おぐにあやこの行った見た書いた

スズムシ、誕生!

塾や公文はもちろん、通信教育系も一切拒否している息子が、唯一ほしがったのが、学研の科学。
もちろん、付録目当てです。
私も夫も、子ども時代に、付録目当ての「科学」愛好家だったし、まあ、子どもなんてそんなもんよね。

で、5月号は「スズムシ観察ハウス」。
このリンクの真ん中あたりにあるやつ。

卵が付録についてくるんだけど、それが昨夜、とうとう孵化しましたっ!
孵化したてのスズムシって真っ白なのねえ。
ほんとにこれが、こんなちゃちな付録の観察セットの中で育つのか、よくわかりませんが、
これからの夏が楽しみ〜。

今年はカブト虫が我が家にいないので、何をやろうかな、と思っていたところにスズムシ登場。
飼育おたくの母ちゃんとしては、またまた張り合いのある日々が始まろうというもの。

え、先日大騒ぎしたイモリ?
もちろん元気よ。
3日に1回、アカムシをあげてます。
こっちもかなりかわいいんだけどね。
冷凍アカムシを売っていた熱帯魚屋が近所から撤退しちゃったので、今度はどこで買えばいいのか、それだけが気掛かり。
近所で買えないとなったら、遠方に買いに行くことになりますが、帰宅するまでにアカムシの冷凍が溶けちゃったりすると、かなり怖いじゃない?



旧姓併記旅券への道1

パスポートが切れるので、申請に行きました。
昨年3月、旅券に旧姓併記する条件が緩和され、以前のように、旧姓での活動や実績が海外の大学や学会からの招聘状などで確認できなくても、「職場で旧姓使用が認められていること及び業務により渡航する者」であれば認められるようになりました。
それで、旧姓併記で旅券申請しようかな、と思った次第。

例えば、取材で海外などに行った場合、旅券に記載された戸籍名でホテルなどに宿泊しますよね? ところが、取材先が急に私に連絡が取りたくてホテルに「おぐにさんを」と電話したところで、「こちらにそういうお客様はおりません」でお終い。そういうトラブルが実際にかつてありました。
そんなこともあって、旧姓併記できる話を聞いて、次回の切り替え時には絶対にトライしようと思っていたんです。

おまけに夫婦別姓がちっとも実現しない今、証明書に「おぐに」の旧姓を記せる可能性が残されているのは旅券だけ。この旅券を身分証明書にすればクレジットカードを旧姓で作ることができると、クレジット会社にすでに確認済み。この際、支払い口座名義が戸籍姓であっても構わない、という点も。
一方、銀行口座のほうは、たとえ旅券に旧姓併記したところで、旧姓で口座を開くことは法律上できないんですけどね。

旧姓併記については、本当は、職場の上司にお願いをして、旧姓使用証明書にはんこを押してもらえば、済む話だったんです。

ところが、この旧姓使用証明書を前に、ちょっと考え込んでしまったのでした。
新聞記者という仕事柄、いつ仕事で渡航するか、予定なんて立つわけないし、旅券の失効時期にちょうどタイミング良く次の海外出張の予定が決まってるなんて都合の良い話はあるわけないのに、渡航予定日や渡航予定先まで記入しなきゃあならない。

つまり、テキトーに記入しろ、ってこと?
厳密に言えばウソじゃん。
ウソはやだなあ。

そもそも、会社勤めしてないけど海外で取材活動を行っているフリーのライターさんたちは、どんな書類で認められるんだろう??

それで確かめてみたくなりました。
会社の書類なしでどこまでできるだろう、って。

とりあえず、著書4冊と海外の大学から送られてきた封書1通、ほかにたまたま海外の会社からCDを送ってもらった時の封書を付けて、申請に行ってみました。

最初に言われたのは、
「海外で出した本はありませんか?」でした。
つまり、海外で取材した内容を含んだ本であっても、海外で出版してなければ、「海外で活動している」と認めるには不十分らしい。
(資料として提出するのは本の表紙のコピーであって、本の内容ではないのでした……)。

次に言われたのは、「新聞社にお勤めでしたら、『旧姓使用証明書』を提出してくださればすぐに旧姓併記で発行できますよ」ってこと。
窓口の方が親切で言ってくださった助言だったのに、なぜかなあ、この一言で私の何かにスイッチが入っちゃった。

実は、私の職場の机の中には、すでに「旧姓使用証明書」の書式が入っています。上司に見せて、「いざと言う時は書いてね」とも伝えたことがあります。
それでも、なんか妙に抵抗があったのです。
「結局、会社の力を借りないと、私は『おぐに』の旅券をもらえないってことか〜」って。
なんかこだわってしまっていたのでした。

だから、窓口では、こう答えてしまいました。
「会社から書類をもらうことは可能だと思う。でも私は知りたいんです。会社の書類なしには、認められないのかどうか。例えば、フリーライターさんならどうですか? どういう書類があれば認められるんですか?
旅券の問い合わせ窓口では、これとこれがあれば必ず認められる、というような言い方を絶対になさいませんよね。ケースバイケースで判断します、と。だから、ネット上でも古い情報から新しい情報まで色々な情報が飛び交ってます。特に会社組織に属してない人は苦労もしてます。
私はこの著書のほとんどを、会社の仕事とは別の取材活動として書きました。会社員として海外で取材活動を行ったこともありますが、会社の仕事以外で海外で取材したことも何度もあります。
勤務先の社印を押した書類なしで、旧姓併記を認めてもらえるかどうか、そのために何が必要なのか、確かめてみたいんです。
それで認めてもらえないなら、何が問題だったのか、きちんと理由を説明してくださればいいです。認めてもらえなかった段階で、もう一度検討して、『旧姓使用証明書』を提出して申請しなおしますから」

なんでかなあ。
むちゃくちゃ意地になってた気がする。
一言でいうなれば、「私が『おぐに』(旧姓)であることを、会社の力を借りずに証明したい」という思い。
いやはや。

よくよく考えるとものすごくナンセンス。
旅券の名義が、人間の存在を左右するわけなんかないのにねえ。

このクソ忙しい時に、窓口で延々と30分も1時間も説明に費やしたのはなぜなのか、なぜこうまで意地を張っちゃったのか、自己分析してみた。

結婚して以来、「おぐに」を証明してくれるモノが何一つなくなり、名義変更すれば健康保険証や郵便局の通帳の「おぐに」名義を二重線で消され、訂正印を押さされ、そんな一つひとつの経験の積み重ねの果てに、旧姓へのこだわりがますます強くなっていたことが一つの理由。

あと、会社の書類一つで、あっさり旧姓「おぐに」を認めてもらえちゃうことへの妙な抵抗感が、私の中にはあるのだなあ、とも気づきました。
会社のルーティーンワークとは別に、自分なりの思い入れを大事に、取材し、本にまとめてきた努力や時間を、私はたぶん、思いのほか大切に思っていたのかもしれません。

何やってんだろ、と自分でも思っちゃう。
制度に対する抵抗というには、あまりに徹底してないし。
どうしようもなくなったら会社に泣きついて「旧姓使用証明書」を出してもらえばいいや、という担保を確保した上での「ジタバタ」にほかならず、それで社会が変わるわけでもなく、誰かのための行動というわけでもなく……。
はっきり言えば、私の単なる自己満足に過ぎない。

そこまで頭で分かっていてもなお、やっぱり、会社名義の「旧姓使用証明書」なしでまずは申請してみたかったのだった。
それで結果的にだめだったとしても。

例えばこの先、私が会社を辞めたなら、求職中だったら、「旧姓使用証明書」を用意することもできない。会社員でなくなったら、私は「おぐに」の名前を併記した旅券を取る道が閉ざされるってわけ?

窓口の女性の、さらに上司の女性が登場したので、正直にそんな思いを伝えたら、意外なことに、彼女はまっすぐに、すっきりと、私の言い分を受け止めてくれたのでした。
「フリーの方でも、会社組織の書類がなくても、旧姓併記が認められているケースはあります。もう条件緩和から1年が経っています。少しずつ状況は緩和されてきています」。
彼女は私の目を見て、きっぱりとこう言ったのだった。
「わかりました。じゃあ、やってみましょう!」

「旧姓使用証明書」があれば、旅券事務所レベルで判断して発券が可能なんだそうだ。でも、その書類がないと、事務所レベルでは判断ができないため、「事情説明書」を添付し、外務省の協議にかけられる。となると、1カ月くらいかかることもあるし、その上で不許可の結論が出ることもある、と一連の流れを説明してくださった。
とりあえず、事情説明書を作文する。
自分の作文のまずさで旧姓併記できなかったら、こりゃ、あきらめもつくというもんだ。

ところがところが。
再度、窓口に行ったら、さっきまで対応してくださった女性上司の方が不在で、また、新たなご担当者が登場し、私の事情説明書を読んで一言、
「会社に所属されているなら、会社に『旧姓使用証明書』を出してもらったら、すぐにOKが出ますよ〜。事情説明書なんてなくても、旧姓使用証明書があれば確実なのに」

だから、それ、もう、終わった議論なんですってば……。
一から、再び、ほとんど理屈にならない思いを、熱っぽく語る私。
「だから、外務省協議でも何でもかけてください。それで不許可なら、その理由とともに教えてくだされば結構です。だったら納得もします。どういう結論が出るのか確かめようというこの作業も、自分にとっては、取材活動の一つだと思ってます」
などと説明していたら、さきほどまで対応してくださっていた女性が飛んできてくれて、周囲のスタッフにはっきり宣言してくださった。

「この人は、旧姓使用証明書なしで、事情説明書を添えていったん申請することでもう決定してますからっ!」

その彼女の毅然とした態度に、ちょっとだけ胸を衝かれた。
ああ、この人はたぶん、私のむちゃくちゃ意固地な、ほとんど理屈ではない、説明しようのない思いを、そのまま、きちんと受け止めてくれたんだ、と、そう思えたから。

彼女がふと私に言った。
「記者さんはやはり旧姓を使う方が多いんですか? 昨年、条件が緩和されて以来、たくさんの記者さんが申請に来られているんですよ。それまでは、申請前にわざわざ離婚されたりしていたそうです……」
きっと彼女は、この旅券事務所で、色々なものを見つめてこられたんだろう、とふと思った。

ということで、「旧姓併記旅券への道1」でした。
「2」を書けるのは、いつかなあ。


★自立クライシス (著・金子由美子)

★自立クライシス 保健室からの思春期レポート (著・金子由美子)

子どもたちの抱える現実を、学校の中で最も肌身に染みてしっているのは、保健室の養護教諭だと思う。特にリストカットの取材をしていると、それを痛感する。
だから保健室関連の本は、できるだけ手に取るようにしているのだけれど、経験と具体例の豊かさでは、この本はものすごく内容が濃いと思った。

