おぐにあやこの行った見た書いた

「口笛」の記事

秋空の下、軽やかに口笛 変幻自在 どこでも音楽会」ってな記事を書きました。

ちなみに私は口笛がふけません。
でも、この取材のお陰で、音が少し鳴るようになりました。

取材していて、一番笑ってしまったのは、横浜の口笛教室の先生も、大阪の口笛教室の先生も、サラリーマン時代を過ごし、接待カラオケや宴会芸で口笛の技を磨いた過去を持っていた、という点。
会社員の底力、かな。

野菜の甘み、という記事

アップし忘れてましたが。
先週は「野菜の甘さ」をテーマにした記事を書きました。

私は大学時代、「自然食通信」とか愛読していたわけであって、「甘い野菜はお日様の恵み」と信じ込んできたのだけれど。
(もちろん、太陽光や、取れたての新鮮度が「甘さ」の大きな要因であることは今も確かだろうけれど)。

例えば、レストランで出されたサラダのトマトが真っ赤で、甘くて、オリーブオイルに絡まって、ああ、うっとり〜、っていう場面で、いつも「お日様の恵みだわ」とイメージに酔っていたのは、どうやら大きな勘違いだったらしい。

「甘さ=お日様の恵み」と信じていたせいだろうか。
例えば、我が家ではトマトといえばもっぱらプチトマトだし(プチトマトは普通のトマトより一般的に糖度が高い)、同じ理由で、我が家では枝豆はもう3年間、茶豆の種類しか食べてない。

数日前、妹が夫がまた、野菜を送ってくれました。生の落花生と、スティックセニョールとゴボウ。
義弟の野菜はいつもおいしい。
新鮮な野菜というのはおもしろいもので、甘ければ甘いでおいしいし、甘さの弱い野菜は別の味のほうが引き立って、酸味やら苦みやらに感動できる。一言で言えば、味が濃い。
野菜の味のカギはたぶん、単なる甘さだけでなく、バランスにあるんだろうな、と気付かせてくれる。

歯の磨きすぎ……ですか?

小2の息子がとうとう学校の歯科検診で「C1」の虫歯と言われて帰ってきた。いよいよ初虫歯だ。要治療、らしい。
ということで、私もついでに診てもらおうと、親子で歯医者に行った。

まず息子。
息子は「削るかなあ、注射するかなあ」とかなり脅えている様子。
私は「大丈夫、最近は初期の虫歯は削らないで治療する医者も多いから」となぐさめたものの、実は内心、診療台上の阿鼻叫喚をある程度覚悟していた。
ところが。
口の中を丹念に見てくれた医者が一言。
「虫歯……ないですねえ、どこにも」
ということで、息子の「初虫歯治療」は幻に終わったのでした。

で、次の私。
歯周病の検査は「2〜3ミリ」で異常なし、だったんだけど。
「歯茎が随分と上に(下の歯の場合は下に)上がってきてますね」と医者がいう。
原因はなんと、「歯ブラシに力が入りすぎているから。あるいは長い時間、歯を磨きすぎです」

確かに。
歯磨きは趣味に近くて、パソコン画面を見ながら、あるいは本を読みながら、下手すりゃ30分くらい磨いているかも、私。
磨き残しが不安で、ついつい力を入れていたのも事実。
しかしまさか、「やりすぎ」とは。

結局この日は、「これ以上、今までのように強く歯を磨きすぎたら、将来どんな歯になるか」という恐ろしい写真を何枚も見せられ、恐怖したのでした。

ここの歯医者さん、教育指導には随分と力を入れているので。
息子は、「今は虫歯はないけれど、虫歯はどんな風にできるか」を徹底的に教わったみたい。
「500ミリリットルのペットボトル入りの炭酸飲料に入っている砂糖はなんと60〜70グラム。身体に良さそうなスポーツ飲料でも30グラム。30グラムというのは、シュガースティック10本分!」というスライドを見せられた挙げ句、「3歳でもボロボロの虫歯の子の写真」や、「80歳になって歯が1本もなくなってしまったおじいちゃんの写真」を見せられ、すっかり震え上がってました。

本日の教訓。
過ぎたるは及ばざるがごとし。

持つべきものは近所のレストラン?

先週は参った。
とある取材が予想をとんでもなく超えて長引いて、午後6時半を過ぎてしまった。
息子はこれまで、7時までしか一人で留守番したことがない。が、今から大あわてで帰っても帰宅が7時を過ぎるのはもう確実。
とにかく事情を説明しようと自宅に電話したが……誰も出ない。

一瞬、肝が冷えた。
どう考えても学童保育からすでに帰宅しているはずの時間なのに。
いったい息子はどこにいる?

携帯電話の履歴を見ると、見慣れない電話番号が。
とりあえず、返信してみると、同じマンションで同じ学年の女の子が「はい、もしもし」。
彼女に事情を聞いたところ、息子は自宅の鍵を学童保育に忘れてきたために、家に入れなかったらしい。「たぶん、学童に鍵を取りにいったと思うよ」と教えてもらったのだった。

息子には常日頃「鍵がなくて家に入れない時は、同じマンションのお友達のおうちで電話を借りて、母ちゃんに電話しなさい」と仕込んできた。仕込んだ甲斐あって、息子はちゃんとお友達のおうちで電話を借りて私に電話したのだ。
ただし、母ちゃんは取材中で、電話に出られなかったんだけれども。

次に大急ぎで学童保育に電話する。
「10分ほど前に鍵を持ち帰りましたよ〜」と教えてもらう。
ならば家に着いているはずなのに。
不安がムクムクムクムク。
途中で怖くなってる?
交通事故?
も、もしや誘拐?

帰路を急ぎつつ、もう一度自宅に電話しようとしていたところ、携帯電話に電話がかかってきた。
「もしもし!」
意気込んで出ると、
「母ちゃん……」と涙声。
どうやら家にきちんと入れたらしい。よかった……。

「どこにいるの? 何時に帰ってくるの?」と涙声で問われ、このまま一人で留守番は無理、と判断。
「とにかく。あのパスタ屋さんで待ち合わせしよう」と打ち合わせる。
近所のパスタ屋さんのお兄さんが優しい人で、「息子さんが一人でお留守番するのが不安になった時は、うちで一人で来て食べながら、ここで母ちゃんを待っていていいから」といつも言ってくれているのだ。
(お店のお兄ちゃんはそういえば、私のことを、「母ちゃん」と呼ぶ……ちょっと複雑だ)。

レストランで落ち合うと決め、電話を切った後、今度は大急ぎでパスタ屋さんのお兄さんに電話。「……ということで、すみませんがよろしく」。
ああ、持つべきものは、近所のレストラン〜。

それから25分後、私も店に合流。
息子は、さっきの涙声などとこへやら、一人でテーブル席を陣取り、トマトソースのパスタを元気よく頬張ってました。
「ごめんね〜。一人で怖くなっちゃったの?」と尋ねたら、息子は一言。

母ちゃんが酔っぱらって交通事故に遭ってたらどうしようと思って

どきっ。
「ま、まさか仕事中に、しかもこんな夕方から飲むわけないでしょ!」と普段だったら言い返せるのに。
実はこの日、取材中に相手と盛り上がり、夕方4時から生ビール、そして5時からウイスキーをロックで飲んでいた私でありました。
私は私で、息子の交通事故をとても心配していたのだけれど。
息子は息子で、私の交通事故を、それも「酔っぱらって」の交通事故を想像し、本当に怖くなっちゃったわけで。

