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■ラファウ・ブレハッチ ピアノリサイタル@東京オペラシティ

■ラファウ・ブレハッチ ピアノリサイタル@東京オペラシティ

J.S.バッハ:イタリア協奏曲 ヘ長調 BWV971
リスト:3つの演奏会用練習曲
ドビュッシー:版画
(休憩)
ショパン
24の前奏曲op.28より 第13番~第24番

22歳のショパンコンクール覇者、です。
ショパンと同じ、ポーランド生まれ。4歳でオルガンを、5歳からピアノを習い始め、14歳くらいで青少年のためのポーランド・ショパンコンクール第2位、17歳でA・ルービンシュタイン国際青少年ピアノコンクール第2位、ほかにもあちこちで入賞しまくった挙げ句、20歳で第15回ショパン国際コンクール優勝。おまけにこの時はマズルカ賞、ポロネーズ賞、コンチェルト賞とすべての副賞も受賞……ってここまでくるとちょっと嫌味?

最近、どちらかというと老齢に近いピアニストのリサイタルを聞く機会が多かったためか、なんか若さがまぶしかったわー。

これまで東京オペラシティでピアノリサイタルを聞いて、音色に感動したことってあまりなく、むしろ周囲の雑音ばかり響いてしまうホールにイライラすることも多かったのですが。
今回のブレハッチの音色は、音楽素人の私にも、心地よく(若干心地よすぎる感はあったけど)、海の底で演奏会を聴いているような気になりました。

バッハは大好きな曲。第三楽章のみ、小6の発表会で弾いたんだけど、大人になった今振り返ったら、なんともったいない弾き方をしたんだろう、と後悔しきり。「やっぱり発表会なんだからショパンとかリストとか派手な曲がほしかったよね」と母親まで不平を言ってたっけ。
今思えば、単に私の表現力がなかっただけ、なのよね。
素晴らしい曲なのです。

ブレハッチですが、「伸びやかなバッハだなあ」というのが第一印象。
すごく広がりのあるバッハ。
真っ直ぐなバッハ。
これって若さなんだろうあ。

リストでテクニックを見せた後、ドビュッシー。
前半プログラムは、「古典もからフランスものまで、実は僕ってあらゆるジャンルを自由に弾けるんだよねー」と言われてるみたいで、ははーーーって感じ。
「魂わしづかみ系」の演奏というわけではありませんでした。
むしろもう、技術の確かさ、音色の美しさ繊細さ、おまけに若くて端麗な容姿に、なんかもう、「はぁ~」という感じだったのでした。

休憩ではお決まりのワインも飲む気がしなかった。
なんというかなあ。気分が華やいで、ああもう、飲んじゃえ!という気分の高揚もなかった、ということ。
きちんと音の一つ一つまで拾いたかった、というか。

後半のショパンは、より自信に満ちた演奏。
さらさら流れ落ちるような音の粒にはたぶん、あの会場の誰もが感動したと思う。
でも、これでもか、これでもか、と端正で悲哀に満ちたショパンを聴かされると、なんかもうお腹いっぱい。

むしろおもしろかったのは、アンコールの時かも。

ショパン:マズルカop.17-2
モショコフスキー:8つの性格的小品より「花火」
ショパン:ワルツOp.64-2
ショパン:小犬のワルツ

「花火」はカツァリスがよくアンコールに弾くけど、ブレハッチのもよかった。楽しかった。
3曲目のワルツは、情感込めすぎるほど込めすぎ、工夫しつくされていて、観客を思いきり意識した、生ならではの演奏だったと感じた。
翌日に頭の中で鳴るのは、たぶん、この1曲だろうな、と思うほど。
アンコールの4曲がどれも妙に印象に残ったのは、たぶん、こちらのほうが自由な肩の凝らない演奏で、その分、ブレハッチの人柄がよく出てたからだと思う。
音を楽しんで、自分なりに解釈して、工夫して、聴衆の反応までも楽しんで、若さと勢いで何でも弾いちゃうタイプ。

何というか……終わってみれば、「ああ、10年後、あるいは20年後、巨匠とか言われる日が来た時、お得感一杯でこの演奏会を思い出すんだろうなあ」と思ったのでした。
お得感一杯、まさにそんな感じ。

最後に。
このリサイタルは圧倒的に女性ファンが多くてね。
アンコールの前に花束渡した女性、何人いたっけなあ。
すさまじいものがありました。
ハンカチ王子、ハニカミ王子みたいなもんで、いわゆる「王子」系なんでしょうねえ。
3階席センターで音を楽しんだオバサンには、顔は見えなかったけど、確かに音は「王子さま」っぽかったわ。
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■ウラディーミル・フェルツマンのピアノリサイタル(紀尾井ホール)

■ウラディーミル・フェルツマンのピアノリサイタル(紀尾井ホール)

ベートーヴェン ソナタ第8番「悲愴」
ベートーヴェン ソナタ第31番
ムソルグスキー 「展覧会の絵」

座席は1階の4列目。
チケットぴあで取ったから、その時点で「一番良いお席」を勝手にご用意されてしまうのだ。ステージに近い席になってしまう。
「あーあ、2階のほうがよかった……」とちょっと気が重くなる。

演奏開始。
「悲愴」は、先日のブッフビンダー氏のリサイタルで第三楽章をアンコールとして聴いたばかり。あの演奏が印象深くて、2日間ほど第三楽章の主題が耳をついて離れなかったのだっけ。

第一楽章。
いきなり唐突に始まった感じの和音。たっぷり聴かせるべき所は、ゆっくり目に優しく響かせて。ただ、なんか音が硬質な感じ。座席の場所のせいなのか。ま、ベートーヴェンだし、これはこれで良いのだけれど。

