おぐにあやこの行った見た書いた

ビリーズブートキャンプ、なぜ人気?の記事

とりあえず、遅ればせながら、ビリーズブートキャンプの24日のイベントに絡めた記事でございます。

今回の記事のコンセプトは、「おいおい、日本でダイエットといえば、『○○だけでやせる』とか『楽してやせる』が王道だろうに、なぜこんなハードなエクササイズが受けるわけ?」という疑問に尽きます。

記事:苦行だが大人気、ビリーのDVD

夕刊一面記事なので、結構削りこまれちゃって、味気のない記事になっちゃってます。
記事の最後は、スポーツ医学の専門家のコメントを引いて、「メタボ予備軍の中高年は、飛んだりはねたりするより、酒の量を減らしたほうが……」というようなところに落としてます。

実は第一稿には最後の一文に、

でも、あたしは「生ビリー」より「生ビール」がいいな。

なんてオヤジギャグを加えていたのですが、さすがにまずかろう、と自ら削除。
そのかわりに、

うーん。エクササイズの後の生ビールは最高なんだけどなあ。

と書き加えてみたが、これもデスクにばっさり削られちゃったわん。ははは。

ビリー氏自身より、その魅力についてファンたちから声を集めることを重視して臨んだ取材だったんですが、結果からいうと、ビリー氏のトークは極めて印象的でした。
なんというか……むちゃくちゃ精神論な人なのね。
テレビで「キワモノ」のように扱われると、サービス精神が旺盛なだけにそこに乗っかっちゃう人のようですが、ご本人は実は極めて生真面目な人と見た。
筋肉隆々=脳みそ筋肉、という偏見はダメよダメダメ、と自分に言い聞かせた次第。

いえね。
みなでワークアウトしてるうちは良かったの。DVDの中の普段のビリーと同じ。ずっとしゃべり続け、励まし続ける。
ところがその後のトークタイムがすごかった。

私のつたない英語力ですから、細部は色々と間違えてるんでしょうが。
何しろ、いつものあのテンションで、

Who's got the power?!!!
Who's the boss?!!!
Is it exercise, or you?!!!


とか熱く語りかけちゃう。
ところが、通訳さんはこれを同じテンションで語れるわけもなく、おまけに「〜ですか?」と丁寧語で訳すし、おのずと通訳のタイムラグの間にテンションは下がっていく。
おまけに、こういう時、私たち日本人って、同じテンションで英語で
I've got the power! とか叫べないじゃん。
英語だって恥ずかしいけど、日本語だったらもっと恥ずかしいぞ、みたいな。

Do you love yourself?
How much?

とか真剣に聞いちゃうし。

この手のトークを通訳することの難しさを今回はまざまざと見せつけられた次第。
最後に、ビリー氏は真剣な眼差しで、
You've got a power! とお互いに大きな声で言い合い、抱き合え、と言うわけ。
それも、できるだけ見知らぬ相手とやってくれ、と。
動揺し、ついつい、恥ずかしがって笑っちゃう参加者たちに、ビリー氏はあの大きな瞳をキラキラさせながら悲しげに、「no laugh...」とか言うんだが、いやはや、日本人にはちと難易度が高いんじゃないだろか。
見知らぬ人とのハグ。
一つ間違えたら、自己開発セミナーの世界かも。
参加者の一人が「道徳の授業みたいだった」と漏らしたのもうなづけました。

ただ、記者会見で、さらに彼の受け答えを見ていて、これは本当にテレビで描かれている人物像とは随分違うなあ、と感じた次第。
200人の記者の囲み取材、という騒ぎだったのですが。
例えば、「日本では楽にやせる、という風潮がありますが」という質問には、

There's no easy success.

まったくおっしゃる通り。
私たちがちゃーんとそれさえ分かってたら「あるある大辞典」だの納豆だのの騒ぎもなかっただろうに。

さらに彼は言うわけです。

I don't train my body. I train my heart, my mind!
んでもって、鍛えられた肉体は、鍛えられた精神の単なる結果に過ぎない、と持論をとうとうと述べておられました。みんな、やせたい、とか身体を変えたいとか思いすぎだ、とも。

一言で言うなれば、この記者会見、
禅問答に近かったな。

例えば、
「好きな女性のタイプは?」という質問に、遠くを見つめながらうっとりと言う一言が、
What's in the soul...

「新たに挑戦したいことって何ですか?」と問われても、
いつもオレは挑戦していたいんだ」(ごめん、英文でメモしてない)

微妙に記者の問いかけと答が食い違っていて、それなのにビリー氏はいくつもいくつも言葉を費やして、極めて誠実に、驚くほど誠実に、心がいかに大事か、魂がいかに大事かを、とうとうと語り続けるのでした。

それにしても51歳の身体とは思えませんでした。
普通、「年齢詐称」って若く年齢を詐称するものだけど、もしも彼が実は41歳(……って私と同年齢か)だったと言われても、「ああ、やっぱりねー」とか納得しちゃうくらい、若々しい肉体に見えたのでした。

モーツァルト地獄、まだまだ続く

先日のピアノレッスンの覚え書き。

「前回はモーツァルトばかりでバッハをできなかったから、今日はバッハからやりましょーか」と木曽センセ。
いよいよ、バッハも2声インベンションを終え、3声シンフォニアの始まりです。

1〜3声の音楽を全部頭に入れ、歌えるようになって臨んだ練習ではあったのだけど、3つのパートをそれぞれにきれいに響かせられているかというとそれは別問題のようで。

センセから指摘されたのは次の3点。

・テーマが途切れることのない曲なので、むしろテーマ以外のパートをいかに美しく弾くかが大事。
・転調を感じ、意識すること。
・4分音符と8分、16分音符との音色の違いを意識する

んでもって、テーマ以外のパートを左右両手を使って弾く練習をしました。テーマ以外の2声を両方意識するためです。
実は、テーマだけを追って弾く、というのは密かに練習してたんだけどな。まだまだ、甘かった……。

で、お次が懸案のモーツァルト。
木曽センセは真顔で、「モーツァルトがどうなったかすごく心配してました」なんて言うから。
ああ、やっぱり私の前回のモーツァルトはあまりにあんまりだったのねえ。

とりあえず一楽章を通しで弾くと、木曽センセはしみじみと、「本当によく練習されましたねえ。前回と見違えるようです……」と。
そ、そんなに前はひどかったんですかね?

「それでも。それでもなお……」という感じで木曽センセが言ったのはやはり、
課題はモーツァルトの16分音符」だった。

つまり重いのだ。
指が上がらないんだ。
流れる。力が入る。全然天上の音楽じゃないーーーーっ!
弾いていて自分で悲鳴を上げたくなるくらいに。

木曽センセがこう言ってなぐさめてくれた。
「大人の方でね。ショパンとかロマン派を華やかに見事に弾きこなされる方でも、モーツァルトを弾かせたら、『あれれー??』って。そういうことは本当によくあるんです」

あと、この日の木曽センセの助言で一番最高だったのは、
モーツァルトは目線より上で歌ってください」かな。
すごくよく分かるけど。
余裕なく必死で弾いてる私には、とてもできないわー。

「指を上げて」
「ここは腕を上げて響かせて」
「あ、でも肩は上げない!」
「もっと上に、もっと上に響かせて!」

なーんて具合。
思わず弾き終わって、言っちゃいました。
「エアロビクスとかエクササイズの指導みたいですよねー」
だってほら、人気の、ビリーズブートキャンプだって、よくビリー氏が叫んでるじゃん。
「もっと低く!」とか「膝は前に出さない!」とか。
あんな感じ?

