おぐにあやこの行った見た書いた

「すし太郎」に行ってみた

時差ボケの息子が涙目で「すしが食べたい」と言うので。
ワシントンD.C.在住日本人なら誰でも知っているという日本料理店「すし太郎」に行ってみた。
名前がすごいよね。
回転寿司のチェーンでも、もう少しひねった名前が多いのに。
「すし太郎」とは……。ずばりそのまま。
「スシ・ライス」と同じセンスだなあ、と思う。

行ってみて驚いた。
日本料理店と聞いて、週末だし、近所の日本人客が家族連れでどさっと集ってるものと思いこんでいたら、全然違った。

客はほとんど西洋人。
おまけに、ばっちりフォーマルに決めてる美男美女カップルが、カウンターにずらり。
ああ、V字に開いたドレスの胸元から、見事な谷間が……みたいな女性と、黒いスーツ似合いまくりのイケメン兄ちゃんが、2人して箸持って、醤油にわさびを溶き入れ、カウンターの向こうの店長さんに、「これ、何の魚?」などと聞いたり、寿司についての蘊蓄を語ったり。

店内は、いわば有楽町にありがちな大衆居酒屋風。
そこのカウンターに、フォーマルな服装の西洋人カップルがずらり並んでる、って感じ?
なじみのない私には、かなり不思議な光景なのでした。

それにしても寿司って、随分とこの国に根付いているのねえ。
私が英語を習い始めた30年ほど前には、テキストにこんな会話例がよく載ってたじゃないですか。

日本人「あなたは生の魚を食べますか?」
欧米人「いいえ、食べません。あなたは?」
日本人「私は生の魚を食べます。日本人は生の魚が好きです」
欧米人「それは本当ですか?」
日本人「あなたは納豆を食べられますか?」
欧米人「いいえ、あの匂いはヒドイです」
日本人「日本人は納豆が好きです」

………。
日本暮らしが長い西洋人たちから、よく聞かされた話を思い出す。
彼らは日本で、いつもこんな風に質問されたそうだ。
「あなたは寿司が好きですか?」
「あなたは納豆を食べられますか?」
で、イエスと答えると、「おおおお」と感動されるんだとか。

話をお店に戻すとして。
隣のあんちゃんが、ひたすら寿司についての蘊蓄を連れに熱く語っているので、不思議だなあ、と見ていたら、目が合った。
彼は、父方の祖父母がハワイに移民した日本人で、母親がアメリカ人らしい。
「祖父母の故郷は新潟。祖父の名字は神田、祖母の名字は梶山というんだ。で、僕の名前はタモツ。兄の名前はマナブ」
日本の名前をいとおしそうに語る姿が印象的な彼だった。

「日本にも行ったことがあるんだよ。東京と大阪と名古屋と広島」
答は何となく想像ついてるくせに、ついつい、私は聞いてしまった。
「なぜ、広島に?」
そしたら彼は、静かな表情のまま、「だってヒロシマで何があったかを知ることは僕にとって本当に大切なことだったから。二度と同じことが繰り返されないためにもね」

……とまあ、こんな具合に、渡米早々、日本料理店に駆け込んでしまった我が家。
息子は、鉄火巻と納豆巻とカニ肉巻を食べて、実に幸せそう。
ちなみに息子の「本日の英語」は、隣の日系人相手に語った nice to meet you! でした。

私は、といえば、周囲の米国人がおいしそうに寿司を頬張る姿を見て、ついついうれしくなっちゃう「日本人のサガ」に苦笑い。日本のビールを飲み、ついついリラックスしちゃう自分にも、「ははは」と情けなく笑っていたのでした。

ネット環境整備への道1

はるか遠い道のりのような予感がするので、つい、「ネット環境整備への道 1」とナンバーを振ってしまった。
せめて、2回か、3回くらいのエントリーで、「やっとネット環境が整いました〜」というご報告がしたいものですが……さてさて。

今のアパートメントの資料の中に、comcast という地元のケーブルTVとインターネットサービスの会社の案内があった。
あ、これに申し込めばいいんだ、と安易に思った。
電話番号が載っていたんだけど、「電話は嫌だなー。対面しての英語ならどうにか力業で乗り切れても、電話だと自信ないなあ」 と思い、いったんは夫 (職場にネット環境あり) に職場でネット上から申し込んでもらうように頼んだ。
が、色々事情がございまして、自力でやることに。
これがまあ、なんというか、泥沼化した一つの原因なのかも。

とりあえず、アパートメントのフロントデスクが非常にしっかりして見えたので、彼らに相談してみた。
ジェレミーという男性スタッフは、にっこり笑顔で、

「ノープロブレムだよ、君は何も心配しなくていい。僕らでちゃんと申し込んであげるから」

あんまりにも力強くそういうので、私は思わずうっとり。

さらに翌日、ジェレミーにどうなったか確認をしようとしたら、別の女性スタッフから「ジェレミーに言付かってるわよ。comcast に電話したら、明日の午後2時から5時までの間に技術屋さんが来てくれるって!」と。
おおお、話が進んでるぞ。

かくして、我が家の初の週末である土曜日は、インターネット開設を目指して家でお留守番、ということに。
というのも、「2−5時」というアポイントメント話を、DC周辺で暮らす日本人数人に話したら、彼らは異口同音に言うのだ。

「ふーん。2時より前に来るかもしれないし、5時より後に来るかもしれない。それに、まったく来ない可能性もあるわねー」

おいおい、そういうもんなの?
「そういうもんよ。午前に来るとか午後に来るとか言われても、たいてい一日仕事だったもの。相手を待ってるうちに1日つぶれるの。それで来てもらえれば御の字」
うむむ。
敵は手強いのであった。

さて。
comcast の技術屋さんは結局、土曜日に来てくれたのか?
結論から言うと、来てくれた。
それも午後5時3分、という微妙な時間に。
思わず、「来てくださってありがとう!」とドアを開けちゃったよ、私。

ところが……。
技術屋さんに、「それでね、お願いしたインターネットなんだけど」と説明を始めたら、
「へ? ネット? 僕は何かテレビが壊れたんだと思って来たんだけど。インターネットの話は聞いてないから、そんな道具も準備もしてないよ」
よくよく聞くと、アパートメントのフロントデスクからは、「とにかく早く来て」と言われただけで、「インターネットサービスを受けたがってる」などの類の説明は一切なかったんだとか……。

おーい、ジェレミー!!
なにが、「君は何も心配しなくていい」 だよ!

とりあえず、再度アポイントメントの取り直しを頼んでみた。
技術屋さんは 「僕じゃわからないから、ここに連絡を取ってみて」と、comcast のお客様サービスの窓口の連絡先を教えてくれた。さらに、彼はその窓口に電話してくれ、事情を説明してくれた。

「ボス、僕は悪くないんだよ。ここの客が、自分で申し込めばいいのに、それをせずに、フロントデスクなんかに頼むから、彼女が何が必要で、何が不要なのかをわかってないフロントデスクが、僕らには依頼の内容をきちんと説明してくれなかったんだ。これ以上僕にできることはないし、僕はもう帰らなきゃ」

……不思議だなあ。
技術屋さんの英語、きわめて聞き取りにくくて、「頼むよ。CNNみたいにしゃべって〜」と内心悲鳴を上げていたはずなのに。「おいおい、そうか、あんたは私に責任を押し付けてるわけね」。こういう内容だけはきれいに聞き取れてしまうものなのだ。
彼は彼で、自分のミスじゃないことを、客の前でボスに説明する必要があるらしいのだった。
結局、お客様窓口担当者から夫の携帯電話に折り返し電話をもらうことで決着。
技術屋さんは、帰っていった。
とりあえず、彼のミスではないのだろうし、「忙しいのに、色々ありがとう」と丁重に送り出したのだった。

さて。問題は、数分後の comcast からの電話。
夫がまず、携帯電話に出るものの、「だめ、全然わからん。変わってくれ」
で、私が夫の携帯電話に出る。
すごい機関銃トーク。訳分からない。「つまり、あなたは誰なのですか?」と尋ねるが、ははは、その返事がもうわからんぞ。
史上最悪の電話だ。
思わず、こっちからまくしたててしまった。

「あのね、私はこっちに着いたばかりなの。米国のネット環境とかそういう話もほとんど分かってないの。おまけに、英語だってよく分かんないのよ。だから、もっと、もーーーーっと、ゆっくりしゃべってくださいよっ!!」

そしたら、これまで一方的に機関銃のように訳の分からない英語をしゃべっていた男性がしばし沈黙し、「 Just a moment, please...」。
おいおい、ゆっくりしゃべれ、と頼んだだけなのに、なぜ「ちょいと待ってください」になるわけ?
しばらく待っていたら、今度は優しげな女性スタッフが電話に出た。
この女性、英語を一文字、一文字、ゆーーーーーっくりと区切ってしゃべる。
もしかして、あなたは、英語の分からない外国人担当?

