おぐにあやこの行った見た書いた

息子よ、お帰り!

先のエントリーに書いた、木曽センセのピアノコンサートが終わってすぐに東京駅へ。
息子が仙台からの新幹線に一人で乗っているのだ。
滑り込みセーフ!

ホームに入ってくる新幹線。
おおお、いるぞ、我が息子!

1週間ぶりに見る息子は、ああ、なんだかまたしても成長しちゃって!
そろそろ一人の人間としてみとめ、尊重して差し上げないとねー、なんて思ってしまった母ちゃんでした。
明日は早朝から、野球の練習試合だっ!
私もベンチ入りしてスコアラーやるぞ。
今度こそ、きちんと最後まで間違いなくつけられますように。。。

★木曽真奈美ピアノコンサート (銀座ヤマハ店)

★木曽真奈美ピアノコンサート (銀座ヤマハ店)

私の大好きなピアノの先生が、これまた私が最近凝っているムソルグスキーの「展覧会の絵」を全曲弾く、というので、これは絶対に行かなきゃ!と張り切って行ってまいりました。

プログラムは、

チャイコフスキー「四季」から6月舟歌・11月トロイカ・9月狩りの歌。
さらに、ラフマニノフのプレリュードop.3-2 op.32-12 op.32-5、楽興の時op.16-4。
そして後半は、一気に「展覧会の絵」を全曲。

チャイコフスキーはあまりピンと来なくて、ただただ、自分のピアノの先生の演奏を楽しませていただく、というような状態だったんですが。
ラフマニノフはやっぱり、おおお、すごいなーって感じで。
でも圧巻だったのが、「展覧会の絵」でした。

今回のコンサート、木曽センセのお話付きです。
彼女が「展覧会の絵」の演奏の前に、ムソルグスキーの人生や、唯一の友人だった画家の突然の死について語りました。
驚いたのは、この話の段階ですでに落涙しているお客さんがいた、ということ。
いや、確かに、お話、上手なんです。

私も長野支局時代、県庁職員相手に宴会芸を磨き、「歌って踊れる新聞記者」の異名をほしいままにしたものですが、はっきり言って、木曽センセ、「しゃべれるピアニスト」なのでした。

ってなわけで、落涙する客を横目にしながら、「おいおい、泣くなら演奏を聴いてからにしようぜ」などと思いつつ、演奏開始を待った私。

驚きました。
プロムナードは、荘厳であるよりは、深く思いやりに満ちていて。
「チュイルリーの庭」や「卵の殻をつけたひな鶏の踊り」は愛らしく。
これまで聞いた「展覧会の絵」とは全然違う色彩を持ってる。
「カタコンブ」「バーバ・ヤーガの小屋」で、「ああ、これは死者との対話を表現している音だ」と思い至りました。
そして、「キエフの大門」で、最期のお別れをし、ロシア正教会の賛美歌で最愛の友の魂を送り……。

そこからなんです。
私これまで、あまり深く考えず、この曲を聴いてきました。
「おうおう、最後は盛り上げるなー」みたいな。
でも、そうか……。
友の魂を送った後、ムソルグスキーは、残された者の哀しみや悔しさでない交ぜになったところから、もう一度生きる覚悟をするんです。
「君の分まで生きる」と言ってしまうととても陳腐になってしまうけれど、アルコール依存症に苦しみ、すっかり荒れた暮らしの中で、それでも「生きる者の世界」に戻っていく様が描かれているのだと、初めて、木曽センセの演奏に触れ、思い至りました。

なんと勇気と哀しみに満ちた曲なんだろう。
というか、そもそも勇気と哀しみが同じ音の中で共生できるなんて!

気付いたら、私まで泣いちゃってましたよ。
まいった、まいった。
自分のピアノの先生とかそういうことを全部差し引いて、ああ、聴きに来てよかった、としみじみ感じました。

良い先生に出会ったなあ……と改めて自分の幸運に感謝しました。
さて、明日は私のレッスン!
(息子が仙台に行ってるのを良いことに、練習しまくりすぎて、またしても腱鞘炎再発しちゃってて、困ったもんです)。



★ことばで「私」を育てる (著・山根基世)

★ことばで「私」を育てる (著・山根基世)

私の大好きなある女性が、どちらかでこの本を紹介していたのを見て、こっそり読んでみようかな、と。
その方もアナウンサーさんだったから、なるほど、先輩女性アナウンサーである山根さんのこの本がとても大きな意味を持っただろうことが、よく分かりました。多くの若い女性アナウンサーさんたちにとって、「バイブル」的な存在にもなっているんだろうな、とも。

翻って、新聞記者は、アナウンサーさんほど「加齢が露骨にマイナスの価値を持ってしまう」というような状況にはないので(たぶん)、「わかるわかる」という部分と同時に、「ふーん、そんなもんなのかー」というような箇所もありました。

ただ、むちゃくちゃおもしろいと思ったのは、会議での言葉の操り方について言及している章。女性の多くが、この「会議」というヤツが苦手で……というあたり、この時代 (といってもそれほど昔ではなく、本書が出版されたのは1999年) も、今も、あまり変わらないのかも。
もちろん今は、「会議語」を見事に操る女性もずっと増えたと思いますけど。(私はいまだに苦手だけど)

あと、リーダーシップについて。

ポストに就いてあわてて、さあリーダーシップを磨きましょうというのでは間に合わないのである。

私はなにも出世のすすめをしているわけではない。自分がどうしてもこういうことをしたいと、ある志をもったとき、組織の中で仕事をしているなら、その集団を自分の思い通りに動かせる指導力をもっていなければ志を貫くことはでいないのだ。


120%共感。
(ただし、私なんか、いつまでたっても部下はおろか後輩もほとんどいないから、あんまりリーダーシップを求められる局面などないわけですが……。おまけにチーム取材も今はほとんどしていないしね)

うちの会社でも、女性のリーダーシップについては、否定的なみかたをする人が随分といたように思います。
ただし、こちらも、今となってみれば、さばさばとリーダーシップを発揮できる女性上司が見事に増えてきているわけで、後に続くぞ!とは私のキャラクター的に思えない部分ではあるけれど、すごくすごく勇気づけられることではあるのです。

★下流志向 (著・内田樹)

★下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち (著・内田樹)

これまた遅ればせながら読みました。それも泥酔状態で読んだので、本書の論理構成をきちんとつかまず、表面的に、気になったところだけ記憶に刻む、というような読み方になってしまった気がします。反省。

