先日、岡田敦さんという26歳の写真家にお会いした。
リストカットをテーマに写真を撮り続けている。
6月に新しい写真集を出すという。
「記事を書いてほしい」と言われても、私の今いる部署では難しいし、せっかくお越しいただいても、何らお力になれることもないだろうと思いつつ、それでもお会いした。
新聞メディアでは長く、自傷がタブーだったし、今でも記事の内容や掲載写真などについてはとても慎重な判断が求められている。何より、結果的に自傷を広めてしまったり、当事者たちの自傷衝動を乱暴な形で高めてしまったりする可能性と、常に隣り合わせだからだ。
でも、彼の話を聞いて驚いた。
写真の世界はどうやらもっともっと、もーーーっと難しいらしい。
「写真展が開けないんです」と彼はいう。自傷がテーマと聞くだけで、スポンサーがつかない。ギャラリーも及び腰。写真雑誌への作品発表すら、「読者からの苦情や反発を恐れてか、断られました」。
前作の
写真集「Cord」は結構話題になり、いくつもかのメディアに取材されたそうだ。が、どの新聞記事もテレビ番組も最終的にはボツになったそうだ。
「戦争写真ならばどんな残酷な写真でも写真展で注目を浴び、戦場カメラマンは勇気ある“英雄”のように扱われる。それなのに、国内の“いのち”の問題に関心を示さなくていいんでしょうか。足下の若者の現実には無関心でいいんでしょうか。“現実を写しとる”はずの写真家(あるいは写真界)が、実は日本の現実からは逃げているんです」
「一方で、リストカットする当事者たちからは、僕の写真集を見て『私も撮ってほしい』というメールがたくさん届きました。宿泊費も交通費も出せないのに、手弁当で全国から50人の若者が東京のスタジオに足を運んでくれた。彼ら彼女たちの思いを伝えるためにも、この作品を黙殺しないでほしい」
熱く語るというよりは、ぽつりぽつりと誠実に語る岡田さんを見ていたら、なんだかとても悔しくなってきた。
私自身、リストカットで講演していてしみじみ感じます。来てくださるのは保健室の養護教諭、カウンセラーなど、この問題と日々関わっていて、どんなに増えているかを肌身に感じている人ばかり。一方、子育て中のお母さんが関心を持ってやってきてくれる、というようなことは、とても少ないのです。子どもの覚せい剤や大麻など違法薬物の問題をテーマに講演する時のほうが、「もしかしたらうちの子も……」と関心を持って親たちが来てくれる、という現実がすごく不思議。
違法薬物よりも、ずーーーーーっと、リストカットのほうが普通に広まってるのになあ、と。
新聞にリストカットの連載記事を書いた時もそうでした。普通、不登校の記事などを書くと、反響のほとんどは親からです。なぜなら新聞はそもそも大人メディアだから。ところがリストカットの連載では、反響の9割以上が当事者である若者からでした。
何通ももらったのはこんな手紙。
「おぐにさんの記事を読んで、私のリストカットをお母さんに知ってほしくなって、記事を切り取ってお母さんに読んでもらいました。すごく勇気がいりました。でもお母さんは『怖いなあ。こんなことする子もいるのねえ。あんたの学校にもいるんじゃないの?』って。私はその夜、これまでで一番深く切りました」
その子がどんな思いで記事を切り抜いたのか、どんなに大変な勇気を振り絞って母親に記事を見せたのか、それを思うと、この時ばかりは私も涙が止まらないほど悔しかった。
そんなこんなを全部思い出し、気づいたら、岡田さんに言ってしまっていた。
「私にできること、探してみます」。
あーあ。20代の若者の熱意に、ついついほだされてしまうのは、オバサン化だろうか。
でも、それだけじゃなくて、彼の「自分は写真家で、カウンセラーや医者ではない」という基本姿勢や、自傷者との距離の取り方が気に入ったというのもあります。
新しく6月に出る予定の写真を、見せてもらいました。
前作のは自傷そのもの、って写真はなかったけれど、今回は傷だらけの腕がたくさん載ってます。それでも、「ああ、この写真は自傷衝動をあまり人に起こさせないなあ」と妙に確信しました。
なぜかなあ。
1つは赤い血だらけの傷跡ではなく、あくまで自傷して少なくとも何時間かたった、血のない傷跡だからだったからだと思う。
でも、たぶん、それだけでもないんだな。
きっとそれが、彼が写真家として訴えたかったものがにじみ出た結果なんだろう、と思った。顔をさらし、裸体をさらし、傷だらけの腕もそのままに、まっすぐにカメラに向かう若者たち。
何というか、とてもまっすぐに向かってくる。
少なくとも私には、「痛々しい」とは思えなかった。
むしろ、にじんでくるものを一言で言い表すなら、勇気、なのかも。
それと、もう一つ。
私自身、自傷している人を取材する時、腕見せてもらうことが結構あって、腕だけみると、傷だらけの腕ってかなり痛々しいものなんだけど、裸体全部の迫力の中にあっては、腕の傷なんてまあ、なんというか、しかられそうだがアクセサリーというか記憶のほんの一部なんだな。
写真を見ればやっぱり、乳房とか陰毛に目がいっちゃうし。きれいなおしりとか腰のくびれとか……ね。そんな中で、妙にすとんと、「この人の中で自傷はほんの一部でしかないんだ」と実感できるというわけ。
当事者がこの写真を見たら、どう思うんだろう。
「傷跡ばかり見て暮らしてきたけど、そうか、脱いだら私ってどんな風だろう。 自傷だけが私を形作ってるんじゃないんだ、きっと」と自然と受け止められるのではないだろうか。
彼の写真集を見て、切りたくなった、という感想が1通もないんだそうだ。「ほんとかよ」と思ったが、写真を拝見して、なるほど妙に納得できました。
(私の本なんか、「途中で切りたくなって怖くて読めませんでした。だから本を閉じました」みたいな手紙が妙に多かったもんな。反省)
あと、ここでは詳しく書きませんが、写真の並べ方にも彼のメッセージがつまってます。
これは写真集が出てからのお楽しみ。
お友達が少ない私は、知り合いのメディア関係者というのも決して多くないのですが、できるだけ声をかけてみようと思う。
こちらを見て、「取材しよっか?」という方がおられましたら、ご連絡よろしく。