でもね、あなた、文章を区切りすぎだってば!
おまけに携帯電話の電波以上で、会話がプチプチと切れたりするので、これはこれで非常に理解しづらい。
それでもどうにかこうにか意思疎通し、こっちはモデムも何もない状態で、インターネットにつなげるようにしたいんだ、という説明をしてみた。
……相手に理解してもらえたかどうかは、うーむ、未だ不明。

そんなこんなで、ネット話は週明けに持ち越し。
さて、我が家のネット環境はいつになったら整うのでしょう?
数日前、「私は早晩、この暮らしに飽きる」などとのんきに書きましたが。
暮らしのセットアップが整うまで随分と掛かりそうで、それまでは 「飽きる」ヒマもないのかも。
まあ、こういうドタバタも貴重な体験、ということで……。

スシ・ライス

ここ最近、作ったもの。

ラタトゥイユ。
(旅先での自炊の定番。簡単だし、間違いなくおいしく作れるし、大量に作ればパスタにかけたり、チーズかけて焼いたり、色々応用が効くから)
キノコとズッキーニのバターソーススパゲティ。
(生マッシュルームの香りの良さと、ズッキーニの味にくらくらして、つい……)
マカロニサラダ。
(冷蔵庫に残った半端野菜を一気に片づけたくて。昼ご飯の主食に)

……つまり毎食、毎食、基本的にパスタとフランスパンばっかり食べている。
普段からイタリアン好きの我が夫婦だけに、米のない暮らしがまったく苦にならない。
スーパーで買い物をすれば、やっぱりそこに並ぶおいしそうな物に吸い寄せられるし、それらの素材が一番おいしくなるような料理を考えてしまうわけで、どうも気持ちが、「無理して和食を作ろう」 という風には行かないのだ。

一方、我が家で唯一、この食生活に耐えられないのが、うちの味覚超保守派の息子。
息子対策として、時々スーパーで売ってるバカ高い「ツナ・ロール(鉄火巻き)」やら「赤みそ汁(粉末みそ汁)」を購入し、食べさせている。
この息子、時差ボケで毎日夜中の2時にパッチリと目を覚まし、朝まで一睡もしてくれないのだが、未明のベッドの中でこんな風に延々とうめくのである。

「あーあ、カップラーメンが食べたいなあ」
「母ちゃん、おいしいお寿司が食べたい……」
「やっぱりおみそ汁だよねー」
「ラーメン、麺に腰のあるラーメン!」

こっちは少しでも時差ボケから逃れたくて、必死で眠りにつこうとしているのに、耳元でこんな風にささやかれてはたまらない。

そんなこんなで、昨日はスーパーで米を探してみた。
が、長粒種ばっかり。うーむ。
そしたら、スーパーのおじさんが、「何を探してるんだ?」。
「あのね、米は米でも日本の米みたいなのを探してるのよ」と私。
おじさん、目をキラキラさせながら、
「それは、スシ・ライスか?!」と聞いてくる。

寿司、を作るわけじゃあないんだけどな。
スシ・ライスとはいったい何ぞや。
もしかして酢漬けの米とか???

恐いモノ見たさで、思わず、「イエス」と答えてしまった私なのだった。
おじさんに連れて行かれた棚には、ひょええええ……。
小さな入れ物に米が入っていて、「SUSHI RICE」(スシ・ライス)と表記されていた。
息子が叫ぶ。
「母ちゃん! このお米の形、日本のと同じ!!」

た、たしかに。
思わず買っちゃったよ。
スシ・ライス。
しかし、すごいネーミングだ。

航空便の荷物は数日後に届く予定。
そこには炊飯器と炊飯用の土鍋を入れてある。
とりあえず土鍋が到着したら、スシ・ライスに寒天パウダーを入れて炊いてみようっと!
炊飯器の米をうまいと思えなくなって早2年。
やっぱりお焦げの香りのする土鍋ご飯の炊きたてが、一番おいしいと思う。
(……と、こだわってしまうあたり、私も案外、味覚保守派?)

息子、2日目の英語

前日、hot dog, please で英語デビューをした息子。
私は 「一日一言、を原則にしよー。さて、今日は何を言う?」。

本日は、銀行口座開設が頓挫したため、その足でホワイトハウスへ。
ブッシュ大統領の等身大の写真をつかって、「一緒に記念写真をどうぞ」と商売している人たちがいて笑えた。自分のカメラで撮っても6ドルだそうだから、ブッシュ大統領 (の写真)と並んで撮る価値が、写真1枚6ドル、ってはわけだろう。
金を取ってホワイトハウスの前で堂々と商売してるわけだから、ご本人も了解済み、ということなのかしらん。

ちょうど中国人の団体客と居合わせた。
次々にブッシュ大統領の肩を抱いてはカメラに向かってピースサインする中国人、というのも、かなりシュールだ。

次に歩いて国立自然史博物館へ。
昨日の動物園にしろ、スミソニアンの博物館や美術館にしろ、全部無料というのはうれしい。「いったん入場料を払ったんだから、元を取るまで頑張って見て回らないと!」みたいなことを思わなくて済むから、子連れには気楽だ。
好きなだけ見て、疲れたらすぐ帰る。
「また今度来ようよ」と。

息子の「2日目の英語」の課題をどのあたりに設定しようかなあ、と思っていたのだけれど、昼食時に買い物して家で自炊することにしたので、今回はレストランでの注文、というわけにもいかない。

買い物を終えて、地域の無料シャトルバスに乗る前に、ふと思いついて、「おい、運転手にハローでも何でもいいから、挨拶しなさいよ」と声を掛けた。
シャトルバスの運転手さんは、とっても優しくて、地域のお年寄りの人気者なのだ。

息子は深く考えることもなく、小声で、「Hello」
あっさりクリア。

席についてから、気付いたらしい。
「あ、母ちゃん! 今日はもう、Hello って言ったから、1日1回英語をしゃべったことになるよね? やった〜!」と、脳天気に喜んでいたのだった。
さらに、「運転手さんが母ちゃんに言った言葉は何?」と興味を示してくる。
「あれはもっと短くて、Hello ではなく、Hi と言ったの」
「ふーん」

息子はそれから、新たに乗ってくる客が運転手さんと交わす挨拶に、「随分としゃべるんだねえ」などと、ずっと耳を傾けていたのだった。
なるほどなあ。
人間って、自分で挨拶をして初めて、他人の挨拶の言葉にも興味がわくものなのか。
子どもが新しい言葉を学んでいくステップって、そばで見ていると本当におもしろい。
これからますます面白くなりそうな予感……。

バスを下りる時のこと。
私が、「ありがとさん」と言って下りた後、振り向くと、
息子が運転手さんに手を振るのが見えた。
See you!
大きな声でそう言っていた。

遅々として進まぬ暮らしのセットアップ

(28日の話)

本日は朝から家族で銀行へ。
夫婦共同名義の銀行口座を開いておこう、というわけ。
ところが窓口で必要とするドキュメント(2種類のIDなど)を求められ、私は旅券と国際免許証を持参していたのだけれど、夫は旅券だけでOKだと勘違いしていたらしく、そこで頓挫。
結局、銀行口座開設は書類をそろえ、週明けに持ち越されることに。

しばし夫婦間の雰囲気が険悪に。
でもまあ、こんなところで相手を罵倒しても仕方ないのだった。
結局、私の側に「今日は仕事で忙しいのに〜〜!!」的なストレスがないので、「まあ、来週月曜日にまた来ればいいや」と気持ちがあっさり切り替えられる。
私も仕事を抱えていたらこうは行かない。
「あんたのせいで、貴重な仕事時間を2時間も削られたっ」と責めてしまったに違いない。

夫の職場のみなさんが、「渡米直後から、君が出勤し、奥さんと子どもを2人きりにしていて大丈夫?」と随分と心配してくださってるらしい。
が、こっちはもう、暮らしのセットアップは夫婦で週末にでもやればいいや、と割り切り、夫の帰りが遅い平日は「ワシントン母子旅行モード」で暮らすと決めてしまったので、毎日半日はあちこち観光し、半日は部屋でごろごろ。
大丈夫も何も、キッチン付きホテル住まいの海外1カ月旅行と何ら変わらないのだ。

確かに、これから家探しや学校探し、電話開設、ネット環境整備、銀行口座開設に運転免許取得まで、あれこれやらねばならない作業が山積している。
まさに「住所不定無職」状態の今の私だけれど、日本で仕事と育児を両立させてたころに比べれば、むしろ、精神的にはラクなのかも。

だからこそ、何となく予感する。
私は早晩、この暮らしに飽きるんだろう。
今は何でも目新しいから、一つ一つ買い物し、不便な中で自炊する暮らしを、まるで「おままごと」みたいにワクワクと楽しんでいるけどね。
ああ、どうなることやら。


ホットドッグとフライドポテト

(9月27日)

渡米2日目。
ワシントンDCにある動物園に行く。
ここの目玉は、パンダ。
上野動物園と同じですな。
ところがところが。
噂によれば、「さすが米国。日本じゃあダラダラしてることの多いパンダが、こっちではむちゃくちゃ活動的なのよー」だそうなので、朝からまずはパンダ舎へ。
いやはや確かに。
むちゃくちゃ派手に動くパンダなのだった。
こういうのって、お国柄が出るんだろうか……、うーむ。

ところで。
昼ご飯を食べようとしたところで、息子に言ってみた。
「ホットドックくらい自分で注文してみなよ」

息子は半年前から、ベネッセのBEGOという英語教材にお世話になっている。内弁慶で引っ込み思案で英語塾みたいに人間相手に英語を習うのを極端に嫌ったヤツなのだが、家庭でパソコン相手にゲーム感覚でできるところが良かったらしい。
BEGOソフトを相手に、

Hot dog, please.

と息子が何度か言ってるのは、すでに聞いたことがあった。
だったら、使ってみなよ。
言葉は、誰かと会話するための道具なんだから……。
そんな思いが私の中にはずっとあったのだった。

が、案の定、息子はさっと表情を硬くし、「絶対に嫌。それだったら食べない」。
息子は、言えないんじゃない、怖いのだ。

渡米後の息子は、私が誰かに英語で話しかけるたび、さっと私の背中に隠れる。
誰かに英語で話しかけられたら、それが例え、ハローの一言だけだったとしても、何も答えず私の顔を見る。
通じないのではないか、という不安。
何か聞かれても分からない、という不安。
みじめな自分を誰かに見られる、という不安。

ははは、悪いけどさ。
母ちゃんはもう何年間も、そんな不安とお付き合いしてきたのよ。
バカみたいに費やしたその時間の中で、導き出した結論は一つ。

言葉は誰かとつながるためのものだから。
つながりたいと思う気持ちがなければ、言葉は内側から生まれてこない。
ほしいもの、好きなこと、逃したくないもの、失いたくないもの、そんな切実な必要性に駆られてようやく、ごちゃまぜの不安感やらコンプレックスを乗り越えていけるんだ、ってこと。

だから私は、あっさり息子に言いはなってしまった。
「ホットドッグは、あんたの担当。自分で言えるようになるまで、ホットドッグを食べるのはあきらめな。ハンバーガーでも何でも別のものを注文するなら私がやってあげる。でもホットドッグは、母ちゃんは絶対に注文しないから」

