おぐにあやこの行った見た書いた

さようならクローデッテ先生

先週、2度目のピアノレッスンに行きました。
課題は、C Major と G Major のスケール、ツェルニー50番のうち左手練習が課題の12番、そしてなぜかやることになったベートーベンの悲愴第一楽章。
この2週間、ツェルニーが無性におもしろくなっちゃって、ほとんどの時間をツェルニー練習に費やしてしまいました。左手って動かないものだと思っていたので、動き始めると、それがうれしくて楽しくて!
おまけに、実はツェルニーってエチュードでありながらやっぱり美しい。左手の練習としてだけでなく、どうにか美しくひきたくて、すごく必死になったのでした。

で、先週、2度目のレッスンに臨んだわけです。
いよいよ、ツェルニーを披露。緊張の一瞬。
ある程度弾けてはいたけれど、音楽的には、まだまだだったから、左手をどう使えばもっとスムーズに指が動くのか、美しい音色が出るのか、手首の使い方とかそういうことを教えてほしかったの。
それなのに!

クローデッテ先生は言うのです。
「Great! Great job!! 」
私は次の一言を待ちました。
「でもね、ここをこうしてごらん……」みたいな一言を。
ところが、クローデッテ先生の次の言葉はこれ。

「じゃあ、次はベートーベンね」

結局、この日の練習は、スケールを弾いた後、ショパンのノクターン19番を初見で弾かされ、ツェルニーは1回聴いてもらっただけでそれに対する指導は特になく、ほとんど練習できず初見に毛がはえた程度しか弾けなかった悲愴第一楽章に対してはペダリングについて一箇所注意があっただけ。
あとは英語にて、和音の理論を少々。
これで1時間のレッスンがおしまい。

色々と悩みましたが、結局、数時間前にクローデッテ先生にメールを出しました。
さすがに 「自分で弾いて教えてくれないのは困ります」 とは言えないもので、「1月からカレッジに通うので時間がなくなっちゃうので」 などと理由をつけて(たぶんウソにはならないと思うし)、レッスン休止のお願いメールを出しました。

わずか2度のレッスン。
でもまあ、英語でだってレッスンを受ける度胸がついたし、色々な先生に出会うことでアメリカのピアノレッスン事情が分かるってもんだろうし、気を取り直して、来年からまた先生探しを再開しようっと!
(しばらく合唱で忙しいしね)。



アメリカ初のピアノレッスン・後編

まあ、聞いてくださいな。
ネットで見つけた「この道40年」のクローデッテ先生のおうちに、先週の水曜日、出かけていきました。
車で15分くらい。

ロックビル郊外の住宅地にあって、楽譜でごっちゃごちゃのレッスンルームには古びたYAMAHAのグランドピアノと、アップライトが1台。
クローデッテ先生は、この写真より実際はもう少しお年を召されているんだけど、それでも、この業界にしてはあまり若作りしてない人だった。
「まあ、座って」
薦められるまま、グランドピアノの前に座る私。
とりあえず簡単な自己紹介の後、さっそく、バッハのシンフォニア11番から。

ほんと、自分でもこういう時、不思議だなあと思うんだけど、なんか緊張しないのよねえ。子ども時代はこういうシチュエーションだと、心臓ばくばく状態になるくらい緊張したのに。
ということで、バッハはつつがなく弾けた。
自分でも、満足、の出来具合。

gorgeous!!!」

クローデッテ先生が大げさに言う。
「ごーーーーー」の後にしっかり「r」の音が発音されていて、なんだかむちゃくちゃほめられた気分。
ちなみに、辞書で gorgeous をひくと、「華麗な、素晴らしい、豪華な、見事な、華やかな、きらびやかな、すてきな、かっこいい」だってさ。

いやーん、それほどでも。

すっかり気をよくした私。
次は、グラナドスのアンダルーサを弾き始める。
こちらは、「楽譜は要らないわ」 と格好付けて楽譜を閉じてしまったのが後で響いた。途中、一瞬、音がわからなくなり、頭が真っ白。合計20秒間くらい緊張で心臓バクバク状態に。
でも、幸運なことにあっさりごまかせて、そのまま落ち着けた。
やっぱり、無理は禁物だ。
ということで、少々消化不良の演奏になってしまった。気落ちしつつも、まあ、仕方ないよな、と半分開き直り始めた私に、クローデッテ先生がかけた言葉は……。

Gorgeous! Beautiful!

……。
この辺りで、私、少々不安になってきた。
もしかしてそれ、あなたの口癖?

半ばやけっぱちのまま、いまだ完成にほど遠いベートーヴェン「悲愴」の第三楽章へ。
生ピアノで1週間練習出来たお陰で、タッチの差で音色に変化をつけられるようになった、という面では、日本にいたころより進歩したとは思うけれど、「どう考えても、これはベートーヴェンの悲愴じゃあないよな」、という程度の演奏をいまだ脱出できてないのだった。

やけっぱちが功を奏したのか、とりあえず一度も止まらず、致命的な音を外すこともなく、練習通りには弾けた。
弾き終わった後、
「……とまあ、こういうわけで、私は古典が苦手。この曲について言えば、なかなかベートーヴェンの音にならないんですわー」
と、ぼやこうとしたら、その前にクローデッテが……。

Gorgeous! Really gorgeous!

