おぐにあやこの行った見た書いた

リストカットする政治家?

仕事がとんでもなく忙しくなってきた。
そんな折、とある宗教絡みの団体から広報メールが。
ある式典のオープニングのご報告で、何枚かの写真のデジタルデータが添付されていた。
写真説明一覧を読んで、頭の中に疑問符がいっぱい。
?????

「リストカットする政治・教育・医学・宗教界各代表」

なにこれ?
ありえない。
リストカットする政治家? 宗教者。
これってどういう式典だっけ。
いくら新興宗教絡みと言われている団体とはいえ、まずすぎやしないか。

勇気を出して、写真のファイルを開いてみたら、おじさんたちが何人も並んで紅白のリボンをカットしていた。

リストカットではなく、
リボンカットだったのだ。

写真説明、間違うなよ、とプリプリ怒りながら再確認したら、説明にはちゃんと「リボンカット」と書いてある。単なる私の読み間違いか。
とほほ。
こういう時は仕事でとんでもないミスをしがち。
お詫び、訂正記事を出さずにすむよう、慎重にやらないと!!

ホロヴィッツのピアノ・2

本日のピアノレッスン。
レッスン前に、ついつい、先日のホロヴィッツのピアノ事件の話を木曽センセに打ち明けてしまった。
こういう恥じかき話は、あちこちで笑い飛ばしてギャグにしてしまうに限るもの。

木曽センセ、大まじめに大感動!
「ホロヴィッツのピアノ! ああ、なんて素晴らしい! ホロヴィッツのあの音色は彼にしか出せない、もう言葉にできないような本当に素晴らしい音なんですよ……。そのピアノに触れたなんて、ああ、ああ、本当に素晴らしいじゃないですか!」
それからつかつかとCD棚に歩み寄り、ホロヴィッツの演奏のCDをガバッとつかみだし、
「お貸ししますっ!」

さすがに何枚もいっぺんに聞き込む自信はなかったので、スカルラッティのソナタの演奏と、1986年のモスクワライブの2枚を選んで借りた。

木曽センセは「なんて素晴らしい体験をされたのかしら! よかったですね。一生心に残る思い出ですね」と、一緒に喜んでくれる。
私は思わず、「でも、いないですよねー。大曲をみなが弾きこなしてる中で、ホロヴィッツのピアノで淡々とバッハインベンション弾いちゃったなんて」「シューベルトの即興曲は、ミスタッチとかいう以前に、途中で忘れちゃってましたからね〜」と吐露すると、大まじめな顔でこう言う。

「おぐにさん。松尾ホールの方は、ピアノの上手下手を聞いていたんじゃないです。このピアノをどれだけどんな風に味わってくれるか、楽しんでくれるか、それを大切にする人たちなんです」

きっぱりとそう言われると、そんな気になってくる。
「まあ、幸せそうな顔で弾いてたとは思います、私」
なーんて案外簡単に立ち直った私は、ついつい木曽センセに、

「センセもどうですか? 10月1日までやってるそうです。ホロヴィッツのピアノの試弾」

と声をかけてみた。
その途端、木曽センセはぶるぶると顔を振り、

「とんでもな〜い! 私なんか……。もったいなくて!!!」

………………。
あの……。
木曽センセがそう言ったら、私なんかどうなるんですかっ!

一瞬立ち直った私は、またしても、ガガガーン。
でも心の中で、まだ、「3日ぐらいかけてシューベルトの90−3を練習し直し、もう一度、弾きにいけないかしら……」と欲を出している私だったりする。
ったく、もう!
我ながら、懲りない性格が、怖い!

煮豆虫、って知ってる?