どういう本かというと、今の日本の子どもたちは世界で最も勉強しなくなってきている。積極的に学ぶことや働くことから逃避しており、逃避することに価値を置いている。勉強しないほうが、働かないほうが、エライんだ、というように。そして「自分探し」をしながら階層下降している……というような話。(だったと思う)

なぜ、それが起こっているのか、という背景や原因について、子どもたちが未就学児の段階ですでに「消費主体」として確率し、学びの現場に立つからだ、と著者は書いています。この部分が、どうも私、実感としてピンと来なかったのです。
やっぱり、泥酔状態で読んじゃダメね。

一番興味深かったのは、内田さんの「自分探し」についての考察です。
「自分はほんとうは何者なのか?」「自分は本当は何をしたいのか?」という問いを軽々しく口にする人間が人格的に成長する可能性はあまり高くない、と内田さんは書きます。
「自分探し」の本当の目的は「出会う」ことになく、むしろ、「私についてのこれまでの外部評価をリセットする」ことになるのではないか、と。「自分探し」というのは、自己評価と外部評価のあいだに乗り越えがたい「ずれ」がある人に固有の出来事ではないか、と。
内田さんは書きます。

「ほんとうの私」というものがもしあるとすれば、それは共同的な作業を通じて、私が「余人をもって代え難い」機能を果たしたあとになって、事後的にまわりの人たちから追認されて、はじめてかたちをとるものです。
(中略)
ですから、「自分探し」という行為がほんとうにありうるとしたら、それは「私自身を含むネットワークはどのような構造を持ち、その中で私はどのような機能を担っているのか?」という問いのかたちをとるはずです。


そして、今の若者の「自分探し」について、「彼らの視線は自分の外ではなく、ひたすら自分の内側に向かう」ことの問題を指摘しています。社会的に見てどうか、より、「オレ的に見て」どうかで判断するという手荒な価値づけが、実は、教育の崩壊のいちばん根元にある、と指摘するのです。

また、子どもたちが教室で教師の命令を聞こうとしない、無秩序な状態にあることをは、子どもたちの「無為」の結果ではなく、「無為であれ」という命令に必死で従った結果である、という分析をしているのも興味深いです。

いま学校に繁殖している「無為な子どもたち」は、「無為」の定型を律儀に守り抜こうとします。「無為」な人間に見えるように、できるだけだるそうな表情や発声をし、制服の着方を微妙に崩し、「無為な人間」であることをショウオフできるような記号的なふるまいの数々をテレビや雑誌から熱心に学習し、それを模倣し、より「無為」に見えるようにさまざまな改善を加えることさえ厭いません。

と書き、こういった子どもたちは「無為」ではなく、むしろ「勤勉」なのだ、と結論づけます。
彼らが全力であらがっているのは、彼らを「学び」へ誘う流れなのだ、と。

最後に、「二十四の瞳」についての言及も笑えました。
映画「二十四の瞳」を取り上げ、「大石先生」がかつては情熱あふれる理想的な先生と描かれていたように思ったけれども、今見てみたら、単に、何もできない、女学校出たての若い先生で、オロオロと泣くしかできない。「大石先生」を今の小学校に連れてきたら、あっという間に学級崩壊するだろう、というような話。
おまけに今の保護者たちは、「大石先生」に我慢しないだろう、「教師としての責務を果たせていない」と抗議が殺到するのではないか、とも。
よい先生の条件を実定的に列挙していくと、そのリストは無限に長くなり、教師は苦しくなるし、子も親も「この教師はダメだ」と引き算の評価しかしなくなる、とも。
うむむ、難しいなあ。

白いカモシカ

仕事していたら、仙台の祖父母のもとにいる息子から長距離電話。

「母ちゃん! 今日、山で白いカモシカを見たよ!」

おお、すごい。
仙台市の蕃山という山で、カモシカに遭遇したらしい。
さらに今日は、フキノトウや、ヨモギの新芽、タラの芽をたくさん収穫したらしい。
じいちゃんを相手に毎日、キャッチボールと投球練習もしているそうだ。

あんたに田舎があって、よかったなあ……と心から思う。
元気なじいちゃんとばあちゃんがいて、よかったなあ、とも。
せっかくの長期休み、東京の学童保育所の建物の中から、日中一歩も出られないのはイヤだ、と、一人で新幹線に乗って仙台に向かうことを選んだ1年生の正月休み以来、これで3度目?
今回は、仙台までの新幹線の中で、うたた寝までしたそうだ。
最初のときは、緊張してガチガチだったのにねえ。

送り出した私たち夫婦も、そう。
最初のときは、こっちまで動揺して、「飲まずにいられるか」と昼間から夫婦で飲んだくれてしまったのだった。
今回はもう、安心して送り出すことができた。

来週、一回り成長した息子に会える日が楽しみ!
それまで、頑張って仕事しようっと。


恐ろしく多忙となり……

これほどブログを更新できないのも珍しいんじゃないか。
恐ろしく多忙なのです。
別に仕事が……というのではなく、ピアノが、ぼそぼそぼそ。
会社員にあるまじき状態、ですな。

とりあえず近況報告だけ。

土曜日は、花見をしました。花、咲いてません。なんというか「つぼみ見」ですな。朝10時から場所取りをし、すでにその時点で一人でワインをかっくらってました。あーあ。
日曜日は雨だったのでTDLにかなり久しぶりに行きました。
なぜ「雨だから」かというと、雨でもないと、息子の野球練習があるので、それ以外の予定を組み込む余地がないからです。
雨のTDLなんて空いてるだろう、と思ったら、案外混んでるのねえ。

で、月曜日、息子が仙台に一人で行ってしまいました。
お陰で月曜日は遅くまで、仕事し放題。
はっきり行って、夜まで仕事できると随分はかどるわ〜。
世の人はこんなに楽に仕事してるのねえ、って思った。

で、夜遅くは、夫と2人でBLUE NOTEに繰り出し、小曽根さんのピアノも聞いて大満足。
なかなか充実した日々を送っております。

「もっと熱く!」と言われても……

本日、ピアノレッスン。
木曽センセは4月、ご自分のコンサートが目白押しで、レッスンできない日も多いから、発表会まであと1カ月半を切った、というのはかなりかなり深刻な状態。

今日は、はじめて、シューマン=リスト編の「献呈」そしてグラナドスの「アンダルーサ」を通して弾いてみた。この順にしたのは、やっぱり恋というものは、希望に満ちた春の季節があって、それから破綻と絶望があるもんだ、と思うので。まずは「献呈」で幸せ一杯夢一杯気分になり、次にアンダルーサで人生嘆きまくるのが良いだろー、と思ったわけです。

