おぐにあやこの行った見た書いた

★鴨川ホルモー (著・万城目学)

★鴨川ホルモー (著・万城目学)

おもしろい、とどこかで書評を読んで、図書館で借りてみた。
京大生たちの仰天青春物語、というか、変な物語。

本の案内文で簡単に説明すると
「謎のサークル京大青竜会に入った安倍を待ち構えていた「ホルモー」とは? 恋に、戦に、チョンマゲに、若者たちは闊歩して、魑魅魍魎は跋扈する。京都の街に巻き起こる、疾風怒濤の狂乱絵巻。前代未聞の娯楽大作、ここにあり!」
だそうで。
確かに、そういう本です。

京大時代が懐かしく思い出された部分も多少ありましたが、文章があまり好きじゃなかったこともあり、それほどおもしろい!!!とは思わなかったかも。

遅い夏休み@白馬岳

1週間、夏休みを取って、北陸と信州を旅しました。

まず、1泊目は、家族で信州・奥山田温泉の定宿、満山荘
ここは何より、お料理が気に入っているのですが、偶然か、昨年の時とほぼ同じお料理だったため、今回は「おおお、驚愕の味!」という感激は薄かったかも。
でも、ここの牛ヒレ肉と冬瓜のお吸い物の黒胡椒仕立ては、最高にうまいっす。

2泊目は、北陸・氷見の永芳閣
大阪の実父夫婦、妹家族ら総勢8人の温泉旅行、となりました。
農業をやっている義弟が、取れたてのトマトをたくさん持ってきてくれて、これが最高においしいし。さらに、珍しい食用ほおずきをこれまた大量に収穫してくれて、とんでもなくおいしいし。さらに持参してくれたシャンパンがおいしくて、軽く2本みなで空けてしまったところで、お宿の方から「お食事の準備ができました」。

……そこからの記憶がほとんどありません(涙)。
ただ、お料理はとてもおいしかった!
お部屋も良かったし、接客も本当にきめ細やかでした。感謝感謝。

3泊目は、なんと氷見駅からチンタラチンタラと鈍行で白馬駅まで5時間近い旅。でも料金は2000円。ほとんど青春18切符状態、ですな。
白馬では、かつて毎日新聞の記者だった夫の元上司がやってるペンションKENへ。
早期退職して、白馬の地で第二の人生を送る先輩記者の歩みに、色々と感じ入りました。お料理がおいしくて、ボリューム満点で、かなり感激。
おまけに目の前にある広々としたサッカー場が空いていたお陰で、この先輩記者が息子のキャッチボールの相手をしてくださいました。
すごいんだわ、これが。
私、あんなに高々とフライを投げ上げられる人を初めて見たかも。
さすがは元運動部記者!
でも、それをしっかり捕球してみせる息子の成長にも感動しちゃいましたけどね。

翌朝は、猿倉から大雪渓を経て白馬岳へ。
わざわざ早朝に、猿倉まで車で送ってくださったペンションの先輩記者さんに感謝、感謝。
お天気サイコー。
息子にとっては、初の、一切ロープウェイなどを使わないで高度を1500メートルほども稼ぐ山行です。
(これまでの月山、栗駒岳、蔵王、茶臼岳、宝剣岳などは全部、ある程度ロープウェイで高度を稼いでからの山登りだったので)。

山頂宿舎で一泊の後、栂池高原へ下山しました。
私は若いころから、下山が本当に苦手で、上りも下りも所要時間が同じ、という変なところがあったのですが、ひそかに他人より体力があることと、上りで疲れ知らずのところに自信を持っていたんです。

ところがところが。
ここんところの運動不足で、私はとんでもなく山に登れなくなっていたのでした。
下山してみればもう、夫婦で全身筋肉痛。
ただ一人、運動靴で (運動靴にアイゼンつけて大雪渓登らせちゃった……ちょっと反省)飛び跳ねるように下山し、筋肉痛知らずだったのが、我が息子@9歳。

夫婦して、「次回の登山では、あいつに巨大なアタックザックを担がせ、我々2人はデイパックで楽させてもらおうぜ」と固く心に誓ったのでした。

お天気に恵まれ、本当に素晴らしい眺望でした。
息子が撮ってくれた写真がこれ。

20070830202414.jpg


下山後、すぐに鈍行で帰宅するパワーがあったのはウン十年前の話でして……。今回はもう一泊、ペンションKENにお世話になりました。
翌日、無事に帰宅。なかなか充実した夏休みでした。

腰から出す音も……

ちょっとした用事で、ピアノの木曽センセにメールを出す時、半ば自嘲気味にこう書き添えた。

「おぐに@背中で出すフォルテに悩む41歳」

そしたら、センセからメール。
追伸にこう書いてあった。

「背中で出すフォルテもよく使いますが、腰から出すスフォルツァンドもありますよ(^.^)」

今度は腰ですか……とほほ。

「背中から音を!」とピアノのセンセは言った

先日のピアノレッスン覚え書きです。
今回の、木曽センセの決めぜりふは、

「背中から音を出してください!」

でしょうか。

「センセ。そりゃ無理です。背中から音はでません」と私。
「手で出す音でも、腕で出す音でもなくて、背中で出す音。大丈夫です、腕は背中につながってますっ!」とセンセ。

……腕は背中につながってる。確かに、ええ、確かにそうですが。
背中で出す音って何なんでしょ。
ってなレッスンでございました。
これはベートーヴェンのフォルテの話なんですが、まずはバッハから。

バッハは3声シンフォニア11番。
3段楽譜を仕上げて、それで練習が始まりました。
3声がそれぞれ運命にあらがい、高い音へと上っていくのだけれど、どうしても落ちていくしかない、その繰り返しの果てに、力尽きてしまう、そんな解釈。

14小節目に出てくる、高音部の 「♭シ」 の音に注目し、高音部の20小節目の「♭シ」が「ラ」ではないことにバッハのこだわりを見出し、26小節目で「♭シ」に上り詰めるもやはり下降するしかない苦しさに気付き、それでも33小節目で再びあきらめきれず、力を振り絞って「♭シ」まで上り詰める思いの強さを感じ、40小節目の低音部の「♭シ」のエネルギーを得て、高音部が41小節目でとうとう「♭シ」を超え、最高音の「ド」に至り、しかし、そこから3声すべてが下降を始める哀しさ……。
さらに56小節目、60小節目の高音部の「♭ミ」の音に注目し、その音にすがりつこうと、しがみつこうと、上っては転げ落ち、上っては転げ落ち、63小節目の低音部のオクターブ上昇に呼応するかのように64小節目の高音部で、また、「♭ミ」へ。この音の、なんと、悟りきった哀しみの表情!