第二楽章は、むちゃくちゃ有名なロマンティックな緩徐楽章なんだけど、ここでまず、「あれれ」と思った。
歌い込まず、あえて何かを保ってる感じ。ピアノの音色が第一楽章とまた全然違ってびっくりした。
すごく抑えた表現で、ものすごく深いところで諦観している感じがして、普段よく聴くこの曲と表情が全然違う。
フェルツマンとはこういう人なのか、それともフェルツマンの解釈がこうなのか、よくわからない。
思い切り抑制をきかせた演奏の中で、1つの音とか3つの音とか、どこかしら大事なところで、静かに思いを込め、抑えきれなくてこぼれ出る思いを表現している感じがした。

正直言って、第二楽章だけを独立した形で、音源だけで聴いたなら、音楽素人の私なんか、今日の演奏って「は? 何がいいたいの?」で終わっちゃったと思う。
ただ、ステージに近かったお陰でフェルツマンの表情がよく見えた。だから、彼がこの楽章をものすごく深いところで、諦観をにじませて弾いていたことは、よくわかった。
「こんな曲(楽章)だったのか。知らなかったよ、私」
それが正直な感想だった。

第三楽章は、ブッフビンダーのアンコール演奏の印象が強すぎて。
明確に比較対象があるから、よくわかるけど、やっぱりフェルツマンの演奏って、諦観というか、空虚感というか、よく言えば思索的で哲学的。悪く言えば、「訴えてこない」。

では、「後期三大ソナタ」の、あの、死と向かい合うような、次の第31番で、いったい何が起こるんだ?
この後期三大ソナタは、グルダの演奏だって好きだし、でも内田光子さんの演奏も好きで、内田さんのは、去年の夏に生で聴いたばかり。
魂の震えるような、そんな演奏で、アンコールはなかったけれど、あの後期三大ソナタの後に誰かアンコールを望むだろう! というような演奏だったのだっけ。

で、第31番。
こちらは、フェルツマンも唐突に演奏を始めることなく、空を見つめ、すっと音の世界に入っていく様がみてとれた。
ものすごく大事にこの曲を始めてくれたことが、よく分かった。
高音がすごく優しげに響くんだけど、それ以外はむしろ、ついていけない感じ。哲学的な感じはするけど、それだけで、「もっと聴き手に訴えて来なさいよ!」とすごく強く思う。

第二楽章に入るとますますその気持ちは強くなった。
内田さんの毅然とした感じの演奏のほうが好きだし、「ここはもっといっちゃおうぜ!」と思うところも、極める前にすっと逃げちゃう。
第三楽章も。「どうしてここで、抑えちゃうの?」と。
聴いた側に、あまりカタルシスがない。

ある意味、バッハ的な美しさはあって、それは見事だと思ったんですが。

休憩の時、どうしても我慢できず、思い切って主催者にお願いに行った。
「今、一階4列に座ってます。どうしても、次の『展覧会の絵』の音は二階で聴いてみたいんです。どこか空いているところに座らせてもらえませんか?」
二階も、左右の席は結構空いていたのだ。
端っこのほうに座らせてはくれるだろう、と踏んではいたが、それでも、この時の主催者の方のご対応にはちょっと感動。
迷わず、ご招待席の席に変更してくれた。
二階センター1列目。やったっ!
フェルツマンの顔は遠のいたが、その分、音がちゃんと私をつかまえてくれるはず。

で、展覧会の絵。
こちらは、ピアノの木曽センセの演奏を生で聴いているほか、4人くらいの演奏家のCDを聞き比べたりもしたから、すごく期待していたのだ。

ものすごく唐突に始まるプロムナード。
展覧会で絵を眺めながら、絵と絵の間を歩いている、そんな感じのはずだが、おいおい、速いよ、小走りだよ。
だけど。
1枚、1枚の絵についての曲を演奏するのを聴いてるうち、なんだか、ムソルグスキーが、絵の世界に引きずり込まれてしまわぬように、何かを振り払うように必死で歩いている姿が見えてきた。
「キエフの大門」で、友の魂を賛美歌で送るところも、特徴的だった。最初にロシア正教会の賛美歌の主題がこぼれ出すところでは、思い豊かに、しかし、2度目は「おいおい、音色、きつすぎ」とこっちが思っちゃうほど毅然とし過ぎる賛美歌。
うーん。
これは何なんだろう。

最後は、何か哀しみや不安やそういった感情よりも、毅然とした意志というか、半ば怒りみたいなものまで感じたのだった。
ミスタッチもいっぱいあったし、それも含めて、時折登場するプロムナードの乱暴な感じがものすごく印象に残ったのだった。
「捨てて生きる」とでも言おうか。

聞き終わった時は、なんかすごい悲しい気持ちになってしまった。
神さまと対話してるピアニストが目の前にいて、なんか見捨てられた音楽素人の私、って感じ?