なんかちょっと反省。
お店のお兄さん、ありがとうございました。

★空白の叫び(著・貫井徳郎)上下巻

★空白の叫び(著・貫井徳郎)上下巻

14歳の三少年、久藤、葛城、神原がそれぞれに殺人を犯し、少年院で出会い、出所後、「生きるため」に破滅への道を転がり落ちていく小説。
上下巻ある長編だけれど、重いテーマ(犯罪少年の更生とか、罪を償うとはどういうことか、とか)のわりには、極端でわかりやすい人物造形と謎解きのお陰で、エンタテインメントとしてはとても成功しています。

3少年の人物造形でいえば、久藤が一番リアリティーがあります。
容姿も運動能力も学力もそこそこで、しかし自分のその「凡庸さ」が許せず、無根拠に肥大化する自意識を心の中で飼い慣せない。
背景にあるのは小学校時代に受けたいじめ体験だけれど、中学校で立場が逆転し、かつてのいじめっ子たちをいじめる側に回ったことで、さらに再びいじめられる側に転落しないために必死になり、それ以外の人間関係のありようなど、許容できなくなっていく。

一方、「使用人がいる」ような大金持ちで、しかし家庭の温かみが一切ないような家に生まれた葛城は最もリアリティーがない気がしました。

神原は、上巻前半では恵まれない生育環境の中で数少ない家族を守ろうとする心優しき少年のように描かれていますが、実際に殺人を犯した後には、3人の中で最も自分の内面と対峙せず、罪の意識すら感じず、特に下巻では、「悪いのはいつも自分ではなく他人」と本気で信じている不気味さが描かれていきます。
これはこれでリアリティーがありました。

この小説を通して読んで、なるほどなあ、と思ったのは、3少年とも、殺人を犯した後、後悔することはあっても、反省することはないという点。
例えば、更正を目的とした少年院で、少年たちは反省する余裕なんかありません。陰湿な、あるいは暴力的ないじめからいかに身を守るか、ということが直面する最大の問題だと描かれています。
また、出所後、「人を殺した」ことで新しく得たアルバイト先などで白い目で見られたり、攻撃されたり、非難されたりしても、少年たちは社会への憤りをためこんでいくだけで、反省には至りません。
読み進めるうちに、そのことに思い至って、ぞっとしてしまいました。

反省だとか、更正だとかは、施設のカリキュラムやら、厳しい指導やら、社会的制裁だけでは生まれないんだ、という著者のメッセージとも読み取れました。

若干違和感があったのは、殺人を犯すまでと、少年院の中とで、久藤を筆頭に3人の人物造形がずれた感じがしたこと。例えば久藤の心情描写は最初とてもリアリティーがあったのに、少年院に入ったら一人で経を読み続ける修行僧のような……、という設定はちょっと無理がないかな、と。
あるいは、この変化は、殺人を犯したゆえなのか、14歳という思春期には数カ月でどんどんと考えも性格も変わっていくということなのかな。
また、久藤と葛城の互いへの感情は、小説的にはとてもおもしろいけど、ちょっとな……という感じでした。




★いのちって何だろう(著・村井淳志、坂下ひろこ、佐藤真紀)

★いのちって何だろう(著・村井淳志、坂下ひろこ、佐藤真紀)

5年以上前ですが、インフルエンザ脳症でお子さんを亡くしたお母さんの取材をしたことがあります。15歳未満の子供からの臓器移植の問題が浮上した頃のことでした。
取材したお母さんを通して、インフルエンザ脳症で子供を亡くした方々が新しい会を立ち上げたと知りました。それが、「小さないのち」。今は病気を限定せず、病児遺族の会(小さな子どもを病気で亡くした家族の会)として活動されています。

で、本題。この本は、「小さないのち」代表の坂下さんの本、ということで手に取りました。
そうしたら、共著書で、社会科教育実践が専門の金沢大教育学部教授である村井さん、日本国際ボランティアセンタースタッフの佐藤さんのお話までついてきた、というわけ。
でも今回は、特に村井さんの話に色々と考えさせられました。

村井さんが書いているのは「ニワトリを殺して食べる授業」について。テーマは「いのちをどう教えるのか」です。
実は、このテーマ、ずっと気になっていました。
何か事件が起こるたび、「心の教育を」「命の大切さを教えよう」と叫ばれる。でも、「いのち」ってどうやって教えるんだろう、って。

私がまだ教育学部の学生になりたてだったころ、東京の公立小学校の先生だった鳥山敏子先生が、「ニワトリをを殺して食べる」授業や「ブタを解体して食べる」授業を実践し、それが記録映画にもなりました。
私はそれに心打たれるとともに、「こういう授業は一朝一夕にはできない。ニワトリを殺して食べるといった授業よりも、普段の授業風景が見たい」と思い、直に鳥山先生に電話し、「1週間見学させてください」と頼み込んだのでした。
当時、鳥山先生のもとには諸団体の見学が集中し、学校を通して、土曜日のみ見学者を受け入れていたそうなのですが、個人での見学依頼は珍しかったらしく、「特別に月曜日から1週間の授業を見せてあげる」と快諾していただきました。
それで私、確か、年3度ほど京都から上京し、そのたびに1週間、子どもたちと机を並べて授業見学させてもらいました。

楽しい授業でした。もう20年以上前の話で、記憶も曖昧だけれど、国語の授業だと思ったらいつのまにか算数になっていて、円柱の面積の計算とかをやっていたと思うと、円柱のスケッチに変わっていたり……変幻自在でした。
それに。給食、おいしかったな。

結局私は、教育実習までこなしながらも、教師にならずに、新聞記者になることを選んだけれど、鳥山先生の授業を思い出すたび、「うちの息子にああいう授業を受けさせてやりたいもんだ」と思わずにいられないんです。

が。
この本を読んで驚きました。
村井さんが紹介している金沢市の金森俊朗先生、という小学校の先生が2003年3月に「ニワトリを殺して食べる」授業を実践するまで、日本の公立小学校では1980年の鳥山先生以来、この手の実践ができてこなかった、と書いてあったものだから。
23年間もの空白?

