おぐにあやこの行った見た書いた

では、良いお年を

2005年の投稿はこれでおしまい。
大阪の実家に久しぶりに帰ることにしました。
2006年、良い年にしましょう。お互い。
ではでは!
(ブログ更新は1月1日か2日からの予定)

2005年のメッセージ集 後編

■11月7〜10日夕刊連載「この人この時 俳優、吉岡秀隆さん」より。

 悩んだ末、役者はもうやめようと思った。街で「純」「満男」と声を掛けられるのも苦痛だったし、有名になりたくもなかった。高校卒業後、俳優をやめる決意をしたところに、黒澤明監督から映画出演のお話をいただいて「もうちょっとやってみようかな」と。だから実は今にいたるまで「役者でやっていくぞ」と決意表明をしたことないんです。あまりカチッと決めたくないな、という思いがまだあるんです。35歳になっても。

 今の子役って、プロですね。自分自身と自分の演じる役柄とを上手に切り離し、違いをきちんと理解している。
 僕は子役時代、それができなかったからつらかったんでしょうね。役柄と自分自身をいつもだぶらせていた。「北の国から」も「男はつらいよ」も、僕の成長に合わせて脚本を作ってくださったので、なおさら、演技ではなく、いつも本気を要求されました。
 今の子役たちもいつか僕と同じ壁にぶつかるのかな。きっと僕は何も言えないだろうな。「自然でいいよ。無理するのが一番つらいんだよ」ぐらいしか。

■11月11日 「この国はどこにいこうとしているのか 数学者、森毅さん」より。

喜寿を迎えた森さんの目に、今の若者はどう映るのか。
 「幼く見えませんか」と尋ねたら、早速、人をけむに巻く語り口で「むしろ『おじさん化』が進んでるねえ」。「おじさん化」とは何ぞや。
 「やたら『みんなこうするもんや』とか『誰でもこうしてるんや』と物事を単純に断定したがる人のこと。世間のおじさんは一番忙しい年齢層やから、ああでもない、こうでもない、と考えをめぐらせるヒマもないのよ。こんなおじさんの言説を原資に、時代の常識は作られているわけ」
 そこで、ぷかりと一服。
 「そやけど若者は違う。若者が『おじさん』になったら時代は止まってしまう。若者の良さは時代に背を向け、行動すること。学生運動かてそう。若者の勢いで世の中って案外動くんよ。だから若者は時代からちょっとずれてるのがよろしい。ところが今の若い人は言うことなすこと、おじさんそのものや」

。「大阪の下町には世話焼きバアサンがいて、両隣の家の前の路地まで掃除する。ありがたいけどうっとうしい。一方、東京ではきっかり自分の家の前の路地だけ。気楽だけど冷たい。京都人はどうするか。『ついはずみで』って感じで時々、思い出したように他人の家の前も掃除する。常に境目が揺らぐ。極端に走らない。『ほどほど』を知ってるのよ。僕がこの街で生きやすいのはそのせいかなあ」
 つまり「ええかげん」に見えて「良い加減」ということか。
 「大事なのは多様性。極端にどちらかに偏らないこと。生態系もそうよ。森で棲(す)むやつは、鳥は鳥、虫は虫のリズムで生きてる。だからお互い食い違うに決まってる。違いをなんとかやりくりして生きている。みんなが一緒になったらあかんのよ。人の心も。いろいろあったほうがいい」

■11月16日夕刊「ベルギー版ニート映画の監督、ダルデンヌ兄弟に聞く」より。

。「子供の欲望を先回りし、満たしてしまってはいけない。それは欲望が生まれる前に殺してしまうのと同じこと。欲望というのは、何かが欠けた時に生まれてくる。争いや葛藤(かっとう)を避けようと、社会が先回りしすぎているのではありませんか」

では、何が人を変えるのか。何が、大人になれなかった若者を成長させるのか。「それは他者との出会いです。私たちの映画の登場人物は、自分の殻に閉じこもっている人が多い。しかし他者と出会うことで、立ち直っていく。特に、同世代の他者との出会いや友情、助け合いでね」

■11月24日夕刊 「『あらしのよるに』の読まれかた  作者の木村裕一さんに聞く」より。

 多くの子供が、大人が、身近な人間関係に重ねて2匹の物語を読んだ。 
 木村さんは言う。「ガブもメイも相手に真剣に立ち向かい、思いを率直にぶつけて、互いの違いを許し、認め合い、乗り越えることで心のきずなを深めた。でも、私たちはそんな本音の関係を身近な人々と結んでいるでしょうか。こんな時代だからこそ、大人にも子供にもガブとメイの関係が新鮮に映ったのかもしれませんね」

2005年のメッセージ集 中編

■7月19〜22日夕刊連載「この人この時 諏訪中央病院 鎌田實さん」より。

 日本人は「がんばる」が好きだ。僕もそうやって生きてきた。国全体ががんばることで豊かになってきた。でも、日本では今、8人に1人がうつ傾向だという。「がんばれ」という一言はうつの病状を悪化させ、自殺に追い込んでいく。
 こんなに豊かになったのに、この7年間、3万人以上の人が自殺し続けている。こんな先進国ってない。がんばって、がんばって、僕らは何を壊してしまったんだろう。

 親になった時、「いい父親になろう」と心に決めたのにな。ある日、思春期の娘が言った。「お父さんが嫌い」。気付けば僕は「仕事人間」になっていたんだ。
 それから少しずつ努力した。ある日娘は言った。「私はお父さんに大事にされてないと思ってた。『君はどうしたいの』と考えを聞いてくれても、私は意見を言えないからお父さんにいじめられていると思っていたの」。僕は頭でっかち過ぎたのだろう。どんなに大切に思っていても、親子でわかり合うのは難しいと知った。

 今年3月、僕は一内科医師に戻った。30代で諏訪中央病院長となり、それ以来、地域医療にこだわって働いてきた。00年に院長を辞した後も、管理者なる役職を与えられてきた。でもそれも3月に辞めた。僕は今57歳。定年までおよそ10年を残した早期自主退職だ。
 これからは一内科医師として外来や往診を続け、地域の命にかかわっていこうと思っている。「がんばらない」なんて言いながら、僕はきっと、がんばって生きてしまうのだろう。でも、がんばりすぎず、自分に正直に生きたいと思う。「がんばらないけどあきらめない、それでもやっぱりがんばらない」と自分に言い聞かせながらね。

■8月3日 署名コラム「編集部から」より。

 東大社会科学研究所が「希望学」という学問をスタートさせた。インターネットを利用して20〜40代の男女875人にアンケート調査した結果、小学校6年生の時になりたい職業があったかどうかが、大人になった時の希望や幸福感の有無に影響を与えていることが分かった。子供の時にあこがれた職業に実際に就いた人などほとんどいない。しかしたとえ希望の職業に就けなくても、子供時代になりたい職業があった人のほうが、そして挫折経験を持つ人のほうが、大人になったとき「希望がある」「とても幸せである」と答える人が多かったんだそうだ。

■9月26〜29日夕刊連載「この人この時 脚本家、君塚良一さん」より。

 夢を追う若い人に伝えたい。夢をかなえるためには、夢だけを見ていたのではダメだ。
 例えば飛行機のパイロットになりたいとき、船乗りのバイトの話が来たとする。「乗りたいのは船ではなく飛行機だ」と断ってはいけない。パイロットの夢を一秒も忘れなければ、船乗りになればいい。船に偶然、航空会社の人が乗って意気投合するかもしれない。船と飛行機の共通点を勉強できるかもしれない。
 僕の師匠、萩本欽一さんは言った。「頂上に行きたいならまっすぐな道を選ぶな。くねくねと遠回りしながら頂上を目指せ。回り道はすべていつか役立つから」と。

 サラリーマンらしき視聴者から「主人公の青島刑事がうらやましい」「あんな上司や部下がほしい」という反響がたくさん来た。確かに僕はあのドラマで個と組織を描いた。でも、描こうとしたのは「組織の崩壊」という現実です。でも商業ベースのドラマだから明るい面も盛り込んだ。それが湾岸署であり、チームワーク。だから湾岸署の上司や同僚はファンタジーであって現実ではない。でも人は「うらやましい」という。
 ここ数年、映画や小説に登場する「いい人」に素直に反応し、感動する人々が増えている。登場人物の描かれ方が薄っぺらで類型的であっても、「いい人」ならそれでいい。きっと人は不安なんだ。「自分は人に優しくない」「上司や同僚や家族や友人は自分をそんなに思ってくれない」と、他人にも自分自身にも不信感を抱いている。

