おぐにあやこの行った見た書いた

記事135◆紅葉の森で選挙を考えた、の記事

この10年くらいで最も悩み、苦しんで取材し、書いた記事の一つ。
大尊敬する上司が、選挙戦の最中に、こうのたまったのだった。
「おぐに。紅葉でも見に行ってこいや。紅葉の森でも歩いて、選挙のことを書いてくれや」

はぁ〜〜?
これほど悩んだ課題もありません。
で、こうなりました。


■掲載年月日 2003年11月07日
■紅葉の森を歩く 森の生命力がただまぶしい−−東京・奥多摩
■自殺、事件、不況…枯れていくかに見えるこの国で


 紅葉は、山から里へと下りてくる。街が色づくまで待ちきれず、一足先に山へ出かけた。選挙カーの騒がしい街を逃れ、登った先は東京・奥多摩の御前山(ごぜんやま)(1405メートル)。そこで紅葉の森と出合った。


 ■水の音、落葉の音

 水の音だ。

 思わず歩調を速める。登山道が沢筋から外れて十数分、木漏れ日の散る広葉樹林帯を縫うように、つづら折りの道を登り切ると、木々の向こうに水音の主が見えた。
 滝だ。
 
 「変化に富んだ森が楽しめ、紅葉が美しい山を」という私の注文に、奥多摩観光協会はこの御前山を選んでくれた。奥多摩駅からバスで約10分の奥多摩湖畔から「奥多摩体験の森」を経て、山頂を目指す。

 標高が1000メートルに近づいたころ、広葉樹林にカラマツが交じり始めた。金茶色の葉が青空によく映える。足を止めると、聞こえるのは鳥の声。それから枯れ葉が落ちる音。風が吹くと、カラマツの金茶色の細い葉が糸を引くように舞い落ちてくる。

 静かだ。1人で歩く森は、怖いほどに静かだ。

 ■選挙カ−

 街はあんなにも騒がしいのに、と思う。総選挙公示日の10月28日、東京に久しぶりの雨が降った。ぬれた街で選挙カーが叫んでいた。「有権者のみなさまの声を聞かせてください」。でも、選挙カーは叫ぶばかりで、通行人の声に耳を傾けているようには見えなかった。

 マニフェスト、政権選択、天下分け目の決戦……。評論家もマスコミもいつになく盛り上がるが、肝心の有権者はどうだろう。前哨戦として注目された同26日の参院埼玉補欠選挙の投票率は27・52%。これも現実だ。

 ■森の秘密

 カラマツの交じる雑木林は、不思議な森だった。普通、カラマツの人工林は、北原白秋も<からまつはさびしかりけり>とうたったように、寂しいほど整然とした美しさが特徴だ。ところが、御前山のカラマツは違う。広葉樹林の中で無秩序に、遠慮がちにポツリ、ポツリと伸びている。自生でもなさそうだ。

 いったい、この森は何?

 「奥多摩体験の森」の山田彰さんが教えてくれた。「森が昔の姿を取り戻しつつあるのです」
 日本の森が、天然の広葉樹林から針葉樹の人工林へと姿を変えたのは、昭和30年代にさかのぼる。空前絶後の木材需要を背景に、広葉樹の天然林は皆伐され、紙パルプの原料に消えた。代わりに、広葉樹より成長が速いスギやヒノキが植えられた。高地や寒冷地では寒さに強いカラマツがもてはやされた。
 供給不足から針葉樹の値段は高騰し、針葉樹の森は「宝の山」と思われた。しかしほどなく木材が輸入自由化され、安い外材が大量になだれ込んだ。収穫期を迎えた「宝の山」は収穫されぬまま放置されたり、伐採後に荒れ果てていった。

 御前山のカラマツもまた、似た経緯から一斉に植えられた。ところが、もともと広葉樹の生育に適した土地だったため、長い年月をかけて森林遷移が進み、皆伐されたはずの広葉樹林がよみがえったのである。

 今、山田さんたちは枯れかけたカラマツを間伐して遷移を早め、広葉樹の森の復活を手助けしている。「何十年かかるか。気の長い仕事です」

 森の秘密が解けた。気の遠くなるような時間をかけて、森が回復しつつあるのだ。

 ■キツネとタヌキ

 山頂で、ようやく登山者と会った。男性4人組で、同じ会社を定年退職した仲間という。選挙談議に誘うと「マニフェスト? 言葉だけ新しくしてもダメだよ。昔から公約はあったんだから」「政権選び選挙と言われてもねえ。キツネとタヌキ、どっちかを選べって言われているようなもんでしょ」。

 キツネとタヌキ。山の上の選挙談議にふさわしい表現に思わずフフフと笑ってしまった。

 ■水の森

 今度は山を下りる。「奥多摩体験の森」が「回復しつつある森」なら、こちらの大ブナ尾根は「回復した森」といえるかもしれない。広葉樹の天然林に風が吹くと、ミズナラやカエデやブナの赤や黄色の葉が何十枚も落ちてくる。落ち葉で足首まで埋まる急坂を、ザボザボと歩く。ホオノキの大きな葉で何度も滑って転ぶが、落ち葉のクッションのおかげで痛くない。

 早朝のJR青梅線の電車で気付いたことがある。車窓から見える森はすべて、スギやヒノキといった針葉樹の人工林だった。黒々とした人工林がゆけども、ゆけども続いていた。ところが奥多摩駅を降り、バスで奥多摩湖を目指し始めたころから、山の色合いが変わった。

 錦模様の美しい落葉広葉樹林が、黒々とした針葉樹林を圧倒し始めたのだ。御前山はまさに、そんな山だ。針葉樹林と広葉樹林のパッチワーク。紅葉の季節には違いがよくわかる。

 なぜ奥多摩湖より奥の山々に、広葉樹の天然林が残されているのだろう。山が深く、植林に適さなかったのも一因だが、最大の理由は「水」だ。

 ■緑のダム

 御前山の大ブナ尾根は、東京都水道局の管理する水道水源林、つまり水のための森だ。
 奥多摩の山は明治維新後、盗伐や焼き畑で荒れた。多摩川の渇水を警告する学者も現れた。これを受けて、東京都(当時は府)は1901年以来、山梨県などから山林を徐々に買い足し、手をかけ、100年かけて水源の森を回復させてきた。
 御前山の大ブナ尾根もその一つだ。歩けば分かる。枯れ葉の下の土はふかふかと柔らかい。スポンジのような土が水をたくわえ「緑のダム」となる。

 いきなり眺望が開け、眼下に小河内ダムと奥多摩湖が見えた。建設後43年を経ても、堆砂(たいさ)率はわずか2・7%。あと1000年は持つ、といわれるダムだ。

 なぜか。

 上流の森が土砂をしっかりとつかんでいるからだ。水道局はこの夏、「多摩川水源森林隊」を本格始動させた。荒れている民有地のスギやヒノキの人工林を、涵養(かんよう)能力の高い生きた森へと再生させるため、ボランティアを募り、植林や間伐を行っている。登録人数は18〜80歳の237人に上る。

 「日本の美林」(岩波新書、井原俊一著)の一節が脳裏にひらめいた。

<里山に美林があるとすれば、丹精こめて育ててきた人がいるからにちがいない。人里離れた奥山に美林が残っていれば、ある時代、誰かが、なんらかの意思をもって保護を図ったからであろう>

 人間は森を壊してきたが、守ってもきたのだ。

 ■ドングリの根

 休憩を取ろうと座り込んだら、あたり一面にドングリが落ちていた。ミズナラだ。青いのも、帽子をつけたのもいる。童心に戻り、拾い集めた。ふと見ると、いくつかのドングリのとがった先が割れ、緑白色のものが見えている。根だ。無造作に転がっているのに、根だけはまっすぐに地面を目指している。

 この実から1本の木が育ち、私の背を追い越すだろう。いつか、大きな森になるのだろう。森の生命力に触れた気がして、持ち帰ろうと集めたドングリを、再び地面に返した。

 自殺率が高止まりし、子供の絡むいやな事件が続く。経済だけでなく人々の心までが枯れてゆくかに見えるこの国で、森の生命力がただ、まぶしい。

 静かなドングリの森で、小さく顔を出した根をいつまでも見つめていた。森に甲高い音が響く。またどこかで、ドングリが落ちた。

記事134◆小泉首相の「改革の芽」を探しに行く、という記事

当時の小泉首相が「改革の芽は出てきたっ!」と余り言うものだから。
うちの上司が突然、こう言った。
「おぐに、おまえ、その『改革の芽』とかいうやつを、探してこいや」。
まったく。私は上司の、こういうセンスが大好きなんである。
ということで、探しに行きました。
芽はどこに出てるのかな?と。


■掲載年月日 2003年10月22日
■小泉首相の言う「改革の芽」はどこに?
■自助努力の「花」は咲いていたが…
■「生産」「雇用」「消費」の現場へ


 小泉純一郎首相の「改革の芽」という言葉が、妙に耳につく。「ようやく改革の芽が出てきた!」と何度も聞かされているうちに、日本経済も、そして自分自身も、芽吹きの春を謳歌(おうか)できそうな気分になってくる。しかし肝心の「芽」はどこにあるのだろう。「改革の芽」を探しに出かけた。


 <改革の痛みに直面しながらも、多くの国民の努力によって、日本再生に向けた改革にようやく芽が出てまいりました。新しい体制の下、構造改革路線を堅持し、改革の芽を大きな木に育ててまいります>

 小泉首相は9月25日、所信表明でこう述べた。「改革の芽」とは何だろう。小泉首相は所信表明の中で、具体的な数字を挙げて説明している。

 <倒産件数は前年同月比で12カ月連続減少している>
 <経済成長はこの1年半連続で実質プラスになった>
 <主要銀行の不良債権残高は03年3月期で前年同期に比べ24%減少した>
 <3年間で約200万人の雇用が創出されたと見込まれる>

 とどのつまり景気が少しは上向いてきたってことだ。「生産」「雇用」「消費」の三つの現場には、どんな「芽」が出ているのだろう。

 ●創意工夫の結果

 東京都大田区の工場地帯。政治家もマスコミも、不況下にある日本の「ものづくり」の現場を知りたい時、ここにやってくる。小泉首相とて例外ではない。
 昨年4月、小泉首相はここで二つの企業を見学した。そのうちの一つが、京浜島にある金属部品メーカー、北嶋絞製作所だ。従業員わずか23人だが「機械に勝る職人技」で花瓶からH2ロケットの部品まで作っている。小泉首相をして「私も元気が出てきた。日本の潜在力は大きい。自信を持つべきだ」と言わしめた製作所なのである。

 専務の北嶋實さん(58)は「今回の不況はオイルショックより長く、苦しい。それでも今年の売り上げは去年よりいい。新しい仕事も途切れず入るようになった」という。早くも「改革の芽」が見つかった!と早合点したが、北嶋さんはこう続ける。「しかし、構造改革の成果、という実感はありませんね。我々下請けの下請けに景気変化の影響が届くのはだいぶ先の話です」。売り上げ上昇の理由は、技術力を積極的にアピールした結果だという。

 政治への期待を尋ねると、北嶋さんは「なんにも」と笑った。事務所には、見学に来た小泉首相のサインや写真が飾ってある。「私たちは自分の責任で会社をやっている。小泉さんもご自身の信念を貫かれるのがいい。頑張ってるのは立派ですよ。結果はともかくね」

 大田区産業振興課の川上立雄係長は「春に比べると、明かりが見えてきた。『仕事が戻ってきた』『銀行が貸してくれるようになった』という声も複数の工場主さんから聞いています」と語る。しかし、これも「改革の芽」とは言い切れないようだ。
 「主に企業の創意工夫の結果でしょう。小さい工場主たちは政治の恩恵より、『痛み』を受ける方が多かったのです」。小泉内閣発足後、銀行が不良債権処理にあせって一斉に債権回収に走った。その結果、区内の多くの工場が借金返済を迫られ、打撃を受けた記憶は今も生々しい。

 結局、ここ、ものづくりの現場で見つかったのは「改革の芽」ではなく、自助努力で咲かせた「花」だった。

 ●1カ月1万人

 次は「雇用」の現場。渋谷の繁華街にある「ヤングハローワークしぶや・しごと館」は、30歳未満の若者が対象だ。いつも込んでいて、コンピューター端末や相談窓口はほぼ満員。順番待ちの人もいる。
 利用者は1カ月約1万人。24〜25歳が多い。フリーターもいるが無職の人が3分の2を占める。改革が生んだという<200万人の雇用>は、ここにどんな「芽」を出したのか。

 前田徳英・職業相談部長は「現場レベルでは変化ないですねえ」という。確かにサービス産業の求人は少し伸びる傾向にあるものの、情報処理やIT(情報技術)など高度な技術を求める求人が多く、未熟練な若者の受け皿にはならないのだ。

 元システムエンジニアの男性(27)は「政治への期待? 『未経験者優遇』の仕事を増やしてほしい」。先行きの不安感から転職先を探しているベンチャー企業の男性社員(24)も「政治に期待する余裕すらない。改革の成果が出ても僕には間に合わない」とそっけない。雇用以外にも漠とした不安を口にする若者が多い。例えば年金。今と同じように年金をもらえる老後など、誰も信じていない。

 前田部長は言う。「今の若者は働く気がない、という。しかし就職に苦労しなかったバブル時代の若者は、今の若者より目的意識が明確でしたか? 働く気がないんじゃない。働く場がないんです」。若者たちの目に、「芽」はまだ映らない。

 ●育てた「芽」

 最後は「消費」の現場だ。東京都江東区のイトーヨーカドー木場店は夕方、買い物客でいっぱいになる。休憩スペースのテレビが国会中継を放映していた。熱心にテレビを見ていた男性(74)に尋ねた。改革の芽、実感しますか?