あこがれの青木玉さんに原稿チェックをお願いし、無事、インタビュー原稿が完成。
来週火曜日の夕刊に掲載予定。
今回のテーマは「煮豆」でございます。

さて、電話のやりとりの最後の最後に、いきなり玉さんが切り出した。
「そうそう。小国さん、『煮豆虫』っているのをご存じ?」
「へ? いえ、全然知りません」
「いるのよ。カナブンの小振りな感じで、ぱっとみると、煮豆がころんと転がっているようにしか見えないのが……」

………。
想像してしまった。かなり怖い。
「あら、煮豆が落ちてる」なーんて、箸で拾っちゃったらどうしよう。
パクッといっちゃったら、どうしよーーーーー(頭真っ白)。

玉さんは「ほほほ」と笑って、電話をがちゃん。
私は、受話器を持ったまましばし固まりつつ、恐怖におののいたのでした。

みなさん、ご存じです? 煮豆虫。
とりあえず、グーグルのイメージ検索をかけたけれど、ヒットしませんでした。きっと別に本名がある虫なんでしょう。
恐いモノみたさで、見てみたい。煮豆虫。
ご存じの方、ご一報を。

ホロヴィッツのピアノ

松尾ホールで恐ろしい体験をした。
ピアノ練習を終え、そそくさと帰ろうとすると、受付の女性が声をかけてくれた。
「いま、ホロヴィッツ愛用のピアノを展示してます。10分程度ご試弾いただけますので、ぜひ」

とんでもない。
ホロヴィッツどころか、私は実は、松尾ホールのスタンウェイサロンに並ぶグランドピアノの鍵盤一つにだって、触れたことがない。
だって、怖いじゃん。
なんか、おそれおおいというか。
それが、ほ、ほ、ホロヴィッツですか……。

「いえいえ、滅相もない」と断ったものの、「滅多にない機会ですから、ぜひ」とさらに誘われ、つい、うなづいてしまった。
いいのかよ>ぢぶん。

私の前の人は、超絶技巧のどこかで聞いたことがあるような曲を問答無用で弾きまくってる。
スーツ姿の男性。
かたや私はジーンズ姿。
そして弾くのは………

あっちゃー。最近は、ヘラーの練習曲かバッハインベンションしか弾いてないんだってばっ!
おぐに、大ピーーーーーーンチ!

とりあえずそっと指で鍵盤を押してみた。
柔らかい音色。
ああ、これなら、シューベルト即興曲のop.90−3だ、と思った。

1カ月も弾いたことがない曲を、スタンウェイサロンで上品そうに微笑んでいるナイスミドルなおじさんたちの前で弾いてしまう自分の根性が怖いよ、私は……。
でもね。
最初の、♭Bの音を弾いた瞬間に、ピアノに引っ張られるようにして、曲を弾き始めてしまった。
柔らかくて、ふくらみのある音に、なんかすっごく幸せな気分。
おもしろいもので、何か主張するピアノなのかしら、「こんな風に弾いてみたい」と次から次に思いがこみ上げてくるの。
普段は絶対にやらないような弾き方を選んじゃったり。
ピアノが曲想を選ぶってことがあるんだ、と思った。

が、幸福感はここまで。
悲しいことに、そもそもその曲をすでに覚えてないんだもの。
途中でとちりまくり、段々と集中力を失い、結局やめちゃった。
あー、無惨。

しかし、ここでさらに恐ろしい考えが!
「このピアノでバッハインベンションを弾いたら、すごいぞ、きっと」
もう恥も外聞もありゃしません。
弾いたのは、大好きなインベンション13番。
後半、どんどん盛り上がっちゃって、どんどん音を出すのだけれど、ピアノはどこまでもついてきて、つい行き過ぎちゃうんだけど、もういいや、って感じで踏み込んで、深い深い深いところで、ほよよーーーん、と幸せ。
弾き終わったら、何だか満足しちゃって。
「ありがとうございました〜」と席を立っちゃった。
「もういいんですか?」と聞かれたけど、もう、逃げるようにサロンを出て行きたい気分。

ところが、ナイスミドルな上品おじさんは「せっかくなのでメッセージも残してください」と真っ白い紙と黒マジックのある応接セットに私を誘うのだ。
まあ、ピアノには自信ないけど、文章は本業ですから。
スラスラとドラマチックな感動のメッセージを適当に書いちゃいました。
書いている間、隣では、次のお客さんが再び超絶技巧なピアノを聞かせまくってました。
カッコイ〜。

