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「ああ、オジサマ」というコラム

こんなコラムを書きました。

「ああ、オジサマ」
http://mainichi.jp/opinion/news/20120626k0000m070129000c.html


簡単に言えば、「オジサマ方、家事に限って言えば私の息子以下ですね」 という話。
だって、中学校に入ったら子育てなんて終わりだろ、と思ってるオジサマが、職場にも社会にも多過ぎるんだもん!

もっとも、こういう職場のオジサマ方が、「子育ては母ちゃんでなきゃ!」と私にフレキシブルな働き方を許してくれたからこそ、私の方もこれまで、育児と仕事を両立してこられたわけで、ホントは感謝もしているんです。
中には、「子育ては母ちゃんでなきゃ!」と私に理解を示すことで、仕事が忙しくて自分が子育てに関われなかった過去を贖罪しようとしているかのように見えた男性上司だっていました。
ライフワークバランスが改善して幸せになれるのは、子どもと母親だけでなく、実はオジサマだと思います。

フェイスブックやツイッターなどで、「痛快」「よくぞ書いてくれた!」「上司に読ませたい」などと反響がたくさん寄せられており、やっぱり、こんな風に周囲に言われた経験を、多くの人が持っていたんだなあ、とあらためて知りました。
「子どもが小学生になった途端、『子育ても終わったようなもんだな』と言われたことがある」とか、「子どもなんて中学生になれば手がかからないんだから、仕事や趣味はそれからやればいいだろ、なんて言うのもこの手の御仁」とか、「むしろ中学生や高校生のほうが、話し相手をしてやったり、要所要所で手がかかるともいえる」とか、様々なご意見やご体験も寄せていただいてます。

似たような体験をした方、似たようなことで悩んでいる子育て中の皆さんが、あちこちにいるんだなあ、と、私もなんだか元気をいただきました。
思い切って、書いてみて、よかった!
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読書の千本ノック、というコラム

スポーツ少年にどうにか読書習慣をつけさせたい、
と思っておられる世のお父様お母様にお送りする、
本日朝刊掲載のコラム。

読書の千本ノック
http://mainichi.jp/opinion/news/20120612k0000m070091000c.html


アスリートの勝負強さって何なんだろう……という問いを入り口に書いてみたのですが。
うまくいけば、これを、14歳の野球少年である息子に読ませ、読書に開眼させられないか……などと欲深に期待したのですが。

息子に見せましたが、どうやら、全然効果なしです。
とほほほほ。

AKB48の第4回総選挙を見に行った、という記事

そもそもアメリカにいる間に、ぐぐぐーーーっと人気の出たグループのようなので、まったく手も足もでません。
もっとも、日本にいた時に人気のあった、おにゃんこくらぶも、モーニング娘。も、誰一人知らない私なので、今回も、総選挙の直前まで、前田敦子さんと大島優子さんの顔の区別がつきませんでした。

それでも、かなり真面目に下調べし、予習し、最後は赤と緑の暗記ペンまで使って、名前を覚えたのでした。ほとんど無駄でした。だって、フルネームだけでなく、あだ名を覚えないと、取材にならない………反省。

どんなに知らない分野のことでも、たくさんの人が集まっているのを見たら、なぜ人はそれに惹かれるのだろう、と知りたくなる。いろいろ考えたり、調べたり、あちこちの人に聞きたくなる。
思えば私の取材の根っこにあるモチベーションは、いつも同じなのかも。

AKB48を見に行くのも、
あごひげアザラシのたまちゃんを見に行ったのも。
やっぱり、色々な思いを抱えて、人はそこに足を運ぶんだと思うので。

記事はこれ。
AKB48の総選挙を見て感じた、切なさと居心地の悪さ
http://mainichi.jp/enta/news/20120612dde012200013000c.html




「松井の信念の陰に、『老人と海』?」という記事

こんな記事を書きました。
「松井の信念の陰に、『老人と海』?」
http://mainichi.jp/feature/news/20120531dde012040079000c.html

松井秀喜選手の記事を書いて、と言われた時点で、たぶん、私は、松井選手にそれほど興味がなかった気がします。
むしろ、ピリリと音立てて人の心に割り込んでくるような、イチロー選手の談話のほうが、優等生風の松井選手のいつものコメントより面白いと思っていたし。
松井選手を担当した記者を何人か知っているけれど、「本当に素晴らしい人だ!」と人格をほめる人ばかりで、「彼の取材は面白い!」という声は聞いたことがなかったしね。

それでまずは、彼の著書を全部読み、それから彼の父親の著書、伊集院静さんの松井選手関連の著書など、関連著書を全部読み、何時間もかけて彼が大リーグに挑戦して以来、今にいたるまでの新聞記事を読み込みました。

絶対に変だ、と思いました。
人間、あんな、大舞台で、あるいは肝心要の場面でばかり、活躍できるもんでしょうか?