そういえば、2001年、秋田県で、育てていたニワトリを解体し、調理し、食べるという授業が計画されたのに、直前になって「残酷だ」という保護者の匿名の投書(話し合いの際には何も言わず、匿名で投書するというやり方は、本当に軽蔑してしまう)をきっかけに、中止されてしまったことは、まだ記憶に新しいです。

でもまさか、鳥山先生以来、公立小学校のどこでも「殺して食べる」授業が実践できずにいた、ということには、ショックを受けてしまいました。

鳥山先生もそうだったし、この本を読むと金森先生も本当にそうなのだけれど、この手の授業は、「殺して食べる」行為が大切なのではなく、その授業からいかに多くのことを学べるかは、それまでの日々の授業や、準備にかかっているわけです。
例えば金森先生は、2年間持ち上がりで担任したクラスの2年目の年度最後にこの授業を実践しています。それまでの2年間、あらゆる教科の授業を通して、生きること、死ぬこと、食物連鎖などについて、子どもたちに考えさせてきてます。
さらに、保護者に「おやじの会」を立ち上げてもらい、「殺して食べる」実践は、あくまで「おやじの会」が主催する形を取るなど、「残酷」という陳腐な反対などもう出てくるはずがないほどに、丁寧に丁寧に準備を積み重ねているわけです。

ふと、息子の夏休みの自由研究を思い出しました。
そう、「イカのりょうり」というやつ。
あれは、スーパーで買ってきたスルメイカをさばき、刺身と炒め物と塩辛にしたわけだけれど、「生きたイカを海で捕る」と「生きているイカを殺す」という段階も、工夫次第で可能だったのかも、とふと思ったのでした。

ただし、心しておこう、と思った点が一つ。
金森先生の言葉として、本書に掲載されていた言葉。

教材を「何かの概念を教える手段」にしちゃいけない、対象世界は簡単に概念化できない。しないほうが豊かさに満ちあふれている。

行動力と好奇心に満ちた、けれども説教好きな先生(あるいは親。私も含まれる)が最も陥りやすい落とし穴、ですよね。


佐藤真紀さんが書いている項についても一つだけ。
2000年にパレスチナでインティファーダが再び起こった時、日本の子どもたちがパレスチナの子どもたちに書いた手紙があった、と。
それはこんな風。

「みんなで戦争をやめよう! やめたら、きっと私たちのように平和になれるんだよ。石を投げるなんてやめようね!」

佐藤さんはこの手紙をパレスチナの子どもにはとても渡せなかった、と書いている。
私も最初、この手紙を一読した時、「こんな手紙を子どもが書くという時点で、子どもの受けている社会科教育の薄っぺらさが分かるわ」と思ったのだけれど。
でも、よくよく考えたら、あれほどに根の深いイスラエル占領とパレスチナ問題を、日本にいて、きちんと子どもに語るのは、なんと難しいことだろう。
「戦争はダメ」「けんかするなら手でやりなさい。石なんて投げてはダメ」「憲法9条で日本の平和は守られています」って、そんな教育やしつけじゃ、世界中で起こっているどんな問題もきちんと語ることはできないんだよなあ、と。
むしろ、子どもの書いたこの手紙は、日本で普通に教育を受けた子どもが普通に書いてしまって全然不思議のないもので、そういう国で、私は暮らし、子育てしてるんだなあ、と考え込んでしまったのだった。

「語るより聞いて」という記事

今週書いたコラムはこれ。
語るより聞いて」。
最初、タイトルは「父親の晩酌」だったんだけど、ベタでも、伝えたいことを前に出してみました。

最近、「父親力」をうたう書籍や雑誌が増えてます。
なんでも、来月には「父親力検定」というような趣旨の本も出るそうです。
これまでずっと、「お父さん、一緒に育児しようぜ」と主張し倒してきた私なのだけれど、ちょっと今の流れは不安です。
「受験こそ、就職こそ、父親の出番」ってどうかなあ……と。
きちんと信頼関係のできている家庭で、お父さんが受験や就職の旗振り役になるならいいのだろうけれど、家庭回帰した途端、「受験だ! 就職だ!」と子どものお尻を叩き始めたら、これはこれで子どもにはしんどいんじゃないかな、と。

コラムに書いた松本医師の「父親の晩酌」の話は、誰より私自身がどきっとしました。
だって、私、家でお酒飲むし。
飲んだらくどくなるし。
熱っぽく語るの、大好きだし。
というわけで、自省もこめて、書きました。


ラブレターの記事を書いてしまった

ラブレターって書きます?
私、結婚して以来、まともに書いてない気がします。
そんな私がラブレターの記事を書いてしまいました。

名付けて「秋だから、ラブレターを綴ろう

実はここだけの話、記事に登場する小嵐師匠の助言を手引きに、記事を書く前、夫にラブレターなるものを、たぶん十数年ぶりに書いたわけです。
(何事も実践。体当たり取材がモットーなので)。
記事を書く前に夫に読んでもらう必要があったために、会社で書いて、大あわてで速達で自宅に送ったわけですが……。
この時の夫の反応はなかなかでした。

まず、私から速達で手紙が届いたと分かった瞬間、思ったことは
「おれは何か妻を怒らせるような、まずいことをしただろうか?」だったそうです。
職業柄、内容証明付き質問状なんかを連想したのでしょう。
開封し、内容を読んでもなお、「いったい何をたくらんでるんだ、こいつ」と思ったそうです。
うーん、信用されてないなあ。
ちなみに内容はこんな感じ。

「おまえ、掃除しろ」が口癖のあなた。掃除が苦手な私に悪態をつきまくりながら、それでも自分で掃除機をかけるあなたの姿はとてもりりしい。
毎晩帰りが遅いあなた。でも帰宅後もお酒に付き合ってくれて、酔って愛を語るでもなく政治経済を語るあなたは、ちょっとうるさいけど、面白い。


小嵐師匠の教え通り、相手をほめようほめようと頑張るのだけれど。
ついつい日頃の恨み節がにじみ出ちゃってる感じ。

秋空に似合うしっとりとした色気ある記事を最初は目指していたはずなのに、この性格が災いして、なんだかおちゃらけ記事みたいになっちゃった。
ラブレターかぁ。
今度は取材と関係なく、書いてみようかなあ。

★シプリアン・カツァリスのピアノコンサート

★シプリアン・カツァリスのピアノコンサート@浜離宮朝日ホール

今年はこのホールで、「ショパンとリストの夕べ」と「ビバ!アンコール」の2プログラムがあったのですが、グリーグの抒情小曲集を生で聴きたい、とそれだけの理由で「ビバ!アンコール」の方を選びました。
おかげで、短い曲ばかりものすごい曲数です。

プログラムは、前半が、

グリーグの抒情小曲集から5曲。
シューマンは「トロイメライ」など2曲。
ショパンは「雨だれ」と、おなじみの個性派「ワルツ嬰ハ短調作品64-2」。
シューベルト作曲リスト編曲の「セレナーデ」と「アヴェ・マリア」。
ワーグナーの歌劇でリスト編曲の「イゾルデの愛の死」。

後半はさらにあれもこれもで、

ミシェル・ソニーの「追憶」「ハンガリーのスタイルによる3つの練習曲」。
バッハの「トッカータとフーガニ短調」をカツァリス自身が編曲したもの。
モーツァルトの「おもちゃの交響曲」(キャメロン編曲)。
マスネの歌劇「タイス」より「タイスの瞑想曲」。
チャイコフスキーの「四季」から「秋の歌」
プロコフイエフの「10の小品」より「前奏曲ハ長調」作品12。
そしてお馴染みグラナドスの「アンダルーサ」作品37。
アルベニス「タンゴ」(ゴドフスキー編)。
最後に、アンコール曲っぽさナンバーワンの、ゴットシャルク「バンジョー」(もちろんカツァリス編曲)。

ここまでで、22曲。
さらにアンコールが5曲。
計27曲!!!