レッスン後、思わずセンセに、「モーツァルトのこの曲はもう、1楽章だけでいいです」とうめいてしまった。
木曽センセはにっこり笑顔で、「まあ、それは1楽章が仕上がってから考えましょー」だって。
いつ仕上がるんだ?
先の見えないモーツァルト地獄はまだまだ続く……。


お仕事いろいろ

最近、お仕事系の話を書いてないので、全然仕事してないんだろーと言われそう?
いえいえ。
記事になってないので、まだここには書いてませんが、いろいろ仕事もしてるのです。
例えば、ビリーズブートキャンプで有名なビリー・ブランクス氏のイベントをちらり取材してきた話とか。
その場での禅問答のような記者会見の話とか。

ほかにも4つくらい同時並行で取材進行中。
あさってには、実は子ども時代に、一番尊敬していた児童文学作家、松谷みよ子さんにいよいよ会いにいくのだーーーーーーーーーっ!
楽しみ楽しみ。

むかーしむかし、「大きくなったら童話作家になりたいです」と松谷さんにファンレターを書いたのだったっけ。
そしたら万年筆の手書きのお手紙をくださった。
恥も外聞もなく正直に書くならば、松谷さんやあまんきみこさんらが同人をされていて当時、まだ続いていた「びわの実学校」という児童文学雑誌に、投稿したこともあったっけかな。(確か中学校時代だ……)。

ああ、穴を掘ってでも入りたい。
童話作家には、ならなかったけど。
新聞記者として、私が一番最初に「書く」ことを意識したきっかけをつくってくれた松谷さんに会いに行けるというのは、このうえもない幸せなことだとしみじみ感じます。

★ホエール・トーク (著 クリス・クラッチャー) 読後評

★ホエール・トーク (著 クリス・クラッチャー)

久しぶりに圧倒的なヤングアダルトを読んだ、という感じです。

主人公のT・Jは、スポーツ万能、成績優秀。ただ黒人と日系と白人の混血で、ドラッグに溺れた母親に捨てられ、白人夫婦に引き取られた過去を持つ。
心に渦巻く怒りと痛みが、人種差別主義者に会うたび、噴出する。
そんな彼が、ひょんなことから水泳チームを作る。集めた部員はそれぞれに色々なものを抱えてる。
そんなチームが……、というような話。

内容はあまりに重く、それなのに物語の勢いもものすごく、一気に読める。

日本で今大流行の「スポーツ青春小説」の一つの王道って、「弱小チームに、あるいは平凡なチームに、すごいヤツが入ってきて、周囲を巻き込み、勝利に向かって突っ走る。途中、キャラクターの際立った仲間たちやライバル同士がぶつかりあう、友情の物語」ってな感じなんですが。

翻って、この小説を見れば、まあ、上記の構図とまったく違うわけじゃあない。だけど、なんか伝わってくるものが、全然違うのでした。
どっちが良いとかじゃなく、ただただ、違うのでした。

この小説を読めば、思春期の子どもたちが自分の感情を持てあましつつも、大人への階段を一つひとつ上るために、何が必要なのかが、しみじみと分かる感じがします。

同世代の仲間。
親以外の、信頼できる大人。
何か打ち込めるもの。

T・Jがギリギリのところで相手を殴らず、こらえ、踏みとどまり、言葉で主張したり、相手に理解してもらえる範囲の行動で自分の主張を前面に押し出していく過程は、感動的です。

水泳部を作り、仲間を得て、チームの隊長のごとく仲間を守るために奔走し、時には、守るべきものを得たことで救われ、時には、守ってやらねばという傲慢さを仲間に指摘されたりもしながら、彼は成長していきます。

たぶんこの小説が、いわゆる日本ではやりの「スポーツ青春小説」と明らかに違うのは、スポーツにおける勝ち負けや成長よりも、人間的な成長のほうに主眼を置いている点でしょう。
スポーツをするためのスポーツではなく、生きていくために必要なものを得るために、それをやっている、といった具合の子どもたち一人ひとりが無性にいとおしくなりました。

翻訳者の金原さんのあとがきに、彼のこの小説への思い入れがこめられていました。

これまでずいぶんいろんな本を訳してきた。どれも好きだし、それぞれに思い入れがある。が、また、それぞれに向き不向きがある。ハードなファンタジーが好きな人に薦めたい本もあれば、一風変わったリアリズム小説が好きな人に薦めたい本も、エスニック文学の好きな人に薦めたい現代小説もある。
しかし、相手の好みなどきくまでもなく、とにかく読んでみてくれと突き付けたくなる本というのもごくまれにある。


120%同感。
この本を手元に持っていたら、誰彼構わず「読んでみて」と突き付けてしまいそうになる。
自分でも怖いくらい。
ぜひ、読んでみてください。


★ホエール・トーク (著 クリス・クラッチャー)

★ホエール・トーク (著 クリス・クラッチャー)

まだ読み終わってないのに、いきなりエントリーを書いてしまうのはなぜかというと、これ、ものすごい本だったから。

この本に出会ったきっかけは、妙なご縁から。
昔、金原ひとみさんが芥川賞を取った時に、お父様の金原瑞人さんのインタビューというのをしました。
その時、若干、児童文学談義になりまして。

でもそれはずっと昔のお話。
ところが今年春になって、金原氏がルイス・サッカーの新作を訳している、という話が入ってきました。
ルイスサッカーといえば、「」が有名で、私もものすごく大好きな作品なのです。
おまけに、この新作は「穴」の続編というのです。
といっても、この続編「Small Step」は私、もう邦訳を待てず、原書でヒイヒイ言いながら読んじゃってるんですが。
(すでに5月発売。邦訳は「歩く」というタイトルです)

続編間近という時期に、ちょいと酔っぱらった勢いで、金原氏に「邦訳、心待ちにしてます!」みたいなメールを送っちゃったら、お返事をいただきました。

その中の一文が
「ルイス・サッカー、いいですよね。内容も雰囲気もまったく違うのですが、クリス・クラッチャーとなんとなく同じようなものを感じます」
でした。

クリス・クラッチャー?
読んだこと、ないかも!

慌てて探し出したのがこの作品。
翻訳は、金原氏です。

読み出してびっくりした。
日本で今はやりの「スポーツ青春小説」がお好きな方、ぜひぜひ読んでくださいませ。度肝抜かれるから。
むちゃくちゃ重いけれど、しびれます。

……などと、3分の1しか読んでない段階で、言い切っちゃって良いのだろうか。とりあえず、読書の途中経過報告、でした〜。




■ラファウ・ブレハッチ ピアノリサイタル@東京オペラシティ

■ラファウ・ブレハッチ ピアノリサイタル@東京オペラシティ

J.S.バッハ:イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971
リスト:3つの演奏会用練習曲
ドビュッシー:版画
(休憩)
ショパン
24の前奏曲op.28より 第13番〜第24番

22歳のショパンコンクール覇者、です。
ショパンと同じ、ポーランド生まれ。4歳でオルガンを、5歳からピアノを習い始め、14歳くらいで青少年のためのポーランド・ショパンコンクール第2位、17歳でA・ルービンシュタイン国際青少年ピアノコンクール第2位、ほかにもあちこちで入賞しまくった挙げ句、20歳で第15回ショパン国際コンクール優勝。おまけにこの時はマズルカ賞、ポロネーズ賞、コンチェルト賞とすべての副賞も受賞……ってここまでくるとちょっと嫌味?