いくつか面白い視点も提供している。

人間関係トラブルに対処する力が著しく乏しく、自信がない子は、むしろおとなしめの男の子に多い、という指摘。
著者はその背景について、「言葉でやり合い、話し合いで解決しようとする女の子に比べると、男の子は暴力的、攻撃的な行動が目立つ。だが、ケガをしたり持ち物を壊されたりすると物証が残るために、すぐ『事件』となってしまう。親が相手の家に直接抗議に行くこともある。学校でも『危機管理』意識が高まり、たいしたことがないと思われるような事件でも、担任教員が介入して『解決』してしまうことが増えている」と説明する。
つまり、男の子のトラブルは分かりやすい分、小学生のころからやたら親や先生が介入してしまうため、子ども同士で解決する力が特に男の子の間で育たないのではないか、という指摘だ。
やはり、トラブルを自分で解決する力というのは、小さいころからの積み重ねなんだろうな、と思った。

もう一つは、なぜ学校が被虐待児を発見するのが難しいか、という理由。
「親に嫌われるのを恐れて暴力に耐えている子どもたちは、勉強も運動もせいいっぱいに頑張ってしまう。友だちとのトラブルも回避し、極力目立たず、『普通』『優等生』の学校生活を送っている」
「虐待を受けている子は、親の権力的な支配に脅えている。その親と、管理的で厳格なタイプの教員とは、高圧的なイメージが重なり、心を開くことができないことが多い。また、気が向いた時にだけかわいがる、親の身勝手な優しさにも不信感を持っているため、優しいタイプの教員にも期待することができない」
非常に的を射た指摘だと思いました。

興味深かった指導例を2つ。

一つは、中学1年の時から、休み時間になると担任を追っかけて、「男子にいじめられる」などと毎時間のように耳打ちする女子生徒の話。特に一人の男の子の名前を挙げ、「授業中うるさかった」「先生に口答えした」などと校則違反や規則違反について毎日訴えるようになり、級友たちは、何でも告げ口しちゃうこの女子生徒にうんざりしている様子。
ある時は、ちょっと鞄にぶつかられただけなのに、大げさに倒れて見せ、親にも報告したらしく、母親は「いじめがおさまるまで学校に行かせない!」と大変な剣幕に。
しばらくは保健室登校が続くようになりました。
保健室では、クラスメートや小学校時代の先生の批判を延々としゃべりつづけ、ほかの生徒が養護教諭と会話しようとすると嫉妬し、「私の話、聞いてないでしょ!」と怒り出すしまつ。
さて、こんな女の子のことを、著者はどう指導したか。
なんと著者は、女子生徒を相手に、「私はあなたと話していて楽しくない時もあるのよ。人に話しかけるにはルールがあって、相手の人に話を聞いてらう時間があるかどうか、確認しなくっちゃだめなんだけど、あなたは保健室がどんなに忙しそうでも、かまわず自分の話ばかりするでしょ」とズバリ言ってしまうのです。
そして、この一言を突破口に、彼女の心を開いていくんですね。
やっぱりプロだなあ……と。

もう一つは、プライバシーを教える話。
友だちがいないと不安な子、一人でいられない子、友だちとの距離を測れない子が増えている、というのは、自傷取材をしていると、そのものズバリで感じる話ですし、私もかつて、そういう部分があっただけに、冷や汗タラタラなのですが。
そういう子たちの中には、ついつい、友だちに物理的に近付きすぎて、肌感覚としてうっとうしいと思われちゃう子がいるそうです。
そんな子たちにどう指導するか。

「人とは30センチの距離を取りなさい」と具体的に30センチの物差しを持ち出して、教えてやるんだそうです。それより近付くと、息づかいまで聞こえる。鼻息までかかる。他人にはこれ以上近付かれたくない、という距離があるんだよ、それ以上近付くと他人から警戒されちゃう。遠すぎても心が伝わらないけれどね、と。
いやはや、うまいなあ、と思ってしまった。

また、著者は「開かれた保健室」をモットーにしているようで、常時、何人もの保健室登校の子たちがいる状態で、子ども同士の「ピア・カウンセリング」が生まれる空間を上手に演出している点には、すっかり感服しました。

というのも、リストカットなどの取材をしていて、よく養護教諭から聞かされる話に、「少子化で子どもの数は減ったけど、保健室に来る子の数は増えるばかりで、おまけにそれぞれの子が以前より個別に話を聞いてもらいたがるため、ものすごく仕事が大変になった」というのがあるんです。
でも、著者の保健室では、まるで飽和状態みたいに生徒があふれかえっている中でも、なんとなしに、それぞれの子に居場所があって、何となしに、お互いの悩みを聞きかじり、何となしにそこに人間関係が生まれ、気付けば子ども同士で支えあったり、励まし合ったりといった仲間意識が築かれていく。
これは、もう、非常に高度な保健室運営だ、と感じました。

★ヤンキース流広報術 (著・広岡勲)

★ヤンキース流広報術 (著・広岡勲)

元報知新聞記者の著者が、松井秀喜選手のメジャー入りにあたり、松井選手本人から乞われてヤンキース球団広報に就任し、大量に押し寄せた日本メディアを交通整理しつつ、信頼関係を築きつつ、松井選手はもとより、ヤンキース球団、さらにはアメリカのメジャーリーグの魅力を演出すべく奮闘する、という体験記。

これを読んで、なぜ松井選手が毎日毎日、試合の後に記者会見に答えているのかがよく分かったのでした。その背景に、「伊良部選手の広報の失敗」があったことも。

大量に押し寄せた日本人記者団に、例えば、「地元米国メディア関係者に積極的に声をかけよう!」と提案をした、なんてエピソードは極めて興味深かった。その必要性を日本メディア関係者に理解させるために、「数年前、韓国から有名選手が来た時のことを思い出してほしい。韓国メディアがどっと押し寄せ、彼らだけで固まり、韓国語でワイワイやっていた時、君たちはどう思った? 今度は君たちがそう思われているかもしれないんだよ」と説明した、なんて話も。

やはり、元記者。
記者の心理をつかむのがうまいのである。
松井選手の地元での浸透を狙って、地元メディア相手に「ゴジラ」のニックネームを勝手に考案し、使いまくった、というあたり、なるほど、あれにも仕掛けがあったのか、という感じ。

松井選手がけがした時も、元記者の経験として、情報操作や情報隠蔽がいかにあとで問題を大きくしてしまうか知っていたから、広報担当として毎日会見を開き、できる限りの情報公開する一方で、常に忘れ去られないようにこまめに話題を提供した、なんて話も。

また、松井選手の存在をかさに来て、記者を見下したりしないよう自分を戒めた、なんて話も、そういう態度が最も記者に嫌がられる、あるいは足元を見られることを熟知しているからなんだろう。

日米の差でいえば、松井選手が腕を故障して、「チームメイトに迷惑をかけて申し訳ない」というコメントを発表した時、球団関係者やマスコミが、「ハッスルプレーの結果のけがなのに、謝るなんて、なんと謙虚な男だ!」と話題になった、というのは、考えさせられた。
日本では誰もが普通に口にするお決まりの謝罪なんだけどなあ。

また、広岡氏のモットーは「こちらから胸を開いて、相手の懐に飛び込む」という手法。やっぱり、最後は人と人なんだなあ、と納得。

ということで、どのエピソードも、特にメディアに属する者として極めて興味深かったし、そうでない人でもすごく楽しく読める本だと思う。

ただし。
この本はたぶん、「記者・広岡勲」ではなく、あくまで「広報・広岡勲」が書いた本であることを心のどこかに留めておいたほうがいい気がした。

つまり、この本もまた、松井選手やヤンキース球団、ひいては米国の野球がいかに魅力的であるか、ということを読者に上手に伝えることを目的とし、持てる「広報技術」を駆使して書かれた本である、ということ。
基本的には、どんな広報術で色々なトラブルを乗り切ってきたか、という体験記の形を取っているし、自身の失敗談や、ネガティブな話もちゃんとバランス良く散りばめているにもかかわらず、結果的には、読者に松井選手とヤンキース球団の素晴らしさが伝わるように書かれている。
一部の読者に、「ただの自画自賛じゃん」と思わせてしまっているのはそのせいだろう。

この本自体が、極めて巧妙な「ヤンキース流広報術」、なのだろうな。

★アトピーの女王 (著・雨宮処凛)

★アトピーの女王 (著・雨宮処凛)

雨宮さんのアトピーとの闘いの歴史を綴った書。
アトピーが、友人関係に、家族関係に、人格形成に、恋愛に、職業選択に、いったいどれほどの影響を与えるかという点で、これほど広範囲に、率直に語った体験記は珍しいのではないか。

実は私、大人になって出産したのをきっかけにアトピーを発病。今や結構苦しんでいるのです。ついつい、必死で読んでしまった。
アトピー当事者必読の書であり、アトピー治療にたずさわる医療関係者や、アトピーに無関係に生きてこられた人にも読んでほしいもんだ、と思った本でした。

★「ニッポン社会」入門 (著・コリン・ジョイス)

★「ニッポン社会」入門 (著・コリン・ジョイス)

英国高級紙の東京特派員が書いた本。
副題はなんと、「英国人記者の抱腹レポート」。
だいたい「抱腹」なんて言葉を冠する本に、笑える本なんてないのよ!と思いつつ読んだら……こりゃたしかに、抱腹、かも。
かなりおもしろかったです。

また、同じ業界にいる者としても考えさせられる点が多かったです。
「(勤務先の英国紙の)デスクは、社説の文体は世界中どこでも同じだと思っていて、ぼくに読売新聞から強い非難ないし賞賛のフレーズを引用してくるようにと言ってくる。ぼくが日本の新聞の論調は『たしかに○○であるが、一方××でもあり』ときて、『この問題に関しては真剣な論議が必要だ』と結ばれているのが普通だと伝えても、決して信じてはくれないのだ」とか。
ね、かなり抱腹ものでしょ?