だからこそ、彼が上野のリサイタルで先日弾いたというアンコール曲「献呈」(シューマン=リスト編)を聞きたかった。
そもそも、「献呈」を発表会曲に選んだことから、手当たり次第にこの曲をCD録音してる人のCDを聴きまくったのが、フェルツマンと私との出会い。
フェルツマンの「献呈」は空虚感なんかとは無縁に聞こえたんだけどな。CDだし、我が家のスピーカーの悲惨さと、自分の耳の悪さを考えると、私が分からなかっただけなのかな。

ともかく。
アンコールまで、私は心の中で念じ続けました。
「献呈。献呈。あれを弾いてちょうだい。そしたら、私もそろそろ『自己陶酔』問題から立ち直るから」

そうなんです。
まだ引きずってたんです。
発表会が終わって2週間にもなるのに、まだ、まともに「献呈」や「アンダルーサ」を家で弾き直す気持ちになれない。
で、予定通り、バッハのシンフォニア(三声)と、モーツァルトのソナタに着手してる。まるで先祖返りみたいに、ロマン派の世界から逃げ込んだ感じ。
バッハやモーツァルトじゃあ、自己陶酔なんて絶対にできないもんね。

ところが、
フェルツマンが選んだアンコール曲は、シューベルトの楽興の時。3番かな。子どもがよく発表会とかで弾く、有名な小作品。
でも、なんと言ってもシューベルトですから。
このプログラムの流れなら、なるほど、と納得。

これを思い切りゆっくり、でも余裕を持って、乾いた感じで。
悪くはなかったし、確かに、「悲愴」「後期三大ソナタの1つ」「展覧会の絵」というプログラムのアンコールでいきなり、「あなたが好きで好きでたまんないのよ~」系のうっとり曲「献呈」を弾けというほうが無茶だとも思うけど。
非常に思索的だとは思ったけど。

私はどちらかというと、心をわしづかみにしてくれるような演奏がやっぱり好きなので、取り残された感じの寂しい気分が残りました。

家に帰って、あんまりモヤモヤするので、すごく久しぶりに、「献呈」を自分で弾いてみました。フェルツマンが弾いてくれなかったから、自分で弾いた、というわけでもないんでしょうが。
2週間まともに弾いてないのだから、結構間違うし、タッチや音色も全然自分の思うとおりに出せなくて、ストレスフルではあったけれど、やっぱり、弾いていると気持ちよかった。
ふと思った。
この曲はそもそも「自己陶酔」系なんだ。

発表会であれほど自己陶酔しちゃったのは、そもそも「アンダルーサ」も「献呈」も、そういう性格の曲で、さらに言えば、私はそれを求めてこの2曲を選んだのではなかったのか。
「自己陶酔」は自分が最初に設定したゴールだったのではなかったか。
曲を選んだ時点で「今回の発表会のテーマはコスプレ!」と叫んだではないか。

そろそろ、気持ちに整理をつけて。
さっさとバッハとモーツァルトに邁進しよう、っと。
踏ん切りついた、夜でした。
……これってフェルツマンのお陰? ではないよな~。


■ルドルフ・ブッフビンダーのピアノリサイタル

■ルドルフ・ブッフビンダーのピアノリサイタル@東京オペラシティー

この日はベートーヴェンプログラム。

ピアノソナタ第17番「テンペスト」
ピアノソナタ第18番
ピアノソナタ第3番
ピアノソナタ第21番「ワルトシュタイン」

アンコールは、
ピアノソナタ第8番「悲愴」第三楽章
最後だけベートーヴェンではなく、ヨハン・シュトラウスの「こうもり」より「ウィーンの夜会」

音楽素人なりに、楽しめるプログラムでした。

17番は、低音をなるほど上手に使うんだなあ、などといい感じで聴かせてもらいました。ただ、あの有名な例の第三楽章は、私にはちょっと前のめりな感じに聞こえてしまった。
所々おもしろいなあ、とは思ったけれど。

18番は、ドラマチックな展開がすごく明確に刻まれている感じがして、この人、むちゃくちゃベートーヴェンを研究してるわ、という感じ。
前半の感想は「いい演奏を拝聴いたしました。ははーーーーっ」という感じで、なんか、感動というよりは、感心、だったかな。

で、休憩。

この日は、むしろ後半で圧倒されました。
1793~4年に作曲された第3番と、1803~4年に作曲された第21番と、意識して並べて聴いたことがなかったから驚いた。
なるほど、作曲された時期に10年の年月の差がある。
でも同じ調性で書かれていて、構成にしろ、非常に共通点を感じさせる2曲なんですよね。

この2曲を後半に並べる、というところがまず心憎い。
で、実際、21番が始まると、第一楽章の壮麗さというか、大胆で、広がりがあって、雄大で、どこまでも前を向いている曲調にすごく興奮させてもらった。さらに第二楽章の深みある演奏に「そうか、ベートーヴェンの10年間の年月を、ブッフビンダーさんはこんな風に解釈したんだ」と腑に落ちる思いでした。
ワルトシュタイン
ほんと、「謹んで拝聴いたします」状態の前半から、ぱーーーっと華開き、最後のワルトシュタインで、感激!って感じ。

アンコールに「悲愴」第三楽章をもってきたのも、最高で、考え尽くされたプログラムだと思いました。
この「悲愴」は、1週間ほど前に王子ホールで主にシューベルトの即興曲などを弾いた時にも、アンコールとして弾いたらしい。

ワルトシュタインで終わり、悲愴で締めるオールベートーヴェンプログラム、いいじゃん!
大喜びで拍手していたら、ブッフビンダーさん、アンコールの2曲目を弾き始めた。それが、ヨハン・シュトラウス。

うーん。
いかにもアンコール向けの曲ですし、王子のプログラムではシューベルトプログラムの最後にこれを弾いたらしい。
シューベルトにヨハンシュトラウス、というのはありだと思うけど、この日のベートーヴェンプログラムに、ヨハンシュトラウスが必要だったかといわれると、私はちょっと納得がいかないのでした。

アンコール2曲は物理的にはうれしいけど、「悲愴」で終わっておいてくれたほうが、プログラム的には納得できたかも。
もちろん、演奏自体はすごく素敵でしたが。
こうなると、王子のシューベルトプログラムも聴きたかったなあ。シューベルトの即興曲については思い入れも強いほうなので。