結論からいうと、魂を奪われるような感動だとか、背筋が寒くなるような壮絶な演奏、とかそういうのとはまるで無縁でしたが、心から楽しめるハッピーなコンサートでした。
前半、実は、「この人、どこまで本気で演奏してるんだろう」と思うような瞬間もありましたが、後半どんどん盛り上がり、最後のアンコールではもう拍手喝采。

アンコール2曲目なんか、日本の「さくら」をモチーフに自身で作曲したいかにもな日本風のメロディーを極めて創造的に展開してくれて、客席も大喜びでした。
アンコールも5曲目になった時、「最後の曲です」と宣言し、弾いたのがメキシコの作曲家アルフレッド・カラスコの「アディオス」。
この茶目っ気というか、サービス精神というか……。

(ご興味のない人もいるだろうから、以下は追記にだらだら書きます)

★感動をつくれますか?(著・久石譲)

★感動をつくれますか?(著・久石譲)

基本的に最近は本は図書館で借りることが多いけれど、これは図書館から借りて読んだ後、「とりあえず手元に置いておきたいので、買おう」と思った。
感動したとか、そばにいてほしい本、とかいうわけではなく、時々読み返して、上手に刺激を取り入れるのに非常に最適なマニュアル本、に近いかな。

宮崎アニメの音楽などで有名になった作曲家、久石譲さんが、創造力をどのように維持し、仕事に結びつけているか、という実践的なエピソード満載。
あまりに読みやすい文章なのはたぶん、ライターさんが書いたからだろう。(もしもこの文章を、音楽家久石さんが自分で書いていたなら、ちょっと嫌かも)。

気になった言葉を以下、抜粋。

ものをつくることを職業としていくには、一つや二ついいものができるだけではダメだ。生涯に一作であれば、誰でもいい曲がつくれる。小説だって書けるし、映画だって撮れる。(略)だが、仕事は狹性瓩任呂覆狎瓩澄集中して物事を考え、創作する作業を、次また次へとコンスタントに続けられるかどうか。(略)優れたプロとは、継続して自分の表現をしていける人のことである。

これはすごくよく分かる。
もちろん、受け手としては、一生涯に一作品しか生めなかった、しかしその一作品は本当に凄まじい、という曲や、小説や、映画も好きですけどね。

「ものをつくるうえで大切なのは感性だ」というが、そもそも感性とは何なのか。日本人は、漠然としたイメージだけで「感性」という言葉を大事にしすぎているように思う。(略)作曲には、論理的な思考と感覚的なひらめきを要する。論理的思考の基になるものが、自分の中にある知識や体験などの集積だ。何を学び、何を体験して自分の血肉としてきたかが、論理性の根本にある。感性の95%くらいは、実はこれなのではないだろうか。

この95%と、残り5%との兼ね合いが難しい。
でも、この95%がなければ、先の「継続した自己表現」を続けることはやはり無理だとしみじみ思う。

コラボレーションが自分の可能性を広げる。

久石さんが、映画音楽の仕事(つまりコラボレーション。自分がこうと思っても、100%のイメージは再現されないし、映像やセリフ、効果音に被ると、最初のイメージ通りには絶対にいかない)と、自分のアルバム(自分一人で全部自由に決められる)の両方を続けているのは、「両方やることで自分自身の作家としての均衡が取れている」からだと、書いている。
なるほどなあ。
一人、自分の世界を矮小化しないために。



★写真展 荒木経惟 -東京人生-(@江戸博)

★写真展 荒木経惟 -東京人生-(江戸東京博物館)

10月17日からの写真展の内覧会に行った。
どうしても見たかったから。
少し遅れて行ったら、なんと会場でアラーキー氏ご本人が作品に解説を加えながら会場を歩き回っておられた。
なんたる幸運!

墓地を近景に、六本木の再開発現場を写し込んだ写真を前に「ね、墓場になっちゃったでしょ。墓場を建ててるんだよ。今は防衛庁跡地に墓場建ててる」。
春の幸せそうな人々の写真の前で「桜の木の下には死体なんてないよ。幸せがあるんだよ」。
女性たちの写真の前で「すべての女性は美しい。私がそれを引っ張り出す。江戸の絵描きは愛がない。着物にばっかり力いれるから」

ああ、やっぱりだめ。
こんな風に書いてしまうともう、あの瞬間の彼の言葉のきらめきは消えてしまう。
写真の前を精力的に歩き回り、大きな身振り手振りとともに、ひらめく言葉をどんどん口にし、それが一瞬、ぎらぎらっと光って、すっと消える。
そんな感じ。

彼の言葉のシャワーを浴びながら、何度も、頭の中で、インタビューすることを想定したけれど、そのたびに「きっとこの『ぎらぎらっ』は紙媒体ですくえない」と思わずにいられなかった。

新聞は、文字媒体は、言葉を固定してしまう……そんなことをふと思った。
きちんと定義された言葉、固定した言葉でないと、他の空間でそれを読む人には伝わらないのだから、仕方ないことだけど。
でも、アラーキー氏の言葉の持つ「ぎらぎらっ」とした強さ。
どうしたら、あのかしこまった活字の中に詰め込むことができるんだろう、としばらく悩んでいた。

インタビューを申し込んだことすらないのに。
勝手に思い悩むなんて、なんとも変な話。

で、写真展の話。
「さっちん」以来、東京で撮影してきた写真を通して、60年代から今にいたる東京を描いている。
東京の街の風景も大きく変わったわけだけれど、そこに暮らす人の表情の変化もまた、よく分かる。
特に60年代前半の東京の下町の写真は、60年代後半に大阪の文化住宅(という名の長屋)で育った私の記憶を妙に刺激する。
町の風景より、人々の表情が。

途中、「人町(ひとまち)」という写真集のために、東京・谷中を撮影したものが数枚あって、すべて歩き慣れた街角であることに、心がうきうきした。
写真の中に、知った顔まで見つけた時は、さすがに驚いたが。

一番うれしかったのは、近所の公園の写真があったこと。
「あ、ここはパンダ公園!」
思わず、小さくつぶやいてしまった。
その公園には、パンダの置物がある。
雨風に流されたか、黒いペンキがはげかかっていたのだけど、息子も息子の通っていた保育園の仲間たちも、みな「パンダ公園」と呼んでいたのだった。
ところが数年前、このパンダが茶色いペンキできれいに塗り替えられてしまった。
最近は、「くま公園」と呼ばれているらしい。

できれば息子に、「さっちん」の一連の写真を見せてやりたい気がした。


野球カードの遊び方

朝7時過ぎ。目覚ましで起きてみると、すでに息子は起きていて、一人で何やら遊んでいる。

床にずらりと野球カードを並べている。
9枚ずつ、横にずらり2段。
9枚というからには、2チームの先発9人分のカード、ということらしい。
あぐらをかいた膝の上には学校の自由帳。
手書きでスコアボードを書いてある。
チーム名を書く欄には、「ア」「日」と。
これ、なんだ?