……。
つまり、そういうことである。
クローデッテ先生はたぶん、生徒が演奏した後、まずほめるのが指導姿勢で、最も彼女が愛用しているほめ言葉が 「ごーじゃす」 なのだろう。
うむむ。
人間、ほめられて悪い気はしないというけれど、3曲弾いて、3曲とも同じほめ言葉をもらって喜ぶ生徒はいないと思うぞ。

半分意地になった私は私で 「こんなのベートーヴェンの音じゃないと思うんです」 と主張してみたんだけれど。
クローデッテ先生は優しげに言うわけ。

「そんなことないわ。あなた、自分が思ってるよりずっと素敵な演奏ができてるわよ。リズムも音も間違いはなかったし、きちんと大きな音も出ていたし!」

いや、そういう問題じゃなくってさ。
リズムや音の間違いなんて、問題外。大きな音が出てりゃーいいってもんでもないわけで、あなた……。
思わず、木曽センセがアメリカのピアノ教育について、ぼそっと語った言葉を思い出しちゃった。

曰く、
「アメリカの人は、何というか、早く弾けて、音が大きければ、それで良し、というようなおおざっぱなところがあるので……」
「ロシアにピアノの勉強に行った時、アメリカから来た人の演奏に『ええっ! こんなので本当にいいの?』と仰天させられました。16分音符なんて崩れてるし、ちっとも指なんか回ってないのに、本人はすっかり弾けた気になって……おまけに、完全に自分の演奏に酔ってるの」
「まあ、おもしろいといえばおもしろいんですけどねえ」

……はははは。
本当にそういう世界なのかも。

とまあこんなわけで、そのあと、クローデッテと少し会話。
どの作曲家が好きか、とか、どの演奏家が好きか、とか、どんな曲を弾いてきたか、とか、私のピアノ歴(恐怖の25年以上ものブランク)なんかについて。

クローデッテが聞く。
「ところで、悲愴は1、2楽章は?」
「渡米直前に、最後の曲を選んでって、日本の先生に言われたので、その時に一番ほれこんでた曲を選んだんです。3楽章なら、渡米までに間に合うかも、と先生にも言っていただいたので。1、2楽章はもっと難しいし、時間もかかるけど、と」 と私。

そしたら、クローデッテは、「not really」という。
んなこと、ないわよ、というわけ。

クローデッテはおもむろに悲愴1楽章の最初のページを開けて、

「おーけい。さあ、弾いてみて!」

は?

は?

いきなり、一楽章を、初見で弾け、と???

固まる私。
おまけに、悲愴の三楽章は複数の演奏家の演奏を編集して、何百回と聴いてきたけれど、一楽章なんて最近はほとんど聴いてないぞ。
思わず、楽譜のフラットを数える私。
もちろん、ベートーヴェンといえば、ハ短調。フラットは3つ。
「3つだ。よかったー。4つだったら、初見では絶対に弾けないもん」
正直に英語で告白する。
こうい時は正直が一番だもの。

結局、つごう4ページ、初見で延々と弾かされた。
カメのようにのろい歩みの第一楽章。いくらゆっくり弾いたところで、初見ですから、音を頻繁に外します。外すたび、楽譜にチェックを入れられるのが、ちょっと哀しい。
私が音を探したりしてリズムが揺れると、クローデッテ先生は音を教えてくれるわけだけど、これが、英語なのよね。

「ドレミ」
でもなければ、
「ツェーデーエー」
でもなく、
「ABS(エィビースィー)」
なんだもの。

頭、ごっちゃごちゃ。
大パニック。
しかし、第三楽章のレッスンをつけてもらうために来たのに、なぜ肝心の第三楽章は 「gorgeous」の一言で片づけられて、第一楽章を初見で弾くような事態になっちゃったんだろう?

そんなわけで。
「じゃあ、来週はここまでね」。クローデッテ先生はにっこり。
予期せぬことに、第一楽章も手をつけることになってしまったのだった。

まあ、第一、第二楽章を乗り越えた先にあるべき第三楽章を、独立させて弾いていることで、絶対にたどり着けない解釈や音色があるんじゃないか、とずっと不完全燃焼感があったわけだし、これはこれで良い機会なのかも。
しかし、第一楽章は難物です。
まさかクローデッテ先生も、「大きな音が出てるからOKよ」とは言わないと思います。

(もしもそう言われたら、早々に別の先生を捜そうと思います)

さて。
「ほかに何か弾きたい? モーツァルトは? ショパンなんかどう? メンデルスゾーンもいいわね」 とクローデッテ先生にあれこれ言われたので、「日本では時間がなくてできなかったツェルニーをちゃんとやりたいんです」 と正直に言ってみた。
日本ほど、ツェルニーを多用する国はない、とある本で読んだことがあるが、とりあえず、クローデッテ先生はツェルニー派らしく、「ぜひやりましよ」と。

「どの指が弱いの?」と聞かれたので、「そりゃもう。左手全部。あとは左右両方の薬指と小指」と答えると、クローデッテ先生に 「そりゃ、あなた、誰だってそうだわよ」と笑われた。
「じゃあ、ツェルニー50番の、12番をやってみましょー」
クローデッテ先生が開いたページを見ると、最初から最後まで左手は32分音符だった。
これを指定通りのスピードで弾けるとは、とうてい思えないんだけどな。
ま、頑張るかー。

さらにさらに。
「ところであなた、スケールは練習したことある?」

ごめん。
実は私、そもそもスケールってどんなものか知りません。
子ども時代、ハノンは、細々とやりましたっけ。
「ハノンならやったけど」
「ハノンとは違うの。スケール」
「だったら、やったことないと思う」
そう答えた時のクローデッテ先生の驚きようったら!!!

Incredible! I can't believe that!!

