スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

朝からフィリップス・コレクション

息子にはこれまで、動物園だの、水族館だの、恐竜の化石のある博物館だの、好きなところに連れて行っていたので、そろそろ私の趣味を優先してもいいだろう、と。
今朝はそこで、フィリップス・コレクションに行って参りました。

個人邸宅を美術館として公開している素晴らしいコレクションで、2年前には日本にも来ましたよね。
六本木で見たときのエントリーがこれ。

朝、美術館に到着してみたら、お客さんはたぶん10人といなかった。
週末は入場料を取っているらしいんだけど、平日は基本的に任意の寄付のみ。
こういうところで、やっぱりこの国の懐の深さを実感しちゃう。

息子がいなけりゃ、1日じゅうでもゆっくり見ていたいところなんだけれど、すぐに絵に飽きる息子が一緒なので、なかなかじっくり、とはいかない。
まあいいか。息子が学校に通い始めたら、平日の午前中にまた来ようっと。

作品のほうは、あの有名な「船遊びの昼食」と、2年ぶりにご対面。
2年前に六本木で一番感動したボナールの作品群は、やっぱりよかった。あの色彩は、何度見てもたまりません。
ボナール、万歳!

でも今回、一番うれしかったのは、クレーの作品群。
小さな部屋にいくつもの作品が並んでいて、ああ、いいなあ。
クレーの作品は、上野あたりの大きな美術館に並ぶより、こういう個人邸宅風の空間で、温かみのある展示をされているほうが、ずっといいんだ、と実感した。

1階のルネッサンス様式の広間が、ミュージックルームと呼ばれているのだけれど、すっごく素敵な空間で、なるほど、絵を飾る、というのはこういうことを言うんだなぁ、としみじみ感動したのだった。

スポンサーサイト

☆スーパーエッシャー展とニンテンドーDSライト

☆スーパーエッシャー展とニンテンドーDSライト

13日の会期終了までにどうにか子連れで行きたかったのです。
ニンテンドーDSを使って鑑賞音声ガイドを操作する、なんて話、息子が狂喜乱舞するのは目に見えているし。エッシャーのだまし絵は、子どもにも楽しめる作品群だと思ったから。

結果は予想以上でした。
DS操作にはまるのは想定の範囲内でしたが、エッシャーの絵自体を親子でとても楽しむことができました。

私自身、実はエッシャーはだまし絵(こんなの)しか知らなかったのです……。でも、むしろ親子ですっかり感動したのは、彼がスペインのアルハンブラ宮殿のタイル文様からインスピレーションを受けたという正則分割とその応用(こんなの)。
私はこの手の文様に対して、ちょっとオタクじみた執着を持ってしまう部分があるもので、ついつい、絵の規則性を見つけようと必死になってしまうのです。
息子のほうは純粋にパズルみたいだ!と大喜びしてました。

魚が鳥になったり、本当に不思議。

DSライトの操作の方も、実は大人の私も楽しんじゃいました。
彼がだまし絵に至るまでにどんな絵や手法を積み重ねていったのか、最後の最後まで挑戦をやめなかった生涯にも触れることができました。

さらに、私が仰天した展示が一つ。
エッシャーが、音楽家の中で特にバッハを好み、バッハの平均律クラヴィーア曲集の一節を図式化していたんです。
簡単に言えば渦巻き図なんですが、水平の線を引き、その線をドの音と定めます。あとは180度を12分割し、12音階を表現し、時計回りにオクターブ上がると線の長さがおよそ半分になるよう、渦巻きの弧同士を結んでいきます。
ああ、だめ。文章で説明のしようがないわ。
さらに強弱をモノトーンの明暗で表現してる。
楽譜ならぬ図譜?