 男性は「改革で暮らしぶりが変わったという実感はないが」と前置きした後、構造改革への期待を延々と語った。「評論家は改革より経済の立て直しが先だというがね。ここまで来たら改革だ。痛みは覚悟する」
 別の女性(84)は「小泉さんのお陰で暮らしが良くなったわけじゃないけど生活できないほどではないしねえ」と大きな買い物袋を揺らす。「改革の芽」が見えますか、と尋ねると、「難しいことはわからないけど、はっきりものを言う小泉さんを支持します」と答えが返ってきた。

 どうやら年配者の間での小泉人気は予想以上に高い。「なんだかんだ言っても、年金制度は崩れない」と誰もが口をそろえる点も、ハローワークの若者とはあまりに対照的だ。

 今度は赤ちゃん連れの30代のお母さんグループに聞いた。主婦たちの小泉評は結構辛口だ。「閣僚人事で人目を引くのは上手。でも“2期目”は具体的な成果を出してほしい。主婦レベルでは改革の成果をちっとも実感できません」「年金の保険料もできれば払いたくないわ」「医療費の負担も増えたしね」

 それでも最後は小泉首相を擁護する。「小泉さんが悪いんじゃない。小泉さんでも変えられない、ってことでしょう?」

 意外だったのは、誰もが「改革の芽」という言葉を知っていたことだ。一人くらい「改革の芽って何?」という人がいるかと予想していたのだが。そして、多くの人が改革への期待を口にした。「変えてほしい」と。もしかしたら、小泉政権が2年半かけて育てた「芽」はこれだったのではないか。

 ●改革の着地点

 そして今、日本初の「マニフェスト選挙」が間近に迫る。「改革に期待する」と人々はいうが、望んでいる改革の着地点は世代や立場で大きく違う。高齢者と若者。職を持つ者と持たぬ者。勝ち組と負け組……。
 与党にしても野党にしてもいつかきっと見えるだろう「芽」をどんな木に育てるのか。それを見極めるためにも、今回は各党のマニフェストをじっくり読んで、投票に行こう。


 ◇株価・失業率・消費動向、政権前の方がよい数値も
 いくつかの経済指標を、小泉政権誕生当時と現在で比べてみた。株価は今年4月を底に大幅に改善したが、政権誕生時と比べればなお安い。完全失業率(季節調整値)は2年ぶりに5・1%の水準まで下がったが、政権誕生の前はずっと4%台だった。個人消費動向を示す小売業販売額は政権誕生前の01年3月に前年同月比1・7%でプラスを記録したが、小泉政権下では連続29カ月間マイナスだ。一方、企業倒産件数(帝国データバンク調べ)は若干減った。日銀の企業短期経済観測調査(短観)でも企業の景況感を示す業況判断指数(DI)が大企業・製造業で2年9カ月ぶりにプラスに転じた。
……………………………………………………………
 ◇経済指標で政権誕生時と現在を比較
            政権誕生時(01年)     現在
日経平均株価(終値)  13827円(4月26日)  11031円(21日)
完全失業率(季節調整値)  4.8%(4月)     5.1%(8月)
小売業販売額(×10億円)11422(4月)     10536(4月)
企業倒産件数       1631件(4月)     1238件(9月)
大企業・製造業のDI  ▼16%(4〜6月)      1%(7〜9月)
 ※季節で変動する小売業販売額は4月で比較。DIは日銀短観

記事133◆糸井重里さんと東京流行展へ行く、の記事

実は、毎日新聞社主催の展覧会のPRも兼ねた記事。
でも、何がうれしいって、憧れの糸井さんに会えたこと。
「いい気になろうぜ」という彼のメッセージは、今も心に残っています。貴重な助言だったと感じています。


■掲載年月日 2003年10月03日
■コピーライター・糸井重里さんと東京流行生活展を見に行く
■「日本人は昔、もっと自由だった」
■「この展覧会はまるで僕らのルーツ探しみたいだ。僕らがどこから来て、どこへ行くのか教えてくれる」


 江戸東京博物館(東京都墨田区)で開かれている「東京流行生活展」(毎日新聞社など主催)を、コピーライターの糸井重里さん(54)と見に行った。東京の歴史を振り返る小難しい展覧会かと思っていたら、これが意外にも「自分のルーツ探し」みたいな不思議な展覧会だったのである。

 ★牛乳を飲む男たち

 展覧会には普通、主役がいる。国宝だったり、重要文化財だったり。しかし、この展覧会は違った。主役は流行当時はもてはやされ、その後捨てられたりしたモノたちである。
 明治時代の「牛乳」の流行を伝える一角には、ガラス製ばかりではなく、ブリキ製の古い牛乳瓶もガラスケースに収められていた。正体を知らない人には、ただの「燃えないゴミ」にさえ見える。もちろん100年前には何度もリサイクルされたのだろうけど。

 この展覧会は、明治・大正・昭和から今にいたる135年間に東京で流行したものを展示している。20〜30代の学芸員3人が、明治の食べ物、大正のファッション、昭和の大量消費時代に特にこだわって展示した。

 「明治時代の牛乳は薬や滋養強壮剤といった存在だったんですよ」と同行してくれた学芸員の田中裕二さん(28)が教えてくれた。確かに瓶のサイズは、栄養ドリンク並みの小ささだ。
 壁に、牛乳を飲みながら新聞を読む男たちが描かれた絵もあった。当時はまだ喫茶店もカフェもなく、牛乳を出す「ミルクホール」が唯一の社交場だったそうな。大の男が口の周りを真っ白にさせて新聞を読んでいたというのだから、ほほ笑ましい。

 ★「いい気になる」

 さて、ミルクホールの次に流行したのが、西洋料理屋だ。
 明治末期に「カフェ」が登場するまでの間、作家や芸術家たちの文化サロンの舞台は料理屋だったのだ。パリにあるセーヌ川沿いのカフェに見立てて、隅田川沿いの西洋料理屋に集った北原白秋、高村光太郎らの「パンの会」。「パン」はギリシャ神話で出てくる“享楽”の神の名だそうだ。1900年に六本木あたりに開かれたフランス料理屋「龍土軒」には、国木田独歩や蒲原有明、柳田国男らが「龍土会」を名乗り、集った。
 展示されているのは、彼らの寄せ書きだ。有名な文学者の自筆なのに、なぜかちっとも崇高に見えない。下手な漫画の隣に「崇拝女学生」なんて書き付けてある。これはもしや、酔っ払いの落書きではあるまいか。

 そんな時、糸井さんがうれしそうに言った。「うわあ、いい気になってるなあ!」
 いい気――。広辞苑によると「一人得意になりうぬぼれている気持ち」という意味。普通は否定的に使う言葉だ。糸井さんの意図を測りかねていたら、説明してくれた。「日本のほとんどが農村だった時代に、東京で西洋料理食べて、好き勝手なこと話していたわけでしょ。すごく『いい気』になった人たちだよ。でも、だからこそ、後世に残る良いものを創(つく)り出すことができたのではないかなあ」

 ★「趣味がいい」

 次に糸井さんが「いい気になってる!」と大喜びしたのは、大正・昭和に爆発的な人気を得た「銘仙」という絹織物だ。洋風テーストを取り入れたことでモダンガールに大受けし、約10年に1億反以上が生産販売されたという。
 約40センチ四方の布地見本が26枚も展示されている。派手な色。模様も、水玉にタチバナの実あり、格子模様にバラあり、流れ星あり。西洋を取り入れた結果だろうが、斬新というよりキテレツ。中には海外でインテリアに使われていたデザインも交じっていて、当時でさえ「敷物やカーテンが歩いているようだ」と竹久夢二に揶揄(やゆ)されたという代物だ。

 ところが糸井さんはいたく感動している。「西洋の模様を知り尽くした現代の日本人にはもう絶対に作れない模様だよね。きっと、いきなり西洋のデザインを見せられたデザイナーが、『もうオレ、わけ分かんないよ』と言いながら好きに描いたんだよ。まるで岡本太郎みたいだ」と。

 「趣味悪い! こんなの着たくない」と内心思っていた私は、次の糸井さんの一言にドキリとする。「いつからだろう。僕らが『趣味がいい』って価値観に縛られ、好きなものが見えなくなったのは。なんだかクリエーティブな気分になってきたよ」

 ★今和次郎のノート

 糸井さんに言われ、あらためて見渡すと、展覧会は確かに「いい気」になった人や「いい趣味」という価値観から自由なモノに満ちていた。例えば、考古学ならぬ「考現学」を提唱した学者、今和次郎。会場には、彼のフィールドノートやスケッチが多く展示されていた。
 早稲田の学生や築地小劇場の劇団員らを動員し銀座のファッションを調査した調査票には、げたが何人、靴が何人、外套(がいとう)が何人、和服が何人という具合に、イラスト入りで細かく記入されている。「KON」の英文字サインの入る本人自筆の調査票は、彼ら彼女らのよりさらに詳しい。さすがは、昼寝のポーズから犬小屋や着物の帯の締め方にいたるまで調べたユニークな人物だけある。

 「モダンガールの丸ビル散歩コース」なんてメモもある。一人の女性が丸ビルで移動した足跡を記録している。「一寸(ちょっと)トイレに入る」「事務所ばかりで失望」など詳細なメモ付きだ。「ストーカーみたい」と中年女性の観客がぼそっとつぶやく。

 今和次郎は当時、変人扱いされたかもしれない。しかし、時代を動かし、あるいは記録したのは、他人の目を気にせず、好きなことを追求した人たちだったのだ。「今の世は小姑(こじゅうと)文化。誰もが見る側に回って好き勝手に批評する。『いい気になる』ためには、自分が見られる側に立つ決意と責任も必要なんだよね」と糸井さんは言った。

 ★そして大量消費時代

 「ぜいたくは敵」と言われた戦争時代の展示を抜けると、今度は大量消費時代の幕開けだ。70年代にもなると、懐かしいモノが次々に登場する。糸井さんがコピーライターとして活躍を始めたころだ。60〜70年代にやたら売れた花柄の魔法瓶や炊飯器。そういえばあのころ、台所は花柄だらけだった。「趣味が良い」なんて価値観そっちのけで、誰もが花柄を選んだのだ。

 お次は世界初のパーソナル電卓「カシオミニ」。思わず、演歌調で口ずさむ。「こたーえいっぱつ カシオーミニ……」。隣には、電卓とそろばんをドッキングさせた製品もあった。そろばん派にも電卓を使ってもらおう、と考案されたらしいが、ほとんど無意味な商品だ。「当時、これを見て『絶対に歴史に残る商品だ』と思ったよ。『あったよな、これ』って思い出すだろう、って」と糸井さん。予感は当たったわけだ。

 ★ぶら下がり健康器

 そして最後の部屋。展示されていたのは、ぶら下がり健康器だった。隣にはランニングマシンも並ぶ。20年前、健康ブームが日本に押し寄せ、世にあふれた品々だ。「あったわ、うちにも」と隣の客が恥ずかしそうに笑っている。
 「見つけるの、意外に大変だったんです。どの家庭でもとっくに粗大ゴミに出していたので」と田中さんが教えてくれた。
 それにしても変な展覧会だ。展示の最後を飾るのが、家庭の粗大ゴミだなんて。

 「こんなの、なぜ流行したんだろう」。ぶら下がり健康器を笑っていた私は、しかし突然気付いた。笑っている私はもう「小姑文化」に毒されているのかも。「趣味が悪い」と言われないよう無難な色や形を選び、「いい気」になることを忘れているのかも。急に、ぶら下がり健康器を笑えなくなった。

 糸井さんが「この展覧会はまるで僕らのルーツ探しみたいだ。僕らがどこから来て、どこへ行くのかを教えてくれる」と感想を語ってくれた。「展覧会を一言で言い表して」と頼むと、こんな答えが返ってきた。「日本人は昔、もっと自由だった」

 勇気のわいてくるコピーだ。これからも私たちはきっと、未来の人が見れば「なんだ、これ?」と思うような奇妙なモノをいっぱい買って、愛して、時には自分で作って、暮らしていくだろう。「いい気になろうぜ」。糸井さんの言葉が一日中、頭の中に響いていた。

   ◇  ◇  ◇

 「東京流行生活展」は11月16日まで。月曜日休館(月曜が祝日、振り替え休日の場合は翌日が休館)。一般1100円。問い合わせは03・3626・9974の同館。「図説 東京流行生活」(河出書房新社)は1800円(税別)。

記事132◆やっぱり女は元気だ、という記事(レジャー白書より)

■掲載年月日 2003年09月03日
■シニア女性の元気ぶり 「女性は強く、自由時間も一番」
■「レジャー白書」も浮き彫りに
−−温泉施設/フィットネスクラブ……


 シニア女性が元気だ。温泉でも、山でも、観光地でも、目立つのはいつも彼女たち。事実、社会経済生産性本部(東京都渋谷区)がこの夏まとめた「レジャー白書2003」でも、シニア女性がレジャー産業をけん引する実態が浮き彫りになる。レジャーを謳歌(おうか)するシニア女性たちの姿を、白書の中に追った。

 ◆ミ・ボ・ウ・ジ・ン!