が、通しで弾いたのを聞いた木曽センセの結論。
「順番、逆にしましょー」

なぜか。
「献呈」がとても派手派手な曲なので、このあとに、まったく雰囲気の違う「アンダルーサ」を持ってきても、どうも地味な感じがして、ものたりない、というのです。
「献呈を弾いた後、その印象を超えるアンダルーサを弾こうと思ったら、これは相当に味のあるスペインものを完成させなければいけないし、かなり難しいと思うんですね」

それで、順番を逆にすることを決定。
つまり、アンダルーサで、「ああ、どうしてあなたは私を裏切ったの?」「あんなに楽しい日々もあったのに」「つらい、苦しい、寂しい」と人生を嘆きまくった後、数秒間の沈黙の後、いきなり、「あなたは私の喜び。あなたは私のすべて」と最初から最後まで幸せ一杯夢一杯の恋の喜びを歌い上げろ、というわけ。
年齢でいうと、アンダルーサは30代後半、献呈は10代後半、と私は勝手に年齢設定しており、数秒間の沈黙の間に、20歳若返らねばならない、というわけ。

いくら「コスプレ発表会」(と私は勝手に位置づけている)とはいえ、なかなか苦しいなあ。

木曽センセ曰く、「献呈は、まだまだだけれど、弾くたびに良くなってます。今日はアンダルーサを中心にレッスンしましょう」
ドキリ。
そういえば、この1カ月、練習時間の9割9分を「献呈」に割き、「アンダルーサ」はテクニック的にそう難しくないということに甘えて、ほとんど弾いてこなかったのだ。

左手の、ギターを弾くような音を、延々と練習しました。
「もっと強く! もっと緊張感を持って!」と言われ、頑張るんだけど、全然思う音が出ない。悲しい。

「もっと色をつけましょう」
「もっと熱く、熱く、激しく、情熱を持って」
「ただ暗くぼんやりとならない!」

なるほど、「熱さ」と「情熱」が欠けていたから、「スコットランドとモロッコの差」が出ちゃったのね。

木曽センセには「どんな情景を歌いたいのか、登場人物からその動きに至るまで、一小節ずつ明確にするために、全部楽譜に書き込んでください」と宿題をもらった。
弾くよりもずっと、文章化するほうが、得意だけど。
私の場合、イメージをどんなに明確にしても、それを弾けないの……とほほ。

とても1カ月半で2曲が仕上がるとは思えない。
「あああ、前回の発表会はもっと余裕があったのに! 今回はどうしてこんなに大変なことになっちゃったんだろー!」
レッスンルームで悲鳴を上げる私に、木曽センセ、呆然としながらポツリ。
「おぐにさん、覚えてないんですか? 前回の発表会の前、ご自分の理想と現実との乖離に、ものすごく苦しんで、『こんなツライ思いをするなら、もう二度と発表会なんて出ない!』とおっしゃってたじゃないですか〜」

へ? そうだっけ。
ツライことはぜーんぶ忘れてるわ。
今回も、そんな風に乗り切れることを期待しつつ、そうだ、練習しよっ。



リストカットの写真集に、思ったこと

先日、岡田敦さんという26歳の写真家にお会いした。
リストカットをテーマに写真を撮り続けている。
6月に新しい写真集を出すという。
「記事を書いてほしい」と言われても、私の今いる部署では難しいし、せっかくお越しいただいても、何らお力になれることもないだろうと思いつつ、それでもお会いした。

新聞メディアでは長く、自傷がタブーだったし、今でも記事の内容や掲載写真などについてはとても慎重な判断が求められている。何より、結果的に自傷を広めてしまったり、当事者たちの自傷衝動を乱暴な形で高めてしまったりする可能性と、常に隣り合わせだからだ。

でも、彼の話を聞いて驚いた。
写真の世界はどうやらもっともっと、もーーーっと難しいらしい。
「写真展が開けないんです」と彼はいう。自傷がテーマと聞くだけで、スポンサーがつかない。ギャラリーも及び腰。写真雑誌への作品発表すら、「読者からの苦情や反発を恐れてか、断られました」。
前作の写真集「Cord」は結構話題になり、いくつもかのメディアに取材されたそうだ。が、どの新聞記事もテレビ番組も最終的にはボツになったそうだ。

「戦争写真ならばどんな残酷な写真でも写真展で注目を浴び、戦場カメラマンは勇気ある“英雄”のように扱われる。それなのに、国内の“いのち”の問題に関心を示さなくていいんでしょうか。足下の若者の現実には無関心でいいんでしょうか。“現実を写しとる”はずの写真家(あるいは写真界)が、実は日本の現実からは逃げているんです」

「一方で、リストカットする当事者たちからは、僕の写真集を見て『私も撮ってほしい』というメールがたくさん届きました。宿泊費も交通費も出せないのに、手弁当で全国から50人の若者が東京のスタジオに足を運んでくれた。彼ら彼女たちの思いを伝えるためにも、この作品を黙殺しないでほしい」

熱く語るというよりは、ぽつりぽつりと誠実に語る岡田さんを見ていたら、なんだかとても悔しくなってきた。

私自身、リストカットで講演していてしみじみ感じます。来てくださるのは保健室の養護教諭、カウンセラーなど、この問題と日々関わっていて、どんなに増えているかを肌身に感じている人ばかり。一方、子育て中のお母さんが関心を持ってやってきてくれる、というようなことは、とても少ないのです。子どもの覚せい剤や大麻など違法薬物の問題をテーマに講演する時のほうが、「もしかしたらうちの子も……」と関心を持って親たちが来てくれる、という現実がすごく不思議。
違法薬物よりも、ずーーーーーっと、リストカットのほうが普通に広まってるのになあ、と。

新聞にリストカットの連載記事を書いた時もそうでした。普通、不登校の記事などを書くと、反響のほとんどは親からです。なぜなら新聞はそもそも大人メディアだから。ところがリストカットの連載では、反響の9割以上が当事者である若者からでした。
何通ももらったのはこんな手紙。
「おぐにさんの記事を読んで、私のリストカットをお母さんに知ってほしくなって、記事を切り取ってお母さんに読んでもらいました。すごく勇気がいりました。でもお母さんは『怖いなあ。こんなことする子もいるのねえ。あんたの学校にもいるんじゃないの?』って。私はその夜、これまでで一番深く切りました」
その子がどんな思いで記事を切り抜いたのか、どんなに大変な勇気を振り絞って母親に記事を見せたのか、それを思うと、この時ばかりは私も涙が止まらないほど悔しかった。

