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今年も最後の関門は読書感想文

今夜は、息子の読書感想文。
昨年のドタバタに続き、今年も夏休みの宿題の最終関門、なのだ。

おまけに今年は、なんと「1200字以上」の条件付き。
読書好きの女の子たちにとっては、何てことのない宿題なんだろうが、文章書くのが大嫌いで、特に「自分の考え」や「自分の思い」を文章にすることが何より大嫌いな息子には、苦行以外の何ものでもないようで……。

「1200字以上なんて大変そうだし、原稿用紙2枚書いて、3枚目は絵でも描けば」などと助言してみたんだけれど、根が真面目な息子は 「そんなことしちゃ、ダメなんだよ!」と言い張る。
まじめだなあ~。

読書感想文が死ぬほど苦手な息子は 「こればっかりは自力じゃ無理。母ちゃんに去年みたいに色々アドバイスしてほしい!」と真剣に頼みこんでくるし。
正直な話、私のほうも、息子の宿題をネタに読書感想文の書き方を子どもに教えるのが決して嫌いじゃないのだ。
というか趣味なのだ。
子どもの反応って面白いし。

ただし、息子が将来、文章を書くのが嫌いになったら、私のせいだろーな、とは思うけど。
親が喜んで子どもに熱心に教えることを、子どもが好きになることって、実はあんまりないんだよねー。

ところで。
今年の夏、私は息子に1冊の絵本をプレゼントした。
「かわいそうなぞう」。
昔は小学2年生の教科書に載ってたし、この話を知らない小学生なんてまずいなかったのに……。最近は、この話を知らない子が結構いるのね。息子も、そういった現代っ子の一人なのだった。
名付けて、「かわいそうなぞうを読もうキャンペーン」。

息子にこの絵本を与えた時、「読書感想文は別に自分の好きな本で書いていいからね。母ちゃんはただ、この夏に、あなたにこの1冊だけは読んでほしい、と思って、この本を買ってきただけなんだから」と伝えたのだった。
無理強いはしたくなかったので。
いや、普段は図書館でしか本を借りてこない母親が、珍しく本を新たに購入し、おまけに、「この1冊だけは読んでくれ」 というなんて、もう十分に「無理強い」なんだろうけどさ。

案の定、息子は結局、感想文を書く段になって、この本を選んだのだった。

息子にとって、読書感想文は最初の書き出しが難しいらしい。最初の一文にウンウンと悩んで、一行も書かないうちに嫌になってやめてしまうのが常なのだ。
だから、今回は、こんな助言から入ってみた。

母 「なぜこの本を読むことになったか、という辺りから入るのが書きやすいと思うよ」
息子「どういうこと?」
母 「だから、今回だったら、母ちゃんが 『ほの本だけは読んでほしい』と言ったから、これを読んだわけじゃない? そこから書き出したらいいんじゃない?」

で、息子の書いた書き出しはこれ。

夏休みに入って、お母さんが言いました。
「この夏、この本だけは、読んでほしいの」。
その本が、この「かわいそうなぞう」でした。


カギ括弧の中の私のセリフは、私が吹き込んだ。
だって、うふん、若い男性担任教師が相手ですもの。
「~読んでほしいの」という、ちょっと気取った語尾が良いかな、と思って。ふふふ。

そして、次は、

母 「この本がどんな本だったか、簡単に書いてごらん。これは2年生の時に感想文を書いたのと同じやり方だから」
息子「やってみる!」

この本は、せんそうでぞうがころされてしまうお話です。せんそうで、おりががこわされたら、ぞうが町に出て、あばれだしてしまうので、しょうがなく、しいくがかりがぞうをころしてしまったのです。

「おりががこわされたら」とあるのはなぜかなあ。
「おり」ではなく、「おりが」という名詞だと思ってるんだろうなあ、我が息子。
幼き日、よく、蚊に刺されるたび、「カニに刺された」と言ってたことを懐かしく思い出し、全然成長してないなあ、と笑ってしまったのだった。

さて、ここまででまだわずか半ページ。
まだ目標の6分の1だ。

息子「もう、これ以上、何を書いていいかわかんない!」
母 「とりあえず、『一番心に残った場面は……』と言う感じで、自分で場面を選んで、それを説明してみたら?」

息子が選んだ場面は、これだった。

一番心に、のこったのは、ぞうがエサをもらおうとしてげいとうをした場面です。

だよなあ。
やっぱ、このシーンだよなあ。

母 「よし。そしたら、その場面を読んでどう思ったのか、それを自分で考えて書いてごらん。『かわいそう』とか『かんどうしました』とか、そういう当たり前のことでなくて、素直に自分で思ったことを書けばいいんだからね」