さらにその展示方法が秀逸でした。
実験的に、バッハのインベンション1番の楽譜を、エッシャーの「図譜」のルールに従って描き起こし、音楽付きのアニメーションに仕立てていたのです。
テーマの繰り返し、反行形と逆行形、低音と高音の呼応、左右の手が近付いたり遠のいたりする時に生じるエネルギーの高まり。ちゃんと目で見ることができるんです。
2声だから、2つのモノトーンの円がくるくると回転し、弦の長さを変えながら音を表現していくわけですが、楽曲分析した中身をまるで見事に図示していただいた感じ。圧倒されました。

あまりに感動したので、とりあえず、ピアノの木曽センセに説明してあげなきゃ!と図録だけ購入してきました。

そうそう、さらにもう一つ。
エッシャーの絵の素材を6種類のフィギュアにしたガチャポンが会場に置いてあったのですが、息子が心底気に入ったらしいキャラクター「でんぐりでんぐり (このようなもの。これと同一の商品ではありませんが)」を見事ゲット(私が)。
結構くじ運よく2007年を始めてる感じです。

★写真展 荒木経惟 -東京人生-(@江戸博)

★写真展 荒木経惟 -東京人生-(江戸東京博物館)

10月17日からの写真展の内覧会に行った。
どうしても見たかったから。
少し遅れて行ったら、なんと会場でアラーキー氏ご本人が作品に解説を加えながら会場を歩き回っておられた。
なんたる幸運!

墓地を近景に、六本木の再開発現場を写し込んだ写真を前に「ね、墓場になっちゃったでしょ。墓場を建ててるんだよ。今は防衛庁跡地に墓場建ててる」。
春の幸せそうな人々の写真の前で「桜の木の下には死体なんてないよ。幸せがあるんだよ」。
女性たちの写真の前で「すべての女性は美しい。私がそれを引っ張り出す。江戸の絵描きは愛がない。着物にばっかり力いれるから」

ああ、やっぱりだめ。
こんな風に書いてしまうともう、あの瞬間の彼の言葉のきらめきは消えてしまう。
写真の前を精力的に歩き回り、大きな身振り手振りとともに、ひらめく言葉をどんどん口にし、それが一瞬、ぎらぎらっと光って、すっと消える。
そんな感じ。

彼の言葉のシャワーを浴びながら、何度も、頭の中で、インタビューすることを想定したけれど、そのたびに「きっとこの『ぎらぎらっ』は紙媒体ですくえない」と思わずにいられなかった。

新聞は、文字媒体は、言葉を固定してしまう……そんなことをふと思った。
きちんと定義された言葉、固定した言葉でないと、他の空間でそれを読む人には伝わらないのだから、仕方ないことだけど。
でも、アラーキー氏の言葉の持つ「ぎらぎらっ」とした強さ。
どうしたら、あのかしこまった活字の中に詰め込むことができるんだろう、としばらく悩んでいた。

インタビューを申し込んだことすらないのに。
勝手に思い悩むなんて、なんとも変な話。

で、写真展の話。
「さっちん」以来、東京で撮影してきた写真を通して、60年代から今にいたる東京を描いている。
東京の街の風景も大きく変わったわけだけれど、そこに暮らす人の表情の変化もまた、よく分かる。
特に60年代前半の東京の下町の写真は、60年代後半に大阪の文化住宅(という名の長屋)で育った私の記憶を妙に刺激する。
町の風景より、人々の表情が。

途中、「人町(ひとまち)」という写真集のために、東京・谷中を撮影したものが数枚あって、すべて歩き慣れた街角であることに、心がうきうきした。
写真の中に、知った顔まで見つけた時は、さすがに驚いたが。

一番うれしかったのは、近所の公園の写真があったこと。
「あ、ここはパンダ公園!」
思わず、小さくつぶやいてしまった。
その公園には、パンダの置物がある。
雨風に流されたか、黒いペンキがはげかかっていたのだけど、息子も息子の通っていた保育園の仲間たちも、みな「パンダ公園」と呼んでいたのだった。
ところが数年前、このパンダが茶色いペンキできれいに塗り替えられてしまった。
最近は、「くま公園」と呼ばれているらしい。

できれば息子に、「さっちん」の一連の写真を見せてやりたい気がした。


パウル・クレー展、行き損なった!