でも、この本がある面においてとても真摯なのは、特派員として、異国の話を本国の読者に向けて書くことの難しさについて、誠実に語っていることだと思う。

日本についての固定観念を裏付けるような記事を書くのは簡単だ (過労死と日本の働き過ぎ文化など)。また、固定観念をまるごと覆すような記事を書くのも難しくない (会社からドロップアウトして趣味を追求するフリーターなど)。しかし、その中間の微妙な記事はどういうわけか、うまく伝わらないのである。

その例として、「セックスレス」と「できちゃった婚」の両方を書いたら、英国にいるデスクが「日本人はやりまくってるのか、やらなくなってるのか、どっちなんだ?」と聞いてきた、というエピソードを挙げている。
なるほどなあ。

実は、上記の「中間が伝わらない」は、日本にいて、国内の記事を書く新聞記者もまた抱える悩みだと思う。
いかにも、な、固定観念に乗っかった記事は分かってもらいやすい。
あるいは、それを覆す記事は、記事として、読んでもらいやすい。
しかし、現実はもっと複雑で、重層的で、そう簡単にどちらかに振れてはいない。それを誠実に書いていると、そもそも、ニュースとして成り立たなくなってしまう。
そんなジレンマ。

これが前書きできちんと書かれてあったものだから、もう、迷わず、一気に読破してしまったのだった。
以下、おもしろかったところを列挙します。

*著者は「日本社会を知る格好の場所」として、公共のプールを挙げる。恐ろしく混雑しているのに整然としているから。「秩序と安全に対する日本人の愛の証」とまで彼はいう。日本人が100人利用できるプールで、英国人なら60人もいれば泳げなくなってしまうだろう、とも。
(その国らしさをどんな場面で感じ取るか、という点は、記者のセンスをいかにも表していて、公共プール、というのは結構気に入ってしまった)

*日本語は簡単だ、と著者は言う。名詞に単数複数の区別はなく、性や格変化もない、と。確かにそうだなー。ちなみに作者が最も練習を繰り返した単語は、「うどん」と「旅館」らしい。で、いまだ区別が難しいのは「作家」と「サッカー」だそうだ。
(私自身、とある英語教師に、「英語って許せない。なぜ、claimとかproclaimとかreclaimとか、似たような単語があるんだ!」とぼやいたら、やはり「作家」と「サッカー」について文句を言われたのを思い出した)

*「田中さん」が自己紹介する時は「田中です」で済むが、外国人である自分が「コリンです」と言うと、日本人は目の前の白人が日本語を話していると悟ってくれない。だから、「私はコリンといいます」と言わねばならない。
(痛いところを突かれた〜と笑ってしまった)

*わずか3単語で明快に意味を伝えることわざ「猫に小判」はすごい!、と著者はいう。
(んなこと、考えたこともなかったぞ)

*著者が日本語の非論理性の象徴として、「今度」という言葉を挙げていること。「今度、今度ねー」と言われた著者が、「今度=this time」と思っていたら、「次回=next time」のことだった、というエピソード。(なるほど、今度と、今回とは、違うのねえ)

*著者が日本に長く暮らすうち、自分が日本人化していることを自覚した、というくだり。「ぼく自身がイヤだと思っていた日本人の癖を身につけてしまった」と。例えば、英国から友人がやってくるたび、納豆や梅干しを食べさせてみたい誘惑に駆られるとか、彼らがゴミの分別ができるか小うるさく監視してしまう、とか。彼の仲間の英国人記者は、英語で頼み事をするときでさえ、いつも、I know you're busy but...と前置きするようになっちゃったそうだ。うーん、すごい!

*著者が勧める東京スポットは、大田区の本門寺。松濤園という庭園がすばらしいんだそうだ。(あーん、行ったことないぞ)。

*「イギリスと日本は似ている」と著者に言ってきたのは全員日本人で、英国人は一人もいない。
(これは一番笑えた話の一つ。むむ、なるほど)

*著者の、「日本の土産」考も笑える。彼が英国に持ち帰りたいのは、マッサージ椅子。しかし重すぎる。無印良品の名刺入れ。しかし英国で販売が始まった。味噌。これはみそ汁ではなく、きゅうりにつけて食べるものとして土産にするのが良い。枝豆。腐りやすいから残念ながらダメ。外国人に枝豆ファンが多い、というのは有名。だからスルメが良い。でも煎餅は人気なし。お茶はダメだが、お茶漬け海苔やふりかけは好まれる。ごまドレッシングや和風ドレッシングは高い評価を受けている。夏なら、畳スリッパ。それから、瀬戸物のおちょこ、扇子……。

とまあ、私はいくつものエピソードのたび、クスクスと笑いまくったのでした。抱腹、とまでは言えないにせよ。

でも、一番考えさせられたのは「イギリス人が読みたがる日本のニュース」という章。
この章は、「悪いのはぼくだ」、という一文から始まる。
日本に関するエキセントリックな話題が世界中に流布しているのは、彼ら日本在住の特派員に責任がある、という懺悔なのだ。

日本に関する記事がどうやっても「キワモノ記事」的三面記事になってしまうメカニズムを正直に書いている。
例えば好まれるのは、ロボットネタ。原宿に集まる少年少女。パラパラにルーズソックスに厚底ブーツ。「たまごっちを思い出せない特派員などいはしないだろう」と彼は書く。

彼のデスクが気に入るテーマは、

第二次世界大戦、相撲、ヤクザ、芸者、皇室、女性、若者文化、憲法9条、奇妙な犯罪

だそうだ。パチンコ、宝塚、着物、演歌あたりも、結構いけるらしい。

考えさせられたのは、彼自身の経験談。
日本人のペットに対する態度が変わって来ているとを伝えたくて、ペットも住めるよう設計されたマンションが登場した話を彼は記事にしたという。
確かに、日本でもペットではなく、「コンパニオン・アニマル」という概念がほぼ定着したことを、ペット大国、英国に知ってもらいたいもんだ。
が、彼の記事は、英国のデスクによって見事なまでにねじ曲げられる。

東京はペットにやさしい都市になりつつあるという内容の記事になるはずが、デスクはそれを、日本人は病的なまでに清潔なため建設会社はマンションの入り口に犬専用のシャワーを取り付けさせられているという趣旨のものへと変えたのである

少なくとも私の勤務先でここまで見事に書き換えることはありえないけれど、でも、掲載されるされないの部分でそういったバイアスが常にかかることは皆知っている。

例えば、インドの記事ならITかカーストか道行く象や牛の話が、フランスの記事なら食べ物や芸術や日本ブームの話が、アフリカなら難民や内戦や貧困の話が、どうやっても日本の新聞ではおさまりよく記事にされやすい。

いずこも同じ、なのだ。
で、厳密にいうと、国内でドメスティックな記事を書くことに終始している私だって、同じジレンマを抱えている、と思う。

「サラリーマン」は「悲哀」なほうが読まれるし、「女性」は「元気印」がいい。地方都市は「悲惨なほどの過疎」か、「それをプラスに転じる新たな試み」かどちらかしか読まれず、普段の現実は記事にならない。

また、彼はジャーナリストとしての話以外に、異国で、外国人として暮らすことについても貴重な洞察を行っている。
彼は「ガイジン」として、日本社会の「和」を乱せるか、と提起し、「ガイジン」として暮らす中で日々感じる膨大なジレンマを列挙する。ここはものすごく迫力がある。

曰く、

人のよさそうな男性から「あんたはいいガイジンさんだねえ」と言われた。あなたは素直にこれをお世辞と受け取るだろうか。それとも、万一、この人の気に入らないことをしでかしてしまったら、この人はきっと自分のことを「不良ガイジン」と呼ぶだろうと言う含みをかぎ取るだろうか。

とか、

「納豆は平気ですか?」。こう尋ねられるのはもう10回目だ。今回、質問してきた人は、純粋に好奇心から尋ねてみたに違いなく、悪意はまったくなさそうだ。あなたなら、どう答えるだろう。そしてあなたはこの質問にこれから1年ないし2年、丁寧に返答し続けることができるだろうか?

とか。

私はこれを読んで、二度と外国の人に「納豆は平気か」とか「箸は使えるか」とか「刺身は好きか」とか、言うのはやめようと思った。

最後に。
彼は、日本に新たに暮らす外国人を想定し、こんな助言を行っている。

以下の二点について頻繁に質問されることを覚悟しておくとよい。すなわち、「納豆は平気ですか」と「日本は好きですか」である。ぼくは二番目の問いに対しては「イエス」と答えることをお勧めする。そう答えておけば、君は話し相手の共感を得ることができるらだ。そうすれば、あとは安心して、面倒だと感じること(間違いなく君は日本で面倒なことに直面する)について自由に話せばいい。
また、あらかじめ自分の血液型と、靴のサイズが何センチになるかを調べておくこと。


これは形を変えた日本社会の痛烈な風刺なんだろう。
いやはや、ちょっと身につまされた。

★累犯障害者 (著・山本譲司)

★累犯障害者 (著・山本譲司)

考えさせられるところの多い本でした。
……と一言で言ってしまうのは、卑怯か。
メディアに身を置く者として、身につまされる指摘がたくさんありました。正直なところ。

逮捕された元国会議員の著者が、刑務所で「これまで生きてきた中で、ここが一番暮らしやすかった……」 とつぶやいた障碍者の姿に衝撃を受け、出所後、「障碍者が起こした事件」の現場を訪ね歩く、という本。

障碍ゆえに犯罪を犯した、と読者が誤読しないよう、何度も何度も、表現を変え、説いていることは、障碍者が犯罪を起こしやすい、ということでは決してなく、犯罪に吹き寄せられてしまうような背景が今の日本にあるのだ、そういう意味で彼らもまた被害者なのだ、という点でした。

心に残った記述をいくつか。

この国の司法はいま、彼ら知的障害者の内面を伺う術を持ち合わせていない。結果的に彼らは、反省なき人間として社会から排除され、行き着く果てが刑務所になる。
(知的障碍を持つ人々が、コミュニケーションを苦手をすることから、人との交流を通して身につけるはずの倫理的基準がなかなか知識として備わらず、そのため、法を犯した後も容易に反省に結びつかず、「改悛の情」を示せない結果、刑期満了まで仮釈放されることもない現実を指摘して)

ろうあ者が用いる手話は日本語とは別の言語であって、健常者が学習する手話と比べ、文法や表現方法に大きな違いがある。健常者である聴者が使う、いわゆる日本語対応手話は、中途失聴者向けには有効かもしれないが、生まれながらのろうあ者には外国語のように思えてしまい、非常に分かりづらい。
(取り調べや公判で、手話通訳を介してもなお、事実がねじ曲げられている現実を指摘して)

日本のマスコミは、努力する障害者については、美談として頻繁に取り上げる。障害にも負けず仕事に頑張る障害者、パラリンピックを目指してスポーツに汗する障害者、芸術活動に才能を発揮する障害者などなど。(中略)障害者が起こした犯罪そのものをマスコミが隠蔽しているため、多くの福祉関係者は、近辺に触法障害者があらわれたとしても、彼らを極めて特異な存在として受け取り、福祉的支援の対象から外してしまうのだ。
(触法障碍者が出所後、社会福祉施設になかなか受け入れられることのない現状とその理由についての指摘として。あるいは、著者自身が服役中に出会った知的障碍者を追跡調査した時、2人が、福祉の支援を受けることなく、医療的治療など必要ないはずであるにもかかわらず、精神科病院の閉鎖病棟に収容されている現実を指摘して)