 《注目されるのは「温浴施設」である。参加率が40・8%と非常に高く、中でも50代女性では49・4%、つまり2人に1人が参加している》

 レジャー白書は、最近注目されるようになった「ウオーキング」「携帯電話でのやりとり」「ペット」など24種目の余暇活動について、参加率(過去1年間に1度でもその活動をやったことがある割合)を調べている。この中で最も参加率が高いのが「温浴施設」だ。
 白書創刊時の77年には、独立した調査項目にすらなっていなかった「温浴施設」が、このところ大変な人気だ。人気の担い手は、主に中年女性やシニア女性である。

 今年、東京都心に温泉施設が次々とオープンした。「大江戸温泉物語」(台場)を代表格に、ほとんどの施設は中高年女性客でいっぱいである。唯一、若い女性客にターゲットを絞ったのが、東京ドームシティ(文京区)の「スパ ラクーア」だ。

 8月下旬の平日、あえてこの「ラクーア」に出かけてみた。ここでもシニア女性がかっ歩しているのか、知りたかったからだ。
 「ラクーア」は、若い女性を満足させる工夫に満ちている。着替え用のウエアも若者向けのデザインだし、エステや化粧品サービスも充実している。館内のショップも明らかに若者や働く女性向けだ。
 しかし、やはりシニア女性はここにもいた。数は3分の1程度だが、若い女性に交じって物おじすることもなく、サウナでうたた寝し、足湯でおしゃべりに興じている。「もう3回目」というご近所さんや、朝から夕方までのんびり過ごすというグループもいる。

 シニア女性4人組に声をかけた。近所の町会仲間だという。「温泉大好き。この前信州に行ってきたばかり」「出かけるのはいつも女友達か姉妹と」
 思わず「ご主人とは?」と尋ねたら、一瞬の沈黙の後、4人は顔を見合わせ、噴きだした。

「いないのよ。私たち全員、ミ・ボ・ウ・ジ・ン!」「だからこんなに気楽なの」
「永六輔さんが言っていたけど、女性は夫を亡くすと5年若返る。男は妻を亡くすと10年老け込むんだって。本当よね」

 4人のレジャー熱は温泉にとどまらない。レクリエーションダンスを踊り、デパートで買い物をし、時にはボランティアまで楽しんでいるという。
 あっぱれ、である。

 ◆次は第九

 《最近増えている客層として、全体では第1位に「高齢の女性」が挙げられている》

 白書では、17種類の余暇関連サービス業に対して、客層の増減について聞いている。「現在の主要な客層」では「家族客」が35・0%で1位だが、「最近増えている客層」を見ると「高年齢の女性」(28・9%)がトップに躍り出る。「主婦」(20・5%)も高い。
 一方、男性では「高年齢の男性」(28・3%)が上位に食い込むものの、「中年男性」(10・1%)と「独身サラリーマン」(8・0%)の元気のなさが際立つ。

 シニア女性が増えていると答えた業界の第1位は、「フィットネスクラブ」(69・5%)だ。なるほど、レジャーを楽しむには、まず健康、というわけである。実際、フィットネスクラブ業界のシニア女性への期待度は高い。「今後力を入れる客層」を複数回答で尋ねたところ、「高年齢の女性」がトップ。フィットネス関連事業所の実に62・0%が「高年齢の女性」を挙げているのだ。

 そこで、東京都千代田区のYWCAフィットネスワオを訪ねた。女性専用ゆえ、シニア女性にも人気が高い。会員約1000人のうち、60歳以上が34%を占める。70歳以上も14%いる。無理なく運動できる水泳や水中運動に人気が集まる。プールでは色とりどりの水着姿の女性たちが健康作りに余念がない。

 「大正生まれよ」と笑う白髪の女性(78)は、3年前から通い始めた。初めて泳げるようになった日の感動は今も忘れられないという。「毎年の老人健診でも悪いところは全然ない。薬知らずです。水泳も楽しいし、ここで知り合った女友達と旅行するのも楽しい」。今年は新たに合唱団にも入った。「年末に第九(ベートーベン交響曲第九番)を歌うのが目標。人生、常に挑戦しなくてはね」
 別の女性(60)は、健康診断で高コレステロールを指摘され、運動を始めた。「ほかに刺し子、織物、ピアノをやってます。ここに来る女性は積極的で、たいてい別に習い事をしているから、お互いの発表会なんかに誘い合って行くのよ」という。
 夫はまだ現役の勤め人。「最近は夫を映画やお芝居に誘うようにしています。『老後が寂しいわよ。定年後、一人で留守番できないでしょう』って声をかけると、私に付いてくる」とか。しかし、行った先の劇場や映画館で、夫は思わず「どうして女ばっかりなんだ?」と絶句したそうである。

 経済評論家の竹内宏氏は、シニア女性のレジャー需要はまだまだ伸びると見る。「問題は、サービスを供給する側がシニア層のマーケティングを軽んじていること。若者向けの施設には中高年は入りにくいが、若者は中高年を意識した施設への抵抗感が少ない。中高年やシニアを意識したレジャー施設は、結果的に広い世代を集められる」と指摘する。
 また、有名な観光地、山梨県・清里を例に挙げ、「清里は最近、『若者の街』から脱却を図り、中高年・シニア向けの施設を充実させることで、客を呼び戻すことに成功した好例だ」と説明する。

 ◆男は「静」、女は「動」

 《男性の特徴としては「パソコン」(ゲーム、趣味、通信など)が女性を大きく上回っている》

 《「宝くじ」「ビデオ観賞」「スポーツ観戦」「バー、スナック、パブ、飲み屋」も男性の参加希望率が高い》

 《一方、女性では「国内観光旅行」や「外食」などへの参加希望率が男性を10ポイント近く上回る》

 《「音楽会・コンサートなど」「水泳(プールでの)」も例年通り女性の参加希望率が高い》


 91種目の余暇活動について、将来やってみたいかどうかを尋ねた「参加希望率」調査では、男女差がくっきり出た。レジャー志向が男性は「静」、女性は「動」といえる。外出したり、身体を動かしたりするアクティブなレジャーを希望するのは、女性の方が多いのだ。

 レジャー産業論が専門の山田紘祥・文教大国際学部教授は、シニア女性がレジャーをけん引する背景には、当然「女性の自立」があると指摘する。「経済的にも社会的にも女性は強くなった。自由時間にも一番恵まれています」という。
 一方で、「働き盛りの男性や若者など、これまでレジャーの担い手だった層に元気がない。働く男たちは不況でレジャーどころではないし、若者は生まれながらにケチケチ世代。現在の高齢男性はレジャーの素養や経験に乏しい」。なるほど、他に元気がないから、シニア女性ばかりが目立つのだ。

 山田教授は今後のレジャー需要について、こう予測する。
 「シニア女性の潜在的願望のキーワードは『健康』『学習』『ボランティア』。癒やしに加え、社会的な交流を通じた自己実現も求めているのです。温浴施設やペット産業に加え、テーマ型の旅行などの需要もさらに高まるでしょう」
 つまり、どこへ行ってもシニア女性客ばかりが目立つ現状は今後さらに加速する、というわけだ。では最後に、「ますます肩身が狭くなる」という男性陣に耳よりな情報を一つ。
 今、男風呂は、女風呂よりずっとすいていて狙い目です。出かけてみては?


記事131◆京塚昌子さん 「肝っ玉母さん」 をしのぶ記事

2003年の夏の連載企画の一本。
亡くなった誰かを、今だから偲ぶ、という記事です。

■掲載年月日 2003年08月07日
■2003年夏・あの人に会いたい
■女優・京塚昌子さん
◇94年9月23日死去、享年64歳
◇今も生きていたら、迷える親たちに何というだろう
◇「今の世にこそ肝っ玉母さんのドラマが必要なのにねえ」


 ●台場一丁目商店街

 新橋駅から「ゆりかもめ」に揺られ、お台場に向かう。コンピューターが運転する乗り物からは、汐留の高層ビル街やレインボーブリッジが一望できる。
 大ヒット中の映画「踊る大捜査線」2作目の舞台でもある21世紀の街に、なぜか「台場一丁目商店街」はあった。昭和30年代の街並みを再現したという商店街に、駄菓子屋や銭湯、古いホーロー製の看板やダルマ型の郵便ポストが並ぶ。

 しょせんまがい物、薄っぺらなレトロブーム、と内心反発しながらも、再現された古い民家の縁側には心が和む。縁側の奥にはお茶の間があり、ちゃぶ台や白黒テレビが並んでいる。
 あの人はこういう空間に生きていたのだ、とふと思った。

 ●白い割烹着

 あの人、とは「肝っ玉母さん」のこと。9年前に亡くなった女優、京塚昌子さんが主に昭和30〜40年代、ホームドラマで演じ続けた役柄だ。白い割烹着(かっぽうぎ)にふくよかな体。泣く時も笑う時も豪快で、子供にはいつも体当たり。情にもろいが、いざとなるとデンと構え動じない。

 長崎市の男児誘拐殺人事件や東京・渋谷の4女児監禁事件があったからだろうか。親が動揺し、不安がる。あの「肝っ玉母さん」が今も生きていたら、迷える親たちに何というだろう。

 ●遠い記憶

 TBSのドラマ「肝っ玉母さん」は1968年に始まった。夫に先立たれ、女手一つで東京下町のそば屋を切り盛りする50代の大正五三子(いさこ)役を、当時38歳の京塚さんが演じた。そそっかしくてお人よしの母親が長男長女と織りなす親子愛や、長男の嫁との嫁しゅうとめ問題など、家族の機微を描いた。
 ドラマの中の母親といえば山の手の良妻賢母と決まっていた時代に、「庶民派の頼もしい母」という新しい母親像を生んだ。平均28%という高視聴率の結果、次シリーズが次々作られ、72年まで続いた。

 京塚さんの素顔も、おおらかで温かかったようだ。68年9月15日号の「サンデー毎日」には「現在のあだ名は“かあさん”。そう呼ばれると誰にでも『はいよ』と気安く返事する」とある。また記者に「肝っ玉は大きい方?」と問われ、「自分じゃそんなに小さいほうじゃないって思ってます。でも太っているわりには神経質なんですよ」とちゃめっ気たっぷりに答えている。
 しかし、私にとっての「肝っ玉母さん」の決定版はドラマ「ありがとう」4部(74年)の方だ。山岡久乃さんと水前寺清子さんが母娘を演じた1〜3部の後、4部に京塚さんがカレー屋のおかみで登場した。情感豊かで肝っ玉のある母さんぶりは、番組名こそ違うものの「肝っ玉母さん」そのものだった。

 ●1本のビデオ

 台場に来る前、1本の古いビデオテープを見た。「ありがとう」4部の第1話のテープで番組制作会社が貸してくれた。4部の第1話は母娘の親子げんかで始まる。「およし!」「そっちこそおよしよ」と母娘が言い争った揚げ句、母親役の京塚さんが振り回したフライパンが仲裁に入った人の頭にパコーン。
 ちゃぶ台に魔法瓶。野菜カレーは150円。割烹着で買い物する奥さん。「あいすみません」と電話の相手に頭を下げるおやじさん。他人の娘に遠慮なく「おやめ!」と怒鳴るご近所さん。子が親に口答えする時の決まり文句は「やなこったい」。