■10月24〜27日連載「この人この時 女優、藤山直美さん」より。

 人生って「この部分は好きやないから消しゴムで消しましょ」なんてできませんものね。父の突然の死も、好きな人とご縁がなかったことも、体や心に染みついて、一生忘れられへんねえ。でも忘れる必要もないし、忘れたらあかん、と思う。
 世間では「父の死を機に役者として生きようと決意」とか書かれてますけど、「舞台で生きていこう」と本当に腹をくくったのは実は40歳を過ぎてから。父の死後、本格的に舞台に立つようになってからも、子供がほしかったし。私、結婚して子供もつくって、家庭に収まるのが小さいころからの夢やったんです。
 40歳を過ぎて、「今さら結婚してもなあ」「子供はもうええかな」と段々あきらめることが増えていき、心に踏ん切りをつける中で、ようやく覚悟したんでしょうねえ。「私は舞台で生きていくしかない」って。
 今、47歳。気付くのが遅すぎますよね。幼かったのか思慮が浅かったのか。でも「私の人生ってこういうことなんや」と、おなかの底や魂の底から感じられるのって、30歳ちょっとでは無理やったんです。

舞台で生きようと決めた人生の選択が正しかったのかなんて、三途(さんず)の川を渡るまでわからへん。悔やむかもしれない。でもいいかげんは嫌。一生懸命に毎日生きる。最期に「いい人生やった」と言えたら。ほんまにええやろねえ。

2005年のメッセージ集 前編

2005年にいろいろな人を取材して、いただいた言葉を引用してみます。
迷える若い人たちの役に立てば、とこっそり記事に織り込んだ言葉たちです。
( )の中は、引用に際しての注釈です。

■2月1日夕刊「ニート対策最前線 ヤングジョブスポットを訪ねる 」より。

 若者に交じって、ここ(ヤングジョブスポット)の職員の狩野さんが熱っぽく語っているのを見つけた。「僕は漫画家になりたかった。でもどうしたらなれるかも分からず、結局、家族に勧められ、今の職場に就職した。だから、その時は何の積極性もなかった。ところが職場で先輩職員が必死で若者に就職先を探す姿を見たり、若者が就職の報告に来るのを見て、なんてすばらしい仕事だと心から思ったんだ」
 へえええ、と周囲の若者が目を丸くする。本当にやりたいことを見つけてから就職するもの、と思い込みがちな今の若者には、新鮮な話だったようだ。
 若者の就職支援がしたくて昨年、仕事のかたわらキャリアコンサルタントの資格も取ったという狩野さん。「世間の人は彼らを『ニート』とひとくくりにするけど、僕はここに来る人を『ニート』とひとくくりには呼びたくない」と強い口調で言った彼の気持ちが、私にも少し分かる気がした。
 「若者は甘えているだけ」と言う前に、大人にできることはまだあるのかもしれない。私たちは仕事の喜びを若者に自分の言葉で語ってきただろうか。

■3月28、29、30、31日夕刊連載「この人 この時 水谷修さん」より。

「自分病」の子供たちにはこう伝えます。「僕も昔は君と同じようにリストカットをし、孤立していた。でも自分のことばかり考えるから苦しいんだ。水谷の生徒になりたきゃ、誰かに優しさを配ってごらん」

「死にたい、消えたい」という子供が一方で僕に「死なないで」という。僕は「死は恐れるものでも闘うものでもない。ただ、誰にもいつか来るものだよ」という。
 少年時代にはあんなに怖かった死が、今は怖くない。僕が変わったのは初任地の養護学校での体験が大きかった。筋ジストロフィーの生徒たちが目の前で死に近づいていく。倫理を教える社会科教員の僕に子供たちが問う。「先生あの世って何」「死んだら僕はどこに行くの」。きつかったな。
 「死も生も選べないものだけど、少なくとも今、君たちも僕も生きてる。そのことを大事にしよう」と言い続けた。これが僕の原点。

 子供たちが頼っている水谷は、実像ではないよ。世の中に欠けている「優しさ」を僕の中に見るから、子供たちは水谷を求める。でも「優しさ」は本当はどの人間にもあるんだ。表し方や表す量が違うだけ。子供たちにはこう伝えます。「水谷はどこにでもいるし誰の中にもあるんだよ」

■3月31日 署名コラム「編集部から」より。

 「ニート」研究で有名な東大の玄田有史助教授の「14歳からの仕事道」(理論社)を読んだ。中学生向けのキャリア教育本だ。「やりたいことが分からなくてもいい」というメッセージがとてもいい。
 世の親は理解たっぷりにいう。「おまえのやりたいことをやれ。好きなことを見つけろ」。確かに家業を継げとか地元就職しろとか命令されるのもツライが、「好きなことを見つけろ」も結構ツライ。だって10代で「好きなこと」を見つけられる人なんてほとんどいないから。
 就職活動の手前で「やりたいことが分からない」と悩むきまじめな若者たちを取材し、「好きなこと」幻想にがんじがらめにされている感じがした。玄田助教授は去年のインタビューで言ったっけ。「ナンバーワンよりオンリーワン、なんて言うけど、オンリーワンになるほうが難しい時代なのにね」。同感。

■5月23〜26日夕刊連載 「この人この時 平原綾香さん」より。

 思春期って誰もが悩む時期でしょう。私も学校に行きたくない日々がありました。でも自分に負けたくなかったから、意地でも登校したっけ。あの日々を乗り越えたから、デビューできたし、今の私がいる気がします。
 「ジャンプするにはしゃがまなきゃいけない」って言葉、知ってます? 苦しい時は「私は今しゃがむ時期なんだ」って思うの。「神様は試練は与えるけど、苦しみは与えない」という言葉も好き。苦しいのは勝手に人間が苦しんでいるから。つらい時、この言葉を思い出すと「もうちょっとがんばれる」って思える。
 強くなろうとしているわけでも我慢しているわけでもない。ただ前向きに生きたい。それだけ。
 それに消したくても心の傷は簡単には消えない。だから私は無理に傷を癒やそうと思いません。だって、革のかばんや服と同じ。人間だって傷つくほどに味が出るから。つらかった過去を悲劇のヒロインみたいに語ったりもしたくない。誰にも言わず、思い切り心の奥にしまっておいて、人間の「味」にするの。

■6月22日 「3歳児15万人の定点観測 子どもが変わったんじゃない、子育てが変わった」より。

 佐藤さん(NHK「おかあさんといっしょ」の元体操のお兄さん、佐藤弘道さん)の原風景は、地域の人々や祖父母らがいろいろな経験をさせてくれたアパート暮らしだ。自分の父母が近所の子供に分け隔てなくご飯を食べさせてやるのも見て育った。「だから僕は、親だけで子育てをしないほうがいいと思う。学校には学校、地域には地域、家庭には家庭にしかできないことがある。大人はもっともっと子供のために頑張らなきゃ」


仕事納めの日

きょうは仕事納めの日。
朝から職場に来て、夕刊に載せた小さな署名コラムの刷りを確認し、机の周辺などを軽くかたづけて(大掃除はできないの。すごく汚いから、徹底的にやったら3日あっても足りないの)、この1年を振り返ってみたりする。

去年と今年は随分と色合いの違う年だった。
2004年の去年は、息子が保育園の最終学年で、とても安定していて、翌年の小学校入学前にまずはやりたい仕事を全部やってしまおう、と思った年でもあった。
なにしろ、新しい環境に馴染むのにとても時間のかかる息子なので、2005年は小学校の不登校など織り込み済みで暮らしを組み立てていかなきゃ、とすら思っていたんだ。だから、仕事は絶対にセーブせざるをえないことになるから、仕事をやるなら、ぜったいに2004年だっ!と。

それでリストカットの取材を始めた。
会社のルーティーンをていねいに仕上げながら、夜中や休日を随分とリストカットの取材につぎ込んだもんだ。楽しかったし、苦しかったし、先の見えない不安はいつもあった。
なにしろ、新聞やどこかのメディアに発表できる目処がまったく立ってない状態で取材し続けるのって、ひごろは会社員記者である私には、あまりなかった体験だしね。
連載した記事を見て「本にしませんか」という展開は経験済みだったけど、最初っから単行本用の原稿を一から書き上げ、出版社に自分から持ち込んだ、というのは初体験だった。

伝えたいことの前では、不安も、体面も、なーんら関係なく、まっすぐになれるもんなんだ、と40代を目前にようやく思い知った、という体験でもあったんだ。

それが結果的に、いろいろな人の力添えを得て、新聞連載になったのが2004年の11月。同時に本の原稿も書き上げ、出版社におさめたのが12月。
2004年はそんな風にして終わった。

仕事をセーブできる精神状態を作る、ということは、実は私の場合、結構難しい。
たぶん私にとって、仕事は「趣味」に近い。
もちろんやっていて苦痛を感じる仕事もあるけど、たいてい、振り返ってみれば発見する点はあるし、やってよかったな、という部分がまったくない仕事なんて存在しなかったと思う。感情的に、やりたくなかったなぁ、と今も思う取材はもちろんあるけどね。
つまり、仕事が好きなのだ。
これが、昨年のリストカットのように、気持ちをまるごと奪われるようなテーマの取材に入ると、私はほかのものがぜーーーーんぜん見えなくなります。
こうなると、いざって時に、子どもがしんどい精神状態になった時に、仕事のブレーキを踏んで家庭に飛んで帰ってくる自信はないのよね。
だから。
最初っから、ブレーキを踏んでいよう、と思った。
それが2005年。