大リーグに移籍し、ニューヨーク・ヤンキースの開幕戦でいきなり本塁打。
決して調子が良かったわけじゃない2009年、膝の手術を拒み、最後まで試合に出ることにこだわり続け、ワールドシリーズでおいしいところ全部持って行ってMVP。
いくら「勝負強い」っていったって、こんなの絶対に偶然であるわけない。

……とまあ、取材のスタート地点はそのあたりにあった気がします。
伊集院静さんは、来月の文藝春秋に、私とほぼ同じテーマで原稿を執筆中でした。「どうして私たちは松井選手が好きなんだろう」というタイトルで。
「私が書こうと思っていること、今日は話すし、それを先に書いてもらってもいいんだ。私も君と話している中で、原稿のヒントが見つかるかもしれないと思って、今日、取材を受けたのだから」 と前置きし、お話くださった伊集院さん。
取材が終わって、伊集院さんが、「君と話せてよかった。原稿の着地点が見えたよ」とかっこ良く立ち去ってゆく背中を見つめながら、私のほうはまだまだ取材不足で、「せ、せ、せんせ……。私はまだ、原稿の着地点、見えていません~」(落涙)。

それでも、石川県に出張に行って、松井秀喜ベースボールミュージアムに寄せられた感想文を見せていただいたり、館長でお父さんの昌雄さんにお話をうかがったり、金沢市の星稜高校の野球部グラウンドで山下智茂・名誉監督にお話をうかがったりする中で、段々と書きたいことが見えてきました。

(山下監督と2人、バックネット裏で練習試合を観戦しながら、思わず2人して並んで試合のスコアをつけつつ、野球談義に花を咲かせることができたのは、この上もない贅沢な時間でした。星稜1年のピッチャー君、いい球投げてたなあ……)。

長谷川滋利さんに国際電話でお話をうかがえたのも、本当に助かりました。

結局一番書きたかったのは、「老人と海」だったのかも知れません。
松井選手の著書「信念を貫く」の中に、「老人と海」についての記述を見つけた時、なんとなく、直感で、これは伊集院さんが手渡した本だろう、と思いました。
実は、星稜の山下監督も、父親の昌雄さんも、松井選手が帰国するたび、本を見繕って、手渡しているのです。でも、「老人と海」はきっと、伊集院さんだ、という確信がありました。

それで、取材のとき、伊集院さんに尋ねたんです。
「これを渡したのは伊集院さんですか」と。
答は予想通りだったけれども、驚いたのは、彼がそれを手渡したのが2003年だった、ということ。
実はもっと最近のことだと思ってました。
だって、2010年の著書まで、松井選手はまったくこの本について言及してなかったもんですから。

でも、1冊の本って、そういうものだと思います。
最初に読んだ時と、2度目に読んだ時で、心に刺さる部分が違う。
あるいは読み終えて何年もたってから、ああ、あの本にあったエピソード、本当にそうだよな、と実感することがある。
それが本の素晴らしさ。

松井選手は、プロ野球選手の中では珍しく、読書好き。
私は案外、松井選手が、出会った人や、出会った本や、出会った街から、どんどんと良いものを吸収していこうとする人だから、あの勝負強さ、メンタルの強さが育まれたんじゃないかな、と思うのです。

そういう意味も込めて、今回は、「老人と海」のエピソードを、きちんと書いておきたかったのでした。
ちなみに、老人と海、には、もうひとつ不思議なめぐり合わせがありました。
父親の昌雄さんに、松井選手が「老人と海」について著書で書いている話をしたら、お父さんはすっかりそんなことは忘れていたようで、驚いたように言うのです。

「それは不思議な符合です。実は私、以前、『老人と海』の英語の朗読CDを手に入れまして、いつかこれが分かるようになりたいもんだ、なんて思いながら、あれを聞きながら寝てるんですよ。英語を聴いてるとすぐ眠くなるもので」

息子が色々な思いで読んだだろうヘミングウェイの名作を、
その息子の精神的支柱だったとも言える父親が、眠り薬代わりに英語で聴いていた、という不思議。

スポーツの取材をしていると、人の出会いだとか巡りあわせだとか、不思議が偶然がたくさん見つかって、面白いなあ、とおもいます。
それはきっと、単なる偶然、と言い捨ててしまえない何かが、やっぱりそこにあるんだと思います。