 ビデオを見て台場一丁目商店街を思い出した。よく似ていると思った。台場にやってきたのはそんなわけだった。

 「懐かしい」「超かわいい」。はしゃいだ声に振り向けば、若者たちが映画のセットのような民家の縁側で記念撮影している。生まれてなかったはずの彼らが、なぜ作り物の「昭和30年代」を懐かしがるのだろう。

 台場の喧騒(けんそう)の中で思った。作り物でなく、本物の「昭和40年代」に行ければ、大勢の肝っ玉母さんに会えるだろうに。

 ●消えた「肝っ玉」

 しかし、その思いこみは間違っていたのだった。「昭和40年代の肝っ玉母さんに会いたい」という私に、「肝っ玉母さん」や「ありがとう」など数多くのホームドラマを手がけた名プロデューサー、石井ふく子さん(76)はこう言った。
 「昭和40年代はもう、そんな時代じゃなかったのよ。高度成長期で誰もが豊かさを求め、一方でモラルを失いつつあった。人間は小さくまとまっちゃって『肝っ玉』がない人も多かった。だからこそ、あの番組を作った。『肝っ玉母さん』は当時でもすでに、みんなのあこがれの存在だったのよ」

 知らなかった。私はこっそりとため息をつく。
 「京塚ママには生きていてほしかった。親がでんと構えていれば子供は安心できる。子供には遠慮せず、身体でぶつかっていかなきゃ。あのころもそうだったけど、今の世にこそ、肝っ玉母さんのドラマが必要なのにねえ」。自分より年下の京塚さんを今も「ママ」と呼ぶ石井さんは何度も何度もそう言った。

 ●長男の心

 黒々とした太い柱が屋根を支えている。「みごとですね」と驚く私に、この家の主、俳優の山口崇さん(66)は「故郷の淡路島の松の木です」と教えてくれた。郷里の松林が松食い虫にやられる前に良い木を選んで切り出したという。「この松のせいでこの家を引っ越せません」。苦笑しながらも、山口さんは東京都世田谷区の自宅で、故郷から来た柱を優しくなでた。

 山口さんは「肝っ玉母さん」の長男役だった。母親思いでまじめだが少々頼りない、そんな役柄だった。「京塚のママが演じた母親は、息子に頼る時はどっぷりと溺愛(できあい)し、しかる時には涙を流し身体を震わせる、そんな人だった」。山口さんは一瞬、淡路島に一人暮らす自身の母(87)を語る時の顔になる。

 「どうも自分の母親と重ねてしまいます。似ているんです。戦争で夫を亡くし、寡婦だったのも同じです。母は、子供の目から見ても、むちゃだったりこっけいだったりしたけど、すごい信念で自分のモラルを貫き通した女性でした」

 山口さんは「肝っ玉母さん」という存在自体が当時すでに「虚構」だったという。「虚構の存在にリアリティーを吹き込んだ京塚ママの演技力はすごかった」。思わず尋ねた。「虚構? 『肝っ玉母さん』は神話でしかないのでしょうか」

 山口さんの穏やかな目が笑う。「白い割烹着はもう神話だとしてもね。神話は形を変えながら復活するものです。地球と月の間をロケットが往復する時代になったって母を慕う子の気持ちは永遠でしょう。だから今の世にだって姿形を変えた『肝っ玉母さん』はいるんじゃないかなあ。僕は信じてますよ」

 ●「母」という字

 山口さん宅からの帰り道、サトウハチローさんの「母という字を書いてごらんなさい」という詩を思い出した。京塚さんが生前、愛した詩だという。
 
母という字を書いてごらんなさい
やさしいように見えて むづかしい字です
恰好(かっこう)のとれない字です
やせすぎたり 太りすぎたり ゆがんだり
泣きくづれたり……笑ってしまったり
お母さんにはないしょですが ほんとうです
 

 私は「肝っ玉母さん」に会いたい、という以上に、一人の母親として自分もそうなりたかったのかもしれない。ノートの片隅に「母」という字を書いてみた。その字はどうにも不格好で、それが妙に気恥ずかしくて、何だか笑ってしまった。

記事130◆限りなく「子育て」に近づくペット事情、という記事

■掲載年月日 2003年07月10日
■公園デビュー/チャイドル/過保護
■ペットの擬人化はいけないのか
◇「犬の聖地」東京・駒沢公園で考えたこと


 ペットは家族。子供と同じ、と飼い主たちはいう。だからだろうか。公園デビュー、チャイドル、過保護、小児肥満……。育児の世界に見られる社会現象が今、次々とペットの世界に飛び火している。一方、その反動のように「ペットを擬人化せず、ちゃんとしつけよう」という声も強まってきた。人はなぜペットを擬人化するのか。擬人化は本当にいけないのか。多種多様の犬と飼い主たちが集まる「犬の聖地」、東京・駒沢公園で考えた。

 ■珍種は「雑種」

 今回は知人のイラストレーター、松尾たいこさんと飼い犬の「いくら君」(ケアーンテリア、生後5カ月)に協力を頼んだ。駒沢公園を取材する時、犬がいないのは少々心細い。
 駒沢公園周辺は犬連れの天国だ。多くのレストランは犬連れOK。写真屋さんはペット撮影をうたう。犬連れでなければ入りづらい場所だってある。公園内のドッグランがそうだ。ここで犬を連れていないと「何をしに来たの?」と飼い主たちから不審の目を向けられる。

 ドッグランとは、飼い犬のリード(ひも)をはずして、犬に自由に運動をさせたり、犬同士で遊ばせたりできる場所のことだ。駒沢公園には、東京都が昨年末、半年間の期限付きで実験的に設置した。リードを外して犬を遊ばせたい飼い主と、他の場所でリードを外されたくない犬嫌いの公園利用者の両方から歓迎され、6月、設置期間の延長も決まった。今では横浜市や川崎市など遠方からも飼い主たちがやってくる。

 この日、さくと二重扉に囲まれた1200平方メートルのドッグランには、飼い主十数人と犬約20匹がいた。「日曜日は犬と人間で芋洗い状態なんだけど」とたいこさん。平日は、ご近所の主婦や若者カップルが主流だ。

 走り回る犬は、チワワ、ウェルシュコーギー、トイプードルなど多種多様だが、いずれも値段の高そうな犬ばかり。ここ駒沢で一番の珍種は、間違いなく「雑種」である。飼い主の方はたいていシンプルなボーダーTシャツにチノパンが多い。カジュアルにして、おしゃれ。スウェットの上下にせった履き、なんて人は皆無だ。

 さすがは駒沢である。

 ■育児中の母親とそっくり

 ドッグランは、赤ちゃん連れの母親が集う公園の風景にとても似ている。雑誌があおった「公園デビュー」のような厄介な人間関係は、さすがに駒沢では見られなかったが、初対面の飼い主同士の会話はまさに育児中の母親同士とそっくりだ。

 「何カ月ですか?」
 「2カ月」
 「うちもそのころは本当に大変だったわ」
 「うちの子はすごくヤンチャで」
 「分かるわあ。まだまだこれからよ」

 これはコーギーの飼い主が初対面で交わした会話。同じ犬種を飼う者ほど会話を交わすのも、月齢の近い赤ちゃんの親同士で会話が弾むのと同じだ。「うちの子」という表現は当たり前。女性の飼い主を「ママ」、男性の飼い主を「パパ」と呼ぶ慣習も一部であるらしい。

 ジャックラッセルテリアが盛んにあちこちの犬を追いかけている。追われて、震えるフレンチブルドッグもいる。活発な犬の飼い主は「すみません」と口で言いつつ、顔はうれしそうだ。一方、怖がる犬の飼い主は、少々ふがいなく思っているのが分かる。「活発な子」と「おとなしい子」を持つ母親同士の確執に、妙に重なるのだった。

 震えるブルちゃんを飼い主が抱き上げた。ジャックラッセルに向かって「ごめんね、怖がってるの」と声を掛けている。もちろんこれ、実は犬の飼い主に向けた一言だ。人間に言いたい一言を犬に向けて語る、という高度な「間接的コミュニケーション」も、赤ちゃん連れの母親が頻繁に使う技だ。

 ところで肝心のいくら君、なかなか他の犬と遊びに行かない。「男の子なのに消極的で……」とこぼすたいこさん。その気持ちは、私もよく分かる。子供同士でなかなか遊ばない引っ込み思案な息子の姿に、私も何度もやきもきしたものだ。

 ■同じブランド服を着たい

 ドッグランを出て、犬連れOKのカフェで昼食を取った。次に有名なペット関連グッズの店ものぞいてみた。ガラス張りのしょうしゃな店は、入り口右手がペット用品、左手は人間用の洋服や小物だ。たいこさんによると「ペットと同じブランドを着たがる飼い主もいるからね。トータルコーディネートってわけ」。
 小さな座布団は犬の寝具だという。値段を確かめ、ぎょっとした。1万2000円。オモチャも軒並み1000円近い。驚いた。子供より金がかかる。

 「5000円のえさ入れ、イタリア製のベッドなど、一度に5万円近く使ったことがある。でも帰宅して気が付いた。5000円の食器なんて、私だって使ってないわ、って」とたいこさん。おまけに、ベッドは数カ月後、いくら君にかまれてボロボロになったという。

 しかし、一時は赤ちゃんグッズにはまり、抱っこひもだけで4種類も買い込んだ経験を持つ私は、決して彼女を笑えない。

 ◇育児の心理状態に近付く不思議
 ■「育犬」ノイローゼ?

 ペットの「子供化」が指摘されて久しい。ペットロスは深刻な社会問題となり、多くの専門家は「子供代わりにしてはダメ」「擬人化しないほうがいい」と助言を重ねてきた。
 だからだろう。最近は逆に、人間と犬との間に一線を引き、犬としてのしつけをしよう、という熱心な飼い主が増えている。犬種ごとの教室や合宿スタイルの教室、訓練士の出張派遣サービスなど、しつけに関するさまざまなサービスが人気だ。

 「犬の総合教育社会化推進機構」(NPO法人、事務局・神奈川県)が今年1〜6月に月1回実施した「しつけ教室」も毎回、予約受け付け開始後数日で満杯になった。最近は、犬と飼い主の社会性を見る「犬の社会化認定試験」の方も受講者が増え始めているという。
 「しつけに熱心な飼い主は増えている。最近は犬の飼い主ほど、マナーの悪い犬や飼い主に厳しい目を向ける。飼い主コミュニティーの中でしつけが不可欠の要素となっているのでは」と同機構は指摘する。

 たいこさんもしつけには熱心だ。「犬はあくまでペット。擬人化したくない」と心に線を引く。犬の「ママ」を自称したり、犬を溺愛(できあい)して甘やかす飼い主にはなりたくないと日本では、まだ珍しい「パピー(子犬)パーティー」をインターネットで探し、通い始めた。子犬の時期に大勢の犬や人間に接触させ、社会性を身につけさせる集まりだ。
 ところが、予想しなかった自分の心の変化に気付いた。いくら君がパーティーで課題をうまくこなせなかったり、他の犬の方が出来が良く見えた日には、落ち込んでしまう。「私のしつけ方が悪いのか」と思いつめたり、逆にイライラを犬にぶつけそうになったり。一時は「お教室」に通う子供の成績に一喜一憂する母親の精神状態に陥った。
 「まさに育犬ノイローゼ。不思議よね。将来立派な犬に育てたいとか、勉強のできる犬になってほしいとか、そんなこと考えていないのに、気が付くと思いつめていた。相手が子供だったらもっと悲惨だったかも」

 たいこさんのように「擬人化しない」と自制している人でも、擬人化は避けられない。一生懸命育てよう、しつけようと思ううち、育児中の母親のような心理状態に近付いてしまうのだ。なぜだろう。そもそも擬人化は本当にいけないのか。

 ■「ほどほど」が大事

 宮田動物病院の宮田勝重院長は「擬人化してはいけない、しつけなければ、と必死になる必要もない。犬なんだから、もっと気楽に飼えばいい」という。「『しつけないと犬が不幸だ』という欧米の考え方は、雑種やかむ犬が即処分される欧米社会だから必要とされた。日本はもともと人間とペットの境界線があいまいで、欧米式の『しつけ』はなじまない部分がある」と指摘する。

 かつて「擬人化」反対派だった井本動物病院の井本史夫院長も、今では容認派。「結局、大事なのは『ほどほど』の感覚。育児と同じで、飼い主がどっしり構えていれば、勝手に犬は育っていく。子供と違い、犬は自ら親離れしないので、その分、余計にどっしり構えた方がよいくらい」とアドバイスする。

