出産前に最後に掲載された記事です。
このころはもう、育休に入っていたかも。
忘れがたい取材です。
掲載年月日 1998年04月14日
■家族の伝言:98年春
■母の卒業式/1
■仮面の娘を愛した
幼いころ、私は両親のささいな言葉や仕草から、彼らにとっての「理想の子供像」を敏感に感じ取れた。母に喜んでほしくて、父を笑わせたくて、無意識に「いい子」を演じていたように思う。取材で会ったアキさん(20)=仮名=も、そうだった――。
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<仲間が悪口を言ってる。壁の向こうでうわさをしてる。窓からのぞいているのはだれ?>
妄想と幻聴がアキさんを襲ったのは、2年前のことだ。高校3年で覚せい剤に手を出し、1年が過ぎていた。
頭を抱えた。体が震える。気遣う仲間の声も、自分をなじっているように響いた。それでも、売人のイラン人から日に10グラム単位で覚せい剤を買って、仲介した。薬仲間は120人に膨れた。「売人になれよ」と誘われた。
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「薬を始めたのは、母への当てつけもあった。心配する母の顔を見たかったのね。小さいころから、ずっと『いい子だ』って褒められてきたけど、本当は毎日、全然楽しくなかったから」
逮捕をきっかけに、アキさんは薬をやめた。最近、ようやく自分が見えるようになった。
自営業の父(51)と母(50)、3歳上の姉と三つ下の弟。祖父母。みんな一緒に暮らしていたのに、なぜか家族の風景にはモヤがかかる。小学生のころの記憶をたぐって思い出すのは、毎日のように姉をしかりつける母の姿だ。
「あの時、自分はだれにも嫌われず、一番かわいがってもらえる方法を探してた。反抗しないこと。成績を上げること。姉のようになるまいと思って『私自身』を失ったのかもしれない」
幼いアキさんの顔に、いつしか「いい子」の仮面が張りついた。母に言われるまま、お嬢さんが集まる東京近郊の有名私立中に入り、エスカレーターで高校に進んだ。だが、そのころから息切れが始まる。仮面の下の満たされない素顔が、覚せい剤を呼び寄せたのか。
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母は娘の素顔より、仮面を愛したのかもしれない。子供に期待と夢を託し、干渉し続ける。アキさんの「薬」で母がそれに気付くまで、長い時間がかかった。
掲載年月日 1998年04月15日
■家族の伝言:98年春
■母の卒業式/2
■娘が私の夢かなえる
「アキは私の夢。私の人生のやり直しでした」
覚せい剤に走ったアキさん(20)=仮名=の母親(50)が「いい子」だった娘に託した期待は大きかった。
母親は医者の一家に生まれた。アキさんの祖母も医者だった。26歳で結婚した専業主婦の母親にとって、夜中でも白衣を翻して往診に出掛けた自らの母の姿は「自立」の象徴だった。「それなのに、いまの自分は……」。夫から自立できず、外で働いたこともない。劣等感が、そのまま娘に向けられた。
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母親の話は、つらい内容だった。
新婚時代から20年間、夫の両親と同居した。日々の献立選びも、最後の味付けも、義母が仕切った。キンピラゴボウが糸のように細く、白く、しゃっきり仕上がらないと義父に言われた。「きょうは料理に愛情がこもっていないな」
3人の子供が生まれても、義父母に気を使う日々は変わらなかった。「別居したい」と言ったが、夫は相手にしてくれなかった。
「子供さえいなければ、外で働ける。離婚だってできるのに」。いら立ちは、まず長女にぶつけられた。
学歴志向が強く、長女の持ち帰る30、40点のテストが許せなかった。小学校の低学年だったころから早朝6時に起こして勉強させた。たたいて、けって、階段から落としたこともある。映画に行きたがる小さな娘に「一人で行け」と金を投げつけた。何とか、長女を短大付属の私立中に合格させると、「ここまで」と見切りをつけた。
母親の関心は、成績抜群だった二女のアキさんに向いた。「この子なら、私の夢をかなえてくれる」。人生のやり直しをそこにかけた。
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水泳、絵画、ピアノ、お習字……。母親は、アキさんが幼稚園のころから毎日、習い事に通わせた。95点のテストを持ち帰っても「どうして100点が取れないの」と責めた。有名私立中に合格すると、娘の教育に月7万円を投じた。
「アキは限りなく、私の夢の近くにいる」。しかし、そんな母親の思い
は、結局、幻想に過ぎなかった。
掲載年月日 1998年04月16日
■家族の伝言:98年春
■母の卒業式/3
■別居の夫に救い求め
娘にかけた母親(50)の期待は強まるばかりだった。しかし、思春期を迎えるころから、アキさん(20)=仮名=には、そんな母の存在が空気のように希薄なものに感じられ始めた。
<家族なんて、ただのザコ。みんなあたしの奴隷。道具。家はすべて、あたしのモノ。好きにしてどこが悪いの?>
「愛されたい」という願いは、いつしか家族を離れ、友人と恋人にだけ向けられた。
<友達に、いじめられたくない。嫌われたくない。上手にいじめの周辺を立ち回らないと……。進学校って、友達もみんな競争相手みたい>
周囲の顔色をうかがう毎日。有名私立中の3年のころには、すっかり疲れ果てていた。
高校1年の15歳の時、マリフアナを始めた。「やせられる」と聞いて、17歳で覚せい剤に手を出した。髪を金色に染め、スカートを短くし、教室のベランダで「日焼け」と称して授業をさぼり、パーティー券を売りさばいた。
それでも勉強はできた。試験の前だけ、授業を適当に聞いていれば、成績は下がらなかった。