……実は息子、食事や味に関してものすごく保守的だ。
慣れ親しんだ味でなければ、ほとんど食べない。
かつてシアトルで寿司を食べたがった時、フードコートの安いキュウリ巻きを食べさせたら、「きゅうりが固い。醤油の味が違う。海苔の香りがしない」と言い放ち、一切口をつけなかったヤツだ。
前夜も、せっかく夫の職場の方がイタリアンに連れて行ってくださったというのに、息子は食べるには食べたものの、「やっぱりピザは、○○(東京で行きつけの店の名前)のほうがおいしいね」とのたまい、私に冷や汗をかかせてくれたばかりである。

今朝は大まじめに、「あんたの舌がどんな味に慣れているかということだけで、ほかの国の料理の味の判断をしないほうがいいよ。知ってる味と違うならば、その違いを楽しめるようにならないと、食べることで幸せにはなれないよ。せっかくアメリカに来たんだから、アメリカでおいしい物を探そう。一つひとつ、おいしいと思えるものを増やしていきなさい」と説教したばかり。

ここまで味覚超保守派の息子が、昨年夏のシアトル旅行で唯一食べたのが、球場のホットドッグと、マクドナルドのフライドポテト(ちなみにハンバーガーには一切手をつけなかった……)、それからショー付きのレストランで出た美味創作イタリアンだった。
特に、ホットドッグは息子の大好物ときている。
このホットドッグほしさに、自分の中に高く高く築いちゃった壁を一つ、自力で乗り越えてもらおう、と画策したのだった。

が、息子は私に似て頑固なヤツなので、そう簡単には落ちない。
「だったら、ホットドッグなんて食べなくていい!」

あんまり頑固な息子に腹を立て、頑固では絶対に負けないはずの母ちゃんは、ついつい説教してしまった。
「あんたが英語をしゃべるのが怖いのは良くわかる。通じなかったらどうしよう、とか、へたな英語を聞かれるのが恥ずかしいとか、母ちゃんだって父ちゃんだって、今だってそういう不安はいっぱいあるんだよ」
「でもあんたは1カ月後、学校に行かなきゃいけない。母ちゃんはもう助けてやれない。あんたは自分でほしいもの、好きなもの、嫌いなもの、してほしくないこと、全部、自分で表現しなきゃなんない。母ちゃんがもしあんたなら、学校に行くまでの1カ月間に、恥にも不安にも全部サヨナラできるよう、少しずつ準備するだろうな」
「母ちゃんもそうだったから正直に言うけど、最初の一言を発するまでの時間が長くなれば長くなるほど、どんどんと英語をしゃべる勇気がなくなるんだよ。早いうちに乗り越えちゃいな」
「言葉って不思議なもので、伝えたい、言いたい、という気持ちがたくさんあれば半年でも言いたいことを言えるようになっていく。その気持ちがなければ、アメリカに1年いたって2年いたって言葉は増えていかない。逆に、聞くのも同じ。この人たちの話なんか分からなくてもいいや、と思ってしまったら、お終いだ。この人たちの気持ちが、言葉が知りたい、っていうあんた自身の気持ちが一番大事なんだよ」

それから半時間、ものすごく険悪なムードのまま、ふたりで動物園デート。
平日の昼間だから、園内にいるのは基本的に幼児連れ。
それでもいくつかの小学校や中学校から、集団で見に来ているグループがいた。
息子は、同じ年格好の子ども集団が来ると、どんなに見たい動物であっても、その園舎からすっと離れてしまう。
怖いんだろうなあ、きっと。
学校に行ったら、こんな中に混じるんだ、と想像しちゃうんだろうなあ。
どんな子でも、いきなり米国の現地校に入った時には多かれ少なかれ適応できずに苦労するとは言うけれど、息子の場合は、なんというか、ああいう性格なものだから、それ以前の段階で、いっぱい不安感を抱え込んでしまっているのだった。

結局、息子はあざらしの園舎の前で座り込んだ。
お腹がすいて、お腹がすいて、どうしようもないのだ。
「もうだめだー」
「じゃあ、帰ろうか」
「どうして帰るんだよっ!」
「だって疲れたんでしょ」
「違う。お腹がすいたんだ」
「じゃあ、何か食べる? あ、でも母ちゃんは、ホットドッグは私は注文しないからね」
「………」

母ちゃんの兵糧責めはまだまだ続く。
息子が対案を出してきた。

「あのさ。Hot dog, please じゃなくて、Hot dog、って一言だけでもいいかなあ」

いいんじゃない?
どっちにしても、あんたがホットドッグを食べたいって気持ちは伝わると思うよ、と私が返すと、あっさり息子は立ち上がった。
「おれが Hot dog を頼むんだから、母ちゃんがフライドポテトくらい頼んでよね!」
了解、了解。
ざまーみろ。
やっぱり人間、空腹感には勝てないのだ。

さて、さっきと違う窓口でメニューを見たら、Hot dog 単品ではなく、Hot dog combo にしたら、そこに french fries (フライドポテト)も付いてるじゃないか。息子に説明し、Hot dog combo を注文させてみることにした。
息子はもう一度ひるみ、「Hot dog combo」 と何度かこっそり練習し、それから大きな声でようやく言った。

Hot dog combo, please!

これが、息子の米国での初めての英語。
外国の人を前に何かを伝えようと口にした最初の言葉が、Hotdog combo なのだった。

以下、親子の会話。

息子 「あーあ、フライドポテト、もう一つ食べたいなあ」
私  「自分で注文したら金くらい出してやるよ」
息子 「母ちゃんの嘘つき! 自分で注文するのはホットドッグだけでいいって言ったじゃないかっ!」
私  「でも、フライドポテトのおかわりは高くつくのよ (これはウソ)」

しばし悩んでいた息子だったが、french fries を何度か練習した後、今度は、

french fries, please!

子音のpとlが並ぶのが苦手なのか、あんなに嫌った「please」の一言だったのに、結局はついつい付けてしまうのが息子の生真面目さなんだろうなあ。
私なんか未だに、めちゃくちゃな語順の英語で格闘してるっていうのにさ。

5分後、息子は安堵しきった顔で、しみじみと2袋目のフライドポテトを食べながら、幸せそうにこう言った。

「おいしいなあ。自分で注文したから、よけいにおいしいよ」。

この言葉に、今度は母ちゃんが、へなへなへなと体中の力が抜けてしまう気がした。
そうなんだよ。
言葉は、通じるとうれしい。
母ちゃんはあんたに、それを伝えたかったんだ。

さて。
これから1カ月。
息子はどんな風に、英語への不安を克服していくのかな?
……という以前に、そもそも私の英語力問題の解決への道のりも、なかなか厳しいものがあるんだけどねえ。


辞書を引くのは楽しい?

(9月27日)

1カ月ほど学校に通わない息子を、さて、どうしたもんかなあ、と考えている。
息子は超不安症で、新しい環境に慣れるのに誰より時間がかかるタイプなので、1カ月後の米国現地校への入学を、今からものすごーーーーーーーく脅えているのだ。

とりあえず、最初の1週間は、単なる海外旅行モードで過ごすことにした。
どうせ夫はこちらの仕事に慣れるまで、ほとんど夜は遅くなるだろうし。
となると、「ベイビーパッカーでいこう」時代から続く親子2人旅と、状況はまったく変わらないというわけ。
だったら、動物園だの、スミソニアン博物館だの、広い広い公園だの、あっちこっちを遊び回りながら、少しずつこの国に私も息子も慣れていく、それでいいんじゃないかな、と。

もちろん、あちこち観光するだけじゃあ間も持たないので、とりあえず手荷物で以下のものを準備してみた。

国語辞典
漢和辞典
辞書引き学習用ドリル1冊
付箋紙

今どき人気の深谷圭助先生の「辞書引き学習」のやり方をちょっくらお借りしよう、というわけだ。
実は、日本にいた頃、息子が学校の宿題のために辞書を引いてるのを見て唖然。
五十音が全然頭に入っておらず、むちゃくちゃ辞書を引くのが遅い。
なんだ、こいつ?
と、ちょっとショックだったのだ。

小学3年生で渡米したんじゃ、漢字なんか全部忘れるだろうし、難しい日本語の文章を理解できないまま中学生になっちゃうんだろう。おまけに数年間だけのアメリカ体験では英語も中途半端だろうし、なんだかんだとこの子は将来、苦労するに違いない。
それは仕方がない、と思う。
欲張って無理に知識を詰め込んでやろうとも思わない。

ただ、人より言葉を知らない人生を送るのであれば、言葉に出会う手段だけは磨いてやりたい。せめて、分からない言葉に出会った時、どうすれば良いかくらいは、親として教えてやりたいと思ったのだった。

だから学校の教科書なんか全部、2カ月後にしか到着しない船便に放り込んだのに、辞書2冊は手荷物に入れてきた。
「引いた言葉に付箋紙を貼ろう。子どもは目に見えて付箋紙が増えるのがうれしいから、どんどん辞書を使うようになる」という深谷さんの主張も、収集癖のある息子には相性が良さそうに思えたのだった。

案の定。
今朝、飼い犬に骨でも与えるように、ヒマしている息子に辞書を1冊与えてみたら……。
息子は狂ったように辞書を引き、大喜びで付箋紙を貼り、その付箋紙が1枚1枚増えていくのをうっとりと愛で始めたのだった。
ああ、なんて分かりやすいヤツ。

ちなみに、本日息子が引いた言葉は……

赤字、赤ちゃん、エース、エジプト、キャッチャー、キャッチボール、グラウンド、グローブ、サード、ショート、スフィンクス、セカンド、仙台市、センター、バッテリー、バッティング、バッター、バット、ピッチャー、ヒット、ファインプレー、ファースト、ファウル、ベース、ベースボール、ホーム、ホームラン、ライナー、ライト、ランナー、リード、リニアモーターカー、レフト。

予想されていたことではあるけれど、ほとんど野球用語なのだった。
ちなみに、「フィルダーズチョイス」は載ってなかったらしい。
それでも今日だけで、辞書を引くスピードは格段に上がっていたから、良しとしよう。
息子が喜々として引きたくなる言葉が、いつか野球以外にも少しずつ広がっていけばいいなあ。

1カ月だけの我が家

(9月27日の話)