思わず、すんません、と謝りたくなったよ。
謝らなかったけど、もちろん。
そんなわけで、スケールの薄っぺらな本を手渡された。

まずはハ長調。Key of C Major.
Paralell motion in octaves / Contrary motion starting on the same note / Paralell motion in thirds or tenths / Paralell motion in sixths / C Major Triads / C Major Cadences / C major Arpeggios / Dominant Seventh Arpeggios...と続きます。
つまりだな、普通の音階、左右が逆に昇降する音階、3度と6度に、和音のコード進行があって、アルペジョ、って感じ。
運指訓練なら、ハノンのほうが色々バリエーションがある気がする。むしろ、全音階について主音だの上主音だの下属御だの属音だの(だったっけ?)をお勉強しましょー、ってことか。それも全部英語で??
こりゃまた、厄介そう。

というわけで。
ピアノに詳しい皆さんに質問。

若い子みたいに音楽のキャリアを真剣に考えているわけでもなく、趣味でピアノを弾いているオバサンが、運指目的のハノンではなく、スケールを習う意味って何なのでしょう? 
どうせ習うなら、どういうことを心がければ良いのでしょう?

そんなこんなで、私のピアノライフがとうとう、アメリカでも始まりました。
どうなることやら……。

アメリカ初のピアノレッスン・前編

実は2週間ほど前にピアノをやっと手に入れた。
「退職金をつぎ込んで、アメリカではグランドピアノを買ってやる!」と息巻いていた私だったが、物価の高いこの国では、私の17年間の退職金を持ってしても、満足いくグランドピアノは買えそうになかった。
まして、何かとお金が飛んでいく日々に、主婦おぐには完全にひるんでしまい、野望は大きく後退し、気付けばYAMAHAのすごくオーソドックスなアップライトを購入していたのだった。

が、このピアノ、結論からいえば、案外良い音がする。

ピアノのお店で何台かで迷った時、「おまえはどのピアノが一番気に入ったのか?」 と店のおじさんに問われ、選んだのがこのピアノだった。
店のおじさんに答えた理由は、「このピアノが一番、ベートーヴェンのフォルテが出る気がする」 だった。
内心、自分で笑っちゃったよ。
何しろ、日本でのピアノの先生である木曽センセに、「ベートーヴェンのフォルテはそうじゃない!」と何度も何度も指導されてきたわけで、実は私自身、ベートーヴェンのフォルテなんて出せてなかったわけだから。
それなのに、すました顔で、「このピアノが一番、ベートーヴェンのフォルテが出る」 と英語で言い切っちゃう自分の度胸が……怖いよ。
店のおじさん、妙に納得した顔で、「このピアノは特に低音が深いからね」 だって。
でも、確かにそうなのだった。

まして。
アメリカのでかい家で、たいした家具もない空間で弾いてごらんよ。
びっくりするような深い音がするんだ。
風呂場で歌った時みたいに、とんでもなく響くしね。
というようなわけで、私は2カ月ぶりにピアノを手に入れた。
電子ピアノではなく、生のピアノという意味では、10代で大阪の実家を出て以来、初めてなのだった。

先週木曜日、アメリカで初めてのピアノレッスンを受けた。
ピアノの先生をこちらで探すのって難しい。
ほんとは、日本人の方でピアノを教えておられる方がごく身近にいたので、その方に教えていただけないかと思ってたんだけど、なんとなんと! その方のお宅の飲み会で泥酔し、ピアノを乱打した挙げ句、大いびきをかいて爆睡した、という取り返しの付かない大失態をやらかしてしまって。
とてもとても 「ピアノを教えてください」 とは言い出せなくなってしまったのだった。

日本語でピアノを教えてくださる先生を探すのは、やはり結構難しかった。
そこでこの際、日本語で教えてくれる先生、という条件を外すことにした。
よくよく考えれば、英語でレッスンを受けちゃえば、ピアノと英語の両方の勉強になるじゃーないか、と。
なんというか、発想の転換、である。

私の暮らす地域で、教育熱心なご家庭が子どもにピアノを習わせる音楽学校が2つある。
こんな学校とか、こんな学校とか。
ところがホームページを見てみてびっくり!!
プライベートレッスンのお値段、た、た、たっかーーーーーいっ!
30分で約50ドル??
言葉の壁を考えると、30分じゃあレッスンにならない。やっぱり1回のレッスンは60分ほしい。大人のレッスンだから隔週だとしても、やっぱりつらい。

あれこれネット上で探していたら、近所に個人でレッスンルームを持っている先生が見つかった。
クローデッテ先生、という。
この道40年、って何か迫力あるじゃない?
まずはメールを出してみた。正直に。
「月に何百ドルも払う余裕はありません。でも隔週で1時間のレッスンを考えてます」と。
そしたら、彼女のレッスンは1時間60ドル、とのこと。それなら何とかなりそう。おまけにレッスンルームが自宅からそう遠くない (車で15分くらい) ことも分かった。
さらに、「下手な英語ですんません」 という私のメールへの返事に、「私はちっとも日本語ができないんですから、英語のことで謝られたら、私はもっと謝らなきゃいけないわ」 などと書いてあったのも何となく新鮮だった。
そんなわけで、まずはレッスンを始めてみることにしたのだった。

当初、私は初レッスンに、半年前の発表会で弾いたグラナドスの「アンダルーサ」を持参する予定だった。
敬愛する日本の木曽センセによると、「最初の先生には 『お土産』 に何か一曲仕上げていくものです」 だそうで、本当は、最後にレッスンをしてもらったベートーベンソナタ「悲愴」第三楽章が 「お土産」 になるはずだった。が、モーツァルトに続き、ベートーヴェンも思うように完成せず、「おぐにさんは、古典が苦手なんですねえ」と途方に暮れた木曽センセが導き出した結論が、「やはり、アンダルーサにしましょうか」 だったのだ。
あの発表会で弾いたもう一曲のシューマン=リスト「献呈」を、引っ越しのどたばたの中で半年前と同じ状態にまで磨き上げるのは到底無理だったしね。平易な「アンダルーサ」であれば、どうにかなるかな、と。