恥ずかしがり屋の息子のことだから、黙って遊んでいるようでもあるけれど、よくよく口元を見ると、ほんの小さな声で延々と一人でしゃべっている。
ある時は、「3番、ショート、○○」というアナウンス。
おまけに一人一人の選手に応援歌を歌う客席役までやっている。
アウトカウントを数えながら、イニングごとの点数を自由帳のスコアボードに書き加えている。

知らなかった!
野球カードって、こんな風に一人で遊べるものだったのか。
恐るべし、オタクの世界。

想像で自分勝手に両チームの先発9人を選び、カードを並べ、試合を思い描き、点数を書き込んで、何がおもしろいんだろう。
よくわからない。
でも、うちの夫はなんと小学校高学年になっても、数台のミニカーをたたみの縁にそろえて並べ、自分で少しずつ車を動かしながら、レースを楽しんでいたというから、きっと、親子そっくり、という話なんだろう。

夕飯の後も同じ遊びをしている。なぜ飽きないのは不思議。
息子がトイレへと席を立った隙を狙って、並んでいる野球カードを観察してみて、ようやく「ア」「日」の文字の意味がわかった。
1列9枚のカードはすべて、大リーグ観戦した日に買ってやったシアトルマリナーズのカードである。
一方、もう1組9枚のカードは阪神あり、巨人あり、楽天あり。
つまり、アメリカ代表チーム(大リーグの野球カードはマリナーズのしかないので)対日本代表チーム、というわけ。

野球シーズンがほぼ終わり、あとは日本シリーズだけ。
ということで、7時のNHKニュースの後は、我が家ではほとんどテレビを見なくなってしまった。
息子なりに、テレビの野球中継にかわる「お楽しみ」を見つけたということなんだろうな。

そういえば、日米野球、もうすぐだ。
もちろん、見に行きます。


★口笛を吹いて(著・重松清)

★口笛を吹いて(著・重松清)

これまた、口笛関連本として読んでみた。短編集。
結局取材にはまったく役に立たないけど、表題作を読んだだけですでにノックアウト。やっぱり重松さんはうまい。腹が立つほど。

幼い日、野球が上手で「ヒーロー」だったお兄ちゃんと26年ぶりに再会。それも職場で。
こちらは、「元ヒーロー」が係長を勤める相手の会社から取引をお願いされる会社の課長。
こちらが懐かしげに故郷の言葉で話しかけても、きっぱりと敬語を使ってくる「元ヒーロー」のよそよそしさ。
とまあ、「あったら怖いけど、ありそうな設定」をよくもまあ、見事に描くもんだわ、と感心。

この主人公の息子が6年生で、少年野球をやっている。
下手で、9番ライトのレギュラー枠を、同級生と争っているところ。
最後の試合に起用してもらえるのはどちらか。ライバルの父親は息子を猛特訓している。
主人公も闘士を燃やす息子の素振り練習に付き合っているのだけれど、ライバルの父親を見るだけですでに勢い負けしちゃうのだ。

そんな時のこの一文がとても好き。

誰だって、自分の子供が負ける姿など見たくはない。けれど、いつまでも勝ちつづける子供は、きっといない。勝ち負けなんてどうでもいいんだ……と言うのは、やはり、なにか偽善のような気がする。まっすぐな悔しさだけですむ、ねじれたり濁ったりしない負け方を、僕は息子に教えてやれるのだろうか。

やはり野球少年を息子に持つ我が身としては、ぐぐっときてしまう文章なのです。
誰に似たのか負けず嫌いで、そのくせプライドが高すぎるせいで「負けず嫌い」を表に出すことすら自分に許せず、あらゆる勝負事から逃げるタイプの我が息子。それが生まれて初めて自分から「やりたい」と言い出したのが少年野球。
人前に立つことは絶対に拒否する性格で、だからこっそり投球練習しているくせに、自分から「ピッチャーをやりたい」とは口が裂けても言えず、「ピッチャーは緊張するから自分には無理」と自分に言い聞かせるようにあきらめたりもするのに、そのくせ「ちょっと投げてみるか?」とコーチ陣に声をかけてもらった時には普段みたいに「いいです」と断ることもできず、マウンドに立つと実に充実した表情で投球を続ける息子の横顔を見ていると、やっぱり母ちゃんとしてはしみじみしてしまうわけで。

下手なプライドなんか空虚に思えるほどに打ち込めるものを見つけて、夢中になってほしい。そこで何かを達成する喜びを知ってほしい。そしてちゃんと、挫折の味も覚えてほしい。
でもその挫折につぶされないでほしい。
ましてや、挫折が原因でねじれたり、すべてのことをあきらめたりしないでほしい……なんて。
なんと私は多くのことを、野球と、息子に、望んでいるのだろう、と気付いて、ちょっと恥じている。


★おじいちゃんの口笛(著 ウルフ・スタルク)

★おじいちゃんの口笛(著 ウルフ・スタルク)

仕事の都合で「口笛」関連の本を探していた時、これを見つけた。
おお、スタルクさんじゃあないか。
スタルクの本といえば、「シロクマたちのダンス」。これ必読。
子どもの哀しみを表現させたら、ピカイチの著者なのです。

本書「おじいちゃんの口笛」のほうは、死を扱った本。
祖父を持たない少年が、ある日、老人ホームで「ぼくのおじいちゃん」を見つける。最初は「ごっこ遊び」のような少年たちとおじいちゃんとの交流、そして死。
最後の「とにかく、おれたち、たのしかったよな」という少年の一言が、とってもいい。

薄い本だけれど、字は小さい。
本を読み慣れない2年生の我が息子には「読み聞かせ」が無難だろうな。
今夜でも、読んでやろうと思う。




バッハインベンション9番は「2人の自分の葛藤」の曲?

先週の発熱騒ぎやら週末のキャンプやらのせいで、本日、3週間ぶりのピアノレッスン。
ヘラー30の練習曲も、残すところあと3曲。うるうるうる長かったわ。
一方、夏前から始めたバッハインベンションにすっかりはまり、結局、2声を全部やっちゃおうと思っています。できれば3声も。(この数カ月、まともにペダルを踏んでないかも〜)。

今回のレッスンで無事4番と14番を終え、これで終わったのは、1、2、4、8、13、14番。
今日のレッスンのメインは、新しく取りかかった9番の楽曲分析でした。
これ、思った以上におもしろかったのでした。
まさに木曽センセの「音楽語」炸裂!

曰く、
「右手と左手。これは自分の中の2人の『私』。右手が転げ落ちる時、左手は飛翔しようとする。左手が力尽きた時、右手がひたすら上を目指す。落ち込む自分と、それを励ます自分。その葛藤が計算しつくされたこの曲を貫いているでしょう?」
「上り詰めたり、落ちていったりを繰り返しながら、それでも最高音の一つ上や、最低音の一つ下に向かっていく。この曲は『一つ上』や『一つ下』に満ちているんです。一つ上にゆくことがどんなにエネルギーの要ることか。それを音楽にしてください」
「葛藤の曲だから、あっさりは弾かないで。でもただ暗いのではない。あきらめてない。上を目指そうという力に満ちている曲なんです」

あれこれ分析しながら、分析結果と木曽センセの解釈を楽譜に書き込んでいるうちに、楽譜が真っ黒になっちゃった。
ああ、早く、家に帰って練習したい!と思ったほど。
「葛藤」と「でも前向き」。
むふふ。私の好きなテーマじゃん!


