おぐにあやこの行った見た書いた

出張治療の新米整体師さんの話

リストカットの取材で出会った21歳の彼女が、整体を学び始めた。
「おぐにさん、肩こり、腰痛、ありません? 出張治療に行きますよー」という。
仕事の昼休みに、来てもらう約束をした。

約束の正午より10分前、卓上の電話が鳴った。
受付の女性から。「おぐにさんにお客さんです」。
慌てて1階の受付に駆けつけたら、いた。
胸張って立っていたその姿を見ただけでもう、十分に胸がいっぱいになった。
頬がピンク色なのがうれしかった。こんなに健康そうに見える彼女は初めてだ。
彼女との、この2年間を思い出した。
血の気のない顔。生気のない表情。「死にたい」「消えたい」のメール。ODの後のヘロヘロになった電話……。

彼女は足下に半畳分くらいもある大きな荷物を持っている。
「治療用のマットも持ってきちゃいました」という。
試しにその荷物を持とうとしたら、とんでもなく重かった。
こんな大きな荷物を、この子が、アパートから駅までの徒歩15分の道を歩いてきたんだと、電車の中で周囲の人の目も気にせずここまでたどりついたんだと思うと、もう、鼻の奥がつーんとした。

地下の女性休憩室の畳部屋で、肩こりの治療をしてもらうことにした。
らくだ色のトレーナーを脱いだその下に、整体師さん用の白衣を着ていた。
「おぐにさん、びっくりさせちゃっていいですか?」
いたずらっぽい笑いとともに彼女が差し出した小さな紙片。名刺だった。差し出し方まで堂に入っていた。

ああ、もう限界。
結局、泣いちまったぜ。
ほんと、よくここまで持ち直したね。

肩胛骨の部分を伸ばす。
片手で頭を支え、もう片手で肩を押す。
気持ちいい、ほんと。
「まさか、あなたに癒やされるなんてねえ」と夢うつつの私。
「本当に。私が人を癒やす側に回るとは。えへへ」と彼女。

自傷衝動が消えたわけじゃない、という。
過食だって時々するという。
眠れないのも相変わらずだという。
「でも、寝なくても死なないと分かったし。ストレス解消だぞーっと食べちゃう。過食しても落ち込まない。部屋のあちこちに『どんなに辛くても明日はくる。なぜなら、明日とは『明るい日』と書くから』って書いた紙を貼り付けてあってね。落ち込んだら、それを見るの」
この2カ月、ただただハイテンションで突っ走っているだけなら、途中で派手にまたすっころぶだろう、と案じていたのだけれど、彼女なりに何度も何度も小さく転びながら、時に、休みながら、ここまで歩いてきたのだと知って、少し安心した。
「今、21歳かぁ。私が21歳の時って、まだ自傷してたぞ」と私が言って、2人で笑った。

今日はだから、肩が軽い。
ついでに、心まで軽くて、温かい。

★くうねるところすむところ(著・平安寿子)

★くうねるところすむところ(著・平安寿子)

30代の働くすべての女性にお勧め。
20代、40代にはダメかというと、決してそうではないけれど。

崖っぷちに立つ30歳と45歳の女2人が、全く知らなかった土建屋の世界に飛び込み、壁にぶち当たりまくりながら、時には体当たりで壁をぶっ壊しながら、あきれるほどの前向きさと決断力とを武器に日常を爆走する話、というべきか……。

まず平安さんの文章が好き。
例えば、12月の描写。

「街が浮かれている。十二月だからだ。クリスマスを祝え。お歳暮は贈ったか。忘年会はどこでやる。諸人こぞりて金を使え、とけしかけている」

小気味が良く、嫌味がなく、さばさばしている。
こんな文章があっちこっちにあって、それだけで読書が楽しかった。

もう一つ、この本を20代でも40代でもなく30代に薦めたい気分になったのは、主人公の一人、30歳の梨央の恋愛が何とも、たまらなく良いから。
職場の上司との不倫に倦怠期が訪れ、なんだか崖っぷちの30歳の誕生日の日、梨央は、とび職の男に一目惚れする。おまけに上司と仕事でぶつかり、会社をやめて土建屋の世界に飛び込む。
でも、そんな一目惚れの相手との恋愛に、なんというのかなあ、余裕と勢いがあるんだ。

20代にはない余裕。
40代にはない勢い、とでも言おうか(それとも40代にも勢いがあるんだろうか。勢いがないのは、私@39歳だけ?)。

工務店で現場監督に抜擢されつつも、土建屋の世界から逃げない。そして、とび職男の徹男に、「わたし、この世界で頑張るわ。きっと徹男さんに仕事発注する側になって恩返しする」なんてタンカを切ってみたりもする。
心の中で、「そうなったら、俺のことをあてにするななんて、絶対に言えないでしょう? 男と女は五分五分だ。あてにするとかされるとか、そんな依存関係で結びついたって、結局はお互い重みでグズグズの共倒れになるだけだ。わたしは、強くなる。あなたと同じ世界で生きるために」と。
いいなあ、この余裕と、それから勢い。

なかなか心を開こうとしない徹男に酔っぱらって絡むシーンも好き。
心の壁を切り崩そうと言葉を尽くしに尽くし、それでもダメそうと思ったら、とりあえず「あきらめてあげるから、ちょっとだけサービスして」と、相手にいきなりキス。
ここの文章も笑えた。

動かない唇に自分の唇を押し付けた。乾いて、ふっくらしている。舌をそっと出してチラリと合わせ目をなぞってみたが、唇は開かない。コンチクショー。おまえは石像か。

一方で必死に迫りつつ、どこか心の余裕の部分で「石像か」とのたまえる柔軟な心。20代ではもっと必死さが前面に出てしまうし、かといって39歳の私には残念ながらもう、かつてのように「好きと思ったら落とす」をモットーに相手に無理にキスしたり押し倒したりする勢いはないなあ。

とにかく元気の出る本です。
感涙ブームの折、「絶対に泣ける本」ばかりが書店を席巻する中、でもこういう本がちゃんと売れ、評価されていることがうれしいわ。






★12歳の友情論(著・橋本甜歌)

★12歳の友情論(著・橋本甜歌)

本の帯によると

「天才てれびくんMAX」で活躍中のカリスマ小学生・橋本甜歌が初めて明かす、学校、仕事、恋愛、家族、そしてトモダチの話。

なんだそうで。
職場に送られてきたのをパラパラと読んでしまったのは、タイトルのせいかな。
小学生の女の子の友達関係のビミョーさって、ちょっと気になるじゃない?