けれども。
後ろ向きが嫌いな私としては、半年前に弾いていたものを再び仕上げて持っていく、というのがどうも好きになれなかった。
今一番弾いていたいものを、新しい先生の前で弾いてみることにした。
それは、結局、木曽センセに最後にレッスンをつけてもらった2曲。

バッハのシンフォニアの11番と、ベートーヴェンの悲愴第三楽章。
シンフォニア11番は、渡米のどたばたで2カ月間もピアノが一切触れなかった日々の中で、ずっとずっと頭に鳴り続けていた曲。心でずっと歌ってきたから、今や3声それぞれの歌がすんなりと身体に染みついていたし、だからだろうか、不思議なことに、いざアメリカでピアノを手に入れ、弾いてみたら、日本にいた時よりもしっくりと来た。
だから、新しい先生に、私がピアノをどんな風に弾きたいのか、分かってもらうのに一番いい曲だと思ったのだ。

一方、ベートーヴェンの悲愴第三楽章は、2カ月ぶりに弾いてみたら、とんでもないことになっていた。とても人前で弾けるような状態じゃあない。
でも。
25年以上のブランクを経てレッスンを再開し、仕事と育児の狭間の小さな小さな時間を使って、じっくりと練習曲に取り組むこともできないまま、好きな曲を細々と弾いてきたような私の一番の弱点 (指の独立がなってないとか、左手が圧倒的に弱いとか、どうやっても手首から先っぽだけで弾いてしまうこととか) を全部さらけ出すのには、この曲が一番いいのかも、と正直に思った。
今更格好付けることないしね。
コンクールだの、テストだのと無縁の私にとってみれば、ちゃんと私を分かってくれて、私に付き合ってくれる先生が一番必要だったから。

そんなわけで、バッハとグラナドスとベートーヴェン、3曲持っていきます、とクローデッテ先生にメールをした。
先週の水曜日が初レッスンでした。
このレッスン、なんというか、まあ……。
初レッスンの詳細は、エントリー後編で。

(ブログの更新が滞りがちなのは、私の暮らしにピアノが食い込んできたからです。どうしようもなく時間がなくって!)


最後のピアノレッスン

とうとう、この日が来てしまいました。
最後のピアノレッスン。
大好きな大好きな木曽センセともお別れです。

引っ越しに追われ、気持ちはささくれ立っていて、ちっともピアノの前に座れませんでした。引っ越しを前にやらねばならないことは山積していて、とても家族の前でピアノを弾けるわけもなく、今朝は朝5時に起きて練習をしました。
が、数時間でベートーヴェンがなんとかなるわけもなく。

バッハは大好きなシンフォニアの一曲を。
弾き終わると、木曽センセに、「あらためて思いますが、おぐにさんは本当に雰囲気のある演奏のできる方ですねえ。今回のはとても素敵でした」と久しぶりにほめてもらったのだった。
ま、最後なので、ほめ言葉の大盤振る舞い、というわけだろう。

もちろん、それだけで終わるわけはなく、「……でも、もっと欲を言えば……」とご指導が始まるわけだけど。

木曽センセは言った。
「伝えたいことを音で表現するために、おぐにさんにもっとほしいのは、何種類もの音色を引き分けるタッチを研究することです。でも、そのためにはいいピアノがやはり必要です。電子ピアノでは限界があります。アメリカに行って、ちゃんとピアノを選んだら、ゆっくりと時間を取って、しっかりとタッチを研究してみてください」

たぶん、木曽センセはずっと思ってきたんだろうな。
でも、我が家では電子ピアノ以外の選択肢はなかったから、言っても仕方ないと思って、あえてこれまで口にされなかったんだろう。
新しい街で、新しいピアノと出会って、新しい音色を探して……。
そんな風にまた、アメリカでもピアノを習えればいいなあ。

そうそう、米国に行くに際して、木曽センセからこんな助言も。
「アメリカの人は、何というか、早く弾けて、音が大きければ、それで良し、というようなおおざっぱなところがあるので……」
「ロシアにピアノの勉強に行った時、アメリカから来た人の演奏に『ええっ! こんなので本当にいいの?』と仰天させられました。16分音符なんて崩れてるし、ちっとも指なんか回ってないのに、本人はすっかり弾けた気になって……おまけに、完全に自分の演奏に酔ってるの」
「まあ、おもしろいといえばおもしろいんですけどねえ」

……それ、まずいかも。
誰かに似てるじゃん。
指が動かないくせに、ちっとも弾けてないくせに、自分で自分の演奏にすっかり酔ってるって……。

それ、私そのものじゃん。

まあ、それはそれとして。
肝心のベートーヴェンは、やはり散々だった。
木曽センセも、別に最後だからといって、甘い言葉をかけてくださるわけもなく。

「ど、どうしちゃったんですか? 別人みたいに」
と言われてしまった。
く〜っ。くやしーっ!