仕事に夢中になりすぎないように、とりあえず、趣味を増やした。
着物がそうであり、ピアノがそうであった。
(ピアノは、ミイラ取りがミイラになったみたいに、思った以上に夢中になりすぎたようで、これはこれで息子に寂しい思いをさせちゃったかも)。

「準備よし。回り道せよ、我が息子」と、完璧な態勢で臨んだのが2005年春、息子の小学校入学。
しかし、息子は比較的穏やかに学校に行き続け、今では仲良しの友達もいっぱいできて、ヤンチャなガキへと成長した。お陰で私は、息子が成長してくれた結果生まれた余力を、仕事と趣味の両方に注ぎ込むことができたわけだ。

仕事は、ルーティーンのインタビューなどをコツコツ仕上げながら、できるだけ記事の中に、こっそりと私自身が伝えたい思いをこめた。
リストカットの取材を通して出会った「生きづらさを抱えた若者」や「大人になりたくない、という20代」や「本当の自分がわからない、という子ども」に向けて。
伝えるべき人には伝わったと思う。きっとね。

と同時に、2冊の本を出した。
1冊は「魂の声 リストカットの少女たち」。
最近、大学時代に知り合った年上の女性編集者さんから手紙が届いた。
「書かずにいられなくて書いた1冊ですね」と。うれしかった。

もう1冊は、「いいじゃない いんんだよ 大人になりたくない君へ」。
これは「夜回り先生」の水谷さんや、エイズ教育の岩室さんとの共著。しゃべったことが文字になっていく、という本づくりは初めてだったので、いろいろな意味で良い勉強にもなったし、この本作りを通して、旧知の水谷さんや岩室さんに出会い直せたような気もしている。

こんな風に2004年に必死で取材して見えたいくつもの宿題に、2005年のまるごと1年をかけて答を探してきた、って感じだったのだろう。
2006年はどんな年になるのかなあ。
せっかくいよいよ40歳になるのだし、新しいことに挑戦する年にしたいなあ、と思っています。

髪のピンの数

二日酔い状態で目を覚ました。
泥酔状態で慣れない化粧を落とし、アップしたままガチガチに固まっている髪からピンを山ほど抜いて、そのまま眠ったのだったっけ。
朝起きたら、髪がものすごいことになっていた。バリバリバリバリバリバリ……。
これを洗って、部屋を片づけていたら、テーブルの上に髪ピンの山が。
数えてみたら、U字ピンが12本、ヘアピンが25本も!
こんなに頭に刺さっていたなんて、ちょっと怖い。

あーあ。
それにしても。4カ月間、大騒ぎしまくったピアノの発表会が終わっちゃった。
なんか、気持ちがほうけてる。

とりあえず、次はシューベルト即興曲のop.90-3を次に練習しようと思ってます。
90-4がきれいに弾けるうちに、90-3を仕上げて、3、4と通しで弾くのが課題。
何人ものピアニストのCDを聴いて思ったのだけど、即興曲op.90-1〜4のシリーズでは、3と4は2曲ひとまとまりで弾くと解釈が際立つ気がします。ただの勘だけど。

70代ナイスミドルに勇気をもらう

昨日の発表会の話を少し。
発表会中盤で、いきなり高校生3人組(音大受験組含む)が圧倒的な技術力でもって鍵盤をたたき出した時は、いやはや、会場で聴いていて、逃げ出したくもなった。
ピアノの音が全然違うわけ。楽器が別モノになったみたいに。
すっげー。まじかよ、って感じ。

そんなわけで、技術派の高校生3人組の後って、できれば誰も弾きたくないよなーという場面。
ここに登場したのが、大人の男性だった。
大人も大人。70代。
頭なんかも上品にはげていて、そうだな、どこかの会社の相談役さん、って感じ。
さて、この人がモーツァルトの幻想曲K,397を弾き始めた。

譜面台をあえて着け、楽譜をみながら、丁寧にやさしいタッチで、時におどけるようにモーツァルトを奏でるのを聴いて、私、一瞬、自分の出番を前にした緊張もすっかり忘れて感動してしまったのでした。
もちろん、技術では高校生たちにかなわない。
でもあの落ち着きようはどうだろう。
演奏の途中でさりげなく衿もとを直したりする仕草も、年輪を重ねた者だけに許される余裕のように見えて、うっとりしてしまったのだった。

高校生の圧倒的なうまさにびびって、一瞬、逃げ出したくなっていた私は、彼の演奏に大げさでなく、たぶん救われた。
技術とは違うところで、年を重ねた分、表現できるものはあるんだ、と信じられたから。
それがまだまだ私にも、少なくともあと30年以上も楽しめるんだ、と教えてもらったから。

70代を「ナイスミドル」と呼んで良いのか知らないが、まさに「ナイス」なじいちゃんだった。きちっと歳を取っている分、心が若々しく見えることってあるんだ。

彼の後、ギターの三重奏が入り、仕切直してから私たち大人6人がずらずらずらーっと演奏したわけだけど。
周囲が難曲や大曲を並べる中、それでもひるまず、シューベルトの決して派手でない即興曲を、私がすごく落ち着いた気分で、優しい気持ちで、私の歳まで生きることなく早死にしたシューベルトの哀しみと無念と自負を想いながら、最後まで弾くことができたのは、やっぱり彼の演奏に勇気をもらったからじゃないかな、と思う。

四半世紀以上ぶりのピアノの発表会は、なぜかほとんど緊張することもなく終わりました。もちろんミスタッチも多少ありましたし、完璧な演奏というのとはほど遠かったけれど。
私は笑っていたそうです。本当に幸せそうな顔で弾いていたそうです。


発表会が終わったぞーーーーっ!

今日は発表会。この4カ月のすべてを掛けた発表会。

始まる直前まですっごく恐かったの。
でも、弾き始めたらなーんか幸せな気分になってきた。

4歳の時からピアノを習いました。
何度も何度も練習がいやになり、そのたびに「もうピアノなんてやめてしまいなさい!」と母親に怒鳴られ、そのたびに泣きながら「習わせてください。頑張って練習するから、やめさせなくてください」と母親に頼み込み、10年、ピアノを習ったのでした。

でもね。あの時は気付いていなかった。
あの時、習っていたピアノはすべて私のためのピアノだったのに、私がどんなに恵まれた存在だったかなんて気付いていなかった。
今なら分かる。大人になったからわかる。
発表会で弾きながら、思ったんだ。
ここで発表会に出られたのは、本当にたくさんの人の力添えのお陰なんだって。
熱を出しながら、発表会当日には復活して元気よく見に来てくれた息子。
発表会の日、ほとんどの家事を担ってくれた夫。
ドレスを貸してくれた大切なお友達。
アクセサリーや髪型に助言をくれた友だち。
誰がいなくても私はここにいられなかったんだと思ったら、ただただ幸せに包まれて、緊張が解けていったのでした。

途中、イアリングがレースのドレスにひっかかって、首がまっすぐにならないというハプニングもあったのです。あの時は肝を冷やしたけど、引っかかったまま弾こうと覚悟を決めた途端、ひっかかったイアリングがドレスから外れたの。
その瞬間、私、ああ、神さまが味方してくれたと思った。
緊張がすーーーーーーーっと引いて、普段のレッスン以上に落ち着いてしまって。
あとは、ああ、幸せ。幸せ。幸せ。幸せ。
ただただ多幸感に包まれたのでした。

ということで今夜はバリバリ飲んでます。まさに泥酔。
水谷さんも電話くれました。
ありがとねー。

美容院でヘアメイクの巻

恐ろしい経験をした。
美容院でヘアメイク。

髪の毛をアップさせながら同時並行でメイク。
いきなりものすごい道具が出てきて、私のまつげをああああああああああ。
「すみません、その機械、何というのですか?」
「これはビューラーといいます。普通に誰でも使っているものです」
「ひええええええええ。こんな恐ろしげなものをみなさんお使いなのですか?」

恐かったっす。
まつげが抜けると思いました。
ビューラーでまつげをぐぐっと上げ、マスカラをつけたら、少女漫画みたいにまつげが上を向きました。
ひえええええ、少女漫画みたーい。
みんなこんなことをして街を歩いているっていうわけ?
すっぴんで街を歩いている私がバカみたいじゃん。
みんな、詐欺だよー。こんな風にみんな顔を作っているわけ? ずるーい!