結論からいうと、「ご興味のある人は立ち読みでどうぞ」って感じ。
「友情論」の部分はほんの少しだし、今ドキの小学生の生態観察としても物足りない。
だって、なんか私たちが小学生だったころ(つまり四半世紀以上前)、まったく同じこと考えてたぞ。
そういう意味では、この著者はものすごくフツーの女の子で、実は子どもって「変わった変わった」と言われてるほど変わってないんじゃないの? と教えてくれる本ではある。

例えば以下のような記述がそれ……。


一人でイチゴを食べる夜

今朝の新幹線で、息子は夫の実家のある仙台に行ってしまった。
毎朝のお弁当を作らずに済むのは心底ラクチンだけど、やっぱりあの子がいないと、家に帰る理由がなくなっちまうんだよな。

ということで、早速、今夜は飲み会。
帰宅したら、玄関先に生協から配達された発泡スチロールの箱が山積みになっていた。週に1度の配達の日なのを、うっかり忘れていたのだった。

箱の中のものを冷蔵庫に放り込む。
プチトマト。
ブロッコリー。
ほうれん草。
ソーセージ。
イチゴ。
見事に「お弁当向け食材」なのだった。
お弁当を食べてくれるあの子はもういないというのに。

ぐっすん。
飲んだくれた母ちゃんは一人、イチゴをむさぼるのであった。
こんなことで私、本当に将来、子離れできるんだろうか。
ものすごく心配。

息子、初のスタメン体験

今日、小学校1、2年生だけの少年野球のリーグ戦がありました。
スタメン発表をぼんやり聞いていて、思わず、ビックリ。
息子、初のスタメン入り。9番ライト。

見る見る緊張でガチガチになる息子。
数メートル離れた場所には、息子に声をかける余裕すら失ってオロオロする親ばかの母ちゃん、という構図。

1、2年生だけの試合というのは初めて見ましたが、すごい試合でした。
結果は15−16でサヨナラ負け。
ほとんどの点数はファーボールによる押し出しと振り逃げ。
外野にボールが飛んだのは確か1〜2回。
1回の攻撃に10点を入れたらチェンジする、という「10点ルール」を採用し、2時間半かけて3回裏でサヨナラ試合となったのでした。

息子の記念すべき初打席は、ガッチガチに緊張したままの見逃し三振。
ライトには一度も球は飛んできませんでした。
1度だけ息子の方角に打球が飛び、「トンネルするなよ!」とみなで心中祈る場面があったのですが、なんと一塁走者がそのボールを蹴飛ばしたため、守備妨害でアウト。
結局、一度もボールを触らなかった「初のスタメン入り」体験でした。

それでも家族で祝杯をあげた夜でした。

夏休みに続き、明日、息子は一人で仙台に旅立つそうです。
緊張性で本番力のない息子も、ゆっくりゆっくり、歩んでいるわけです。
子育てをつまみに酒ばっかり飲んでる我が夫婦なのです。


★魂萌え(著・桐野夏生)

★魂萌え(著・桐野夏生)

477ページ、ノンストップで読破してしまうおもしろさ。
それでいて、桐野小説ですから一筋縄ではいかない読後感。
やっぱり桐野さんの書く女たちはすごいです。

定年後の夫と平穏に暮らしていた59歳の主婦がいきなり夫に先立たれ、おまけに夫の死の直後、夫の不倫が発覚し、いやおうもなく嵐のような「第二の人生」に突き落とされる、という話。
この本を読んで、「年を取るのが怖くなる」人もいれば、「年を取るのも悪くないぜ、ひっひっひ」と思う人もいるんだろう。いや、たぶん、誰もが両方を感じるんだろうな。

この内容に、オレンジやらピンクのダリアが咲き乱れるというこの装丁画。迫力です。若者の「萌え」なんてぶっとんでしまうような、深淵かつ迫力満点の「中年萌え世界」。
私もあと20年ないんだよなあ。

60歳を目前に、もう一度読み直してみたいです。その時、どんな風に感想が変わっているかとても興味深いです。


★県庁の星(著・桂望実)

★県庁の星(著・桂望実)

人気の本ゆえ、図書館で予約してから随分と待たされました。
エンタテイメントとしては極めておもしろいし、何度も声を出して笑わせてもらったし、週末の読書としては最高でした。

31歳のエリート県庁職員が初の民間人事交流研修対象者に大抜擢されたものの、赴任先はなんと落ちぶれたスーパー。マニュアルも組織図もなければ、責任範囲もはっきりしない現場で、「県庁さん」と呼ばれ、揶揄されながら、悪戦苦闘する抱腹絶倒の公務員小説。

大爆笑したのは、県庁の常識は民間の非常識、というところ。

例えば、この県庁職員はスーパーで「コストダウンしても良い」という現実に素直に驚き、こう自問するのだ。
「民間では従来のコストより低い数字を出しても許されるのか? 公務では前回より低いコストで押さえると、前任者の顔をつぶすことになるので、タブーになっているのだが」

イマドキの公務員さんなら、コストダウンの大切さだって知ってるわよ、とは思うけれども、それはそれ、これはこれ。おもしろいんだわ。
最後のほうは都合良く主人公が成長しすぎ、という気もしないでもないけれど、全体的に本当によくできたエンタテイメント小説でした。

★カーニヴァル化する社会(著・鈴木謙介)

★カーニヴァル化する社会(著・鈴木謙介)

図書館で借りたら、「あれ、一度読んだぞ、これ」と気付いた本。
ああああ、反省。

第一章でフリーターやニート問題を通した現代社会論、第二章で情報社会に置ける「監視」、第三章で携帯電話と「自己への嗜癖」について語られていて、確か最初に読んだ時は第一章を読もうと本書を手に取った記憶があるのだけれど、今回は圧倒的に第三章を楽しく、興味深く読んだ。

「自己の嗜癖」について、「確固たるアイデンティティに基礎づけられることを必要としない社会ゆえにこそ生じる、不可避な現象」と説明し、「こうした社会では、『本当の私』や『本当の愛情』や『本当にやりたいこと』を望めば望むほど、それが手に入れられず、結果として立ちすくんでしまわざるを得ない」と語り、その理由を「最初からそうした『本当のもの(=アイデンティティ)』が手に入らないところに、個人化の本質があるから」と分析する。

おもしろいと思った。
完全に理解してるか、と言われたら自信がないんだけどねー。
イギリスの社会学者アンソニー・ギデンズの「純粋な関係性」という概念を用いて説明しているんだけど、これは原典をあたっておこうかな、という気になりました。

あと、最近の「感動ブーム」あるいは「感涙ブーム」の類を取り上げ、「自己目的化する感動」とばっさりやっているのは共感できました。

★扉は閉ざされたまま(著・石持浅海)

★扉は閉ざされたまま(著・石持浅海)

「このミステリーがすごい」2006年版第2位、と聞いて読んだ。
設定というかロジック勝負の推理小説。
高級ペンションを舞台に開かれた同窓会で完全密室殺人が!ってな話だけど、最初から犯人は分かってる、というパターン。
密室のトリックまで読者には分かっていて、それを登場人物の一人が扉を開けないままで推理する、という点に目新しさがある。

さらっと読めておもしろいけど、「謎解きをする人物」を筆頭に、女性の登場人物に魅力がないため、小説としてつまらないうえ、何より、動機に説得力のなさを感じました。

我が家のキンタマ問題

学童保育なんて大っきらいだ、二度と行くもんか、という息子に、「しんどいことがあるなら、母ちゃんにいいな。解決できなくても、話すだけで楽になることもあるんだよ」と声をかけてみた。
「言いたくない」と布団にもぐりこんで5分。
息子がようやく重い口を開いた。こんな話だった。

うちの息子の名前は「○○ち」。
まあ、「与一」とか「良一」とか「喜一」とか「弥一」とか「太一」とかそういう名前。
一方、ここに登場する3年生の友だちは「▽▽▽き」という名前。
例えば「弘幸(ひろゆき)」とか「直之(なおゆき)」とか「政之(まさゆき)」とか。