思うに、ロンド形式ABACABAのうち、まず主題Aの部分からして、きちんと歌いきれてない気がする。Cの音が沈んでしまう。
最後のコーダ部分、何となく気持ちの持って行き方が見えかけてるんだけどなあ。
天空の城ラピュタの台風の目に突っ込む前のような感じで……。
うーん、思う存分、いいピアノで練習したい!
松尾楽器商会のスタンウェイのフルコンを弾きたい。

……と思うんだけど。
現実はキビシー。
引っ越しまで1週間を切ってしまいました。とほほ。

木曽センセ曰く、

「おぐにさんは、ロマン派以降がいいですね。モーツァルトやベートーヴェンはやっぱり苦手なんですねえ。でも発表会の後、モーツァルトとベートーヴェンを練習して、すごく勉強になったでしょう?」

「でも。新しいピアノの先生に持って行く曲、どうしましょうかねえ……。やっぱりベートーヴェンやモーツァルトは隠しておいて、この前の発表会のにしますか。リストをもう一度発表会の時のレベルまで持ち上げるのは大変なので、グラナドスのほうにしますかぁ」

ということで、大好きなベートーヴェン悲愴第三楽章は、志半ばでいったん休憩。
あとはアメリカでリベンジすることにします。
漫画やドラマなら、最後のレッスンの日に音楽の神さまが下りてきて、「おぐにさんっ! 信じられない! なんて素晴らしい演奏」とかいう話になるんでしょうが、現実はそう甘くなかった、というわけでした。
ちゃんちゃん。

最後から2回目のピアノレッスン

9月下旬に渡米することになり、大好きな木曽センセのピアノレッスンも残すところあと1回。
引っ越し作業の中でピアノを練習できるかどうか、かなり危ういのですが、それでも、最後から2回目となった今回のレッスン内容の覚え書きを記しておきます。

もう何週間も、この2曲を弾いている。
バッハは、3声シンフォニアの11番。3段楽譜を作り、きちんと楽曲分析した後、弾いていると、ますます、この曲が好きになってしまう。
子ども時代、シンフォニアの中では一番好きだった曲だけれど、練習曲みたいに弾きとばすか、さもなければ、ロマン派みたいに弾いちゃうか、いずれにせよ、この曲とちゃんと向かい合えたのは40歳を過ぎてからなのだった。

今回は、練習不足のわりには、なんかずっとバッハらしくなってきた感じ。あと1回しかレッスンもないことだし、新しい曲を今更始める余裕もないし、「これ、せっかくだから、暗譜しちゃいましょうか」 という木曽センセのセリフに大喜びでうなずいてしまいました。

で、懸案のベートーヴェンソナタ「悲愴」第3楽章。
2週間のうち、まともに練習できたのは1〜2日だけ、という状態で、練習不足はいかんともしがたかったんだけど、それだけでない、何か根本的な過ちがあるようで、ずっとずっと迷ってきたのでした。

レッスンはあと1回、ということを認識した木曽センセは、私に静かにこう聞きました。
「で、おぐにさんは、この曲をどう弾きたいんですか?」

2年半前、このセンセに最初に出会ったころは、この手の質問にいつもドギマギしたなあ、などと懐かしく思い出しつつ、私は答えました。

「ロンド形式の主題Aの部分は、悲しさを全部胸におさめた人が、それでも前を向いて歩いている、かっこよさがほしい。それなのに、私が弾くと、なんだか書生さんが計算問題を必死で解いてる感じの音になってしまう……」

1回演奏して見せての木曽センセの感想も、

「うーん。カッコイイ男性を想像しようと頑張ってみたのだけれど、どうやっても浮かんでくるのは、何というか……田舎者?」

私は 「書生」といい、
木曽センセは 「田舎者」といい……。

それでも、木曽センセがいくつかの助言をしてくれて (フレーズをもう少し大きく歌う、とか、いくつかのスタッカートの音を少し伸ばし目に弾くとか、左手のうたいかたとか、それぞれのパートの音色の違いだとか)、何となく、道が見えた感じ。

レッスンのおしまいのほうで、木曽センセは、「ところで、おぐにさんの弾きたいこの曲の中で、哀しみを抱えながらも歩こうとしているこの人は、目標が見えているのですか?」 と問うてきた。

しばらく考えて、あれこれ考えて、ああ、そうか、と思ったのでした。
「見えてないんです。見えていたら、これだけ多彩なフレーズを、同じ方向向いて私、弾けないと思うから。目標が見えてると思ったら、どう弾いていいか分からなくなっちゃうから。たぶん、見えてない。だから、迷うし、揺れるし、つぶれそうになる。でも、そのたびに主題Aが出てきて、気持ちを立て直すんです。だから、私にとって、Aは気持ちの立て直し」

言いながら、そうか……と気付いた。
自分を投影しちゃってるんだなあ、と。
退職を前に、先が見えなくて。
これまでたくさん考えて導き出した結論なのに、ふと気付けばまた迷い、揺れてしまう。そのたび、自分で自分の気持ちを立て直す。ここ数週間、そんな連続だった。
だから、今、この曲を弾いていたかったんだなあ、と。

もちろん、私の今回の退職、そこまでの「悲愴」感は漂ってないつもりだし、とても前向きな選択の一つだと、自分では思ってるんですけどね。

レッスンが終わってから、夜中に一人で練習していて、気付きました。
木曽センセが指摘した小さないくつかのポイントを改善するだけで、とりあえず 「計算問題を解く書生さん」状態は脱却できたみたい。
すごいなあ。
ほんの2、3言で、何週間も変わらなかった私の音色を変えてしまう。
ほんとに、いい先生に巡り会えたなあ。