「ナカちゃん」という記事

今週はこんな記事を書きました。
徳島県の那珂川で死んだアゴヒゲアザラシのナカちゃん。

ナカちゃんは結局取材せずじまいだったけど、
タマちゃんは随分と取材した。
2002年夏にタマちゃんが現れて大騒ぎになった時、このルポ記事(前半後半)を書き、同年冬にタマちゃん人気が落ち着いた後でこの記事(前半後半)を書き、さらに翌年春、タマちゃんに釣り針が刺さって再び人気が高まった時、こんな記事(前半後半)を書いた。
だから、アザラシネタには愛着がある。

これまでの取材であれこれ悩みながら、「野生動物」であるタマちゃんの存在を自分の中で整理してきたからだろうけれど、今回、ナカちゃんと呼ばれた野生のアザラシが「市民葬」になっちゃったりするのは、素直に、いやだな、と思った。
生きている間、タマちゃんがそうであったように、ナカちゃんもまた、色々な人にとって、色々な存在であったのだろうと思う。でも、それでもなお、最期くらいは、野生動物らしく扱ってあげたいと思ってしまったのだった。

クジラやイルカやウミガメが打ち上げられた時、その死骸は学術目的で骨格標本にされ、地元の博物館などで展示されることが多いようです。徳島県立博物館には実際、そんな骨格標本が多くあるそうです。
骨から子どもたちが何を学ぶかは、周囲の大人の言葉にかかっているような気がします。
生きているタマちゃんから子供たちが野生動物との関わり方を学んだ時、たくさんの大人が尽力したのと同じように。

骨の前で、子どもが「残酷だ」と思うだけで終わらないよう、語るべき言葉を持ちたいと思います。


★レター教室(著・三島由紀夫)

★レター教室(著・三島由紀夫)

手紙の記事を書くにあたって、資料書籍の一つに選んで読んでみたのだけれど……抱腹絶倒。むちゃくちゃおもしろい。
5人の登場人物の手紙だけで構成されていて、ちゃんと物語になっていて、作家自身の人生観もにじみ出ている、というこの巧みさ!

まだ若い2人の手紙のほうに興味がわくけれど、あと10年もして読めば、「45歳でもっとも始末に負えない人物」である「氷ママ子」に惹かれちゃうのかしら。ちょっと怖い。

本の最後に「作者から読者への手紙」というタイトルのあとがきがある。
その中の一文。

手紙を書くときには、相手はまったくこちらに関心がない、という前提で書き始めなければいけません。これがいちばん大切なところです。
世の中を知る、ということは、他人は決して他人に関心を持ち得ない、もし持ち得るとすれば自分の利害にからんだ時だけだ、というニガいニガい哲学を、腹の底からよく知ることです。


世の中の人間は、みんな自分勝手の方向に向かって邁進しており、他人に関心を持つのはよほど例外的だ、とわかったときに、はじめてあなたの書く手紙にはいきいきとした力がそなわり、人の心をゆすぶる手紙が書けるようになるのです。

うむむ。
かなり極端な人生観ではあるけれど、実際問題、手紙を書く時にこの点を理解せずに思い入れだけで突っ走り、失敗したこともあったなあ……なんて。
ふと思い出したりもしたのでした。

やはり運動不足かしら

先週は本当に体調がひどかった。
きっかけは日曜日のバッティングセンター。
80キロをほんの30球打っただけで翌朝はもう筋肉痛。
筋肉痛だけじゃなく、ひじやひざの肌の表面が冷えてピリピリと痛い。なんというか神経痛って感じ。最初は筋肉痛と区別がうまくつかず、ずっと身体がだるかった。
水曜日あたりになると、筋肉痛はおさまっているのに、全身が神経痛状態。暑いのに、冷たい汗が出て、身体のところどころが冷えてつめたーいの。なんだこれ?

木曜日。
朝のテレビを観ていたら、ガンを患う妻に手料理を食べさせる優しげな夫が「ガンは愛に弱いんです」と語っていた。妙にすとんとふに落ちた。
そのころから偏頭痛が始まり、痛くて何も手につかない状態に。
普段、病気慣れしていないから、体調がこうも悪いと段々と気分も落ち込み、最後は「きっと私は何か大変な病気なんだ。原因はきっと愛情不足だ。愛情不足で死ぬんだ……」と夫に切々と訴え、「おまえはバカか」と夫にあきれられる始末。
かなり気が滅入っていたとはいえ、今から思えば、あの時の精神状態はかなりまずかった……。

ちょうどその時、頼みの綱、整体師の卵である元リストカット少女から元気いっぱいのメール。
旅先の北海道からだという。
思わず、返事しちゃった。
「もう全身神経痛に偏頭痛でボロボロ。助けて。SOS」

木曜日の夜からは発熱。
なんてことない、結局はただの風邪か。

金曜、土曜、日曜、月曜と偏頭痛はひどくなったり、治ったりを繰り返し、昨日、とうとう、頼みの綱の彼女が会社に到着!
彼女が私の背中のつぼを触りながら「ああ、こんなになって……。かわいそうに」とつぶやいた時には、もう、ホロホロと泣いてしまいそうでした。
「もう、身体が変でね。自分のものとは思えないくらい変でね。痛くて、冷たくて。そしたらどんどん気が滅入り、ああ、もう、ダメだ……って」
弱音吐きまくり。
弱音吐いてる相手はちなみに、1年前まで「死にたい死にたい」と太もも切ったり、薬のODを繰り返していたわけで。

彼女はめきめきと腕を上げており、最初のころはもう、整体の中身よりも彼女が元気に前向きに歩いているということのほうに癒されたものですが。
最近はもう、ただひたすら彼女の整体に身を任せている、といった状態。

お陰でだいぶ、元気になりました。
体力だけには自信があったんだけどなあ。
やっぱりいよいよ、老いに立ち向かう程度の運動を始める時期なのかも。
運動不足の日々に悩む日々……。
悩んでるヒマがあったら、運動しろ、って話よね。

「あの日」という記事

先日、新聞の憂楽帳というコラム欄にこんな記事を書きました。
ここのエントリー「おめでとうばかりじゃなかったよね」の後、紆余曲折を経て、この秋から数カ月間担当することになったコラム欄にて書いた、というわけです。

色々な批判を覚悟で書いた記事ですが、予想に反して、会社に寄せられた手紙、電話、メールのほとんどが好意的なものでした。
一方、先のエントリーのほうに何通か、「命の誕生を『おめでとう』と祝福することがいけないことですか?」などの批判をいただいてます。こちらもまた、いい勉強になりました。

今回の記事で書きたかったのは、祝福の是非ではなく、「街の声」という取材についてでした。
「おめでとう」の笑顔にも、その人その人で様々な祝福の形があったろうに、それをメディアの「街の声」取材はきちんと拾うことができていただろうか、という疑問です。
これは今回のことに限らず、私自身が新聞記者になって何度も直面した問題です。

社会部時代、何度も「街の声を拾って」とデスクに言われ、行き交う人に声をかけては、短いインタビューをしたものです。
是非が問われている問題では、賛否に偏りが出ないように談話を集めました。
渋谷では若者、新橋ならサラリーマン、山村ならば農業を営む人たち……その街の典型的な談話をつい探してしまう自分がいました。
せいぜい11字詰め10行足らずの談話は、「いかにも」の記号みたいなもので、その人でなければ語れない言葉だとか、その人が本当に語りたかった言葉を、とうていすくえてはいない、と痛感し、取材するたび、考え込んでました。
「街の声」をどう報道していくのかについては、私自身、まだすっきりと答を出せていません。