とりあえず、関係者が未成年のため、どちらも仮名ということで。
うちの息子を「やいち」、相手の3年生を「ひろゆき」とでもしましょう。

息子「あのね、ひろゆき君に、悪口を言われたの」
私 「何って言われたの?」
息子「……いいたくない」
私 「言わなきゃわかんないよ」
息子「………やいちんちん、って」

すでに数週間前の話だと言うのに、ようやく語り終えた途端、号泣する息子。
息子に隠れて肩をふるわせて声を殺して笑う私。
息子に「○○ち」パターンの名前をつけた日以来、いつか言われると思ってたんだ、「○○ちんちん」って。
だいたい、ちんちんごときで何週間も思い悩んで泣くなよ。

とりあえず息子に私が言った言葉は、
「今度言われたら、ひろゆき君に『ひろゆきんたま』とでも言い返しなさいな。それで足りなきゃ、ひろゆきたないきんたまってどうだ?」

息子はようやく笑った。

さて。これには後日談があって。
その夜、帰宅した夫に事の顛末を話したら、夫は「うわあ、とうとう言われたか〜。いつか言われると思ってたんだよなー」と大笑い。
やっぱり、夫婦で心密かにこの日が来るのを予期していたらしい。

翌朝、私と息子が「ひろゆきたないきんたま」で盛り上がっていたら、いきなり夫が言う。
「こういう歌、知ってる?」

いきなり歌は始まった。
「ある日、キンタが歩いていると〜♪」
「キンタ! 守って! ♪きんたまもって、きんたまもって……」
「キンタ、マカオに着く。 ♪きんたまかおにつく、きんたまかおにつく」
「キンタ、マスカット切る。 ♪きんたますかっときる、きんたますかっときる」

親子で大笑い。
しかし、1年生の子どもに、猥歌を歌ってどうするんだ?>夫。
本日は卒業式。
学校で歌い出しませんように、それだけが心配。




★セックスレスキュー(著・大橋希)

★セックスレスキュー(著・大橋希)

セックスレスに悩む女性たちが、性人類学者キム・ミョンガン氏の相談室を訪れては、「性の奉仕隊」(長い前戯を含むセックスで女性を癒す男性要員)を紹介され、身体も心も柔らかく溶かしていく、というような話。
内容が衝撃的なこともあって、大変話題になったノンフィクションです。

実は、ここに登場するキム・ミョンガンさん。私が18〜22歳まで5年間たっぷり暮らした京大熊野寮の住人さんだったんですよね、ちょうどあの時期。
彼とは何度かお会いして、身体を温める食べ物のことや、マッサージの大切さ、性の大切さ、などを説いてもらった記憶もあります。
でも、まさか彼がその後、拠点を東京に移し、「性の奉仕隊」を主宰し、ご活躍とは……知りませんでした。
(京都時代にベッドをともにした女性が200人を下らない、という話ももちろん、当時は知りませんでした)。

話の内容は衝撃的で興味深く、おもしろいし、書き手としても素直で読みやすい構成に仕上げてくださったと思います。
ただ、インタビューの受け手の本音にまだまだ迫れていないような物足りなさは残りました。もちろん、これは書き手の問題というよりは、ことセックスの問題を取材するのがいかに難しいか、ということなんだと思います。

実際、私自身が例えば薬物やリストカットの取材をしていても、なかなか性の問題については突っ込んで聞きにくい。
でも、実は、体位の好みまで尋ねないと見えてこないセックスに対する劣等感、嫌悪感もあるし、それが色々な問題の大事な鍵を握ってることだってあるんですよね。そこまで分かっていて、それでもなかなか、取材相手にその点について突っ込めない自分がいます。
若い子には取材できても、自分より年上の女性には質問できないとか、相手が男性だと取材しずらいとか。
思春期の男の子の取材なんて、性をよけて話を聞いても絶対に本音にたどりつけないわけで。
性の取材の難しさは、私も日々実感するところです。はい。

あと、本書を読んでいて興味深かったのは筆者のスタンスの行方でした。
筆者が取材して回る姿まで文章に書き込むスタイルを採っているのですが、これだと当然、筆者自身のセックスについて言及するかしないか、という選択を迫られます。
言及しないと、その分、読者に伝わるものの重さが軽減されてしまうだろうし、だからといって、筆者が「自ら『性の奉仕隊』の男性とセックスしてみた」まで行ってしまうと、それはそれで読者は別の意味で困惑しそうだし。
どの程度自己開示するのか、は結構大事な点だと思ったのです。

結局、出張ホストを体験するけれど、単に話を聞くだけで終わる、という極めてバランスの良い開示の仕方に留め、露悪趣味にも走らず、かといって、まったく触れない不自然さからも距離を置いた感じ。
最近のノンフィクションの流れから見て、これを物足りないとする人はいるでしょうが。

ただ、私自身が「性の奉仕隊」を利用する女性たちの苦しみを理解できても、自分自身が利用したいとは思えないのと同じ葛藤を、筆者も常に感じていたはずで、そこをもうちょっと自己分析してほしかった気がしました。

☆ローリング・ストーンズ@東京ドーム

☆ローリング・ストーンズ@東京ドーム

息子が「不登校宣言」し、涙した夜に、こっそり一人でストーンズ聴きに行く私……。
ま、いいよね。
私にとっては、初の生ストーンズでした。

ミックは、むちゃくちゃ動きが良かった。ドームの隅から隅まで全力疾走だもの。
「老い」を感じさせる瞬間が、ほんの少しもなかったことにまず感動。
正直言って、東京ドームなんて音楽をまともに聴ける場所じゃない。ひどい音。特にスロウなテンポの曲は、後方の壁からの反響とのズレが気になって、すごくいら立つ部分もあった。でも、生ストーンズの世界を楽しむ祭典、としてはもう大満足。
最初のJumpin' Jack Flashから、延々と叫び続けでした。体力に自信がないので、今回は座ったままでした。情けなし。
でも、座っていても踊っちゃうので、結局、本日は朝から筋肉痛。
もっと情けなし。

客層の年齢幅は予想通りすごかったです。
現役ばりばりの若者から、子連れのお母ちゃん(子どもを隣に座らせたまま自分は立って踊りまくり)、白髪まじりの夫婦まで。真正面後方の席から見渡すと、みんなの髪が全体的に黒っぽい。茶パツより、白髪交じりのほうが目立ったほど。
平日だし、会社帰りのスーツ姿のサラリーマンがむちゃくちゃ多かったんですが、彼らがもう、踊るわ、叫ぶわ、すさまじいの。
宴会で「ブチョー」とか叫びながら、ネクタイを頭に巻いて踊るオジサンの姿になんとなく似てるんだけど、もっと根性が入っていて、実に幸せそうなのね。
そりゃそうさ。往年のファン向けに、古い曲をいっぱいやってくれたし。Jumpin' Jack Flash 、Let's Spend The Night Together と続くともう往年ファンはシャウトシャウト。さらに数曲の後、As Tears Go By でみな熱狂、そして落涙。最後の3曲なんて、Paint It Black、Start Me Up、Brown Sugar だもの、確か。
で、アンコールの最後が Satisfaction。
気付けば、まさにすっかり満足、でした。
(あとは「悲しみのアンジー」、途中のどこかで聴きたかったな)

真正面の後方だったので、S席ではなくA席ではあったものの、ステージの演出もすべて楽しめました。
さあ、今日は息子も元気で登校したし、しばらく春休みの学童のお弁当作り、がんばろうっと。

「学校に行かない!」。涙の朝。

明日はいよいよ3学期の終業式。
「授業は今日で最後だねえ。結局この1年、1日しか休まずに済んだねえ」と私。
のどかないつもの朝の光景。

ところが。
時間割をあわせ、学校に行く準備をしていた息子は(前夜ではなく出発直前に大あわてでやるのが我が家の恒例)、突然、いらいらとし始め、バタン、ドタンと物に八つ当たりを始めた。
はて、どうしただろう?