アメリカでも、こんな風に、素敵な先生に巡り会えるのかなあ……。
などと思いつつ、「悲愴」を弾く夜。

腰から出す音も……

ちょっとした用事で、ピアノの木曽センセにメールを出す時、半ば自嘲気味にこう書き添えた。

「おぐに@背中で出すフォルテに悩む41歳」

そしたら、センセからメール。
追伸にこう書いてあった。

「背中で出すフォルテもよく使いますが、腰から出すスフォルツァンドもありますよ(^.^)」

今度は腰ですか……とほほ。

「背中から音を!」とピアノのセンセは言った

先日のピアノレッスン覚え書きです。
今回の、木曽センセの決めぜりふは、

「背中から音を出してください!」

でしょうか。

「センセ。そりゃ無理です。背中から音はでません」と私。
「手で出す音でも、腕で出す音でもなくて、背中で出す音。大丈夫です、腕は背中につながってますっ!」とセンセ。

……腕は背中につながってる。確かに、ええ、確かにそうですが。
背中で出す音って何なんでしょ。
ってなレッスンでございました。
これはベートーヴェンのフォルテの話なんですが、まずはバッハから。

バッハは3声シンフォニア11番。
3段楽譜を仕上げて、それで練習が始まりました。
3声がそれぞれ運命にあらがい、高い音へと上っていくのだけれど、どうしても落ちていくしかない、その繰り返しの果てに、力尽きてしまう、そんな解釈。

14小節目に出てくる、高音部の 「♭シ」 の音に注目し、高音部の20小節目の「♭シ」が「ラ」ではないことにバッハのこだわりを見出し、26小節目で「♭シ」に上り詰めるもやはり下降するしかない苦しさに気付き、それでも33小節目で再びあきらめきれず、力を振り絞って「♭シ」まで上り詰める思いの強さを感じ、40小節目の低音部の「♭シ」のエネルギーを得て、高音部が41小節目でとうとう「♭シ」を超え、最高音の「ド」に至り、しかし、そこから3声すべてが下降を始める哀しさ……。
さらに56小節目、60小節目の高音部の「♭ミ」の音に注目し、その音にすがりつこうと、しがみつこうと、上っては転げ落ち、上っては転げ落ち、63小節目の低音部のオクターブ上昇に呼応するかのように64小節目の高音部で、また、「♭ミ」へ。この音の、なんと、悟りきった哀しみの表情!

……みたいな分析だったんですがね。
分析はいちいち納得できるし、「なんと悲しい曲だろう」と、感動もするけれど、その通り弾けるかといわれたら……うむむ。
センセ曰く、「分析のための分析じゃないですから。分析することでバッハの思いに一歩でも近づき、それを少しでも音で表現する。そのための分析なんです」。

さらに、「私ね、コンクールの審査などをしてる時に、小学校高学年の子などが、この11番をいかにも指が動くのに任せてサラサラと弾いてしまうのを見ると、もう、悔しくって、腹が立って、たまらなくなるんですっ!!!」とも。

木曽センセが地団駄踏んでる姿、目に浮かぶようだわ。
私自身は子ども時代、バッハのインベンションやシンフォニアを練習曲みたいに弾いてたっけ。分析なんて教えてもらえなかったし、先生に言われるままに、音の切る場所だけ物まねしてタンタカ弾いてたのだった。
そういう時、「子ども時代にこのセンセに出会えてたらなあ」と思ってしまう。

それはそうとして。
お次はベートーヴェン。
ソナタ悲愴の三楽章、であります。
今回言われたのは、

「ベートーヴェンのフォルテを研究してくださ」ということ。
「重々しくて、太くて、荘厳で、ロマン派のフォルテとは違いますよ」
「まだまだ遠慮してる。大きい音を意識するのではなく、下へ下へと向かう打鍵を」と。

そんな時に、あの冒頭のセリフが出たわけです。

「おぐにさん、背中から音を出してくださいっ!」

これから2週間。
背中から出すフォルテとやらを、研究してみることにしまーす。




3段楽譜を書くのに2時間

今回のピアノレッスンの覚え書き。

バッハのシンフォニア2番は難なくクリア。
で、お次は、今回お初のシンフォニア11番。
実は子ども時代、シンフォニアの中では一番好きだった曲だ。

木曽センセはいう。
「普段、3声を弾く生徒さんには 『3段楽譜』 を書いてもらってるんです。3段楽譜に書き直すと、3声それぞれの動きが本当によく分かるので」

ピアノの楽譜って通常、右手用と左手用に便宜上分けるために、上下2段の楽譜で1セットになってますが、今回は3声それぞれのパートごとに分け、楽譜を3段1セットで書き直せ、というわけ。

「この曲が、いかに線で美しく描かれているか。下降する運命にあらがっても抗ってもなお、落ちていくしかない哀しさが、視覚的に見て取れますから」 と木曽センセ。

ほんとだろーか。

半信半疑で3段楽譜に着手。
楽譜ノートをあちこち探したが、中学時代のノートなんて見つかるわけもなく、あきらめて、ネット上からダウンロードし、印刷した。
楽譜の書き方など、ほとんど忘れていて、なんと2時間も掛かってしまった!
2週間すでに弾いてる曲なので、各パートのメロディーくらい独立して頭の中にすでにあるから、これでも随分書きやすかったほうなんだと思う。弾き始める前に、知らない曲の3段楽譜を私が作ったら、とんでもなく時間がかかるんだろうなあ。

早速、出来上がったばかりの3段楽譜で弾いてみた。
それぞれのパートを目で追うものだから、音の長さなど弾き間違えてたところが一目瞭然に分かり、驚いた。
木曽センセは「いつもの2段楽譜よりずっと弾きづらくなるかも……」と言ってたけど、すでに練習して、手が覚えているからかなぁ、むしろずっと弾きやすいのだった。