著者自身が、出版社のサイトに、「たくさんのクレームがほしい」と書かれていて、それもまた、心に染みました。色々と考えてみます。





■ウラディーミル・フェルツマンのピアノリサイタル(紀尾井ホール)

■ウラディーミル・フェルツマンのピアノリサイタル(紀尾井ホール)

ベートーヴェン ソナタ第8番「悲愴」
ベートーヴェン ソナタ第31番
ムソルグスキー 「展覧会の絵」

座席は1階の4列目。
チケットぴあで取ったから、その時点で「一番良いお席」を勝手にご用意されてしまうのだ。ステージに近い席になってしまう。
「あーあ、2階のほうがよかった……」とちょっと気が重くなる。

演奏開始。
「悲愴」は、先日のブッフビンダー氏のリサイタルで第三楽章をアンコールとして聴いたばかり。あの演奏が印象深くて、2日間ほど第三楽章の主題が耳をついて離れなかったのだっけ。

第一楽章。
いきなり唐突に始まった感じの和音。たっぷり聴かせるべき所は、ゆっくり目に優しく響かせて。ただ、なんか音が硬質な感じ。座席の場所のせいなのか。ま、ベートーヴェンだし、これはこれで良いのだけれど。

第二楽章は、むちゃくちゃ有名なロマンティックな緩徐楽章なんだけど、ここでまず、「あれれ」と思った。
歌い込まず、あえて何かを保ってる感じ。ピアノの音色が第一楽章とまた全然違ってびっくりした。
すごく抑えた表現で、ものすごく深いところで諦観している感じがして、普段よく聴くこの曲と表情が全然違う。
フェルツマンとはこういう人なのか、それともフェルツマンの解釈がこうなのか、よくわからない。
思い切り抑制をきかせた演奏の中で、1つの音とか3つの音とか、どこかしら大事なところで、静かに思いを込め、抑えきれなくてこぼれ出る思いを表現している感じがした。

正直言って、第二楽章だけを独立した形で、音源だけで聴いたなら、音楽素人の私なんか、今日の演奏って「は? 何がいいたいの?」で終わっちゃったと思う。
ただ、ステージに近かったお陰でフェルツマンの表情がよく見えた。だから、彼がこの楽章をものすごく深いところで、諦観をにじませて弾いていたことは、よくわかった。
「こんな曲(楽章)だったのか。知らなかったよ、私」
それが正直な感想だった。

第三楽章は、ブッフビンダーのアンコール演奏の印象が強すぎて。
明確に比較対象があるから、よくわかるけど、やっぱりフェルツマンの演奏って、諦観というか、空虚感というか、よく言えば思索的で哲学的。悪く言えば、「訴えてこない」。

では、「後期三大ソナタ」の、あの、死と向かい合うような、次の第31番で、いったい何が起こるんだ?
この後期三大ソナタは、グルダの演奏だって好きだし、でも内田光子さんの演奏も好きで、内田さんのは、去年の夏に生で聴いたばかり。
魂の震えるような、そんな演奏で、アンコールはなかったけれど、あの後期三大ソナタの後に誰かアンコールを望むだろう! というような演奏だったのだっけ。

で、第31番。
こちらは、フェルツマンも唐突に演奏を始めることなく、空を見つめ、すっと音の世界に入っていく様がみてとれた。
ものすごく大事にこの曲を始めてくれたことが、よく分かった。
高音がすごく優しげに響くんだけど、それ以外はむしろ、ついていけない感じ。哲学的な感じはするけど、それだけで、「もっと聴き手に訴えて来なさいよ!」とすごく強く思う。

第二楽章に入るとますますその気持ちは強くなった。
内田さんの毅然とした感じの演奏のほうが好きだし、「ここはもっといっちゃおうぜ!」と思うところも、極める前にすっと逃げちゃう。
第三楽章も。「どうしてここで、抑えちゃうの?」と。
聴いた側に、あまりカタルシスがない。

ある意味、バッハ的な美しさはあって、それは見事だと思ったんですが。

休憩の時、どうしても我慢できず、思い切って主催者にお願いに行った。
「今、一階4列に座ってます。どうしても、次の『展覧会の絵』の音は二階で聴いてみたいんです。どこか空いているところに座らせてもらえませんか?」
二階も、左右の席は結構空いていたのだ。
端っこのほうに座らせてはくれるだろう、と踏んではいたが、それでも、この時の主催者の方のご対応にはちょっと感動。
迷わず、ご招待席の席に変更してくれた。
二階センター1列目。やったっ!
フェルツマンの顔は遠のいたが、その分、音がちゃんと私をつかまえてくれるはず。

で、展覧会の絵。
こちらは、ピアノの木曽センセの演奏を生で聴いているほか、4人くらいの演奏家のCDを聞き比べたりもしたから、すごく期待していたのだ。

ものすごく唐突に始まるプロムナード。
展覧会で絵を眺めながら、絵と絵の間を歩いている、そんな感じのはずだが、おいおい、速いよ、小走りだよ。
だけど。
1枚、1枚の絵についての曲を演奏するのを聴いてるうち、なんだか、ムソルグスキーが、絵の世界に引きずり込まれてしまわぬように、何かを振り払うように必死で歩いている姿が見えてきた。
「キエフの大門」で、友の魂を賛美歌で送るところも、特徴的だった。最初にロシア正教会の賛美歌の主題がこぼれ出すところでは、思い豊かに、しかし、2度目は「おいおい、音色、きつすぎ」とこっちが思っちゃうほど毅然とし過ぎる賛美歌。
うーん。
これは何なんだろう。

最後は、何か哀しみや不安やそういった感情よりも、毅然とした意志というか、半ば怒りみたいなものまで感じたのだった。
ミスタッチもいっぱいあったし、それも含めて、時折登場するプロムナードの乱暴な感じがものすごく印象に残ったのだった。
「捨てて生きる」とでも言おうか。

聞き終わった時は、なんかすごい悲しい気持ちになってしまった。
神さまと対話してるピアニストが目の前にいて、なんか見捨てられた音楽素人の私、って感じ?

だからこそ、彼が上野のリサイタルで先日弾いたというアンコール曲「献呈」(シューマン=リスト編)を聞きたかった。
そもそも、「献呈」を発表会曲に選んだことから、手当たり次第にこの曲をCD録音してる人のCDを聴きまくったのが、フェルツマンと私との出会い。
フェルツマンの「献呈」は空虚感なんかとは無縁に聞こえたんだけどな。CDだし、我が家のスピーカーの悲惨さと、自分の耳の悪さを考えると、私が分からなかっただけなのかな。

ともかく。
アンコールまで、私は心の中で念じ続けました。
「献呈。献呈。あれを弾いてちょうだい。そしたら、私もそろそろ『自己陶酔』問題から立ち直るから」

そうなんです。
まだ引きずってたんです。
発表会が終わって2週間にもなるのに、まだ、まともに「献呈」や「アンダルーサ」を家で弾き直す気持ちになれない。
で、予定通り、バッハのシンフォニア(三声)と、モーツァルトのソナタに着手してる。まるで先祖返りみたいに、ロマン派の世界から逃げ込んだ感じ。
バッハやモーツァルトじゃあ、自己陶酔なんて絶対にできないもんね。

ところが、
フェルツマンが選んだアンコール曲は、シューベルトの楽興の時。3番かな。子どもがよく発表会とかで弾く、有名な小作品。
でも、なんと言ってもシューベルトですから。
このプログラムの流れなら、なるほど、と納得。

これを思い切りゆっくり、でも余裕を持って、乾いた感じで。
悪くはなかったし、確かに、「悲愴」「後期三大ソナタの1つ」「展覧会の絵」というプログラムのアンコールでいきなり、「あなたが好きで好きでたまんないのよ〜」系のうっとり曲「献呈」を弾けというほうが無茶だとも思うけど。
非常に思索的だとは思ったけど。

私はどちらかというと、心をわしづかみにしてくれるような演奏がやっぱり好きなので、取り残された感じの寂しい気分が残りました。

家に帰って、あんまりモヤモヤするので、すごく久しぶりに、「献呈」を自分で弾いてみました。フェルツマンが弾いてくれなかったから、自分で弾いた、というわけでもないんでしょうが。
2週間まともに弾いてないのだから、結構間違うし、タッチや音色も全然自分の思うとおりに出せなくて、ストレスフルではあったけれど、やっぱり、弾いていると気持ちよかった。
ふと思った。
この曲はそもそも「自己陶酔」系なんだ。

発表会であれほど自己陶酔しちゃったのは、そもそも「アンダルーサ」も「献呈」も、そういう性格の曲で、さらに言えば、私はそれを求めてこの2曲を選んだのではなかったのか。
「自己陶酔」は自分が最初に設定したゴールだったのではなかったか。
曲を選んだ時点で「今回の発表会のテーマはコスプレ!」と叫んだではないか。

そろそろ、気持ちに整理をつけて。
さっさとバッハとモーツァルトに邁進しよう、っと。
踏ん切りついた、夜でした。
……これってフェルツマンのお陰? ではないよな〜。


なぜ人は「見て見ぬふり」をするか、という記事

GW明け、最初に書いた記事はこれ。

なぜ人は「見て見ぬふり」をするか?