今朝は夫のほうが出勤が早かったので、「おい、何を怒ってんだ?」と息子に一声かけて夫が出勤。
続いて、息子が出発。
「いってらっしゃーい」と送り出してしばらくしたら、息子が帰ってきた。
泣いている。

「やっぱり学校に行かない」

そうかそうか。よしよし。
しばらく抱いてやる。
息子は黙って泣くだけで何も言わない。
私は抱きしめながら、頭の中で、「とりあえず、あの取材の間だけベビーシッターさんを頼んだら、休ませてもどうにかなるか……」と仕事の算段を付け終わる。
「休もっか」
そう言おうとしたその瞬間、息子はぐいと涙をぬぐって自分からまた扉を出て行った。

スリッパ姿のまま追いかけ、エレベーターの前でもう一度抱きしめ、「母ちゃんの元気を取りあえず全部、君にあげよう。ピーガガガガガガ」とまるで子供だましの技をかける。
本当に本当にどうしようもなくて弱音をはきたかったら、「やっぱり学校に行かない!」ともう一度言える場面をこれでも作ってやったつもり。

それでも息子の決心は取りあえず変わらないようで、「行く」と私の手を離した。
うん。了解。
行ってらっしゃい。

★銀齢の果て(著・筒井康隆)

★銀齢の果て(著・筒井康隆)

超高齢化社会を解消するため、国家主導のもと、70歳以上の老人たちがたった一人の生き残りを目指し、殺し合う……つまり、「バトルロワイヤル」の老人版。

239ページで100人以上お年寄りが死んだと思う。
筒井先生のブラックユーモア、ナンセンスの結晶。カラリと書かれれば書かれるほどに、「筒井先生だなあ」と思うばかりで、でも全然気持ちはついて行けませんでした。

あるインタビューによると、筒井先生が本書を書いた背景には、

「何かと愛だ、泣かせだばかりの最近の小説は画一的で面白くない」

という憤りもあったんだそうです。
その点、すっごく共感するけれど。
この本はちょっと私にはきつすぎました〜。

ただし、装丁はすっごく好き。
山藤章二さんの強烈なイラストもいいし、タイトルに絡めて銀色のキラキラした表紙がすごくかっこいいです。

少年野球の「6年生を送り出す会」

息子が参加している地域の少年野球チームで「6年生を送り出す会」がありました。
送り出されるのは6年生9人。
「去年はコーチたちがマツケンサンバを踊ったのよ〜」なんて噂を聞いていたので、笑い、笑いの会かと思っていたら……。

いや、確かに今年も監督やコーチたちの出し物はすさまじかったです。
女装あり。網タイツあり。長州小力あり。メイド姿あり。
みんなで腹を抱えて笑っていたはずだったのですが。

賞状をもらった6年生が泣き、
挨拶に立った6年生が泣き、
キャプテンの背番号を手渡された新キャプテンが涙ぐみ、
母親陣がハンカチを握りしめて泣き、
挨拶に立った6年生の父親が泣き、
くまのプーさんの着ぐるみを着た司会がさんざ泣き、
最後に監督が挨拶で泣き、
それを聞いて6年生がこぞって泣き……。

1年生の息子が、この涙の意味を知るまでには少々時間が必要だろうけれど。
心に染みる会でした。
ますます、この街が好きになりました。
地域の力ってすごいなあ、と思いました。
正直言って、野球なんて別に好きじゃないし、スポーツは嫌いだし、スポ根文化も苦手だし、一人称の「自分」には引いちゃうし、「父兄」なんて死語が当たり前のように飛び出すことには抵抗だってあるし、そもそも体育会系のノリはすべて大嫌いですが。

それでも、なお。
地域の大人にこれほど自分の息子が育ててもらってるんだから、私もきちんと地域の子どもたちに返せるものを返していきたい、と素直に思えました。
来週末もまた、野球一色になりそうな我が家です。


★クローズド・ノート(著・雫井脩介)

★クローズド・ノート(著・雫井脩介)

大藪春彦賞を取った「犯人に告ぐ」が秀逸なサスペンスだったので、当然、これもそうかと思うじゃない?
ところがラブストーリー。

最初っから先が見えるし、主人公が全然魅力的でないし、話はありきたりだし、そもそも書き手が恋愛小説を書くのが上手とはとても言えないような中身で、半分くらい読んだところで「おいおい、いつこの小説は深まっていくんだ?」と腹立ちが起こり、9割まで読んだところで、これははやりの単なる「恋人の突然の死」ものであり、今時の「泣ける小説」でしかないと結論づけ、「おい、雫井さん、そりゃないだろ。裏切らないでよ」とすら思った。

実は、そこまで怒っていたわりには、最後に出てくる手紙の中身にちょっとだけじーんとした。
さらに最後の最後の筆者のあとがきを読んで、それまでの本に対する憤りが一瞬にして消えた。ずしんと来た。

筆者がこの小説を書いたのが、決して「泣ける小説ブームだから、どれ、一つそれに乗っかるか」なんて動機ではなかったことを知り、これもまた、「書かずにいられなかった小説」なのだと知った。

小説としての出来を問われれば、口をつぐむしかない。
でも、作者が決して得意ではないはずの恋愛小説を書かずにいられなかった気持ちに少しだけ触れた時、「読んでよかったんだよな。うん」と空を見上げたくなるような気持ちになった。


茨城ダルクの家族会に行ってきたよ

週末に1泊2日で茨城ダルクの家族会に行ってきました。
子どもを産んで以来、子どもと唯一向き合える土日に1泊2日で取材に行く、というのは初の経験で、息子の様子をみながらおずおずと踏み出した取材でもあります。

7〜8年前に、やはり、薬物依存症者の家族を取材しました。
本にもしました。
過酷な闘いを続けるお母さんたちと一緒に泣きながら取材した思い出は、今も生々しいし、自身が妊娠していた時期に聞かせていただいた話の数々は、実は私の今の子育てにとても大切な指針となっているように思います。

今回、久しぶりに家族の闘いに触れて、驚いたことが2つ。

・仲間が増え、結びつきがより強まり、国に支援を求めるなど社会に声を上げるようになっていたこと。
・お父さんの参加がものすごく多かったこと。

薬物依存症者の家族の闘いは、お母さん一人では絶対に無理だ……7年前に痛感したのがそれでした。
治療の現場にお父さんが登場した途端、膠着していた問題が動き出したケースも何度も見たから。
でも、ここ、茨城ダルクの家族会では、「絶対に夫婦で手をつないで来てください」という徹底したメッセージがあって、実際、夫婦で支えあっている姿をわずか1泊2日の間に何度も目にしました。