パウル・クレー展@東京大丸、ずっと行こう行こう行こう行こうと思っていて、ここ1週間の仕事のドタバタでうっかり忘れていたのだった。
2月28日に終了したのを、3月1日に気付いた私は、だめだめちゃん。

と思っていたら、捨てる神あれば、拾う神あり。
偶然、NHKテレビで「パウル・クレー、らく印を押された画家」という1時間番組の再放送をしていた。
彼が、ヒットラーに「退廃芸術」の烙印を押され、スイスに亡命し、晩年の「天使」の素描画にいたるまでの物語。うるうるうる。
やっぱり、実物の絵を見たかった。

展覧会は3月、大阪・梅田の大丸でやっているらしい。
行きたいけど、行けそうにない。
目録だけでも探してみよう。

☆世界遺産からのSOS展

☆世界遺産からのSOS展

東京芸大の中に美術館があってね。とても素敵な建物なのです
(レストランは高いけどそれほどおいしくない。コストパフォーマンスは悪いです)。
で、見に行ってきました。
地味な展覧会のくせに、結構な人の入り。「日本人は世界遺産が好きだものねえ」という私自身が何を隠そう、結構世界遺産が好きだったりします。
今回の展覧会は、紛争で大仏を爆破されたアフガニスタンのバーミヤン遺跡や、地震で激しく破壊されたイランのバム城砦など、「危機遺産」について写真や資料が展示されています。

おもしろいな(難しいな、と同義)、と思ったのは、例えば、バーミヤン遺跡の壁画保存が進む中で、それまで洞窟で暮らしてきた人達が立ち退きを求められ、「壁画はあげるから、ここに住み続けさせてほしい」と言っている話とか、フィリピンの棚田が世界遺産に指定され、観光客が増えた結果、客相手の観光業のほうがずっともうかる、ということになり、農業従事者が減って、結果的に棚田を維持するのが難しくなっている、というような話。

世界遺産が危機にさらされている、というような話を聞くと、決まって思い出すのがイランの映画監督マフマルバフ氏の言葉です。

「アフガニスタンを追いつめたのは、世界の国々の過去の干渉ではない。むしろ世界の無関心だ。全世界の人々はバーミヤンの仏像を守れと声高に叫んだが、干ばつと飢饉(ききん)で死にひんした100万人の存在には無関心だった。バーミヤンの仏像は、こんな世界に対する恥辱のために自ら崩れ落ちたのだ」

これを2001年9月11日の後、彼が口にした時、随分と胸に刺さったのだっけ。
(当時のインタビューを上にアップしておきます)

☆プーシキン展

☆プーシキン展@東京都美術館

仕事に忙殺される中、それでも夜中の2時、3時まで自宅残業して時間を捻出し、開館9時から1時間で駆け足鑑賞。ああ、ゆっくり絵を見たかった……。

思ったより見応えのある美術展でした。
フランス絵画の変遷をなぞる、という意味でも勉強になったし。
500円で借りられるイヤホンガイドの内容もよかったです。鑑賞しながら聴いていて、違和感がなかったし。混んでいるといっても、9時から10時まではかなりゆったり見られました。

心に残った絵を以下に。

*モネの「白い睡蓮」
 こういう絵は絵はがきに再現不可能なんだろうなあ、というような絵。光にあふれてます。オランジェリー美術館に並ぶ巨大睡蓮画もよいですが、生き生きした光がまぶしいこちらも好きです。

*シニャックの「サン=トロペの松の木」
 ちょっと大きめの点描。すごく明るい色合いの魅力。近くで見たり、遠くから見たり。

*ゴッホの「刑務所の中庭」
 胸に迫る絵でした。刑務所の中庭を囚人たちがグルグルグルグルと同じ場所を回りながら運動させられているのかな。ものすごい圧迫感。こっちまで苦しくなってしまう。真ん中の男だけがこっちを見ている。別に鋭い目つきがはっきり見えているわけじゃないのに、ドキドキしてしまう。圧迫感で苦しくなるんだけど、ふと囚人たちの上空を見ると、白い蝶が2匹。空すら見えないのにね。