最近、どちらかというと老齢に近いピアニストのリサイタルを聞く機会が多かったためか、なんか若さがまぶしかったわー。

これまで東京オペラシティでピアノリサイタルを聞いて、音色に感動したことってあまりなく、むしろ周囲の雑音ばかり響いてしまうホールにイライラすることも多かったのですが。
今回のブレハッチの音色は、音楽素人の私にも、心地よく(若干心地よすぎる感はあったけど)、海の底で演奏会を聴いているような気になりました。

バッハは大好きな曲。第三楽章のみ、小6の発表会で弾いたんだけど、大人になった今振り返ったら、なんともったいない弾き方をしたんだろう、と後悔しきり。「やっぱり発表会なんだからショパンとかリストとか派手な曲がほしかったよね」と母親まで不平を言ってたっけ。
今思えば、単に私の表現力がなかっただけ、なのよね。
素晴らしい曲なのです。

ブレハッチですが、「伸びやかなバッハだなあ」というのが第一印象。
すごく広がりのあるバッハ。
真っ直ぐなバッハ。
これって若さなんだろうあ。

リストでテクニックを見せた後、ドビュッシー。
前半プログラムは、「古典もからフランスものまで、実は僕ってあらゆるジャンルを自由に弾けるんだよねー」と言われてるみたいで、ははーーーって感じ。
「魂わしづかみ系」の演奏というわけではありませんでした。
むしろもう、技術の確かさ、音色の美しさ繊細さ、おまけに若くて端麗な容姿に、なんかもう、「はぁ〜」という感じだったのでした。

休憩ではお決まりのワインも飲む気がしなかった。
なんというかなあ。気分が華やいで、ああもう、飲んじゃえ!という気分の高揚もなかった、ということ。
きちんと音の一つ一つまで拾いたかった、というか。

後半のショパンは、より自信に満ちた演奏。
さらさら流れ落ちるような音の粒にはたぶん、あの会場の誰もが感動したと思う。
でも、これでもか、これでもか、と端正で悲哀に満ちたショパンを聴かされると、なんかもうお腹いっぱい。

むしろおもしろかったのは、アンコールの時かも。

ショパン:マズルカop.17-2
モショコフスキー:8つの性格的小品より「花火」
ショパン:ワルツOp.64-2
ショパン:小犬のワルツ

「花火」はカツァリスがよくアンコールに弾くけど、ブレハッチのもよかった。楽しかった。
3曲目のワルツは、情感込めすぎるほど込めすぎ、工夫しつくされていて、観客を思いきり意識した、生ならではの演奏だったと感じた。
翌日に頭の中で鳴るのは、たぶん、この1曲だろうな、と思うほど。
アンコールの4曲がどれも妙に印象に残ったのは、たぶん、こちらのほうが自由な肩の凝らない演奏で、その分、ブレハッチの人柄がよく出てたからだと思う。
音を楽しんで、自分なりに解釈して、工夫して、聴衆の反応までも楽しんで、若さと勢いで何でも弾いちゃうタイプ。

何というか……終わってみれば、「ああ、10年後、あるいは20年後、巨匠とか言われる日が来た時、お得感一杯でこの演奏会を思い出すんだろうなあ」と思ったのでした。
お得感一杯、まさにそんな感じ。

最後に。
このリサイタルは圧倒的に女性ファンが多くてね。
アンコールの前に花束渡した女性、何人いたっけなあ。
すさまじいものがありました。
ハンカチ王子、ハニカミ王子みたいなもんで、いわゆる「王子」系なんでしょうねえ。
3階席センターで音を楽しんだオバサンには、顔は見えなかったけど、確かに音は「王子さま」っぽかったわ。

★イレギュラー (著・三羽省吾)

★イレギュラー (著・三羽省吾)

「バッテリー」とか「DIVE」とか「一瞬の風になれ」とか、スポーツ青春小説大流行の中、じゃあ、これもまとめて読んじゃうか、と手を伸ばした1冊。
「厭世フレーバー」(ブログ内で書評書いた記憶あり)と同じ作者なんですねえ。「厭世」も結構おもしろかったと記憶してます。

水害にあった過疎村、という縦糸がしっかりしているのが、この小説の特徴です。隣町の避難所で暮らす過疎村住民たちの苛立ち、町の人たちからの同情や憐れみへの反発、排斥に対する怒り……そういったことの中で、過疎村の高校球児たちと、町の私立名門野球部球児たちとの絡みが印象深く描かれております。

やたら漫画ちっくです。
良い意味でも悪い意味でも。
キャラクターの描き方も、ある意味、漫画的。うまく言えないんですが。
ただし、個人的にはあんまり好きな文体ではありません。勢いもあるし、調子もいいんですが、なんか荒い感じがして。
正直言うと、漫画の「メジャー」読んでるのと似たような感じ。
小説である必要はあまり感じませんでした。

漫画、漫画、と漫画をバカにしてるわけじゃありません。
私は、漫画、今でも大好きだし。
つまりどういうことかというと夜中の2時から読み始め、次の日は仕事と分かっているのに朝の5時まで一気に読破しちゃったよ、ということ。それだけ、おもしろく読める、ということでもあります。

唯一、あのさーと思ったのは。
主人公の球がジャイロボール、というくだり。
つい、漫画「メジャー」の吾郎を思い出し、
「またかよ」と思ってしまったのでした。

★高層難民 (著・渡辺実)

★高層難民 (著・渡辺実)

高層マンションに暮らす人が増える中、今、大地震が来たら、高層マンション住民に何が起こるか、という本です。
こういう本を読んで、すぐに何か対策を取ろうとするか、それとも「何かやらなきゃー」と思うだけで終わってしまうかが、運命を分けるのかもなあ。
私はいつも後者。
例えば、「枕元に運動靴をいざと言う時に置いておかなきゃ」と思い続けてはや数年。いまだ実行してません。

今度の防災の日こそ、家族できちんと話し合って……とか思うのですけどねえ。

著者は、大都会に大地震が来ると「高層難民」「帰宅難民」「避難所難民」の三大震災難民が発生する、と断言します。

高層マンションで予想されるのは、まず、地震とともにエレベーターが止まること。閉じこめられるのは恐怖ですが、そうならなかったとしても、エレベーターだけでなく、ガスやら水道やらが復旧するまでの期間、高層マンションの住民は、10階以上の階段を何度も上がり下りして、例えば水の入ったポリタンクを運ばねばならない……と。
想像しただけで怖いです。

著書はここで「生き残りのためのマニュアル」を惜しむことなく披露してます。へええ、と思ったことを列記してみると……。

飲料水は1日1人3リットルで3日間備蓄せよ

4人家族で12リットル。まず水洗トイレのタンクには約8〜10リットルの新鮮な水が常に備蓄されているので、これを使わない手はない、と著者は指摘します。
大事なことは、日頃からタンクの水垢などを掃除しておくこと。トイレの水を流すレバーを地震後すぐにガムテープでとめてしまうこと。習慣でつい流してしまったら最後、せっかくの新鮮な水8〜10リットルは一瞬にして流れちゃうからです。
さらに、水の備蓄として、著者は冷蔵庫の製氷ボックスを挙げます。氷を溶かせば立派な飲料水。
トイレと製氷ボックスでも12リットルくらいになりうる、というわけです。

冷蔵庫の活用

電気が止まったら、冷蔵庫なんてただのハコ。そう思ってましたが、著者によるとそれは大間違い。
地震後、停電と分かったら、冷凍庫に入ってるカチンカチンの冷凍食品や肉や魚の切り身などを冷蔵庫部分の最上階にぎっしりと詰め込め、と著者はいいます。その下のスペースにはさらに残った冷凍食品やら野菜、食材などをあまり詰め込まない程度に入れ、冷蔵庫のドアを閉め、家族の誰かが間違えて開けないように、ガムテープで目張りしろ、と。