月極の家具付きアパートメントに1カ月暮らしながら、息子の学校探しと家探しをすることになりました。
アパートメントは会社が探してくれました。
実はかなりお値段が高いのだけれど、まあ、最初の1カ月くらいは快適さや利便性のほうを優先しよう、と夫婦で納得したわけです。
エントランスは不必要なまでに高級感にあふれ、誰も弾き手がいない小型グランドピアノが飾ってあり、エレベーターに乗り降りする人を見る限りは、金持ちのお年寄りがたくさん暮らしている模様。

だって地下鉄駅からは徒歩4分。
日用品の買い物をするスーパーと、最寄りの地下鉄駅と、周辺のアパートメント村を1周15分間で巡回する無料シャトルバスが半時間に1本走ってるし。
シャトルバスの運転手さんはお年寄りにすごく優しくて、道行く顔見知りのお年寄りに手なんか振っちゃってるし。
お金さえあれば、お年寄りがとても暮らしやすい街なんだろうな。

さっそく渡米2日目、私と息子もこのシャトルバスのお世話になり、自炊に備えるための初買い物を終えました。
(ものすごく重かった。バスがアパートメントの目の前まで送ってくれなかったら、絶対に徒歩では帰ってこられなかったと思う)。

ああ、便利、便利ねえ。
などと、図に乗っていて、ふと気付いた。
思うに、私は今、「アメリカのお金持ちの年寄り」状態なのかも。
とりあえず利便性や安全性、快適さに払う金があり、でも、圧倒的な車社会なのに車もなく、勝手が分からないからスイスイと行動できず、地下鉄が主な移動手段で、ネットにもつながれず、おまけに毎日働きに行く場所も、勉強しにいく学校もない……。
そういう親子には、案外暮らしやすい物件なのかもしれません。
高すぎて、1カ月が限界ですが。

手荷物1個23キロ、の誤解


(9月26日の話)

アホです。
成田空港からの出国の日(26日)の話。

エコノミー客の手荷物(機内持ち込みではなく、チェックイン時に預け入れる荷物のこと)は、1人2個までで、1個23キロまで、と聞いて、以下のような荷物を作りました。

段ボール箱3個
巨大なスーツケース2個
大きめのソフトスーツケース1個

段ボール箱は、どうがんばっても20キロをオーバーすると箱が壊れたりしそうだったので、1個16キロ程度に抑えました。
食料品や書籍など、比較的重いもの。
で、巨大スーツケースは本体だけで1個7キロ近いので、軽い衣類を中心に。
3つのスーツケースの荷物を詰めたら、それぞれ5キロほどずつオーバーしていたので、途方に暮れた後、「そうだ、機内持ち込みの荷物の重量を量られたことはないぞ」と気付き、重そうなものをすべて機内持ち込みの荷物に詰め込んでしまったのでした。
その後も、こっちが1キロオーバーだの、あっちが4キロ余裕があるからこっちのを2キロ、あっちのを1キロ回して……などと体重計で何度も荷物の重量を量りながら、最後はスーツケース3個とも23キロぎりぎりにまとめたのでした。

「私は天才だ!」と自画自賛してたのは前夜まで。
当日、成田空港でチェックインの際、重量を量られたのは3個の段ボール箱と3つのスーツケースの総量だけでした。個々の重量は一切関係なし。
えええっ! そうだったの?

箱はそれぞれ16キロだから、23キロのスーツケース全部合わせても、108キロ。
一方、重量制限は、23キロ×6個=138キロだから、30キロもの余裕を持ってクリア。
なーんだ、それなら1個のスーツケースが30キロを超えようと、40キロを超えようと、段ボール箱が軽い分、全然大丈夫だったってことじゃん。

あまりに情けなくて、海外暮らしが長かった妹にぼやいたら、
「へ? 姉ちゃん、そんなの常識やでー。知らなかったん? 夫婦して海外旅行慣れしてると思ってたのに、意外やなあ……」とあきれられた。

ちくしょー、ちくしょー。
だって私、複数の荷物を預け入れるような旅行、したことないもん。たいていいつも息子と2人旅行だから、預ける荷物もせいぜい1個。重さだって、15キロを超える荷物を持つくらいなら、荷物を減らす努力をしたもんだ。
学生時代には、飛行機を降りた後、荷物がダラダラとターンテーブルを回ってくるのを待つのが嫌で、たいてい機内持ち込みギリギリOKのザック一つで旅行してたし。
第一、23キロもの荷物をいくつも預けるような家族旅行、したことないもん!

……。
結局、チェックイン後、我が家族3人の手元に残されたのは、下手すれば預け入れ荷物並みに重い手荷物が3つ。
キャスター付きとは言え、すっかり疲れたのでした。

さらにさらに。
今回は段ボール1箱分の食料を持ち込みました。米国への引っ越し荷物の中には、食料品は入れられないからです。といっても、新たに買ったのは愛用してる鎌田の出汁醤油くらいで、あとは、引っ越しの時に賞味期限が切れてなかった素麺やうどん、お茶、乾物物、ゼリーの素 (子どもの食欲不振対策) などが中心だったんですけどねー。

さてさて。
入国審査の時に、担当の係員さんがかつて日本の米軍基地にいた人で、「おまえは富士山に登ったことがあるか? 俺は2度もあるぜ」 みたいな日本の思い出話を延々と話してくれたものだから、ターンテーブルに荷物を取りに行った時には、すでに他の人は誰もおらず、ターンテーブルは静止していて、そばのカートに3個の段ボール箱と3個のスーツケースが上手に積まれ、日本人の女性スタッフがニコニコと待ってくれていた。
「お荷物はこれですべてでよろしかったでしょうか?」
うーん。何か調子が狂うなあ。

お次は税関。
中身のチェックの時、あまりゴソゴソと荷物をひっくり返されずに済むようにと、きちんと英文で食料品リストも作ったし、箱を開封された後の処置のため、重いガムテープもばっちり持参してるし、準備万端で臨んだというのに……。

税関のおじさんは私に、「何入ってんの?」
私は意気込み、「食料品です」
さあ、何でも質問して!
私には、食料品リストがあるのよ。
いつもは嘘つきだけど、今回は正直者なのよ。
寒天パウダーだの、お茶漬けの素だの、日本の粉茶だの、生真面目に英訳に苦労しまくった、あの努力の賜のリストを、いよいよ税関の係員さんに突き付ける場面だっ!
と奮い立った瞬間、

「オーケイ。さあ、行った行った」

荷物一つ開けてもくれず、せっかく作ったリストが活躍する場面もなく……。
こんなことなら、仙台の利久の牛タンカレーのレトルトとか、いっぱい詰め込んでやればよかった〜。
(持ち込めない食料品の筆頭が牛肉関連なのです)

とまあこんな具合に、家族3人、無事に米国に入国できたのでした。
ちゃんちゃん。

出国の日の朝に見た夢は……

(9月26日朝の話)

成田空港近くのホテルで目を覚まし、ちょっと奇妙な気持ちになった。
変な夢を見たから。
いや、当たり前の夢、というべきか。

夢の中で、私はまだ新聞記者だった。
誰か男の人にインタビューしていた。
それだけの夢。

普段見たのならば、単なる日常であって、心にも留まらない夢のはず。
でも、仕事を辞め、日本を発つ日に限って、こんな夢を見てしまう自分に、ちょっとフクザツな気分。

親子対抗壮行試合(ただし伝聞)

(出国前の9月24日の話)

渡米に向けて、まさに引っ越し2日目という日曜日に、なんと息子の少年野球チームの皆さんが、息子と私たち家族のために壮行試合を企画してくだるという。
それも、親子対抗!

子ども時代、ボール運動が苦手で、フライ捕球はおろかグローブをまともに使ったことすらなかった私が、今では結構フライなんかも捕っちゃうのである。ここは成長を皆にご披露しなければっ!とは思ったのだけれど、もちろん、引っ越しの最中に、抜け出して野球の試合に参加するなんてことは、できるはずないのであった。

それでも、とんでもなく気が付いて、面倒見が良くて、おまけに掃除の天才でもあるママ友だちが、強力な掃除機(天井のホコリまで吸い取れる!)と重曹、粉石鹸を抱えて、引っ越しの手伝いに来てくださった。そのお陰で、仙台の義父、大阪の実父、それにうちの夫と息子の男4人衆全員がそろって、引っ越しの日に、壮行試合に参加できることになったのだった。
一方、引っ越しの本陣を守るのは、仙台の義母、ママ友、そして私の女3人衆。
普段の私ならば、「女ばかりに引っ越しと掃除を押し付けて!」と怒り狂うはずなんだけど、今回はなんとなくすんなりと、男4人衆を送り出そうという気持ちになれた。
こと野球に関しては、息子と夫の間には、私に立ち入れない領域がすでに生まれているのでね。

そんなわけで、この壮行試合の様子を書いた今回のエントリーは、実は夫から聞いた伝聞話でしかない。これが、なかなかすごい試合だったらしい。

子どもチームは、若き人格者の監督率いるいつもの低学年メンバー。
一方、お父さん、お母さんからジジババまでが混在する大人チームを率いるべく、その日だけ監督に職に任命されたのは……なんとなんと、夫だったらしい。
子どもチームの先発投手は息子。
親子対決は、否が応でも盛り上がるのである。

夫はとりあえず、先発メンバーが全員打席に立った後は次々にメンバーを替え、片っ端から色々なお母さんやら、選手の兄弟姉妹までバッターボックスに引きずり出したそうな。
ちなみに、仙台の義父と、私の大阪の実父も出場したらしい。

大阪の実父のほうは、小学1年生の孫(つまり我が息子)に野球盤を買い与え、野球を始めるきっかけを作った男だ。しかし長年、「孫とキャッチボールをするのが夢」と言っていたわりには、自らの運動不足のせいで、孫のボールなど捕れず、今は応援専門に甘んじている。私から夫に「ぜったいに大阪のじいちゃんは出場させるな。ケガをされたら大変だから」と言っておいたのに、まあ、私の父親ですから、下手なくせに打つ気満々でバッターボックスに立ってしまったのだそうな。
大好きな孫の勝負。カキーン、と打ったはいいけど、走ろうとした瞬間、スッテーンと転び、1塁に間に合わずアウト。肘に擦り傷いっぱい作ってご帰還あそばされたのだった。

一方、仙台で息子のキャッチボールはもちろん、投球練習の相手もできる元気な仙台の義父は、大阪の父に続く打順で、なんとなんと3塁打!
あっさりと爺孫対決の勝利をさらった。

