ。
ああ、私の不安な一夜は、あれは、アプリケーション・ブルーというやつだったのね、と。
マリッジブルーや、マタニティーブルー、というよりは、内定ブルーに近いんでしょうな。

就職難の時代に、内定を取ることが目的化し、必死に頑張って内定を取ったはいいけれど、そこから悩み出す。
「本当にいいのか? この会社で」って。
それが内定ブルー。

私の場合は、「善は急げ」とアプリケーションを提出したまではいいけれど、そこから急に不安になっちゃったのね。
「本当に、この家でいいの?」って。
まいったなあ。

ひごろ、息子には、
「夜にあれこれ思い悩みなさんな。夜は、誰でも不安になるから。
悩み事があれば、おてんとさまの下でやんなさい」
と言い聞かせてきたのに。
なんてことない、私も、ダメダメねえ。

ま、いろいろありましたが。
家探しの道、ゴールは間近……のはず。

ボルチモア顛末記

家探しや学校探しなど、どこへやら。
行ってまいりました、港町ボルチモア。

今回の目的は、

・ベーブルースの生誕地とその記念館
・全米3位の規模を誇る国立水族館
・マチスのコレクションでは全米1位と言われる美術館

さすがに日帰りじゃあ無理だから、と1泊したわけ。
週間天気予報で、旅行初日と、翌日とで、最高気温が10度も違うことに気付き、「おいおい、まさかね」と思いつつも、念のため、フリースやらセーターを持参したら、これが大正解。
Tシャツでも汗ばむ陽気から、一夜明けたらコート姿もちらほら。
ほんとに10度寒くなったよ。
恐るべし、アメリカ。

初日はアムトラック(鉄道)でボルチモアに。
ホテルで荷物を置き、最初にベーブルースの生家(記念館)に行ってみました。
ほんとは、ボルチモア・オリオールズの野球場カムデム・ヤードの球場ツアーに参加したかったのだけれど、これは9月末で終わっていたようで、ああ、残念!

ベーブルースでびっくりしたのは、彼が高校時代に使っていたというグローブ (キャッチャーミットもあった。彼は、ピッチャーだけでなく、キャッチャーもやっていたのねえ)。
ほとんど皮っきれみたいな感じ。
息子が 「昔はこんな道具で野球をやってたんだ……」とぽつり。

そうなのよ、あんたたちの時代はむちゃくちゃ恵まれてるのよ、だから道具は大事に大事にしなきゃダメなのよ、とついつい教訓を垂れそうになるが、ここはぐっと我慢。

ルースが高校時代に使っていたというバットがあって、それを握れるような形で展示してあったのはありがたかった。
握ってみたら、すごく太い。
「ひええええ」。
息子はもう、それだけで感動。

メジャーリーグの歴史もよく知らない親子なもので、どこまで理解したかと問われれば自信がないけれど、子どもから中年おやじ、爺さんの世代まで、アメリカ男たち (見事なまでに男ばかりだったわー。休日だと女性もいっぱいいるんでしょうが) が実にうれしそうに展示物を愛でているのを見ると、なんか、いいよなあ、と心で笑っちゃったのだった。

息子をある程度満足させたら、その足で一気に美術館へ。
こちらは、館内にあるレストランが結構有名だと聞いていたので、絵を見る前にランチを食べた。

もちろん、注文したのは、ボルチモア名物、クラブケーキ。
いわば、蟹のケーキ、ですな。
蟹肉をほぐして、タマネギだの、パセリだの、ハーブなどを混ぜて、ビスケットみたいな形で焼いたもの、と聞いていたのです。
が、高い。
おしゃれなレストランで、サイドディッシュ付きとはいえ、1個18ドル!!
おいおい、2000円かい?

レストランの姉ちゃんに、「ねえ、どのくらいの大きさ?」と聞いてみたら、姉ちゃんは小さいわっかを指で作って見せてくれた。
直径が小指の長さくらい、か。
そんなもんが2000円もするのか?
そんな小さなものを、親子で半分に分けるのはむちゃくちゃひもじい。

ちなみに2個だと30ドル。
私、勇気出していいました。
「2個ちょーだい」

……しかし、これはほんと、おろかなことでした。
そのクラブケーキ、確かに直径は小指の長さくらいだったけれど、厚さが人差し指の長さくらいあったの。
つまり、円柱。
こんなの、インチキだーーーっ!