頭が下がったし、この姿を、誰より、薬物に限らず子どもの問題で悩んでいるお母さんたちに届けたいと思った。お父さんたちに届けたいと思った。
夫婦が手を携えることの大切さ。

茨城から帰るとすぐ、息子の野球練習にずっと付き合いました。へとへと。息子の様子を見ている限り、あまり急がずに、気長に続ける取材になりそうです。

代表の岩井喜代仁さんとも、5〜6年ぶりにお会いしましたが、むちゃくちゃ頭の切れる点と、何とも人を惹き付ける魅力と、実に効果的に時々素直になるところに、とても興味を持ちました。
おもしろい人です。


★ララピポ(著・奥田英朗)

★ララピポ(著・奥田英朗)

最初に読んだ「最悪」でも痛感したけど、ほんと、この人は「ダメな人」「情けない人」を描くのがうまい。
この本に登場する人物は誰も彼も、いわば「負け組」。

対人恐怖症の30代のフリーライター。優柔不断ゆえにトラブルに巻き込まれていく20代のカラオケボックス店員。AV・風俗専門の20代のスカウトマン。純文学界に劣等感をぬぐえない50代の官能小説家。こんな男たちに、やっぱり哀しい女たちが絡む短編集……と思いきや、一つ一つの物語が全部つながっているのね。

基本的には、登場人物がやたら自慰とセックスばっかりしていて、この本自体がちょっと出来の良い、工夫された官能小説みたいで笑えるんだけど、それでも、本の最後のほうで「ららぴぽ」というタイトルの意味が明かされた時、ちょっとだけしみじみしてしまう。

「世の中には成功体験のない人間がいる。何かを達成したこともなければ、人から羨まれたこともない。才能はなく、容姿には恵まれず、自慢できることは何もない。それでも人生は続く。この不公平にみんなはどうやって耐えているのだろう」

なんて文章とともに。

別に「必読」なんて思わないし、重厚で救いのないいつもの奥田小説と比べる気すらしないけど、やっぱりこの人は「だめだめちゃん」を書かすとうまい。
ほんと、実際に面と向かったら口も聞きたくないような卑劣で卑屈な男まで、愛すべき存在のように書いてしまうんだから。



★脳内汚染(著・岡田尊司)

★脳内汚染(著・岡田尊司)

あちこちの書評を見て、「少年犯罪はゲームのせいだ!」みたいな本なんだろうと思っていた。「ゲーム脳」の胡散臭さに通じるものを感じたため、批判対象というつもりで図書館で借りたわけ。
大学時代にスーパーファミコンが登場し、社会人になってからゲームを手にし、一時は結構はまった私としては、途中でゲームをやめられない子どもたちの気持ち、よーくわかったりする。
だから、「ゲーム脳」関連の意見を聞くと、内心、「けっ」とか思うくせに、でも実は、息子にはできるだけゲームを与えないでいたいと思ってたりもする。
だって。
それ自体はおもしろくても、失う時間が膨大すぎるんだもの。
(そのくらい私ははまったのさ。息子も絶対にはまると思う)。

で、この本について。
京都医療少年院に勤務し、大学院では脳科学を研究、という経歴がそのまま反映した本。実際の現場で子どもたちに日々向きあって感じることがベースにあるんだろうけど、主に依拠している調査が、魚住絹代さんという元法務官の女性が行った通称「寝屋川調査」(対象は4762人の中学生とその保護者)。
この調査がどの程度信憑性があるものなのか、それが分からないだけに、迷いながら読むしかない。
もっとも、調査内容は最近出版されたみたいだから、今度、読んでみるかな。

この調査から導き出される結論は結構すごい。
なるほど、と思うものから、オカルトちっくなものまで。
以下、順不同。

ブログ、こちらに移転します

ヤプログでブログを開設してほぼ1年。
あまりに不安定なので、こちらに引っ越ししました。
まだ、2006年に入ってからの記事すら全部、移転できていません。
まあ、ぼちぼち引っ越し作業もやってみます。半年くらいかけて。

こちらはまだ扱いがよく分かってません。
不備などありましたら、教えてくださいね。

ヤプログのブログ(2005年3月〜2006年3月の分)は移転作業が済むまで残しておきます。
これからも末永く、おつきあいくださいませ。

「もの悲しく、でも美しい……」だって。やった〜。

先日のピアノレッスンの話。
ヘラーの練習曲(同じ曲をなんと1カ月も弾いているぞ)の課題は脱力。相当に練習したつもりだったのだけど、木曽先生は「うーん」という反応。
脱力を意識しているうちに、スタッカート部分の音がすっかり痩せてしまっていたらしい。
木曽先生の本日の名言はこれ。

「スタッカートの部分こそ、心で歌う時はレガートで」

意識してみたら、それだけで音に肉が付き、弾いていて楽しい気分になった。おもしろい。

でも、今回のレッスンで一番うれしかったのは、シューベルト即興曲op.90-3。A−B−Aの構成になっているこの曲を、弾き終わったら、先生が、

「再びAが戻ってくるところからはもう、本当にもの悲しくて、でも美しい、言えることはそれだけ。うん。すごく雰囲気が変わりましたね」

むちゃくちゃうれしかった。
実は自分でも、主題Aが戻ってきたところからは、曲に自分が溶け込んだみたいに、ものすごく気持ちよく、音を楽しんで弾けたのがわかっていたから。
3カ月もかけたもんな。実は今回は、近所のスタジオでグランドピアノ練習を終え、その足でレッスンに臨むという徹底ぶり。意気込みが違ったのだ。

課題は、曲の始まりのところでナーバスになりすぎること。「音はきれいに響いているだろうか」「あの音が出過ぎたりしないだろうか」などあれこれ考えすぎているのが原因らしい。
「この曲はもう、あとは気持ちの問題だから、別の曲を練習しながら時々、まっさらな気持ちで弾けば、ちゃーんと全体をその雰囲気で弾けると思いますよ」と先生に言ってもらったので、次の曲へ進むことに決定。

次の課題は、ラヴェルの「亡き王女のパヴァーヌ」。
シューベルト世界に半年以上どっぷりだったから、さてどうなることやら、今ひとつ不安だけど、新しい曲に出会えるのはやっぱりうれしい。

★きみの友だち(著・重松清)

★きみの友だち(著・重松清

うんざりするくらい名作。
10代、20代のどんな人にも安心してお勧めできる本。
テーマは、友だち。
「みんな」とは誰か。一人でいることとは?
大人の語り手を設定し、物語に登場する子どもたちを、順々に「主人公」に仕立てて、「きみ」と呼びかけ、「今度はきみの話をしよう」と物語を進めていく。