……みたいな分析だったんですがね。
分析はいちいち納得できるし、「なんと悲しい曲だろう」と、感動もするけれど、その通り弾けるかといわれたら……うむむ。
センセ曰く、「分析のための分析じゃないですから。分析することでバッハの思いに一歩でも近づき、それを少しでも音で表現する。そのための分析なんです」。

さらに、「私ね、コンクールの審査などをしてる時に、小学校高学年の子などが、この11番をいかにも指が動くのに任せてサラサラと弾いてしまうのを見ると、もう、悔しくって、腹が立って、たまらなくなるんですっ!!!」とも。

木曽センセが地団駄踏んでる姿、目に浮かぶようだわ。
私自身は子ども時代、バッハのインベンションやシンフォニアを練習曲みたいに弾いてたっけ。分析なんて教えてもらえなかったし、先生に言われるままに、音の切る場所だけ物まねしてタンタカ弾いてたのだった。
そういう時、「子ども時代にこのセンセに出会えてたらなあ」と思ってしまう。

それはそうとして。
お次はベートーヴェン。
ソナタ悲愴の三楽章、であります。
今回言われたのは、

「ベートーヴェンのフォルテを研究してくださ」ということ。
「重々しくて、太くて、荘厳で、ロマン派のフォルテとは違いますよ」
「まだまだ遠慮してる。大きい音を意識するのではなく、下へ下へと向かう打鍵を」と。

そんな時に、あの冒頭のセリフが出たわけです。

「おぐにさん、背中から音を出してくださいっ!」

これから2週間。
背中から出すフォルテとやらを、研究してみることにしまーす。




この夏の自由研究

親子で食い意地が張っているので、夏休みの息子の自由研究はいつも食べ物がテーマ。

1年生の時は、当時まじめにやっていた通信添削の実験テーマをそのままいただいた。
アイスクリーム作りの巻」。

2年生の時は、仙台に息子を預けすぎて、8月も下旬になって自由研究も読書感想文ものこっていることが発覚。夕飯用のスルメイカをそのまま自由研究のネタにした 「イカのりょうり」。

でももう3年生ですから、テーマくらい自分できめてもらおう、と今回は息子主導。
週末に仙台に旅行した時、遠刈田温泉で一泊したことから、安易に 「とうふ作り」 に決まりました。この温泉街には、むちゃくちゃおいしい豆腐屋さんがあるのよ。ここで豆乳とにがりを買って、固めるだけでもういいじゃん、という、安易な考えからスタート。

私は実は、ひそかに、「せっかく仙台には海があるのだし、海関係の実験ぽいのがいいなあ。海水から塩を作るってのはどうだろう?」 などと計画を立てていたのだけれど、「これは私の宿題じゃあないんだからっ!」 と涙を飲んで断念。
誰か、私に夏休みの自由研究の宿題を出して〜って気分なのでした。

最初のハプニングは、豆腐屋さんがにがりを売ってくれなかったこと。
味で有名なお店ですもの。もしかして、秘伝の「にがり」なのかもしれません。がっくし。
スーパーに行くも、結局、健康食品としての「にがり」(米を炊く時などに入れるもの)が手に入っただけでした。これだと豆乳にどれくらいのにがりを入れていいか分かんないじゃん。
立ちこめる暗雲……。

「豆乳」って「まめのちち」なんだよ、というところから、牛乳ににがりを入れたらどうなるんだろうね、と話が転がりだした。
やってみるか? 牛乳豆腐。
さらに、ぐぐっと口をはさまぬよう我慢していた母ちゃんでしたが、ついついこの展開には我慢できず、「あのさ、牛乳にレモン汁を入れたらカッテージチーズができるって知ってる?」と口をはさんでしまったことから、「豆乳でカッテージチーズができるか?」もついでに実験してみることに。

息子が立てた予想は、こんな感じ。
豆乳でとうふ→○
牛乳でとうふ→×
牛乳でチーズ→○
豆乳でチーズ→×

ところがところが……。

にがりもレモン汁も、適当な量でやってみたら、予想外の結果に!

豆乳とうふ → なぜかドロドロ。固まらない。
牛乳とうふ → 量は少ないがしっかり固まる。
豆乳チーズ → 大量にできた。でも味は豆腐みたい。
牛乳チーズ → おいしい。でも量はちょっとだけ。

つまり、豆乳チーズと牛乳とうふが大成功!
本来成功するはずの、豆乳とうふは、ああ無惨!!
豆乳チーズはかなり不思議な味で、醤油をかけても、ハチミツをかけても、それなりにおいしくいただけました。牛乳豆腐のほうは、コクのある乳臭い豆腐って感じでしょーか。

ここまでの実験を、仙台で済ませ、あとは「まとめ」作業を残すのみ、という状態のまま、8月も下旬に突入。
数日後には夫婦とも夏休みを取り、北陸温泉旅行や北アルプス登山なども計画しているわけで、実質、宿題ができるのはあと3日くらい。
そろそろせっぱ詰まってきた状態だったのでした。

今回ありがたいのは、学校側が自由研究の参考資料として、「自由研究のコツ」というプリントを配布してくれたこと。ちゃんとまとめかたのコツとかも書いてあるのね。それによると、実験をまとめるには、

1実験のきっかけ
2自分の予想
3調べ方
4研究の結果
5感想と反省

の順番でまとめればいいんだって。ラクチンじゃん。

今年はもう、口述筆記みたいなのは嫌なので、最初にこの1〜5について、何を書くか下書きを作らせた。あとは大きくそれを清書するだけで、それだと付きっきりでなくても大丈夫……なはず。
まあ、実際にやってみると、絵の具を使いたいと汲んできた水をフローリングにこぼしたり、平仮名や片仮名が思い出せなかったり (もう3年生なんですけど……とほほ)、思わぬハプニング続出。
結局、今夜は半分済んだだけ。
それでも、ほぼ一人でどんな作業もできるようになって、「息子の宿題」らしくなりました。

思えば、1年のアイスクリームや、2年のイカのりょうりなんて、まとめ作業は親がつききり。
あそこに文字を書けだの、ここに写真を貼ったら、だの、口も手も出しまくったのだっけ。3年にもなると、こういうのが自分でできるのねえ、とうれしいような、弱冠物足りないような。

だめだめだめだめ。
そろそろ、子離れ (というか、子どもの自由研究離れ、だろうか……)しなければ。
ああ、だれか、自由研究フリークな私に、自由研究の宿題を出してください……。

やってみたいことはたくさんあるの。
例えば、

・海から塩を取り出す。副産物としてできるにがりで豆腐を作ったり、塩の働きを調べるために、漬け物やらハムやらを作ったりした上で、塩の歴史を、「塩の博物館」などに行って調べる、とか。