そんなこんなを全部思い出し、気づいたら、岡田さんに言ってしまっていた。

「私にできること、探してみます」。

あーあ。20代の若者の熱意に、ついついほだされてしまうのは、オバサン化だろうか。
でも、それだけじゃなくて、彼の「自分は写真家で、カウンセラーや医者ではない」という基本姿勢や、自傷者との距離の取り方が気に入ったというのもあります。

新しく6月に出る予定の写真を、見せてもらいました。
前作のは自傷そのもの、って写真はなかったけれど、今回は傷だらけの腕がたくさん載ってます。それでも、「ああ、この写真は自傷衝動をあまり人に起こさせないなあ」と妙に確信しました。
なぜかなあ。

1つは赤い血だらけの傷跡ではなく、あくまで自傷して少なくとも何時間かたった、血のない傷跡だからだったからだと思う。
でも、たぶん、それだけでもないんだな。
きっとそれが、彼が写真家として訴えたかったものがにじみ出た結果なんだろう、と思った。顔をさらし、裸体をさらし、傷だらけの腕もそのままに、まっすぐにカメラに向かう若者たち。
何というか、とてもまっすぐに向かってくる。
少なくとも私には、「痛々しい」とは思えなかった。
むしろ、にじんでくるものを一言で言い表すなら、勇気、なのかも。

それと、もう一つ。
私自身、自傷している人を取材する時、腕見せてもらうことが結構あって、腕だけみると、傷だらけの腕ってかなり痛々しいものなんだけど、裸体全部の迫力の中にあっては、腕の傷なんてまあ、なんというか、しかられそうだがアクセサリーというか記憶のほんの一部なんだな。
写真を見ればやっぱり、乳房とか陰毛に目がいっちゃうし。きれいなおしりとか腰のくびれとか……ね。そんな中で、妙にすとんと、「この人の中で自傷はほんの一部でしかないんだ」と実感できるというわけ。

当事者がこの写真を見たら、どう思うんだろう。
「傷跡ばかり見て暮らしてきたけど、そうか、脱いだら私ってどんな風だろう。 自傷だけが私を形作ってるんじゃないんだ、きっと」と自然と受け止められるのではないだろうか。

彼の写真集を見て、切りたくなった、という感想が1通もないんだそうだ。「ほんとかよ」と思ったが、写真を拝見して、なるほど妙に納得できました。
(私の本なんか、「途中で切りたくなって怖くて読めませんでした。だから本を閉じました」みたいな手紙が妙に多かったもんな。反省)

あと、ここでは詳しく書きませんが、写真の並べ方にも彼のメッセージがつまってます。
これは写真集が出てからのお楽しみ。

お友達が少ない私は、知り合いのメディア関係者というのも決して多くないのですが、できるだけ声をかけてみようと思う。
こちらを見て、「取材しよっか?」という方がおられましたら、ご連絡よろしく。

欽ちゃん流、若手育成法、という記事

最近書いた記事。
この春に新社会人になるだろう若者と、新入社員が会社をあっさり辞めないように知恵を絞る上司たちに向けた記事です。

「欽ちゃん流若手育成法」

実は今年の一つの目標が、萩本欽一さんに、若手を育てることについてのインタビューをする、というものでした。
最初のきっかけは2005年の夏。
踊る大捜査線シリーズの脚本を手がける君塚良一さんをインタビューした時のことです。
インタビューのあちこちで、欽ちゃんの話が出てきました。
例えばこんな風に。

夢を追う若い人に伝えたい。夢をかなえるためには、夢だけを見ていたのではダメだ。
例えば飛行機のパイロットになりたいとき、船乗りのバイトの話が来たとする。「乗りたいのは船ではなく飛行機だ」と断ってはいけない。パイロットの夢を一秒も忘れなければ、船乗りになればいい。船に偶然、航空会社の人が乗って意気投合するかもしれない。船と飛行機の共通点を勉強できるかもしれない。
僕の師匠、萩本欽一さんは言った。「頂上に行きたいならまっすぐな道を選ぶな。くねくねと遠回りしながら頂上を目指せ。回り道はすべていつか役立つから」と。

(2005年9月毎日新聞夕刊連載の君塚良一さんインタビューより)

さらにこの連載からしばらくして、今度は、同僚記者が萩本欽一さんを取材する際、私もそのお手伝いで、萩本さんとエレベーターに同乗するという機会がありました。
その時に、君塚さんにお会いしたお話などをしていたら、萩本さんがこんなことをおっしゃったんですよね。

「若い人に親切にしちゃいけない。挨拶されても、無視するくらいでいい。なぜなら、挨拶を返した途端、若い人は安心し、そこから自分で考えることをやめてしまうから」
「僕は、若い人を育てようと思ったことはない。ただ、育つ奴が、育つことのできる環境を整えただけだ」


そうやって「育った」のが君塚さんだった、というわけ。

それ以来、ずっと心の中で気になっていました。
今も昔も、「育つ奴」ばかりじゃない。まして最近は、挨拶してもらえないだけで、「もう僕はダメだ」と崩れてしまう若者もいっぱいいるんじゃないかな、と。そういう若者には、欽ちゃんはどんな風に関わるんだろう。はなから相手にしないのか。それとも……。

さらに、今年、茨城ゴールデンゴールズが松坂大輔選手の草野球チームと東京ドームで対戦する、という試合を見に行きまして。
結果的には、松坂選手の日本最後の投球というのが、この試合の始球式と「終球式」(欽ちゃんが「もう一度投げてよ」と言って実現した)でありました。
試合の間、ずっとマイクを握り、スタンドを盛り上げる欽ちゃんの姿を見ていて、「ああ、やっぱりこの人はすごいわ」と感動したんですよね。
「お笑い」やコメディーのことは、私にはよく分からないけれど、今、欽ちゃんに聞きたいのは、笑いの話ではなく、若手育成についてだなあ、と。

んなもので、ほとんど2年越しの夢が今回は叶ったのでした。

今回のインタビューでは、何より、「石の上にも5年」という言葉に、ガツンとやられました。
私は新聞記者になって18年目なのだけど、でも、生来の飽きっぽい性格ゆえ、会社こそ転職してませんが、「5年」のスパンでこらえてこらえて何かを生む、という作業はしたことがないなあ、と。
新聞記事はそもそも、毎日締め切りがあるし。
本を書く時も、薬物にしろ、リストカットにしろ、だいたい1年間取材した段階で、その結果をまとめています。
1年くらいすると、書きたくなっちゃう。形にしてしまいたくなっちゃう。5年は……待てないなあ。

一度そういうことにもトライしてみてもいいのかもしれない、とふと思いました。

そうそう。
もう1点。
欽ちゃんの記事を書くにあたって、過去に様々なメディアに取り上げられていた欽ちゃんの記事を片っ端から読みあさったのですが、記事の最初や最後に、「どーんとやってみよう!」というフレーズを使ってる記事がむちゃくちゃ多かった!