……とまあ、最後の最後まで、アットホームで、笑いの絶えない壮行試合だったらしいんだけれど。

最終回、大人チームに逆転され、2点を追う子どもチームは2アウト満塁。
そんなとんでもない場面で息子が打席に。
自分のバットで逆転勝ちを狙う息子だったのだけど。
大人チームの投手を務めていた息子たちのチームの監督が、それまでの子どもに合わせた緩い球とは一変、全力投球し始めたのだった。
何しろ調子が良ければ120キロの人ですから。
この日も115キロくらい出ていたらしい。
一方、息子はせいぜいバッティングセンターで100キロを打つ程度。
当然、バットは空を切る。
さらに、そこに監督の一声。
「おい、この勝負、ファーボールはないからな」
つまり、四球を選んで塁に出るようなことはするなよ、というわけ。

ああ、なんと!
監督は、息子を相手に初めて真剣勝負を挑んでくださったのである。
もちろん、二死満塁で最後のバッターが息子、なんてお膳立て、普通に実現するわけもない。そこまでに、大人チームの捕手であるお父さんコーチが球をわざと落として振り逃げをセーフにさせたり、あれこれ細工をした末の、息子にとっては一世一代の大舞台、とうわけ。

勝負の結果はもちろん、空振り三振。
試合終了……。

ホームベースの前に整列した時、息子の目は真っ赤だったらしい。
チームメイトのほぼ全員が泣いた秋季大会準決勝の敗北の日にも、
多くの親子が涙ぐんだ、あの感動の送別会でも、
クラスの男の子たちが号泣したという学級の送別会でも、
どこでも泣かず、「なんか、ああいう場面で泣けないんだよなー」とうそぶき、そのくせ、「ああいう時って悲しくないわけ?」とか聞いちゃった私にはムッとして、「悲しくないわけないだろ」と黙りこくった息子が、

なんとなんとなんと。
最後の親子壮行試合で、泣いた、んだそうだ。
ずっとずっと一人で泣きじゃくっていたそうだ。
整列した時、監督は息子にこう言ってくださった。

「アメリカでも野球をやって、俺の球を打てるようになって帰って来い! 待ってるぞ」

あああ、なんと感動的なシーン。
見たかった、見たかったなあ。
めったに見られない息子の涙……。

私 「最後の最後に監督との真剣勝負だなんて、うーん、泣かせるねー」
夫 「ところがさ。あいつ、そういう理由で泣いたわけじゃなさそうでさ」
私 「は?」
夫 「泣きながら、『ちくしょー、監督のやつ、絶対に許せねえっ!』とか言ってた」
私 「……」

もしかしてそれって、ほかの子に緩い球を投げていたのに、自分にだけ最後に本気で投げたことに怒ってたってこと?

夫 「感動して泣いてたのではなく、むくれて泣いてたことだけは確かだなー」

があああああん。
9歳の息子には、男と男の真剣勝負なるものが、わからんのかねえ。
本気の球を投げてくれた監督の気持ちが、どんなにありがたいことなのか、わからないのねえ。

しばし脱力した後、思った。
ま、それも、あの子らしいのかもなー。

その後、息子はたくさんの大人たちから、監督の真意を聞かされ、「本気で投げてくれたのは、おまえを監督が認めてくれたからなんだぞ」などと説得もされたようだが、執念深い息子は、数日経った今なお、この時の話になるとムッとする。
自分にだけ監督が本気で投げたことへの文句はさすがにもう言わないが、「あの時だけ『ファーボールなし』なんてルールを突然勝手に決めたのは絶対におかしい」とのたまっている。

そんな息子の様子に、夫がぼそっと言った。
「あいつ、俺らが思ってた以上に負けず嫌いなのかも」

そうだね。
勝ちたい、と思う気持ちを、大事に大事に大きくなってごらん。
いつかきっと、監督がどんな思いで、あなたに本気の球を投げてくれたか分かるから。


ご連絡&感謝

9月26日朝10時ごろ(現地時間)、無事、家族でアメリカに到着しました。
今は月極めのアパートメントに一時的に暮らし、学校探しや家探しをこれから開始する予定。
未だ自宅にネット環境が整っておらず、おまけに、ネット環境を整えるのにしばらく時間が掛かりそうなので(涙)、とりあえず今日は、とある場所(ネット環境あり)から、これまで書きためたエントリーを一気にアップします。
渡米直後の右も左も分からない段階でのドタバタ話なので、数カ月後に読み返した時、「あーん、こんなバカなことやってたんだ、私。恥ずかしい!」と削除したくなるようなエントリーも出てくるのでしょうが、まあ格好つけても仕方ないので、正直に書いております。

退職や出国に際して、たくさんの応援や励ましをいただきましたことに、深く感謝いたします。
また、引っ越し前のバタバタで、コメントにお返事をまったくできない期間がありました。たぶんこれからもしばらくそうなります。
すみません!

最後の記事、か。茂山千作さんインタビュー

退職直前の、最後の記事が掲載されました。
9月21日金曜日付夕刊です。
10年間も続いている長寿連載企画「この国はどこへ行こうとしているのか」の1回で、インタビューしたのは狂言師の茂山千作さん。

こんな記事です

今回の記事は、音声ファイル付きでお届けしたかったです。
千作さん、1時間ちょっとのインタビュー時間の半分くらいは、一人で狂言を演じていたのじゃあないかしら。
話題が個々の演目に至ると、必ず、一人芝居で延々とセリフを語り続けるの。私もファンなものだから、ついつい、うっとりと聞いてしまっていて……。
インタビューが終わってみたら、生のセリフはむちゃくちゃ多かったけど、生の言葉はむちゃくちゃ少なかった。
いやはや、17年記者をやってても、こんなもんです。
とほほ。

あの笑いを文字で表現するのが何とも難しかった〜。
「はーーーーーーはーーーーはーーーーーーーーーーーーはははははは」
なんて、新聞記事じゃ、禁じ手ですよね。
力不足でございます。はい。

デスクからは、「おぐに、最後に何でも好きなことを書いていいぞ。退職前の卒業論文にしろ」と言われてました。
が、すでに千作さんのスケジュールは組み込まれていて、さらに、何かを書きたいかと考えたら、特に「卒業論文」などと構えて書きたい気分じゃなかったのでした。
それで、「私は毎回全力投球ですから、あえて最後だからって、力入れて卒業論文を書きたい、ってことないです」と断っちゃったのでした。

本当のことを言えば、とても卒業論文なんかを抱え込んだら、引っ越しと出国と退職準備を一気に片づけるなんてことは無理だ、と思ったのも大きな理由でした。
でもまあ、絶対に書いておきたいことがあったら、どんなに忙しくても書こうとしただろうから、やっぱり、「卒業論文」などとあらたまって書いてみたい、という気分ではなかったんだと思います。

「いつか、『あれをなぜ書いておかなかったんだろう』とか後悔するかなあ……」とも思ったけれど、まあ、そうなったら、その時はその時で、どこかのメディアを必死で探し出してでも、私は書いてしまうんでしょうから。

そんなこんなで、千作さんのインタビューが最後の記事となりました。
「この国はどこへ行こうとしているのか」には、私自身、色々な人を取り上げました。
田辺聖子さん、小田和正さん、なだいなださん、森毅さん、澤地久枝さん、大野晋さん、ダニエルカールさん、今は亡き詩人の宗左近さん……など。

小田和正さんの時みたいに、ヒリヒリする思いでインタビューをし、ぞくぞくする思いで記事を書いたこともあったけれど。

あるいは、宗左近さんの時みたいに、書きたいことや伝えたいことを、すっぽりと言葉にできた充実感を味わっこともあったけど。

今回の千作さんのインタビューはむしろ、たぶん、インタビューそのものは「失敗」に近く、「だって、色々質問するより、千作さんの声や、笑いを聞いてるほうが楽しかったんだもーん」という本音もあったりして、いわゆる重厚な「卒業論文」にはほど遠かったと思います。

でもねえ。
私は案外、自分らしかったかな、という気もしてます。
もったいつけず、下手に凝らず、できるだけ素直な文章で、「卒業論文」などとうたわずに、それでも書くことに前向きでいたい気持ちを盛り込むことができたから。

職場では、「いやはや、最後がこんな脳天気な原稿ですんません」などととぼけちゃってますが。

……そんなわけで、明日は引っ越し。
部屋の中は……歩けません。
しばしブログ更新は休憩。
次の更新は、アメリカ発、の予定。

(家はまだ決まってないので、とりあえずはマンスリーマンション暮らしとなります。ネット環境とか、どんな感じかなあ。いつまでたっても全然、ブログが更新されない時は、「あーあ、おぐにはネット音痴だから仕方ないよね」とあきれてくださいませ)

明日から引っ越し

「明日は」ではなく、「明日から」なのです。
そう。
2日に渡る引っ越し予定です。
「1日じゃ、とても無理そうですね」と業者さんに言われてしまったもので。どうなることやら……。

職場の上司・同僚の皆様方のご厚意で、あれこれと仕事を外していただけたものの、結局は退職手続きだの、住所変更手続きだの、あっちこっちに行っては判子を押したり、名前を書いたり、そんなことをしているうちに2週間などあっと言う間に過ぎ去ってしまったのでした。

職場から完全に荷物を引き揚げたのが20日木曜日。
21日はあれこれ用事があり、結局、本格的に動き始めたのは本日。
で、明日から引っ越し。
うーむ。
こんなことでいいんだろうか。
おまけに、時間を惜しんで、こんなエントリーを書いている私って???

