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記事259◆藤田まことさんの「おにぎり」の記事

■掲載年月日 2006年12月05日
■しあわせ食堂
■藤田まことさん「おにぎり」

 幼い日の、おにぎりの思い出なんて、実は一つもありません。戦中派の僕らの苦労といえば、全部食いもんの苦労だから。真っ白な米のおにぎりなんて、食べたこともなかったです。
 小学校3年まで東京に住んでました。近所のそば屋から、まず丼ものが消え、うどんが消え、最後にそばが消えて、店はのれんを畳みました。同じころ僕の家からも米がなくなった。少しの米に麦や芋を混ぜて炊いた時代だから、握ってもおにぎりみたいに固まらなかったんでしょうね。
 おにぎりの思い出は一つもないのに、戦死した兄貴に、今何を食べさせてやりたいか、と考えた時、真っ先に思いついたのがおにぎりでした。
 今年9月、沖縄の海に行ってきました。実は僕の兄貴は、あの海で戦死したんです。17歳の兄貴が乗った輸送船「江龍(こうりゅう)丸」は1944年10月10日、石垣島から沖縄本島へ向かう途中、米軍の爆撃を受けました。
 優しい人でした。兄に怒られたのは一度だけです。僕の実母は物心がつく前に死んで、小学生の時には新しいお母さんがやってきた。兄弟の中で僕だけが最後まで彼女に反発し続けたため、兄貴に「お母さん、と呼べ」とどつかれた。僕はそれでも絶対に「お母さん」と呼ばなかった。
 兄が志願兵として出征した後、姉から「おまえがお母さんに反発して家がむちゃくちゃになったから、お兄ちゃんは居づらくなって戦争に行ったんだ」と聞かされました。兄貴から最後のハガキが届いたのはその後でした。「お父(と)ぅさんとお母(か)ァさんの言ふ事を聞いてしっかり勉強して下さい」って。僕のことばかり心配した手紙でした。
 今もハガキを見るたび悔やむ。僕が新しいお母さんとうまくやれていたら、兄貴は戦争で死なずに済んだんじゃないか。なんで僕はあの時、「お母さん」と呼べなかったんだろう。
 兄貴が死んだ海に出る前に、沖縄の食堂で「何か食べ物を持っていこう」と。その時、最初に思いついたのが、おにぎりだったんです。食べたくても食べられなかった、真っ白な米のおにぎり。
 食堂の人には「中身に何も入れないで」と頼みました。サケやつくだ煮なんてぜいたく品が入っていたら、死んだ兄貴が「こんなおにぎり、見たことがない」と驚いてしまう気がしたから。
 2個のおにぎりのうち、僕が1個食べ、残り1個を海に投げました。「兄貴、ごめんな」って。沖縄の海をずっと気にしながら、忙しさにかまけたり、心の整理がつかなかったりして、来るまでに60年以上もかかってしまった。
 誰もが真っ白な米のおにぎりを食べられる国が一番なんです。国のお偉方も、核の議論より、おにぎりの議論をすればいいのにね。



 ■ごちそうさま
 私の「おにぎり」の思い出は、亡き母がご飯をおひつに移した後、釜に残ったご飯で小さく握ってくれたもの。今も泣きたいくらい懐かしい。だから藤田さんにも「幼い日の思い出」を尋ねた。「食べたことすらない」という返事にドキリとした。藤田さんにとって、おにぎりは「平和」の象徴なのだ。(おぐに)


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プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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