ってなわけで、大恥かいたわけですが、こういう時にしみじみ思うね、私は。おばさんになってよかった〜って。
ピアノを習っていたころの中学時代にこんな機会を与えてもらっても、完璧主義だった私はとても人前でホロヴィッツのピアノなんて触れなかっただろう。
でも、今は違う。
失うものないもんね〜。

たとえあの場にいたみんなが腹の中で「ひっでえピアノ」と笑っていたとしても、私はホロヴィッツ愛用というこのピアノと出会えたことの幸せに心から感謝!
そして、バッハの本当の魅力のかけらに触れられたことに、心から感謝!

10月1日まで、予約なしで試弾できるそうです。
絶対に出会えるものがあるから、ぜひ。

スタンウェイでバッハインベンションを弾けば……

この前、松尾ホールのスタジオに久しぶりに弾きに行った。
しばらく行ってなかったのは、今やバッハインベンションのあり地獄に陥り、ヘラーの練習曲とインベンションばかり練習しているから。
もう3カ月、ペダルを踏んでないぜ、ってな具合。

でもふと思ったんだ。
バッハをスタンウェイで弾いたら、どんな具合なんだろう???
どうしても試してみたくなった。

で、結論。
むちゃくちゃ怖い。
シューベルトの時だって十分、怖かった。
だってこのピアノ、欠点を10倍くらいに響かせちゃうんだもの。
でも、バッハはもっと怖かった。
なにしろ2声ですから音も少ないし、ペダル踏んでるわけでもないし、もう、ごまかしようがない!
まるで、ファッションショーを素っ裸で勝負するようなもの (例えが悪すぎるか……)。
ピアノに慣れて、満足に弾けるようになるまで、30分かかりました。

ある程度、ピアノに慣れてくると、今度はそのピアノの表現できる幅の広さに感服。家の電子ピアノと比べられたら、スタンウェイだって怒るだろうけれど、ほんと、すごい。
こ、こんなに深い音が出るのか、こんなに軽い音が出るのか、こんなに柔らかい音が出るのか、といちいち感動してしまった。

ということで、バッハインベンションを一番幸せな気持ちで弾けた1日でした。
ちなみに、1、2、4、8、13、14番を続けて弾いて、このピアノにぴったり!と思ったのは4、13、14番。
うーん幸せ。




「これってホメことば?」の記事

こんな記事を書きました。
NHKのみんなのうた「これってホメことば?」考。
今回の取材で一番驚いたことは、記事にも少し触れましたが、若者の使う言葉の意味を厳密に定義するのは不可能である、ということ。
ちょいと記事から抜粋しますが、

若者語と見るや「オトナ語」に訳したくなるのが我々大人の習性だが、竹永社長は「それは不可能」と断言する。
例えば2番の歌詞の「フツーにおいしい」についても、「若者は語感やリズム感で言葉を選び、意味は重視しない。ある子にとっては『おいしいの中の普通』であり、ある子にとっては『ただのおいしいよりはずっとおいしいけれど、超おいしいよりは下』。使ってる若者たちの間でも厳密な定義はないのです」。


言葉っておもしろいよなあ……と興味深く思いました。

もう1点は、「これってホメことば?」で取り上げられているような典型的な若者言葉のことを、子どもたちはそもそも、「若者に特有の言葉」とすら自覚していない、という話。
ちょっと身に覚えがあるので、ドキっとした。

実は長野支局時代(つまりもう15年くらい前)に、原稿に「超有名」と書いたら、デスクに「おまえ、これが日本語か!」と突き返されたこと、思い出しました。
あの瞬間まで私、「超有名」って立派な普通の日本語だと信じてた。「超○○」というのが若者言葉とは全然知らなくて。
今も昔も、若者言葉ってそういうものなのかもなあ。

不忍池をランニング・2

ようやくランニングの2回目。
10日に1度の頻度じゃあ、体力もつかないわよね。

今回は夕飯前に息子と2人、約600メートルのコースを3周しました。最初のほうは息子のノロノロペースに合わせるのに苦労しましたが、最後の数百メートルになると突然、スピードを上げる息子。こっちは必死で食らいついたものの、最後の最後はほとんどダッシュとなり、ここで突き放されました。ちくしょー。
おまけに走り終わった後、ゼイゼイ言ってるのは私だけ。
悔し〜!