 「ほどほど」
 「勝手に育つ」
 「どっしり構えよ」

 どこかで聞いた助言だな、と思ったら、これもまた、完ぺきな育児を目指して思い詰める最近の母親たちに向けたアドバイスだった。
 育児とペット。やっぱり本当によく似ている。

記事128◆ハッチポッチステーションのコンサートを見に行く

子どもを生んだことで、仕事に生かせたことはいっぱいありますが。
一義的には子ども文化やら、子どもの好きなキャラクターやら、テレビ番組に詳しくなった、ということがあります。
例えば、ハッチポッチステーション、というNHK教育番組。
これ、夫と2人、「絶対に大人向け番組だよな」とはまったのでした。
趣味が高じて仕事になった、という記事です。


■掲載年月日 2003年06月27日
■子供向けTV番組「ハッチポッチステーション」
■人気の秘密は?
■グッチ裕三さん、今やママのアイドル?−−育児や料理ネタ満点


 子供向けのテレビ番組なのに、なぜか大人まで楽しめてしまう。そんな番組が増えている。NHK教育テレビの「ハッチポッチステーション」はその代表格だろう。ギャグも、選曲も、およそ子供には理解不能。出演者のグッチ裕三さん(50)は今や、母親たちに大人気。この番組、本当に子供向けなのか、それとも実はママ向けなのか。

 ◇高いパパ参加率

 ステージにグッチ裕三さんが現れた。客席が拍手にわく。幸せそうに手をたたいているのは、やっぱりママたちだ。それを見て、必死でまねをするのが子供たち。パパたちは照れがあるのだろう、少々ノリが悪い。
 ここはNHK(東京都渋谷区)の公開収録用スタジオ。6月のある土曜日、数千人の応募者から選ばれた200人の家族連れが「ハッチポッチステーション」の公開収録に集まっていた。子供番組だから当然、全員が「子連れ」だ。しかし、頭数だけ見ると圧倒的に大人が多い。同じNHK教育テレビでも、幼児番組「お母さんといっしょ」の場合、やってくるのは母と子ばかり。言葉通り「お母さんだけといっしょ」の状態だ。平日ゆえか父親たちはめったにいない。

 一方、ハッチポッチの方はパパの参加率が90%近いのではないか。ほとんどが父親と母親と子供1人、あるいは子供2人の家族フルメンバー。頭数で大人が多くなるのも当たり前だ。少子化時代の象徴的な光景、と言ってしまえばそれまでだが、少々違和感が残る。父親の数が多すぎるのだ。子供向けの人形劇や音楽会でも、父親同伴がこんなに多いのを見たことがない。

 ◇懐かしの曲が童謡に

 ステージでは、耳に大きなニンニクの形のイヤリングをぶら下げた裕三さんが、食材の「エノキ」の説明から、いきなり「イノキ」へと振り、「猪木、ボンバイエ、猪木、ボンバイエ、1、2、3、ダーッ!」と叫んでいる。パパとママは大爆笑し、腕を振り上げ、一緒に叫んでいる。傍らには、親のまねをする子供たち。しかし、このギャグ、やはり子供には難しすぎないか。

 お次は歌のコーナー。83年に大ヒットした「カーマは気まぐれ」(カルチャークラブ)の曲に、童謡「うさぎとかめ」の歌詞を乗せて歌っている。サビは「カーメカメカメカメカメはのろい〜」。さらに70年代の「ブラックマジック・ウーマン」(サンタナ)。歌詞は「オー・ウーマン!」ならぬ「おうま」。「ボヘミアン・ラプソディー」(クイーン)は途中からなぜか「犬のおまわりさん」に。
 パパやママが腹を抱えて笑っているのは分かるけど、子供まで大喜びでクイーンのパロディー曲を歌っているのは不思議だ。ハッチポッチで歌を覚えた幼児が幼稚園で正調の童謡を習って「知ってる歌と違う」と驚いたとか、「うちの子は『犬のおまわりさん』を歌うと途中で裏声でハレルヤ、ハレルヤと叫び始める」といううわさは聞いてはいたが、どうやら事実らしい。

 ギャグや選曲はどう見ても大人向けなのに。なぜだろう。もと歌を知らないはずの子供たちが、実に楽しそうなのだ。

 ◇まずママの心を

 「子供ってね、親の喜ぶ顔が一番好き。特にお母さんが笑うと、子供は必死で理解し、一緒に笑おうとする。お母さんが手拍子打って歌うと、子供も必死で歌う。それって子供の本能なんだよ」。後日、裕三さんが種明かししてくれた。
 「例えば、コンサートの初めに『子供たち、元気ですか?』『はーい』とやるでしょ。次に『お母さんも、若くてきれいですか?』と呼びかけると、母親たちはどっと笑う。すると横で見ている子供は、自分も笑いたくてしかたなくなるわけ。だから、その次に『もう一度。子供たちは元気ですか』と呼びかけると、子供の反応は断然良くなる。子供の心をつかむには、お母さんの心をつかむのが一番」

 なるほど、実は理詰めなのだ。「ハッチポッチ」は子供向けか、それともママ向けか、という問題の立て方自体がナンセンスだった。子供番組だからこそ、先にママの心をつかもうとしたわけだ。

 今、裕三さんは育児中の母親たちのアイドル的存在だ。趣味が高じて料理番組に出演したら、これも当たり、料理本もよく売れている。従来、小さな子供を持つママのアイドルといえば、「お母さんといっしょ」に出てくる体操や歌のお兄さん、あるいは戦闘系テレビ番組の主人公を演じる男優あたりが定番だった。若い、細身、笑顔がさわやか、の3点が条件だったはずだ。
 では、なぜ裕三さんが人気なのか。ファンのママたちが指摘するのは「育児や料理のネタで楽しませてくれるから」。裕三さんの得意分野は、実はママたちの関心事に重なるのだ。歌にトーク、子供の相手から料理までこなす裕三さんの芸達者ぶりは、30代の母親の心のツボを見事に押さえてしまったようだ。

 ◇深夜放映の子供番組?

 「ハッチポッチステーション」は96年に始まった。「ハッチポッチ」は英語で「ごった煮」の意味。NHK教育テレビから出演を依頼された当時の裕三さんは、コミックバンドで活躍しており、むしろブラックユーモアの傾向が強く、決して「子供向け」の無難なキャラクターではなかった。
 番組担当の近藤康弘プロデューサーは「『お母さんといっしょ』みたいな正統派番組ばかりではなく教育テレビの幅の広さ、懐の深さを証明できる意外性のある番組を模索した」と明かす。いわば「お母さんといっしょ」のカウンターカルチャー。だからこそ、裕三さんに白羽の矢を立てたのだ。
 開始以来、子供番組としてはトップランクの視聴率を誇ってきた。子供のいない家庭にまで「妙な幼児番組」のうわさは広がり、熱心な大人ファンも増えた。その結果、平日夕方の10分間番組だったのが、今年春から1時間の公開収録番組として日曜日の夕方(隔週)に放送されるようになった。さらに、平日週3日間の深夜には、過去の番組を再編集した再放送も始まった。とうとう子供番組が深夜に進出してしまったのである。

 ◇パパもひそかに楽しみに

 ステージも終盤に入り、生バンドが登場し、古いポップスやロックの演奏が始まった。このころにはパパたちの恥じらいも消え、子供みたいに目を輝かせている。疲れや眠気でぐずり始めた子供に手を焼く妻の隣で、白い歯を見せて笑うパパ。子供の手首をつかみ、音楽に合わせて大きく手拍子させるパパ。ひざの上の子は半ば寝ているというのに。

 ジプシーキングの「ボラーレ」の演奏中、ずっとノリノリだったパパに声をかけた。すごく幸せそうでしたね。「最高です。僕らの世代って若いころ、バンドをやっていたから。好きな曲の生演奏はたまらなく興奮するんです」。37歳、2人の子持ちという。「ハッチポッチは職場でも話題になります。お父さんファン、実は結構多いと思うなあ」

 客席になぜ父親がこんなに多いのか、ようやくなぞが解けた。自称隠れファンのパパたちに話を聞くと「放映日が平日から日曜日に変わったお陰でゆっくり見られるのがうれしい」と恥ずかしそうに口をそろえた。
 「選曲もギャグも、僕らの世代の懐かしいツボにはまる。だから、妙に笑える」と。

 ◇背景に懐古ブームも

 「懐かしい」もキーワードである。裕三さんの歌う60年、70年代のロックやポップスは、30代後半の親たちにとって、記憶に残る一曲だったり、青春時代に聴いた「オールディーズ」だったりする。世にまん延する懐古ブームや昭和歌謡ブームも追い風となっているのだ。

 大人向けのようで、子供を意識し、子供番組なのに、親が夢中になる――。そんな番組はほかにも増えている。今春、「ハッチポッチ」に代わって始まり、早くも話題になっている「にほんごであそぼ」(NHK教育)は、「声に出して読みたい日本語」の著者、斎藤孝・明治大学教授の知恵を借りたという。かつて一世を風靡(ふうび)した「ウゴウゴ・ルーガ」(フジテレビ)も実は子供番組だった。大人と子供の境界線があいまいになっているのか。

 「ハッチポッチ」が育児疲れのママだけでなく、残業疲れのパパにとっても、週末や深夜のひそかなお楽しみとなっていることを、当の子供たちはきっと知らないに違いない。

記事127◆再び人気復活したタマちゃんの記事・春の章

■掲載年月日 2003年05月28日
■熱しやすく冷めやすい日本で…タマちゃんだけ、なぜ騒がれるの?
■登場して10カ月、第2次ブームの行方は


 出た、といっては騒ぎ、消えた、といってはまた騒ぎ。タマちゃんが相変わらず人気者だ。週末の見物人は延べ数千人に上るという。どうも変だ。我々はもっと熱しやすく冷めやすかったのではなかったか。アフガニスタンを忘れ、イラクさえも記憶の片隅に追いやり、田中耕一さんにもはや「癒やし」を感じなくなった03年春、タマちゃんだけがなぜ、今も「時のヒト」ならぬアザラシであり続けるのか――。


 タマちゃんは今、埼玉県朝霞市の荒川にすんでいる。冬のすみかだった横浜・帷子(かたびら)川の高いコンクリート護岸に比べると、ずっと緑豊かな場所だ。休日にもなると土手の斜面に1000人以上の観客が押し寄せ、川面を見守るというが、平日の昼下がりはいたって静かだ。
 5月中旬の平日、タマちゃん見物に出かけた。その日の観客は約100人。弁当を広げる人。犬と散歩中の人。「川辺って意外と心が落ち着くねえ。タマちゃんに教えられたよ」。志木市の男性(66)は毎日、自転車で20分かけてやってくる。
 目の前には、レジャーボートのGRACE3号。タマちゃんのお気に入りの場所で、今や日本一有名なボートである。持ち主の和光市、工場経営、本橋さん(55)は「月末までに船を検査に出さないと乗れなくなるんだけどねえ。小型船舶協会に検査の延期を頼んでいます。宝くじに当たったような気分です」という。

 その日、川を泳ぐタマちゃんは10分に1回の割合で水上に頭を出していた。昨夏はこれだけで拍手喝さいものだった。しかし今、誰も「頭」だけでは満足しない。タマちゃんがGRACE3号に乗り上がる瞬間を待ちわびている。巨体を狭い後部デッキに押し上げる必死の姿が、なんともカワイイのだそうだ。

 5月の連休以来、タマちゃんはかなりの確率で荒川に現れ、一日に数度は必ずボートに乗る。なぜか。秘密はその生態にある。
 鴨川シーワールド(千葉県)の海獣展示二課長、新井一利さんによると「今は毛が抜け変わる換毛期。この時期は陸上に上がる時間が長い。飼育の経験からいって換毛期は約2〜3週間。その後は再び以前のようにエサを取るため水中で過ごす時間が増えるでしょう」。
 つまり5月は、全身を見られる格好のチャンスなのである。

      ●

 さあ、いよいよ、タマちゃんがボート乗りに挑戦し始めた。ボートの船尾に小さな手を掛け、口も使いながら、必死で足をばたつかせ、おそらく百数十キロはある巨体を狭い船尾に持ち上げようとする。「がんばれ」「もうちょっとだ」「よし、いいぞ!」。人々は必死で、しかしタマちゃんを驚かさないよう小声で応援する。何度か挑戦を繰り返し、とうとうタマちゃんは船尾のお決まりの場所に体を横たえた。期せずして拍手が起きた。

