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★私の嫌いな10の人びと(著・中島義道)

★私の嫌いな10の人びと(著・中島義道)

1 笑顔の絶えない人
2 常に感謝の気持ちを忘れない人
3 みんなの喜ぶ顔が見たい人
4 いつも前向きに生きている人
5 自分の仕事に「誇り」をもっている人
6 「けじめ」を大切にする人
7 喧嘩が起こるとすぐ止めようとする人
8 物事をはっきり言わない人
9 「おれ、バカだから」と言う人
10 「わが人生に悔いはない」と思っている人

だそうで。
わっはっは。私は、そうだなー、1、4、10に当てはまるかな。
嫌われちゃった~。うふふ。
でも、義道さんの本、好きなんですよね。
道徳や常識の持つ「暴力性」を鋭く暴き、暴論とも思える実は正論を展開していくんだもの。

義道さんは本書の中で、水谷さんへの「違和感」を表明するために、らしくないほどの前置きを書き綴ってます。
曰く、
「彼の言葉に嘘はない。どこまでの真実です。衒いもない。彼は本心から、ただ少年たちに立ち直ってもらいたいがために行動している。そのすべてに裏はありません」
この「前置き」のせいで、読者の中には「義道さんも夜回り先生を大絶賛している」と読み取る人もいるようです。

でも、違うと思う。
彼が伝えたかったのは、むしろ水谷さんへの違和感だったんでしょう。だから、義道さんがなぜ「前置き」を書き連ねたのか、は私にとってとても興味深いです。

さて。違和感の中身として書かれているのは2つ。
・「夜の世界を脱して昼の世界い戻ればそこにはすばらしい人生が待っている」と若者を鼓舞している点。
・子どもは常に純粋で、愛されたいのだ、という信念のもと「だから子どもたちは大人の犠牲者だ。悪いのは大人だ」と述べている点。

義道さんは「昼の世界に戻っても『すばらしい人生が待っている』わけではない」し、家族至上主義は暴力的だ、と書きます。

実は、義道さんが水谷さんと最初に出会ったのは2000年の小さな集まりだったと思います。私も半ば偶然のようにそこに同席していました。
非常に印象的だったのは、水谷さんがみなを前に「子どもは大人の犠牲者」話を語り上げた後、一瞬、トイレへと席を立った時。
目の前に座っていた義道さんがボソッと言ったのですね。

「ああいう人、嫌いだ」

その場にいたすべての人が「きっとそうだろうなあ」と不思議な共感をしてしまった。
「嫌いだ」は言葉尻はきついかもしれないけれど、むしろ「苦手だ」という違和感表明の最も誠実な形のように私には受け止められて、「なんとこの人は正直で誠実な人だろう!」と感動したのでした。

そんな出会いだったにもかかわらず、2度目に2人が出会った時は確か、義道さんから水谷さんに声をかけた経緯があった気がします。
死を志向する若者が集まってくる、という点において、2人は実は似ているんですよね。
水谷さんは「救う!」と立場表明し、義道さんは「自分で解決しなさい」と立場表明しているわけだけれど、その義道さんも教え子が自殺した経験を延々と引きずっている。
一方、水谷さんと2度目に会った義道さんは、たぶん、どこまで行っても分かり合えない部分を再確認しただろうけれど、同時に、メディアの中の「夜回り先生」とは違う、子どもには見せない水谷さんの一面を見たんだと思う。

それが逆に、本書における「前置き」につながった、というのが私なりの解釈なんだけど。
違うかな。

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プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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