おかしいなあ。
長距離ではまだまだ負けないはずなんだけど。

結局、走り終わった時には7時を回っていて、夕飯をこれから作るのも大変だから、と帰りに寿司屋に寄って、生ビールをぐいぐい。
走った後のビールのうまいことうまいこと。
これをモティベーションに走るしかない、って感じ。

……ということで、ダイエット効果は皆無のランニングであります。



■内田光子ピアノコンサート@サントリーホール

■内田光子ピアノコンサート
(9月18日、ベートーベンプログラム@サントリーホール)

16日はモーツァルトプログラムだったそうです。
モーツァルト弾きとしての評価はすでにすっかり定着している内田さんだし、きっと、天国で鳴る音のように、美しかったことでしょう。聴衆たちはきっと、至福の時を送ったに違いありません。
あちこちブログをつまみ読みしてみたところ、アンコール2曲もすべてモーツァルトだったそうです。

でも、私が選んだのは18日のベートーヴェンプログラム。
ベートーヴェンソナタ30番、31番、そして20分の休憩をはさんで32番。
ね、プログラム見ただけで、すでに「凄まじい……」って予感がするでしょ。
シューベルトの即興曲をあれこれ聞き比べ、最も好きだったのが内田光子さんでした。でもベートーヴェンのソナタは、他のピアニストの演奏と意識して聞き比べをしたことがないので、専門的なことはよく分かりません。
ただ、確か数年前のインタビューで、内田さんはベートーヴェンの後期ソナタ3曲に言及し、「今、何を捨てても弾きたいのがベートーヴェン」「ここには宇宙全体を見極めてしまったような世界がある」「地獄にいて天国が見える強さがある」などと語っていた記憶があるので。
これは絶対に聴きたかったのです。

結論。
いやはやすごかったです。
舞台に颯爽と現れると、ぐいっと頭を深々下げて、イスに座ったかと思うと、ものすごい集中力で一気に弾き始めるあのスタイル。
逆に、弾き終わりは、指を鍵盤から離してもなお、余韻だけで20秒近くもホール中の空気をピーンと磨き上げてしまう。

音は、美しくて、一言でいうならとんでもなく表情が豊か。
この音も、あの音も、同じ人の手で奏でられているなんて……と途中で頭がクラクラしてしまった。
30番1楽章の始まりの部分でもうすっかり虜になって、31番で完全にノックアウト。32番の前の休憩では「いったい次はどうなるんだろう……ブルブル」という感じ。
32番の途中、弾けるだけ弾けて、最後は本当に息が詰まりそうなほどかすかに終わっていく。
拍手、鳴りやみませんでした。

「アンコール曲はいらない」と思いました。
32番の次に、別の曲はもういらない、と。
実際、アンコールはありませんでした。
でも誰も「え? アンコールないの?」なんて顔、してませんでした。
この夜の感想を一言で言うならば……

「怖い。なんか怖い」

です。
とんでもなく美しいのに、幸せではない。怖い。
これが、内田さんのいうところの「地獄にいて天国が見える」なんでしょうか。
私はむしろ、天国にいて地獄を常に感じてる、って感じでしたが。

■明日へのチケット(監督:ケン・ローチ、アッパス・キアロスタミ、エルマンノ・オルミ)

■明日へのチケット
(監督:ケン・ローチ、アッパス・キアロスタミ、エルマンノ・オルミ)