先日のエントリーに書きましたが、ずっと気になっていた雨宮処凛さんに会えたのは、この取材のお陰だったのでした、ハイ。

最初、このテーマで識者2人を選ぶとき、私はまだ、「見て見ぬふり」というのは、極めて日本的な現象なのだと思っていました。
「見て見ぬふりをする情け」という言葉のように、「見て見ぬふり」はある場面では日本の古くからの美徳でもあるのかなあ、とか。人口密度の高いこの国の都市では、特に、親密な顔見知り以外の他人の存在を風景のようにやりすごす文化があるのではないかしら、とか。

ところが、人選も終え、取材もほぼ終えたころに、1964年にニューヨークで発生したとある殺人事件のことを知ったのでした。
Kitty Genoveseさんが被害にあった事件

上記リンクを読むと、以下のような単純な話でもなさそうですが、社会心理学などの世界では一般的に、以下のような事件と理解されています。

1964年のある夜、ニューヨークの住宅街で、キティ・ジェノバースという女性が、帰宅途中に男に襲わた。30分に渡って断続的に暴行され、性的暴行も受けた末、刺殺された。近所の住人38人は、悲鳴を聞いたり、窓から暴行の様子を目撃したりしていたが、誰一人警察に通報しなかった。

当時、この事件は、「38人はなぜ通報できなかったのか?」「都会の人々の無関心」などと、かなり大きな社会問題となったそうです。

この事件の後、社会心理学者たちは様々な実験の末、「多数の無知(pluralistic Ignorance)」という概念で、傍観者の心理を説明しました。
例えば、こんな実験。
ドアの下から煙が出てるのを目撃した時、その場に自分一人しかいない場合には、75%の人が自ら通報するのに、これが「一人」から「三人」に増えただけで、通報する可能性は38%にまで落ち、さらに、「三人」の時にほかの2人が通報するそぶりを見せなかった時には、わずか10%の人しか通報しなかった、というような実験。

傍観者が1人から多数に増えれば増えるほど、個々の感じる責任が減り、助けなくなることや、傍観者同士がお互いに知らない者同士だった時に、より人は他人を助けなくなることや、傍観者の誰かが無関心を決め込む行為が、周囲の人々に「助けを要するほど緊急事態ではないんだ」とより安易に思いこませる効果があることなどが、報告されているそうです。

ある意味、今回の特急列車内での強姦事件は、この条件がすべて満たされてしまったのかもしれません。

つまり、人々は「親切でない」から他人を助けられないのではなく、本当にその人が助けを求めているのかどうか「自信がない」から助けられないのであって、傍観者の集団が大きくなればなるほど、助けを要する非常事態なのだ、という事実を人々は見過ごしてしまう。
……多数の無知、というわけです。

社会心理学系のとある本にはこんなことが書いてありました。
「もしもあなたが、公衆の面前で身体の一部に麻痺を感じ、脳卒中の前触れかもしれない、と思った時には、『青いシャツを着たそこのアナタ、救急車を呼んでください』と、口がきける間に明確に助けを呼ばなければならない」と。

つまり、
・助けが必要であることを明確にする
・ほかの誰かでなく、あなたに助ける責任があるのだ、と指名してやる
・どのような助けが必要かの中身を明らかにする
の3点を満たすことが必要だ、と。

うーん。
むしろ、多数の傍観者の側のほうが、何か心がけることで、「多数の無知」にはまりこまないような、良い解決法はないんだろうか。

いずれにせよ。
どうせこのテーマで紙面を作るのであれば、「多数の無知」について触れるべきだったなあ、と反省。

ただし、記事につけた「オランダ、英国と日本とで、学級内のいじめを見たときに『見て見ぬふり』する傍観者が、学年別でどう推移するか?」という表 (このエントリーの2行目の記事リンク先参照) は載せてよかった、と自分でも納得。
中学生になると、オランダや英国では「傍観者」は現象に転ずるのに、日本では学年が上がるほどに「傍観者」が増え続ける、という調査結果です。

研究者たちは、「日本のいじめが長期化する一因ではないか」と分析しているようです。



楽天のマー君の先発を見に行く

まあ、仕事絡みでね。
マー君が先発すると聞いて楽天−日本ハム戦(東京ドーム)を急遽見に行ってきました。
色々事情があって、今回は久しぶりに子連れ取材。
息子は普段の野球観戦と同じ気分で楽天の応援メガホンとグローブ持参でおおはしゃぎ。
私は、というと、飲みたい生ビールもぐぐっとこらえ、イニングの合間には息子を放置し、あれこれ観客のコメントを取ったりしながら、取材ノートにスコアを記録してました。

高校野球取材時代には、あんなにスコア付けが苦手だったんですが、日々、少年野球のとんでもないスコア(3安打に失策や四死球が絡んで一挙20点くらい入っちゃうような……)を付け慣れてくると、もう、プロ野球のスコアって涙が出るほど簡単で、きれい。

まあ、仕事は後日、徐々に形になっていくとして。
マー君の先発を生で初めて見られた上、楽天史上初の5連勝の場面に立ち会うこともでき、試合時間4時間22分をたっぷりすぎるほど堪能し、今やグッタリ。

延長戦に入った時は、「もうすぐ運動会なんだし、ここで病気したら大変なんだからもう帰ろう」と息子をせき立てるように東京ドームの出口の前まで行ったのですが、結局、親子でおろおろ悩んだ末、最後まで観戦してしまったのでした。
試合終了は22時22分。
22と言えば、阪神・藤川球児の背番号、って関係ないか。

はじめて生で見たマー君の投球は、なんというか一球一球、息子の投球を見るような気分で (実際、息子でもおかしくない年齢ですもんねえ)、はらはらドキドキ。
これは私だけではないらしく、序盤から、ストライク取るたびに客席から大声援、でした。

でも、華のある子だなあ、と思いました。
発奮する感じが客席にまで伝わってくる。
なんか、いいなあ。

女子大生を前に

とある女子大で講義をしてきました。
今回のテーマはリストカット。

いつもは大人相手に講演することが多いので、20代前半の女子大生を前にして、さて、どんな風にお話すれば良いのだろうかと、少々悩みました。

講義の対象が、数十人の女子大生、ということは、当然、その中に自傷の当事者が数人程度は含まれているのは間違いないわけで。
何より、誰にも言えぬまま自傷しているかもしれない子たちが、疎外感を感じたり、さらし者にされた気分になったり、いたたまれない思いをするような講義にだけはしたくない、と思ったのでした。

あれこれあれこれあれこれと思い悩みつつ。
とりあえず、終了。

自傷について語りつつ、最後は、自傷云々だけではなく、大人になるということ、人と人とのつながりについて、私なりにしゃべってみたつもりなのですが。
伝わったかなあ。
よくわかんない。

教壇から見渡したレクチャールームには、まっすぐな目で話を聞いている子もいれば、せっぱ詰まった表情で固くなっている子、はなから寝ている子、こちらをにらみつけているように見える子までいて、きっとそれぞれにせいいっぱい、自分の人生と格闘しているのだろう、と思いました。

みなに幸あれ、という気分。


■ルドルフ・ブッフビンダーのピアノリサイタル

■ルドルフ・ブッフビンダーのピアノリサイタル@東京オペラシティー

この日はベートーヴェンプログラム。

ピアノソナタ第17番「テンペスト」
ピアノソナタ第18番
ピアノソナタ第3番
ピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」

アンコールは、
ピアノソナタ第8番「悲愴」第三楽章
最後だけベートーヴェンではなく、ヨハン・シュトラウスの「こうもり」より「ウィーンの夜会」

音楽素人なりに、楽しめるプログラムでした。

17番は、低音をなるほど上手に使うんだなあ、などといい感じで聴かせてもらいました。ただ、あの有名な例の第三楽章は、私にはちょっと前のめりな感じに聞こえてしまった。
所々おもしろいなあ、とは思ったけれど。

18番は、ドラマチックな展開がすごく明確に刻まれている感じがして、この人、むちゃくちゃベートーヴェンを研究してるわ、という感じ。
前半の感想は「いい演奏を拝聴いたしました。ははーーーーっ」という感じで、なんか、感動というよりは、感心、だったかな。

で、休憩。

この日は、むしろ後半で圧倒されました。
1793〜4年に作曲された第3番と、1803〜4年に作曲された第21番と、意識して並べて聴いたことがなかったから驚いた。
なるほど、作曲された時期に10年の年月の差がある。
でも同じ調性で書かれていて、構成にしろ、非常に共通点を感じさせる2曲なんですよね。

この2曲を後半に並べる、というところがまず心憎い。
で、実際、21番が始まると、第一楽章の壮麗さというか、大胆で、広がりがあって、雄大で、どこまでも前を向いている曲調にすごく興奮させてもらった。さらに第二楽章の深みある演奏に「そうか、ベートーヴェンの10年間の年月を、ブッフビンダーさんはこんな風に解釈したんだ」と腑に落ちる思いでした。
ワルトシュタイン
ほんと、「謹んで拝聴いたします」状態の前半から、ぱーーーっと華開き、最後のワルトシュタインで、感激!って感じ。

アンコールに「悲愴」第三楽章をもってきたのも、最高で、考え尽くされたプログラムだと思いました。
この「悲愴」は、1週間ほど前に王子ホールで主にシューベルトの即興曲などを弾いた時にも、アンコールとして弾いたらしい。

ワルトシュタインで終わり、悲愴で締めるオールベートーヴェンプログラム、いいじゃん!
大喜びで拍手していたら、ブッフビンダーさん、アンコールの2曲目を弾き始めた。それが、ヨハン・シュトラウス。

うーん。
いかにもアンコール向けの曲ですし、王子のプログラムではシューベルトプログラムの最後にこれを弾いたらしい。
シューベルトにヨハンシュトラウス、というのはありだと思うけど、この日のベートーヴェンプログラムに、ヨハンシュトラウスが必要だったかといわれると、私はちょっと納得がいかないのでした。

アンコール2曲は物理的にはうれしいけど、「悲愴」で終わっておいてくれたほうが、プログラム的には納得できたかも。
もちろん、演奏自体はすごく素敵でしたが。
こうなると、王子のシューベルトプログラムも聴きたかったなあ。シューベルトの即興曲については思い入れも強いほうなので。

ところで。
今回のコンサートで我慢ならなかったのは雑音です。
2階席最前列真ん中という理想的な場所で音を聴いてましたが、背後でガサガサとパンフレットを開いたりする音がやたら響くホールなんですよね。

音楽素人なので、よく分かりませんが、オペラシティーとピアノリサイタルってあまり相性良くない気がする。(といっても、ここでオペラを観たことはないのですが……)。

特に静寂の中で聴きたいような曲の場合、騒音が妙に響いてしまう気もするし、音の粒が際立たない気もする。
たまたま私が聴いたリサイタルがそういうものだっただけなのか、ピアノの問題か、ホールの問題かよくわからないけれど、最初の1小節でうっとり、みたいな音って、いつもサントリーホールなのよね。
あるいは、単に私とホールとの相性(つまり好き嫌い)だけの話なのかもしれませんが。

第一、今回は開演前に、隣のおばさんが膝の上に鞄をおいているのを見ただけで、ああ、今日はダメだ、と覚悟しました。ひざに荷物おいて、どうやって音に集中するんだろう?
案の定、このおばさん、演奏中に上着を着るし。パンフレットを開いたりするし。
それだけでなく、この日は、演奏中に背後で私語も聞いたぞ。前代未聞。1階では、何か荷物をバサンとどこかから落とす音までするし。
咳はね、生理現象だからある程度仕方ないと思う。でも、タオルなどで口を塞いで音をこもらせる努力をしてる人も今回の演奏ではほとんどいませんでした。くしゃみしたオヤジもいたな。