記事出稿の日、松井選手のメジャー昇格の一報がアメリカから届けられました。
私はデスクに言いました。
「メジャー復帰初試合で本塁打を打ったら、若干、原稿を手直しします。松井選手って、メジャー昇格試合で今季初アーチ、とかやっちゃう人なので」
……そしたら、案の定。
もっとも、これからのシーズン、決して順風満帆ではないでしょうが。

彼の不屈の精神とひたむきさの一端を取材する機会を得られたことを、ありがたく思います。

以上。
ここまで読みに来て下さった方に、松井秀喜選手の記事のこぼれ話を、書いてみました。


三陸鉄道に乗りに行った記事

遅ればせながら。
5月1日掲載で、こんな記事を書きました。

三陸鉄道に乗りに行く
http://mainichi.jp/feature/news/20120501dde012040014000c.html


ぶっつけ本番、仕込みなし。
子育て中ゆえ、わずか1泊の出張。
午前6時に上野を出て、2日目は5時半に宿を出て、1日12時間以上電車に乗り続けるものすごいスケジュールでしたが、お陰で、三陸鉄道の朝の顔も昼の顔も夕方の顔も夜の顔も、すべて見せていただけました。

何気なく歌ってきた、
「線路は続くよ、どこまでも」

の、「続く」という言葉の重みが、ひたすら胸に染みた旅でした。

南三陸町へのボランティアツアーに参加してみました

先週末、南三陸町へのボランティアツアーに参加しました。
1泊2日。土曜日の早朝に東京駅を出発し、新幹線とバスを乗継ぎ現地へ。
地元ボランティアセンターに登録し、その日の作業を割り振ってもらって、1日目は2時間ほど作業。
夜はホテル観洋に宿泊し、2日目は5時間ほど作業し、温泉で汗を流した後、新幹線で帰路へ、というツアーです。

昨年、東日本大震災をアメリカで迎えて以来、ずっと心にしこっていたもの。
昨夏、日本に戻って、家族で仙台の義父母宅を訪ねても、石巻などの被災地をめぐっても、あるいは取材で被災地に行っても、やっぱり納得できないものがずっと残っていました。
ボランティアツアーに参加しよう、と思いたち、それから、「もしかして、私みたいに今も迷っている人がいるなら、その人たちに届けられる記事になるのかも」 と気づき、職場の企画会議でも提案してみることにしました。
その結果、個人で参加するはずが、仕事として参加することになりました。

どうせなら、できるだけ、多くの人にとってハードルの低いツアーを選び、読者に届けてみよう、と思いました。
バスツアーではなく、新幹線利用に。
ホテル泊で、露天風呂のある温泉付きに。
それでも、新幹線で移動時間を短縮できる分、ボランティアの作業時間も2日間確保できるものに。
そんな基準で、JTBさんの今回のツアーを選んだのでした。

中身は、この記事に書いたとおりです。

東日本大震災 週末ボランティア体験記 一人じゃ何もできなくても
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120328dde012040060000c.html

新聞記者として参加した、というよりは、個人として参加したかった思いのほうが強かったので、今回はあえて、いわゆる取材行為のようなものをほとんどしていません。
私が記事中で紹介しているような話は、一緒にツアーで出かけた仲間全員がほぼ共有できている物語です。
夜の食事の時の自己紹介で、あるいは、温泉で湯につかりながら、あるいは、相部屋で布団を並べて、私たちは色々なことを語り合ったし、お互いに様々に切実な思いをかかえてこのツアーに参加したことを、知り合いました。
だから、記事の主語に、「私たち」 を使っています。
たぶん、「私たち」 なんて主語を新聞記事で使ったのは、私にとっては、初めてのことだと思います。

もっと貪欲にそれぞれの参加者や、南三陸町の方々の話を 「取材」 していれば、
あるいはもっと貪欲に、より良い写真を撮影することに時間を割いていれば、
もしかしたら、もっと意味のある、人々に伝わる記事になったのかもしれません。
そういう意味では、またしても、プロ失格だよなあ、という思いもあります。
でも今回は、私自身が参加者の一人であることのほうを優先したかったんです。
それが自分の立ち位置だったし。
「ボランティアに行ってみたい。でも行っていいのかしら。役に立てるのかしら」 と悩んだり迷ったりしている人にとっては、今回のボランティア経験を通して、「記者として見えたもの」よりも、「ツアーの一参加者として見えたもの」という情報の方が、意味を持つのではないか、とも思いました。