ところで。
今回のコンサートで我慢ならなかったのは雑音です。
2階席最前列真ん中という理想的な場所で音を聴いてましたが、背後でガサガサとパンフレットを開いたりする音がやたら響くホールなんですよね。

音楽素人なので、よく分かりませんが、オペラシティーとピアノリサイタルってあまり相性良くない気がする。(といっても、ここでオペラを観たことはないのですが……)。

特に静寂の中で聴きたいような曲の場合、騒音が妙に響いてしまう気もするし、音の粒が際立たない気もする。
たまたま私が聴いたリサイタルがそういうものだっただけなのか、ピアノの問題か、ホールの問題かよくわからないけれど、最初の1小節でうっとり、みたいな音って、いつもサントリーホールなのよね。
あるいは、単に私とホールとの相性(つまり好き嫌い)だけの話なのかもしれませんが。

第一、今回は開演前に、隣のおばさんが膝の上に鞄をおいているのを見ただけで、ああ、今日はダメだ、と覚悟しました。ひざに荷物おいて、どうやって音に集中するんだろう?
案の定、このおばさん、演奏中に上着を着るし。パンフレットを開いたりするし。
それだけでなく、この日は、演奏中に背後で私語も聞いたぞ。前代未聞。1階では、何か荷物をバサンとどこかから落とす音までするし。
咳はね、生理現象だからある程度仕方ないと思う。でも、タオルなどで口を塞いで音をこもらせる努力をしてる人も今回の演奏ではほとんどいませんでした。くしゃみしたオヤジもいたな。

……かくいう私は、おなかの音を1度ならしてしまった。
ぐりゅりゅりゅりゅ~。
慌てて、休憩の際にサンドイッチを食べたのでした。

さて、来週はウラジーミル・フェルツマン。
そもそも発表会でシューマン=リスト編の「献呈」を弾くにあたって、片っ端からこの曲を演奏しているCD (カツァリス、横山幸雄、キーシンなど) を聴きまくっていた時、よく聴いたのがフェルツマンでした。
たまたまコンサート情報を見つけたのと、その当時凝っていた「展覧会の絵」がプログラムに入っていたことから、適当にチケットを買っておいたのだが、先日の上野の東京文化会館ではなんとアンコールに「献呈」を弾いたらしい。(隣の小ホールでたまたま演奏会を開いていたピアノの木曽センセが漏れ聞こえる曲に気付き、教えてくれました)。

来週のコンサートでもたぶん、「献呈」をアンコールに持ってくると思う。発表会から2週間も過ぎていれば、ちょっとは冷静に聴けるかな。


■キース・ジャレット・トリオ2007@東京文化会館

■キース・ジャレット・トリオ2007@東京文化会館

去年から今年にかけてのコンサートの類で、もっとも、前もってチケットを買った舞台じゃあないだろうか。何しろ去年の秋が深まる前にはすでにチケットを買っていた。
お陰でSS席は10列目のど真ん中。
クラシックコンサートなら、もう、何が何でも、2階席を選ぶけど、今回は音質より、キースの立ち居振る舞いが見たい、というミーハー気分でしたので、それはそれで最高の席でした。

生音だったので、案外、あの構成だと、後ろ過ぎると音の迫力に欠けていたかもしれません。そういう意味でも、いいポジションで音を楽しむことができました。

そのわりに、1週間近くもエントリーにアップできなかったのは、コンサートのタイミングが最悪だった、ということ。
まさに自分のピアノの発表会が終わり、その高揚感も消え、反省点ばかりが浮上し、「いったい私は何を求めてピアノを弾いているのか」みたいな悩みに直面していた最中に、半年以上楽しみにしていたキースのコンサートがぶつかっちゃったなんて。

CDで聴いていると、キースはトリオの時には圧倒的にバラードが好きになっちゃうのですが、生で聴くと、アップビートな曲がすっごく楽しい。
それは大発見でした。
ただ、曲の合間や、バラードのふっとしたテーマや、何かの瞬間に、「ピアノの悩み」が立ち上り、気付いたら、勝手に感動してたり、勝手に泣いていたり、と、感情がコンサートに無関係に上下してしまい、いったい、何をしにきたのやら、という状態でもあったのでした。

好みからいうと、私はやはり、彼のピアノ、それも即興の部分が好きなのであるから、一昨年に池袋でやったソロの即興演奏のような圧倒的な感動というのはなかったです。
でも、こちらはこちらで楽しかった。
願わくば、ブルーノートとか、そういう雰囲気で聞きたかったわー。

■エリック・ハイドシェックのピアノリサイタル@朝日浜離宮ホール

■エリック・ハイドシェックのピアノリサイタル

ハイドシェックが最初にすごいと思ったのは、前回の発表会に弾いたシューベルト即興曲90-4の研究をしている時。ツィメルマンに内田光子にルプー。本当に色々な人の演奏を聞き比べたけれど、ハイドシェックだけが「変」だった。

変、というのは言い当たらないか。
ハイドシェックの90-4は、A-B-A構成のうち、最後のA部分で、いきなり、右手のメロディーを抑え、左手の和音伴奏の中に新しいメロディーが立ち上がるのです。

実は即興曲90-3はもっとすごい。
90-4の場合は「意外性」の美しさだけれど、90-3は歌の美しさ。
そもそも天上の曲のように美しい作品なのだけれど、これも左手にとんでもなく美しい、切ないメロディーが生まれ、「な、なんだっ! これはっ!」と。