・顕微鏡で色々な身近なものを観察し、スケッチする。そのスケッチをモチーフに、何枚かデザイン画を仕上げる、とか。

・知人の娘さんがやっていた、野菜をミキサーにかけた繊維で「食べられる紙」を作る、というもの。どうせなら、紙の歴史に絡めて、パピルスってどんな植物なのか調べて、日本で似た植物の繊維で紙を作れないか実験したり、日本和紙の紙漉体験をしに行ったりもしてみたい〜。

・雨降りの時、傘を差したまま足元も構わず走るのと、出来るだけ濡れないようにゆっく歩くのと、結局どちらが濡れずに済むのか(私の永遠のテーマだわ)を、何度も何度も地道な実験を繰り返す、というのも楽しそう。

・かまぼこ実験! まず、魚を卸すところから始め、かまぼこを作る。さらに塩の働きで、魚のすり身の弾力が増すあたりの実験も。身のまわりの野菜なんかをうまくつかって、カラフルな変わりかまぼこを作ったりしちゃうのも楽しそう。

・納豆実験。市販のいくつかの種類の納豆を茹でた大豆にまぜ、保温し、それぞれ出来上がった納豆の味を比べる。さらに、農村に出向き、わらを入手し、今度はわらについた納豆菌で昔ながらのわらに包まれた納豆が作れるか挑戦。あとは図書館で、納豆の歴史や、大豆関連食品がそれぞれいつの時代に発明されたか、などを年表にまとめる……。

書き出すと切りがないよ。
わかってます、わかってますって。
はい、仕事が忙しいんです。
ちょっと逃避したい気分なんです。
ルーティーンワークに追われてる時って、なぜか、「自由研究」という響きはたまらんものがあるわけです。
やっぱり、「自由」って響きのせいでしょーか。

私も、自由研究の宿題と、それからついでに40日もの夏休みが、ほしいのでありました。

今年も最後の関門は読書感想文

今夜は、息子の読書感想文。
昨年のドタバタに続き、今年も夏休みの宿題の最終関門、なのだ。

おまけに今年は、なんと「1200字以上」の条件付き。
読書好きの女の子たちにとっては、何てことのない宿題なんだろうが、文章書くのが大嫌いで、特に「自分の考え」や「自分の思い」を文章にすることが何より大嫌いな息子には、苦行以外の何ものでもないようで……。

「1200字以上なんて大変そうだし、原稿用紙2枚書いて、3枚目は絵でも描けば」などと助言してみたんだけれど、根が真面目な息子は 「そんなことしちゃ、ダメなんだよ!」と言い張る。
まじめだなあ〜。

読書感想文が死ぬほど苦手な息子は 「こればっかりは自力じゃ無理。母ちゃんに去年みたいに色々アドバイスしてほしい!」と真剣に頼みこんでくるし。
正直な話、私のほうも、息子の宿題をネタに読書感想文の書き方を子どもに教えるのが決して嫌いじゃないのだ。
というか趣味なのだ。
子どもの反応って面白いし。

ただし、息子が将来、文章を書くのが嫌いになったら、私のせいだろーな、とは思うけど。
親が喜んで子どもに熱心に教えることを、子どもが好きになることって、実はあんまりないんだよねー。

ところで。
今年の夏、私は息子に1冊の絵本をプレゼントした。
「かわいそうなぞう」。
昔は小学2年生の教科書に載ってたし、この話を知らない小学生なんてまずいなかったのに……。最近は、この話を知らない子が結構いるのね。息子も、そういった現代っ子の一人なのだった。
名付けて、「かわいそうなぞうを読もうキャンペーン」。

息子にこの絵本を与えた時、「読書感想文は別に自分の好きな本で書いていいからね。母ちゃんはただ、この夏に、あなたにこの1冊だけは読んでほしい、と思って、この本を買ってきただけなんだから」と伝えたのだった。
無理強いはしたくなかったので。
いや、普段は図書館でしか本を借りてこない母親が、珍しく本を新たに購入し、おまけに、「この1冊だけは読んでくれ」 というなんて、もう十分に「無理強い」なんだろうけどさ。

案の定、息子は結局、感想文を書く段になって、この本を選んだのだった。

息子にとって、読書感想文は最初の書き出しが難しいらしい。最初の一文にウンウンと悩んで、一行も書かないうちに嫌になってやめてしまうのが常なのだ。
だから、今回は、こんな助言から入ってみた。

母 「なぜこの本を読むことになったか、という辺りから入るのが書きやすいと思うよ」
息子「どういうこと?」
母 「だから、今回だったら、母ちゃんが 『ほの本だけは読んでほしい』と言ったから、これを読んだわけじゃない? そこから書き出したらいいんじゃない?」

で、息子の書いた書き出しはこれ。

夏休みに入って、お母さんが言いました。
「この夏、この本だけは、読んでほしいの」。
その本が、この「かわいそうなぞう」でした。


カギ括弧の中の私のセリフは、私が吹き込んだ。
だって、うふん、若い男性担任教師が相手ですもの。
「〜読んでほしいの」という、ちょっと気取った語尾が良いかな、と思って。ふふふ。

そして、次は、

母 「この本がどんな本だったか、簡単に書いてごらん。これは2年生の時に感想文を書いたのと同じやり方だから」
息子「やってみる!」

この本は、せんそうでぞうがころされてしまうお話です。せんそうで、おりががこわされたら、ぞうが町に出て、あばれだしてしまうので、しょうがなく、しいくがかりがぞうをころしてしまったのです。

「おりががこわされたら」とあるのはなぜかなあ。
「おり」ではなく、「おりが」という名詞だと思ってるんだろうなあ、我が息子。
幼き日、よく、蚊に刺されるたび、「カニに刺された」と言ってたことを懐かしく思い出し、全然成長してないなあ、と笑ってしまったのだった。

さて、ここまででまだわずか半ページ。
まだ目標の6分の1だ。

息子「もう、これ以上、何を書いていいかわかんない!」
母 「とりあえず、『一番心に残った場面は……』と言う感じで、自分で場面を選んで、それを説明してみたら?」

息子が選んだ場面は、これだった。

一番心に、のこったのは、ぞうがエサをもらおうとしてげいとうをした場面です。

だよなあ。
やっぱ、このシーンだよなあ。

母 「よし。そしたら、その場面を読んでどう思ったのか、それを自分で考えて書いてごらん。『かわいそう』とか『かんどうしました』とか、そういう当たり前のことでなくて、素直に自分で思ったことを書けばいいんだからね」

段々と疲れてくる息子。
私に文章を隠しながら、どうにか書いた一文がこれ。

その場面についてぼくは、「そのぞうは、頭がいいなー」と思いました。なぜならば、むかしのことを思い出してげいとうをやれるからです。
それで、えさをもらえた時、「そのかかり員はやさしいな」と思いました。