 シャッターを切りまくる者。感極まって涙ぐむ女性。携帯電話で片っ端から友人に電話する若者グループ。「昔はあんなに小さかったのに、立派なアザラシになっちゃってもう……」と女子高生2人は手を取り合って感動している。まるで親せきのおばさんみたいな言い草だ。

 「タマちゃんとみられるアザラシ」人気の息の長さは尋常ではない。初めて東京・多摩川に登場したのが昨年8月上旬。連日スポーツ紙やワイドショーが報道し、便乗商法が次々に生まれた。これが第1次ブーム。
 しかし、9月、横浜市の帷子川に移動して以来、ブームは陰りを見せ、観客も20人前後にまで落ち込んだ。同じころ、ノーベル賞を受賞した田中耕一さんに、「癒やしキャラ」のお株をさらわれたかに見えた。

 しかし翌03年2月、横浜市西区が「ニシタマオ」君に住民票を交付するやいなや、人々は住民票のコピーを求めて区役所に殺到。冗談じゃないぜ、と在日外国人が住民票交付を求めて座り込み、社会問題化した。
 3月には「タマちゃんを想(おも)う会」による捕獲事件だ。さらに団体と「白装束集団」との関係が週刊誌に報じられると、たちまちワイドショーも飛びついた。第2次ブーム到来である。

 しかし荒川でのブームを不動のものとしたのは、やはり釣り針事件であろう。テレビのリポーターが「かわいそう!」と叫ぶほどに、川っぷちのギャラリーの数は膨らんでいった。

 荒川上流河川事務所は現在、ホームページで監視用カメラによるライブ映像を24時間流しているが、1日のアクセス件数は延べ約1万件。自宅のパソコンで一晩中、映像をチェックする熱心なファンも少なくない。

 タマちゃんの長い人気の一因は、仕掛け人でも付いているかのように、人気が陰るたび必ず「不幸」が訪れることではないか。北国の野生動物が真夏のヒートアイランド東京に迷い込んだ、という「不幸」を皮切りに、台風到来、捕獲騒ぎ、白装束、釣り針……。人々は「かわいそう!」を連発し、熱狂し、身勝手に感動してきたのだ。

      ●

 「ターマちゃーん!」。幼い女の子が甲高い声で叫んだ。隣で母親が「しーっ。静かに見ようね。タマちゃんがびっくりしちゃうよ」といましめる。昨年夏から多摩川、鶴見川、帷子川、荒川と「タマちゃん騒動」を追いかけてきたが、一番変わったのは観客側のマナーの変化に見える。

 「ターマちゃーん」と叫んだ夏はもう終わった。撮影のためフラッシュをたく人も減った。帷子川時代に自発的に生まれた「タマちゃんを見守る会」は定期的に、見物時のマナーを記したチラシを配布している。ゴミを持ち帰ろう、なんて一文までついている。野生動物を観察するときのマナーを、どれだけ多くの人がタマちゃんを通じて学んだことだろう。

 同会メンバーは荒川で、自然観察指導員ばりの活躍だ。「今は換毛期なんだ。体力が消耗するし、普段より陸上に上がって日光浴しなきゃいけない。だから絶対に今驚かしちゃいけないんだ」と説いて回るのは、同会メンバーの川崎市の男性(53)。仕事が夜間なので、毎日午後には荒川に通っている。

 同会メンバーは今も、タマちゃんの来なくなった帷子川に毎日のように集い、写真や情報を交換し、交流を深めてもいる。帷子川では河川浄化の機運が高まっているという。
 一過性のブームでは生み得なかった産物を、長いタマちゃんブームが私たち人間にもたらしてくれたのかもしれない。

 ところで今後のブームの行方は? もはやタマちゃんは連日のように全身をさらし、見せるところまで見せてしまった。ここ数日間、姿も見えないようであるし、さすがのブームも今回で打ち止めではあるまいか。
 社会トレンドに詳しい電通総研副主任研究員、山崎聖子さんは「まだまだ続く」と予想する。「動物キャラは今の時代に万能です。タマちゃんはゴミ袋に印刷されたり、住民登録されたり、ブランドとして定着した。ブームの浮き沈みは多少あるでしょうが、今後も釣り針が刺さったり、ゴミを飲み込んだりするたび、河川汚染などの社会問題とも結びつき、大きな話題となるでしょう」というのである。

 演出家の和田勉さん。「タマちゃんは(1)太っていることの美しさ(2)メークをしない(3)自殺をしない(4)子供を殺さぬ(5)自力更生――以上、すべてただいまのこの国のヒトをはるかに上回って頭が良い。この国のヒトは果たして人間なんでしょうか? ただ世界の出来事を見物しているだけの動物の群れかも……」

 なるほど。タマちゃんを見物し、イラク戦争を見物してきた私たちは明日、この両目に何を映すのか?

 専門家の間では「暑い夏を乗り切れば、タマちゃんは繁殖期までの数年間、東京湾に居着くのではないか」という見方も強まってきている。数年間、私たちはタマちゃんへの関心を維持できるだろうか。熱しやすく冷めやすい日本で、このブームの行方が妙に気になるのである。


記事126◆雑草ブームを読む、の記事

園芸家、柳宗民さんをインタビューした記事。
この時、ポインセチアをいただいた。強い花で、毎年毎年、美しい花を咲かせていた。
が、柳さんがなくなったその年、狂い咲いた後、葉を落とし、こちらももう二度と花を咲かせることはなかった。
とても不思議な思いがした。
合掌。


■掲載年月日 2003年05月26日
■ガーデニングブームの反動?
■なぜか今…雑草回帰
◇「身近」「懐かしさ」がキーワード


 世は相変わらずのガーデニングブームである。おまけに、最近は山野草や雑草の本なんかまで売れているらしい。日本のガーデニングブームも、行き着くところまで来てしまったのか。園芸家、柳宗民さん(76)に尋ねた。なぜ今、雑草なのですか?

             ★

 東京都小平市の泉蔵院の境内の奥に、柳さんの広々とした畑はあった。季節の花や野菜の苗が所狭しと並んでいる。
 「この奥に見事な株があってね。ほら」。柳さんが道案内してくれた畑の一番奥に、ハハコグサが綿毛に包まれた黄色い、柔らかい花をつけていた。一抱えもある群生が二つ。「こんなにきれいに咲いちゃうと抜いてしまえなくてねえ」。柳さんはいとおしそうに花をなでる。

 園芸家らしからぬ発言だ。そもそも雑草は「田畑の敵」のはず。しかし柳さん、その「敵」を憎みきれない。雑草を抜く時、「つい、気兼ねしてしまう」という。

 「雑草というのは学問的には植物の栽培に害を及ぼす草をいいます。あまりきれいでない草花が『その他大勢』として雑草にされてしまった。でもね、僕は小さい時から植物が好きだったから、園芸用の花だ、雑草だ、って線引きする前に、全部を好きになってしまった。戦中戦後は、雑草に随分とお世話になったしねえ」

 食料難の時代、柳さんは多くの雑草を口にした。「春の七草のナズナ。いわゆるペンペン草です。独特の香りがありますね。ハコベもおいしい。意外と珍味なのが、ぬめりのあるスベリヒユ……」。忘れがたい味。思い出は尽きない。

 そういえば、世は山菜ブームであるらしい。「ブームのお陰でしょう
か、昔は東京でも見られた山菜が、めっきり減ってしまった。でも山に入らなくても、足元に結構食べられる雑草がいっぱいあるんですよ」。包装され、スーパーに並んだ途端、結構な値段が付くセリやワラビなどの山菜と、道端に捨て置かれた雑草。味にさしたる区別はないのに、と柳さんの目が笑う。

            ★★

 柳さんは昨年末、季節ごとの主な雑草を取り上げ一冊の本にまとめた。地味な本がなぜかよく売れ、5度目の重版となった。園芸関連で何冊も著作のある柳さんも、「僕の本でこんなに次々重版されるのは初めてですよ」と苦笑する。なぜ今「雑草」なのか、柳さん自身も確たる理由は分からないという。
 「読者の方は『身近な野草で、私でも知っている花がありました』『懐かしい』と喜んでくれる。ガーデニングの好きな人というより、それ以外の人にも受けている感じがします」

 どうやら「身近」「懐かしさ」がキーワードらしい。レンゲ草でつくった冠。カラスノエンドウの実で吹いた笛。暗くなるまで遊んだ夏の夕方に見たエノコログサ……。雑草の存在は、懐かしい記憶をチクチクと心地よく刺激してくれるのである。
 その懐かしさは、花屋さんやガーデニングセンターではもう味わえない。ガーデニングブームが長く続く今、名前も聞いたことのないような花ばかりが店頭に並ぶようになった。誰もが目新しい色や形状の花を求め、生産者はそれに応えようと品種改良を繰り返す。熱しやすく冷めやすい人々を満足させるため、花はどんどん派手に、大輪に、鮮やかに変わっていく。

 「ガーデニングブームの中で品種改良が繰り返された結果、僕には多くの花が本来の固有の美しさを失ってしまったように見えるんです。例えばガーベラ。昔はあんなにほっそりとした花弁と茎を持っていたのに、今は花弁も茎も太い大輪の花ばかり。そんな時代だから、人々が素朴な雑草に心引かれるのかもしれません。雑草は昔から同じ表情を見せてくれるから」

 なるほど、行き過ぎたガーデニングブームを背景に、「雑草回帰」が進んでいるというわけか。

           ★★★

 「品種改良に促成栽培、抑制栽培……。来るところまで来てしまって、今じゃまるで『周年栽培』だ。今、花は季節感を失いつつある。トマトやナスが一年中スーパーに並ぶのと同じ現象が、花の世界でも起きている」と柳さんは嘆く。
 例えば、チューリップ。今では11月末に店頭に登場する。秋の花壇を彩る花、サルビアも春に店頭に並ぶようになった。冬に咲く花を追求した結果、冬花壇用のパンジーも開発された。
 「チューリップやパンジーなどの春の花は、かすみがかった春の空だから、秋のサルビアは澄んだ秋の青空だからこそ映える。その季節に咲くのが一番美しいようにできている。それが花の季節感であったはずなのに」

 確かにそうかもしれない。遠い記憶の中で、パンジーやチューリップは小学校の入学式やランドセルなど春の思い出とともに咲いていた。ところがそのパンジーが今や冬の花壇を飾る。

 「冬の花壇が寂しいからこそ、春の訪れの喜びがあるんです。冬の花壇に花が咲けば、春の花壇の喜びは消えてしまう」と柳さんは言うのである。

 一方、野に目を向けた時、雑草は季節感に満ちている。オオイヌノフグリの青いかれんな花を見て、春の訪れを知る。タンポポやペンペン草がそれに続く。雑草はひそかに日本の四季を守り続けているのだ。

 「山野草や雑草の本が売れるのは、ガーデニングブームの反動なのかもねえ」。40年間、園芸に携わるその人は、少し寂しげにため息をつくのだった。

記事125◆文京区の図書館を弾劾するぜっ!の記事

■掲載年月日 2003年05月06日
■編集部から

 近所の図書館で児童文学を選んでいて驚いた。本が書名の五十音順に並んでいる。
 松谷みよ子さんの「モモちゃん」シリーズは「ちいさいモモちゃん」が「ち」の棚、「モモちゃんとアカネちゃん」は「も」の棚とバラバラ。本好きの子供は好きな作家の作品を追うものだが、これでは探しにくい。

 都内23区の図書館にも児童文学の並べ方を聞いた。結果、23区中20区は原則著者順。書名順は文京、目黒、千代田の3区だけだった。一方、絵本の方は一番多いのが画家順で、文章を書いた作家順、書名順もあった。利用者にメリットがあるとは思えない出版社別分類は文京、豊島の2区だった。

 私の暮らす文京区では今年度、並べ順を見直すという。図書館の規模や利用者の層によって一概に「正解」を出しづらい問題ではあるが、やはり読み物は著者順、絵本は画家順がいいと思う。

記事124◆大江戸温泉物語ルポなど

■掲載年月日 2003年04月07日
■温泉ラッシュの東京都心、今なぜ
■混雑も「江戸」の演出
■裸、裸、裸〜の大迫力


 東京都心が今、温泉ラッシュに沸く。台場の「大江戸温泉物語」が完成したのに続き、5月1日には「後楽園ゆうえんち」に、6月下旬には「豊島園」に、それぞれ温泉レジャー施設がオープンする。なぜ今、都心に温泉なのか。台場で風呂につかりながら考えた。

 「大江戸温泉物語」の外観は巨大な湯屋のようだ。玄関を入ると「帳場」があり、「越後屋」の看板が掛かるカウンターで浴衣を受け取る。浴衣に着替えないと風呂にも入れない。江戸がテーマの温泉テーマパークなのである。
 館内は時代劇のセットのようだ。夕暮れ時の江戸の街並みを再現した館内に、食べ物屋や土産物屋が並ぶ。
 「ゆ」と書かれたのれんをくぐり、脱衣所に足を踏み入れた私は思わず絶句する。