あまりにベタよね。
最近では、「欽ちゃんの、どーんとリストラ」 (球団が抱える選手を半分に減らした時のスポーツ紙)とか。
で、最初に「絶対に、『どーんとやってみよう』は記事で使わないぞ」と心に決めたのだけど。
原稿を書いてみると、この言葉を記事に折り込むというベタさ加減が、いかにも昔ながらの新聞記事風で、収まりがいいのだわー。

で、はははは。
言い訳がましいですが、恥を忍んで、私も原稿の末尾でこのフレーズを使っちゃいました。



★娘よ、ゆっくり大きくなりなさい (著・堀切和雅)

★娘よ、ゆっくり大きくなりなさい
  ……ミトコンドリア病の子と生きる(著・堀切和雅)

1960年生まれ、劇作家でエッセイストで、かつて岩波書店の編集者だった著者。この人の「『30代後半』という病気」(築地書店)という本が好きだったのでした。

この本は、たくさんの人に読んでほしいです。
これまで、難病の子を持つ親御さんの体験記は何冊か読んできましたが、何が違うかというと、お父さんがたまたま、文章のプロであった、ということ。
だから、感情に流されず、自分の動揺や不安や焦りや喜び、そして希望を、一呼吸置いて、咀嚼して、書いてくれています。自分の心の動きを常に観察する「もう一人の自分」がいる感じです。

とてもさりげない一文が、句読点や改行までが、著者の思いを余すところなく伝えていて、胸に染みました。

「響ちゃん」と名付けられたお子さんの人生の意味について書いた文章がとても好きです。

意味。若い日以来、この宇宙の意味について、ずいぶん考え込んでいた時期がある。この宇宙は、意味を持って造られているのか? そしてその宇宙に、なぜ、宇宙そのものについての問いを発する存在が生まれたのか。
結論。世界や宇宙の側には、意味はない。意味も、なぜという問いも、答も、すべて人間の側にある。
(中略)
この世界で、出来事そのものはランダムに、理由なく起こる。しかし、それを受ける側が、そこから意味を、理由を、創り出すことはできるのだ。
(中略)
意味と理由が分かっても、分からなくても、響を育てるというタスクは、僕たちの目の前にある。「待ったなし」で。
だから「考えている場合ではない」。そして、全うされる人生にも、中断される人生にも、その瞬間・瞬間・瞬間……いくらでも微細に分割されうるしべての刻(とき)に、意味は拓(ひら)かれうる。そのはずだ。
そしてもちろんのこと、僕らは別の人生を選べない。ならば、こう考えるのが良い。
「響がいることそのものに意味がある」
いや、少し違うな。
「響がいる人生が、僕らの人生なのだ」「それは選択の問題を超えている」


長めに引用させてもらったのは、自分でまた何度も読み返したかったからです。
たまたま、本当に偶然、この本が手元に届いた日は、まさに息子の小学校の保護者会があった日で、あれこれと悩まずにいられなかった夜で。
この夜に、この本に出会って、よかったと思いました。

★「生きるのがつらい。」「カウンセラー・パパの子育て論」(著・諸富祥彦)

★「生きるのがつらい。」
★「カウンセラー・パパの子育て論」(ともに著・諸富祥彦)

先日の「弱音のススメ」の記事を書くため、読んだ2冊。
仕事のために読むと、仕事に必要な部分に付箋紙を貼りまくるので、あとで読書としてどうだったか、という視点で振り返ると……よく覚えてないことが多いのだけど。
胸に残ったことだけ書いておきます。

前者は平凡社新書の1冊で、結構売れているのではないかしら。
でも個人的に楽しく読んだのは、後者のほう。
カウンセラーである自分がパパになる。パパになって初めて思ったことを綴っています。週末のたびに全国講演に歩いている諸富パパは、当然、マイホームパパ、とはとうてい言えないわけですが、短い時間でどんな風に子どもと関わろうとしているかがよく分かるのです。

子どもを持った時に彼が思ったことはこんな感じ。

なるようになっていい。
不登校だって家庭内暴力だって、どんなことをする子になてもかまわない。なるようにしかならない。そんな覚悟というか、開き直りがありました。
カウンセリングをしていて、わかったことがあります。それは、親が間違った子育てをした結果、子どもが問題を起こすことはもちろんあるけれど、同じように間違った子育てをしても、何の問題もなくスクスクと育つ子どももいるということ。また同じことですが、素晴らしい子育てをした親のもとで、何の問題もなくスクスク育つ子どもももちろんいるけれど、同様に素晴らしい子育てをしても、次から次へと子どもが問題を繰り替えすこともある、ということです。


ものすごくよくわかりました。
子どもの薬物問題やリストカットで講演をする時、よく「どうすればそういう問題を起こさない子を育てられるのですか?」とお母さんたちから質問を受けることがあります。
いつも私が悩み悩み答えるのは、
「……正直言ってよくわかりません。同じ子育てをしても、その子の性格や友だち関係や兄弟関係や色々な要素が絡み合って、どんな風に子どもに届くかは違ってしまうから。こう育てればいい、というのはないと思います。むしろ、私がこれまで取材してきて妙に開き直ってしまっているのは、子どもがヤクチュウになったり、リストカッターになったりすることは普通にありえるし、そうなったらそうなったでいいや、ということ。これだけ取材してきて、仲間も増えた。『ヤクチュウになったらオレのところに連れてこい』と言ってくれる取材相手もいる。私自身が自傷した過去を全然恥じてない。とりあえず、親に出来るのは、いざ子どもに問題が起こった時に、どっしり構えて子どもに向かい合えるよう、自分自身を支えてくれる仲間を日頃から作っておくことなんじゃないかな、と思うんです」
みたいなこと。
だから、諸富さんの言葉、よく分かりました。

最後の最後に諸富さんが自身と妻の経験として書いていること。

子育てに苦しむ母親の悩みは、〇勸蕕討修里發里瞭颪靴気呂發舛蹐鵑里海函△修譴砲わえて、◆屬ちんと子育ててきでいないのではないか」、という周囲のまなざしを気にしてのものが大きいようです。
周囲の視線を気にして、自分で自分を責め始める。「私は、だめな母親なのではないか」と自分を疑い、自信を失う……。
これが母親の育児ストレスの最大の原因。


そして、結論として、<夫婦の間に「弱音を吐ける関係」をつくることの大切さ、難しさを私自身、実感した>と書いてます。

いろいろな家庭のありようがあるから、これは夫でなくてもいいのだけれど。
とにかく、お母さんには弱音を吐ける相手が必要なんですねえ。
しみじみ。



君たちはなぜに隅へ隅へと?