という感じでした。
美容院で最後に聞かれました。
「化粧落とし、持っておられます?」
「はあ……日焼け止めを落とす用のクレンジングが家にあります」

その瞬間、みんながほっとしているのが見て分かりました。
美容院のみなさま、お疲れ様でした。

クラシック名曲鑑賞同好会の会長だったってさ。

「夜回り先生」の水谷さんから電話。自宅でクリスマスイブを迎えているらしい。
「明日はピアノの発表会なんですよ。シューベルト即興曲を弾くんです」と伝えたら、水谷さんは「あれですか?」とop.90-4を口ずさみ始めた。

ご名答、と答えると、
「あの曲、僕も好きなんですよ」

それから、水谷さんはいきなり意外な過去を披露しはじめた。
「実は僕は高校生の時、クラシック名曲鑑賞同好会の会長だったんですよ。あの頃は、学校にしかステレオなんてなかったですからね。古いクラシックなら今でも指揮者が誰か言い当てられると思うな」
学生運動の傍ら、そんなこともやっていたとは……。

そんな水谷さんが一人のピアニストの名を挙げた。
「ディヌ・リパッティって知ってますか?」
ごめん、知らないよ。
「若くして白血病で死んだんですが、死ぬ直前の演奏会はもう、すさまじいものがあります。タッチも弱々しく、演奏状態も決してよくないのに、彼のショパンには不思議な力がありましてね。指がまさに神だった。絶対に聴いてみて」

電話を切った後、すぐ、図書館で予約した。
アマゾンでCDの存在もちゃんと確認したけど、すぐには買わず、まずは借りて自分の耳で確認するのが私のやり方。
誰が言ったことであっても、どんなささいなことでも、まずは自分の五感で確認し、咀嚼するのって、誰かとの距離をきちんと保つために、私が私であるために、結構大事だったりする。
特にエネルギーの大きな人と付き合う時は、よっぽどしっかり自分の足で立っていないと巻き込まれる。巻き込まれると、こっちもしんどいが、相手も結構しんどかったりするもんだから。

クリスマスケーキと発熱と。

今夜食べたブッシュ・ド・ノエル。
ロールケーキの中のクリームはバタークリーム。
外側は生クリームとチョコ。
カロリーすごいぞ。

後日、ワインにつまみにするため、大量のカキのオイル漬けも作った。
この時に出たカキの出汁で今夜のクリスマス夕飯用にクラムチャウダーを作った(ただし、カキ本体はいれず)。
鶏はさすがにスタッフィングする根性はなく、骨付きのをデロンギのオーブンで焼いた。うまい。

しかしワインはぐっと我慢。
飲んだら弾くな、弾くなら飲むな、だから。
でも体がだるい。もう1週間くらい微熱が出たり、収まったりが続いているが、今夜も発熱。
咳、鼻水。

風邪が猛威を振るっています。みなさまもお気を付けて。

ブッシュ・ド・ノエル、完成へ

ピアノ発表会前日。
夫は仕事だし、息子を野球の練習に追い出して、一人で数時間、集中的に練習するはずだったのだが……。
息子が突然、嘔吐風邪にかかり(なんと同じクラスで私が知るだけでもすでに6人が嘔吐済み。すごい感染力だ!)、野球練習に行けなくなったせいで、すでに練習計画は破綻。

そういえば今日はクリスマスイブだったなぁ。
重い腰を上げて、親子2人でブッシュ・ド・ノエル作りをしてみました。

1年にもなれば結構働き手になるので1人で作るよりラクチン。
とりあえず、スポンジ焼いて、ココアバタークリーム作って、ケーキを巻いて冷蔵庫へ、というところまで終了。あとは生クリームとチョコを買ってきて、外側を仕上げれば完成。

「母ちゃんのピアノ発表会前夜だし、父ちゃんも家にいないから、クリスマスパーティーは発表会の後にしようね」と宣言してきたんだけど、ケーキを焼いちまったら、気分も盛り上がってきたし、ええい、この際、丸ごとターキーにスタッフィングして焼いちゃうか?
でも、料理に力いれたら最後、絶対にワイン飲んじゃうよな。

飲んだら弾くな、弾くなら飲むな。
ピアノは酔っては弾けません。

パンストの色は黒

あさってのピアノ発表会に向け、今日は先生のレッスン室でリハーサル。
先生には「当日の衣装を着てきてください!」と言われたので、クソ寒いのに肩出しドレスを着て出かけたのだった。
歳のせいか、下半身が冷えるので、「当日はパンスト履くにしても、本日は厚手のタイツにいたしましょー」ってな感じでタイツ着用。
パンプスに厚手のタイツはいかにもおばさんちっくだったけど、ま、いいよな。

で、リハーサルには私を含め4人の大人の生徒さんが参加。
行ってみてビックリ。みん衣装など着てないのだった。
頭に大きなはてなマークをつけた私に、木曽センセが「ははは、まあまあまあ。おぐにさん、大変身ですねー」
なるほど、理解した。木曽センセ、普段はすっぴん、ジーンズにフリース姿で登場し、スリッパを脱ぎ散らかして弾く私に、「当日は本当に大丈夫かしら」とものすごく不安だったんだろう。
(↑ 夏には素足で登場し、スリッパを脱ぎ散らかしてピアノを弾く私に、木曽センセはすごく言いにくそうに、「おぐにさん、靴下をはいてきていただけますか?」とおっしゃったのだったよなぁ)。

まあ、どうせリハーサルするなら、本番通りやって、緊張しまくるにこしたことはないさ、と腹をくくった。みなさん冬のお出かけ着、という出で立ちの中で、ひとり、肩だして、アクセサリーばっちりつけて弾いてきたぜ。ぜいぜいぜい。

しかし緊張というのは恐いものだな。指が震えるほど緊張はしなかったけど、やはり手首や腕がすごく固くなって、微妙なコントロールが効かない。腕の重さや上半身の体重を指にかけていきたいのに、腕が固まっていて指に重みが伝わらない。深みのある音が思っている以上に出ないのだった。
まっずー。
ミスタッチはいつものことだから、これはもうあきらめるとして、むしろ全体的に薄っぺらな演奏になっていやしないか、そっちのほうが不安。

ほかの人の演奏を聴くのはとても楽しかった。なにしろ、特に4人のうち2人の男女はそもそも弾く曲の難易度が違う。女性が弾くショパンの「華麗なる大ポロネーズop.22」は本当に「華麗」だったし、男性のほうのムソルグスキー「展覧会の絵」からの何曲かは、すごい迫力なのでした。
間近に見られて超ラッキ〜って感じ。

ところで、エントリーのタイトル「パンストの色は黒」って何かというと……。
木曽センセ、私のださーーーい葬式用黒のフォーマルパンプスは、それはそれで仕方なし、と踏んだようで、次に、「おぐにさん、パンストはそれをお履きになるのですか?」と恐る恐る聞いてきたのだった。以下その会話。

あたし「いえ。今日は寒いからタイツ履いてきました。本番はパンスト履くからご安心を」
センセ「で、お色は何色を?」
あたし「肌色とかでいいかなあ、と」
センセ「うーん……。肌色もいいですが、ドレスも落ち着いた色ですし、靴も黒なら、薄手の黒はいかがでしょう?」
あたし「黒? 了解了解。何でも言うとおりにしますよ、ここまできたら。でも、薄い黒色ってよくわかんない。灰色ってこと?」
センセ「いえ。素材がもっと薄いもので、ってことで」
あたし「あ、タイツはやめて、ちゃんとパンストにしてね、ってことですよね?」
センセ「………まあ、そういうことです。うふふ」

しかし。なんというかあれだな。
東京芸大出たピアノの先生に、パンストの色まで教えてもらわねばならない39歳ってどうよ?
木曽センセ、ごめんね。
私、頑張って弾くからさ。
「なんだかんだ、おぐにさんの指導は大変だったけど、振り返ればドタバタも楽しかったはねえ。うふふ」と最後は笑顔にして差し上げますので、どうかどうか許してね。

ここへ来て、あまり緊張しなくなっています。
数日前まで、発表会が心配で寝られないほどだったのにねえ。
何というか、もう、出られるだけでありがたい、そんな気持ちになっております。

ピアノを教えてくださった木曽センセ。
ドレスを貸してくれた友人。メールで事細かにアクセサリーや髪型について助言をくれた友人。レッスンのたびに留守番してくれた夫と息子。近所でカワイのピアノを貸してくださり、呼吸法について教えてくれた宮田センセ。いつも励ましてくれる近所のママ友だちたち。
たくさんの人の協力がなくては、どうせ、ここまで来られなかったんだから。
あさっての発表会当日だって、もし、息子の嘔吐と発熱がこのまま治らなかったら、家族に犠牲をしいてまでピアノを弾きに行くことになるんだから。

そう思ったら、もう、失敗しようと、どうなろうと、ただ、心をこめてひいて、その時間を大事に過ごそう、という境地に至り始めているのでありました。
(なーんて言ってて、本番直前、悟りとは無縁の境地で「きゃあああ、助けてー」と叫んでいるような気もするんだけどね。まあその時はその時ということで)