  ■       ■

 裸。裸。裸。
 すごい迫力だ。100人はいる。これほど大勢の裸を一度に目の当たりにしたのは初めてだ。400人分の脱衣用ロッカーは、平日というのにほとんど空きがない。ロッカーが全部埋まり、脱衣所に風呂を待つ人の列ができた日もあったらしい。

 つい江戸の人口密度を想像してしまった。現在の人口密度全国一は東京都中野区で1平方キロに1万9854人だが、江戸の町人地は約6万人もいたというから、今の3倍だ。混雑ぶりもまた、江戸らしさの演出なのか。

 風呂の方は広かった。中央の数段高い場所にあるのが、地下1400メートルから沸く天然温泉だ。しかし私はそれに目もくれず、露天風呂を目指した。

 流れる風。
 たなびく雲。
 湯煙にかすむ山々。
 俗世を忘れ、心からリラックスできる露天風呂が大好きなのだ。ガラス戸を開け、ひんやりした屋外へ出た。

 出た、はずだった。
 が、そこにはなぜか屋根がある。目の前には、屋根まで続く石垣の高い壁。屋根の一部は格子天井になっていて、小さく切り取られた空がわずかに見えた。これって本当に「露天」なのだろうか。テレコムセンターなど台場のビル群を望む露天風呂を期待していたのに。なぜ屋根が、壁がいるのか。

 しばらくして気付いた。テレコムセンターの21階には確か、無料展望室があったはず。展望されて困るのは入浴客の方なのだ。屋根で隠すしかない。

 傍らの看板に、露天風呂の名前が書いてあった。「百景の湯」。思わず苦笑した。

 東京都環境衛生課によると、都内の温泉施設は165カ所(昨年末現在)。95、96年から目立って増えたという。「健康ランドなど日帰り入浴施設の人気が高まり、『近場で日帰りできる本物の温泉』の需要が高まった」と同課は分析する。
 思い起こせば89年、全国の市町村に1億円をばらまいた「ふるさと創生資金」で、全国約350市町村が温泉掘りに挑み、約250市町村が掘り当てたといわれる。結果、低価格の日帰り温泉は急増し温泉ブームにつながった。
 長引く不況で、箱根では宿泊客が減り、日帰り客が増えているという。同じ日帰りなら、近場がいいと思うのも当然だ。そこで都心の温泉である。入湯料が少々高くても、交通費を考えれば安いもの。実は、1500メートル程度掘れば東京の約8割の土地で温泉が出るという。

 「大江戸温泉物語」には連日約4000〜5000人が訪れる。オープン前、温泉側は「平日2500人、土日曜日8000人」と予想していたが、実際には週末と同程度の客が平日にも集まる。平日客を支えるのは中高年女性である。

 6月下旬にオープンする豊島園「庭の湯」は「遊園地の客層で一番少ない40〜50代を、温泉施設で取り込みたい。平日は低価格にし、主婦や中高年女性に利用してもらいたい」という。

 一方「後楽園ゆうえんち」の敷地内にできる東京ドームシティ「ラクーア」のターゲットは若い女性。「東京ドームの客に少ない20〜40代の女性層を集めようと、カラオケやシネマコンプレックスなども検討した結果、温泉にした」という。
 なるほど、いずれも狙うは女性客なのである。

 真新しい湯船の中で裸のインタビューを敢行した。「混雑は気になりません。なんか癒やされる」というのは26歳の会社員女性。北海道出身の54歳の女性は「込むねえ」とこぼしつつも「でも近場の温泉っていいわねえ」。
 今度はシニア夫婦10組にも声を掛けた。10人の夫全員が「妻に誘われて」。ここでも女性上位は揺るがない。湯船で「夫婦バラバラだとつまらないでしょう」と妻の側に問うと、「この適当な距離感がいいのよ」と笑顔とともに本音が返ってきた。

  ■       ■

 しかし、この混雑は何とかならないものか。人気の「砂風呂」やマッサージは予約で数時間待ち。飲食店で注文したらポケットベルを持たされ、料理ができるとポケベルが鳴るという。
 さらに週末は、混雑緩和のため4時間の時間制限がある。混雑の中、4時間で全部効率よく回るには周到な計画が必要だ。

 屋根付き露天風呂につかりながら、ついつい私は計画を練り始めてしまった。入場したら急いで浴衣に着替え、風呂に駆け込む前に砂風呂やマッサージの予約を入れること。風呂は足湯、内湯の順で効率良く回る……。ぴったり4時間の計画を練り上げたところで、我に返った。

 私、何をやってんだろ。

 頭上に鳴り響くごう音に驚き、ふと顔を上げると、格子天井に切り取られた小さな空を飛ぶ飛行機が、半分だけ見えた。


記事123◆反戦パレードを歩いての思いをコラムに

■掲載年月日 2003年03月25日
■編集部から

 反戦デモを2度歩いた。1度目は2月19日。取材が目的で、反戦デモのルポを記事に書いた。2度目は3月8日。これは個人として歩いてみた。そして気付いた。
 「個人としてデモを歩いた時より、記者として取材しながら歩いた時の方が、より自分自身を生きてる感じがする」と。

 記者になって最初の3年間、「当事者になれないこと」がつらかった。戦争の傷を今も抱える人がいる。私はそれを書く。だけど私の心に戦争の傷はない。外国人労働者を支援している人がいる。私はそれを書く。でも私は比較的安定した会社員の立場にある。いつも傍観者のようで、自分がうそっぱちなようで、悔しかった。

 あれから10年。いつの間にか「取材し、書く私」が自分なりの「当事者」だと認められるようになっていた。戦争が始まって気になるのは足元のこと。生き方、働き方を考え込むことが増えた。

記事122◆ニュージーランド入寮者殺人事件の記事

ショッキングな事件でした。
不登校やひきこもりに取り組む民間団体が、ニュージーランドに開いていた寮の中で集団暴行の果てに入寮者が一人亡くなってしまったのでした。
大変なバックラッシュが起こり、海外に拠点をもうける同種の取り組みに対してまで反発が広がろうとしていたことを危惧して、書いてみた記事です。


■掲載年月日 2003年03月12日
■ひきこもり、数十万人時代…NZ入寮者殺人事件が突き付ける課題


 不登校やひきこもりの若者たちを海外で生活させて回復を図る民間施設が出来始めている。それなりに「効果」は上がっているのだが、その中でニュージーランド・オークランドにある同様の寮で先月末、1人の男性入寮者(22)が亡くなった。同じ入寮者9人に集団暴行を受けたという。現地では「日本の社会問題の輸入ではないのか」という論議まで飛び出している。ひきこもりの若者は数十万人といわれる時代。事件は重い課題を突き付けている。

 ■「救いの寮」で何が

 事件が起きたインターナショナルコロンブスアカデミーは89年、金森克雄代表が当時勤務していた会社で不登校の子供らをヨットの外洋長期航海に連れ出したのが始まりだ。90年、会社は倒産したが、その後も金森代表は親の要請を受けて航海教室を継続。危険を伴う体験を通して他人と力を合わせることを学ぶ航海は、すでに20回を数える。
 さらに「海外で普通はできない経験を積ませ、自信をつけてやりたい」と94年、オークランドに共同生活の寮を開設。現在、入寮者の多くは現地の高校や大学、語学学校にも通っている。一方、国内でも91年、ひきこもりの若者らが就労体験できるお好み焼き屋を開店したほか、00年には親たちも参加してNPO(特定非営利活動法人)を発足させた。

 事件は2月26日未明に起きた。警察官が到着した午前3時半にはすでに、被害者の男性は頭部に重傷を負って死亡しており、捜査当局は3月12日、暴行を加えた17〜26歳の男子入寮者9人を殺人罪などで、金森代表を捜査妨害などで起訴した。

 暴行事件に発展した経緯について、寮側は「青少年たちの自主的な会議の中で、感情的になり、暴力が発生した」と説明するが、それ以上は「亡くなった被害者とご家族のプライバシーを守ることを優先したい」と公表していない。また、金森代表については「『弁護士が来るまで黙っていてもいい』と入寮者たちに黙秘権について説明したら、捜査妨害だと逮捕された」としている。

 複数の関係者によると、起訴された9人の入寮者はまとめ役的な存在で、寮で起きたトラブルについて被害男性と話し合おうとしたのがきっかけだったという。寮には10人のスタッフが夜間も常駐していたが、暴力行為を食い止めることはできなかった。寮側もこれを重く受け止め、内部調査を開始している。

 内部で何が起き、どんな事情から命を絶つまでの感情の爆発があったのか。事実は13日から始まる裁判で明らかになろうが、現地の日本領事館には、入寮者の親たちから「あの寮に親子で救われました」「家にこもり続けた息子が夢を見つけ、現地の大学を卒業するまでに成長しました」など切々と訴えるファクスが届いているという。

 ■日本で生きづらい子たち

 コロンブスのように、不登校やひきこもりの若者が親元から離れ、共同生活する宿泊型施設は徐々に増えている。特に20歳をすぎたひきこもりの場合、相談された行政側も対応できず、困り果てた親子が頼るのは、民間の援助団体しかない。5年、10年と長期化する前に親元から離れ、自立のきっかけをつかむという点で、宿泊型施設の有効性は注目されてきた。

 富山県で不登校やひきこもりの若者が共同生活をする「ピースフルハウス はぐれ雲」の川又直代表は「今回の事件で、『子供を親元から離し、環境を変え、共同生活を体験させていく』という活動自体が全否定されてはいけない。最近は『家族の中で問題解決しろ』という風潮が強まっているが、何年間も家族だけで抱えている方がずっと問題だ。親元から離れただけで、もうその子は8割がた立ち直っている」と訴える。また、これらの問題に詳しい田口教育研究所の田口正敏所長は「海外留学や海外体験をうたう援助団体は増えている。日本だから生きづらい子もいるし、閉鎖的な日本を離れ、海外に出ることで自立のきっかけをつかむ子も多い」と語る。

 実際、オークランドの寮で生活した経験のある女性(23)は「幼稚園のころから一人も友達ができなかった。高校に行けなくなり、1年間自宅にひきこもっていた。でも、ニュージーランドに行って私は変わった。寮の仲間は兄弟のようだったし、現地の高校に通って友達もできた。髪を金髪に染めても、先生は怒るどころか『グッド・カラー』と褒めてくれた」という。

 ■「親の甘やかし」と言われ

 25年以上、社会的自立ができない若者たちを家庭訪問し、共同生活させてきたNPO法人「青少年自立援助センター」(東京都福生市)の工藤定次代表はこの春、川又代表ら15年以上共同生活施設を運営し続けてきた3団体と協力し、全国32カ所の宿泊型施設を実地調査した。その結果を「ひきこもり・不登校援助団体レポート」(ポット出版)にまとめた。子供に合った施設を選ぶ情報を提供しよう、というのが目的だ。
 工藤代表は一般論としたうえで「運営者が十分にトレーニングを受けていなかったり、ソフト面が伴わない場所もある。それに、すべての子に万能な施設はない。ミスマッチの施設で何年も過ごしたり、居心地が良すぎて居着いてしまったりしないよう、施設選びは大切」と話す。

 一方、田口所長は「24時間態勢で子供の命と心の健康を守るため、施設運営者は大変な努力を重ねている。民間や個人だけの努力に頼っていていいのか」と行政の援助の必要性を説く。

 厚生労働省が全国調査によって初めてひきこもりを定義づけ、各相談機関での対応ガイドラインを配布したのは01年5月。社会復帰のための公的施設の充実、専門家の配置、関係機関のネットワーク構築など、公的対策は動き出したばかりだ。

 不登校もひきこもりも、「親が甘やかしたせい」といった偏見が根強い。親子で困惑し、一筋の希望を海外の施設に見いだしたケースもあるだろう。そんな中でニュージーランドで起きた今回の事件。この問い掛けは重い。

(現地からのレポートも添えます)