宇和島ライブで最初にこれをやった時、観客が自宅に戻って楽譜とにらめっこしたとか、そういう逸話も聞いた気がする。

んなわけで、今回は、ハイドシェックを聴きに行きました。
実は、同じ日に、セルゲイ・シェプキンがバッハの作品を弾く、というコンサートが墨田トリフォニーホールであって、すごく迷った末、先にチケットを確保していたハイドシェックのほうを選んだ、という経緯もありました。

さて。ハイドシェックのこの日のプログラムは。

モーツァルト:ロンド イ短調 K.511
モーツァルト:ソナタ第12番 ヘ長調 K.332
ベートーヴェン:ソナタ第17番 ニ短調 「テンペスト」
フォーレ:ノクターン第9番 ロ短調
フォーレ:ノクターン第10番 ホ短調
ショパン:舟歌 嬰ヘ長調 Op.60
ドビュッシー:「前奏曲集 第2集」より“ビーノの門”
ドビュッシー:「版画」より“グラナダの夕べ”
ドビュッシー:「前奏曲集 第1集」より“さえぎられたセレナード”

ところが、最初の「ロンド」で、正直なところ、「あちゃー、やっぱりシェプキンに行くべきだったか」と思ってしまいました。
CDで聴いてる分には、うちのプレーヤーやスピーカーの質の悪さのせいもあるのですが、音の響きの善し悪しなんてそんなに気にならないのです。だからリズムの揺らし方とか解釈の意外性とかをつい重視しちゃう。
でも、こうして生で聴くと、ハイドシェックの音は決して私の好きな音ではなかった。タッチが不明瞭なモーツァルトというのも私の好みとは違う。

次のK332は、とても比較的好きな音色だったこともあり、少し気を取り直しました。
が、問題のテンペスト。
ハイドシェックといえばテンペスト、といわれるほどの彼の代表作だったりするわけですが、私の知識のなさもあるでしょうし、何よりすでに小姑のようになってしまっていた私の心には、ミスタッチばかりが目立ち、正直言って、気持ちが乗れませんでした。

それなのに、前半最後のこの曲が終わった途端、派手にスタンディングオベーションしちゃうお兄ちゃんとかもいて。
「私が全然理解できないだけ?」と、よけいに自分の気持ちが冷めるばかり。

ただ、後半のドビュッシーは私は好きでした。
フランス人の彼が、フランスものを弾くと、不思議とただのフランスものに終わらない、という音の色彩の不思議な感じが。

でもでもでも。
最後の最後に私が、「やっぱりハイドシェックを聴きにきてよかった!」と心底思ったのは、アンコールの時かもしれません。
なんとなんとなんと!
バッハ!
(あとで聞くと、鍵盤協奏曲第5番だそうです。実は最後の曲もバッハかと?思っていたら、左手のための自作曲の「バッハ風」だそうで)

こんなバッハ、初めて聴いた、と思いました。
「こんなのバッハじゃない!」と嫌う人も絶対にいると思う。
でもね、私はこのバッハを聞いて、しみじみ感じたのです。

ああ、この人はただひたすらに歌いたいんだ、って。
楽譜をきちんと読んで、再構成しながら、音を創り出していくのも、時にとんでもないところからありえないようなメロディーが立ち上る不思議さも、この人がピアノで歌うことをとても大切にしているからなんだ、って。

難しいことはわかりません。
でも、あんなに揺れる、あんなにロマンチックな、あんなに感情豊かなバッハは、本当に初めてでした。
同じように弾きたいかと言われたら、自分がバッハを弾く時に求める音とはぜーんぜん違うけど、でも、「このバッハを聞くために、私は今ここにいるんだ!」と素直に演奏を聴けたことに感謝できました。

そろそろ70歳くらいのおじいちゃん?
いつまでもお元気で! と最後は素直に拍手してしまいました。

■浅草新春歌舞伎

■浅草新春歌舞伎@浅草公会堂

一、『義経千本桜 すし屋』
 いがみの権太:片岡愛之助
 弥助実は三位中将維盛:中村七之助
 若葉の内侍:中村亀鶴
 梶原平三景時:中村獅童
 鮓屋弥左衛門:市川男女蔵

二、新古演劇十種の内 身替座禅
 山蔭右京:中村勘太郎
 太郎冠者:中村七之助
 奥方玉の井:中村獅童

実は、七之助さんが女形をしたときの美しさにホレている私なのです。が、今回は、七之助さん、男でしたが、「義経」の弥助役の立ち居振る舞いは美しかったです。
実は高貴な方、という設定なので、身を偽っている時と、素顔に戻る時の身のこなしがすっと変身するみたいに一瞬にして変わる、それがなんとも美しい~。

一番笑いを取っていたのは、「身替座禅」の獅童さんの奥方役。これがもう、怖いのなんのって。気持ちはカワイイんだろうけど、目がこわいよー、形相が怖いよー、って感じで。
客席がずっと爆笑してました。
この笑いの起こり方、何かに似てるなーと思ったら、ドリフの8時だよ、全員集合!だ。

浅草新春歌舞伎は、安いし、役者さんも若くて華やかだし、気さくな演目が楽しくて好き。


■ポゴレリッチ、ピアノリサイタル@サントリーホール

■イーヴォ・ポゴレリッチのピアノリサイタル@サントリーホール

ベオグラード生まれの彼を最も有名にしちゃったのは、1980年のショパン国際コンクールでの騒動でしょう。こんな人です。
ものすごく斬新な解釈をする人だという噂はいくつも聞いていたけれど、彼自身のCDの一枚も聴いたことがなく、生演奏も知らないまま、当日を迎えたのでした。