前回の引っ越しは、まだ息子が生まれて3カ月。
息子の思い出の荷物なんて、ほとんど何一つなかった。
今回は違う。
息子のドロドロに汚れた学校のお道具箱を開けては胸が詰まり、
「もういらないのよね」と捨て掛けた手を止め、まじまじと体操着を眺めてはホロホロと泣き、
息子がお友達からいただいたお餞別の細々したものを、「ああ、整理がつかないわ!」とため息をつきつつも、何度も何度も愛でてしまったり……。

なんだか、泣き笑いの引っ越し作業なのです。

息子は、お友達のおうちに初のお泊まり体験。
ちょっと不安げに今朝、「行ってきまーす……」
親が引っ越し作業をしている明日には、最後の野球の練習に参加する予定。帰ってきたら、家がガランとしてて、びっくりするだろうなあ。

(明日の夕方、ちゃんと、ガラン……と片づいてくれているだろうか。それも不安)

最後のピアノレッスン

とうとう、この日が来てしまいました。
最後のピアノレッスン。
大好きな大好きな木曽センセともお別れです。

引っ越しに追われ、気持ちはささくれ立っていて、ちっともピアノの前に座れませんでした。引っ越しを前にやらねばならないことは山積していて、とても家族の前でピアノを弾けるわけもなく、今朝は朝5時に起きて練習をしました。
が、数時間でベートーヴェンがなんとかなるわけもなく。

バッハは大好きなシンフォニアの一曲を。
弾き終わると、木曽センセに、「あらためて思いますが、おぐにさんは本当に雰囲気のある演奏のできる方ですねえ。今回のはとても素敵でした」と久しぶりにほめてもらったのだった。
ま、最後なので、ほめ言葉の大盤振る舞い、というわけだろう。

もちろん、それだけで終わるわけはなく、「……でも、もっと欲を言えば……」とご指導が始まるわけだけど。

木曽センセは言った。
「伝えたいことを音で表現するために、おぐにさんにもっとほしいのは、何種類もの音色を引き分けるタッチを研究することです。でも、そのためにはいいピアノがやはり必要です。電子ピアノでは限界があります。アメリカに行って、ちゃんとピアノを選んだら、ゆっくりと時間を取って、しっかりとタッチを研究してみてください」

たぶん、木曽センセはずっと思ってきたんだろうな。
でも、我が家では電子ピアノ以外の選択肢はなかったから、言っても仕方ないと思って、あえてこれまで口にされなかったんだろう。
新しい街で、新しいピアノと出会って、新しい音色を探して……。
そんな風にまた、アメリカでもピアノを習えればいいなあ。

そうそう、米国に行くに際して、木曽センセからこんな助言も。
「アメリカの人は、何というか、早く弾けて、音が大きければ、それで良し、というようなおおざっぱなところがあるので……」
「ロシアにピアノの勉強に行った時、アメリカから来た人の演奏に『ええっ! こんなので本当にいいの?』と仰天させられました。16分音符なんて崩れてるし、ちっとも指なんか回ってないのに、本人はすっかり弾けた気になって……おまけに、完全に自分の演奏に酔ってるの」
「まあ、おもしろいといえばおもしろいんですけどねえ」

……それ、まずいかも。
誰かに似てるじゃん。
指が動かないくせに、ちっとも弾けてないくせに、自分で自分の演奏にすっかり酔ってるって……。

それ、私そのものじゃん。

まあ、それはそれとして。
肝心のベートーヴェンは、やはり散々だった。
木曽センセも、別に最後だからといって、甘い言葉をかけてくださるわけもなく。

「ど、どうしちゃったんですか? 別人みたいに」
と言われてしまった。
く〜っ。くやしーっ!

思うに、ロンド形式ABACABAのうち、まず主題Aの部分からして、きちんと歌いきれてない気がする。Cの音が沈んでしまう。
最後のコーダ部分、何となく気持ちの持って行き方が見えかけてるんだけどなあ。
天空の城ラピュタの台風の目に突っ込む前のような感じで……。
うーん、思う存分、いいピアノで練習したい!
松尾楽器商会のスタンウェイのフルコンを弾きたい。

……と思うんだけど。
現実はキビシー。
引っ越しまで1週間を切ってしまいました。とほほ。

木曽センセ曰く、

「おぐにさんは、ロマン派以降がいいですね。モーツァルトやベートーヴェンはやっぱり苦手なんですねえ。でも発表会の後、モーツァルトとベートーヴェンを練習して、すごく勉強になったでしょう?」

「でも。新しいピアノの先生に持って行く曲、どうしましょうかねえ……。やっぱりベートーヴェンやモーツァルトは隠しておいて、この前の発表会のにしますか。リストをもう一度発表会の時のレベルまで持ち上げるのは大変なので、グラナドスのほうにしますかぁ」

ということで、大好きなベートーヴェン悲愴第三楽章は、志半ばでいったん休憩。
あとはアメリカでリベンジすることにします。
漫画やドラマなら、最後のレッスンの日に音楽の神さまが下りてきて、「おぐにさんっ! 信じられない! なんて素晴らしい演奏」とかいう話になるんでしょうが、現実はそう甘くなかった、というわけでした。
ちゃんちゃん。

秋の根津神社大祭

この週末、近所の根津神社の大祭がありました。
町会ごとに神輿が出て、2日間、町内を練り歩きます。
息子も子ども神輿に参加しました。
昔は幼児向けの神輿の綱を引っ張る程度だったのに、今回は本格的に肩で担いで、汗びっしょりでした。

夕方、親子で引っ越しの買い物に出かけようとしたら、私たちの住んでる町会の2つの神輿(大人の。一つは女神輿)が、並んでやってきました。

担ぎ手の顔をながめていたら……。
あらら、あれは、息子の同級生の八百屋のお父さん!
あ、お母さんの女神輿を担いでる!
あ、あっちにも知り合いが!

向こうもこちらを見つけ、「おぐにさん、担いでいきなよ!」と引きずり込まれかけました。祭りは大好きなので、実は乱入したかったのだけど、引っ越し準備に追われてる身としては、あきらめるしかありませんでした。
残念!

祭りの喧噪を背に、親子で駅を目指しました。
息子相手に、何となしに

「9年前、この街に越してきた時には、知り合いも誰もいなくて、お祭りなんかも傍観者だったのにね……」

などと言い始めたら、不覚にも、鼻の奥がツンとして、しばし黙りこくってしまったのでした。
口に出すと泣き出しそうで、心の中だけで言葉を選びました。

「この街にとけ込めたのも、実はあんたのお陰なんだよね。学校の友達、野球の友だちを通して、母ちゃんも父ちゃんも、この街と知り合えたんだ。きっとアメリカでも大丈夫。母ちゃんは、一人でなく、あるいは夫婦だけでもなく、あんたと一緒に新しい街に行けることをうれしく思うよ」

最後の小学校保護者会

「日本最後の」シリーズが続きます。ははは。
本日は、息子の小学校の保護者会。
議題は夏休みのもろもろ。

夏休みの宿題について、何かご意見は? と聞かれたので、ついつい最後に言っちゃった。

「漢字ドリルの漢字を10回ずつ写させる、というのは不条理に挑む根性を付けるには格好の宿題と思ったんですけど、単に漢字の習得だけを考えるなら、10回ではなく、1回ずつ5ターン書かせたほうが、覚えやすいんじゃないでしょうか?」

「読書感想文は1200字以上、と指定されてましたが、低学年の場合は、○○字以上、という条件をつけないほうがいい気がしました。長く書くことばかりを目的にしてしまうし、文章を書くのが嫌いになっちゃうんじゃないかしら」

ところがところが!!
先生曰く、

「……いや、僕は1200字以下、と言ったんですけど」

へ?
それってうちの息子の完全な勘違い?

思わず、「すみません〜!!! 結局うちの息子がばかものでした〜」と謝ったら、そばでママ仲間が、「おぐにさん、親向けのプリントにも1200字以下と書いてあったわよー」だって。

「すみませ〜〜ん! 親子でばかものでした〜」

ひたすら恥をかき、謝ったのでありました。あーあ。

先生も、「だから息子さんの感想文だけ無茶苦茶長かったんですか〜。わっはっは」だと。
冷や汗。

皆さんに最後はお別れのご挨拶をして帰りました。
退学届けも記入しました。
息子の小学校も、あと1週間です。

引っ越し見積もり、そして……

ブログにたくさんのコメントをありがとうございます。
目の前の仕事と、引っ越し準備と、息子のケアとに忙殺され、
とりあえず、新しいエントリーを書き殴るだけで精一杯。
コメントのお返事をしばらくは書けないかも。
ほんと、すみません。

ところで、いよいよ引っ越しも秒読みです。
昨日は、我が家に引っ越し業者の方が見積もりに来ました。
部屋を見てしばらくして、業者さんが一言。
「……2LDKと聞いてたのですが、間取りのわりにものすごくたくさんの物を詰め込んでおられますねえ!」

思わず出てしまった本音、という感じでした。
独身時代、6畳一間のアパートに住んでたころから、引っ越しのたびに言われるのがこの一言です。
「ほ、ほんとにこの部屋に、これだけの荷物が入ってたんですかぁ?」

物を捨てられない。
片づけられない私。
片づけはできるけれど、単に 「見えないところに突っ込む」 だけの夫。
この取り合わせは、引っ越しには最悪ですねー。

で、本日はマンション購入をご検討されている方がお一方、我が部屋に見に来られました。
引っ越しの最中に、美しい部屋を見せるなんて絶対に不可能だから、
せめても……と部屋中の電気を付けました。
不動産会社の担当の方から、「部屋を明るく見せるため、部屋中の電気をつけておいてください」と助言されたもので。

ところがところが。
まさにお客さんが来られている最中に、
「ただいま〜」
帰って来ちゃったよ、我が息子。
おまけに友だちまで連れている。
2人して濡れた靴下でずかずか上がり、磨いたばかりのフローリングにしゃがみこみ、息子がここで一言。

「あれ、母ちゃん。

どうして今日は、電気が全部ついてるの???」


立ち会っていた不動産会社の担当者は一瞬顔をひきつらせ、私は息子の一言が聞こえなかったふりをした。
まいった、まいった。

マンションを売るためには、せめて部屋を清潔に、とかよく聞きますが、その前に、「子どもを口封じ」というのがあったわね。
盲点でした……。

野球ママの一番長い日・3

(「野球ママの一番長い日・3」は、この2つ前のエントリーである1から順番にお読みください…)

壮行会が終わり、阪神が10連勝を決めたすごい阪神巨人戦のテレビ中継も見終わり、さあ、お休み、と部屋の電気を消したところから、とうとう、それは始まってしまったのだった。

