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記事157◆夢で会えたら 岡本太郎さん、の記事

■2004年08月10日
■’04夏・夢で会えたら(夏連載企画)
■洋画家・岡本太郎さん
■96年1月7日・享年84

◇今こそ、Be TARO!
◇「自分自身を生きてるかい?」問いかける鋭い目


 多摩丘陵の緑の中に岡本太郎(おかもとたろう)美術館(川崎市)はあった。遠雷とヒグラシの鳴き声を聞きながらメタセコイヤの林を行く。台風のせいか、朝の美術館はしんとしている。赤、黄、黒。太郎が好んだ原色の絵画。カラフルな立体作品。そんな中になぜか太郎のロウ人形が立っていた。目が合った。鋭い目。「自分自身を生きているかい?」と問われたようでドキリとした。

 ■孤独と誤解と

 太郎は漫画家、岡本一平(いっぺい)と歌人、かの子の長男として生まれた。小学校では教師に反抗し、1年に4度も転校。寄宿舎ではいじめを受け、毎日自殺を考えた。18歳でパリに留学すれば現地の日本人画家たちに「生意気だ」と殴られ、30歳で帰国後入隊した軍隊でも「日本は負ける」と言っては殴られた。
 戦後は異端の前衛画家として古き美術界に挑み続けた。原色の絵は色音痴と評され、「インチキ野郎」と揶揄(やゆ)されたこともある。あの大阪万国博覧会の「太陽の塔」ですら、美術界では総スカンだったのだ。

 太郎語録にこんな一文がある。「誤解される人は美しい」。この言葉通り、自分自身を生きるためなら誤解も孤独も恐れなかった。むしろ晴れ晴れと、誤解や孤独を自ら求めた。
 出る杭(くい)を打つこの国で、私たちはつい小さくまとまってしまう。目立つといじめられる学校で、子供たちは周囲と同じであろうと躍起だ。他人をまねするあまり、自分自身すら見失っている。そんな時代だからこそ知りたい。太郎はなぜ一人で闘えたのか。

 ■血だらけでも笑う

 岡本太郎記念館(東京・表参道(おもてさんどう))を訪ねた。アトリエも保存されていて、太郎の息遣いが聞こえそうだ。来館者ノートには「迷いがふっきれた」「負けないっす」「充電完了」などの言葉が並ぶ。98年の開館以来、来館者は年々増え、近く15万人を超える。

 太郎の秘書で養女でもある敏子(としこ)さん(78)が教えてくれた。「太郎は18歳からパリでたった一人で『自分』を作り上げた。自分とは何か、社会にどう自分を位置付けるのか、徹底的に悩み、議論し、自己を鍛えた。パリ陥落目前に帰国したとき、すでに『社会にノンと言い、孤独に闘い続ける岡本太郎であり続けよう』という覚悟を決めていたんです」
 敏子さんは「太郎は強いから闘えたのではない」と言う。「太郎は『キリストっていいやつだ。でも十字架にかけられて悲しそうな顔したのだけはダメだ。血だらけでもニッコリ笑わなきゃ。おれは笑ってるだろ』と言った。本当はすごく痛がりでナイーブで寂しがりやなのに。あの人がはた目に強く見えたのは、太郎自身がそんなふうに自分を追い込んでいたから」

 また一つ太郎語録を思い出した。「こんなに弱い、なら弱いまま、ありのままで進めば逆に勇気が出てくるじゃないか。もっと平気で、自分自身と対決するんだよ」

 ■はみ出せ!

 敏子さんのもとには迷える若者が相談に来る。「人目を気にして生きてきた。でも自分らしく生きたい。どうすればいいの」。敏子さんが「今やりたいことをおやんなさい」と助言しても、「やりたいことが分からないんです」。敏子さんは「今こそ太郎が必要な時代」と痛感せずにいられない。

 太郎が亡くなった96年当時、ほとんどの著書が絶版だった。晩年の太郎は決して世の中に正当に評価されていなかった。ところが最近、太郎本の出版ラッシュが続く。太郎語録を昨年まとめた「強く生きる言葉」(イースト・プレス)はすでに5万部。主な読者は「太陽の塔」さえ知らぬ20代だ。太郎が持論を語った「自分の中に毒を持て」(青春出版社)も今年急に売れ出した。ミュージシャン、田島貴男(たじまたかお)さんら若者に人気のアーティストたちがこぞって座右の銘に挙げたためらしい。

 コピーライターの糸井重里(いといしげさと)さんはこの夏、画家のMAYA MAXX(マヤ・マックス)さん、デザイナーの秋山具義(あきやまともよし)さんらと太郎にささげるTシャツを製作中。また夏の音楽フェスティバルの環境プロジェクトでは太郎の顔を描いたゴミ袋が配布されている。プロジェクトのコピーは糸井さんの作品で「Be TARO!」。つまり「君も太郎になれ!」というわけだ。

 画家のジミー大西(おおにし)さんも太郎を慕う一人だ。93年、面識のなかった太郎から一通の手紙をもらった。「君の絵はいい。キャンバスからはみ出しなさい」。当時、芸能活動の合間に絵を描いていたジミーさんが芸能界を引退し、本格的に絵の道に入ったきっかけは、この太郎の短いメッセージだった。
 「最初は大胆な絵を描けという意味かな、と思った。でも最近は、生き方全体ではみ出せ、と言われたんだなあと思ってます。『キャンバスからはみ出す』は僕の永遠の宿題です」

 ■太陽の塔

 91年の都庁移転で旧庁舎の太郎の壁画は取り壊された。太郎の唯一の建築物だったマミ会館(大田区)も00年、建て替えのため壊された。作品が次々消えていく中、しかし「太陽の塔」は今も健在だ。
 高度成長期の真っただなか、「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、科学だモダニズムだテクノロジーだと沸いていた万博で、いきなり屋根を突き破る70メートルの塔を建てた岡本太郎。「バカみたいにドカンと突っ立ち、孤独なまま大地に、太陽に挑み続けるんだ」。太郎は言ったという。すべてのパビリオンが取り壊され、今や草っぱらに一人立つ塔は、まるで太郎自身の生き方のようだ。

 孤独を背負いながら両手を広げ、何かに挑み続けるあの塔を、また見に行きたくなった。
プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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