*ドニの「画家の妻、マルド・ドニの肖像」
 何がどうといえないんだけど、構成や構図が妙におもしろくて心に残りました。ドニの絵を意識して見たのは初めてです。

*マティスの「金魚」
 だって印象に残るような展示の仕方なんですもの。「ほれ! これが金魚だ!」みたいに。確かに朱色の金魚の生き生きとしたさまは素敵だけど。これまでに見たほかのマティスの作品と比べてどうか、と言われたら、それほど好きな部類ではないんですが。

*ゴーギャンの「彼女は死霊について考える」
 なんと初めて見たぜ、ゴーギャンの版画。3色刷り。これはこれでなんというか原始的な魅力。
 絵はがきにしていただきたかった~。

*ドランの「水差しのある窓辺の静物」
 これまたおもしろい絵。イヤホンガイドは「フォービズムからキュービズムへ」と言っていたけど、なるほど、そう言われれば……って感じ。妙に縦に細長いカンヴァスも印象的だし、そこに、静物画のくせにすべてのものが今にも動き出しそうなこの雰囲気ってなに?

*ピカソの「アルルカンと女友だち」
 ピカソは全部で4作品ありましたが、結局、これが一番好きだった。いつも思うけど、私、ピカソが描く女性の表情って妙に好きなんです。今回も、それ。

 ということで、わずか1時間余で、会場を2巡したのはきつかった。1回目はイヤホンガイドに沿って順番に。2巡目は好きな絵の前だけゆっくり、あとは走りました。順路に階段が何度もあって、最後のほうは時間切れで突っ走り、ヘトヘト。
 それでも、無理して見にきてよかった。
 新聞記者の仕事って、忙しさに身を委ねたら最後、ただひたすら、はき出すばかりで、身体の中に新しいものをどんどん取り入れていく時間も、心の余裕すらなくなってしまう。
 無理してでも、睡眠時間を削ってでも、やっぱりこういう時間を作らないと、としみじみ実感。こういうのって、かならず後日、仕事に生きるもの。

☆子連れで北斎展、はキツイぜ

北斎展@東京国立博物館に行った。
最終日を目前に。
しかも子連れで。

金曜日の夜だけ閉館時間が遅いというので、行ったのだった。
かつてマティス展を見に行った時は、金曜日の夜は比較的すいていて、親子でたっぷり楽しめたもんだから、まあ、それを狙ったってわけ。
しかし、最終日目前、というのは、すでに、それだけでもう、子連れにはダメダメダメちゃんでした。

入館まで25分待ち、というのは覚悟してたんだけどね。入館を果たしたころには、学校で走り回った後の息子はすでにバテ気味。
入館したらしたで、小さめの作品の前に三重、四重にもなって並ぶ大人たちの列。
しばらく、ピョンピョン跳びはねて作品を見ようとしていた息子も、半時間もたたぬうち、「早く帰ろうよ」と言い出す始末。
ソファに息子を座らせ、私一人でザザッと見て回りはしましたが、せいぜい流してみただけで、じっくり鑑賞するに及ばず。
ああ、残念。

線とか色とかもっとじっくり見たかったのに~。残念。

唯一、親子でゆっくり見たのは「赤富士」という版画。
何回目の刷りかによって色合いの違う版画が2枚並べて展示されていた。
とりあえず、「赤い富士」と頭で思いこんでる私なんかは、より赤いほうの版画に目が行っちゃうんだけど、2枚を見比べた息子は「こっちのほうがきれいだね」と薄いほうを指さした。
それに釣られて私もよくよく見比べてみれば、確かにそちらのほうが存在感と透明感のある富士なのよねえ。
おもしろいもんだな、と思った。

つくづく悔やまれるわ。
11月の上旬あたりにちゃんと行っておけば、もっと親子で余裕を持って見て回れただろうに。

本日の息子の感想は、「たいくつだった」。
そして私の感想は「混雑した展覧会は子連れで行くもんじゃねーな」


プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
RSSリンクの表示
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。