息子とその友だち5人が朝から我が家にいる。
むちゃくちゃおもしろい。
息子は昨日から大興奮。今朝は「あと10分だ!5分だ!」と待ちわびていたし。やってきた友だちたちは、一人ひとり個性的で大変楽しいのだった。
(げっぷで「あ、い、う、え、お…」と五十音を全部やってみせてくれた子もいた。すごい特技だっ!)

それにしても。
けたたましく走り回っても良いように、万年床気味の我が家で珍しくきちんと布団を全部上げて、スペースを広げておいたというのに、少年5人組はなぜかいつも、隅へ隅へと移動する。
そうやって隅で固まりながら、ひたすらDSゲーム三昧。

部屋の隅で固まっていたり。
息子のシングルベッドの上で全員固まっていたり。
挙げ句の果てにはちゃぶ台の下に潜り込んで固まっていたり。
ちゃぶ台から足だけ突き出してる5人を見て、思わずふき出してしまった。

なぜ男の子たちは、隅が好きなんだろう。
全部写真に収めておきたい衝動に駆られた。

★心にナイフをしのばせて (著・奥野修司)

★心にナイフをしのばせて (著・奥野修司)

1969年に川崎市で、高校1年生の少年が同級生をナイフでめった刺しにしたうえ、首を切断した。これより28年後に起こった「酒鬼薔薇」事件。著者は「酒鬼薔薇」事件を追う中で、酷似している28年前のこの事件を追跡取材する。

被害者の遺族がそれぞれに心の傷を引きずり、人生を大きく変えられたというのに、加害少年は長じて弁護士になっていた、という衝撃的な事実が話題になった本でもあります。

殺された少年には、父と母と妹とがいました。
母は、心の支えであり期待の的だった息子を失い、病んでいく。
父は、妻のことを案ずる余り、自分の苦しさを表に出せないまま、一人で苦しむ。
どちらも切なかったですが、やはり私がつらかったのは妹さんの気持ち。「兄ではなく、私が死ねばよかったんだ」という思いにずっと縛られ続けるのです。

少年法の壁にはばまれて、加害少年側の話が出てくるのは本書のたぶん1割程度に過ぎず、9割は被害者家族のこれまでを、一人称の証言の羅列、という独特のスタイルでつないでます。
この手法、成功しています。

28年間を生きた家族のそれぞれの思いですから、事件に直接関係ないように見える話もたくさん出てきます。本の中身は、事件取材というより、家族の物語に近い仕上がりにもなってる。たぶん、どんな家族でも28年間の物語を綴れば、ある人にとってはドラマになり、本になると思えてくるほどに。
でも、だからこそ、一見、事件とは無関係に見えるような家族の心の動きや行動の一つひとつが、すべて、実は事件を引きずった結果であることがジワジワと静かに迫ってきて、一つの事件が遺族にどれほどの傷痕を残すのかが、衝撃などとは別の形で胸に迫ってきます。

非常に扇動的な本かもしれません。
本書の最後では、加害少年が、今や恰幅の良いえらそーな弁護士になり、反省などする気もない、といった風に描かれてますから。
少年法の理念なんかもういいから、彼の過去を全部暴いて世間にさらしてしまえ! と読者に思わせてしまうようなパワーがあると感じました。
そういう意味でも、突き付けられる思いでした。




初の「おれ」

今週末、息子がお友達4人 (当日にはもっと増えていることだろう……) を家に連れてくることになった。
普段は私が仕事をしているので、我が家で友だち同士遊ぶ、というようなシチュエーションはありえない。よそのお宅にお世話になっているわけで、週末くらい我が家を開放しなくちゃねー、というような話。
……といっても、今週末、私は原稿書きがたまってるので、ゲーム機に没頭する息子たちと、パソコンに没頭する私、というような図になるんでしょうが……。

で、本題。
「遊びに来る子がまた増えたよー」と、寡黙な息子にしては珍しく友だちの名前を順番に挙げてしゃべり出した勢いそのままに、何の拍子か、息子が自分のことを、「おれ」 と呼んだのである。

へ? おれ?

内心どきり。
その瞬間、息子の目にも動揺と恥じらいが走る。
だから私、あえて気付かないふり。
(そうかー、あなたも 「おれ」 と言うようになったのねー、と冷やかしたっていいんだけど、さすがに気の毒で……)

それから数分後、息子は今度、確信犯的に私の前で 「おれ」 と再びいう。
今度は一切動じず、そのまま受け流す私。
息子もほっと一安心した様子。

2年生で初の 「おれ」。
あまりに遅咲きの 「おれ」 デビュー。

保育園時代、お友達が 「おれ」 と言い始めた時、「あんたは言わないの?」 と聞いたら、すごく恥ずかしいことのように、「いやなの」 と答えたんだっけなあ。
そうかー。
とうとう、うちの息子にも 「おれ」 時代が到来か。

演奏が崩れていく〜

本日のピアノレッスン。

私の前にレッスンを受けていた女の子が、保育園時代からの息子の友だちで、「母ちゃんのピアノを聞きたい」と言ってくれた。
(ちなみに私は、息子の保育園友だちから「母ちゃん」と呼ばれている。よそはママだから、「母ちゃん」を私の名前だと思ってた子も昔はいたようだ)

私は私で、発表会を2カ月先に控え、そろそろ人前で緊張しながら弾く、というのをやっておかないと……と焦っていたので、渡りに船、という感じ。早速聞いてもらうことにした。
シューマン=リスト編の「献呈」。

いやね、最初は別に悪くなかったの。
それでもものすごく緊張して、指が震える自分にすごく驚いて。
譜めくりのためにそばにいた木曽センセに、震える指を見られるのが嫌だなー、なんてつまらないことまで考えちゃって。
緊張が全然収まらない。