バターたっぷりで焼いたため、ものすごいボリューム。
おまけに、蟹食いで有名な息子は、ハーブの味や香りがダメだったのか、一口で 「俺は、要らない。母ちゃんが食べなよ」。

絶対に残してなるものか、と全部食べたら、胸がもたれて死ぬかと思った。
あーあ、こういう時、だれかもう一人大人がいたら、シェアして、おまけにビールとか飲んで盛り上がっちゃうんだけどなー。
こういう時、母子2人旅行はなんか、ダメダメなんだよなあ。

ま、それはそれとして。
マチスはすごかった。点数にしてどのくらいあったんだろう。
でも、数点あったゴーギャンのこの作品が、ものすごく良かった。
ポスターなどの色では絶対に分からない、ものすごい強さを持っていて。あと、タヒチの妻を描いたもので、マンゴーを持ってる絵もすごく色が良かった。

子ども向けのワークブックが無料で配布されていて、「絵の中で一番強い色をマチスはどこに塗っているかな」「一つの絵に模様が何種類含まれているかな」みたいな質問に答えていくうちに、マチスの色遣いの独特な世界や模様へのこだわりについて自然と理解できるようなものに仕上がっていた。
これはすごい。

マチスは、東京・上野に来た時にも、息子を連れて行って、「これは子連れ向きだなあ」と思ったことがあるが、子どもとマチスは絶対に相性がいい、と再度確信した次第。

地元の路線バスをあやふやながら駆使してホテルへ。
休憩後は、夕陽の落ちる港を散歩。
ほんとは海を見ながらシーフードでも食べるつもりだったんだけど……。
昼ご飯を食べ過ぎて全然お腹がすかず、私はこの夜、夕飯を抜きました。2個30ドルのクラブケーキも、2食分だと思えばあきらめがつくか。とほほ。

翌日は、息子が楽しみにしていた水族館へ。
9時開館というのに、6時前から息子は目がぱっちり。開場の9時ぴったりに入館しました。
結論からいえば、この日は入館時間がすべてを決した、という感じ。

ハイシーズンには入館までに待ち時間も生じる、という噂の人気の水族館ですが、さすがに平日の朝の開館直後となると、観光客などほとんどゼロ。
水族館の常で、そこは薄暗い、不気味な空間。
おまけに、妙に不気味なBGMなんかまでかかっていて、おいおい、大丈夫かよ……って感じ。

地の底に沈んでいくように、ホホジロザメやシュモクザメ、ノコギリエイが泳ぐ巨大水槽に降りて行った時はもう、息子もびびって、私の手をずっと握ってました。
いやはや、興奮したーっ。

といっても、わずか2時間後には、小学生の集団がわんさかやってきて、ワイワイガヤガヤと普通の観光地になっちゃってましたけどね。

まあこんな感じで、つつがなく終わったと思われたボルチモア旅行でしたが……。
ボルチモアの駅に着いたら、唖然。
乗るはずの電車が、40分遅れ、という。

がぁあああああああん!
子連れでね、40分も駅で待つのは、なかなかと面倒なのよ。
水族館で買った鮫やイルカの本を日本語訳してやりながら、まだかなぁ、まだかなぁと電光掲示板を見ると、

あーん、「40分遅れ」がいつの間にか、「50分遅れ」になってるー。
あと数分後には、1時間遅れ、になりかねない雰囲気なのだ。

ふと、電光掲示板をよく見ると、私が乗ろうと思っていたワシントンへの急行(みたいな感じの)電車以外に、通勤快速のような電車が走っていることに気付いた。
この電車、通勤時間帯のみ走る電車で、所要時間は少々長いが、その分安い。
「そうか、こっちの電車に切符を替えてもらえばいいんじゃん」
そう気付いた時には、この通勤快速の発車5分前!

息子に荷物を託し、私はチケット売り場へ。
しかしそこには数人の人が並んで待っている。
あーん、間に合うかしらん。

その時、若い女の子が現れ、列に並ぶ我々にこう叫んだ。
「ごめん! 誰か次のワシントン行きに乗る人いる? 発車まで時間がないの。先に窓口に行かせてもらえない?」
彼女が叫んでる意味までは分かるんだけどね。
「いや、私もその電車なのよ。悪いけど、私の次で我慢して!」とお願いするだけのとっさの英語力 (というか勇気だろうな)はない私なのだった。
こういうシチュエーションじゃあ、日本でだってこの一言、言えないんだよなあ、私。

ということで、結局、律儀に並んで、窓口にたどりついたのは発車2分前。
「電車が遅れてるの。だから通勤快速のほうにチケットを替えたいんだけど、そういうことってできるの?」
焦って叫ぶ私に、窓口のおじさん、びっくり。
おいおい、もう、発車時間間際じゃん、という顔で時計を見ると、大急ぎで、

べらべらべらべらべらべらべらべらべらべら〜〜〜。

いえね、普通だったら私、いいますよ。
ぷりーずすぴーくもあすろーりー。
しかし、なにぶん、時間がない。
スローにお話くださったら、こっちも困る。
結局、「べらべらべらべら」の中で聴き取れた「14ドル」を頼りに、14ドルをキャッシュで窓口に放り込む。

おかしいなあ、通勤快速の切符は、私の持ってる急行の切符より安いはずなのに、どうしてさらに、お金を取られるんだろう、と思ったが、こうなったら運を天に任せるしかないじゃーないか。

さて、窓口で私に手渡されたものは……。
1分後に発車予定の通勤快速の切符。
そして、私が窓口に出した、もともとの急行の切符。
つまり払い戻せない、ということか?
二重に料金を払えということか?
日本で「払い戻し」と言えば、発車時刻前というのが原則だもんなあ。でも、電車が遅れてるわけで、厳密には「発車時刻前」じゃん。
ちくしょー、どうなってるわけ?