前もって発表されていたプログラムがこれ。

ベートーヴェンピアノソナタ第32番、第24番
スクリャービンのピアノソナタ第2番「幻想ソナタ」
リストの「超絶技巧練習曲集」から第5番(鬼火)、8番(狩)、10番
バラキレフのイスラメイ(東洋風幻想曲)

最初から、ベートーヴェンの32番ですか……とひるんでいたら、さらに当日直前になって曲目変更の連絡が。実は、昨年のリサイタルでは、当日直前に全曲変更になったそうなので、普通なら驚かない話なんですが、変更の中身のほうに今回はビックリ。

スクリャービンをやめて、代わりにグラナドスの「スペイン舞曲集」から第5、10、12番の3曲。……って、私が発表会で弾く予定の「アンダルーサ」も入ってるじゃん!
この瞬間、私は運命的なものを感じてしまったのでした。
結局、当日のプログラムはこんな感じ。

ベートーヴェン
・ピアノソナタ第32番
・エリーゼのために
・ピアノソナタ第24番
グラナドス
・スペイン舞曲集第5番、アンダルーサ
・10番、悲しき舞曲
・12番、アラベスカ
リスト
・「超絶技巧練習曲集」の第5番(鬼火)
・8番(狩)
・10番
バラキレフのイスラメイ(東洋風幻想曲)
アンコールに、ショパンの夜想曲(たぶん62-2か)

スキンヘッドで現れたポゴレリッチは、ピアノに譜面立て、楽譜、隣に楽譜をめくる方を携え、さっさとソナタ32番に着手。
最初の印象は正直いうと決していいものではありませんでした。
「音があまり美しくない、というか汚いなあ」と。
柔らかい弱い音と、強く激しい音と、その落差は面白いけれど、何かとても極端な感じで、特に激しい音のほうの音色や響きがあまり好きなものではなかったんです。

おまけにこの曲は、昨年夏、憧れの内田光子さんがベートーヴェンのピアノソナタ30、31、32番のみをアンコールなしで弾き通すという、魂まで打ち震えるようなプログラムで聴いたばかり。
どうしても内田さんと比べてしまう。

さらに、ポゴレリッチお得意の「内声で音楽作り」や「ありえない速さのパッセージからありえないノロさのパッセージへのジェットコースター」のお陰で、何度も何度も聴いて耳慣れているはずのソナタ32番が、時々、「え? こんな曲だっけ?」とわけが分からなくなっちゃって。知らない曲みたいに。

おもしろい。極めておもしろいし、スリリングなんだけど、私にとって、この曲はもう少し崇高で、侵しがたい存在だったりするので、何だか複雑な気持ちでした。
曲の最後などは、内田さんの場合、静かに、重く終わって、しばらくは拍手もできないくらい荘厳な雰囲気だったのに、ポゴレリッチは、軽く、楽しげにジャン!と終わっちゃう。
(あまりに驚いて、家に帰って内田光子さんとフリードリヒ・グルダのCDをそれぞれ聴き直してしまった……)

思い切り気だるい「エリーゼのために」などベートーヴェン3曲で前半が終わると、なんかもう頭の中は大混乱。思わずロビーでワインをぐびび。
周囲からは、こんな感想が漏れてくる。

「何を聴いても知らない曲にきこえたよ」
「あれもありなんだろうけどなあ」
「すごい。信じられない!」
「まじ、やばい!」

特に若者が言ってた「まじ、やばい!」に近い気分でした、私。
ただし、私の場合の「やばい」は、いわゆる若者流ほめ言葉よりも少々、本来の「やばい」に近い感じの意味でしたが。

休憩が終わって、後半の1曲目は、私自身が練習中のグラナドスのアンダルーサ。
実は数日前、今回の曲目変更でアンダルーサが突如プログラムに入ったのを知って、あまりのうれしさに「やはり私はこの曲と運命的な結びつきがあるのかも~」なーんて調子の良いメールを、ピアノの先生である木曽センセに送ったのです。
この時の木曽センセからの返事がすごかった。

「良かったですね。でもお気を付け下さい!」で始まる返事。
なんでも木曽センセは昨年、ポゴレリッチを聴いた後3日間、熱で寝込んだそうな。木曽センセ一人ではなく、後日、何人ものピアニスト仲間がポゴレリッチの後遺症で寝込んでいたことも判明したんだそうで。
彼女曰く、
「とにかく強烈であり得ない音楽だったのです!」
「普通ラフマニノフのソナタは22分位なのですが彼は50分以上かかり、しかも全部内声で音楽をつくり……」
「今回行くか行かないか仲間内では凄い議論になりました」

このメールを読んだ時、正直いって、まじかよ、大げさな、と思いました。
が、本日のリサイタルの後は思わず納得。
リサイタルが終わった時の私はなんか精神的に疲弊していて、駅への道を急ぎながら、「勘弁してよ、勘弁してよ」と思わずあえぎつつ、ははははと笑いたいような、泣きたいような、腹だたしいような……もう感情ぐちゃぐちゃでしたもん。

それはともかくとして、後半のプログラム。
アンダルーサは3小節聴いただけで私、脱力しちゃいました。
ギターの音を思わせる左手がカッコイイ曲なのに、それをまあ、なんと端切れ悪く、もごもごと弾くんだろう、って。
でも、そこからの盛り上げ方はおもいきりユニークで、すごく楽しかった。
ABAのロンド形式のB部分では内声音楽も炸裂。
「こんな風に弾きたい」とは全然思わなかったけれど、ちょうど自分なりに研究を始めた曲だったので、とても楽しめました。
今回のリサイタルが自分の発表会の直前でなくてよかった~とは思いましたけどね。