左手にメロディーラインが移ってからも緊張は収まらず、どうしよう、どうしよう……と。
ふと、野球の試合でマウンドに緊張しながら上がる息子を思い出しちゃった。
野球はいいよなー。
途中で深呼吸したり、タイムかけて靴ひも直しながら落ち着いたりできるから。
ピアノは、いったん弾き始めたら、

「タイムお願いしますっ」

なんて言えないし。
どうやって緊張の渦中から立ち直っていけばいいんだろう。

アルペジョが始まる辺りで曲が崩れ始め、最後のオクターブ和音連打の、「高らかに愛を歌う」はずの場面では、もう散々。
普段でも、「愛」というより、「けんか売ってる」みたいな音しかでない部分なんだけど、この時はもう、けんかさえ売れず、ボロボロ。

弾き終わって。
木曽センセが「まだ、始めたばっかりで、これからどんどんよくなっていくので発表会にはぜひ来てくださいねー」と苦し紛れのフォローをする。
私は素直に、「いやー、良い勉強になった。この曲の怖さがよく分かった。最初から最後まで、どんどん難易度が上がっていくから、途中で態勢を立て直すなんて無理で、いったん崩れたら、崩れる一方なんだとよく分かったよ」

色々な機会を見つけては、人前で弾くことを積み重ねないと、大変なことになっちゃいそう。
暗澹としたのだった。

それはともかく。
本日のレッスンの留意点。
(課題の多い最後の部分から今回は逆の順にレッスンをつけてもらいました)

<オクターブ連打の最後の部分>
・右手はペダルを外して、できるだけテヌートで歌う練習をする。
・音から音への移動で手首や腕を使う。
・左手はバスはもっと響かせて、三連符はバスの響きの中に入れる。
・3拍子を意識する。

<アルペジョ部分>
・ウナコルダペダルを使う部分では、アルペジョはハーフタッチで。
・アルペジョでメロディーを膨らませながらも、メロディーラインのリズム(特に符点を)を意識してしっかりと。
・ペダルを外すところで息継ぎを表現

<ABAのBの部分>
・メロディーは横に横につなげて、大きなフレーズで。
・10度以上の和音の時、音が横につながらなくなる。

<左手にメロディーが移った後>
・音の響きを美しくしようと意識するうち、大きなフレーズでまったく歌えていない。まずは自分で歌う。
・左手でいかに歌えるか、ひたすら練習

で、最初の部分は「とてもよくなったので、今回はいいです」。
最初の部分が改善された一つの大きな理由に、友人(声楽に精通しているドイツ語使い)からもらった歌詞の逐語訳があったように思う。
例えば「舞いあがる」と普通訳されることが多い言葉について、彼は、「高いところに吸い上げられ行く感じ」と言葉の持つニュアンスにまで言及してくれた。
音作りにおいて、「舞いあがる」と「吸い上げられていく」は、同じ上への移動であっても全然違うわけで。

「吸い上げられていく」というイメージを聞いて、初めて、そこの音を大切に弾けるようになったんです。

道のり、まだまだ遠いけど、
がんばろうっと。

スコットランドからモロッコまでの距離

発表会まであと2カ月。
シューマン=リスト編の「献呈」は、勤務先で今度ドイツに特派員に出るという同期記者に、歌詞の逐語訳をお願いして以来、かなり弾きやすくなりました。なにしろこの記者、ドイツ語ができるだけでなく、歌をやっていたことがあるだけに、「献呈」の入った「ミルテの花」の歌曲を舞台で何度も聴いたことがあるらしい。
そういう人が周囲にいることに感謝。

ようやく逐語訳を手にして、なるほどこのパートはだからこんなに高揚感に充ち満ちているのか、とか、だからここのパートは天上から降るような音色にしなければならないのか、とか、すごくよく理解できました。

ま、それはそうとして。
テクニック的につらくないだけに、ついつい放置しがちなグラナドスの「アンダルーサ」。
こちらで表現したいイメージが具体的に煮詰まったというのは先日書いた通り。

フラメンコ発祥の地、アンダルシア地方のタブラオで、フラメンコギターを聴きながら、恋に破れた女が酒を飲みながら、嘆いている。途中、まだ2人が恋人同士だったころ、グラナダにあるアルハンブラ宮殿の中庭を歩いたよね、あの時は、中庭の噴水の水がキラキラキラと輝いていて……それなのに、なぜ……、というような曲。

自分なりにこのイメージがちゃんと聴き手に伝わるか確かめてみたくなって、休日で家にいた夫に協力を求めた。「悪いけど、これから弾く曲、どういうイメージか、思いつくままに言葉を並べてみてくれる?」

ある程度、「アンダルーサ」を弾いていたら、夫が「だいたいわかった」と解釈を延べ始めた。
それがこれ。

これは、そうだな、スコットランド。海のそば。断崖絶壁。高波。曇り空。スコッチウイスキー。さばーん、さばーん、波が寄せては返す。あるいは、コナンドイルの小説の世界。裏通りの暗い石畳の道。逃げる犯人を追う、探偵……。

………。
なぜだ。
なぜにスコットランド?
この曲は「スペイン舞曲集」の1曲。
タイトルは「アンダルーサ」(アンダルシア地方の、というような意味)。
それがどうしてスコットランド?
犯人を追う探偵なわけ?

あまりに悔しいから、次に、尊敬するスペインの女性ピアニスト、ラローチャが弾く同じ曲をCDで聴かせてみた。
「これでもスコットランドかい?」と。

すると。
なんと夫のイメージがガラリと変わった。
「同じ曲なのに、目の前に浮かぶ光景がおまえ、全然違うぞ」という。

ここはカスバ。モロッコだ。アトラス山脈の南側に続く街道。所々にあるオアシスのなんと美しいことか。そこを行くラクダの列。流れる砂。

スコットランドと、モロッコと。
直線距離にすると、どのくらいかな。
モロッコは海峡一つ超えるとスペインのアンダルシア地方だけど、
スペインから英国スコットランドはむちゃくちゃ遠いよなー。

でも夫の2つのイメージから、自分の音に欠けているものが分かった。

まず、色気と恋。
それから、温度。
暗さやつらさしかまだ表現できていない、ということなんだろう。
しかし、落ち込むよなー。
スコットランドとモロッコの差、か……。


■エリック・ハイドシェックのピアノリサイタル@朝日浜離宮ホール

■エリック・ハイドシェックのピアノリサイタル

ハイドシェックが最初にすごいと思ったのは、前回の発表会に弾いたシューベルト即興曲90−4の研究をしている時。ツィメルマンに内田光子にルプー。本当に色々な人の演奏を聞き比べたけれど、ハイドシェックだけが「変」だった。