「吉岡秀隆さん離婚」の報に思う

「吉岡秀隆さん離婚」の報は昨日聞いた。一度でも直接出会った相手がプライベートでしんどい思いをする、というのは、それだけで胸が痛むもんだ。
プライベートを大事にすることが身上で、インタビューでも一切その手の取材だけは受けないことを表明していた彼が、また、マスコミにしばらく追っかけられるんだろう。
有名人であろうとなかろうと、離婚は結婚の100倍、あるいは1000倍もエネルギーがいるもんだと思う。大丈夫かなあ。

離婚報道がきっかけだろうけど、その絡みでこのブログを再訪する人が今日はパラパラいらっしゃるようで。過去のインタビュー記事など、まとめてリンクを張っておきますが、肝心の連載インタビュー記事はすでに毎日新聞のサイトから消えているようです。

11月11日のエントリー「吉岡秀隆さんの連載インタビュー」
 毎日新聞夕刊(11月7〜10日付夕刊の二面)に4回連載したインタビュー記事へのリンク。

★11月12日のエントリー「人は会ってみなければわからない」
 吉岡秀隆さんに出会った時の印象など。

ピアノはみんな生きている

ピアノの発表会まであと3日だ。

一番最近、松尾ホールのスタジオCで練習した時、あれれ、と思ったことがある。
これまでなぜかこのピアノで弾くと音がきれいに入らない、抜けてしまう、と苦しみまくってきたのが、突然、はっきりと粒がそろって弾けるようになっていたから。
うっふっふ。練習の賜(たまもの)ね、と最初は思ったんだけどさ。

さらに弾いていると、音まで違うことに気付いた。
高音部分の音がめちゃめちゃ大きく響くのだ。
クレッシェンドをかけても今ひとつ盛り上がりにかけていた私の凡庸なピアノが、妙に迫力を持ってしまったのである。
あれれ、どうなってるんだろう。

とりあえず、とても気分よく弾いた後、松尾スタジオの担当の方に聞いてみた。
「もしかして、スタジオCのピアノを変えたりしました?」
実は違った。ピアノは同じ。ただし、高音部のハンマーを総取っ替えしたんだそうだ。
「かなりすり減っていたので。だから随分と響くでしょ? あの狭いスタジオの中ではもうちょっと響きを抑えるよう調整したいのだけど、あとはみなさんで弾いていただいてるうちに、音も落ち着いてくると思いますよ」だそうでした。

すごいなあ。
ピアノってメーカーが同じでも1台1台音が違う。

ヤマハなんかはまだ比較的安定している気がするけど、ピアノを習っている木曽センセの練習室で弾いたスタンウェイはまた全然違う響きだった。近所で借りているスタジオには2台のカワイのグランドがあるけど、これまた2台で全然音が違うのだった。
そうこうするうちに、音色や響きの違いがそれほど恐くなくなってきた。
発表会で弾くことになる松尾ホールのピアノはさて、どんな具合なんだろう。
当日のリハーサルは「1人3分」。
私なんかは「ええええ! 3分だけ〜?」と泣いているんだけど、中には音大受験生であえてリハーサルをしない高校生もいるそうだ。「試験本番やコンクールにリハーサルはありませんから」ということらしい。

くぅ〜。憎いねえ。言ってみたいよ、そんな一言。
うそうそ、どんなに見栄張っても、そんな一言、私は言えませんです。

おでん爆発の巻

体調悪いし、風邪治らないし、寒いし。
ということで、今夜はおでんにしてみた。
明日から休日3日間、料理に立たなくても延々と食べられるように、と大量に作ったのだった。
おなべに思い切りいっぱい。

30分煮込んだところで気付いた。
あ、練り物ってさ、膨らむんだったよな。
今、鍋を見たら………ちくわぶが膨張し、鍋からあふれそうだった。
ひえええええ、恐い。
どうやって食べよう。

三木睦子さんのインタビュー記事

三木武夫元首相の妻、睦子さんのインタビュー記事を書きました。
毎日新聞の夕刊編集部が年末年始に掲載している企画「貫く」の3回目。
「不戦の心」です。

昔の人のちゃんとした美しい日本語と、
それでいて茶目っ気たっぷりの毒舌と。
このアンバランスが不思議な魅力なんですよね。
「いつか陶芸をやりたいなあ」と思いつつ、さすがに時間がなくて手を出せずにいる私ですが、「あら、わたくしが陶芸を始めたのは60歳からよ」と励ましていただいちゃいました。

こうして、ますます、年を重ねるのが楽しみになっていくのよね。

地域安全マップ、って知ってる?

子どもが被害者になる事件が相次いでいることもあって、こんな記事を書きました。
数週間前、「取材した3本の記事が次々ボツになっちゃった〜」と悲鳴を上げておりましたが、セイコガニ記事とともに、どうにか復活した1本であります。

「子どもが作る地域安全マップ」

最初は、マップ作りを推奨する立正大の小宮信夫助教授(犯罪社会学)のインタビューを考えていたのだけど、実際にマップ作りの現場に立ち会わせてもらったら、「ぜひ、我が地域の小学校でもこんな授業ができればいいのに!」と心底思ったのでした。
で、読者の方々にも、ぜひマップ作りの授業風景が具体的に伝わるような記事を届けたいなあ、と。それが今回の記事です。

学校で授業をしてもらうのはちょっと大変そうだけど、近所の子どもたちを集めて息子も含め、一緒に通学路を歩いてみるのもいいかなあ、と思ったりしています。

あすから弁当だったのだ……

息子は明日終業式だそうだ。
ふと気付いた。あれれ、給食ってもうないの?
がびーん。明日から弁当かい?

米は冬だから今夜炊いたので良いだろう。
卵とウインナーとプチトマトはあるぞ。デザートにはリンゴとキウィがある。よしよし。
あ、でも、ほうれん草もブロッコリーも、緑の野菜がなんにもなーい!!
あちゃー。これは大ピンチ!

ピアノ発表会に向けた一連のドタバタ

あまりに愚かで情けない話なので、できれば書かないですまそうと思っていたんだけど、ちょっと酔った勢いで書いてしまおう。何かというと、ピアノ発表会に向けたドタバタ話です。
それもピアノ自体の話ではなく、衣装、という問題なのさ。

とりあえず、黒のおとなしめで丈も長めのワンピースでも買って、適当に真珠のネックレスでも着けてごまかそーという方針を立てたのが数週間前。「えええええ! 黒なんですか? 男性陣は全員黒のスーツだし、別の女性も黒のドレス、って言ってるから、おぐにさんは別の色にこの際挑戦してくださいよー」と罪なき我らが木曽センセ(ピアノの先生)から言われたのがその数日後のこと。

「例えば真っ赤とか」と木曽センセ。
「冗談ですか?」と私。
「じゃあ、ダークブルーとか。似合いますよ、きっと」と木曽センセ。
「死ぬまでに1度しか着ないかも……」と私。

そんなトホホな会話をした日、私は友人(正確に言えば、私の夫の大学時代の友人の妻)と久しぶりに再会したのだった。ちょっとした飲み会があったんだけどね。日頃はキャンプでしか会ってない彼女、実はとてもオシャレな人なのです。
私は彼女に会うまで、テレビの「ピーコのファッションチェック」はやらせと仕込みオンリーだと信じてきたんだけど、彼女に出会ってそうではないと知りました。なぜって彼女、それに出てるんだもの。子連れで、表参道で、声を掛けられたんだそうな。
その彼女、私の格好を見て一言。

「あやこさんって、街着も、キャンプの時の服も、まったく同じなんですねー」

ははは。ちなみにその時の格好は、ジーンズにモノトーンの地味なカットソー。
よせばいいのに、つい私、言っちゃいました。
「実は昨日、同じ格好で職場に出勤もしたんだけどねー」

そう。私のファッションは、「出勤服=街着=キャンプ服」なのです。

話を元に戻すと、そうそう、ピアノの発表会。私は彼女に相談したのでした。そしたら「あやこさん、私のドレス、着てくださいよー」。
数日後には、4着のドレスが届きました。水色のフワフワ系ドレス。黒に白の水玉のおとなしめドレス。黒のスケスケドレス。そして、ビーズがあちこちに施されたえんじ色のドレス。
水色のドレスを試着した時の姿を、物笑いの種に見せてあげたいよ、まったく。

鏡を見たときに、あれれ、何かに似てるなー、と思った。よくよく考えると、ほら、遊園地なんかで、忍者やキャラクターの顔だけくりぬいたベニヤ板のはりぼてってあるじゃない? 妙に顔だけ浮いている。化粧をしていないせいだろうか。顔だけ、貧相で、地味。
ああああああああ。(落ち込む時の音)。