どうしても見たくて、試写会に走った。
ケン・ローチの「ケス」もキアロスタミの「友だちのうちはどこ?」もオルミの「木靴の樹」も大好きだから。

この作品、キアロスタミが「3人でできないかな」と残り2人に声をかけたのがきっかけらしい。
面識もなかった3人が「やろう!」と意気投合。実はお互いに相手の作品を細部まで覚えているほど思い入れのある同士だったらしい。
列車を舞台にしよう、と発案したのはオルミ。
結局、3人がそれぞれに自由に各パートを監督しつつ、1本の映画としてつながっていく仕立てになっている。

まず、オルミが、年老いた学者を主人公に列車旅を描く。年老いた学者が出張先で出会った美しい女性との短い会話を、列車の中で振り返っているうちに、遠く忘れていた情熱のようなものを取り戻し、ある一つの行動へとつながっていく、というストーリー。
もっとも叙情的で、もっとも列車という設定を上手に使っていた。
映画に映る車窓を見ただけで、旅に出たくて、胸が痛くなったもの。

次がキアロスタミ。
こちらはもう少しユーモアに満ちている。
兵役中の若者が、将校の妻の旅のおともをさせられるのだけれど、この女がとんでもないオバタリアンで……というような話。
さりげなく、本当にさりげなく、この若者の家庭の複雑さがにじみ出ているんだけど、決してその部分は出しゃばらない。
そこが、うまいなあ、と思う。

でも一番心に残ったのは、やっぱり、ケン・ローチが撮った部分。
スコットランドのスーパー店員の若者3人は、なけなしのお金をはたいて、大好きなセルティックというサッカーチームの国際試合を見に、ローマへと旅している。
ところがアルバニアからの難民一家と出会って……。

何を書いてもネタバレになるから書けないけれど、最初、この3人組は騒々しくて、ある部分で傲慢で思慮浅く、気はいいのだろうけれど、できれば列車でご一緒したくないタイプに描かれている。
けれど、彼らが彼らなりに難民一家の現実に触れた時、自分たちも金銭的にまったく余裕がない中で、ギリギリの選択を迫られる。
そこの描き方が、とんでもなくリアリティーがあって魅力的。

列車がローマの駅に到着し、アルバニアからの難民一家が家族との再会を果たすシーンを見たときの、スコットランドの若者の表情は、それはそれは何とも言えないもので、私は思わず涙をこぼしてしまった。
一筋だけ。

世界は、こういうどうしようもない奴等の愛すべき善意に満ちているんだなあ……とそればかり思った。
善意はある時は誰かを助けたり救ったりし、別のある時には、集団となって誰かを追いつめるのだ。

列車映画っていいなあ。
2時間の映画が、わずか1時間くらいに思えた。
10時間くらいの長さだったとしても、十分に楽しめたろうに。
もっともっと列車の行方と、人々の旅をみていたい、と思わずにいられない映画でした。

10月、渋谷シネ・アミューズで。

「おめでとう」ばかりじゃなかったよね

名前が決まったね。
悠仁くんだってね。
もちろん、新しい命の誕生は、素晴らしいこと。
それが誰であっても、いつも素直に「おめでとう」と言える自分でいたい。
だから、本当におめでとう。
この世にようこそ。

けど。
彼が産まれた日の報道はなんかやっぱり変だったよな。
私はNHKしか見てなかったけど、愛育病院の病室の見取り図がニュースに出てきた時は、「すわ、発砲事件か」と思った。だって、テレビニュースに病院の見取り図が出るなんて、それこそ殺人事件やら発砲事件でもない限り、まずありえないもん。

そして、「ご出産」のテロップ。

あとはもう、「おめでとう!」の嵐。
サラリーマンが、おばさんが、子連れの若い母親が、若者が、とにかく「おめでとう! おめでとう!」と我がことのようにうれしがっている。