うむむ。
言いたいことは分かる。
が、表現しきれてないなあ。
ま、いっか。

だいたい、この子、「動物を殺せ」と命令したのが誰なのか、分かってるんだろうか。
ちょっとそのあたりが不安になって、息子に聞いてみる。

母 「動物を殺せ、って命令したのは誰か知ってる?」
息子「動物園の園長さんでしょ?」
母 「違うんだよ。動物園の園長さんだって、動物が好きで始めた仕事だもん。殺したくなかったんだよ」

ここまでしゃべっただけで、感極まって、涙ぐむ私。
あかん。
どうも、戦争物を子どもに伝えようとすると、すぐに涙ぐんでしまうのだよなあ。

息子「……!! そうかっ。だから、絵本の中で、園長さんは 『うえばかり見つめて口びるを噛みしめていた』のかあ」
母 「そういうこと。じゃあ、命令したのは?」
息子「えーと。国?」
母 「そう。だから飼育係さんは困ったんだよ。国の命令にそむいたら、どうなるんだろうねえ」
息子「殺される?」
母 「そうかもしれないねえ」

次に息子が書いたのがこれ。

動物をころせといったのは、国の命れいでした。国の命れいにしたがわなければころされるかもしれません。

そこですかさず私。

母 「去年の読書感想文で教えてあげたコツを思い出せ」
息子「なんだっけ? ああ、『もしもぼくが○○だったなら』ってやつ?」
母 「どうする? 『もしもぼくがゾウだったら』がいいか、『しいくがかりさんだったら』がいいか?」

息子が選んだのは、ゾウ、ではなく、飼育係、のほう。
ま、普通、そうだよな。

もしもぼくが、しいくがかりだったら、どうしただろう。きっと、「ぞうをころすのは、いやだ。」と思うと思います。

ところが、ここで息子は考え込んでしまった。
どうしていいか、わからない、というのだ。
そりゃそうさ。
答なんかないもの。
ゾウは殺したくない。
でも国の命令は国の命令だ。
どうすればいいんだろう……。
そんなの、私だって答が出ないさ。
ウンウンうなる息子。「どうしていいか、わかんない……」とつぶやく。
「それをそのまま書いていいんだよ。それが感想文なんだから」と私。
息子は、上の文章に続けて、次の言葉を書き加えた。

どうしていいか、わからなくなったと思います。

さて、ここでまだ1枚半に満たないの。
困った困った。

息子「どうする、母ちゃん? これじゃ、3枚全部をうめるのは大変だと思うよ」
母 「うん、母ちゃんもそう思う。とりあえず、もう一場面について、書いておこう。あんた、ゾウが死んだシーンでどう思った?」
息子「最後までげいとうをして死んだなんて、本当にエサがほしかったんだな、って思ったよ」
母 「それ! それでいいよ。全部書いちゃえ」

段々と、母はやけっぱち。
疲れてきたのである。
息子はもっとやけっぱち。
段々と嫌気がさして来てるんである。

ぼくは、それでもさい後ぞうが、死んでしまった時に、かわいそうだなと思った。ぞうは、はなを高く上げてげいとうをしたまま死んだそうです。ぼくは、「さい後のさい後までエサを、ほしかったんだな」と思いました。

ここまでで1枚目の半分をようやく突破。
どう考えても、この感想文、ここまでで完結してる、と思った。
息子を見ても、この本についてこれ以上書くのは無理っぽい。
再度、「あとはゾウの絵とか書いてごまかそうよ」と誘う私。
「だから、そういうのはダメなんだってば!」とムッとする息子。

ならば、もう、これしか手がない!

母 「あんた、そういえば、仙台にいる時、『はだしのゲン』をテレビ
で見たって言ってたっけ?」
息子「うん。見たよ」
母 「それ、書こうよ」
息子「だって、これ、読書感想文だよ。本と違うこと書いちゃだめなんじゃないの?」
母 「いいのいいの、気にしない気にしない」

ぼくは、この夏休み、TVで「はだしのゲン」を見ました。仙台のじいちゃんとばあちゃんと見て、じいちゃんからせんそうの話をたくさん教えてもらいました。
仙台くうしゅうの時、けやきどおりがまるやけになって、近くの市民プールにある、ぼうくうごうにかくれたそうです。


厳密には、空襲の時、ケヤキ通りはなかったし、市民プールもなかった。義父は、「今ケヤキ通りになっている場所」「市民プールになっている場所」と言いたかったのだろうが、息子にはそのあたりはよく伝わらなかった様子。
まあ、いいやいいや。
「ついでに、その話を聞いてどう思ったかも書いといたら」と私。
息子はついに、

ぼくは、せんそうはこわいなと思いました。

あああ、なんと陳腐な表現!
口をはさみたいのを、ぐぐっとこらえる。これでようやく2枚目を終了。しかし、これでまだ3分の2かよ!
どうすればいいのよ!

仕方なしに、もう一つ書かせる。

母 「あんたさ、この前、原爆の話をしてあげた時に、母ちゃんの父ちゃんの話を教えてあげたでしょ。あれも書いてしまおう」
息子「広島に引っ越すはずだった話?」
母 「そうそう。それ!」

ぼくのお母さんの親せきは、広島の原ばくでたくさん死んだそうです。
ぼくの、大阪のおじいちゃんは、原ばくがおちるまえに広島にひっこそうとして、ともだちに「あぶないからやめたほうがいいよ」と言われ、神戸にのこったそうです。
もしじいちゃんが原ばくで死んでいたら、ぼくもお母さんも生きていません。


ぜいぜいぜい。
親子ですでに息切れ。
ひるまず、母は、言う。
「さあ、この話を母ちゃんから聞いて、あんたはどう思った?」

母は息子の答を待ちました。
10分くらい待ちました。
「戦争は怖いなと思いました」はもう使ったから、使えません。
悩んだ末に息子は、またしても安易な一文を見つけてきました。

それをきいて、ぼくは、「じいちゃんが生きててくれてよかった」と思いました。

なはははは〜。
まあ、いいか。
あと半ページ。
どうやっても、うまらない。
途方に暮れる息子。
傍らで、絵本を読み直す私。

あああ、見つけてしまった。
絶妙な、しかし、子どもらしくない終わり方。
やだなあ、完全な誘導になっちゃうぞ。
(……って、最後だけでなく、ここまでも十分に誘導してるか。とほほ)

母 「この絵本に出てくる動物のお墓って、あんた、どこにあるが知ってる?」
息子「へ? えーっとね、上野動物園」
母 「あんたさ、赤ちゃんの時から何回も上野動物園に行ったよね。こんなお墓があったの、知ってた?」
息子「知らなかった」
母 「実は母ちゃんも、よくわかんないんだ。こんなに近くにいるのにねえ。今度行ったら、見てみようか」
息子「うんっ!」