段々と疲れてくる息子。
私に文章を隠しながら、どうにか書いた一文がこれ。

その場面についてぼくは、「そのぞうは、頭がいいなー」と思いました。なぜならば、むかしのことを思い出してげいとうをやれるからです。
それで、えさをもらえた時、「そのかかり員はやさしいな」と思いました。


うむむ。
言いたいことは分かる。
が、表現しきれてないなあ。
ま、いっか。

だいたい、この子、「動物を殺せ」と命令したのが誰なのか、分かってるんだろうか。
ちょっとそのあたりが不安になって、息子に聞いてみる。

母 「動物を殺せ、って命令したのは誰か知ってる?」
息子「動物園の園長さんでしょ?」
母 「違うんだよ。動物園の園長さんだって、動物が好きで始めた仕事だもん。殺したくなかったんだよ」

ここまでしゃべっただけで、感極まって、涙ぐむ私。
あかん。
どうも、戦争物を子どもに伝えようとすると、すぐに涙ぐんでしまうのだよなあ。

息子「……!! そうかっ。だから、絵本の中で、園長さんは 『うえばかり見つめて口びるを噛みしめていた』のかあ」
母 「そういうこと。じゃあ、命令したのは?」
息子「えーと。国?」
母 「そう。だから飼育係さんは困ったんだよ。国の命令にそむいたら、どうなるんだろうねえ」
息子「殺される?」
母 「そうかもしれないねえ」

次に息子が書いたのがこれ。

動物をころせといったのは、国の命れいでした。国の命れいにしたがわなければころされるかもしれません。

そこですかさず私。

母 「去年の読書感想文で教えてあげたコツを思い出せ」
息子「なんだっけ? ああ、『もしもぼくが○○だったなら』ってやつ?」
母 「どうする? 『もしもぼくがゾウだったら』がいいか、『しいくがかりさんだったら』がいいか?」

息子が選んだのは、ゾウ、ではなく、飼育係、のほう。
ま、普通、そうだよな。

もしもぼくが、しいくがかりだったら、どうしただろう。きっと、「ぞうをころすのは、いやだ。」と思うと思います。

ところが、ここで息子は考え込んでしまった。
どうしていいか、わからない、というのだ。
そりゃそうさ。
答なんかないもの。
ゾウは殺したくない。
でも国の命令は国の命令だ。
どうすればいいんだろう……。
そんなの、私だって答が出ないさ。
ウンウンうなる息子。「どうしていいか、わかんない……」とつぶやく。
「それをそのまま書いていいんだよ。それが感想文なんだから」と私。
息子は、上の文章に続けて、次の言葉を書き加えた。

どうしていいか、わからなくなったと思います。

さて、ここでまだ1枚半に満たないの。
困った困った。

息子「どうする、母ちゃん? これじゃ、3枚全部をうめるのは大変だと思うよ」
母 「うん、母ちゃんもそう思う。とりあえず、もう一場面について、書いておこう。あんた、ゾウが死んだシーンでどう思った?」
息子「最後までげいとうをして死んだなんて、本当にエサがほしかったんだな、って思ったよ」
母 「それ! それでいいよ。全部書いちゃえ」

段々と、母はやけっぱち。
疲れてきたのである。
息子はもっとやけっぱち。
段々と嫌気がさして来てるんである。

ぼくは、それでもさい後ぞうが、死んでしまった時に、かわいそうだなと思った。ぞうは、はなを高く上げてげいとうをしたまま死んだそうです。ぼくは、「さい後のさい後までエサを、ほしかったんだな」と思いました。

ここまでで1枚目の半分をようやく突破。
どう考えても、この感想文、ここまでで完結してる、と思った。
息子を見ても、この本についてこれ以上書くのは無理っぽい。
再度、「あとはゾウの絵とか書いてごまかそうよ」と誘う私。
「だから、そういうのはダメなんだってば!」とムッとする息子。

ならば、もう、これしか手がない!