変、というのは言い当たらないか。
ハイドシェックの90−4は、A−B−A構成のうち、最後のA部分で、いきなり、右手のメロディーを抑え、左手の和音伴奏の中に新しいメロディーが立ち上がるのです。

実は即興曲90−3はもっとすごい。
90−4の場合は「意外性」の美しさだけれど、90−3は歌の美しさ。
そもそも天上の曲のように美しい作品なのだけれど、これも左手にとんでもなく美しい、切ないメロディーが生まれ、「な、なんだっ! これはっ!」と。

宇和島ライブで最初にこれをやった時、観客が自宅に戻って楽譜とにらめっこしたとか、そういう逸話も聞いた気がする。

んなわけで、今回は、ハイドシェックを聴きに行きました。
実は、同じ日に、セルゲイ・シェプキンがバッハの作品を弾く、というコンサートが墨田トリフォニーホールであって、すごく迷った末、先にチケットを確保していたハイドシェックのほうを選んだ、という経緯もありました。

さて。ハイドシェックのこの日のプログラムは。

モーツァルト:ロンド イ短調 K.511
モーツァルト:ソナタ第12番 ヘ長調 K.332
ベートーヴェン:ソナタ第17番 ニ短調 「テンペスト」
フォーレ:ノクターン第9番 ロ短調
フォーレ:ノクターン第10番 ホ短調
ショパン:舟歌 嬰ヘ長調 Op.60
ドビュッシー:「前奏曲集 第2集」より“ビーノの門”
ドビュッシー:「版画」より“グラナダの夕べ”
ドビュッシー:「前奏曲集 第1集」より“さえぎられたセレナード”

ところが、最初の「ロンド」で、正直なところ、「あちゃー、やっぱりシェプキンに行くべきだったか」と思ってしまいました。
CDで聴いてる分には、うちのプレーヤーやスピーカーの質の悪さのせいもあるのですが、音の響きの善し悪しなんてそんなに気にならないのです。だからリズムの揺らし方とか解釈の意外性とかをつい重視しちゃう。
でも、こうして生で聴くと、ハイドシェックの音は決して私の好きな音ではなかった。タッチが不明瞭なモーツァルトというのも私の好みとは違う。

次のK332は、とても比較的好きな音色だったこともあり、少し気を取り直しました。
が、問題のテンペスト。
ハイドシェックといえばテンペスト、といわれるほどの彼の代表作だったりするわけですが、私の知識のなさもあるでしょうし、何よりすでに小姑のようになってしまっていた私の心には、ミスタッチばかりが目立ち、正直言って、気持ちが乗れませんでした。

それなのに、前半最後のこの曲が終わった途端、派手にスタンディングオベーションしちゃうお兄ちゃんとかもいて。
「私が全然理解できないだけ?」と、よけいに自分の気持ちが冷めるばかり。

ただ、後半のドビュッシーは私は好きでした。
フランス人の彼が、フランスものを弾くと、不思議とただのフランスものに終わらない、という音の色彩の不思議な感じが。

でもでもでも。
最後の最後に私が、「やっぱりハイドシェックを聴きにきてよかった!」と心底思ったのは、アンコールの時かもしれません。
なんとなんとなんと!
バッハ!
(あとで聞くと、鍵盤協奏曲第5番だそうです。実は最後の曲もバッハかと?思っていたら、左手のための自作曲の「バッハ風」だそうで)

こんなバッハ、初めて聴いた、と思いました。
「こんなのバッハじゃない!」と嫌う人も絶対にいると思う。
でもね、私はこのバッハを聞いて、しみじみ感じたのです。

ああ、この人はただひたすらに歌いたいんだ、って。
楽譜をきちんと読んで、再構成しながら、音を創り出していくのも、時にとんでもないところからありえないようなメロディーが立ち上る不思議さも、この人がピアノで歌うことをとても大切にしているからなんだ、って。

難しいことはわかりません。
でも、あんなに揺れる、あんなにロマンチックな、あんなに感情豊かなバッハは、本当に初めてでした。
同じように弾きたいかと言われたら、自分がバッハを弾く時に求める音とはぜーんぜん違うけど、でも、「このバッハを聞くために、私は今ここにいるんだ!」と素直に演奏を聴けたことに感謝できました。

そろそろ70歳くらいのおじいちゃん?
いつまでもお元気で! と最後は素直に拍手してしまいました。

「みんなのうた」の記事も

とりあえず、こんな記事も書いたりして、先週はとても忙しかった。
来週はでも、もっと忙しくなりそう〜。

NHKの「みんなのうた」に大物続々


NHK側の 「口ずさみやすい歌を意識してます」 という今回の原点回帰ともいえる方針を聞いて、なるほどー、と納得。
1月によく放送されていた「ねっこくん」は我が親子のお気に入り。

私 「ねっこくーん」
息子「はいよー」

という掛け合いを何度やったことか。
見事にNHKの作戦にはまっている視聴者、なのでありました。

「弱音のススメ」という記事

最近、相談事を受けた相手がそろいにそろって、弱音を吐くのがとても下手に見えることに気付いた。
それで週に1度の編集会議で、「弱音のはきかた、って企画はどうでしょ。弱音を吐けば吐くほど上手に人間関係を回す人もいれば、弱音を言うほどに顰蹙を買う人もいますよねー。あれって何なんですかねー」と発言してみた。
ただの思いつきなのに、あっさり企画が通った。

そこで書いたのが、この記事。

弱音のススメ。(大人の弱音力検定付き)

よかったら「弱音力検定」、やってみてくださいな。

そうそう。
不思議なこと。
この企画を提案したのが私だということもあったんだろうけれど、デスクの一人から、「こういう記事は、弱音のプロ、おぐににしか書けないよ!」なーんて言われたのだった。

え?
私、弱音のプロですか?

いや、確かに私、弱音を我慢するタイプじゃないし、完璧主義でもなければ、「弱音を吐くなんてプライドが許さない」と思ったこともない。
だけどさ、昔はそうじゃなかった気がする。
だって基本的に自傷者は弱音を吐くのが下手だし。
私なんか、必死で弱音を普段は我慢してるくせに、「この人に頼りたい!」と思った途端、ひたすら毒のような弱音を吐きまくったり、もう、距離感もむちゃくちゃ。
人間関係で失敗したことなんて、山ほどあるわ。

そんな私が、今や、「弱音のプロ」?
こういう時、しみじみ思う。
歳を重ねるって、大人になるって、ほんと、ありがたいことね。