木曽先生の「黒はやめてね」の呪縛の結果、ビーズのえんじ色ドレスに決定。ぱちぱちぱちぱち。
ほんと、このお友達に感謝。
彼女はバブル時代、お立ち台で扇子振って踊っていたというし、2児の母でありながら今なお合コンの現役選手で、この前なんて、合コンでいきなり偶然、夫の部下と会っちゃったそうだ。す、すごすぎる。
一方、私はといえば、バブル時代、学生運動の残る大学寮で、ドテラ姿でゴロゴロし、コタツの中で納豆を手作りしては部屋中納豆臭をまき散らしていたわけで。
ほんと、大人になってよかったなあ、子どもを産んでよかったなあ、と思うのは、社会に出て、子どもを産んでそれぞれに世界が広がった分、それまで付き合ったことのないようなおもしろい友だちに出会えることが増えたこと。
同類を懸命に探しては、必死でくっついたり、あるいは同類のような顔を必死で維持していた中学生時代の私に、「これこれ、世界はもっと柔らかで、おもしろいよ」と教えてやりたいっす。

で、話を戻すと、そうそう、ドレス。えんじ色に決定したところまで話したのよね。
しかしっ。
着てみてビックリ。胸も背中もドーーーーーーーーーーーン!と開いてるわけよ。
とりあえず、10年前に結婚式でウェディングドレスの下に着た下着というのを取り出して着てみたが、なんというか、ああ、ボンレスハム。
おまけに、ドレスの胸元や背中からしっかり下着が見えている。あかんわ、これ。
結局、ドレスの持ち主の友人の助言を得て、肩の部分で10センチほど縮めることでどうにか解決。

さて、お次は……。
ドレスを試着したのを適当に写真に撮って、別の友人にメールで「ヘルプミー」。
ちなみにこちらの彼女は、ファッションオンチの私に世界の広さを伝えるために、なんと私を美術館のようにも見える表参道のコムデギャルソンに連れて行き、あまりの場違い感から冷や汗で前身びっしょりの私にあれこれ服を合わせては、店員さんの前で「やっぱりおぐにはコムデギャルソンが似合う!」と叫び、私を卒倒させそうになった人なのですが。
彼女に今回はアクセサリーと髪型についての助言を求めました。

彼女曰く、「胸開きドレス。そして横顔勝負のピアノ発表会となると、アクセサリーはまずイヤリングでしょう」。
そ、そうなんですか?
「長く垂れ下がって遠目にキラキラするものを選び、ネックレスはそれにあわせてそれほど派手でないものを。冒険するなら、叶姉妹が胸元につけているキラキラ光るパウダーを二の腕と胸元につけてみたら?」
彼女は私のファッションレベルをよーーーーく熟知しているので、ちゃんと、アクセサリーやパウダーがどういう店に売っているのか、具体名を挙げて説明してくれたのでありました。
ほんと感謝。

このように、私の周囲には「マイフェアレディ」張りに、どうしようもない私をどうにか美しくしてやろう、と知恵を絞ってくださる貴重な友人が何人もいるわけです。
着物の時は着物の時で、「ふええええん」と泣きつくと、いっぱい知恵をくれる賢人たちがいるのです。そのわりに、ちっとも進歩しない私なんだけどねー。

ということで、アクセサリー、買ってきたわよ。
ついでに、キラキラパウダーも買ってきたわよ。
アクセサリー売り場とかさ、化粧品売り場とかさ、もう、香水臭くてそれだけで冷や汗が全身から噴き出して、いやだいやだいやだいやだ、もうこんなところにいたくない……と思うけれども、ピアノのためだから、とぐっと歯を食いしばり、適当に買った後、そそくさと逃げ出したのでした。
ぜいぜいぜいぜい。
神さま、お願い。私、ファッションとか着る服とかアクセサリーとか、何も考えずにただジーンズ姿でピアノを弾いていたいの……。ぐっすん。

しかし、私、ほんとにキラキラパウダーを胸元と二の腕に付けるのかねえ。
私の二の腕は見事な土方焼け。
胸元に色気ゼロ。
ちなみに私が買ったキラキラパウダーは、グランサンボンのグランデコルデEX限定色104。
日頃、化粧すらしない私だから、もう、二度と使わないだろうな。

だめだめだめだめ。
こんなことしてるヒマがあったら、ピアノの練習しろー!>じぶん。

テレビドラマ「クライマーズハイ」を夫婦で見る

週末夜中、DVDに録りためたNHKのテレビドラマ「クライマーズハイ」(原作・横山秀夫)の前後編を一気に見た。
新聞記者夫婦で見ると、夫婦双方、テレビ画面に吠えまくりでウルサイウルサイ。

職場に着いた途端、オヤジスリッパに履き替える記者とか、共同通信のピーコに職場がざわつく感じとか、1本の電話の情報で記者がとにかく立ち上がり、まずはとりあえず走る(特に何をすればいいか分かってない新人は特に、とりあえず、その辺を走り回っていないと、「反応が悪いヤツ」と言われるのでね)シーンとか、山本リンダの替え歌を酔っぱらって歌いまくる事件記者とか、いちいちリアルで、職場描写のリアルな点を探しているうちに、本筋を終えなくなったほど。

原作本を読んだ時にも夫婦で話し合った点だけど、やっぱりドラマの山場でもあった「事故原因の特ダネを打つか、打つまいか」のシーンでは、夫婦で「打つだろ、普通」「ここは当然飛び降りるべし!」「そもそも、事故調の報告書なんてずっと先なんだから、打っちゃえ打っちゃえ」と画面に叫びまくり、主人公・悠木が「打たない」判断をすると、「あー、サイテー」「こういう上司、一番困るよね」などと罵詈雑言の嵐。

原作本はもう、すばらしかったのだけど、テレビドラマはちょっと印象が違いました。
なんというか、主人公・悠木に対して共感できない点が多すぎました。特ダネを打つか打たないか、というだけの問題ではなく、

・上司に意見をする時に、落としどころも相手の逃げ道も考えず、つっかかる。
・上司にも、部下に対しても、余計で不用意な一言が多い。
・一方、部下への説明不足から、下からの理解も得られない局面が多い。
・気分にむらがあり、変なところで人間的。つまり安定感に欠ける。

こういうところがすごく鼻について、「こんな上司が実際にいたら、私、いやだわ」と思ってしまった。
原作本では、ひたすら悠木の気持ちに寄り添えたのになあ。
たぶん、テレビの悠木に感じた反発の理由は2つあると思う。

1つは、文字情報ではなく映像として新聞社内の描写を見せられ、それがあまりにリアルだったために、原作本を読む時より「こんな上司が実際に私の近くにいたら……」とより強く現実的に考えずにいられなくなってしまったため。人間として魅力的でも、上司(あるいは同僚、部下)としては困る、ってことは多々あるのです。

もう一つの理由(たぶんこっちのほうがメインだろう)は、やっぱり、人間を描くという点で、テレビドラマは1冊の本の情報量にかなわなかったんだろう、ということ。
本では公私にわたる悠木の迷いや不安や恐れや高揚があますところなく表現されていて、だから、「記者悠木」や「上司悠木」である前に、「人間悠木」の魅力がストレートに胸に響いた。
でも、ドラマでは悠木を描ききれなかったんだろうな。組織やら、組織内の男の嫉妬やら、事故の筋書きやら、親子関係やら、全部盛り込みすぎたせいで、「人間悠木」がどうしてああいう男にならざるをえなかったかを、きちんと伝わってこなかった。
裏を返せば、それだけ、原作本の完成度が高かったってことなんだろう。

一方、前後編を見終わってやたら印象に残ったのは、ホルモン焼き屋のシーンでの「社会部長」役の岸部一徳さん。たった一つのセリフで、彼が地方紙の社会部を担う立場として背負って来たもの、こらえてきたもの、自負、そんなものが全部鮮やかに見えて、驚いた。
あと、投稿欄担当デスクが、自分の仕事に感じている自負と責任。セリフは少なかったけど、それでも人生が伝わってきた。

見終わったら、声が枯れていた。(テレビを見る前に、息子の少年野球チームの忘年会があって、そこで大騒ぎしたせいかもしれないけど)。
どうも、叫びすぎたようだ。

★ニッポンの単身赴任(著・重松清)

★ニッポンの単身赴任(著・重松清)

転勤族の息子さんだった重松清さんの手による、北海道から上海、南極までの単身赴任20人のルポルタージュ。
まず、単身赴任がどうとかいう以前に、この手の重松さんの文章を読むとしみじみ、新聞社の軟派原稿を連想してしまって、「私ならどう書くだろう」とか考えてしまうから、気疲れする。
特に、私が今所属している部署は、新聞の中ではめずらしく長めのルポルタージュを書くことが多いので、余計に、似たような仕事に見えるんだろう。

新聞とちょっと違うなあ、と思ったのは、あちこちにこんな文章が登場すること。

(例えば、単身赴任の仲間を募って「青春再び!」みたいなイベントを主宰している単身赴任パパを描いた章の中で……)
 仲間をつなげる前向きな牋媚岫瓩、万が一息切れしてしまったときは、どうなるのだろう。
 そんな思いも、頭の隅をちらりとよぎる。
 だが、それを突き詰めて問うのは、やめよう−−と思った。薫風に吹かれて呑むビールは薄暗い酒場で呑むよりもずっと美味くて、みちのくの五月の空は抜けるように青い
。(後略)