かくして、最後の章はこんな感じ。

 ぼくは、上野動物園の近くにすんでいます。上野動物園には、なんかいもなんかいも行っています。
 上野動物園には、せんそうでころされた動物のおはかがあるそうです。三びきのかわいそうなぞうもこのおはかに、ねむているそうです。
 でも、おはかのことなど、ぼくはこれまでぜんぜんしりませんでした。
 こんど、上野動物園に行ったら、そのおはかにおまいりをしたいです。


私の好みでいえば、上記文章の一段落目と二段落目は順番を逆にしたいところだったが、さすがにそこまでは口出しするのはやめた。

この夏の 「読書感想文@1200字以上」、無事終了。
所要時間、1時間半。

私の「かわいそうなぞうを読もうプロジェクト」は、上野動物園でお墓を確認した上で、今度はゾウ列車の話をして聞かせ、その生き残りのゾウを井の頭動物園に見に行くところで総仕上げのつもりだったんだけど、とりあえず、今は暑いので、また今度。

それにしても。
「1200字以上」などという条件付き感想文の宿題を出す教師と、趣味を兼ねてついつい指導に熱を入れちゃう悪のり母のせいで、文章嫌いの子どもが増えていくのだなあ、と苦笑いしてしまう私なのでした。
反省。

戦争になったなら

今夜は息子と外食。
何でも息子は、仙台で祖父母と一緒にテレビ版「はだしのゲン」を前後編とも見たのだという。一緒にいた祖父に、戦争の体験談も聞かせてもらったんだという。

へええ。
どんな風に理解したのやら。

せっかくなので、私が父(つまり息子の祖父)から聞いた戦中戦後の苦労話も聞かせておいた。

広島に原爆が落とされる直前、神戸に住んでいた私の父の家族は、広島の親戚を頼って、広島に引っ越す予定だったこと。その時、知人に「広島は、まだ空襲が来てないから、今行くと危ないかも」と言われたため、神戸の貧しい暮らしを我慢したこと。
もしもこの時、広島に引っ越していたら、父は死んでいたかも知れず、となると当然、私も、息子も、この世に存在しなかったということ。
この原爆で、私の祖母の親戚はたくさん死んでいること。
祖母は、原爆が落ちた後、広島入りしたせいで、今も原爆手帳を持っていること。
戦後の貧しい暮らしの中で、空襲で焼け出された父たち一家は、「はだしのゲン」と同じように、よそのおうちの物置を間借りしたこと。ゲンと同じように、海で貝を採ってくらしたこと。

そんな話の中で、どういう流れになったのか、私、こんな一言を言ってしまったのでした。

「戦争は残酷だから、他人を押しのけても自分が助かろうという強い人ばかりが得をして、弱い人から死んでいくようなこともあってね……」

そしたら、しばらく神妙な顔で黙っていた息子がポツリ。

「だったら、僕は先に死ぬんだろうなあ」

……。
そ、そう来るか?
思わぬ反応にドキリ。
息子なりに、「自分が、自分が」という積極性(あるいは厚かましさ)に欠ける自らの性格を重々自覚していたのだなあ。

その後、
「○○君は生き残りそうだね」
とも。

○○君とは、クラスで一番自己主張のうまい、たくましいタイプの、息子の親友なのです。

「強い人も弱い人も、積極的な人もおとなしい人も、等しく、幸せに暮らせるためにも、やっぱり戦争には反対していきたいと思ってるんだよね、母ちゃんは」 と、一応、話をまとめたんですが。
いやはや。
子どもと戦争の話をすると、ほんと、毎度毎度、思わぬ反応にオロオロさせられますね〜。

あなたがいつか買いたいものは?

2週間近く仙台にいた息子が無事、帰宅。
またしても、子どものいる暮らしが始まった。

息子は、仙台や大宮の親戚宅で、「つまらない」とこぼしつつも墓参りに付き合ったようで、そのたびに、顔も知らないような親戚に少しずつお小遣いをもらったらしい。
しみじみと幸せそうな顔でお札を数えている。

「そのお金どうすんの?」と問えば、
「郵便局で定期預金にするのっ!」と堅実なお答え。
へええ、そういうタイプか。

さらに問う。

「定期にしたら、しばらく遣えないけどいいの?」
「うん。しばらく遣わないし」
「そのあと、満期になったら、何買うの?」
「もう決めてるもん」
「なに? ゲーム? それとも大きくなって旅行でもする?」
「違うよー」

さてここで問題。
息子が、「○○を買うの」と答えた、この○○とは何でしょう?

……なんと。

「家を買うの」

どひゃーーーーん。
大きく出たな。
堅実なような、夢物語のような。
まあ、頑張ってくれたまえ。

はだしのゲン

気温36度の炎天下、大阪の生まれ故郷を歩いてきた話は、少し落ち着いたら書くとして。
今回は、「はだしのゲン」。
初のテレビ化ということで、後編のみ(前編放映中は家にいなかったもので)、見ました。

驚いた。
映像を見ていると、次から次に、漫画で読んだストーリーの記憶がよみがえってくるの。小学生時代に読んで以来なのに。

原爆が落ちた直後、ゲンの母親に赤ちゃんが生まれたシーンでは、「この子に、ゲンが名前をつけるの。お友達がたくさんできるように、友子って!」と叫んでしまう。
米を探しに行った先の農家でゲンが浪曲をうなり始めた途端、「ゲンはね、途中で泣いちゃうの。それを見た農家の人が米をくれるのよ」。
ゲンがその米を持って喜び勇んで帰路を急いでるシーンが出てくると、「あああ、この米、盗られちゃうの」。

細部の記憶が次々によみがえって、思わずそれを口にしてしまう私に、夫が呆然としてました。
なぜなら私、小学生時代の記憶ってほとんどない。クラスメートの名前だってほとんど覚えてない。家族から 「天下無敵の健忘症」 と呼ばれるくらい、何でもかんでも忘れちゃう。
それなのになあ。
小学生の3年生とか4年生で読んだこの漫画の記憶が、細胞に染みこんでるみたいに、今なお私の中にあることに気付かされたのだった。

はだしのゲンについては、もう一つ、忘れられない記憶があります。
この漫画を読んで、ゲンにすっかり感情移入し、誰よりゲンのお父さんを心から崇拝した私は、ある日、母親に聞くのです。

「なあなあ、お母ちゃん。お母ちゃんやパパやじいちゃんばあちゃんも、『非国民』って呼ばれてたん?」

なぜなら私は母も父も尊敬していたし、「はだしのゲン」を読んだ後では、尊敬にあたいする人間は戦争当時「非国民」と呼ばれていたのだ、と信じ込んでいたので。

その時の母親の答は、次の一言。

「は? なにをアホなこと、ゆーてんの」

両親もまた、完璧な人間ではないのだ、と子供心に痛感した最初の体験だったのでした。

もう一つ。
この夏、つらつらと戦争のことを考えていて、一つ、気付いたことがあります。
相変わらず、何人かの子どもや若者たちから、「死にたい」「消えたい」というメールが舞い込む日々ですが。