「アメリカに行くのはやっぱり嫌だ」

息子がしゃくりあげた。
「アメリカに行きたくない」
「肉ばっかり食べてる国なんかに行くのは嫌だ」
「アメリカなんか嫌いだ」

きちんと言葉にさせてみたくて、息子に問うてみた。
「どうして行きたくないの? あんたは何がしたいの?」

そしたら、息子はようやくこう言った。
「日本で……野球を続けたい。みんなと野球をやりたい」
言い終わると、延々と1時間以上、号泣したのだった。

まったく。
壮行会ではまるで他人事のような顔をしていたくせに。
試合に負けて仲間ほぼ全員が泣いてる時だって、一緒に泣いたりしなかったくせに。
ここで泣くかよ。
でも、そういうところが、いかにも息子らしいのだった。

号泣しながら、
「もっと日本で試合に出たかった」
「日本だったらホームランを打てる気がするけど、アメリカじゃ無理だ」
「だいたい、どうして父ちゃんはアメリカに行くような仕事をしてるんだっ!」
「父ちゃんは勝手だ」

……などと、理の通った抗議から、理不尽な抵抗まで、あれこれ口にした後、最後の最後に息子は震えるように、ただただ、こう言って泣いた。

「怖いよー。怖いよー」

ほんとだよな。
母ちゃんだって怖いもの。
日本のお友達にさよならして、仕事も辞めて、知らない国で、不自由な言葉で、どうやって暮らすんだろう、って。
日頃は一番楽しみな顔してる母ちゃんだって、本当は怖いよ。
でも、あんたの怖さは、母ちゃんの比じゃないよな。
何十倍も、何百倍も、怖いよな。

「試合のたびにガチガチに緊張して、バットすら満足に振れなかったあんたが、この2年で、3試合を完投できるまでに成長したんだ。野球がうまくなっただけじゃない、身体も、気持ちも、本当にあんたは強くなったと思う。だから、絶対に大丈夫。あんたなら、たぶん、乗り越えるよ」

心を込めて言ったけれども、まあ、息子には気休めにしか聞こえなかっただろうなあ。
これまで「アメリカに行きたくない」とブツブツ文句を言う程度だった息子が、いつ爆発するか、ある程度覚悟はしていたけれど、とうとう来たか、という感じ。
まあ、渡米までに爆発できて、本当によかったと思う。

それにね。
私は小学4年生で転校したのだけれど、転校が嫌だったって記憶が一つもない。
それより、長屋暮らしから、一戸建てへ、家が広くなることや、自分だけの部屋が持てることがやたらうれしかった。
泣くほど別れたくない友だちもいなかったのかもしれない。
泣くほど失いたくない仲間や、居場所も、なかったのかもしれない。

息子は小学3年生で、泣くほど失いたくない仲間と、居場所を得られたんだなあ。
それは本当に本当にすごいことだ。

野球ママの一番長い日・2

試合から数時間後、今度は、野球部の皆さんに壮行会を開いていただいた。
低学年チームの親子20人程度の飲み会をよく私自身が幹事として企画したものだけれど、今回はふたを空けてみれば、なんと60人!!!
高学年チームの子どもたちや親御さんも駆けつけてくださったのだった。

指導者の皆さんが一人ひとり太一の思い出を語ってくださった。
みな、「まさか3試合すべてを一人で完投するなんてすごい」とほめてくださった。
親の知らない息子の姿を、一人ひとりの地域の大人の方々が、見出し、大事にしてくださっていたことに、あらためて心から感謝した。

1年生の時から息子に色々教えてくださったコーチは、うちの息子の成長を本当に頼もしく思っていたのだと、その気持ちをどうにか表したいと、インターネットと電話を駆使して、休日休業の多い中、銅メダルを買える店をどうにか探し出し、息子のために今大会の銅メダルを特別に作ってくださった。
(この大会、正式なメダルは金と銀しかないのです)。

「おとなしいし、自己主張しないし、引っ込み思案ですからねえ。スポーツを教える側には、一番難しいタイプです」と息子のことを評していた監督は、「アメリカに行ったらこれを使え」と、硬球用の素敵なグローブをプレゼントしてくれた。

太一が投手として出場した試合のスコアをコピーしてファイルにしてくださっていたり、試合の写真を大きく焼いてくださっていたり、いったい、いつの間にこんな素敵な壮行会を準備してくださったのか。
あらためて、親子で地域に育ててもらったなあ、と実感したのだった。

仕事上、子育てをテーマにした講演をする立場にある私。
いつも必ず言うのが、「子どもは親だけで育てちゃいけない」ってこと。
なぜなら、「親にしかできないこともあれば、親だからできないこともある」から。
親や学校の先生以外に、心を開ける大人の相手が何人いるか。
そういったことが、特に思春期の子どもにはとても意味を持つんだと思う。
だから私は、息子をこの野球チームに全面的に預けた。
私は私で、息子以外の、チームの子どもたちの面倒を見たり、応援したり、時には成長を一緒に喜んだり、泣いたりするのが本当に楽しかった。
もちろん、時にはチームの上下関係の中で、ちょっぴり悪いことなんかも覚えて帰ってきます。でも、今みたいな時代には、悪いことをそそのかす大人や先輩が少々子どもの周囲にいるくらいのほうが、子どもには幸せだと思ってしまう。
だって、善悪を教える大人ばかりが多すぎるんだもの!

最後の挨拶で、監督が息子に言ってくださった。
「どこへいこうと、おまえはこのチームの一員なんだ。それを忘れるな。おまえの背番号は誰が何を言おうと、何があろうと、絶対に空けておく。空けて待ってる。もしも帰って来られなかったとしてもだ」
夫がこっそり耳打ちした。
「小学3年生でこんなすごい体験ができるなんて、本当によかったよな。すごい試合だったし、すごい仲間だもんな」

ええ、本当に。
だからこそ、本当に別れがたい。
親だって、こんな風なのだもの。
きっと息子は、泣かないし、無表情だけれど、もっと悔しい思いをしてるんだろうな。

野球ママの一番長い日・1

朝7時半起床。まずは家族3人分のオニギリを握る。家族を起こす。
そう。今日は少年野球秋季大会(新人戦)の準決勝。
準決勝……良い響きですねえ。
これまで1回戦負けしか経験がないもんだから、一つ勝ったら、また試合ができる、ってことすら、なんとも新鮮なんだなあ!

前日に先発完投し、107球を投げている息子。
監督が「明日は4年生に先発させる」と言ってた話まで漏れ伝わっていたので、なんだか気楽な朝。たぶん、サードか何かを守るんだろうな、と。
夫と息子に先に集合場所に行かせ、私はその間にちょっとだけ引っ越し作業などして、のんびりグラウンドへ。

ところがところが。
別の試合をやっているグラウンドの片隅で、投球練習しているのは……先発予定といわれていた4年生と息子ら3年生投手3人の計4人。
あれれ、継投プランには入っちゃってるのか。
「大丈夫かなあ。肩や肘が痛くなければ良いんだけど」

さらにスタメン発表時に、びっくり。
は? また息子が先発?
思わず顔がこわばる。連騰はやっぱ、まずいんじゃないだろか。
心配そうな夫が近付いてきて、「今、監督に聞いたけど、肩や肘の調子も大丈夫そうだから1イニングだけ投げさせて交代させる、って話らしいよ」。
……どうなることやら。

さてさて、今回のお相手は文京区内でもたぶん3本の指に入るチーム。
低学年、高学年の両チームとも優勝、準優勝の常連なのです。
このお相手チーム、グラウンドにやってきたかと思うと、我々弱小チームなんかに目もくれず、準決勝第一戦目の試合をじっとにらみ、勝敗の行方を見定めると、「俺たちが決勝で戦うのは、あいつらかあ……」だって。
おいおいおい!!
ちょっと! 今日の相手を忘れてるんじゃないの!

でもそうなのである。
息子のチームは、たぶん大会組み合わせ抽選のたび、「あいつらが相手か、ラクショーラクショー」などと言われていたはずのチームだ。
ほんの数カ月前まで、目標は 「内野ゴロをアウトにすること」。
フライを捕れる子はほとんどいなかったし、ゴロが転がればトンネル。ようやく捕れたかと思えば、今度は送球がとんでもない方向へ。
第一、うちの息子はものすごい緊張性で、試合になると練習の半分の実力も出せないタイプ。試合になると足が動かず、守備範囲がとんでもなく狭くなっちゃうのだ。

だから今回、準決勝の目標は、私の中では「もう一勝」ではなく、「せめて10点ルール適用だけは免れて!」だった。
10点ルールというのは少年野球独特の決まりで、1イニングで10点を取ると、自動的にチェンジになる、というもの。あまりに一方的な試合で、いっこうに3アウトを取れない場合に適用されるというわけ。
実は息子のチームは過去に何度もこの「10点ルール」のお世話になっている。
でも、この日は、息子の日本最後の公式戦だから、惨めな試合だけは見たくないな、と思ったのだった。

いよいよプレイボール。
今回は、後攻め。息子はマウンドへ。息子の親友は今回もキャッチャーマスクを被る。
プレイボール。
相手チームのバッターは打つ気満々。
いきなり息子の初球を高々と……ピッチャーフライ。
これを息子がきちんと捕ってワンナウト。
おおおおおおお!!! どよめく我がベンチ。

しかし、次が四球。一塁ランナーの盗塁を刺そうと、キャッチャーが二塁に送球するも、これをセカンドが後逸。ランナーは余裕で三塁へ。
一死三塁から、さらに息子の暴投で、あっさり1点を失ってしまった。
が、ここからがビックリ。
キャッチャーフライ、そしてサードフライ。手堅く捕って3アウトチェンジ。

親の気持ちとしては、1点取られたことよりも、打者が4人でチェンジになったことのほうに感動。初回を4人で抑えたのって、初めてじゃないかな。
ベンチであるコーチがぽろりと一言。
「おおお、野球になってるぞ!」
いやはや。みな、そんな気分だったのです。
強豪相手に、いい守備してんじゃん!と。

さて、次はこちらの攻撃。
息子はセカンドゴロ、2番の子がショートゴロ、3番の子は4球連続ボールで四球。二死一塁のチャンスでキャプテンが左前打。さらに盗塁を絡め、二死二、三塁。ここで息子の親友で、前々回の試合で本塁打を打ったキャッチャー君が登場。レフトへ適時打を飛ばし、1点を返した。
次は三振だったけど、おおお、なんと同点だぜっ!
おまけに、次の回の守備では、2者連続四球で一時は無死二、三塁の大ピンチを招いたものの、2三振とショートゴロでスリーアウト。0点に抑えて見せた。
一方、こちらの攻撃は下位打線で2人が三振に取られるも、息子ら2人がそれぞれ内野安打で出塁し、勝ち越しのチャンス!!