次回レッスンでは、この3段楽譜をもとに、細かな楽曲分析をすることになるんだろう。

一方、懸案のベートーヴェンのピアノソナタ「悲愴」第3楽章。
とりあえず、最後まで弾く。
最後のコーダ部分が練習不足で、なんだか最後は 「悲愴」 どころか 「コメディー」 みたいになっちゃった。がっくし。

木曽センセが、
「第三楽章のテーマには、すごく大切な別のテーマが隠れていることに気付きましたか?」
という。
一瞬、「ま、まさか、木曽センセも、阪神の濱中選手の応援歌の『はまなーか、はまなーか』という所を指してるのか? 実は木曽センセって、隠れ阪神ファン???」 などとドキリとしてしまった。
(何本か前のエントリー参照)

危うく、笑顔で 「例の濱中選手の……」と言いかけたら、
木曽センセはおもむろに、三楽章の冒頭の4つの音 「ソドレ♭ミ」をつかって、別のメロディーを弾き始めた。
あれ、これ、えーっと、えーっと……


第一楽章!!!


楽譜を確認して、心底驚いた。
第一楽章の52小節目から立ち上るメロディーの冒頭(調は違って、♭シ♭ミファ♭ソ、だけど)と同じなのだった。

よかった〜、下手に濱中の応援歌の話なんてしなくて。
思い切りバカにされるところだったよーん。

最近、木曽センセは私にちゃんと音楽を教えてやろうと骨折ってくださっているようで、これまでは「ハ長調」とか「イ短調」とか私が言っても見逃してくれていたのが、極力ドイツ語で「Cdur(ツェードゥア)
」とか「Amoll(アーモール)」とか言直しさせたがる。
小学生時代に、ピアノのセンセにさんざ習ったはずだけれど、今一つ自信がない私は、そのたびに首を振って「ハニホヘト……、ツェーデーエーエフゲー……」と数えてしまう。

木曽センセは、「子どもの生徒さんには、『数えない!』と注意するんですけどねー」 と苦笑い。

おまけに、曲の細かな転調について、いちいち平行調だの、同主調だの、属調だの、下属調だの言わねばならない。
これがたった4つだけなのにさ。
覚えられないんである。
40代。まだまだ人生これからだけど、記憶力低下にだけは抗えないわー。

「悲愴」を第三楽章だけ弾く、ということ

本日のピアノレッスンの覚え書き。
今回は、初めてベートーヴェンソナタ「悲愴」の第三楽章の前半3分の1ほどを弾いて持って行きました。
ABACABAのロンド形式のうち、なんとABA部分だけしか弾けなかった、というていたらく。
これには木曽センセも「え???」と驚いておられました。反省。
やはり選挙前ですし、なかなか練習時間が取れないのです(涙)。

今回のレッスンは、「さて、この第三楽章をどう弾くか」ということから始まりました。まず、木曽センセから、ベートーヴェンのソナタ32曲のうち初期、中期、後期のそれぞれの特徴と意味について説明がありました。さらに、当時の楽器の変化や、ベートーヴェンの人となり、なども。

「で、おぐにさんは、この第三楽章をどんな曲だと思いますか?」

木曽センセのレッスンは、いつもここから始まります。
なかなか一言で答えるのが苦手な私は、ついつい長い長い物語を語ってしまいます。

「この第三楽章って、何度も、これまで聴いてきたはずなのに、1、2楽章の続きで聴くと、いつも心に引っかからずに素通りしちゃうんです。1楽章は強烈に胸にこたえるし、2楽章はこのうえもなく深くて慈しみ深いし。ところが、ブッフビンダーさんのコンサートのアンコールで初めて3楽章だけ独立した形で聴いて、もう、聴いた瞬間に、あああ、この曲!と」

「ところが、楽譜を買ってみると、音符も少ないし、テクニック的に難しいわけでもなく、あれれ、こんな楽譜なんだ、と」

「さらにところがところが。弾いてみたら、なんか自分が惚れ込んだ曲と違うんです。おかしいなあ、とケンプやグルダやバックハウスの演奏をCDで聴いてみたんだけど、やっぱり自分が同じ曲を弾いてるとはとても思えない。全然、何かが違う」

「私にとって、三楽章というのは、苦しくても、迷っていても、もっと気高くて、どこか毅然としていて、あるいは毅然としようとしていて、うつむきながらでもせいいっぱい前進してる、そんな曲なんですけどねえ。私が弾くと全然ダメダメなんです……」

まあそんな感じで、弾いていったわけです。
先生は「テクニック的な問題はこの曲にはないはずなので、時間さえかければ大丈夫、仕上がりますよ」と言うのだけれど、本当かなあ。

ケンプやバックハウスなど、5人くらいの演奏家の第三楽章だけをCDから編集して延々と聴いているのだけれど、どう考えても、今、私が弾いてる曲と別物に聞こえる……。
そんな話をした時、木曽センセがしてくれたのはこんな説明でした。

「やっぱり、第三楽章は、あの苦しくて悲痛な第一楽章があり、このうえなく美しい第二楽章に癒され、その後にくる音楽なんですね。演奏家たちは、曲全体の解釈がしっかりしている演奏だから、これだけ音符も少ない曲が非常に意味を持って伝わってくるわけ。第一楽章、第二楽章を弾かずに、第三楽章だけを弾くというのは、実はとても難しいことかもしれませんね」

なるほどなあ。
だとすれば極めて苦しい。
私が、この曲に思い入れてるモノって、結構、切実だったりするのだと、最近自分でも分かってきているだけに、これ、ほんとに仕上がるのかなあ、とちょっと、いや、かなり不安。

一方、バッハは、シンフォニア2番と11番。
2番は今回仕上げるつもりだったんですが、「音楽をうたいきれてない。このままだと不完全燃焼でしょ」と言われ、さらに頑張ることになりました。
残念!