備蓄していた非常食で地震後1〜2日をしのいだ後、2〜3日目にこの冷蔵庫のドアを開けると、肉や魚がほどよく解凍されているんだそうです。
カセットコンロでこの際、バーベキューでも家族で楽しみなさい、と。

上記2点のアイデアには、私もホホーと感動。
ほかにもいっぱい書いてありましたが、「目からウロコ」という点では上記2点が圧倒的に興味深かったのでした。

★家日和 (著・奥田英朗)

★家日和 (著・奥田英朗)

本日の新幹線日帰り出張のお供に持参した本。
軽く読めるユーモア小説短編集。
個人的には、奥田さんの小説は「最悪」「邪魔」系の重い、救いのない話が好きなんですが、この方はむしろユーモア系でますますご健筆、という感じでした。

多少、単純でわかりやすすぎる気がしましたが、新幹線読書にはそれくらいでちょうど良かったのかも。あまり複雑だと寝ちゃうものね。

ネットオークションにはまる専業主婦。会社が倒産し、主夫となる営業マン。家にやってくるケーハクな営業マンにセクシャルな妄想を膨らませる在宅内職妻。妻に出て行かれたマンションの部屋に、オーディオ機器やホームシアターを買い込み、理想の「男の隠れ家」をつい完成させちゃう夫。ロハスにはまる妻をネタについ小説を書いちゃう小説家などなど。
特に最後の「ロハス妻とその近所のお仲間をネタにして、皮肉ったユーモア小説を書いてもいいかどうか思い悩む小説家の話」というのが笑えた。案外、奥田氏の妻がロハスにはまってたりして……とか、となると極めて興味深い二重構造になってるわけだな、なんて想像したりして、笑っちゃいました。


廊下にミミズがうねうね……だったらしい

宿直勤務明けの夫が、寝ぼけ眼で家の廊下を歩いていたら、目の前に何かがウネウネしていたらしい。
よく見ると、巨大なミミズ、だったらしい。

夫は呆然とし、思わず割り箸でそれをつまみ上げ、そのまま……
イモリの水槽にボトン。

「おーい、ミミズがなぜか廊下をはってたぞ! 勘弁してくれよ。イモリの水槽に放り込んでおいたからな」と夫。
そんな電話を職場で受け、「ちょっと! イモリには歯がないんだから、ミミズを丸ごと食べられるわけないでしょっ!」と思わず怒鳴ったのが私。

水槽に、ダラーンと伸びきったミミズの死体があることを覚悟し、帰宅。
ところが息子とどんなに見渡しても、水槽に巨大ミミズの影はない。
いったいどういうことだろうか。

息子は「きっと食べたんだよ」という。
「だって、普通のイモリはミミズを食べるんでしょ? 世の中のミミズはちぎられてないよ」と。
なるほど。
それも一理ある。

ということで。本日。
息子と息子の友だちで、「ミミズ1匹丸ごとイモリが食べられるかどうか」の実験をし始めた。
ミミズを1匹、水槽にドボン!

しかし、イモリはまったく気にせず歩き回るだけ。
一方ミミズは……。

ひええええ!
ジャリの間をもぐっていく〜。
も、もしかして、先日の巨大ミミズはジャリの中に潜りきったところで、昇天あそばしたのではないだろーか。
それって……怖すぎる。

今、息子と友だちの2人で、水槽のジャリをかき回している模様。
なんでも「ミミズ捜索隊」なんだそうで。
さきほど「やっぱりいない」という報告も届きました。

「やっぱり食べたのかなあ」。
ミミズの謎は解けないままなのでありました。

朝から読み聞かせ、2回目

本日も行って参りました。
小3息子のクラスでの朝の読み聞かせ。
今回は、ちゃんと図書館から本を借りてきました。

こしぬけウィリー

1冊目はこれ。
ハエも殺せず、人にぶつかられても「ごめんなさい!」とつい言っちゃう。殴られても「ごめんなさい!」と。それで「こしぬけウィリー」と呼ばれちゃっていたウィリー君が、トレーニングを重ね、筋肉ムキムキマンに大変身したはずが……って話。

1ページ目。「ウィリーは、ハエもころせない。」
この一文を読んだだけで、もうあちこちで笑いが起きた。なぜだろう。笑うところじゃないんだけど。
でも、「お話を聞く準備はできてるぜ、ベイビー」という子どもたちの合図と受け止め、読み進める。
結構反応の良かった本。
最後のオチも、素直に笑ってたな。

チキチキチキチキいそいでいそいで

ナンセンス絵本系の読み聞かせ本では決定打、ではないかしらん。
ただし、急いで読むべきところを効果的に使うため、ほかを少しゆっくり目にするなど、読む側の努力と工夫が求められる本でもあるのよねー。
絵本の隅々まで、愉快な絵が詰まっているので、
読み聞かせでそれを全部伝えるのは思ったより難しかった〜。

ぼくのおとうさんははげだぞ

小さい絵本だし、やっぱり、子どもたちもそれぞれに家庭の事情を抱えていたりするので、いったんボツにしたのですが。
もう一度、読み直してみると、単なるお笑い絵本でもないし、しみじみと何か伝わるものもあるのではないか、と思い直し、思い切って、最後に読んでみました。
親から子に伝わるもの。それをどんな風に受け止め、生きていくのか。
そんなことまで、とうてい伝えられたとは思わないけれど。
「はげ」という言葉のおもしろさだけが子どもの心に残って、それが攻撃性を帯びて周囲の誰かに向かったり、そういうことだけはないように、留意して読んでみました。
が、どうだろうなあ。

いろいろな事情や背景を思いつつ、絵本を選んでいると、結構読み聞かせ絵本を選ぶのって難しいなあ、と思ったりします。

お勧め本がありましたら、ぜひぜひコメントよろしくお願いします。
(クラスのほかのお母さんが名乗りあげない限り、延々と私、読むことになりそうなので……。でもなんか趣味の一つになりつつあります。子どもの反応ってむちゃくちゃおもしろいし)。

増殖するチョコケーキ

昆虫飼育の醍醐味は、やはり「変態」だと思う。
卵から幼虫へ。蛹から成虫へ。形が変わる瞬間が大好き。
こんな私がケーキを焼くとどうなるか。

膨らめば膨らむほど、なんか、単にうれしい。
そんなわけで、ついつい指定の量より増やしてしまいがちなのが、ベーキングパウダーなるしろもの。
つまりはふくらし粉、ですな。

ええい、もう1杯入れちゃえ!

焼き始めからほんの5分。
オーブンの中は大変なことに!!!