ところが私の周囲はそうでもないんだ。
会社に行けば、「なんかさー、男子男子男子って、ニュース見てるだけで気が重くなったから、ちょっとふけるね」といつもは元気印の同僚女性がトボトボと出て行ってしまうし。
「雅子さん、大丈夫かなあ」というトピックのほうにこだわる人も多いし。跡継ぎプレッシャーの中で娘を生み続け、夫実家に嫌味を言われた、なんて人もいるし。

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私自身は?といえば、黄体ホルモンの不足ゆえ、なかなか妊娠できない体質に生まれつき、「普通の妊娠は無理です」と医者に通告されたこともある身としては、自分でも情けないけど、やっぱり、思ってしまう。

「結局、産める女が強いのかよ。ちぇっ。私ももう一人、産みたかったなあ……」

私の周囲は圧倒的にママ仲間が多いから、こんな感じだけれど、産んでない女性たちは女性たちで、思うところもあったんじゃないだろうか。

でも、テレビの中の「日本」はお祝いの嵐。
バンザイバンザイ。
不思議だなあ。
だって私の周囲は全然「おめでとう!」一色じゃないよ。

一人ひとり色々な思いを抱えながら、複雑な気持ちと向かい合いながら、それでも、小さな一つの命には「おめでとう」と素直に語りかけたいとも願い……。
そんな女たちの思いを一つひとつすくい上げる報道があったっていいんじゃないだろうか。
そう思わずにいられなかった。

で、先日の編集会議。
とりあえず、「『おめでとう』ばかりじゃなかったよね」という極めてソフトタッチなタイトルで企画案を出してみた。
「テレビの中の空気と、私の周囲の空気が、あまりに乖離してます。その間をうめる記事を書きたい。声なき声をすくい上げたい。出産当日ならともかく、少し日をおいた今ならそれが書けると思う。命の誕生に『おめでとう』という気持ちを大切にしながらでも、それは書けると思う」と。

でも今回のプレゼンは、どうも思いを伝えることに重点を置きすぎたらしい。もうちょっと具体的な記事の構成とかコンセプトなんかを説明していたら、案外、うちの編集局ではあっさりと企画が通った気もするんだけど。
ちくしょー、今回は誰のせいでもない、私の力不足。
出直すぜ。

心に染みる青木玉さん

今度、青木玉さんのお話をうかがいに行くことになった。
幸田露伴のお孫さんで、大好きな幸田文さんの娘さん。
これまでもエッセイを何作か読んだことがあったが、今回の取材を機に再び読み直してみた。

「上り坂 下り坂」「手もちの時間」「なんでもない話」……。
文庫になっている3冊を、台所に積み上げ、夕飯を作るかたわら、パラパラと読み進めていたら、ああ、と胸に染みる文章に行き当たった。

人はそれぞれ自分に見合ったものに心惹かれる。小さな子供は足元の蟻がどこへゆくのか気になるし、手を引いているお母さんは、通りがかりの垣根の花に目が止まる。だが見通しのいい坂の上に立つと、目の前が開け心は伸びやかになる。

どこがどうというわけでも、
どの言葉が何というわけでもないのに、
胸に染み、切ない気持ちになる。
青木玉さんの文章はいつもそうだ。

不忍池をランニング・1

たぶん、ものすごくまずいんだと思う。
私の体脂肪率。
怖くて書けない。
でも、きっと、もっとまずいのは運動不足。

かつて息子を産んで数年間、ジムに通っていたことがある。
なぜか。
子育てに時間が取られ、今なんかよりずっと仕事に時間を振り分けられなかったあのころ、真剣に決意したのだったっけ。
「体力つけてやる! 今から体力をつけておいて、いつか子育てを卒業した時、萎えざる精神と老い知らずの肉体で、バッサバッサと仕事してやる!」

ほんと、切実な思いで運動した。
体脂肪率は今より5%低かったし、
体重も3キロほど軽かった。
何より腕に、太ももに、筋肉がついていて、多少歩いても、走っても、息が上がらなかった。

しかしっ。
息子が成長するに従い、仕事量は増えていき、段々とジムに通う時間まで仕事に取られていき、気付けば月1回しか通えなくなり、「おいおい、1回1万円のエアロビクスかよ……」というような事態に至り、結局、ジムを辞めた。