一見クールで冷たく見える女の子が、心の中でどれほどの葛藤を乗り越えてきたか。
おとなしいだけの病弱な女の子が、実はどれほど豊かな内的世界を持っているか。
クラスで一番人気のある女の子の金魚のふんみたいに必死で話を合わせてる調子者の女の子が、どんなに脅えながら毎日を過ごしているか。「みんな」に所属するためには、どれだけ卑怯なことをできてしまうのか。でも一方で、その後、どれほど後悔を引きずるのか。
いじめを受けて転校したばかりの少女が「性格まで変えられてしまった自分」をどう引き受けて生きているのか。
勉強もスポーツもできて何の劣等感とも縁がないように見える少年が、挫折した時にどんなにもろいか。でもそれをどんな風に乗り越えていくのか。
一方、勉強もスポーツもできず、卑屈で、後輩に威張り散らすだけのイヤな少年が、どんなに切ない思いで自分と周囲を見据えて、それでも自分の弱さと向かい合っていくのか。

どの女の子や男の子の中にも、読者は自分に似た何かを重ねるだろうし、どの子も等しく「主人公」にしてあげた筆者のあたたかい眼差し自体が、この本の救いにもなっているんだろう。
いわば「みんなちがってみんないい」の金子みすずワールド(あるいは、相田みつお、か)を、小説世界で実践しちゃった、とでも言いましょうか。

べた褒めではあまりに悔しいので、いくつか、ひっかかった点も。

一番の主人公である「松葉杖をついた少女」が大学生になり、中学生時代の弟やその友だちたちと絡む場面で、この大学生が超然として人間ができすぎている感じがした。中学生たちの葛藤の物語のここぞ、という場面で、常に「超然とした存在」として大学生のお姉さんが出てくることに、ちょっとした違和感があった。

あともう一つ。
極めて凝った作りになってるこの小説。お見事だけど、最後の最後の最後のシーンの4行は、ちょっと格好良すぎて、読後感を無理にさわやかにまとめようとしているみたいで、好きじゃなかった。
ハッピーエンドは、決して嫌いじゃないはずなのだけど。

★おやすみ、こわい夢を見ないように(著・角田光代)

★おやすみ、こわい夢を見ないように(著・角田光代)

実は読了から1週間近く経っています。
恐ろしいことに、短編集のどれ一つ、筋を覚えていません。
ただ、「女性を描くのがうまいなあ」「どの登場人物にも共感できないのに、そういった人物が主人公で成立しちゃう物語ってすごいなあ」などと思ったことだけ覚えています。
上手なんだと思う。
でも夢中になれない短編集でした。

例えばこんな女性が出てくるの。
図書館で勤めてる。一人で外食するのは苦手。でも休憩時間が一緒になった職場のだれかと一緒に食事をするのも気が進まない。弁当を持参する。女性誌の特集記事にオープンしたてのケーキ屋の記事を見つけて「ケーキ屋に夫と行こう」と思いつく。一方で、「あの人と結婚していなければ、別の人生があったんじゃないか」と常に思っていて、「一緒にケーキ屋に行くこと」と「あの人と結婚していなければ」という仮定は、彼女の中では何の矛盾もない……。

悪いけど。
私にはよくわかんないな。
でもこんな女を書かせたら、むちゃくちゃ角田さんはうまいと思う。
引きこもりの娘を愛しながら、醜いとも思いながら、職場で娘くらいの新人さんを相手に親子ごっこしちゃう哀しい母親とか。
ほんと、うまいと思う。

一足早い、ホワイトデー

息子と夫がホワイトデーにお料理をしてくれました。
メニューは、トマトカップサラダと、バナナチョコクレープ。

息子と夫がホワイトデーにお料理をしてくれました。
メニューは、トマトカップサラダと、バナナチョコクレープ。

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「母ちゃんには絶対にヒミツ」だったらしく、お料理中はヘッドホーンでピアノの練習をさせられ、トイレに行く時にも目をつぶって、手を引かれて行くほどの、厳重な秘密保持ぶり。
トマトをくりぬいたり、野菜を切ったり、クレープを焼いたり、息子も随分と頑張ったようです。
ごちそうさまでした。
私は大変幸せ者です。

きょうの昼食@ホームパーティー

昼下がり、友だち夫婦が遊びにきてくれた。
息子は野球の練習でいない。久しぶりに大人だけのホームパーティー。
人数も4人だけだし、気の置けない友だちだったので、和洋ごちゃごちゃに身体に良さそうなものを考える。何しろ、妊婦さんだから。

前菜のテリーヌは、ネット上で見つけたレシピ。カッテージチーズとコンソメを寒天で固めたもの。
彩りのよいお野菜入りで、低カロリー。
大豆のサラダには、ベランダで一番先に新芽を出したアップルミントを入れました。

魚は、ジャガイモを極細く切り、白身魚をそれで包んで、バターでカリッと焼いたもの。塩味が強すぎたのが反省点。
肉は、鶏胸肉とエリンギ、アスパラ、タマネギなど野菜をオーブンで焼いただけ。こちらは、お友達にいただいたお手製の柚胡椒でいただきました。この柚胡椒が、市販のに比べて香りは高いし、本当にさわやかでおいしいの。気持ち的には、肉を食べるための柚胡椒、というより、この柚胡椒をおいしくたべるためにメインディッシュを考えたようなものでした。

飲み終わった後は、ジュンサイのすまし汁(どうも味に安定感がなかった)。
それから、塩昆布と梅干しを炊き込んださっぱり炊き込みご飯。これ、夏ばてした時の我が家の定番ですが、「妊婦さん=酸っぱいものが好きかも……」という安易な連想で、久しぶりに作ってみました。

弘山晴美さん、おめでとう!

昼間はホームパーティーで飲んだくれていたせいで、夜のニュースを見るまで知らなかった。
弘山晴美さんが37歳にして、ようやく、本当にようやく、マラソンで優勝した。
走る映像がテレビに流れる前に、ただ「初優勝」の文字を見ただけで、目頭が熱くなった。

2004年のアテネ五輪の前に、弘山さんをインタビューしたことがある。
マラソンでの選考に漏れ、失意からはい上がり、1万メートルの代表を勝ち取って臨んだアテネだった。あの時から、「私はマラソンで一度も優勝してないんです。どうしても、マラソンで勝ちたいんです」と言っていたのだった。
彼女はシドニー五輪でも、マラソンで選考に漏れ、それから1万メートルの代表枠を勝ち取ったんだけど、シドニー五輪の1万メートル決勝では、最下位の20位。
その時のことを振り返って、こんな思いを語ってくれたのだった。

「マラソンって何なのだろう」と時々考えます。「疲れた。休みたい」と思ったこともありました。でも私はやっぱりマラソンで、世界で勝ちたかった。シドニー五輪の1万歎莨,妊好圈璽匹砲弔い討い韻20位に終わったときも、悔しい気持ちの一方で「これで迷いなくマラソンに行ける」と思ったんです。
(2004年7月毎日新聞夕刊「この人この時」より)