「ちらりとよぎる」思いを、突き詰めて問うのは「やめよう」と重松さんは書く。
こんな風に、心に沸いた問いをあえてかみ殺した、というようなシーンがいくつかこの本には出てくる。
新聞記者なら、ここでとりあえず、取材相手に問う。
問うて、帰ってきた答を書く。そんな風にして取材相手の人となりを描こうとする。

もちろん時には、どうしても問えない時もある。
その場合は、「疑問がよぎった」ことを自体を記事中に書かないことが多いし、もしも重松さんのように「よぎった疑問をあえて問わなかった」と書くなら、それ相応の、かなり重いを書き添えることになる。
例えば、それを問うことで、相手をものすごく深く深く傷つけてしまうような時。

「記者はどうしてもその問いを口にすることができなかった」

と書くことで、取材相手の心の傷の深さを表現する、というようなことはある。
でも「ビールの味」やら「五月の空の青さ」を理由に、問わない選択をすることはありえない。説得力がないし、少なくとも、記者仲間は「おいおい、おまえ記者だろ、もっと突っ込んで聞けよ」と突っ込みを入れるだろうな。

なーんて、単身赴任と全然違うことをあれこれと考えてしまうから、時に重松さんのルポルタージュを読むのはツライ。
ちょうど半分くらい読んだところで、「20人分の話を1冊の本で延々と読むのはつらいな」と思い、やめてしまいました。

重松清さんの単身赴任ルポって、「単身赴任先から家族のことを思い、凹まず、久しぶりの一人暮らしの孤独と、それから第二の青春を謳歌したりもしながら、頑張るニッポンの父ちゃんの泣き笑い」という基本トーンに貫かれていて、なんだかなー。
もちろん、実は私が記事を書いている新聞の欄も、比較的、オジサンがメインターゲットだから、「サラリーマンのトホホ泣き笑い」的記事は私自身も結構量産してきたとは思う。

でもな。
私の周辺を見渡すと、働く女性は「単身赴任」してない。
子連れで転勤するから。
いや、一人だけ、妻が単身赴任した知人がいたっけ。
でも、それは夫と夫の両親が同じマンションに住んでいて、日頃からほとんどじいちゃんばあちゃんに子育てはおまかせ、というケースだった。

自宅の夫に子育てを任せ、自分は遠くの地から常に家族をいとおしく思いつつ、凹まず、久しぶりの一人暮らしと青春を謳歌している女性がいたら、間違いない、世間は言うさ。
「いいわねえ、ご主人、理解のある男性で」って。

んあことを考えるもんだから、「ニッポンの父ちゃん応援歌」みたいな本に、素直に共感できないのよね。

★ディープ・スロート 大統領を葬った男(著・ボブウッドワード)

★ディープ・スロート 大統領を葬った男(著・ボブウッドワード)

ウォーターゲート事件について下調べしてから読まないと、一瞬、事件概要を忘れちゃってるとついていけない話もあるので要注意。
この本は表紙を開いたその瞬間に、まず、ひるんでしまった。
最初に「主な登場人物」のリスト。ここに40人以上の似たような名前が並んでるのをみて、しみじみ、「ああ、だから私は優秀な調査報道記者にはなりえなかったんだ」と痛感する。ぜったいにこんな煩雑な人間関係、覚えられないもの。
事件報道でも調査報道でも、事件の深層をきちんと把握するために記者はチャートを書く。主要な人物を図示し、その間に金の流れやら関与の存在の有無を書き込んでいく。事件が複雑になれば、チャートはとんでもなく複雑になる。例えば、どれだけの情報を得たとしても、私にはイトマン事件やリクルート事件のチャートなんて一生書けないだろう。
そんなことを考えながら、トホホな気分で本を読んでみた。

それにしても。
「ネタ元」を守ること。だけれども常に「書く」という方向を向き続けること。特ダネを取ること。
ものすごく誠実で、でも下心たっぷりで、なんとか相手を利用したいと思っていて、守りたいとも思っていて、気付けば同じ事件の渦中でともに伴走しているような気持ちにすらなって、でもある時、そんなのまやかしだと思い知らされ、負けたり、勝ったりしながら、時には怒鳴られたり、怒鳴ったり、取引したり、交換条件をつけたり……そういう極めて打算的でありながら、打算だけではわりきれない、時に泣き出しそうになってしまうほどの情のようなものも育まれてしまったりする、フシギな刑事さんたちとの関係を、思わずふっと思い出したりしてしまった。
私はなんともできの悪い事件記者でしたが。

一番ウッドワードが人間的に思えたのは、一連の報道がピュリッツァー賞を取った後、何十年間も、ネタもとの「ディープスロート」が自分や報道についてどう考えているのか、なぜ協力してくれたのかを気にしながら、すっかり関係が切れたまま、自分から連絡を取ることができなかった、という経緯を読んだ時だった。
ネタ元を最後の最後まで守るためには、下手に自分から声をかけないほうがいい、というのはたぶん、自分への言い訳だ。
でも、20年以上も、心のトゲであり続けたところが、私には妙にリアルで、そうだよなあ、と思ってしまったのだった。

ディープスロートと再会してからの、ウッドワードなりの解釈はとりあえず、自分の都合に沿った筋書きって感じ。再会シーンはとてもスリリングでしたが。

ウッドワードは何度も「すべてを公表したら、彼は大統領を葬った男として英雄視されるだろう」という期待なんかも書いているけど、私はついつい、「正直に書けよ。違うでしょ。彼が公表し、英雄視されたり、世間を驚かしたりしてくれれば、自分もネタもとを守り続けるというくさびから解かれ、以前の著書には書き尽くせなかった暴露話を全部洗いざらい書いてしまえるから、それを望んでいるんでしょーが!」と思ってしまった。

でも、決して、イヤな気持ちでそう思ったわけではない。
常に「書く」方向を向いているのは、記者の習性だもの。

大きな病気を告知された瞬間、いつか書けるように、と頭で文章をひねりだした、という知人がいる。古い個人的な手紙を手元に残すかどうかの判断をするのに、「いつかこれを本に書くことがあるかどうか」という価値基準で取捨選択する(これは私もそうだ。実際、「いいじゃない いいんだよ」を書くのに、高校時代の男友だちからもらった手紙の束は大変役立った)。
どんなイヤなこと、ショックなことがあっても、すぐに頭の中で原稿体にしてしまうこの習性。ネタもとや取材相手を守るために、公表を待つことはあっても、「いつか書くぞ」と心では思い続けてしまうしつこさ。
どうしようもないよね、これだけは。

一つの発見は、ウッドワード氏がはじめて「ディープ・スロート」なる情報提供者に出会ったのは、新聞社に入社する前だった、ということ。
よく、マスコミ志望の若い人に「学生時代から勝負は始まってるよー。いろいろな人と出会っておくこと。つながっておくこと。学生時代に知り合った相手は、記者として会うよりもずっと利害関係のないところからスタートできるから、仕事を始めると、本当に助けてもらえるんだよ」と話してきたし、しみじみそれを実感する日々ではあるけれど、まさか「ディープ・スロート」もそうだったとは。

★みんな一緒にバギーに乗って(著・川端裕人)

★みんな一緒にバギーに乗って(著・川端裕人)

先日読んで、とんでもなくはまった「今ここにいるぼくらは」(レビューはこちら)の著者、川端さんの本。新人の男性保育士さんを中心にした、保育現場での物語。いやはや。

子どもと一緒にきっかり6年間、雨の日も雪の日も保育園に通い続けた一人の母ちゃんとして、この本のあまりのリアリティーに驚がく。変な話だが、この著者の川端さん、間違いなく子どもがいて、実際にかなり主体的に育児に関わっていて、もしかしたら保育園や学童保育の役員経験なんかもあるのではないかいな?
(だってさ、あなた、本の最後の方なんて、保育園の民営化問題まで出てくるのよ〜。むちゃくちゃリアルすぎー!)
純粋に小説としてどちらが好きかと問われたら、「今ここにいるぼくらは」を推す。これは万人に推す。でも。「ほいくえん」とか「ちいちゃな運動靴」とかそういう言葉を目にするだけで、胸がぎゅっとわしづかみにされるような思い出や現実を抱えている人には、ぜひ、この本を読んでもらいたいな、と思った。

1歳、2歳の幼児がきれいに描き分けられ、さりげない眼差しの向こうに、彼らが抱えた家庭の重みまで透けて見える。主人公はあくまで保育士の側なのに、あるいは、保育士の側ゆえに、かもしれないけれど、子どもたちの母ちゃんや父ちゃんが、それぞれに必死で、子どもを愛してない親がいるわけはなく、だけれども、思いが空振りしたり、忙しさに追われたり、後ろめたさを引きずったり、言葉でなんともならない部分をどう埋めてよいのかわからず、とまどったり、いら立ったりする姿が見事に描かれていて、私は何度も身につまされた。