 ◇現地「日本の社会問題の輸入」論も
 「若者たちは朝、送り迎えの大きな車に乗ってどこかに行く。私も教師なので興味を持ったが、建物内はいつも静かで、中の様子は全然分からなかった」。寮の近くに住む臨時教員、ギリアン・ドーソンさん(51)はまゆをひそめた。
 緑あふれるオークランドの西部にある閑静な住宅街。コロンブスアカデミーの門には「私有地につき立ち入り禁止」の札が掲げてあった。死亡した男性(22)は、男女30人の入寮者やスタッフとともに4棟の家の一つに暮らしていたらしい。
 被害男性がニュージーランドに来たのは97年。口数が少なく、現地の学校にも慣れなかったという。唯一の楽しみは地元の「相撲クラブ」の練習だった。クラブのコーチ、グレグ・マヨさん(35)は証言する。
 「彼は英語をほとんど話さなかったが、練習は熱心だった。正月が近づいた時、日本に帰らないのかと聞くと、『帰らない』と言う。次の年も同じだった。心の問題を抱えた子だとは薄々知っていたが、まるで親に捨てられたかのような形で、彼自身も自分の境遇をあきらめているように見えた」
 アカデミーには彼のような長期滞在者が多かった。
 ここ数年は入寮者らが市内で起こすけんかや窃盗が相次いでいたという。「入寮者には、ひきこもりタイプと、日本で非行を繰り返してきたタイプがいた。それが共同生活を送るのだから、いじめなどが起きて当然といえるかもしれない」と話す日本人もいる。「日本で社会に適応できない若者を捨てる場所だったのか、と言われかねない。これからが心配だ」
 事件は地元メディアも大きく取り上げた。金森代表の経営する店も休業となり、現地の関係者は当初、「何も言えない」と繰り返すのみだった。
 野党・NZ第一党のピーターズ党首は「すでにニュージーランドは家庭内に問題を抱えた外国の若者であふれている。なぜ我々は日本の社会問題まで輸入しなければならないのか」と政府に厳重調査をするよう申し入れた。
 政府のこれまでの調べでは、アカデミーは教育訓練施設としての登録をしておらず、一部の入寮者の滞在ビザに不備があったほか、代表が経営するレストランで働く入寮者には最低水準の賃金が払われていなかった点が指摘されている。
【オークランド(ニュージーランド)で堀内宏明】

記事121◆澤地久枝さんのインタビュー記事

■掲載年月日 2003年03月05日
■この国はどこへ行こうとしているのか
■作家・澤地久枝さんに聞く


一人ひとりが「賢い個」となれば、政治を動かし戦争を回避できます。むしろ今は、市民が成熟する絶好のチャンス


 世界がじわじわと戦争に近づいてゆく。誰もが平和を望んでいるのに、それを手に入れる道が見えない。この国はどこへ行こうとしているのか。昭和史を掘り起こし、歴史の下積みとなった人々の声を記録してきた作家、澤地久枝さん(72)は今、「一人から、家族から始めよう」と語る。

 ――今の日本と、取り巻く世界状況をどう思われますか。

 ◆この国の主権者の一人として、絶望的だと感じています。米国は戦争回避の道を探ることなく、イラク攻撃を始めるきっかけをつかもうとしています。その米国に無批判に追随しているのが今の日本政府です。
 日本は第二次世界大戦で、自国の民を傷つけ死なせただけでなく、他国の軍民にも多くの犠牲を強いました。戦争がいかにむごくむなしいか、という教訓を得たはずの日本が、今独自の見解を示せずにいるのは情けない。
 世界各地で1000万人を超える人が反戦デモに参加し、それぞれの国の政権をも動かそうとしています。ところが日本はどうでしょう。「この国はどこへ行こうとしているのか」という問いへの答えは、私たち一人ひとりの今後の行動にかかっています。それを自覚し、意思表明しなければ、平和を守ってはいけませんね。投書でもいい。デモでもいい。今こそ「戦争反対」と一人ひとりが意思表明すべき時ではないでしょうか。

 ――しかし日本では反戦の意思を表明したり、行動している人は多く
ありません。欧米諸国で何十万人もが反戦デモに参加しているのとは対照的です。

 ◆日本では今、政治や経済だけでなく、市民社会も停滞しています。これだけ政治的無関心がはびこっているのに、一夜にして数十万人のデモが現れたら、その方が私は怖い。それに一夜で生まれたデモは、一夜にして消えてしまう。時間はかかっても、地道で確かな積みあげの方がいいです。
 日本は、市民社会という点ではまだまだ後進国です。一人ひとりの市民の人権が認められてから、まだ半世紀しかたっていない。市民社会が成熟していくには時間がかかるのです。
 今大切なのは、家族や友人など少人数の間で、近づく戦争そして平和について話し合うこと。一人から始まって小さな人の輪がまず各地に生まれ、一つの大きな流れとなることに希望を託します。
 私たちはまず、自分のなし得る役割について自覚したい。例えば、人はテレビニュースで世界の人々が反戦デモに参加している映像を見れば、刺激を受けますよね。勇気をもらう人もいれば、反省する人もいるでしょう。つまり、私たちは他人の行動から影響を受け、他人の行動に影響を与えながら生きている。だから一人ひとりの行動の持つ可能性は、決して小さくないと思います。
 私たち一人ひとりがそれを自覚し、考え、「賢い一つの個」となれば、市民は力を持ち、政治を動かし、戦争は回避できます。「絶望的だと感じている」とは言いましたが、希望は捨てていません。むしろ今は、市民が成熟する絶好のチャンスだと思います。社会状況が反面教師となってくれますから。

 ――ご自身も昨年12月、小田実さんや鶴見俊輔さんらと呼びかけ人になり、反戦デモの先頭に立たれましたね。

 ◆第二次大戦の時には、女に選挙権はなかった。でも今は選挙権も被選挙権も持っている。何もできなかった、と逃げるわけにはいきませんからね。今月1日には、小田実さんら呼びかけ人が中心となり、参加者一人ひとりが反戦の思いを語る集会を行いました。
 今回、私が呼びかけ人として行動しているのはこの集まりだけですが、別の集会などにもできる限り参加し、いつか大きな一つの動きとなるように努力したいと思います。

 ――著書「私のかかげる小さな旗」で「個としての一人」から始める大切さを説き、「個人を互いに支えているのは家族」と書かれています。

 ◆人は「個」として生きると同時に、「個」としての自分の思いを他に伝えようとしますね。その時、一番身近な相手はたぶん家族。たとえ家族と意見が対立しても、愛する相手とであれば折り合う道もみつかります。そうやって家族と話し合うことで、「個」は鍛えられていくと思う。家族とさえ話ができないのでは、他人と話し合うことなどできないでしょ。
 また、子供の存在は大きいですね。日本各地に残る戦争の傷跡や、日本が他国に戦争を仕掛けたために今もその国に残る貧困や病気などについても、子供を巻き込んで家族で話し合えるといいですね。子供なりにしっかり考え、意外な発想で大人を驚かせてもくれますよ。

 ――まず家族で戦争や平和について語り合うことが、世界の平和にもつながっていく、というわけですね。

 ◆そうです。1945年8月までこの国は大日本帝国でした。当時、国を構成する一番小さな単位は男子相続の「家」でした。人々は「家」のくびきにがんじがらめにされていました。 しかし戦後、特に最近、「家」ではなく「家族」がそれに代わりはじめた。誰もが人間らしく生きられる社会を作るためには、まず「家族」の中で人間らしい関係を築くことが大切と思うのです。
 もちろん、法律上の家族に限る必要はありません。私には法律上の家族はいないけれど、とても気になっている日本や外国の子供たちがいます。彼らは私の精神的な家族です。 

――今、家族関係は人間らしさを欠いて見えますか。

 ◆例えば、夫が職場でリストラ対象としていじめを受けたり、過酷な残業を強いられて自殺願望へと追い込まれるような状況の時、「あなた、辞表出したら。みんなで頑張れば何とか食べていける。大丈夫よ」といえる妻であってほしいですね。男女逆のケースもしかりです。互いに人間らしく生きることを最優先してほしいです。
 もしもあちこちで妻たちが「辞表出してもいいわよ」と言い出してごらんなさい。今の日本の会社社会は揺さぶられ、変わりますよ。女たちは今、問われているんです。ブランド物だ、何だと虚業に惑わされ、大事なものを取り落としてはいないかを。

 ――しかし、長引く不況は人々をますます経済不安へと駆り立てています。

 ◆私は1930年に生まれました。いわば不景気の落とし子のようなものです。当時の経済不安は人々の批判の心をつみ取り、生活の糧を求めようと必死にさせた。その延長上に満州事変につづく戦争の時代があったのだと思います。
 今の日本の状況は、あの時代に重なって見えます。みんなが貧しくなることに対して理由のない不安を抱えている。私は、生活レベルが少々落ちたって構わない。むしろ経済繁栄ひとすじに走り続けてきた日本人が、一度立ち止まり、深呼吸して考え直すことによって、新たに見えてくるものもあるのではないですか。
 日本の経済状況は今後もっとひどくなるでしょう。この国はもう、経済的には破たんしているんじゃないでしょうか。苦境を切り抜けるため、弱者にもっとしわ寄せがいくと思っています。

 ――こんな時代に、どんなふうに希望を見いだしているのですか。

 ◆私は、絶望したくないの。なぜなら、日本中、世界中に精いっぱい生き、戦争批判の思いをもつ人がたくさんいることを知っているから。出会ったことはないその人たちの思いと、自分の思いを重ねながら、生きていきたい。たとえ孤立しようと、どんな批判を浴びようと、私は私の考えを変えることなく表明しつづける勇気をもちたいです。
 意思表明することで、私は後戻りできないよう、自分を追い込んでいますよね。でも、それこそが自分で希望を見つけている、ということなのです。

記事120◆イラク攻撃反対パレードを歩いてみた、の記事

学生時代、デモなんかあんまりしなかった。
時々酔っぱらって、百万遍の交差点あたりをジグザグデモとかしては、大ひんしゅくをかった程度。いやーね、学生の酔っぱらいって。反省。
だいたい、シュプレヒコールってのが好きじゃないし。
「殲滅」だの「粉砕」だのの言葉も嫌い。その4文字の最初に強勢を置くイントネーションも嫌い。
でも、学生寮にたっぷり5年もいましたから、バブル時代の大学生のわりには、学生運動カルチャーを肌で感じてもいました。

そんな私が、すっごく久しぶりにデモに参加してみたら……!?
という記事。

掲載後、団塊世代らしき読者数人(すべて男性!)から、「最後のくだりで泣いてしまいました……」という手紙をもらいました。
うーむ。なぜだろう。


■掲載年月日 2003年02月27日
■日本にも広がるイラク攻撃反対「平和パレード」
■人々は何を思い、街を歩きはじめたのか

 米国のイラク攻撃に反対する平和パレードの輪が、日本にも広がっている。世界の約400都市で1000万人以上ものパレードが行われた15日には、東京・渋谷でも約5000人が集まった。遠い国で始まろうとしている戦争と、米英への支持を表明した日本。人々は今何を思い、街を歩き始めたのか。それが知りたくて19日夜、銀座のパレードを歩いた。

 パレードの前に集会が開かれた。会場の東京・日比谷野外音楽堂に足を踏み入れた瞬間、何ともいえない違和感を覚えた。円形劇場風の座席には、労組の名前を染め抜いた立派なのぼりや大きな旗がずらりと並んでいる。会場でもらった「座席配置図」によると、「自治労、全水道、日教組、都市交……」と労組ごとに座る位置まで決まっている。舞台の演説に合わせ、会場からは「よしっ」「そうだ!」と定番のかけ声も上がる。
 なんだかメーデー集会みたいだ。労組主導の集会とは前もって聞いていたが、もっと「市民」が参加していると期待していた私は少々落胆した。

 配置図によると「市民団体、個人参加者」と書かれた座席は一番隅だった。そこには何千人もの労働組合員らに押されるように、年も格好もバラバラな「市民団体、個人参加者」らしき人たちが座っていた。茶色い髪の若者が小さな手作りのプラカードをひざに抱いている。

 一般に参加を広く呼びかけた結果だろう。対立する新左翼セクトの中核、革マル両派の系列労組が、それぞれ横断幕を掲げていた。同じ集会に彼らが同席するのを初めて見た。

 背後で黄色い腕章を巻いた実行委のおじさんたちの密談が聞こえた。「中核と革マル、デモの歩く順番をどうする?」
「どっちが前でももめるぞ」
 実行委のあたふたぶりを見る限り、今回の集会はやはり、日ごろの労組集会とは勝手が違うらしい。

  □

 労組主導の雰囲気が一変したのは夜7時半ごろ、パレードが始まった時だ。先頭を歩くのは労組ではなく、「市民団体、個人参加者」たちだった。ようやく「普通の人たち」が主役に躍り出たように見える。

 オモチャのタンバリンを鳴らす男性。楽器に合わせて歌う人もいる。ほうきに紙を巻いて「戦争ほうき」というプラカードを作った女性。ハンカチで作った小さな旗を掲げる人。ブッシュ米大統領の顔写真のお面をつけ、軽やかに歩く若者たちもいる。

 「シュプレヒ