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記事13◆いわゆる「東電OL事件」報道

いわゆる「東電OL事件」は最初、私の担当でも何でもない事件でした。ところが、「女性記者の署名で人権派の記事を書かせたい」という会社上層部の意向と、実際に現地を歩いて取材してみて「書かなきゃいけない」と思った私の気持ちが一致、こんな記事になりました。

被害者が売春していたという事実は、事件発生の夜の記者会見ですでに警察がほのめかしており、それを受けて、メディアは「被害者のプライバシーは書けない」という立場から書かなかったし、ほとんど取材もしませんでした。一方、雑誌や夕刊紙やワイドショーは徹底的にこの事件を取り上げ、世を最も騒がせている事件が、新聞やテレビのニュースではまったく知ることができない、という状況になっていきました。

事件発生から何ヶ月も経って、現場を歩いて驚いたのは、声をかける相手の誰もが「あの人に聞けばこんな話を聞ける」「彼女が出入りしていたラブホテルはあそこ」と何でも知っていて、わずか30分もあれば雑誌に出ているような話がいっぱい集まったことにありました。
こうして集めたたくさんの「彼女の話」を警視庁当局に確認したら、「その半分くらいは彼女本人ではなく、別の女性たちの話のようだ」と回答をもらいました。それほどに情報が混乱していたのです。

大きな事件が起こるとよくあることですが、A社の記者が「あそこの少年が公園で猫を殺していた、という話を聞いたことがありませんか?」と近所の人に尋ねた後、今度はB社の記者がその近所の人に話を聞きに行くと、近所の人のほうが「あの少年って公園で猫を殺してたらしいよ」などと話してしまうものなのです。
こうして、事実でない話を複数の人が証言するような事態は、結構簡単に作られていきます。

この女性会社員が殺された事件でも同じ状況にあったと感じました。
でもそれは、実際に現場を取材したから分かったこと。あの時、新聞やテレビが「被害者が売春していたのではとても書けない」と一切取材をやめてしまったことが、余計に、報道の方向性をむちゃくちゃにしてしまったのではないか、という気がしてなりません。
「書く書かない」は取材してから判断すること。
基本的に記者は「取材する」のが基本姿勢だと痛感しました。

実はこの記事には後日談があります。
この記事を読んだ人権保護団体から講演に呼ばれてしまったのです。上記のような経緯を説明し、「だから報道記者が取材をしなかったのが一番の問題」と言った私に、人権派の方々は「取材自体が人権侵害だ!」と言い続けました。
最後まで分かり合えませんでした。

それから何年か後、桶川のストーカー殺人事件が起こり、事実を取材で明らかにしていったフォーカスのカメラマンさんの本を読んだ時は、深くうなり、うつむくしかありませんでした。

1997年 04月 05日掲載
■ねじ曲げられた被害者の“素顔”
--東電女性社員殺人事件報道

 「バリバリのキャリアウーマン」「社内に友人が一人もいない」。被害者の女性(39)に関する週刊誌報道を読んで「まるでギスギスした仕事人間みたい」と思った。しかし東京電力で一緒に働いた人たちの話を集めた時、浮かんできた彼女の“横顔”は少し違うものだった。

 「『バリバリのキャリアウーマン』という記述は偏見」。彼女と同期入社の男性社員は切り出した。「昇進は早くも遅くもない。コツコツ仕事をするおとなしい人だった」という。
 「ちょっと冷たい感じ」「社内では口をきかなかった」との記事も目立った。しかし、同じ職場のある上司は「バレンタインデーにチョコレートを配るなど不器用なりに職場の付き合いにも一生懸命に工夫していた」と振り返った。別の上司も「仕事が評価されると報告に来た。とてもうれしそうな笑顔だった」とつらそうに語った。

 彼女は経済論文を書いて、社内で発表会を自ら主宰して意見を求めるなど研究心もおう盛だった。「辛口の意見にも素直に耳を傾けた」とある社員はいう。
 見えてきたのは経済の勉強に静かな情熱を傾け、不器用なりに職場の付き合いに工夫し、黙々と仕事をこなす姿だった。
 「“夜の顔”とのギャップを拡大した方が面白いから“昼の顔”を極端に曲げたのでは」。多くの東電関係者は言った。

 ゆがめて伝えられたのは“昼の顔”だけではないだろう。彼女が時を過ごしたとされる渋谷区の神泉駅周辺について、ある捜査員は「別の女性を彼女と勘違いしている人もいて、聞き込みが混乱した」と指摘する。
 いきなり命を奪われ、プライバシーまで暴かれて、触れられたくない心の傷や過去、現在をひとつも抱えていない人間が今時、どこにいるというのだろう。

 事件の全体像を読者に伝えるため、私たちも言葉を慎重に選びながら、彼女の生活の一部を記事にしたことがあった。社内では、その報道の在り方について今も議論が続いている。
 彼女のプライバシーが度を越えて次々と暴かれる過程で、ある週刊誌の男性記者が「おれたちみんな地獄に落ちるな。売らんかなで書いているんだ。やりきれないよ」とつぶやいたのが胸を離れない。売るためにプライバシーを暴き「面白さ」を誇張し、虚像をも作ってしまったのではないか。やりきれない思いがした。


*実はこの記事、最初は「売らんかなで書いた雑誌の記者」はまだ取材行為をおこなった。恥ずべきは取材すらしなかった我々新聞メディアのほうだ、という記事でした。が、いろいろな人たちが手を加え、こうなりました。この時の経緯を思い出せば出すほど、これは上司のせいではありません。上司にきっちりと意図を説明しきれなかった私の力不足でした。反省が残ります。
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プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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