次に始めたのが自転車通勤。
これは1年半続けた。
が、もともと運動神経も反射神経も鈍い私だから、即座にブレーキを踏むとかできないのよね。
事故を起こした。
怖くなって、自転車通勤も辞めた。

それ以来、なんの運動もしていません。
ちょっと歩くと疲れる。
背筋も、腹筋も、どこの筋肉もふにゃふにゃ。
このままでは長生きもできそうにない。
夫より1日でも長生きして、「正義は勝つのだ、ガハハハハ」(意味不明)と高笑いするという目標も、果たせない気がする。
まずい。

……てなわけで、野球少年の息子に「ねえねえ、一緒にランニングしようよ」と誘ってみることにした。
一人じゃ3日坊主間違いなしだが、息子と一緒なら、母ちゃんの意地で乗り切れるかもしれない。

本日、小学校の保護者会で早い目に帰宅したので、早速走ってみることにした。
メンバーは私と息子。それに息子の同級生で野球仲間のSくん。
不忍池まで自転車でレッツゴー。
600メートルくらいのコースを軽く2周した。
息子とSくんの後ろを「こらー、歩くなー」「足動かせ、足!」とコーチよろしく怒鳴りながら走る。
手下が2人もいる気がして、ちょっとえらそうで楽しい。
少年2人は、最後の50メートルぐらいになるとダッシュする。野球の練習の時の癖らしい。
悔しいが、この「ダッシュ」だけはついて行けない。
が、長距離ならまだまだ負けないかも。
「へへ。もう1周なら楽勝だぜ」という感じ。

次回は3周走る予定。
問題は、私が明るいうちに帰宅できないこと。
夜、夕飯の前に走ったら、今度は家で夕飯を作る時間がなくなるし。
ランニングのたびに外食というのもなあ。
……なんてすでに、続けられない言い訳を考えている私。

いつまで続くかなあ。
すでに、3日坊主になりそうな予感。

★失恋論 (著・切通理作)

★失恋論 (著・切通理作)

切通さんの評論は、「目から鱗」体験をよく与えてくれることもあって、できる限り読むようにしています。
一度取材の後、一緒にお食事をしたこともあって、彼の名前を紙面で見つければできるだけ目を通すようにもしてきました。

だから今回の「失恋論」も何か社会評論のようなものかと思って手に取って、度肝を抜かれてしまったのでした。
ご本人が二十代の女性に魂を奪われるような恋をして、だけど失恋し、その体験に拘泥し続け、本を書き、原稿を妻に見せる、というような体験を赤裸々に綴っているわけで。

正直いうと、読みながら心のどこかで「とはいっても、『失恋論』という本を読み応えあるものにするために、自分自身をもり立て、あおった結果の恋愛なんじゃないの〜?」と勘ぐってました、私。
ところが。
165ページ目の、切通さんが相手の女性に書いたけど最後まで出せなかったメールというのを読んで、頭が真っ白になっちゃった。

ま、まずいぞ、これ。
完全にいっちゃってる。
まじだったんだ……と。

一部だけでも引用したいけど、やっぱり怖くて引用できない。

私自身は、高校1年生のときの1度を除いて、まともな失恋経験がないので、読んでいて「わかるわかる」と膝を叩いたのは、わずか1箇所だけだった。
それは、切通さんが相手の女性から待ちに待ったメールをもらった時、舞い上がってあわてて返事を出したりせず、わざわざ冷静にその行数を数え、その行数を超えないように返事を送った、というところ。
これ、やったことあるぞ。
へへへ。




★渋谷 (著・藤原新也)

★渋谷 (著・藤原新也)

最初の手に取った時、装丁を見て「あ、鈴木成一デザイン室だ」と思った。「渋谷」にもあえて、「白」を持ってきたんだなあ、としみじみ。

渋谷を舞台にした、2人の少女と1人の元少女の物語。
彼女たちの言葉のかけらの一つひとつが、自分自身が女の子たちのインタビューの中で掬い上げたことのある言葉だったりして、過去に取材した何人かの女の子たちを思い返してしまいました。