母 「あんた、そういえば、仙台にいる時、『はだしのゲン』をテレビ
で見たって言ってたっけ?」
息子「うん。見たよ」
母 「それ、書こうよ」
息子「だって、これ、読書感想文だよ。本と違うこと書いちゃだめなんじゃないの?」
母 「いいのいいの、気にしない気にしない」

ぼくは、この夏休み、TVで「はだしのゲン」を見ました。仙台のじいちゃんとばあちゃんと見て、じいちゃんからせんそうの話をたくさん教えてもらいました。
仙台くうしゅうの時、けやきどおりがまるやけになって、近くの市民プールにある、ぼうくうごうにかくれたそうです。


厳密には、空襲の時、ケヤキ通りはなかったし、市民プールもなかった。義父は、「今ケヤキ通りになっている場所」「市民プールになっている場所」と言いたかったのだろうが、息子にはそのあたりはよく伝わらなかった様子。
まあ、いいやいいや。
「ついでに、その話を聞いてどう思ったかも書いといたら」と私。
息子はついに、

ぼくは、せんそうはこわいなと思いました。

あああ、なんと陳腐な表現!
口をはさみたいのを、ぐぐっとこらえる。これでようやく2枚目を終了。しかし、これでまだ3分の2かよ!
どうすればいいのよ!

仕方なしに、もう一つ書かせる。

母 「あんたさ、この前、原爆の話をしてあげた時に、母ちゃんの父ちゃんの話を教えてあげたでしょ。あれも書いてしまおう」
息子「広島に引っ越すはずだった話?」
母 「そうそう。それ!」

ぼくのお母さんの親せきは、広島の原ばくでたくさん死んだそうです。
ぼくの、大阪のおじいちゃんは、原ばくがおちるまえに広島にひっこそうとして、ともだちに「あぶないからやめたほうがいいよ」と言われ、神戸にのこったそうです。
もしじいちゃんが原ばくで死んでいたら、ぼくもお母さんも生きていません。


ぜいぜいぜい。
親子ですでに息切れ。
ひるまず、母は、言う。
「さあ、この話を母ちゃんから聞いて、あんたはどう思った?」

母は息子の答を待ちました。
10分くらい待ちました。
「戦争は怖いなと思いました」はもう使ったから、使えません。
悩んだ末に息子は、またしても安易な一文を見つけてきました。

それをきいて、ぼくは、「じいちゃんが生きててくれてよかった」と思いました。

なはははは~。
まあ、いいか。
あと半ページ。
どうやっても、うまらない。
途方に暮れる息子。
傍らで、絵本を読み直す私。

あああ、見つけてしまった。
絶妙な、しかし、子どもらしくない終わり方。
やだなあ、完全な誘導になっちゃうぞ。
(……って、最後だけでなく、ここまでも十分に誘導してるか。とほほ)

母 「この絵本に出てくる動物のお墓って、あんた、どこにあるが知ってる?」
息子「へ? えーっとね、上野動物園」
母 「あんたさ、赤ちゃんの時から何回も上野動物園に行ったよね。こんなお墓があったの、知ってた?」
息子「知らなかった」
母 「実は母ちゃんも、よくわかんないんだ。こんなに近くにいるのにねえ。今度行ったら、見てみようか」
息子「うんっ!」

かくして、最後の章はこんな感じ。

 ぼくは、上野動物園の近くにすんでいます。上野動物園には、なんかいもなんかいも行っています。
 上野動物園には、せんそうでころされた動物のおはかがあるそうです。三びきのかわいそうなぞうもこのおはかに、ねむているそうです。
 でも、おはかのことなど、ぼくはこれまでぜんぜんしりませんでした。
 こんど、上野動物園に行ったら、そのおはかにおまいりをしたいです。


私の好みでいえば、上記文章の一段落目と二段落目は順番を逆にしたいところだったが、さすがにそこまでは口出しするのはやめた。

この夏の 「読書感想文@1200字以上」、無事終了。
所要時間、1時間半。

私の「かわいそうなぞうを読もうプロジェクト」は、上野動物園でお墓を確認した上で、今度はゾウ列車の話をして聞かせ、その生き残りのゾウを井の頭動物園に見に行くところで総仕上げのつもりだったんだけど、とりあえず、今は暑いので、また今度。

それにしても。
「1200字以上」などという条件付き感想文の宿題を出す教師と、趣味を兼ねてついつい指導に熱を入れちゃう悪のり母のせいで、文章嫌いの子どもが増えていくのだなあ、と苦笑いしてしまう私なのでした。
反省。

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プロフィール

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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