ところがところが……。
やっぱり相手チームはむちゃくちゃうまい。
わざと失敗に見せかけ、盗塁を誘い、それを見事刺す、というトリックまがいのプレーであっさり二塁ランナーが刺されて、こちらも0点。

ベンチは驚くほどの盛り上がり。
だってだって、ワンサイドゲームを密かに覚悟していた親たちだったのだもの。
それが、互角に、いや、安打数でいえば勝ってるじゃないかっ!
「勝つぞ! みんなで勝つぞ!」
監督の声に、子どもたちが小さな闘士みたいに目をキラキラさせてる。
驚いた。
子どもって、試合の中で成長していくもんなんだ。

3回表の守備では、四球の後、2アウトから内野安打が外野にまで抜けてしまって、1点を追加されたけれど、そこから大きく崩れることもなく、1−2。
相手チームはここでピッチャーを替えてきた。
もちろん4年生。上背はあるし、結構速い。こりゃ、2年生じゃ打てないな。息子たち3年生で頑張るしかない。
この前初ヒットを打った3年の女の子が残念ながら三振。次に四球を選んで出た次のランナーが、一塁牽制で刺され(これは多くの人が「あれはセーフだった」と言うのだけれど、まあ、審判は絶対ですから、仕方ないよね)、次のキャプテンも三振。
うーん、このピッチャー、下位打線じゃ打てないかも。

そして迎えた最終回4回表。
ここで追加点を与えたら、もう逆転のチャンスはない。

息子はマウンドへ。
ふと思う。息子は本当に大丈夫なんだろうか?
いざとなったら、自分で「肘が痛いから替えて」とか言える子なんだろうか?
でも、ピッチングを見る限り、間違いなく前日の試合より調子がいい。球も走っている。高めに抜ける球がほとんどない。
どうやら監督やコーチたちが試合前に助言してくれたのが効いているらしい。
チームの一人ひとりが試合の途中でどんどん変貌を遂げているように、息子もまた、マウンドの上でぐんぐん成長しているのかも。

最初のバッターはまたしても四球。
さらにこのランナーが盗塁し、無死二塁。
ところが走者が三塁を盗もうとしたところを、見事捕手が三塁に投げ、余裕のタッチアウト!
この時のベンチの盛り上がり振りをなんて言えばいいんだろう。
ほんの数カ月前まで、自慢じゃないが、盗塁を刺すどころか、怖くて投げられなかった。投げても捕ってもらえないから。外野に抜けて、さらに走られるのがオチだったから。
それが、とうとう盗塁を刺すまでに成長したのねえ。
これでワンナウト。
次は三振でツーアウト。
前日の試合は、最終回ツーアウトからなんと5点も取られたんだっけ。
でも今回は頑張った。
セカンドゴロを、二塁手がたぶん初めて上手にさばいて、スリーアウト!!!

「さあ、逆転だっ!」
盛り上がるベンチ。
とりあえず、もう息子が投げることはないだろう、とひそかに安堵する私。
最終回の攻撃では、昨日、今日とずっと三振だった女の子が、ここぞというところで一番のセンター返しを打って、ベンチを興奮のるつぼに叩き込んだわけだけれど、あとが続かず、ゲームセット。

終わってみれば、1−2の好ゲーム。
息子の投球数も62球と、一回戦のほぼ半分。本当に締まった試合でした。長打は1本もなし。被安打1。バットに当てられても、なぜかボールはすべて内野フライ。
相手の監督が試合中、ファウルを打った子どもたちに 「大丈夫だ、当たるぞ! 当たってるぞ!」と励ますのを聞いた時は、「おおお、息子もこんなことを言ってもらえるようになったのか」と内心、じーんときたのでした。

悔しい結果だったけれど、監督は言いました。
「おまえら、ほんと、良くやったよ。すごい試合だったよ。な、俺らだってやればできるんだよ。負けて悔しいだろ。悔しいと思えるくらい、おまえらは本当によく闘ったんだよ!」
もらい泣きする親数人。
でもこれまでは、勝っても負けても涙ぐむのは親ばかりだったのに。
今日は違った。
子どもたちがみな、しゃくり上げてるのだった。
うつむいたまま、顔を上げられない子。
声を上げて泣いてる子。
初めて、本気で悔しいと思えた試合だったのかもしれない。

ほぼ全員が泣いていた……。
というか正確に言えば、例外は、試合に出られなかった補欠の子と、それから息子だけ。
そうなのだ。
息子はこういう時、絶対に泣き顔を見せない。
わざと平然とした顔をする。
悔しくないはずないのになあ。

最終回の攻撃は、息子の打席の前で終わった。
ネクストバッターサークルの中で、彼は何を考えていたんだろう。
あんなに気弱で、根性なしだった息子が、いつの間にか、自分のバットを信じて、自分で決勝点を挙げるつもりで、バットを振っていたのだと思う。

日本最後の公式戦は、確かに負け試合かも知れないけれど、私がこれまで見た中では最高の試合だった。


今日も恐ろしく怖い試合だった……

先日、息子の少年野球の秋季大会で1回戦を見事突破した話は書きましたが……。
なにしろ初勝利だったので、うっかりしてたんです。
1回戦を勝てば、2回戦があるのですねえ。

ということで、本日は2回戦。
相手チームはたぶん、1回戦の相手よりは弱いチーム。はっきり言えば、うちとトントンか、あるいはベストメンバーで臨めるならば、うちほうが弱冠上手いのではないか、と思われる相手だったのでした。
ということで、親のほうは密かに勝つ気満々。
しかし、思わぬ落とし穴があちこちに空いていたのでした。

まず、チーム一のファイターで、捕手の3年生 (息子の大親友)が、グラウンドまで自転車で走ってるうちに暑さでダウン。吐き気、頭痛を訴え、しばし安静に。
仕方なく、先発から外し、試合開始。
息子は前回に引き続き先発。
主将はジャンケンに負けるも、相手が後攻を選んだお陰で、先攻に決定。こっちは先攻のほうが好きなので、ラッキー!

1回に、1番の息子が四球で出塁した後、2番の女の子がなんと初ヒット! それも2塁打!
彼女がどんなに一生懸命に練習してたか、みんな知ってるからね。それでも打てなくて、みんなでやきもきして、初ヒットを夢見て……。
だから、もう、1回攻撃ですでに、一部のお母さんたち (私を含む)は涙目に……。

この回3点を先取。相手に2点返されるも、2回でも3点を取り、相手に2点返され、2回が終わって6−4。
プロ野球ならともかく、少年野球の2点差なんて、ほとんど同点と同じなわけで、まだまだ安心できません。

3回の攻撃。2年生がデッドボールで無死一塁。
ここから、体調不良から復活した息子の親友がまず打ち、これを2年生が適時打で返し、息子も二塁打で久しぶりの打点。さらに初ヒットを打った少女がさらに適時打で息子を返し、主将がセンター越えヒットで2人返し、打者一巡の攻撃で6点を獲得。
12−4と突き放したのでした。

子どもたちもお母さんたちも、ほとんど勝利したかのような喜びぶり。しかし監督はものすごく冷静で、「いやだなあ、流れはまだ向こうにある。気を付けないとやられるぞ」。
実際、監督の予言した通りになったのでした……。

最終回(少年野球は時間制限があるので、今回は3回が最終回)の裏。
向こうは当たっている「エースで4番」君。
これを間一髪ギリギリでサードゴロに取り、なんだかんだとツーアウトを取ったわけですが。
ここからがきつかった〜。

まず、四球。
次はファーストゴロに打ち取ったはずが、エラー絡みで出塁。
さらに四球。死球。内野エラー。内野エラー、死球……。
ひえええええええええ!!!
気付けば、おいおい、1点差で、二死2、3塁の大ピンチ!!
逆転のランナーまで2塁にいるじゃん。

炎天下、100球投げてる息子は、マウンドの上で朦朧とした表情。あかん、完全に限界。
数時間前、頭痛と吐き気で倒れてたキャッチャーのほうも、さすがに疲れの色が見える。
いやだなあ、これってサヨナラ負けのパターン?

二死2、3塁で次のバッターに初球ボール。
ストライク。
ボール。
空振り。
あああ、2ストライクだ。追い込んでるんだ。
母ちゃんは叫びました。
「頑張れ! 踏ん張れ! みんなで勝とうよ!!!」

最後は空振り三振でした。
今度はちゃんと、マウンドの息子のガッツポーズも見ました。
それから、親友のキャッチャーと抱き合うところも。
気が強いので有名な女の子が、汗と一緒に目尻をぬぐってました。
お母さんたちも、この展開に大喜び。
なんともなんともすごい試合だったのでした。

私は……ただただ、疲れました。
炎天下で107球投げた息子の投球は、三振6つ。
四球も6つ。
そして……死球が3つ。
被安打3本。
まったく。よくぶつけたもんだわ。

12−11。
2回戦突破。
明日は3回戦です。
我が家の引っ越し準備計画は大幅に狂っております。
いつ、大掃除ができるんだろう。
こういうのを、うれしい悲鳴、というのね。



日本最後の東京ドーム

家族3人で7日の阪神巨人戦を東京ドームに見に行きました。
日本最後の東京ドーム、というわけです。

首位攻防戦を阪神と巨人が戦うなんて、最高のシチュエーションだよなあ、と感動。
おまけに7本塁打も打たれながら、確実にバントを決め、代打桧山が決勝打。ああ、なんて素敵。

気付けば、隣の見知らぬ男たちとハイタッチ!
阪神はシーズン初の8連勝。
なんと最高の試合!

日本最後のプロ野球観戦が、こんなすごい試合であったことに感動。
「明日はあんたの番や。阪神8連勝の勢いで、あんたらが勝たなあかんで!」と大阪弁で息子に喝を入れる私なのでありました。