取りあえず、焼き上がったケーキを見てください。
これ……。

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分かってもらえるかなあ。
奥半分がパウンドケーキの型。手前半分はそこからあふれ出し、ふくらんだ増殖ケーキ。
息子が「ケーキが2つ焼けたと思ったらいいじゃん。どうせ家で食べるんだし」となぐさめてくれた。
ううう、ぐっすん。


★四度目の氷河期 (著・荻原浩)

★四度目の氷河期 (著・荻原浩)

何でも書ける荻原氏が、青春小説を書くとこうなるのか、という感じの作品。
「バッテリー」「DIVE」「一瞬の風になれ」など、児童文学出身の女性の書き手が次々にスポーツ青春小説を発表し、それぞれに人気を博してるわけですが、荻原さんのこの作品は、「そうだよね、スポーツ小説(この本の場合は、槍投げ)だって、この程度にはよれたり、ねじれたり、下手に盛り上げず淡々と描いたり、別の要素をぶちこんだりしたっていいよね」と妙に納得させてくれます。
ただし、母親の病死、という設定はちょっといただけない気がしました。

父親が誰か、母親に教えてもらえないまま、クラスメートや田舎の地域社会に親子で排斥されてきた「ぼく」。ある日、彼は自分の父親を「クロマニヨン人」だと思いこみ、「ぼくはトクベツな子ども」と自ら決める……というような話。
他人と違う自分にひりひりする一方で、「トクベツ」と思いこむことで自分を守ろうとする幼い日の主人公の存在は、読んでいてハラハラさせられます。
やっぱり私自身が、男の子の母親だからかなあ。

彼がでも、成長の末、最後にロシアで見つけた答は、なかなか素敵でした。

ぼくはずっと自分を人と違うと思って生きてきた。普通とは違う自分に怯え、同時にうっとりしていた。自分を特別だと考えていた。
ちっとも特別じゃない。
ぼくは六十五億分の一。人類の何十万年もの歴史の中の、たった十七年を生きているだけ。自分の存在が、人類の進化の過程にいくつも存在する失われた環(ミッシング・リング)なんかじゃなくて、誰かと確実につながっていることがわかった。(略)
人間も生き物もみんな長い長い生命連鎖でつながっているけれど、それは過去につながれているわけじゃなくて、気まぐれにバトンを渡された、リレー走者になっただけのことなんだ。だったら前だけを見て走ればいい。


ね?
なんと多弁な思春期少年なんでしょ、と思わないでもないですが、少なくとも、作者の思いがビシバシ伝わって来るわけです。

それにしても。
妙に実感したのは、やっぱり歴史観って大切だなあ、ということ。きちんと歴史を学び、時代の縦軸、横軸の両方を知識として知っているかどうかが、実は、思春期の思索を狭く閉じさせない鍵を握っているのかも。そんなことをふと思った小説でした。




モーツァルト地獄

モーツァルトのピアノ曲って、天上の音楽ですよね。
音が、コロコロ、キラキラしていて、変化に富んでいて、気まぐれ天使みたいに次々と表情が変わる。
グールドにピリス、ハイドシェックも聴いたけど、私はやっぱり、内田光子さんのモーツァルトが一番好き。

……ってな理想を抱いてしまった大人が、モーツァルトを弾こうとすると、地獄を見るわけです。はい。
ある程度予想してはいたけれど、ここまで苦しいとは!
諸事情あって、大好きな木曽センセのレッスンをしばらく中断しなければならなくなりそうで、「最後になにをやるか?」と考えた時、「モーツァルト」を思いついたのでした。
やはり、きちんとモーツァルトも弾ける人間でありたい、みたいな。
大げさですが。

妹から譲ってもらったヘンレ版の楽譜は前編のため、ソナタ第1〜9番までしか収録されていません。実は10番以降にずらずらっと美しい曲が並ぶわけだけど、とりあえず、手持ちの楽譜の1〜9番の中で選ぶことにしました。

最初、選んだのは、ピアノソナタ5番。
比較的簡単そうだったし、短いし、かわいらしい曲だったから。
でも。でも。内田光子さんの演奏をあらためて聴いたら、やっぱり6番が好きで好きでたまらない自分に気付いちゃった。
6番はとんでもなく長いし、5番より難しそうで、いったんは自分で却下した曲だったんですよね。
でも、初志貫徹!

ということで、先日のレッスンでは、モーツァルトのピアノソナタ6番と、バッハのシンフォニア1番を持っていったのでした。

発表会以来、1カ月ぶりに会った木曽センセは、むちゃくちゃ元気。先日、ツアー客に同伴し、ロシアのチャイコフスキーの生家に行き、そこで演奏会をしたそうで。何でも、年に2度の演奏会以外は滅多に使われることのないチャイコフスキーのそのピアノを、日本人で初めて弾かせてもらったんだそうな。
それがいかに感動的な体験だったか。そこで聴いた現地の演奏家たちによる演奏に、号泣した話などなど。

うれしくてうれしくてたまらないといった顔で話し続ける木曽センセを見ながら、「ははは、またレッスンの半時間、お話タイムになっちゃった」と苦笑いしつつも、一方で私はいつも、ほんと、この先生が好きだなあ、と思う。

で、半時間が経過した後、ようやくピアノレッスン。
「まずはモーツァルトを聴かせてください」と言われ、1楽章を頑張って弾きました。
弾き終わった時の木曽センセの台詞はコレ。

「お、おぐにさん、モーツァルト弾くと別人みたいですね。
どーしちゃったんですか?」


ああ、やっぱり。
思わず、「だから長年、モーツァルトだけは弾かないぞ、と決めてたんです。指の回らない中年に、あの天上の音色が奏でられるわけないもの……」と、ふてくされちゃったよ、私。

それから木曽センセの嵐のようなレッスン。
「おぐにさん。モーツァルトのピアノ曲はすべてオーケスラの音色で弾かねばなりません」
「頭の中でオーケストラの音が鳴ってますか?」
「最初の3小節のユニゾンは、トゥッティ(全奏者がいっせいに演奏すること)です」
さらに、一つ一つのパートについて、「これはオーケストラではどんな楽器に奏でさせますか?」と質問攻めに。

自慢じゃないが、私はオーケストラを聴きに行ったことはほんの数度しかない。ピアノのソロなら自分なりに受け止められるけど、オーケストラになるともう、あっちこっちから音が鳴るので、自分で十分に受け止めきれない。
なんか、あまり楽しくない。おまけに、ピアノのソロリサイタルより当然チケットの値段も高い。だったらピアノのほうがいいや、と最近は避けているのだ。
正直言って指揮者が誰でも全然違いなんかわからないもの。猫に小判、っていうやつよね。

「ここは管楽器? それとも弦楽器? 管楽器なら金管? 木管?」と問われてもなあ……。
わからないのよー。

そんな私に木曽センセは無情にも一言。
「おぐにさん。ピアノだけでなく、オーケストラをいっぱい聴いてください。特にモーツァルトの曲をできるだけたくさん弾いてください。でないと、モーツァルトのピアノ曲は弾けません」

ぐさっ。ぐさぐさっ。
……でも、がんばろうっと。
何でも、モーツァルトがピアノソナタ第6番を作曲したのは19歳の時。すでに交響曲を30曲くらい作曲してたんだって。
ほんと、おそろしい男だ。

まあ、レッスンはこんな具合で、第一楽章の前半3分の1、つまり主題提示部だけで1時間もかかり、結局、時間切れ。
バッハなんて、聴いてもらえなかった〜。がっかり。

すっかり落ち込む私を、木曽センセはこんな言葉でなぐさめてくれようとする。
「私も大学時代、モーツァルトには本当に悩みました。モーツァルトって、弾けば弾くほど、自分の性格がまるで鏡みたいに映し出されるの。きつかったです。リストやショパンのエチュードをさらっと弾けても、モーツァルトは最後まで悩みました」

ショパンのエチュード?
リストのエチュード?
それを「さらっと」弾けてなお、悩むのがモーツァルトなのか。

木曽センセは「大人の方がモーツァルトを弾くと、みなさん、ものすごく苦しまれますから」とも。

ははは。しばらく私、モーツァルト地獄をジタバタすること決定です。
第三楽章までほんとに行き着けるかしらん。

楽天巨人戦@東京ドームにて

去年も交流戦を狙って、東京ドームに楽天を見に行った我々親子。
今年も行って参りました〜。
9日土曜日。
去年は楽天の勝利試合を見られたし、先日の日ハム主催楽天戦@東京ドームなんかは、田中マー君先発で延長戦の末に楽天が勝利!という最高の展開。さてさて、今度はどうかしらん。