でももっと面白かったのは、スペイン舞曲集8番。とても実験的。
これはもう、どこからどう聴いてもスペインものに聞こえない。
あえていうなら、アメリカの場末の映画館(行ったことないけど)で古いどたばたコメディーの無声映画をかけながら、バックで弾いてるジャズピアノ。
度肝を抜かれたし、これは正直言って、ちょっと、「ああ、あんな風に弾いてみるのも楽しいだろうな。新しいものが見えるんだろうな」と思ったよ。

でも一方で、ふっと思ったのでした。

この人、寂しくないのかなあ、って。

私なんか、とんでもなく低い低いレベルであがいているようなピアノだけれど、それでも、前回の発表会でシューベルトの即興曲を何カ月もかけて練習していた時には、少しでもシューベルトの苦悩に近付きたいと思ったし、彼の達観に触れたいと思ったし、そこにたどりついたから出せる音を一つでも二つでも鳴らしたいと願った。
ほんの時々、「ああ、シューベルトはこれを伝えたかったのかも」なんて気持ちになれることがあって、そんな時は弾いていてとても満たされたし、一人じゃない感じがした。
そばにシューベルトの存在を感じられた。
それは不思議な喜びだった。

ポゴレリッチって、作曲家の意図や思いと、どんな風に向かい合ってるんだろう。
彼なりの独特の解釈なのだと思ってはみても、なんだか独りぼっちで弾いてる感じがしてしまったのだった。

でも、そんな印象は、次に聴いたリストの超絶技巧練習曲3曲でまたしても覆されました。
「鬼火」は、最初の1小節からして別の曲みたい。
「狩」はもう、最高にスリリングでした。自分でも理由が分からないんだけど、ポロポロと涙がこぼれてきて、最後は鼻水だらけの顔になりました。音はあいかわらず汚いし、ミスタッチの嵐だし、たぶんこれと同じ演奏を、CDで聴いたら好きにならない、というか嫌いになるだけと思う。
でもライブの力ってのがあって、彼はものすごくその部分をよく分かってる人なんだろう。

ふっと思った。
グラナドスにしろ、リストにしろ。
もしも今、この音を聞いたら、こんな風に自分の曲を弾くピアニストを見て、案外と大興奮したりおもしろがったりするんじゃないかな、って。
ポゴレリッチの作曲家との向き合い方は、そんな風に、今の時代の中でできる限り誠実で真摯なものなのかもなあ、って。

アンコールでショパンを弾いた後、なんとポゴレリッチは自分でピアノの蓋を閉めました。カーテンコールの後には、椅子をピアノの下に仕舞い込みました。
「これで、おしまい」
そう言ってるみたいに。
聴かせることから見せることまで全部考えている人で、こういう人の演奏は好き嫌いはあってもやっぱりライブにしかないものがあるんだよなあ、と最後の最後は不思議な充実感を感じたのでした。

彼の方向性が好きか嫌いかと聞かれたら、ものすごく迷う。たぶん、あの音色の響きは嫌い。解釈も決して好きじゃない。
でも、もう一度リサイタルに行くか行かないか、と尋ねられたら、「行く!」と即答すると思う。

ところで。
月曜日15日のプログラムには、ショパンのソナタ2番、つまり葬送行進曲の入ったソナタが組まれているそうな。
あああ、ものすごく聴きたい。
でも聴くのが怖い。
この曲の場合、これ以上の演奏はもうありえないんじゃないか、と思うようなツィマーマンの演奏を昨年、サントリーホールで聴いたばかりだしなあ。

「再生芸術家」とも言われるポゴレリッチは、あの曲を、いったいどんな風に弾くんだろう……。
葬送行進曲の中間部のあの「天上の音」を、どんな風に表現するんだろう。
月曜日。さすがに行けないなあ。

★ビリー・ジョエルコンサート@東京ドーム

★ビリー・ジョエルコンサート@東京ドーム

お友達と2人、アリーナ席。
周囲は年下より、年上が多かった。
1曲通しでたてのりで飛べる客など、ほとんどいない、そんな感じ。
でも、限界まで踊ってきました。
きっと明日(いや、あさって)は筋肉痛だ。

ビリージョエルが一番好きだったのは小学校6年から中学2年くらいまでで、その時は本当に、妻エリザベスを追い払い、自分が妻の座に座るつもりだった。
彼の、ルートビアラグってピアノの曲を聴いて、「私のやってきたピアノって何だったんだろう」と自問し、中1でピアノをやめたんだっけ。
高校に入ったころにはもう、ビリージョエルを聴いたって思い出もない。今回のコンサートも一切予習なし。だから、どの曲も25年ぶり(すごいよな)。
そもそも予習のしようがない。CD持ってないし。持ってるのはレコードだけ。しかも大阪の実家にあるし。

それでもすごいね。あのころきいた音、忘れてない。
ピアノの間奏、サックスの響き、全部覚えてる。曲名すら思い出せないのに。
10代前半の、将来何にでもなれるような希望に満ちた日々を生々しく思い出したのだった。

でも、昔は良かったよねえ、なんて言わないぞ。
歳とってよかった、とつくづく思った。
1曲通しで縦乗りでもう踊れないけど、それでも妄想力はつけた。
「素顔のままで」を聴いた時、本気で思ったもの。
「ああ、ビリー、私のために歌ってくれるのね」