また、今回の記事を書くにあたって、一番、自分の中で最後まであったモヤモヤは、「メディアの中にいる者がメディアを外側から批判するような書き方ってどうだろう」という点でした。
でも、字数に限りがあったことで、その点に言及するのはあきらめました。今回、自分なりに自分の部署で書こうと努力を重ねた末に1カ月かかってようやく文字にしたように、こちらも今後の自分の宿題にしていくしかないなあ、と踏ん切りをつけました。

「命の誕生を『おめでとう』と祝福することがいけないことですか?」などの批判については、原稿を読んでくださると分かるように、私自身はまずは新しい命の誕生に「おめでとう」と思いましたし、誰かが「おめでとう」と思うことを抑えつけるような社会は私ももちろんいやです。
祝福の色々な温度差や多様性を受容できる社会であってほしい、とも思います。
また、「薄っぺら」だと私が書いたのは、主にテレビの「街の声」の報じ方のほうで、「おめでとう」と思った方々のことではありません。

反省点を一つ。
「社会も、人間ももっと多様だよね」「メディアに身を置くものとして、できるだけ紋切り型のコメントを並べたような記事ではなく、多様な人と社会を描きたい」という思いで書いた記事の中で、「メディア」と「女たち」をひとくくりにしたのは、失敗だったな、と今読み返して思います。
短い行数の中で、それでも「ひとくくり」をできるだけ避けてどう書いていくのか。これまた私の宿題です。

色々な人が、色々な思いを守り、生きている社会であってほしいし、
それを「わかりやすい物語」に頼らず描いていきたいなあ、と。
今回の記事にさまざまな反響やご助言をいただいたことで、よりそんな思いを強くできました。
ということで、みなさま、感謝!。

学力考査、論文、そして面接

夜寝る前、突然、息子が不安げに聞いてきた。
「ねえ、母ちゃん。高校に入るのって、みんな、吾郎みたいに運動と勉強とどっちもテストがあるの?」

背景をご存じない方にちょいと説明。
「吾郎」は、NHKテレビでも放映中の少年野球漫画「メジャー」の主人公。彼は野球の名門海堂高校に入学するにあたって、いったんは野球推薦を断ったが、最後は体育科枠に挑み、とんでもない実技試験を通過した後、学力考査まで課せられるわけで。
うちの息子はそのシーンをテレビや漫画で見て、「高校に入るとあんなに大変な運動テストと、勉強テストをやんなきゃだめなのかなあ」と不安になったらしい。

とりあえず、適当に答える。
「そうだなあ。吾郎みたいにとんでもなく野球が上手な子とかは、実技中心テストになるけれど、普通の圧倒的多数の子たちは勉強のテストだけだと思うよ。母ちゃんも父ちゃんもそうだったし」

さらに、ついつい、息子の反応見たさにこんなことまで付け加えてしまったのだった。
「でもね、最近は勉強の力だけでその人を計るのはおかしい、って考え方もあってね。増えているのは論文と面接。まあ、論文というのは作文だ。面接というのは、知らないおじさんやおばさんをずらりと前にして、なぜ自分がこの学校に入りたいか、将来どんなことをしたいかをきちんと語る、というやつ」

息子の反応は……母ちゃんの予想通りだった。

「そっか……。じゃあ、僕は勉強だけがいい!!」
だろうなあ。
自分の思いを語る「作文」も、人前で語る「面接」も、うちの息子が最も苦手とするところだもんなあ。

そんな話を夫にしたら、夫がふいに真顔になり、
「でもさ。それじゃあ、就職はできないなあ」
………確かに。
まあそのころには成長しているんでしょうが。
「子どもをニートにしない方法」みたいな情報がもてはやされる風潮を笑っていたけど、ははは、人ごとじゃあないわねー。

自由研究の後始末の結末

ここ数日のエントリー
自由研究の後始末」、
自由研究の後始末の朝
に続く、最終章です。

夕方。息子、無事下校。
あえて「どうだった?」と聞かない私。お楽しみはじっくりと味合わないとね。
まずは息子の前でこっそりと連絡帳を確認する。

先生曰く、

「紙を見て発表していいよ」と言ったところ、直前になってステージの上で紙をポケットに仕舞い込み、何も見ないで堂々と発表できました。おうちでもほめてあげてください。

そうなのか? 本当に紙を仕舞い込んだのか?
でかしたぞ、我が息子。
同じ日、うつむいたまま原稿を延々と読み続けた我が国の新首相の国会代表質問答弁より、ずっとましではないか!

今回は、気にしていない素振りで、息子から切り出すのを待つ計画だったのに、連絡帳の記述に安堵した勢いで、つい聞いてしまった愚母なのです。
「ねえねえ、今日、どうだった?」

普段はポーカーフェースで、いいことがあっても「別に……」とわざとふてくされた顔を見せることが多い息子なのですが、この日は珍しく、一瞬で破顔し、いきなり話し始めたのが以下の2つ。

「ねえねえ、母ちゃんの言ってたことホントだね。母ちゃんは一人一人の顔が見える20人くらいの人の前でしゃべるほうが、1000人の人の前でしゃべるより緊張するって言ったでしょ。あれ、ホントだ。周囲の人が何を言ってるか聞こえたりする時に、緊張するもんなんだね」

「それから、父ちゃんの言う通りだった! ほら、緊張している時は手足に血がいかないから寒く感じるって言ってたでしょ。確かに、発表が終わった途端、ものすごく暑くなってビックリした!」

発表できたことより、この2つの大発見を私に報告したかったらしい。
この辺り、子どもってほんと、おもしろいよなー。
機嫌が決して悪くないので、あとは何も聞かないでおいた。
「何をしゃべったの?」「思ってた通り話せたの?」なーんてことはもう、どうでもいいや、と。

しかしながら、やっぱり愚母ですから。
相当気疲れしたらしく、寝るときにべたべたと一緒の布団にもぐりこんできた息子に、結局私は我慢できずに聞いちゃったのよね。
「ところで、何をしゃべったの?」

緊張で記憶が飛んでいるところもあるようで、いまいちよく分からないのですが、断片的な息子の話を総合するに、とりあえず、自分なりに言いたかったことをステージの上で並べてしゃべったようで、自分なりの達成感を得たようでした。
めでたし、めでたし。

もちろん、母ちゃんの目から見れば、「おいおい、それじゃあ、自由研究の骨子がちっともわからんだろー」的な説明なわけだし、さらに本音を言わせてもらえば、「おまえ、この自由研究のアピールポイントは『イカ墨で習字・お絵かき』なんだよー。なぜそれを言わない?」なんだけど。
もちろん私は、そんなことは一切表情に出さず、「よかったじゃん」とひと言だけ軽く言っておいた。
「今日の緊張がまたあんたを強くしたんだよ。次にバッターボックスに立つ時、きっとこの前より緊張せずに済むよ。緊張する経験って大事だから」とも。

いつか教えてやりたいと思う。
緊張すること自体、決して恥ずかしいことじゃない、ってこと。
「緊張する自分はだめ」なんて思う必要はないこと。
緊張する自分と向かい合うことで生まれることもあるし、第一、ある程度緊張していたほうが良いものを生むことができるんだ、ってこと。
人生、なめてはいけません。
って、そりゃ、私のことか。