……しかし。
少年野球の練習が終わって、試合開始後15分くらいして東京ドームに飛び込んだ私たちの目に飛び込んできたのは、巨人のチームカラーのオレンジ色のタオルがクルクルと回る光景。
(ご存じない方へ。巨人ファンは、得点のたび、タオルを回すのです)。

それからも、まあ、本塁打を打たれまくりました。
合計5本! 阿部は2本打つし、小笠原は満塁打だし。

え? よほど親子で落ち込んでいたんだろ、って?
とんでもな〜い!
こんな試合展開の時のために用意した巨人のロゴ入りオレンジ色のタオルをすかさず鞄から取り出す私。
それをつかむと、おもむろにグルグル振り回す息子!
ははは、親子して変わり身の早いこと早いこと。
さすがに阪神巨人戦で、阪神の席でこれをやったら殺されますが。
今回はほとんどバックネット裏だったので、まあ、許してね。

それでも、楽天・山崎の特大ホームランの時には親子して万歳しました〜。はた目に見ると、「なんじゃ、こいつら」な存在だったに違いあるまい。

本日の東京ドームは空調の調子が悪かったのか、むちゃくちゃ蒸し暑かった。お客さんもみな、「おいおい、今日はいったいどうしたんだ?」と文句言いまくり。
まるで、ビールの売上げを上げるために、空調を切っちゃったんじゃなかろうね!という感じ。こっちも腹立たしかったので、意地になって、生ビールは1杯だけにしちゃった。
が、その分ストレスがたまってポップコーンやポテトチップスをむさぼり食ってしまい、帰宅後に体重を計ったら2キロも太っていた。

まいったまいった。

朝から読み聞かせ3冊

息子が3年生になって、このクラスでも読み聞かせをすることになった。ということで、私も行って参りました。
去年も一度やったんですけどね
すごく楽しかったので、今年もやってみるかな、と。
午前8時20分から40分までの20分間。

図書館で、読み聞かせにいいと評判の絵本を数冊予約を入れて取り置いてもらっていたというのに。
なんとなんと、昨日の夜中まで読み聞かせのことをすっかり忘れており、図書館に本を取りに行くのを忘れていたのでした。
夜中に呆然。
あわてて、自宅にある絵本を物色したというわけ。

第一、何分間の時間があるのかを確認するのも忘れていたので、何冊くらい読めるものなのかも分からず、適当に本を見繕って、多めに持って行くことにした。
あとは、その場の雰囲気を見て、適当に選んで読めばいいや、と。

家から持参したのは、以下の絵本。

ぼうし (瀬川康男)
いつもちこくのおとこのこ ジョン・パトリック・ノーマン・マクヘネシー (ジョン・バーニンガム)
・ゴリラのビックリばこ (長新太)
こまった鳥の木 (スーザン・メドー)
あなたをずっとあいしてる (宮西達也)

最初に子どもたちの顔をみて、去年よりずっと落ち着いた顔をしていたので、思い切って 「あなたをずっとあいしてる」から入ることにした。

草食恐竜マイアサウラに育てられた肉食恐竜ティラノサウルスの子どもの話。思春期以上の子が読めば、「自分が自分であること」について考えさせられる本でもあり、実はとても深いのだけれど、会話文が多く、読みようによっては、ただのドタバタ風のおもしろさもある、という感じの絵本です。

これは、話を理解してもらうために、かなりゆっくり目に読んでみた。

読み終わったところで、すでに13分を経過。残り7分。
次の絵本を選んでみた。
「こまった鳥の木」は集中して話を聞かないと、エンディングのオチを笑えないから除外、「いつもちこくの……」は私は大好きなんだけど、一クラスくらいの人数の前で読むのは少々難しい本に思えた。
それで、結局、長新太さんのナンセンス本「ゴリラのビックリばこ」。
困った時のナンセンス頼み、というやつですな。

読み始めたら、案外長い絵本で、あれれ、時間オーバーするかも、と焦り始めた。仕方ないので、調子よくポンポン、速い口調で読んだ。
あんまり味わう台詞、というわけでもないし。
ゆっくり読んだのは「メガネメガネザル」の部分くらい。

で、ひと笑いし、読み終わり、時計を見たら……あれれ、速すぎた。
まだ3分残っていたのだった。

ええい! こうなったら思い切り短いのをもう1冊行こうぜ!
とばかりに、愛蔵本「ぼうし」に着手。
実は、私は大人になってからこの本に出会っており、あまりに感動し、自分のために買った挙げ句、さらに、今の夫と結婚する前に、彼へのプレゼントとして買ったこともある思い出の本なのです。
ということで、我が家では、この本が2冊仲良く並んでいます。

「べんけいが おびしめて たすきをかけて はちまきをして ぼうしをかぶり。 あなたいつまでかぶっているの? しんでもぼうしをかぶっています」
みたいな半ば言葉遊びのような繰り返し。
でもラストがいいのよ〜。

3年生には、あまりに幼い、短い絵本かな、とも思ったのですが、意外や意外!
「ももたろうが おびしめて たちをはき はちまきをして ぼうしをかぶり」
だけで、なぜか子どもたちは爆笑。
いったい何のツボに入ったのか。
こっちも、これだけ短い文章の絵本なので、子どもの反応を見ながら読めるから楽しい。
ページをめくるたびに笑いが起こる、なごやかな雰囲気で、わずか2分足らずの絵本「ぼうし」を終了。

「おしまいっ!」と終わると、ほぼ時間きっかり。
1日のスタートを楽しく切ることができました。
次回こそ、図書館から本を借りてこなくちゃ!

★絶対学力 (著・糸山泰造)

★絶対学力 (著・糸山泰造)

息子が9歳、小学3年生でして。
つい、帯にあった言葉 「『9歳の壁』を乗り越えられないと高学年で学力不振に!」 という言葉にびびって、図書館で借りてしまったのでした。
(びびっても、あくまで借りて、買わないところがミソだな……)

さわりだけ読んで、「おお、陰山センセの100マス計算と公文式批判、というやつだな」と理解しました。

陰山センセのほうは、私は一定の効果があると思ったりもしますが、息子は根性がないし、私にもあえてやらせようとするだけの根性もないので、うちでは全然やってないし。

公文式は、そもそも、不登校児を対象にオータナティブスクールなどで実践している友人たちから、「公文をやってきた子はすぐわかる。『習ってないから分からない』と先に言い、分からないなりに考えようとしない」とよく聞かされていたので、そもそも、うちの息子みたいなタイプには不向きだろうと判断しました。
(これだって、合う合わないがあると思いますが)

著者の主張はシンプルで、

「幼児期には『ゆっくり、じっくり、丁寧に』、体験に裏付けされた豊かな言葉を習得させ、『考える力』をつけてやること。考える力がないと、具象思考から抽象思考へと劇的に思考形態が変化する『9歳の壁』を突破できない」

ということ。
そして、時期を間違った学習方法(12歳までのスピード練習)は 「確実に子どもの頭の柔軟性を失わせ、本来持ってる力を低下させ、取り返しのつかない不幸な結果をもたらす」と。