私は高校時代、何だかんだと悩んで、連夜自傷し、血で日記をつづっていたころ、それでも、絶対に 「死にたい」 と口には出せなかった。それどころか、日記にだって、その一言を書けなかった。
どうしてかな、と。

たぶんね。
戦争の記憶が身近にあったんです。
死にたくない、死にたくない、といいながら、死んでいった人間の存在を身近に感じるあまり、平和な時代に生まれた自分が 「死にたい」 なんて口にすることは、あまりに傲慢で、卑怯な行為なんだ、と固く信じていたんだと思うんです。

祖父は戦死してるし。
祖母は原爆手帳を持ってるし。
広島に遠い親戚がいて、何人も亡くなったと聞いてます。
両親からは、戦後の貧困の話を繰り返し聞かされました。

だいいち。
私が生まれたのって1966年。
戦後わずか20年です。
今から20年前っていえば、1987年。バブルのころですよね。
今生まれた子にとってのバブル時代が、私たち世代にとっての敗戦だったのだから。

今、9歳の息子にどんな風に戦争を伝えようか、と途方に暮れる私がいます。
息子が仙台から帰ってきたら、はだしのゲンを一緒に見ようと思うのだけれど、伝わるかなあ……。





枯れたマリーゴールド

息子が先週末から夫の実家の仙台に行っている。
私は仕事三昧、夜遊び三昧で、自堕落生活まっしぐら。

そしてとうとう……。
気付いた時には、息子が学校から持ち帰ったマリーゴールドの鉢植えは完全にカランカランに立ち枯れていたのだった。
何でも、この鉢の水やりは、息子の「宿題」らしい。
「留守中はお願いします。絶対にお願いね」と息子に念を押された気がする……。
がぁあああああん。
母ちゃん、大失敗の巻。

一方、学研の科学の付録についていたスズムシの卵。
大事に大事に育てたら、卵から孵った10匹の幼虫が1匹も欠けることなく見事成虫に。
昨夜から、りーんりーんと鳴いている。
うれしい!!
こっちは息子の不在中も、エサの取り替えを怠らなかったもんなー。

飼育系は好きなのだけれど、植物はサボテン以外は枯らしてしまう私です。反省。

本日から1泊で大阪出張。
数時間ほど空き時間をみつけて、生まれた街を歩いてこようと思います。30年ぶりくらいだから何も覚えてないだろうけれど。
「文化住宅」という名の長屋が並んでいた大和川と高速道路のそばの住宅地は、グーグルマップの衛星地図によると、団地になっているみたい。

何か一つくらい、懐かしいものが見つかればいいなあ。

ダルビッシュのヌード

ダルビッシュが脱いだ、というから、一度、見ておきたいもんだ、とは思っていた。が、掲載紙が「anan」と聞いて、ひるんだ。
だってさ。
アンアンを立ち読みしてる40代というのもみっともない気がするけれど、
アンアンをレジに持って行くオバサンというのも同じくらいみっともない感じがして。
では、どうやってアンアンを入手すれば良いのだろう……。
結局、勇気がないのであった。

会社の女性社員同士で、ダルビッシュのヌードの話題になった。
「見たいよね」
「うん。見たい。でもどの本屋でも売り切れらしいよ」
「案外、この会社の1階の書店あたりじゃ、まだ売り切れてないかも……」
「やっぱり、新聞記者たるもの、話題ものにきちんと目を通すのって仕事の一環よね?」

「仕事の一環」の大儀を得た私は強い。すぐに、1階の書店に電話した。
「毎日新聞のおぐにですが。アンアン、まだあります?」
いつもの、お仕事用の声。やった〜! ちゃんと、1冊、残っていたのだった。早速、取り置いてもらう。
すぐに取りに行くと、いかにも、がっついてる感じがしちゃうかも、とかあれこれ気を遣い、十数分後に本屋へ。

書店のレジの男性が、「袋に入れましょうか?」と聞いてきた。
「いえ、いりませーん」。
あくまで仕事目的での購入だと言わんばかりに、必要以上に胸を張っちゃう私。

で、肝心の内容ですが……。
表紙の写真が、「全裸でベッドイン」的なものだけに、どこまで脱ぐんだろう、と妄想を誘うわけですが、雑誌に掲載されていた数枚のヌード写真についていえば、
「へ? これだけ?」
と拍子抜け。
(それとも、私の期待し過ぎだったんだろうか?)

なんでかなあ。
あんまり、ヌード! って感じがしないのであった。
これまた女性同士でワイワイワイ。

「なーんかさ、期待外れよね」
「でも、ダルビッシュを脱がせた、って点で、企画勝ちとは言えるよね」
「確かに。もう芸能人のヌードとかに意外性もないし。スポーツ選手ってねらい所かも」
「今、脱がせて一番話題になるスポーツ選手って誰だろ?」
「そりゃ、間違いなく、ハンカチ王子でしょ」
「いいねえ、話題性では最高よね」
「ハニカミ王子は?」
「あれは若すぎて、ダメなんじゃない?」
「いや、案外、すごいことになるかも」

気付けば、もくもくと無言で仕事をする男性記者たちの前で、女性ばかりがヌード談義に花を咲かせていたのだった。

それに気付いた私が思わず、「でもこういう会話ってさ、男性がかつて職場でしては、セクハラのレッテルを貼られたんじゃなかったっけ?」。
先輩記者は 「これはいいのよ。だって仕事の一環だもの。それにこの程度の話を嫌がるようじゃ、新聞記者はつとまらないでしょ〜」。
私は苦笑しつつも、「いや、その一言って、かつて女性記者たちが職場に貼ったヌード写真をセクハラだと抗議した時に、男性上司や同僚に 『こんなことを気にするようじゃあ、新聞記者失格だ』 とか言われたのに何か似てない? まずいよ。まずい。私たち、絶対、オヤジ化してる……」

しばしみなで、反省したのだった。

3段楽譜を書くのに2時間

今回のピアノレッスンの覚え書き。

バッハのシンフォニア2番は難なくクリア。
で、お次は、今回お初のシンフォニア11番。
実は子ども時代、シンフォニアの中では一番好きだった曲だ。

木曽センセはいう。
「普段、3声を弾く生徒さんには 『3段楽譜』 を書いてもらってるんです。3段楽譜に書き直すと、3声それぞれの動きが本当によく分かるので」

ピアノの楽譜って通常、右手用と左手用に便宜上分けるために、上下2段の楽譜で1セットになってますが、今回は3声それぞれのパートごとに分け、楽譜を3段1セットで書き直せ、というわけ。