いつか教えてやりたいとは思うけど。
たぶんそういうことは、いくつも失敗しながら自分で体得していくもんなんだろう。
ここは母ちゃんも、黙って我慢我慢。



自由研究の後始末の朝

一昨日書いたエントリー「自由研究の後始末」の続きです。
まずは月曜日の朝のご報告。

肝心の息子が朝起きても普段通りで、登校直前まですべてを忘れた様子だったので、私も何も言わず、というか、実は私自身がすっかり、「自由研究発表問題」を忘れていたわけです。
ところが、登校数分前。
息子はいきなりもじもじと私にへばりつき、ひと言だけこう言ったのでした。
「………あああ。緊張する……」

そのひと言で、瞬時にすべてを思い出した私。
「そりゃ、緊張くらいするよー。でも、なーんだ、覚えてたんだ。土曜日も日曜日も何も言わないから、すっかり忘れてたのかと思った」という私に、息子はぼそり。
「昨日もずっと緊張してた……」

ま、ま、まじかよ。
なんと、息子は2年生にして既に、ギリギリになるまで親に緊張している自分を打ち明けられない見栄っ張りに成長していたというわけね。

とはいえ、最後は私にべたーとくっついてました。
「寒い寒い」といいながら。
この「寒い寒い」発言に、私はヒヤリ。
なにしろ我が息子、行事の日の朝になるとぐったりし、「寒い」と訴え、実際に熱まで出たりしかねない性格なのです。
ところが今度は夫があっさりと受け流しました。
「緊張するとさー、血が手足の先までめぐらないから、寒く感じるんだよ。父ちゃんもいつもそうだよ」

え〜、ほんと?
そんな話初めて聞いた!
緊張ってあまりしないほうだから、私、そういうの全然分からないのよね。

結局は私に「緊張する」とひと言つぶやいただけで、あとは私にしばらくへばりついていたかと思うと、時間とともにあっさり登校してしまいました。
あまりのあっけなさに私のほうが拍子抜け。
「月曜日は不登校必至。絶対に早朝に仕事を入れないでね。あなたがいないと私一人じゃ絶対に対応できないんだから!」と夫に頼み込んでいたのだけど、準備万端整えていた(そのわりには忘れていたわけだけど)、私がばっかみたい。
そんな月曜日の朝でした。


★ファイアボール・ブルース(著・桐野夏生)

★ファイアボール・ブルース(著・桐野夏生)

何となしに手に取った1冊。
「読後感最悪、でもああ、分かっていてもどうしても読まずにいられない」系の小説を数々輩出してきた桐野さん。彼女が10年くらい前に、女子プロレスラーの世界を描いた本です。
OUT」以降の小説をできる限り読んできて、そのたびに、「よくもまあ、女の醜いところ、恐ろしいところ、凄まじいところをここまで見事に描けるもんだ」と身震いしながら、結局、桐野さんという作家の魅力に背中を向けられずにずっと今まで来たわけだけれど、この小説に「殺気立った時の女」の描写を見つけ、なるほど、最初はこんな風だったのか……と妙にうれしい気持ちになったのだった。

あとがきがとても熱い。
何しろ一行目から

女にも荒ぶる魂がある

ストーリー自体は、そもそも殺人事件が絡む必要があったのか、という疑問もあったり、謎のいくつかを説明してもらってないような不満が残る部分もあるわけだけど、でも、2時間でさくっと読んで、楽しく読書を終われたので満足。

★風に舞いあがるビニールシート(著・森絵都)

★風に舞いあがるビニールシート(著・森絵都)

言わずと知れた直木賞受賞作。
森絵都ファンを自称しているわりには、随分と読むのが遅いじゃない?なんて指摘なさらないでくださいませ。
短編、ってことで、なーんとなく食指が動かなかったの。

1作目を読んだところで「これは眠る前に1作ずつ読んでいこう」と決めました。なんというか、あまり根詰めて読む小説って感じでもなかったので。

どれも心に染みるお話です。
短編6作の中の好みでいえば、「器を探して」が結構好き。
あとは、やはり野球が素材になっている「ジェネレーションX」は、いいなあ、って感じがした。
でも、私は長編が好き。
大人向けなら「いつかパラソルの下で」。
子ども向けなら「つきのふね」「宇宙のみなしご」。
あの圧倒感!!!

ああ、早く次作が出ないかなあ……。

自由研究の後始末

明日月曜日、全校朝礼か何かで、自由研究の発表会みたいなことをするらしい。
で、息子の自由研究「イカのりょうり」が、2年生の中で選ばれてしまったらしい。
気の毒な話だ。

さて、ここで問題。
我が息子の反応は?

1、「やった〜」と小躍りする。
2、「はずかしいからいやだなあ」と言いつつ、ちょっとうれしそう。
3、「もう学校に行かない」と涙ながらに訴える

このブログを日々読んでくださっている方々ならすぐ答が分かるはず。
そう、もちろん、3番です。

ってなわけで、先週金曜日の朝。
放課後に発表の練習を先生とやることになっていた息子は、朝食を食べながら「絶対に嫌だ。もう学校に行かない。月曜日は絶対に学校を休む」と私の膝に顔をうずめて泣いたのでありました。

学校の連絡帳を読むと、「本日の放課後、発表の練習をしたいので、少し学校に残ってもらっていいですか?」と担任教師の書き込みがあったので、それには一応、「どうぞどうぞ。おまかせします。ただし、本人、相当嫌がってます。すでに涙ながらに不登校宣言してますので、あとはヨロシク」と返事しておいた。
人前でしゃべることが何より大嫌いな息子を、先生は説得できるかな?と、内心、ちょっとワクワク。

さて、金曜日の夜のこと。
こっそり学校の連絡帳を読むと、担任教師より「ひと言だけでいいから、という約束で、納得してもらいました」と書き込みがありました。
へー、納得させたんだ〜、お見事! と感心しながら、息子にさりげなく「ひと言だけでいいんだって?」と聞いてみたら、息子はものすごくムッとした顔で「ふた言だよっ!」と怒ってました。

ふた言って……名前言って、タイトル言ったら、お終いかい?

でも、今週末はとりあえず、一切「不登校宣言」してません。
腹をくくったのか、まだ低学年だからあっさり忘れているだけか。
答は明日月曜日の朝に分かります。
また、涙目で訴えてくるかな。
それとも、むっとした顔で登校するのかな〜?
ちょっと楽しみな日曜日の夜……。うふふ。

それにしても、超引っ込み思案で緊張性の息子の子育てを始めて早8年!
最初は運動会だ、遠足だ、お誕生日会だ、と色々な行事の前夜が来るたびに、「行きたくない」とさめざめと泣き続ける息子に、途方も暮れたり、くらーくなったりしたものだけど。
最近は、息子が涙目になるたび、夫婦でこっそり笑い合う余裕すらできちゃった。

明日は月曜日。
「ふた言」でもいいから、やってみな。
そんな経験を一つひとつ積み重ねていくことで得られることっていっぱいあるからさ。
なーんて息子の寝顔に話しかける母ちゃんなのだった。