この人の、公文式批判は、かなり激しいものがあるのです。
著者の実践については、このホームページでよく分かるかな。

この本には「やってはいけない家庭学習ワースト10」というのがございまして。笑った、笑った。

●高速学習
 算数の「10の補数」と「九九」はある程度の速さが求められるが、この二つの計算以外は速くするのは百害あって一利なし。

●先行学習
 上の学年の勉強を先に家で教えちゃうこと。応用力がつかない。

●垂れ流し学習
 問題集をやる→答合わせをする→復習する、というやつ。

●圧縮(まとめ)学習
 一気にまとめてやっちゃう、というやつ。高学年で対応でいない悪い習慣をつけちゃう。

●宿題学習
 お粗末3点セットは、教科書の音読、漢字の書き取り、計算ドリル、だそうです。

そのほか色々、列挙されております。
家で全然勉強しない息子なので、「やってはいけないリスト」で引っかかってるのは、「宿題」だけでした。ははは。
私の中学時代を思い出すと、「圧縮(まとめ)学習」タイプだったなあ。確かにあれじゃ、知識が全然蓄積されないのよねえ。

でも、「やってはいけない」で一番感心したのは、実は、

●親子学習

かな。
すなわち、低学年の時期に親が子どもに勉強を教えることは、先生に質問しない子を産み出し、高学年での学業不振につながる、という話。
確かに、自分のことを振り返ると、私の親ってそもそも勉強にノータッチだったから、授業の後に先生に質問するのは私の趣味みたいなものだったっけ。
私は息子に質問されると、つい口出しちゃうもんなー。
漢字は自信がないから「ドラえもんに聞きなさい!」(ドラえもんの漢字辞典があるの)と叫ぶけど。

「先生に聞けば」と言っちゃえばいいわけだ。
なるほど、簡単!

とまあ、「やってはいけない」系の記述は気楽に読めるのですが、この本は単にそれだけじゃあ、終わってくれません。

例えば、「母親の最大の責任は言葉を習得させること」だって。
おいおい、父親の責任はどうなるんだよ!
でもまあ、そこで彼が書いているのは

読み聞かせは最低でも小3まで続ける

というもので、これには納得。
というか、小学校に入ると読み聞かせを周囲の親がいっきにしなくなるのを見て、すごく不思議だなあ、と思っていたから。
うちなんか、もともと本をそれほど読まないので、いまだ延々と読まされ続けてます。
それでも最近おもしろいなあ、と思うのは、ドキドキワクワク系の児童文学を3分の1くらい読んだところで、「今日はここまで!」なんて途中でやめて、本を放り出しておくと、たいてい息子が、ふりがなのついてない漢字なんかも苦にせず、一人で読んじゃうことが増えたこと。

ということで、読み聞かせ時代はしばらく続きそう。

ちなみにこの本の最後にはかなり分量の多い資料がついてまして、良質な問題例だとか、考える習慣があるかないかのチェック表なんかがついていた。特にこのチェック表。まじめに息子について考えたら、空恐ろしくなるくらいうちの子も「重症」であることがチラリと分かったので、途中で読むのをやめた。
問題例も、たぶん、2学年くらい下の問題だって、文章問題を毛嫌いしている息子には解けないだろうな。

真剣に考えると別の意味で「教育ママ」になっちゃいそうなので、とりあえず、「やってはいけない」だけ頭に残しておくことにしたのでした。

旧姓併記旅券への道3

注:「旧姓併記旅券への道2」より続く。

旅券課のご担当者が電話でおっしゃるには
「戸籍謄本は本日無事に届きました」。
ここまでは予想していた通り。
意気込みを見せるため、速達で送ったしね。

ところが、次の一言には驚いちゃった。

「それで、いただいた書類を精査した結果、旅券事務所のレベルで、旧姓併記旅券を発行できると判断いたしましたので、来週、受け取りにきてください」

えええええっ!

まず、先に、喜び。
外務省に回されて、さんざ待たされて、挙げ句に「ダメです!」と連絡が来ることを覚悟していたもんだから。

それから疑問。
いったい何が決め手になったのだろう。

とりあえず、電話のお相手に尋ねてみた。
「今後のためにも教えてください。今回は何が決め手になったんでしょうか?」

説明によると、

・戸籍謄本によって婚姻後の書籍であることが証明できた。
・戸籍謄本と社員証によって、職場で旧姓を使用していることが証明できた。
・今回追加で送った新聞記事も含め、たくさんの提出書類のお陰で、総合的に海外で「活躍」していることも証明された。

というような判断をしてくださったことが分かりました。

厳密にこの書類とあの書類があったから認められた、という説明ではなかったけれど、やはり昔と同様、あれこれ大量の添付書類を見繕って窓口で切々を訴える、というようなことが、案外効果を発揮するのかもしれません。

それともう一つ。

「旧姓併記旅券への道1」に切々と書いたように、そもそも私は今回、「会社の所属長印を押した書類がなきゃ、私が『おぐに』であることを認めてもらえないのか?」という悔しさからスタートし、「会社の書類なんかの力を借りてたまるか」と半ば意地になったわけだけど。

結果的には、「所属長印を押した旧姓使用証明書」こそ提出しなかったけれど、やはり旧姓で仕事をしていることの証明として「社員証」が、海外で仕事をしたことの証明として「会社の仕事として行った海外出張をまとめた新聞記事コピー」が、やはり力を発揮してくれたことは間違いないのでありました。
それがちょっと悔しいところではあります。

それでもそれでも。
婚姻届を出して約10年。
運転免許書や健康保険証、通帳など次々と旧姓名義のものを失い、いまや私が「おぐに」であることをそれなりに証明してくれそうなIDカードは、社員証と国会記者証だけとなっていたわけだけど。
(もちろん、社員証じゃあ何もできない)。
10年ぶりに私は、「おぐに」という文字の入った身分証明書を手に入れられるというわけです。

もちろん、かといって、今の法律の下では、この旧姓併記旅券を使ってあらたに旧姓名義の銀行口座を開くようなことはできません。
ただし。

次のステップとして、今度は旧姓併記ではなく、旧姓の「おぐに」名で新たにクレジットカードをつくってみようかな、と思っております。写真入りカードをつくっておけば、国によっては、身分証明書代わりになる、と聞いたので。
(去年、シアトルマリナーズの試合を見に行った時、生ビール1杯買うのに身分証明書を見せろと言われ、わざわざ旅券を出さなきゃいけなかった。あれはかなり面倒。クレジットカードで済むならそのほうが助かるもの)

ただし、カードの名義と、支払い口座の名義が違うという点で、若干の手続きが必要かもしれません。半年ほど前に問い合わせたいくつかのカード会社によると、確か、これができる会社とできない会社と両方あるみたいでした。
そのあたりを、「旧姓併記旅券への道4」以降でご報告したいな、と思っております。

それにしても。
来週の旅券受け取りがすっごく楽しみ。
変よね。
たかが「おぐに」の名前が、あくまで「併記」されるだけなのに。
なぜ、こんなにうれしいんだろう。


旧姓併記旅券への道2

先週末、追加で戸籍謄本を別途郵送しました。

職場所属長印を押した「旧姓使用証明証」なる書類を添えて申請すれば、旅券事務所の判断で旧姓併記旅券を発行してもらえる旨の説明を受けた話は、先日のエントリー「旧姓併記旅券への道1」に書いた通りです。

「旧姓使用証明書」を提出しないのであれば、あれこれの材料で「旧姓を使って」「海外で活躍している」という2点を証明するしかないわけです。
私が先日、提出してみたのは、

・著書4冊 → 添付書類として表紙のコピー
・海外の大学から来た封書1枚 → コピー
・海外の企業から来た封書1枚 → 現物
・社員証(旧姓併記)のコピー
・国会記者証(旧姓のみ)のコピー