「この曲が、いかに線で美しく描かれているか。下降する運命にあらがっても抗ってもなお、落ちていくしかない哀しさが、視覚的に見て取れますから」 と木曽センセ。

ほんとだろーか。

半信半疑で3段楽譜に着手。
楽譜ノートをあちこち探したが、中学時代のノートなんて見つかるわけもなく、あきらめて、ネット上からダウンロードし、印刷した。
楽譜の書き方など、ほとんど忘れていて、なんと2時間も掛かってしまった!
2週間すでに弾いてる曲なので、各パートのメロディーくらい独立して頭の中にすでにあるから、これでも随分書きやすかったほうなんだと思う。弾き始める前に、知らない曲の3段楽譜を私が作ったら、とんでもなく時間がかかるんだろうなあ。

早速、出来上がったばかりの3段楽譜で弾いてみた。
それぞれのパートを目で追うものだから、音の長さなど弾き間違えてたところが一目瞭然に分かり、驚いた。
木曽センセは「いつもの2段楽譜よりずっと弾きづらくなるかも……」と言ってたけど、すでに練習して、手が覚えているからかなぁ、むしろずっと弾きやすいのだった。

次回レッスンでは、この3段楽譜をもとに、細かな楽曲分析をすることになるんだろう。

一方、懸案のベートーヴェンのピアノソナタ「悲愴」第3楽章。
とりあえず、最後まで弾く。
最後のコーダ部分が練習不足で、なんだか最後は 「悲愴」 どころか 「コメディー」 みたいになっちゃった。がっくし。

木曽センセが、
「第三楽章のテーマには、すごく大切な別のテーマが隠れていることに気付きましたか?」
という。
一瞬、「ま、まさか、木曽センセも、阪神の濱中選手の応援歌の『はまなーか、はまなーか』という所を指してるのか? 実は木曽センセって、隠れ阪神ファン???」 などとドキリとしてしまった。
(何本か前のエントリー参照)

危うく、笑顔で 「例の濱中選手の……」と言いかけたら、
木曽センセはおもむろに、三楽章の冒頭の4つの音 「ソドレ♭ミ」をつかって、別のメロディーを弾き始めた。
あれ、これ、えーっと、えーっと……


第一楽章!!!


楽譜を確認して、心底驚いた。
第一楽章の52小節目から立ち上るメロディーの冒頭(調は違って、♭シ♭ミファ♭ソ、だけど)と同じなのだった。

よかった〜、下手に濱中の応援歌の話なんてしなくて。
思い切りバカにされるところだったよーん。

最近、木曽センセは私にちゃんと音楽を教えてやろうと骨折ってくださっているようで、これまでは「ハ長調」とか「イ短調」とか私が言っても見逃してくれていたのが、極力ドイツ語で「Cdur(ツェードゥア)
」とか「Amoll(アーモール)」とか言直しさせたがる。
小学生時代に、ピアノのセンセにさんざ習ったはずだけれど、今一つ自信がない私は、そのたびに首を振って「ハニホヘト……、ツェーデーエーエフゲー……」と数えてしまう。

木曽センセは、「子どもの生徒さんには、『数えない!』と注意するんですけどねー」 と苦笑い。

おまけに、曲の細かな転調について、いちいち平行調だの、同主調だの、属調だの、下属調だの言わねばならない。
これがたった4つだけなのにさ。
覚えられないんである。
40代。まだまだ人生これからだけど、記憶力低下にだけは抗えないわー。

★「美しい」ってなんだろう? (著・森村泰昌)

★「美しい」ってなんだろう? (著・森村泰昌)

これまでブログで何度も触れている理論社「よりみちパン!セ」シリーズの1冊。

あんまり安倍首相が「美しい国」とか言うもんだから、この際、世界でご活躍の美術家、森村さんにズバリ、「『美しい』とは何か?」という骨太(?)のインタビューなんぞどうだろか……と思い、読んでみた1冊。
森村さんの半生がよくわかるうえ、「美」との独特の付き合い方がわかりやすく描かれていて、大人も十分楽しめます。芸能界と芸術界の違い、「広く行き渡らせること」と「深く行き着くこと」の違いなど、考えさせられることも多かったです。

あとがきにはこんな言葉がありました。
とりあえず、安倍首相向けに、書き留めておきましょー。

最近、「美しい」という言葉を日本の首相もお使いになり始めましたね。しかし私がなんどもくりかえしお話してきたことは、なにが「美」かなんてだれにも決められないということでした。
「これを美と思いなさい」と、「美」をおとなから押し付けられるのは、やっぱりおかしいし、ましてや「これが国民として持つように教育されるべき美意識だ」とまんいち法律化されるとすれば、なおさらおかしいです。
なぜなら「美」はひとそれぞれだからです。それぞれにそれぞれの「美しい」がある。このそれぞれの「美しい」を語り合い、なぜそれが「美しい」のか、意見交換することで、人間や自然や宇宙を理解する糸口も見えてくるはず。
相手が美しくない、みにくいと思うから、相手が敵に見えてくるのとちがいますか?


どこへ行く?自由研究

なんだかんだ言いつつも、結局小心者の息子だから、とりあえず、夏休みの宿題の中でも、漢字の書き取りと算数の計算ドリルは半分以上終えている模様。
「宿題やりなさい」の一言を一切言わなくなったら、こっちも随分楽になりました。

が、自由研究。
どうするんだろーな。
「なにか、自分で解明したい謎があったら、それをテーマにするのがいいよ」などと助言するが、「特に謎なんてない……」だってさ。
一度、「1日はどうして24時間なんだろ」と言い出したことはあったなあ。思わず、「うーん。メソポタミア文明だっけ? 12進法とか6進法とか、そんな話に行ったら、こっちに助言を求められても、もうお手上げだろーな」と密かに恐怖を感じていたら、本人はあっさり忘れてしまった模様。

ところで。
夏休みに息子がはまりだしたのが、新聞のスクラップ。
プロ野球の気に入った記事を楽しげに切っては張っている。
私にとって記事のスクラップとは、泊まり勤務の時にやらされたルーティーンワークの一つであり、大嫌いな作業でもある。あれを楽しげにやるってんだから、不思議だ。

ふと思った。
もう、自由研究はこれでいいんじゃないか……?