100人いれば、100通りの出会い方があっていいんだと思います。
自分の目で見て、自分の手で触れたことで、あらためて、「被災者」なんて言葉で束ねられない、束ねてはいけない人々の思いと暮らしに出会うことができました。
受け入れてくださった現地のボラセン、志津川の漁師の皆さん、ホテル観洋さん、JTBの皆さんらにも感謝します。それぞれの現場で、一人ひとりが、単なる仕事に終わらない思い入れを抱えて、動いておられることを知りました。

私がここに書いたのは、体力に自信がなくても、筋力に自信がなくても、特殊な資格や能力がなくても、その人なりにその土地に出会い、そこに暮らす人に出会える、ボランティアの「最初の一歩」のようなものです。
次の一歩がどんなものになるのか、まだわからないけれど、少しずつ探していこうと思います。

このツアーの仲間に、一人の看護婦さんがいらっしゃいました。
「職場の若い看護婦が、その職能を活かしたボランティア活動をするために、今も被災地に入ってます。私は職場では、それの後方支援。でも、今回は、看護婦としてではなく、ただの一主婦として、ボランティアをしてみたかったんです」
私の心のとても深いところに響いた言葉となりました。

私もたぶん同じ。
新聞記者としてではない形で、できることを探していたような気がします。

去年のあの日、うずめることのできなかった7000キロの距離を、こうやって一つひとつ、詰めていきたいと思っています。

東京スカイツリーの影のてっぺんを歩く、という記事

こんな記事を書きました。
「東京スカイツリーの影のてっぺんを歩く」。

上から見上げるのではなく、影を追いかけるの。
ツリーよりも影を、影よりも人を主人公にした記事です。
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120213dde012040006000c.html

冬至の日、新聞の一面を飾っていたスカイツリーの空撮写真を見たのがきっかけでした。
墨田川の向こう側、浅草の町にまで伸びる黒々とした影を見たら、あああ、この影がどんな風に動くか知りたい! と強烈に思ったのでした。
大真面目な顔で企画会議で、「スカイツリーの影のてっぺんをたどって1日じゅう歩きたい」と提案したら、上司にも同僚にも笑われまくった。笑われまくったけど、柔軟な編集部なので、「まあ、好きにやってみろや」となったのでした。
(なんと太っ腹だ……)。

それからが大変。
影のてっぺん、ってどうやって探せばよいのだろうか、と。
結局、三角関数に頼ることに。
図までは自力で描けたんだけど。
でも、高さと角度(太陽を仰ぎ見る仰角)から、どうやって底辺の長さを求めるか、どうしても思い出せなくて……結局理系の同僚に教えを乞うた。
で、できたのがこんな絵。




blogtree1_20120214163934.jpg



影の長さ=634m÷タンジェントθ

公式が分かればこっちのもの。
仰角はこのサイトで調べました。
http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/koyomix/koyomix.html

日時を入れて、「太陽の高度と方位」の計算をすると、仰角のほか、太陽の方位(真北をゼロ度とした方位)も出る。
で、仰角がわかってからは、このサイト。
http://keisan.casio.jp/has10/SpecExec.cgi?path=04000000%2e%90%94%8aw%8c%f6%8e%ae%8fW%2f02000100%2e%8eO%8ap%8a%d6%90%94%81i%93x%81j%2f10200200%2e%8ap%93x%82%c6%8d%82%82%b3%82%a9%82%e7%92%ea%95%d3%82%c6%8e%ce%95%d3%82%f0%8cv%8eZ%2fdefault%2exml


高さは634メートル。
角度のところに、仰角を入れたら、底辺aの長さが出る。これが影の長さ。
先に調べた方位と、影の長さから、その日時の影の先端のある地点を導き出す、ってわけ。

1月31日。
雲一つない、完璧な 「影さんぽ日和」。
でもむちゃくちゃ寒かった……。
最初に影を捕まえるまでは、街の中をおろおろ。とても心許なかった。
影を見つけた時は本当にうれしかった。だから一人で興奮してしまったし、道行くおじさんに 「変な名人」 と思われちゃったんだろうな。


sumidagawakage.jpg

(自転車の向こう側に見える影が、土手にほぼ垂直に落ちたツリーの第一展望台と第二展望台の間あたりの影)