同じインタビューの中に、こんな言葉も見つけた。

アトランタのときもシドニーのときも「五輪が終わったら少し休憩して子作りを」とか言ってました。
結局、アトランタではあまりに結果が悔しくてそのまま4年間走ってしまった。シドニーの後はマラソンに再挑戦するため、「疲れた、休みたい」という気持ちと闘ってここまで来た。
休憩する話はいつも、どこかに消えてしまう。走り終わるたび、こうすればもっと走れるんじゃないか、という思いがわき上がって、今まで走り続けてきたんです。
でも今回(アテネ五輪のこと)は、「五輪の後に子供を」なんて言わない。それよりも、競技自体に区切りをつけるかどうかの選択をしようと思っているから。「子供のために競技をやめる」とは言いたくないんです。
五輪で走った後、決めようと思っています。自分自身がどこで納得し、区切りをつけるか。レースの結果の善し悪しよりも、走り終わったときに自分が納得できるかどうかなのだと思います。
とか言っていても、来年の今ごろ、またマラソンを走っているかもしれませんよね、私。

(2004年7月毎日新聞夕刊「この人この時」)

そして、晴実さんは本当に、ずっと走ってきてたんだなあ。
「あの日がなければ、私、シドニー五輪の後、引退してたかも」と本人自身が語る「あの日」、つまりシドニー五輪代表選考会の大阪国際女子マラソンで、当時の日本歴代3位のタイムで走りながら、最後にリディア・シモン選手(ルーマニア)に抜かれ、わずか2秒差で五輪切符を逃したあの日から、走って、走って、走り続けて、ようやくつかんだ「初優勝」なのだなあ。
やっぱり、泣けるのだった。

こういう場合、「感動をありがとう」なんてイマドキはやりの言葉は似合わない。
感動は与えるものでも、もらうものでもない。
何かを突き付けられるような、ヒリヒリした思い。

★SPEED(著・金城一紀)

★SPEED(著・金城一紀)

はいはい、落ちこぼれ男子高校生たちが大活躍するゾンビーズ・シリーズ最新作(といっても発売は去年夏)。やはり爽快で、一気に読めます。
前作の「フライ・ダディ・フライ」は、ダメオヤジが男子高校生たちに鍛えてもらう話でしたが、今回の主人公は女子高生。マンネリのマイナスイメージより、心地よい既視感と懐かしさが勝っちゃったのは、シリーズのファンだからかしらん。

シリーズ3作の中では一番、中高生の女の子たちが楽しめる作品だと思う。
この高校生たち、一人一人のキャラが立っていて、きっと、自分自身を主人公に投影してはドキドキしたり、「いいなー」と思ったり、それでいて、ドキリとしたり、楽しめると思う。
どうしても、男の子たちと最後まで一緒にいられない切なさもよく共感できた。
彼女自身が自分のげんこつで最後に必死で殻を破っていくところが、単に男の子たちに守ってもらうお姫様物語に終わってないところで、それもよかった。

心に残ったのは、次ぎのシーン。
主人公の女の子がお嬢様学校のクラスですっかり浮いてしまって、しかとされ始めた時、彼女はゾンビーズの少年たちといるのが楽しくて、「シカトぐらいたいしたことじゃない。私にはもう一つの世界があるんだから」と思い、自分がこれまで所属していた世界を「こんなもんか」と言い捨ててしまうんだけど、それを少年の一人がこんな風にとがめるの。

「あんまりクールになりすぎるなよ」
「もしおまえがシステムとかカラクリに疑問を感じたり窮屈に思うようだったら、きちんと怒り続けるべきだよ。こんなもんか、なんて思わないでな」
「当分のあいだは頭で納得できても心が納得しなかったら、とりあえず闘ってみろよ。こんなもんか、なんて思って闘いから降りちまうのは、ババアになってからでいいじゃねぇか」

この朴舜臣くん、実は大好きな私としては、「そうだよな、ババアになったって、とりあえず、闘い続けないとな」などと、妙に神妙に受け止め、うなづいてしまったのだった。

「懺悔の朝」の余波

先日のエントリー「懺悔の朝」を読んだ妹が、カンボジアからメールをよこした。

「いくらなんでも3日も風呂にはいれへんなんて……」と妹の夫が引いているという。
世間では「3日」ってそんなに大変なことなんだろうか。
そういえば、昨夜、水谷修氏が電話してきて、開口一番、「おぐにさん、今夜は息子さんをお風呂に入れてあげましたか?」だったもんなあ。
このままじゃあ、親戚も友人も失いそうだ。

それから、ふと気付いた。
「あ、今晩、風呂に入らなきゃ、また3晩入らなかったことになるじゃん。まっずー」
(ちなみに、私はそういう場合、翌朝、出勤前に一人でシャワーを浴びているんだけどね)

ということで今夜は親子で楽しい入浴。
みなさーん、ちゃんとお風呂に入ったからねーっ。

「夫が家事をすれば子供も増える」厚労省

厚生労働省の「21世紀成年者縦断調査」の第3回結果が話題を呼んでいる。
この手の調査結果は、どの部分を「見出しどころ」にするかが、記者の腕の見せ所。
ちなみにNHKでは「育児休業制度を取りやすい会社で働く女性は、取りにくい会社で働く人より子どもを産んでる!」という点を見出しどころに選んだ。朝日新聞もそうだ。

でも今回は、毎日新聞の玉木記者の選んだ見出しどころの方により深く共感。
「夫が家事をすれば子供も増える」厚労省

これからの少子化対策は「女性が働きやすい環境整備を」だけでは不十分で、さらに「より長く子どもを保育所に預けられる環境整備を」なんてとんでもない話であって、やはり肝心なのは、夫の育児・家事参加 (決して「協力」などではなく!)だと思っているものだから。

うちの息子が生まれて半年目から4年間ぐらいの、育児が物理的に一番大変だった時期、夫は警視庁担当記者で、ほとんど家にいなかった。思い返せば、私が2人目をほしい、と思い始めたのは、夫が経済部に異動になり、少なくとも週末だけは家にいることが増えてからだった(平日の帰宅は今なおどんなに早くても夜中の1時だけど)。
結局、「2人目」を望んでから1年かけて妊娠したけど、初期流産したあたりで、根性が事切れたのだった。
今でもまだ完全にあきらめたわけではないけど、今後5年間ぐらいの夫の仕事の見通しを考えた時に、「また『私ばかり育児している!』と不満を募らせ、離婚の危機を招きそうだから、家族の平穏のためにはやめておいたほうが無難だろうなー」と不安を拭えない自分がいる。

育児休業の恩恵を受けた身としては、「育休の充実 → 少子化対策」というのも実感としてよくわかるけれど、「夫の家事・育児参加(決して、協力、ではなく。くどい?) → 少子化対策」というのには、より切実に、ものすごく実感してしまうな。

ということで、ここを見出しどころに選んだ記者さんと、このニュースを、ヤフーニュースのトップに選んだ方のセンスに拍手。

★娘に語るお父さんの歴史(著・重松清)

★娘に語るお父さんの歴史(著・重松清)

昭和38年生まれのオジサンが、中学生の娘に「戦争体験のあるじいちゃんばあちゃんに比べ、お父さんってどんな時代に生きたのか、ちっとも見えないんだよねー」と言われ、「おれはどういう時代に子ども時代を過ごしたのだろう」と自問し、図書館に通い詰め、歴史を調べ、自分の言葉で娘に「昭和」という時代について熱く語る、というような設定の本。
漢字にルビをふるなど、中学生くらいの年齢層の読者を想定している、と見せかけてはいるが、実は、とうのオヤジ世代が読むと一番胸が熱くなってしまうような中身になっている。

