★開発援助の社会学(著・佐藤寛)
開発援助に関わる、あるいは関わらない色々な人にとって興味深い本なのだろう。
実際に現地で援助活動に関わった人にとっては理論化の助けになるだろうしね。
でも、ここでは、私のようにそういった活動に無縁な人間や、あるいは、「青年海外協力隊に行きたい!」と思っている若い人向けのレビューを書いてみよう。
専門家ではない私たちがこの本を読む時、少々工夫すると、もっとおもしろく読める。
この本は、「開発援助」を「社会学的」に見るという、視点をとても大切にした構成になっている。筆者によると、かつて学者の間では「社会学者は先進国社会を研究するのであって、途上国は人類学者に任せる」という「暗黙の合意」があったそうだ。筆者はそれを乗り越えるべく、この数十年の間に、新たに場所をつくり、機会を見出し、人脈を築いて、開発援助の場に社会学者から人類学者まで乗り入れる「今」を創ってきた人だから、その「視点」を大切に本書を書いたのだろう。
でも。乱暴な言い方をすれば、それは学者ではない我々には関係なかったりする。
本書の第一部「開発援助を社会学的に見る」という理論から読むより、第二部「開発援助の現場から」という具体例から読んだほうが、素人にはやっぱり、おもしろいんだ。
私が提案する読み方はコレ。
とりあえず「はじめに」だけ読んだら、第二章の途中、いきなり132ページの「フィリピンの植林プロジェクト」から読み始める。およそ10ページ、世界各地で日本が行ってきた植林プロジェクトの超具体例が続く。植林プロジェクトが終盤に近づくと山火事が続発、どうやら、ようやくこのプロジェクトで職を得て、再びの失職を嫌がった植林労働者たちによるせいいっぱいの「工夫」らしい、と判明したり。一筋縄ではいかない現実が、素人にもよく分かる。
143ページまで行ったら、次に、今度は住民参加型の植林プロジェクトについて書いた172ページへと飛ぶ。植林のために現地に行って調査したら、そもそも住民が求めていたのは水道、道路、学校、医療施設、電気などで、植林への関心は低かった、なんて話もよくあるらしい。ここで、どんな風に住民に参加してもらいながら、ドナーが帰国した後も持続可能な形に持って行くのか、という工夫の数々は、194ページまで、一気にかなりおもしろく読めるだろう。
第九章「住民参加のパラドクス」の最初の理論部分4ページはその後に読めばいい。
小休止にちょうどいいのが、120ページからのわずか1ページ半の「インセンティブという麻薬」。住民に参加してもらうために住民に日当を払う、という手法についての一考察。
援助のもたらす「援助依存」と「スポイル」についての、格好の問題提起だ。
ここまできたところで、90ページから始まる第二部「開発の現場から」の最初に戻る。
167ページまで、医療、貧困、環境、などさまざまなテーマ別に支援のありようと現場で起こりうる問題が書かれているので、興味のある分野から順番に読んでみる。
読み終わって、筆者の理論をきちんと読みたいと思った人は第一部に戻って、読み進めればいい。理論は苦手、という人は、なんなら「今後の宿題」にしちゃっても良いんじゃないだろうか。
たとえ第一部をまるごと「宿題」にしてしまったとしても、絶対に読んでほしいのは197ページの第十章以降。目次を拾うだけでも、「民主化は援助か布教か」「援助はえこひいき」「よそ者パワー」と、開発援助に無関係な暮らしをしている人でも極めて興味深いテーマが並んでいるから。
「隣の村には日本の援助で学校が建ったのに」「ストリートチルドレンの悪ガキにはノートをやるのに、学校に行ってるまじめなうちの子になぜノートをくれないんだ?」などなど、支援にはジェラシーがつきもので、これを無視していると、当初の目的すら達せない自体に陥ることもある、とか、考えさせられる事例と問題提起とに満ちています。
たぶん、この十、十一、十二章で語られていることは、援助活動に無関係な人間であっても、例えば生徒と対峙する教師、各種施設の職員さんらにとっても示唆に富んだものだと思う。
どこにいっても「よそ者」という自覚を忘れず、そのうえでどうコミットメントし、何を書くかを常に問われる新聞記者にとっても、ね。
なぜ、ここまで読む順番に今回、こだわってみたかというと、最初の理論部分だけを読んで、とっつきにくいからと読むのをあきらめてしまう読者がいたら、ものすごくもったいないから。
もちろん、本書を理解するためには、最初から順番に読むのが一番いいに決まってます、念のため。
ちなみに、筆者、佐藤さんの本は、専門家でなくても楽しく読めることが多いので、門外漢の私もついつい読んでしまう。
最初の出会いは、「イエメン もうひとつのアラビア」という本で、あまりにおもしろすぎたので、ついつい、著者ご本人に会いに行ってしまった。
そしたらご本人はもっとおもしろい人だったので、そのまま乗せられて、我が家の新婚旅行はイエメン。首都サナアでの1泊目の宿は、いかにも雰囲気のある旧市街地に佐藤さんが予約してくれた宿でした。まこと強烈な新婚旅行でした。