私 「あのさー、そのスクラップで自由研究にしちゃったら?」
息子「どうやって?」
私 「スクラップブックだけだといまいち研究っぽくないから、例えば、スポーツ記事を書いている記者さんのインタビューを書き加えるとか」
息子「なにそれ」
私 「だからさー。あんたが切ってるスポーツ記事を毎日書いてる記者さんが何を思って、どんな風に記事を書いてるとか、興味あるでしょー」

しかし、息子はあっさり一言。

「全然興味なし。僕が好きなのは、記事を集めることなの」


……ああ、そうですかそうですか!
せっかく一番ラクチンな自由研究の可能性を助言してやったのにさ!
(息子自ら、運動部の記者に手紙でも書けば、案外、記者さんたちは、子どもからのこの手のお願いに弱いから、ちょっとくらい話しをしてもらえるはずなんである)
なぜに男は収集に走るんだろー。
あほらし。
しばらく静観してようっと。

★無理なく続けられる年収10倍アップ勉強法 (著・勝間和代)

★無理なく続けられる年収10倍アップ勉強法 (著・勝間和代)

私、たぶん、勉強好きだと思う。
子ども時代から勉強が苦になった記憶もあんまりない。
就職してからも、忙しければ忙しいほど、あれこれ勉強したくなる。
ピアノなんかもたぶんそう。
が、この本を読んでつくづく痛感。
私にとって、勉強は趣味なんだな。
あるいは、私が勉強の範疇にいれていたものは、全部趣味だった、というべきか?
だから、「勉強」と「年収アップ」をつなげるという発想が、ぜーんぜんありませんでした。
これって会社員ボケだろーか。
それとも、器用貧乏のなれの果て?

著者はいいます。
勉強を続けられないのはモチベーションが上がらないから。勉強を無理なく続けるためには、勉強すればするほど幸せになればいい。すなわち、勉強することによって年収が実感できるスピードであがっていけばいい。つまり、年収増につながる勉強をし、実践の場で生かすのが肝要だ、と。

以前よりは崩れつつもなお、年功序列の賃金体系が未だ残る会社に勤める身だったから、私にこういう発想がなかったのか。
それとも、単にこういう性格なのか。

本書にこんな一文があります。

間違えてはいけないのは、同じ勉強でも、基礎スキルアップのための勉強と教養のための勉強は違う、ということです。当然、年収アップに直接つながる、つまりモチベーションが続くのは、基礎スキルですから、まず、こちらが必要です。(略)
一般に、子どものころから優等生の、一見勉強熱心な人は、とかく教養のための勉強に走りがちですが、たいてい職場の雑学博士になってしまうだけです。(略)
今行っている仕事につながらなければ、他人の目には、雑学にしか見えません。


思わず大爆笑してしまった。
確かに確かに!
元優等生タイプだわ、私。
年収アップとか無関係にピアノ弾いたり、本読んだり、語学勉強したりしちゃうわ、私。
おまけにピアノなんか、我が職場では「雑学」にすらならないよ。
でもなあ。
「他人の目には雑学にしか見えない」と言われても、そもそも他人からどう見えるかと「幸せ」は、無関係と言い切ることはできないにせよ、そう重なる尺度でもない気がする。

人知れずピアノ弾いてて、弾けなくて悔しくて、ばかみたいに時間とお金をつぎ込んで、それで出せた一つの音が、翌日の仕事の活力、思いのこもった記事1本につながる……そんなことだって、あると思うんだなぁ。
おまけに、はっきりしてることは、私は、「明日のより良き記事」のために下手なピアノを弾いてるわけでもないんだよな、間違いなく。
そして、このうえなく、幸せでもあるんだよな、きっと。

ただし。
この本を読んでよく分かったことは、趣味のための勉強だとここまで徹底した手法で自分を追い込んでいくことはできないだろうな、ということ。そして、ここまでやれる人には、ほんと、頭が下がっちゃうな、とも。

実は最近、ある先輩記者から、私の「あれもこれもほどほどで幸せ」状態について、「恵まれた能力を磨く努力を怠っている。時間をどぶに捨てている」 的な助言 (本当に心と熱意のこもった厳しくもあたたかい助言)をいただいたところ。
ちょっと悩んだりもしているのです。
思えば20年前(つまり大学生時代)、当時大好きで、大尊敬していた山口泉さんという作家さんから、「おぐにの欠点は向学心だな」と指摘されたんだっけ。長く、あの言葉の意味をつらつら考えてきたけれど、良くも悪くも私、今はそこまで向学心とかない気がする。

それとも、案外、追いつめられたら、昔ながらの向学心に燃えちゃったりするのかな。

★千年樹 (著・荻原浩)

★千年樹 (著・荻原浩)

荻原作品=絶対にはずれなく面白く、からっと明るく、うまさを感じさせ、グイグイ読まされちゃって、さすがだなあとすっかり感心。
……という先入観を壊されました。

樹齢1000年のくすの木の周辺で織りなされる人間ドラマ?
一言でいえばそんな感じ。
時代時代に生きた人々のエピソードを交錯させ、何か1本の太い運命の糸のようなものを読者に感じさせるあたりは、さすが荻原さん、上手だわー、と思いましたが。
「ぐいぐいと引き込まれ……」という感じでもなかったので、寝付く前の2時間、うとうととしつつ最後まで読んだって感じでした。

★ピアノはなぜ黒いのか (著・斎藤信哉)

★ピアノはなぜ黒いのか (著・斎藤信哉)

ピアノの調律師さんの書いた一冊。
アマゾンでの読者書評、かなり評価が低いんですが、ちょうど電車の中で読むのに格好の一冊というか、私は結構楽しみました。

ピアノが黒い、は日本だけの常識で、欧米ではピアニストの衣装を映えさせるためにもリサイタルなんかでは黒を使うけれど、家庭にあるピアノの主流は木目だ、というのは全然知りませんでした。
そうだったのか……。

私がピアノを習い始めたのが1970年、4歳の時だから、国内のピアノ販売数が1960年4万2000台から65年13万2000台、70年21万9000台に増えていった、なんてデータを見ると、ちょっとしみじみしてしまいます。
ちなみに1970年当時、ピアノ1台の値段は大卒男子初任給の約6倍だたそうで。「文化住宅」という名の長屋暮らしだった両親が、こんな時代にピアノを無理して買ってくれたんだなあ、と思うと、胸が詰まります。

木材の人工乾燥などの技術革新を武器に、それまで何カ月もかかっていた木材乾燥の過程を2日以内に短縮、ピアノの大量生産とコストダウンを実現したというヤマハとカワイ。
ヤマハは最盛期に1日800台ものピアノを作っていたんだって。
スタンウェイやベヒシュタインが1日5〜10台という時代にね。

筆者は欧州のこだわりのピアノ作りを高く評価しているし、私自身、それはそれでよーく分かるけれど、でも、ヤマハやカワイの大量生産ピアノが存在しなければ、我が家みたいな家庭でピアノを購入することなんてとてもとても無理だったはず。
すそ野が広がったことは、すそ野にいた者としては、ほんと、手を合わせて感謝したい気持ちだったりします。

あと、本書の最後のほうの章「ホームコンサートをしてみよう」。いいですねー。20畳のリビングがあれば……と思いましたよ。はい。
でも我が家には10畳足らずのリビング兼子ども部屋 (つまり部屋の床にランドセルや教科書が散乱しているリビング) に電子ピアノを置くのがせいいっぱいだ〜っ!