……かくいう私は、おなかの音を1度ならしてしまった。
ぐりゅりゅりゅりゅ〜。
慌てて、休憩の際にサンドイッチを食べたのでした。

さて、来週はウラジーミル・フェルツマン。
そもそも発表会でシューマン=リスト編の「献呈」を弾くにあたって、片っ端からこの曲を演奏しているCD (カツァリス、横山幸雄、キーシンなど) を聴きまくっていた時、よく聴いたのがフェルツマンでした。
たまたまコンサート情報を見つけたのと、その当時凝っていた「展覧会の絵」がプログラムに入っていたことから、適当にチケットを買っておいたのだが、先日の上野の東京文化会館ではなんとアンコールに「献呈」を弾いたらしい。(隣の小ホールでたまたま演奏会を開いていたピアノの木曽センセが漏れ聞こえる曲に気付き、教えてくれました)。

来週のコンサートでもたぶん、「献呈」をアンコールに持ってくると思う。発表会から2週間も過ぎていれば、ちょっとは冷静に聴けるかな。


★キッドナップ・ツアー(著・角田光代)

★キッドナップ・ツアー(著・角田光代)

98年に、YA(ヤングアダルト)の雄、理論社から出た本。
角田さんってこんな本も書いているのね、と。

主人公は5年生の少女。
夏休みの初日、2カ月前から家を出てしまっていたお父さんに、少女は「ユウカイ」されるのだ。だらしなくて、お金もない、ちゃらんぽらんなお父さんに連れ出され……という話。

ユウカイに際して、父親は母親に何らかの「要求」をし、その要求を母親がのめば、娘を母親のもとに返す、という条件らしいのだけれど、少女が父親に教えてとせがんでも、父親は一切娘に答えない。
それどころか、著者は本の終わりまで、この理由を書いてくれない。

おいおい、どういう理由だったんだよ! 
と、読後、無性に気になる。

もちろん、本読みとしては、「そういう理由にこだわるより、父親とのユウカイ旅行を通して一つ大人になる少女の成長物語の美しさを受け止めろよ」ってな話なんでしょうが。
どんなに貴重な体験だったとしても、どんなに少女がそれによって成長したとしても、人との出会いがあったとしても、一つ間違えたら、あんたそりゃあ、犯罪であり、虐待でしょう?
と思ってしまう私としては、納得ゆく「理由」を明かしてほしかったのだった。

……と思ってしまう私はもう、10代のようにはこの本を読めないってことか?
うーん。

■キース・ジャレット・トリオ2007@東京文化会館

■キース・ジャレット・トリオ2007@東京文化会館

去年から今年にかけてのコンサートの類で、もっとも、前もってチケットを買った舞台じゃあないだろうか。何しろ去年の秋が深まる前にはすでにチケットを買っていた。
お陰でSS席は10列目のど真ん中。
クラシックコンサートなら、もう、何が何でも、2階席を選ぶけど、今回は音質より、キースの立ち居振る舞いが見たい、というミーハー気分でしたので、それはそれで最高の席でした。

生音だったので、案外、あの構成だと、後ろ過ぎると音の迫力に欠けていたかもしれません。そういう意味でも、いいポジションで音を楽しむことができました。

そのわりに、1週間近くもエントリーにアップできなかったのは、コンサートのタイミングが最悪だった、ということ。
まさに自分のピアノの発表会が終わり、その高揚感も消え、反省点ばかりが浮上し、「いったい私は何を求めてピアノを弾いているのか」みたいな悩みに直面していた最中に、半年以上楽しみにしていたキースのコンサートがぶつかっちゃったなんて。

CDで聴いていると、キースはトリオの時には圧倒的にバラードが好きになっちゃうのですが、生で聴くと、アップビートな曲がすっごく楽しい。
それは大発見でした。
ただ、曲の合間や、バラードのふっとしたテーマや、何かの瞬間に、「ピアノの悩み」が立ち上り、気付いたら、勝手に感動してたり、勝手に泣いていたり、と、感情がコンサートに無関係に上下してしまい、いったい、何をしにきたのやら、という状態でもあったのでした。

好みからいうと、私はやはり、彼のピアノ、それも即興の部分が好きなのであるから、一昨年に池袋でやったソロの即興演奏のような圧倒的な感動というのはなかったです。
でも、こちらはこちらで楽しかった。
願わくば、ブルーノートとか、そういう雰囲気で聞きたかったわー。

母の日のおみそ汁

本日、母の日。
午前中も午後も野球の練習があった。
「母の日なのに、午前も午後も練習なんて」と息子が久しぶりに練習に行くのを渋った。渋っても、渋っても、結局時間になると、行ってしまう息子なのだが。

夫の長期出張も2週間目。
息子はますます甘えん坊になっており、「母ちゃんも一緒に来てほしい」というので、午前も午後も練習を付き合った。
昨日も朝からバッティングセンター、神宮球場で六大学野球の応援、さらに夕方はバッティングセンター、という野球一色の土曜日。
さらに一昨日は、神宮球場へ阪神−ヤクルト戦のナイター (寒かった〜。藤川球児を間近に見られてうれしかったけど) も見に行ってるわけで。
夫がいないと、息子の「野球担当」を一身に担うことになり、もともと運動音痴の私には、なかなか大変なのだった。

それでも本日は、低学年チームの練習に付き合い、なぜかお父さんコーチに混じってライトを守り、4年のキャプテンが放ったライナー系の強い当たりにグローブを当てることができたし (つまりは捕れなかったんだけどね。怖かったんだもん)、息子の一塁越えのヒットを、ライトで後ろにそらさずすかさず止め、どうにか返球できたし、なんだか結構からだを動かすのも楽しいのだった。
おまけに20代の若いコーチから、「お母さん、むっちゃくちゃ上手になりましたね」とか「ナイスキャッチ」とか声が掛かるので、まんざらでもない私。

……ってなわけで、母の日の野球一色で終わりました。
疲れて、夕飯は外食。
「母ちゃん。今日は母の日だから、外食しようよ!」と息子が言ったため。
あのね。お金払うのは私なんですけど……と思いつつ、近所のピザ屋で外食。
そこで息子が手紙をくれました。

「母ちゃんへ いつもごはんをつくってくれたりしてありがとう」

うーん。「つくってくれたり」の「たり」の部分を、さらに具体的に書いてほしかったよな。例えば、

「運動下手なくせに、いつも野球に付き合ってくれてありがとう」とか。

でも今回も、私のお気に入りの、「巨大餃子を食べる恐竜の絵」が描いてあったので許そう。

でも、母の日のプレゼントの本命はこの後に待ち受けていたのでした。
ワインによる酔いと、野球疲れでフラフラしている私に、「母ちゃん、酔いを覚ますおみそ汁をつくってあげる!」と息子。

台所でゴソゴソやってる息子を、「ほんまいかいな、みそ汁の作り方など教えたことはないぞ」と半信半疑で待つ私。

「母ちゃん。お豆腐はどこ?」
「豆腐かい? 残念ながら本日は品切れ」
「……じゃあいいや。別のものにする」

出てきたものは、カットわかめと麩のみそ汁。
なるほど、両方乾物を使うことで省力化をはかったな。

味見をしたら、すぐに、「おいおい、だしを忘れてるぞ」と分かったが、それは最初は触れず、「うまい。最高。酔いが覚めそう」とほめまくってやった。
台所を見たら、若干、みそ汁があちこちに散らばっていたが、まあ、この程度であれば、夫が料理をした後と変わらない。許そう。

「いつの間にみそ汁の作り方なんて覚えたの?」と尋ねたら、「そんなの、毎日母ちゃんが作ってるんだから、覚えるに決まってるじゃん」だって。
そうかそうか。
ちょっとだけ、ほろり。
みそ汁、作り続けてよかった〜。

自己陶酔から解けて

発表会から続いていた自己陶酔状態が、ようやく今朝になって解けました。で、少し、考え込んでいます。

先日の発表会エントリーを読んで「成功おめでとう!」とか言ってくださった方々の反応に触れ、逆に気付かされたのだけれど。
いえ、決して、私の発表会での演奏は、「大成功」でもなければ、「素晴らしいもの」でもなかったんです。
ただ、私が気持ちよく弾けて、満足している、というだけ。

端的に表現するならば、

聴衆を歓喜の坩堝(るつぼ)に誘う演奏、ではなく、
観客そっちのけで、ただ一人、弾き手だけが
歓喜の坩堝に自分で自分を叩き込んでいる演奏。


これってどうなのかなあ。
いっつもそうなのだ。
弾く前の私は結構冷静。聴き手本位で冷静に曲を選んだりするタイプ。
ところが、ひとたび、本番で弾き始めると、ピアノの音色が会場のすみずみまで満ちていくのがあまりに快感で、その快感にうっとりとしてしまって、「もっと、もっと……」という気持ちが高まって、どんどん感情的になり、すぐさま自己陶酔の世界へ。

こうなると、困ったことになるわけです。

・冷静に自分の音色を聞けない。聞かずに弾くなんてもう最悪。
・聴き手に伝えたいものを、結果的に伝えられない。
・気持ちいいのは自分だけ。
・弾き終わると、常に、自己肯定できてしまうので、基本的に成長しない。

前回の発表会でも若干感じていたことではありますが、今回、自己陶酔系の曲を2曲選んで、通しで弾いてみて、はっきりと自覚しました。
ほんとうにこれでいいんだろうか、と。

以前の私は、「いい」と言い切れたんです。
今だって、半分くらいは「いい」と思ってる。
だって、本業じゃあないし。ただの趣味だし。生来、何かに入れ込むのが大好きで、快感で、その快感がほしくてピアノをやってるんだから、時々しかない発表会ぐらい自己陶酔して、一人で多幸感につつまれ、うっとりとして、何が悪いの?、と。

つまり、何のために私はピアノを弾くんだろう、ってことよね。

自己陶酔万歳!でいいなら、この路線で突っ走ろう。
観客が、「ひえええ、濃いピアノだな」とか「おいおい、勝手にいっちゃってるよ」とびびろうが、あきれようが、関係ない。
私が納得できればそれでいい、という割り切り方だってあると思う。

あると思うんだけどさ。
段々と欲が出てくるんだよな。
自分が伝えたいこと、伝えようとしたことが、過不足なく、余すところなく、聴き手に伝わって、同じように聴き手も幸せになれるような、そんな道だってあるんじゃないの?とか。

んなもん、指もまともにまわらない、脱力一つできてない私が目指しても、無理無理、と思う。
技術面でも、意識の面でももう、どうしようもない部分を、勢いと思い入れの強さだけで補うというか、もっと正確に言えば、隠蔽しているのだと、自覚してます。

下手に踏み入れれば、結局、自己嫌悪と劣等感でつぶされて、ピアノが嫌いになっちゃったりする道のようにも思う。
そういうことから自由になれるのが「大人ピアノ」の良さなんだ、とこれまで信じ込んできた。