手が届かなかったモーツァルト

今回のピアノレッスンの覚え書き。
バッハは3声シンフォニア1、2番。
モーツァルトは引き続き、ピアノソナタ6番1楽章。

バッハは、1番を難なくクリア。さい先良し。
初めて見てもらう2番はなかなかの曲者。
1度弾いて見せたら、木曽センセ、うーんとうなった後、「Cmoll(ハ短調)の曲ですからねえ。軽くならないように弾いてほしいんです」。

それから、Amoll、Emollなどお和音を弾いてみせ、「ね? こっちは同じ単調でもなんだかメソメソしてる。でもCmollは悲劇的だけれど、メソメソしてない。もっと内面の苦しみが表現されているんです」

そんなもんかなあ、と思っていたら、
さらに木曽センセ、有名なCmollの曲のさわりを片っ端から弾き始めた。

まず、ジャジャジャジャーン。はい、ベートーヴェンの交響曲第五番「運命」ね。さらに、ピアノソナタ8番「悲愴」……。
なるほどー。そう言われれば、メソメソしてないわ。
そもそも、調の解釈からして、間違えていたのであった。がっくし。

そこからはいつもの通り、木曽センセのむちゃくちゃ細かい楽曲分析。
2小節目の7度の部分に「音楽を作る」だの、その時の左手は「天使の声のごとく浮遊性を持たせろ」だの、4小節目の2分音符は「嘆きの音」だの……。
さらに展開部の部分も、25、26小節の16分音符は「ひといきで奈落の果てまで落ちていく」音で、しかしそこから、符点四分音符で一つ一つ音階をのぼっていくさまは「意志の強さを感じさせねばならない」んだそうで……。
(お手元に楽譜がある方、ちょいと見てくださいな)。

譜読みが終わったばっかりの私は、目を白黒させながら、ひたすら付いていくだけなんだけど、それでも弾いてみると一つひとつ納得できるわけで、やっぱりこのセンセのことが好きだなあ、と思う。

次は何番にいきますか?と問われ、色々迷った挙げ句、子ども時代に一番好きだった11番を選んだ。切なげに弾ければ良いなあ〜。

で、ここからが本番。懸案のモーツァルトなのです。
四分音符=145のリズムを目指してと言われたけれど、私が、崩れず弾けるのは「=140」まで。
オーケストラの豊かな音色を意識しつつ、頑張って弾いてみたけれど、途中で集中力が途切れ、あちこち崩れながらもなんとか弾ききった次第。

木曽センセは開口一番、
「………どうしましょう?」。

いや、どうしましょう、と聞かれても、こっちこそどうしましょー、なんだけどな。
木曽センセは言うのです。
「ものすごく努力したのも分かる。本当に指も動くようになりました。最初の演奏を考えると、大変な進歩です。ある意味、おぐにさんの練習した方向ではすでに極められたと思います。最高地点にいるんです。でもねえ……」

木曽センセが黙っちゃったものだから、何となく予想がついていただけに、私が言葉を継いで差し上げた。

モーツァルト、じゃないんですよね。うん。自分でも痛感してます

そうなんだ。
音色も、響きも、音楽の世界観のようなものも、私のはちっともモーツァルトじゃない。
素直に聞いてみた。
「ここから、モーツァルトにする作業って、今の私に可能なんですか?」

木曽センセは、これまでにないほど、黙りこくってしまったうえで、「不可能じゃあありません。不可能じゃないけど……時間がかなりかかります。テクニックだけの問題ではなく、心まで全部取り替えてしまうくらいの作業が必要だから」

天からこぼれ落ちるようなあのキラキラした音色を、変化に満ちていて、おどけていて、ワクワクして、どこにたどりつくか分からない音の魔法を、自分が数週間でつかめるとは到底思えず、「だったら今はもういいです」と思わず答えていたのでした。

少し寝かせておいて。
時間をおいて。
もう一度出会い直したら、もう少しモーツァルトに近づけるんだろうか。今はまだ、ちっとも分かんないな。

ということで、急遽、次の曲を決めることになりました。
木曽センセ「何か弾きたい曲、ありますか」
私    「あるんですけどね。あまりに大それてて、笑われそうで」
木曽センセ「まさか、ショパンのピアノソナタ3番とか?」
私    「いえ、ショパンじゃあなくて」
木曽センセ「だったら、リスト?」
私    「もう、二度と、腱鞘炎にはなりたくないもんで……」
木曽センセ「まさか、ベートーヴェンの後期三大ソナタとか」
私    「そこまで私だって大それてません」

でもたぶん、ベートーヴェン、というところで私、反応しちゃったんだろうな? 
いきなり木曽センセは核心を突いてきた。

木曽センセ「じゃあ、悲愴?」
私    「……」
木曽センセ「うーん、悲愴ですかぁ」
私    「それも、あの深刻な1楽章でも、超有名な2楽章でもなく、3楽章なんです。あれが弾きたくて」
木曽センセ「へ? あ、3楽章? なら大丈夫。弾けます。うまくいけば2週間で弾ける!」

ほんまかいな。
モーツァルトに玉砕した後だけに、やっぱり微妙に心配。

ということで、早急に楽譜を入手し、悲愴3楽章に着手することになりました。
モーツァルトの方は苦手といえど、中学生のころ、ソナタを数曲弾いていたわけですが、ベートーヴェンってほんと、ご縁がなかった気がする。だから、木曽センセに教わるベートーヴェンがどんなことになっちゃうのか、かなり楽しみ。