この段階でネックになったのは、「海外で活躍している」とは言えない、という点だったと思います。
さらに、旧姓で出した著書が、婚姻後のものであることを証明するために、婚姻日時の分かる書類、すなわち戸籍謄本(本当は抄本でも良いそうですが、これはもう念のため)が必要となったわけです。

このあたりは事務所の方もとても親切で、「何度もご足労いただくのは申し訳ないから」とわざわざ宛名入りの切手を貼った封筒を用意してくださり、「郵送で結構ですよ」と言っていただきました。
先日の申請前に、旅券事務所に電話で問い合わせた際、念には念をと「戸籍謄本などは必要ないのですか?」と確認したのに、電話相談担当者から「必要ありません」と明言されちゃった事情を説明したから、事務所の方が申し訳なく思ってくださった結果かもしれませんが。

そんなこんなで週末に、戸籍謄本を追加で郵送しました。
ついでに、ふと思いついて、

・婚姻後に海外出張し、取材した内容をまとめた記事のコピー

などを同封しました。

本日夕方、旅券事務所の方から携帯電話に連絡をいただきました。
先日の申請時に、「戸籍謄本のコピーが届いた時点でいったんご連絡を差し上げ、そのうえで、外務省に申請書類を回します」というような説明を受けていたので、その連絡かな、と思ったのですが……。

(つづく)

さくっと潮干狩り

朝起きたら午前9時。
夕方4時過ぎには仕事に行かなきゃ。
それでも、短い時間で遊ぼうとしちゃうわけだな。
行ってきました、都心から最も近い潮干狩りスポット、船橋三番瀬。

海辺には、午前11時半着。遅いスタート。
1時間半、アサリを追い回し、1時に帰り支度をし、1時半に現地出発、2時半には帰宅。あーあ、忙しかった。

今回、私と息子の2人でアサリ1・2キロでした。
アサリというのは、一つみつかるといくつも次々見つかるのが魅力で、私はこれを「金脈」と呼んでますが、潮干狩りスポットで迷子が多い最大の原因はこの「金脈」のせいではないか、と。

たいがい、大人は「金脈」を掘り当てると寡黙になります。
誰にも知られないようにこっそり一人で掘り尽くそう、と思うわけ。
一方、親が寡黙だと、子どもはつまらなくなります。勝手にあちこち行っちゃいます。でも、もはや「金脈」に魅入られている親は、子どもの行動に気付かないんですねー。

んなわけで、本日も、迷子アナウンスが鳴り響いておりました。

ところで。
この金脈を掘り当てた息子の言葉がおもしろかった。
「母ちゃん。アサリは家族で住んでるんだねえ」
さらに、1個か2個のアサリしか見つからなかった時には、こんな一言も。
「あれれ、ここは家族が出張に行ってるんだよ」

出張、ですかー。
そういえば、夫が長い長い1カ月の海外出張から戻ってきたばかり。
アサリも、人間も、やっぱり家族は一緒にいたいよなぁ。

砂も吐かせ、さて、明日から、潮汁にボンゴレに酒蒸し。
幸せの食卓が始まる予定でっす。

イモリ、ミミズを食う

夕方遅く、息子が勢いよく帰ってきた。
その手に、みたこともない錆びて凹んだ小さなバケツが一つ。
中には黒々とした腐葉土。

「それなに?」と聞く私。
「秘密基地で見つけた」と息子。

息子はおもむろにバケツの中に割り箸を突っ込み、モゾモゾモゾと動く何かをつかみあげた。

きょ、きょ、巨大なミミズ、なのだった。

「これ、イモリにあげようと思って探してきたんだ!」
「母ちゃんがこの前、インターネットで調べてくれたでしょ。イモリのエサ。みみずを食べるって言ってたじゃん」

んなこと言っただろうか。
もう覚えてない母ちゃんなのだった。
もしかして、イモリじゃなくて、ヤモリが食べるんだったりすると、すっごくまずい展開だよなー、と内心ひやひや。

息子はその巨大なミミズをいきなり水槽にボトン。
おいおい、そりゃ無理だろ。
ミミズの体長のほうが、イモリよりでかいぜ。

うねうねうねと動き回るミミズ。
それに食いつく、イモリ。
だが、イモリには、歯がない。
飲み込むしかすべをしらないイモリは、食らいついたままミミズに振り回され、パニックを起こし、ミミズを口から離してしまう。

「だめだなー。やっぱり大きすぎるんだ」

息子はミミズを水から箸でつまみ上げると、箸と手をつかって、

ぶちっ、ぶちっ、ぶちっ

ミミズを4つに引きちぎったのだった。

ひえええええええ。
さすがに飼育系母ちゃんのプライドがあるから、声には出さなかったけど、心の中で悲鳴を上げた。
気持ち悪すぎる〜。

しかし驚いた。
平気な顔でミミズをちぎる息子にも。
4等分されたミミズに食らいついて、みるみる飲み込んでいくイモリたちにも。

我が家のイモリ水槽の隣には、今なお、錆びて凹んだバケツが一つ、泥だらけのまま置いてあります。
その中には腐葉土があって、息子によるとあと3匹ほどミミズが生きてうごめいているそうです。
「1日おきに食べさせようっと」
息子は張り切ってます。

酔っぱらって帰宅した夫が、このバケツを蹴り倒したら……。
あるいは、ミミズの冒険心に火がつき、ミミズたちが腐葉土入りのバケツから旅立っちゃったりしたら……。

想像するだけで怖い母ちゃんなのでした。
でも、イモリがミミズを食べる姿は、これまた、なかなかのものなので、「また見たいな」とも思ってしまう母ちゃんなのでした。





★チーム・バチスタの栄光 (著・海堂尊)

★チーム・バチスタの栄光 (著・海堂尊)

第4回「このミステリーがすごい」大賞受賞作です。
おもしろい、と評判だったので、遅ればせながら読んでみました。
はい、むちゃくちゃおもしろかったです。
何がって、一人ひとりのキャラクターが際立って魅力的であること、かな。

主人公は、権力闘争の中枢からはすっかりはずれたところにいる、が、自らの意志でそこから離れた、と周囲から認識されているがゆえに、病院内では風変わりな存在でもある勤務医の「俺」。

まあ、この「俺」も良いのですが、何といっても、おもしろいのは、この病院に乗り込んでくる厚生労働省官僚の「白鳥」という男。
ものすごくイヤなヤツで、おまけに頭がきれる。
奥田英朗さんの書く医者「伊良部」を若干想起させるけど、キャラクターだけでいうと、私はこの白鳥のほうが興味深い。
ぜひ、彼をつかってシリーズものを、と思っちゃうわけだな。
って思って調べたら、案の定、あらら、第三弾まで出てるのね。
ちょっと読んでみようっと。

ただ、よくよく考えると、奥田さんの「伊良部」にせよ、この本の「白鳥」にせよ、主人公に絡んでくる副主人公である、という点が興味深いなあ、と思った。
そもそも、彼らを主人公格に据え、「第一人称」を使った物語というのは、やっぱり無理があるものね。

活躍する主人公に自己投影して楽しむサスペンスより、とんでもなくイヤな副主人公の活躍に「とほほ」とぼやきつつ、振り回される主人公の物語が、今の時代は好まれるのかもなあ、などと思ったのだった。

一点だけ。
44ページに、「自分と真逆のスタイル」って文章が出てくるんだけど。とうとう、印刷物にも「真逆」という言葉が普通に登場しちゃうようになったのか、とがっかり来たのだった。
(参考サイトにこれこれ
流行語か何かしらないが、すでに定着したような顔をしているところがイヤになる。
この言葉、なんかよくわからんが、ものすごく嫌いなのだった……。