でもなあ……。

発表会の自己陶酔があまりに気持ちよすぎたせいで、逆に、さすがの私も考え込んじゃっているんだろう。
これでいいのかなあ。
私は結局、何をしたいのかなあ。

とかなんとか、深刻に書いちゃってるけど。
たぶん、さらに数日経って、さらに頭が冷めれば、「あんた、そもそもピアノ趣味オバサンごときが、あれこれ悩むような話ですか〜? そんなヒマあったら、練習しよー。あほらし」と自分で自分を笑い飛ばすような気もするけどね。
第一、発表会なんて、今度いつあるかも分からないし、その時にまた考えればいい話なわけだし。

は〜あ。
それでも今回は自己陶酔が深く長かっただけに、解けた後のこの心理状態というのは独特ですなー。うーむ。
今度、木曽センセのところに行ったら、相談してみよう、と思ったのだった。

我が家に人生ゲームがやってきた

息子の誕生日に、なにか超アナログなゲームを買ってやろうと思ったのは、それぞれにDSliteを抱え込みながら、「一緒に」遊んでいるという息子とその友だちの姿を見たから。

私の子どもの頃って、ゲームといえば、ルーレット回したり、サイコロ転がしたりするゲームだったよなあ……と思い出し、行った先のオモチャ売り場で見つけたのが人生ゲームだった。
厳密にいうと、私が子ども時代、家には人生ゲームはなかった。
それで、私も実は、ちょっとやってみたかったのよね。

先日の誕生日、息子に人生ゲームをプレゼントしてみた。
実は、彼が通っている学童保育にもある定番ゲームだし、「なーんだ、これ、学童でやったけどつまんなかったよ」と言われちゃうかな、と覚悟をしつつ。
ところが!
やっぱり、息子の性格は昔のまんま。
プライド高すぎて、負けるのが嫌で、友だちが遊んでるのを横目に、自分は一度もやってみたことがなかったんだって、人生ゲーム。

息子は何より、部品についている色とりどりの米ドル札の束に目をキラキラさせている。
誰に似たのか (間違いなく夫だと思う)、息子は金勘定が大好きなのである。貯金は趣味で、通帳の預金残高を眺めるだけで幸せそうだし、先日も預金通帳を観察していて、税金を2円引かれていることに気付き、「2円ちゃん。2円ちゃん」と今も税金の存在を恨んでいるような始末。

すっかり人生ゲームの魅力に取り付かれてしまったようで、毎日何度も一緒にやらされている。
高額紙幣をあえて細かい額の紙幣に両替し、札束の厚さをふくらましてはウットリし、何十万ドルももうけて勝てば狂喜乱舞し、負けた時の悔しがり方もトランプやウノの比ではない。
彼にとっては、ホンモノのお金を賭けてる気分なんだろう。
ゲーム中は真剣そのもの。
「婚約指輪を買うため2万5000ドル支払う」というゲーム盤の指示に「どうして婚約指輪なんているんだよっ!」と怒り散らしたり、「火災保険に入る! 株券買う!」と騒いだり……。

しかし、さすがに昨日は驚いた。
職業を決める段階で、月給の高い医者や政治家を狙っているうちにフリーターになってしまい、給料は安いし、普段は必ずはいる火災保険や生命保険にも入れず、泣きそうになっているところで、彼が進んだ先が、

アリゾナの家が火事で焼ける。火災保険に入っていなければ全財産を失う。

その瞬間。
彼の両眼からボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
無言ですくっと立つと、布団にもぐりこんで、肩を震わせ、泣いている。
ゲーム展開が気に入らないとふくれたり、時には悔し泣きすることもあったが、この日の泣き方はそれとは違う。
耳を澄ますと、こうつぶやきながら泣いているのだ。
「お金が……お金が全部なくなっちゃった……」

もう、母ちゃんは噴き出して、腹を抱えて大笑いしそうになっちゃったよ。9歳の息子は、本気で全財産を失ったショックに打ち震えていたんである。
おいおい、まじかよ。

「あのさ〜、よかったじゃん。最初からお金がなくって。全財産を失うっていったって、3000ドルじゃん。いつも1万ドルとか5万ドルとか支払うこともあるんだから、それに比べたら、まだまだゲームの最初だし、大丈夫だよー。貧者のほうが強い、という良い例だよなあ」
私は、軽くなぐさめようと試みるが、息子は打ちのめされたまま。

これまでに見たこともないような息子の落ち込み方に、少々動揺した私は、
「大丈夫だよー。本当に全財産なくなっちゃったわけじゃないんだから。ね、あんたの銀行のお金は無事なんだから。これはゲームなんだから」

それでも息子はまだ立ち直らない。

少々甘いかな、と思いつつ、
「わかった。じゃあ、今のは、なしにして、最初からやり直そう」とこっちから切り出した。普通なら、これで完全復活するはずである。

ところが。
息子はそれも拒否した。
「もういい。今日はもう、ゲームは、やらない。宿題する……」

呆然とした表情で、肩を落としたまま、机に向かう息子。
自分から宿題を選ぶほど、君は落ち込んでいるのか。
「全財産を失う」というゲーム盤の文字が、そこまで悲しいのか。
しばらくして、息子に笑顔は戻ったけれど、その夜、息子は一切、人生ゲームに触れようとしなかった。

まさに、ああ、人生、ですなあ。



学ばないと怒れない。

昨日、とある取材で雨宮処凛さんに会った。
映画「新しい神様」以来、いつかお会いしたいなあ、と思い続けて10年近く。ようやくお目にかかれました……としばし感動。

取材の中身は、掲載後にまたアップするとして。
彼女の一言がとても印象に残った。

今の社会って、普通に生きていたら怒れない。
怒りを感じるためには、情報や知識がいる。
学ばなければ、怒れない。


取材からの帰りの電車の中で、しばし胸に手を当て、自分に言い聞かせた。
そうだそうだ、学び続けなきゃ。
大事なことをあらためて教わった気分。

別れ際、リストカット談義になりまして。
「私の時は、リストカットなんて言葉もまだなくて、情報もなくて、パソコンもインターネットもなくて、だから、独りぼっちだと思ってた。でも、私の時代にインターネットがあったら、私は間違いなく、リストカット掲示板系にはまり、誰よりも深く、誰よりも頑張って切ろうと張り合ってたと思うし、薬のODにも励んだと思う。自傷する人たちは、今の時代はキツイだろうなあ、としみじみ思うんです」と私。

雨宮さんも、自分の行為にリストカットという名前を与えてもらったのは高校時代の時だったという。
「あの時代にネットがあったら、間違いなく、サイトを主宰して、仲間と自傷を張り合ってるか、集団ネット自殺してますね」とおっしゃってました。

「すごい生き方」を読み直したくなった。
見落とし、まだ読んでなかった「生きさせろ」(太田出版)も早々に読もうとおもった。





ああ、自己陶酔炸裂の発表会

ピアノの発表会が終わりました。
思えば一昨年の末、木曽センセのもと、初めて発表会に出て以来、まる1年間、色々なCDを聴いて、自分が弾く姿をイメージして、そうやって絞り込み、選び抜いたのが今回弾いた2曲でした。
去年暮れに、今回の発表会の話を木曽センセに聞いた時にはもう、「弾きたい曲が2曲あって、選びきれないんです」と言っちゃうくらい、2曲への思い入れは強かったんです。

戦略的な選び方でもあったと思います。
技術的には、一緒に出る人の誰にもかなわない。ほかの若い人はテクニックの確かさを見せつけるような難曲を弾きこなし、年配の人は人生の重みを感じさせる大曲を見事に聞かせる。そんな中で、ヘタクソな私に出来ることと言えば、丁寧に曲を選ぶことですもん。
気に掛けたのは次の3点。

1、聴く人が飽きない、印象的な曲
(名演奏ならともかく、私の腕前では、大曲や難曲を弾いても「いつ終わるのかしら」と飽きられる可能性が……。飽きられない程度にメロディーのしっかりした、わかりやすい、印象的な曲を選んだほうが良い)
2、五分程度の曲。二曲組み合わせるなら、ガラリとイメージの違う曲
(これも上記と同じ理由で)
3、技術的に難しすぎないものを選ぶ
(技術面であっぷあっぷしないように、感情豊かに弾ける余裕のある曲を選ぶ)

自分で弾きたい曲、というのは練習で弾けばいい。発表会の曲は、聴く人本位で選ぼう、と考えたわけです。
で、結果からいうと、今回は「献呈」(シューマン=リスト編)で思った以上に技術的に苦労したことはあったけれど、1〜3を満たす曲選びができたと思う。
前回に続き、今回も「一番ヘタクソ」オバサンの私が、上手な若手やナイスミドルに混じって弾かせてもらえた喜びは、ほんと、この上ないものでした。

さて。当日の話を少し。
この日は朝からまずヘアメイク。アイライン入れるのなんて、いつぶりだろう、と振り返ってみたら、なんと1年半前の前回発表会以来だった。ちなみにパンティーストッキングをはいたのも、パンプスをはいたのも、スカートをはいたのも、イヤリングをつけたのも、1年半ぶりでした。

……って、どうよ、これ?

そんな訳で、発表日の前の二日間は、衣装にイヤリングをつけ、パンプスを履いて練習しました。じゃらじゃら揺れるイヤリングが最初は煩わしかったし、ドレスの肩ひもが途中で落ちた時のことを想定し、肩ひもが落ちた状態でも弾けるように練習もしたし、「慣れない格好」のハンディ克服に燃えたのでした。
何しろ、前回は、長めのイヤリングが、レースのドレスの肩ひもにひっかかり、首を曲げたまま演奏するという恐ろしい経験をしているので、今回は万全を期したつもり。

それでも、色々ハプニングが起こるこので、今回は、なんと、ペダルを踏むたびに靴がキュッキュと鳴る珍現象が発生。
あとで木曽センセが原因を突き止めてくれました。
なんと……パンプスの靴底のゴムが、ペダルとの摩擦で音をたてていたとのこと。
「ゴムの靴底は怖いんですよ」という木曽センセ。先に言ってよ〜。
私、パンプスなんて履き慣れないから、歩くと、ガツンガツンと音が鳴る。それが嫌で、ゴム底のパンプスを数年前に買い求めたのでした。しかし、ガツンガツン問題は解決したけれど、雨の日の発表会で、ペダルギュッギュ問題発生、というわけ。あーあ。

……で、おいおい、肝心の演奏はどうだったんだ?、って話ですよね。
ええ、正直に言います。
うーん。あのね。

むっちゃくちゃ、気持ちよかった!