1万人くらいいそうな東京ドームのアリーナ席の片隅で、ワンノブゼムな存在のくせに、それでも半ば本気で「ああ、私のためだけにこの人は歌っているのだわ」などとうっとりできるあつかましさ。
やはり40代ならではでしょう~。
「あ~、やっぱりこの人と結婚しておけばよかった」とか、恥ずかしげもなく口にできるのは、この歳ゆえでしょう。
何より。彼のMCの英語をほぼ理解できるなんて、中学時代の私じゃあ、絶対に無理だものね。

青春の思い出に負けないように、体力の限界まで踊ってきました。
初めて会えた生ビリー。
生ビール飲みながら、しみじみ思った。
やっぱり大人になってよかった……って。

★日本とロシアの小さなガラコンサート

★日本とロシアの小さなガラコンサート

上野・奏楽堂で、私のピアノの木曽センセがコンサートに出演なさるというので、はせ参じた次第。
ただし息子連れ。
実は今週、矢野顕子とビリージョエルのコンサートのために週2回、ベビーシッターを頼んでしまっており、さすがに3回はまずかろう……と。で、「絶対に静かに最後まで聞くこと!」を条件に、息子を同伴したというわけ。
息子、小2。
大人向けのクラシックコンサートはたぶん初体験。

やっぱり子連れは心身疲れます。
息子が音を立てやしないか。突然しゃべりだしたりしないか。
ひやひやひやひやしてしまって。音楽に気持ちを乗せる、なんてことはなかなか難しかったです。

まあ、結論からいえば、演奏中の息子は若干、紙のプログラムを開く音を立てちゃったのと、会場が暑すぎて(足元に暖房の吹き出し口があるの。古い電車みたいに)椅子に膝を立てて座っていた(嗚呼!)のとをのぞけば、ぎりぎり及第点。
でも今回は他の大人の観客たちも平気で演奏中に紙の音を立てていたし、中には演奏中に扉を開けて入って来ちゃう人までいる始末。
普段の私なら「おいおい、勘弁してよー」な話だけど、子連れの身には「感謝感激。お陰で息子が目立たない」というのが本音だったのでした。

木曽センセのラフマニノフは初めて聴きましたが、「ひえええ、あの細腕でなぜこの迫力?」という感じでかっこよかった!
でも今日、一番楽しませてくれたのは、バリトンのウラジーミル・イリイチ・ジバエードフさん。
声も魅力的だけど、表現力もとても豊か。ロシア語がこんなに魅力的に感じたのは初めてかも。
特に「酔っぱらいの歌」なんかは、息子も大喜びの拍手喝采でした。

途中、日本の曲「さとうきび畑」をジバエードフさんが日本語とロシア語で歌ったのですが、これだけはなんかぴんときませんでした。
(息子は知った曲が出てきて、大喜びだったんですけどね)。
なんというか、さとうきび畑が「ざわわざわわ」してる光景が立ち上ってこないんです。
ロシアの歌を歌い出すと、ロシアの荒野が広がっているのが見えるみたいなのにね(って、実は私、ロシアの荒野なんか見たことないんだけどさ)。

なんだかんだ、楽しい夜でした。
最後はみんなで「トロイカ」合唱できたし。
ただ、やっぱりクラシックを聴きに行くなら、一人が一番、と思ってしまった。

★矢野顕子グループ@BLUE NOTE

★矢野顕子グループ@BLUE NOTE

いつもは、「さとがえるコンサート」に行くのだけれど、今回はライブハウスの矢野顕子さんを見たくて、こちらを選んでみました。
いいわー。
何しろ、舞台までむちゃくちゃ近い。教室の先生と生徒ぐらいの距離。飲み食いしながらのリラックスなムード。身体ゆらして、心揺らして、身体の中にいっぱいいっぱい音楽を貯め込んで……。
アンコールの時、パンパンパンパンと定型リズムの手拍子を打つと苦しくなり、ついつい自由に、弱起変速乱れまくりの手拍子を打ってしまうほどに、心も体も音楽でいっぱいになっちゃいました。
ああ、幸せ。

今回、心に残ったのは、
「きよしちゃん」。
もちろん闘病中の忌野清志郎さんのことを歌った曲で、なんかジンとしてしまいました。
音的には、「青い空」「そこのアイロンに告ぐ」あたりが今回は楽しめました。
しみじみ思うけど、彼女の場合、ピアノも素敵だけれど、声が何よりの楽器なんだなあ、と。

雰囲気だけでいうと、私はたぶん、圧倒的にNHKホールなどのコンサートホールより、ライブハウスが好き。
ただなあ。
やっぱりピアノの音を追いかけてしまうほうなので、そうなると、夏に聴きに行った第一生命ホールのコンサートなんかはもう最高だったわけで。
ライブハウスのピアノの音は、根本から違うのが当たり前で、比べるほうが間違えていると重々承知しつつも、今度、ブルーノートとコンサートホールとどちらかを選べと言われたら……すっごく迷ってしまうんだろうな、という気がしました。
音響のいいホールでのソロ弾き語りコンサート、実はとても大好きなんですよね。

ま、それは置いておいて。
なんとも幸せで贅沢な夜でした。
身体中につまった音楽を外に出さないと苦しくて、帰路はずっと一人で歌って帰ってきました(できるだけ人通りのない夜道を選んで歩いたの)。
最初は矢野顕子さんの歌を次々に。
そこからいつの間にか、シューマンの「ミルテの花」の1曲目「献呈」(それもリスト編曲のど派手なピアノ曲バージョン)を一人盛り上がって歌い上げておりました。
テンション高すぎ。

やっぱり、次の発表会の曲。
これにしようかしら……なんて。




プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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