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母はすぐ、娘の覚せい剤に気付いた。動転し、あちこちの相談機関を訪ねた。それでも、心の片隅には、まだ甘い考えがあった。
「あんなに勉強ができるんだから、あの子は大丈夫。きっと将来は医者か看護婦。それか、歯科衛生士にはなれるはず」
「自立」できない自らのコンプレックスを裏返した医学界へのあこがれ。母は夢を見続けていた。
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アキさんが高校に進んだころから、母は夫(51)と別居していた。3人の子供を連れて、実家の父が購入してくれたマンションに移り住んだ。
「ずっと主人をバカにしてた。あんな男なんかって。出身大学だってたいしたことないし……」
しかし、娘の「薬」が
きっかけで、一度は愛情の冷めた夫に「一緒に暮らして」と頼み込んだ。
「一人では闘えないの。助けて」。その叫びに動かされ、夫はマンションに同居した。「アキの覚せい剤がなければ、私たちは離婚していた」
妻は今、不思議な因縁をかみしめる。
掲載年月日 1998年04月17日
■家族の伝言:98年春
■母の卒業式/4
■救うための“子離れ”
東京の下町。JR亀戸駅近くの焼き肉店の2階に、薬物依存者の家族のための民間相談機関「セルフサポート研究所」がある。昨年11月から半年間、私は週数回のミーティングに参加し、多くの母親に出会った。
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木曜日、顔なじみの母親8人が研究所に集まった。臨床心理士の加藤力さん(40)を囲み、近況や昔話を語り合う。
茶のジャケットの母親が口火を切った。「ずっと専業主婦。夫に一生懸命尽くしたけど、評価してくれなかった。だから、完ぺきな子育てで認められようと思ったの」
「私も。0歳児のころから心理学の本を読んだ。息子も期待に応えてくれ、私は母親仲間のせん望の的だった。息子の薬が分かるまで、怖いぐらい絶好調だった」。別の母親が、うなずく。
ある日突然、子供の薬物乱用を知る。妄想に襲われる我が子。金をせびられ、暴力を受け、安眠できる夜を失う。
まさに地獄だ。
「私の何がいけなかったの?」。母親の自問は、終わることがない。
そんな時、「子の手を離しなさい」と、加藤さんは助言する。薬代を手渡し続けてきた母親たちは、子供との決別を決意し、家を出る。60歳を過ぎて一人暮らしを始めた母親さえいる。自分自身の人生の模索が、そこから始まる。
ジャケットの母親が言う。「別れて2年になる息子と再会する日が怖い。逆戻りしそうで……」。2年ぶりに娘に会ったばかりの母親は「薬をやめて自立した娘の姿を見て、無性に寂しかった」とつぶやいた。
地獄を見た母親たちでも、子の「自立」はたまらなく寂しいという。
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アキさん(20)=仮名=の母親(50)も3年前、この研究所に通い始めた。「あなたが変わらなければ」と言う加藤さんに最初は納得できなかった。
<アキの薬は私のせいなの?>
仲間の母親を見て、迷いは消えた。「私が一文なしにならない限り、息子は救えない」と、その人はすべての財産を手放し、家を出ていた。
「親の回復程度しか、子も回復しない」。加藤さんの言葉が胸を突いた。
掲載年月日 1998年04月18日
■家族の伝言:98年春
■母の卒業式/5
■でも、抱きしめたい
病院、警察、鑑別所、リハビリ施設を経て、アキさん(20)=仮名=は今、東京・下町の2Kのアパートに父(51)と暮らす。「父さんと住みたい」と、昨年末に借りてもらった小さな新居だ。なぜか、母(50)でなく、父を選んだ。
「一人暮らしの自信はなかった。子供のころ、父にはすごく殴られ、怖かったけど、今は一緒にいて苦痛じゃない。でも、母とは暮らせない。自分が、わがままになってしまうから」
アキさんは、母を恨んではいない。教育熱心で過大な期待をかけられたことも「ありがたかった」とさえ言う。
それでも一つ、つらい記憶が残る。
幼い日の食卓。父が一人、上機嫌で話し、子供たちが作り笑いで聞く。
<殴られませんように、と祈ってた。でも、父さんはあたしを殴った。「助けて!」と叫んだのに、母さんは来てくれなかった。あの時、母さんは「洗い物をしていて気付かなかった」と言ったでしょう? うそつき、と思った>
覚せい剤を克服し、アキさんは成人を迎えた。リハビリを兼ねて薬物依存者の施設を手伝う。でも、「親子連れを見ると、子供がうらやましい。何も考えなくても、みんなに可愛がってもらって。憎い」。アキさんは、大人になりきれない。
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薬物依存者の家族のための「セルフサポート研究所」には現在、百数十人の母親が通う。40~60代。臨床心理士の加藤力さん(40)は彼女らを「『母』を卒業できない母」と呼ぶ。子供が成長しても干渉し続ける。アキさんの母もそうだった。
娘と同世代の若者を見ると、抱きしめたい衝動にかられ、涙がこぼれるという。「憎んでいるはずなのに。母親って、みんなそう。子供をいつまでも抱きしめていたいのよ」
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「こんな話を聞くと、子供を産むのが怖くならない?」。取材中、アキさんの母に、そう問われたことがある。私も臨月を迎えた。将来、私にも訪れるだろう「母の卒業式」を、冷静に迎えることができるだろうか。手を離す日のために産み、育てる――。その言葉を、かみ締めた。=おわり
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