ただし、この本のラインナップであるちくまプリマー新書自体は、「中高生向け新書」をうたっているようだ。実際の読者層が本当に「中高生」なのか「中高年」なのか(おお、1文字違いだ!)、ぜひ出版社に聞いてみたい。

で、本書。
キーワードは「テレビ」、そして「パパ・ママの呼称」、「ふつう」への圧力、「速さ」、「科学と未来」などで、わざわざ親が子に語りかける設定でなくとも書ける時代分析本を、あえて、熱っぽく涙もろいオヤジを主人公に描くあたりが、重松さんの技だ。
もちろん「昭和38年生まれ」というのは、重松さんご自身がモデルであるわけで、子どものころの思い出なんかも、重松さん自身の思い入れがたっぷり詰まっている。

この本、最初は時代論ながら、最後は「幸せとは何か」という問いかけへと移っていく。
大好きな重松さんの書とはいえ、「必読の書」とも思わなかったし、例えば私のお気に入りの「よりみちパン!セ」(理論社)のように「息子が中学生になったら読ませたい」とすら思わなかったのだけれど、最後の最後はやっぱり、「重松節」が決まっている。

主人公のオジサンは最後に心の中で娘にこう呼びかける。
「だから、ゆっくり、オトナになれ」と。
「これからおまえは、算数が苦手になったり、鉄棒の逆上がりができなくて居残り練習をささえられたり、友だちとの関係に悩んだり、親に反抗したり、大学受験に失敗したり、失恋したりするだろう。もうしんでしまいたいと思うことだって何度かあるだろう。でも、死ぬな。生きることをあきらめるな。急がなくてもいいから、いつか、オトナになれ。オトナになったら幸せが増える。幸せに勝ち負けを求めなくなり、幸せの数をふやすことができるのが、オトナだ」

ここね。
「幸せの数をふやすことができるのが、オトナだ」って言葉。
なるほど、大人の一つの定義としては秀逸だと思った。

ところで、蛇足ではあるけれど、へえええええ、と思ったのは、主人公が娘たちに語った、ある「仮定」。
交通事故死亡者に占める15歳以下の子どもの割合が、1959年までは20%以上だったのに、60年以降は10%台に下がっていることを指摘し、その原因を「テレビやマンガの人気ではないか」というのだ。
なるほどなー。
という私自身は小学生時代、夕方に子ども向けテレビをなぜか見たことがないのだった。大阪の「文化住宅」という名のいわば長屋育ちですから。暗くなるまで毎日、外で友だちと遊んでいたよなー。

こっそりと引っ越し

ちょうど2005年の3月23日にブログを開設したのだけれど、家主さんのヤプログがとっても不安定。
おまけに、エクスポート、インポート機能とやらのことを知るにつけ、ああ、このままではいけないなあ、と。で、こっそりこちらに引っ越し作業を開始した次第。

いつ本格的な転居、となるのか、見通しは立ちませんが。
夜な夜な、少しずつ過去の記事をコピペしていくことにします。

ちなみに、現在の本家のブログ「おぐにあやこの行った見た書いた」はこちら

★讃歌(著・篠田節子)

★讃歌(著・篠田節子)

強烈に長いレビューを書いて、アップしようとしたら、全部消えた。
ヤプログ、大変不調で、あちこちでこの手のトラブルが発生しているらしい。
さすがに書き直す気力なし。

ただ、この本、ものすごいお勧め。久しぶりに、すべての用事を放り出して最後まで読み切りたい衝動に追いかけられた本でしたから。

私にとっては3重の意味でおもしろかった。
一つは謎解き、ストーリーのおもしろさ。
もう一つは、主人公がテレビ制作に携わる人間、ということで、メディアが美談を作り上げていく時の大きな流れの中で、個々人がそれぞれに誠実であっても、物事がどんどんねじ曲がっていく、というダイナミズムを見事に描いていて、身につまされた点。
最後の一つが、テーマが音楽であるということ。特に、シューベルトで大衆をベロベロに泣かせる、というヴィオラの正体が喝破され、「音楽とは何か、感動とは何か」という問題が見事に描かれている点は、本当に色々と考えさせられました。

特に、ある音楽にひとたびは熱狂し、泣き、感動した大衆が、「実はそれほどではないのかも」と知った途端、これまでの熱狂ぶりを恥じ、逆にバッシングに走る、という光景は背筋が寒くなりましたし、その熱狂とバッシングの両方で、先頭切って旗を振るのが常にメディアである、という光景に、大変なリアリティーをみてしまったもので。

読書が好きで、音楽が好きな人にはお勧め。

で、私は、といえば、この本を読んだ後、ピアノに向かい、「ヴィブラートだらだらのセンチメンタル演奏ではなく、もっと屹立した音作りで、シューベルトの孤高と自負と悲しみを表現できないかしら」などと、それを支えるテクニックもないくせに、高望みしてしまうのです。

 

読み応えたっぷり、「ゲド戦記」インタビュー

ゲド戦記がバイブル、という人はかなり多いと思う。
私もそうだし。1巻、2巻、3巻……と年を重ねるごとに、自分にとってのバイブルの巻数も増えていく。そんな感じ。

でも、宮崎駿監督が「(ゲド戦記の)本はいつも枕元に置いてある。片時も放したことがない。悩んだ時、困った時、何度読み返したことか。告白するが、自分の作ってきた作品は『ナウシカ』から『ハウル』に至るまですべて『ゲド戦記』の影響を受けている」とまで語っているというのは、このインタビューを読んで初めて知りました。

編集を入れないままのロングインタビューは読み応えたっぷりで、圧倒されました。新聞のように行数が限られた世界では、逆立ちしても無理だわ、と。

「ゲド戦記」の監督をされる宮崎吾郎さんのブログもまた、読み応えがあります。
「前口上」から読まれると良いと思うので、そこにリンクを張っておきます。

これを読むまで、私は、夫の仕事のためにアニメーターという仕事を辞めざるを得なかった1人の女性のことを知らなかったし、父のことを「しゃべることはおろか、会うことすらままならなかった」と語る息子さんがおられることも知らなかった。

映画公開の7月の前に、何らかの形でインタビューを申し込めないか、とリサーチを始めたのだけれど、どんなに知恵を絞っても、心を尽くしても、このロングインタビューや吾郎監督本人のブログを越えるものや、あるいは越えるのは無理としても、別の視点を提示したり、別の魅力を引き出したりする道を探すのは難しいのではないか……と思わずにいられませんでした。

「柔和なマルキストの夢」という記事

エントリーをアップし忘れてましたが。
先週の3連チャン締め切り記事の3本目は、元国会議員のインタビュー。
「この国はどこへ行こうとしているのか 永田町を離れて」という連載のうち、私が担当した元共産党国会対策委員長の松本善明さんでした。
画家のいわさきちひろさんの夫だった人です。

記事はこれ。タイトルは「柔和なマルキストの夢」。とてもロマンチックな見出しが付きました。

私が一番知りたかったことは、善明さんの素顔。
共産党の国会対策委員長の「やり手」という横顔と、画家いわさきちひろさんの淡い色の絵とが、どんなふうに出会い、絡み合ったのかということ。

でも、インタビューの中で、百戦錬磨の老政治家の口か