あ、でも「気持ちよかった」=「よく弾けた」じゃあないですから。
あくまで、「自分が」気持ちよかった、ということ。
ずばり言うなら、自己陶酔ですな。

前回もそうだったけれど、レッスンルームでのリハーサルが一番緊張する。そこから本番に近付くにつれ、段々と緊張がいい感じで自分の気持ちを高ぶらせてくれて、本番ではなぜかもう、女王様気分。
ステージでスポットライトを浴びて、お辞儀をする前に会場を見渡した時、私、思わず多幸感でくらくらしました。
思ったことは一つ。

ああ、みなさん。
私だけのために、集まってくださってありがとうっ!


……もちろん、私だけのためじゃあ、ありません。
ほとんどの人は、ほかの出演者の親兄弟やら恋人なんですけどね。
でも、ピアノの前に座った時なんて、お客さんの前で、こんな素敵な音色のスタンウェイフルコンを演奏できるなんて、あああ、幸せ〜という気分だったの。

1曲目は、スペインの作曲家、グラナドスの「アンダルーサ」。
技術的には何て事ない曲で、あとは、どう解釈したか、どう弾くか、が鍵、という曲。
A−B−A形式のこの曲には、かなり綿密なストーリーをすでに定めてあって、色々な弾き手の演奏を知ってる人が聴けば、絶対に楽しんでもらえる自信があった。
へええ、こういう弾き方もあるのか、と思ってもらえる程度には工夫したつもり。
で、これがもう、自分の気持ちが高まってるものだから、すっかり入り込んでしまいまして、練習のどの時よりも気持ちよく、満足して弾けました。

きっと客観的に聴けば、突っ走りすぎてるとか、荒いとか、入り込み過ぎ、とか、難点はいっぱいあったはず。
ただねえ。ダメなんです私。
人前で、それもスポットライトを浴びて弾き始めると、「私が伝えたいのは、これなの! これを聞いて! ねえ、分かる? 私はこれを伝えたいのっ!」という感じで感情が高まってきて、ついつい曲に入り込み過ぎちゃう。

「死んだら一緒になれるよね」と去った恋人に呼びかけるパート(と私が勝手に解釈した)では、本気で涙が出そうになったもん。
今から振り返れば、私、そうとうアホですよねえ。

ということで、1曲目の「アンダルーサ」を弾き終わった時には、「私、いけるじゃん。なんか、むちゃくちゃ調子いいじゃん」と自画自賛状態。
そして始まった懸案の2曲目。
10代の若い恋の喜びをひたすら歌い上げる「献呈」。
「あなたは私の喜び。そして哀しみ。人生すべて。あなたを愛することで、私はわたし以上の存在になるっ!」という、まさに歌詞自体が自己陶酔そのもの。
こんな自己陶酔の恋なんて、10代しかできないわよね。
でもね。
20代、30代には無理でも、むふふ、40代にはできるんです。
40代が10代に勝るものは……、それはズバリ、

妄想力!

弾き始め、ちょっと音が乱れたが難なく持ちこたえ、左手にメロディーが移ってからはかなり冷静に弾けた。
中間部もよく歌えた。
最後の、アルペジョの激しい部分が近付いてくる。
実はこのアルペジョ、どうしても音が入らない場所が2箇所あって、2度のリハーサルでは、2箇所とも音が入らなかった。「音がはずれても止まらなければいい。入ったらもうけもの」という気持ちで、アルペジョのパートに臨もうとした矢先……。

やっぱり発表会は怖い。
練習で一度もつまったり音が外れたりしたことのない場所で、これまで外したことのない音が1音外れ、その後の音がよくわからなくなり、頭の中は疑問符の嵐。

「な、な、なんだ?????」

止まっちゃいけない!
その一念でどうにか次につないだけど、頭は疑問符のまま、すぐに懸案のアルペジョのパートへ。
持ちこたえなきゃ。
持ちこたえなきゃ。

こう、こうなっちゃうと、自己陶酔も恋愛も妄想もそっちのけ。
必死の形相、だったと思う。
自分でもあそこから、いきなり始まったアルペジョで持ちこたえ直すことができたのが不思議なくらい。
はい、持ちこたえました。
もしかしたら、これが練習の成果?

前回も、そして今回も、ピアノの発表会が目前になると、ほんとにつくづく嫌になることがありました。
ばかみたいだよな、と。
何時間も練習し、腱鞘炎にもなり、徹夜で仕事をこなすことで捻出した昼間の時間にスタジオでまたピアノを練習し、そうやって積み重ねたたくさんの努力は、ステージでのほんの10分間のためにあるわけで。
いくら練習したところで、本番で弾けなければそれでダメ。
おまけに、10分間の演奏はそのまま世に残るわけでも形に残るわけでもなく、その瞬間だけのもの。

取り戻せない。
作り直せない。
ただ響き、消えていくだけの音のために、どうして私はこんな努力を重ねてるんだろう。

何度もそんな風に自問し、ばかだなあ、と自分を笑い、それでもやめられなくて、またピアノに向かう。その繰り返し。
だけど、昨日の発表会でしみじみと分かったことが一つある。
本番には必ず、思わぬハプニングが起こる。その時に、積み重ねた努力の一つひとつが自分を守り、支えてくれるんだよね。

アルペジョで、リハーサルの時に外した音2箇所、なぜかどっちも入りました。
いける!と心で叫びながら、最後のコーダの部分。
あれはもう、曲に入り込みすぎて、感情があふれすぎて、ピアノを叩きすぎた、と今は反省。
そもそもリハーサルの時に緊張し過ぎて、あのピアノの癖をちゃんと見極めてなかったかも。ものすごく響くピアノなので、叩きつけず、上手に響かせたほうが、音色としては絶対に美しかったんじゃないかな、と。
でももう、そんな判断は一切なし。
何しろ、私の右手首を腱鞘炎にしたオクターブ連打のパートを弾いている間じゅう、私の頭の中に響いてるのは、

あなたが好きなのー。愛してるの〜!!!

という思いだけでしたから。
怖いよね、こんな41歳……とほほ。

激しい部分が終わり、最後に、アベマリアのメロディーが短く2度はいるところ。
私の解釈では、1度目で「神さま、この恋を永遠のものにしてね」と天に祈り、2度目で「私は私のこの恋を死ぬまで大切にするから」と自分に向かう……というところ。
もう、自己陶酔の極致。
気分は、19歳のピアニスト。
おいおい、いいのかよ。

弾き終わって舞台のそでに戻ったら、体中の力が抜けて、イスに座り込んだまま、立てず、しゃべれず、息も出来なくなりそうでした。

まったくねえ。
曲選びの時には、「弾きたい曲より聴きたい曲」と、聴き手本位に選んだはずが、弾いてしまえばもう、「聴く人の気持ちより、私の気持ち」。
聴き手にとってどんな音が響いているかを冷静に判断しながら、曲を構成する力が私には必要なんだとしみじみしみじみと痛感するけれど、でもね、気持ちいいのは圧倒的にこの弾き方なんだよね。

自己陶酔。
これに勝る幸せなし。


本業の新聞記事では、自己陶酔は絶対にNGなので (小説よりも、ほかの文筆業よりも、圧倒的に読み手本位で簡潔に書くことが求められるのが新聞記事なので)、私は自己陶酔欲をピアノで満たしてるのかもしれません。

木曽センセが「本番であれくらい弾ければ満足でしょう」というから、「でもまさか、あんなところで間違えると思ってませんでしたー。いやはや、やっぱり本番は怖いですねえ」などと適当に答えておいた。
でも一つだけ、すごくうれしかったことがある。
舞台の袖にいた、メトジカの関係の男性から、「あまり入り込みすぎてもミスタッチしちゃうものなんだよ」とチクリとやられた後、「でも、よかったよ。最後はリストの魂が乗り移ったかと思った。きちんとした訓練をもしも受けていたら、あなた、プロになれたかもしれないねえ」と言われたこと。

たぶん、あまりに完全燃焼して、脱力して、呆然としていた私のことを、「ああ、この子はさっきの思わぬミスタッチにすごく落ち込んでるんだ」と勘違いし、見るに見かねて元気づけようと、思わず、かけてくださった言葉だから、ただのお世辞だったと思います。
あるいは、ピアノの内容に関係なく、ただ、「君のその舞台度胸と、自己陶酔度合いは、常人離れしてる」と言いたかっただけかもしれません。
何より、今回のリサイタルのメンバーの中でも、実際にプロを目指してる若い子や、大人になってもコンクール目指して頑張ってる人たちではなく、どちらかというと異色の「趣味オバサン」に対してだから、安心して言えた軽口でもあったかと思います。
それでも、色々なことを差し引いて考えても、これは本当にうれしかった。

家庭の事情で、幼いころ、最初の数年はオルガンでしか練習できなかったことも、何枚もレコードを買ってピアニストの演奏を聞き比べるような経験を子ども時代に一切できなかったことも、13歳でピアノのレッスンをあっさり辞めてしまったことも、そして、今に至る人生の歩みのどれ一つとしても、悔いはないけれど。
それでもこの数年、ピアノを弾いていて去来する思いは、「あの時、もしもレッスンをやめずに、ピアノを続けていたならば……」だった。

でも、この男性に今回、こんなふうに言われて、なんか逆に踏ん切りがついた。
やっぱり、13歳は私の「やめ時」だったんだ、と。
だって私は、新聞記者という仕事を選んでよかったし。
この仕事を持ちつつ、ピアノに再会できて、本当によかったし。
「きちんとした訓練」を受けず、その分、ほかのことにいっぱい費やした時間(まあ、半分以上はムダな時間だが、これは若い時代の特権だものね)がとてもいとおしいし。

この発表会で、これからピアニストを目指すのだろう中学生や高校生、そして音大生にも出会った。
混じって練習させてもらい、リハーサルもさせてもらった。
くだんの男性が、中学生の女の子に「ロシアに留学したい時には声をかけてね。ちゃんとルートがあるから。今からここまで弾けるなんて、先が楽しみだねえ」と声を掛けていた。
さらに、その中学生に「どんな有名なピアニストの70歳より、君の今のほうがいいだろ。どっちかの人生を選べといわれたら、みな、若いころを選ぶよ」とも。

へそ曲がりなオバサンの私は、思わず横から口出しちゃった。
「あら、41歳のおばさんもいいわよ。10代より、私なら今を選ぶわね」
ははは、こんな1日でした。

最後に。
この日を無事に迎えられたのは、たくさんの方々のお陰です。
木曽センセや家族はもとより、ピアノを貸してくれ、発表会にも来てくださったお友達や、ドレス、下着購入にいたるまで助言してくれた友人たち、ええい、この際ついでだ! 発表会曲2曲について素晴らしい演奏をCDに残してくれたカツァリスやキーシン、ラローチャらピアニストの皆様にも、心より、感謝しちゃおう……という気分なのでした。
ちゃんちゃん。

★深追い (著・横山秀夫)

★深追い (著・横山秀夫)

ピアノの練習をぶっ続けでやると、もう、手