開発援助に関わる、あるいは関わらない色々な人にとって興味深い本なのだろう。
実際に現地で援助活動に関わった人にとっては理論化の助けになるだろうしね。
でも、ここでは、私のようにそういった活動に無縁な人間や、あるいは、「青年海外協力隊に行きたい!」と思っている若い人向けのレビューを書いてみよう。
専門家ではない私たちがこの本を読む時、少々工夫すると、もっとおもしろく読める。
この本は、「開発援助」を「社会学的」に見るという、視点をとても大切にした構成になっている。筆者によると、かつて学者の間では「社会学者は先進国社会を研究するのであって、途上国は人類学者に任せる」という「暗黙の合意」があったそうだ。筆者はそれを乗り越えるべく、この数十年の間に、新たに場所をつくり、機会を見出し、人脈を築いて、開発援助の場に社会学者から人類学者まで乗り入れる「今」を創ってきた人だから、その「視点」を大切に本書を書いたのだろう。
でも。乱暴な言い方をすれば、それは学者ではない我々には関係なかったりする。
本書の第一部「開発援助を社会学的に見る」という理論から読むより、第二部「開発援助の現場から」という具体例から読んだほうが、素人にはやっぱり、おもしろいんだ。
私が提案する読み方はコレ。
とりあえず「はじめに」だけ読んだら、第二章の途中、いきなり132ページの「フィリピンの植林プロジェクト」から読み始める。およそ10ページ、世界各地で日本が行ってきた植林プロジェクトの超具体例が続く。植林プロジェクトが終盤に近づくと山火事が続発、どうやら、ようやくこのプロジェクトで職を得て、再びの失職を嫌がった植林労働者たちによるせいいっぱいの「工夫」らしい、と判明したり。一筋縄ではいかない現実が、素人にもよく分かる。
143ページまで行ったら、次に、今度は住民参加型の植林プロジェクトについて書いた172ページへと飛ぶ。植林のために現地に行って調査したら、そもそも住民が求めていたのは水道、道路、学校、医療施設、電気などで、植林への関心は低かった、なんて話もよくあるらしい。ここで、どんな風に住民に参加してもらいながら、ドナーが帰国した後も持続可能な形に持って行くのか、という工夫の数々は、194ページまで、一気にかなりおもしろく読めるだろう。
第九章「住民参加のパラドクス」の最初の理論部分4ページはその後に読めばいい。
小休止にちょうどいいのが、120ページからのわずか1ページ半の「インセンティブという麻薬」。住民に参加してもらうために住民に日当を払う、という手法についての一考察。
援助のもたらす「援助依存」と「スポイル」についての、格好の問題提起だ。
ここまできたところで、90ページから始まる第二部「開発の現場から」の最初に戻る。
167ページまで、医療、貧困、環境、などさまざまなテーマ別に支援のありようと現場で起こりうる問題が書かれているので、興味のある分野から順番に読んでみる。
読み終わって、筆者の理論をきちんと読みたいと思った人は第一部に戻って、読み進めればいい。理論は苦手、という人は、なんなら「今後の宿題」にしちゃっても良いんじゃないだろうか。
たとえ第一部をまるごと「宿題」にしてしまったとしても、絶対に読んでほしいのは197ページの第十章以降。目次を拾うだけでも、「民主化は援助か布教か」「援助はえこひいき」「よそ者パワー」と、開発援助に無関係な暮らしをしている人でも極めて興味深いテーマが並んでいるから。
「隣の村には日本の援助で学校が建ったのに」「ストリートチルドレンの悪ガキにはノートをやるのに、学校に行ってるまじめなうちの子になぜノートをくれないんだ?」などなど、支援にはジェラシーがつきもので、これを無視していると、当初の目的すら達せない自体に陥ることもある、とか、考えさせられる事例と問題提起とに満ちています。
たぶん、この十、十一、十二章で語られていることは、援助活動に無関係な人間であっても、例えば生徒と対峙する教師、各種施設の職員さんらにとっても示唆に富んだものだと思う。
どこにいっても「よそ者」という自覚を忘れず、そのうえでどうコミットメントし、何を書くかを常に問われる新聞記者にとっても、ね。
なぜ、ここまで読む順番に今回、こだわってみたかというと、最初の理論部分だけを読んで、とっつきにくいからと読むのをあきらめてしまう読者がいたら、ものすごくもったいないから。
もちろん、本書を理解するためには、最初から順番に読むのが一番いいに決まってます、念のため。
ちなみに、筆者、佐藤さんの本は、専門家でなくても楽しく読めることが多いので、門外漢の私もついつい読んでしまう。
最初の出会いは、「イエメン もうひとつのアラビア」という本で、あまりにおもしろすぎたので、ついつい、著者ご本人に会いに行ってしまった。
そしたらご本人はもっとおもしろい人だったので、そのまま乗せられて、我が家の新婚旅行はイエメン。首都サナアでの1泊目の宿は、いかにも雰囲気のある旧市街地に佐藤さんが予約してくれた宿でした。まこと強烈な新婚旅行でした。