特に3章の「コロチュ」。2歳児の子が「コロチュ」と言いながら蟻を踏みにじるところから始まる保育園の泣き笑い。新人男性保育士が思わず子どもたちに必死で語りかけるシーンで、不覚にも泣いてしまった。そして、エンディングで、実はこの「コロチュ」という言葉もまた不器用な愛に満ちた言葉だったということが分かるシーンで、また涙。
「家族には、親子には、それから保育士にも、いろいろなありようがあっていいんだよね」という優しい視線に貫かれている本です。

著者のプロフィールを見たら、ブログを開設していおられることが判明。
リヴァイアサン 日々のわざ」。
ちらりと見ると、カテゴリーに「保育園、小学校、育児やら教育やら」というのがあるではないか!
これは読まねば!
ちょっと年末仕事が立て込んでるので、後のお楽しみ、としますが。

東京でも、こんな偶然はあるのだよ。

先週土曜日、とあるパーティーに自著5冊を持参し、販売させてもらって帰って来たのだけれど。
(具体的には、「ベイビーパッカーでいこう」2冊、「魂の声 リストカットの少女たち」2冊、「いいじゃない、いいんだよ 大人になりたくない君へ」1冊)。

ところが。
翌日、すごく久しぶりの人からメールが……。
「ベイビーパッカーでいこう」を担当してくださった編集者さんからでした。

なんと、土曜日の夜、地下鉄に乗っていたら、目の前に座った女性がおもむろに「ベイビーパッカーでいこう」を取り出し、読み始めたので、あまりに仰天し、思わず、「そ、それ、お買いになったのですか?」と声を掛けてしまった、んだそうです。

つまり、パーティーで本を買ってくださった友人が、偶然、その本を編集した男性の目の前の座席に座った、というわけ。
大都会東京でも、あるんだなぁ、こういう偶然。
友だちによると、「電車から降りるまで、編集者さんと結局ずっと話をしていたの」だそうで。

なんだかねえ。すっごく勇気が出たのでした。
だって、こんなびっくりするような偶然があるんだもの、また何か一つ、良い事が起こりそうじゃない?

半年以上ぶりに着物を着る

土曜日の夜にちょっとしたパーティーがありまして。
さて、何を着ようか、と開始4時間前に悩んだ挙げ句、そうだ、着物を着よう、となったわけです。
先日のエントリーでアップしたように、私、今年の1月からやたら着物にはまったことがあり、1〜4月まではほぼ毎晩着物で暮らしていたのです。
ふだんぎ着物なら15分程度で着付けられるようになっていたのですが……。

今回、久しぶりに着ようと思ったら、だめねえ、全然覚えていないの。
「まずは着物を着る前に化粧だわ」と気付いたのですが、普段化粧なんてしないものだから、化粧品を探し出すのに半時間。眉を描こうと思っても、ブラシを紛失し、仕方なく小指で眉を描くお粗末さ。
次に「うそつき」の襦袢を着ようと思ったら、あああああ、半えりを付けてない〜! 半えりの付け方なんてもう、忘れちゃったわよー状態で、頭真っ白。

着物を着始めたら着始めたで、あれれ、伊達締めっていつ締めるんだっけ、とか、左右のおはしょりの処理ってどうやるんだっけ、とか、お太鼓ってどう結んだっけ、とか、そもそも、帯締めの結び方、忘れちゃったよー(悲鳴)みたいな状態になってしまい……。

帯締めの結び方、結局分からず、帯留めでごかまして、結び目は帯の中に隠してしまったのでありました。

結局、なんと着付けに2時間。
やっぱり着物は日頃から着ることが大切なのねえ、と気付いた次第。
ちなみに本日の着物は、絣に織りの帯。ヤフオクで数千円で落札したものばかり。
夫曰く「江戸時代に奉公に出た子守みたいな着物だな」。
まあ、なんというか庶民的な着物が一番似合うのよね、私。ぐっすん。


PSIKO編集長に出会う

「日本初のサイコロジー・ジャーナル」なんだそうである。
創刊されたばかりのポプラ社「PSIKO」。
この前身に当たる旧PSIKO(冬樹社)の存在すら知らなかった私だから、あまり語る資格もないのですが……。

第一特集は「女と男のマッチングセオリー」。
いきなり、恋愛ですかー。実は、恋愛ほど興味のないテーマもないんですよね、私。

私がおもしろいと思ったのはむしろ、第二特集。「占いは心理学だ!」。
大学時代、「自分の心をもっと知りたい」「私って何なんだろう」と悩める「自分探し系」少女がわんさと臨床心理学コースに殺到し、授業ではまるで占いをするように喜々として心理テストを互いに試し合う姿を目の当たりにした私としては、「心理学人気は占い人気だ!」みたいな思いがずっとあったのです。
きっと、わざわざ創刊号に「占いは心理学だ!」と断定調でかましてきたのは、そういう背景を問題視しているからかなー、などと勝手に解釈していました。

がっ。
これについては、私の勘違い。実はまったく逆の話だったんです。
PSIKOの志村編集長さん曰く。
「欧米に比べ、日本ではカウンセリングや精神分析のしきいが高い。もしかしたら、日本では、占いこそが、欧米におけるカウンセリングのような役割を担っているのではないか。占いはカウンセリングと違って断定調で答を出してくれるから、カウンセリングよりもカタルシスを得られるのかも」

なるほどねえ。「心理学は占いだ!」ではなく「占いは心理学だ!」なわけですね。
占いブームの深層についての解釈、というわけです。

一方、第一特集の「女と男のマッチングセオリー」は、お金を払って読みたい記事ではありませんでした。人生のあらゆることに悩んできたわりには、恋愛に関してだけは悩みも渇望感もなく、つまりは、「この人好き」と思って相手に振り向いてもらえなかったのは高校1年生の時だけ、というような人生だったもんで、「マッチングセオリー」とか知りたいとも思わないし。
「最近受け身の男性が増えている!」と問題視するような内容の記事もありましたが、それこそ「ぐちゃぐちゃ考えず、取りあえず、攻めて攻めて攻めまくれ!」がモットーだったりする私にはどっちでもいい話だし。

でも、恋愛を第一特集に持ってきたあたり、「広く読者を獲得しよう」という意気込みは感じられますよね。それに、多くの女性読者が、雑誌を読んだ後、「私ってさぁ〜」と自分語りをしたくなるような記事に満ちていて、うまいなあ、という感じはしました。
ちなみに、編集部が想定する読者層は、「未婚・既婚に限らず、比較的不可分所得の多い30、40代の女性」だそうです。
もしかして、私、ど真ん中?

そうそう。志方編集長から聞いた話をもう一つ。
とある3種の接客業でトップセールスを誇る人たちが、そろいもそろって「対人恐怖が強く、人付き合いができず、治療経験があるんです」と話した、という話。
この3人に共通するのは、「話し下手」だけど「聞き上手」であること。
色々な解釈が成立するエピソードだなあ、と感じました。

み、み、見た! 誕生の瞬間!

再び、シャケ誕生ネタ。
(数カ月前、アメリカンザリガニの卵が孵化した時も、ほとんど実況中継状態でエントリーをアップしまくったことがあったっけ……)

見てしまったのです〜。
シャケの卵が孵化する瞬間。

孵化する直前、白っぽかったイクラの一部がどんどんと赤く変わります。中ではさかんに稚魚がうねうねと身をくねらせようとして、イクラがぐらぐら揺れます。目玉がどんどん目立ち始めます。
イクラの表面を覆っていた白い薄い膜のようなものが破れ、赤く赤く色が変わった部分がちょんと顔をのぞかせます。
まだ白い膜の中で身体をまるめている稚魚は、必死で動いてこの膜から抜け出そうとします。長い長い時間、動き続け、ようやく自分から膜を破って、ピンと飛び出すのです。
まっすぐに伸びた1センチ強の稚魚のお腹には最初、まんまるいさっきまでのイクラ。
重いお腹を抱えてちっとも泳げない稚魚は、それでも必死で身体を動かし、少しでも水槽の底から身体を離して泳ごうと頑張ります。
そうこうするうちに、さっきまでまん丸だったはずのお腹のイクラが少しだけ小さくなっていく。

どれもこれも魚の本能なんだから、擬人化して勝手に感動するなんて、愚かだとよくわかってるけど。でもさ。感動だぜ、これ。
あと1時間以内に孵化しそうな卵があと2つある。
眠るべきか、起きて観察を続けるべきか。
もうすぐ午前2時。
悩ましいわ。

わずか数分なのに……

わずか数分なのに、さっき生まれたばっかりの稚魚のお腹が随分スリムになりました。