「私をさがして」とかね。

しかし、写真とは、写真を撮るとはすごいもんだなあ、と思った。
例えば藤原さんのこんな文章。

シャッター音は僕の声と同じなんだ。
それでいいよってエミの今ある心の状態を肯定してあげた声なんだね。
僕は何度も何度もエミの一瞬一瞬にOKを出した。
(中略)
撮影が終わるとエミは目に涙をためていた。
それは面接したあのときのような冷たい涙じゃなかった。
なぜだろう。
ときどきそういうことがあるんだ。
ただ撮っただけなのに涙が出てくる。
不思議だよね。
だけど薄々僕は感じている。
たぶんそこに心が生まれたからじゃないかって。


これを読んだ10代、20代の少女や若い女性は(特に私が取材してきたような少女たちは)、絶対に思っちゃうだろうな。
「ああ、私も藤原さんに撮ってほしい……」って。
この文章を読んだ時の私の感想は、なんというか「まいったなあ」だった。

144ページ目に、「眼で見る」は「現実肯定だ」という話が出てくる。でも「眼で肯定した現実を思考に戻した」瞬間に、醜悪な現実となって襲ってくることがある、と。
そしてアフリカのある光景を例示する。

広大な芝生、庭園。赤や黄に輝くカンナの花。青空。白い雲。楽園のような光景に藤原氏がシャッターを押した瞬間、裸のマサイ族の人達が現れ、白人の神父が見守る中、地べたをはいずるように雑草を抜き始める。
「労働搾取によって成り立つ支配者の悦楽」を目の当たりにした藤原氏はいったん、「眼(天国)と思考(地獄)」に引き裂かれ、しかし、「カンナの花の輝きは白人神父のものでもなければ、マサイ族のものでもなければ私のものでもない」という思考に至り、最後にこう書く。

私はシャッターを押したことを悔いなかった。

私は写真を撮らないけれど、誰かをインタビューする時に、似たような感覚に陥ることがあるので、ドキッとした。でもきっと、カメラの眼はきっと、撮られる側はより明確に、撮り手の「肯定」を伝えられるのかもしれないなあ。

生イチローとロドリゲスの速球

結局、3泊5日という短い夏休みシアトル旅行。
右翼手イチロー選手を間近に見ようと、ライト線と座席が最も近づくフィールド席の6列目を確保しておいたというのに、イチロー選手は最近はセンターを守っているわけで……センターはやっぱり遠かった〜。

でも、ネットのない球場はものすごく臨場感があって、ライトの選手が何度も手が伸ばせるくらい近いところでファウルボールを捕ってくれるし、ファウルボールが座席のあっちこっちに落ちてくれるし、日本からグローブ持参でファウルボールを捕ろうと張り切っている息子はもう、目をキラキラさせているわけで。
いやはや、大リーグ。
私みたいな野球音痴でも楽しめました。
すんごい迫力。

個人的に感動したのは、相手チームのエンゼルスの抑えピッチャー、ロドリゲス。
球速96マイル!とか出るたび、計算機を持ってないもんだから、4桁(×1.609)の筆算をしちゃいました。
150キロ台の速球びんびん。
生で見るとやっぱり良いものです。

それにしても。
運動音痴で、特に球技は小学校時代のドッジボールやキックベースボールの思い出ゆえに二度とやるまい、と心に決めているような私が、野球観戦旅行とはなあ。
それも、バックパッカーだった学生時代、一度も行きたいと思わなかったアメリカに。

ふと考えてみれば、先週末は都市対抗野球@東京ドーム観戦で、数日前に大リーグ。そして本日もまた都市対抗野球観戦。わずか1週間に3回も球場に足を運んでる私って???

夫に「典型的な野球ママになりつつあるな〜」と小馬鹿にされてしまった。ちくしょー。