さすがに、もう一度説明を求めようとしたら、窓口のおじさんが叫んだ。
「早く! 早く! ゲートはCだっ! 走れっ!」

弾かれたように走る私。
ゲートC近くで、スーツケースを転がしながら途方に暮れている息子を見つけ、「別の電車に乗るから、はい、この切符持って、ゲートCに走れ!」
わけもわからないまま、必死で走る息子。

そんなこんなで無事、通勤電車に間に合ったのでした。
ちなみに電車の中で、乗務員さんに事情を話したら、「ワシントンの駅で発券した切符だからね、そっちの駅でなら払い戻ししてくれるんじゃない? インフォメーションで聞いてみて」 だって。

なるほどー。
ボルチモアの駅のおじさんは、そう言ってたのかも。

さて、無事ワシントンに到着後、駅のチケット窓口。
「発車時刻を過ぎたチケットの払い戻しはだめ、と言われたらどうしよう。だいたい、むこうの電車の遅れが原因なんだからさ、絶対に負けないぞ。完璧に英語で説明してやるっ!」と意気込んでいた私。
いよいよ、説明開始。
「私はこの電車でワシントンに来ました(通勤快速の半券を見せる)。しかし、インターネットですでにこちらの電車の切符を購入済みでした(急行のほうの切符を見せる)。が、この電車が1時間以上も遅れたため(と、主張する時は少々大げさに言うのが、アメリカ流かな、と)、仕方なく、別の電車の切符を買わざるを得ませんでした……」

さらに延々と私の説明は続く予定だったんだけどさ。
窓口で、端正な顔立ちのお兄ちゃんが、私の差し出したチケットを見て一言。
「つまり、リファンド(払い戻し)? オーケイ」

………。
もしかして、発車時間後の払い戻しとか、全然問題ないわけ、この国は?
単に私は、りふぁんど・ぷりーず、と言えば済んだわけ?
なんだよー。必死で説明して損した〜。

とまあ、最後は妙に疲れた1泊ボルチモア旅行だったのでした。
めでたしめでたし。

ちょっと涙ぐましい感じ

息子が、日本の友だちにメールを書きたい、といって、ローマ字打ちの入力の練習を始めた。

(といっても、私のパソコンを使わせるのは嫌なので、私のもう一つのネットにつながっていないノートパソコンのほうを使わせているのだけれど。結局、息子の友だちにメール送信する時には、私が自分のパソコンでメールソフトに打ち直しをしている……ほとんど無意味よね)

パソコンに向かう息子が随分と静かなので、不思議だな、と隣を見てみると。
なんと、日本の小学校のクラスメートの名前を全員分、打ち込んでいた。
さらに先生の名前も。

なんか涙ぐましい感じがして、
「文書保存してあげようか」
と声を掛けたら、

うれしそうに、
「うんっ!」

それから、
「あ、じゃあ、自分の名前も書きたい」
と、一番仲良しだったお友達の友だちの隣に、自分の名前も打ち込んだ。
さらに、もう引っ越して行ってしまった女の子や男の子の名前まで、一生懸命に打ち込んでいた。

ああ、本当に。
早くアメリカでも、「クラスメート」ができればいいねえ。

家探しへの道2

夫から電話。
「おい、大変だ!」

何かというと、職場の先輩諸氏に助言をいただいたらしい。
曰く、

「家探しは急いだほうがいいって。1カ月、家具付きアパートにいられるから大丈夫、と思っていたけれど、実は家を決めてからも、あれこれ時間がかかるらしいぞ」

例えば、水道や電気の準備とか。
契約にまつわるあれこれとか。
学校入学にまつわる手続きとか。
引っ越し前のお掃除とか。
倉庫で保管されている前任者からの引き継ぎ荷物の運び入れとか。

「家が決まればすぐ引っ越しして、息子を学校に行かせて……というわけじゃあなさそうなんだ」

がぁあああああん。
なんか、やること、目の前に山積じゃん。
家は決まらないし、車もないし、私なんか 「住所不定無職」だし。
だめだ、だめだめ。
ものすごくものすごく気持ちが焦ってきたぞ。
ああ、どうしよう。

悩んだ末に私が出した結論とは……。

そうだっ!

旅に出よう!


煮詰まりそうな時はこれに限りますよね。
面倒なことは全部放り出して、今じゃない場所に行っちゃうの。
つまりは、逃避、というわけ。

明日から1泊で、息子と2人、ボルチモアに行ってきます。
全米でも3本の指に入るという水族館。
オリオールズの本拠地、カムデン球場。
マチスのコレクションで有名な美術館。
港町ゆえに絶対おいしいであろうカニ。
そして、息子の敬愛するベーブルースの生誕地。

ホテルも予約したし (