「スカイツリーを見上げて、ツリーの向こう側に太陽があったら、そのとき、あなたはツリーの影の中にいる」 という理屈が分かれば、後はひたすら歩き回るのみ。

たくさんの人とも話をした。
「影を追いかけて歩いてるんです」
と正直にいうたび、

変な人扱いされたり、
面白がってもらえたり、
一緒になってツリーの向こうの太陽を見上げたり、
ツリーにまつわる話をあれこれ聞かせてくれたり……。
ツリーに関係ない昔話をあれこれ聞かせてくれたり……。

最初は、影を主人公に記事を書くつもりだったのに、偶然に出会う人出会う人が、それぞれに心に染みる話をしてくださるもんだから、結局、影のめぐる街に暮らす人々が主人公となっちゃいました。
最初は影を追いかけることが目的だったのに。
東京スカイツリーのふもとに、みんなこんな風に暮らしてるんだぞ、ってそんなことが無性に伝えたくなりました。
東京タワーのふもとで、たくさんの人々の物語が生まれたみたいに、
これからは私たちが新しい物語を生んでいくんだぞ、って。


sumidagawa2.jpg




最初は、3日間くらいかけて、丁寧に丁寧に取材して回るつもりだったのに、途中から、影がどんな風に動くのが知りたくて知りたくてたまらなくなり、結局、日没まで歩き回ってしまったのでした。
あまりに歩きすぎて、その後3日間、まともに歩けませんでした。
フラフラになったけれども、寒かったけれども、ずっとワクワクできる取材でした。

荒川土手では、カメラに人生掛けたオジサンたちに、思い切りあきれられてしまいました。
「影を探して? 浅草から? 朝から歩いてる? 変なこと考えるねえ」 とか。「スカイツリーで影といえば、せめて、水面に映る影を映すとか、そういうもんでしょう。本当の影を撮影してどうするわけ?」 と真顔で尋ねられたりもしました。

でも、私に言わせれば、あの方々のカメラに掛ける根性のほうがずーーーーっとすさまじいと思います。「何回ぐらい撮影に通うんですか?」 と尋ねたら、「納得いく写真が撮れるまで……って、何年かけても、その1枚が撮れないんだけどさ」 だもの。

機会があったら、こんなお散歩、みなさんもどうですか。
小さな路地が薄いぼんやりした影に包まれ、そしてすーっと日差しが戻る瞬間は、なんだかすごく不思議な感じです。
思い切りお天気の良い日がおすすめです。
ただし、一発で目をやられますから、お気をつけて。
(私は翌日、パソコンの画面が見られませんでした)。


以下は番外編。
今一番気になっているのは、季節ごとの影の先端の軌跡の変化です。
上記の計算式で、夏至や春分・秋分のデータも算出してみました。


blogtree2_20120214164828.jpg




夏至はなるほど、図の「夏」と書いた紫色の線をたどるみたい。つまりカーブが冬とは逆になるわけですね。
一方、問題は、春分と秋分。
どうやら……一直線になるみたい。

でも、どうしても分からないのがここから。
春分や秋分って真東から太陽が昇って、真西に太陽が沈むといわれるじゃないですか。
ってことは、当然、影は図の2番の線になると思うのです。
が、影の長さを考えると、むしろ1番の線なのかも。
あるいは、スカイツリーほど高い物体の影だと、影の先端の軌跡は決して一直線を描かないとか?

すでに、別のテーマの取材に取りかかっているものの、ここ数日、この問題が気になって気になって……。
ちょっと、時間を見つけて、さらに、調べてみようと思っています。
ひたすら歩く取材って、好き。



春の記事、掲載されました。

先日のブログのエントリーで、春のおすそわけを少ししましたが。
春を探しに行った、の記事、ようやく掲載されました。

特集ワイド:春を探しに東京・小石川植物園へ 黄色とともに
(http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120202dde012040003000c.html)

小石川植物園に、都合4回くらい通い詰めたんじゃないかな。
掲載がちょっと遅かったこともあり、「まだつぼみ」 と書いた花が、掲載前に咲いちゃうかも、と。
一部そういうこともあり、少しずつ手直しをしていく作業自体が、春の訪れでありました。

結果的に、掲載日前日に、日本のあちこちで大雪の被害が出て、人の命が奪われるような事故まで起こり、さすがに悩みました。自分なりに切実に書いたつもりではあっても、春を待つ記事なんて載せる時期なのか、って。
デスクに相談したら、彼女もそのあたり理解してくださって、二人でウンウンウンと。
でも、言い訳みたいに、雪の被害について触れるのもやっぱり違うだろう、ということになり、このまま掲載しました。

長野に4年間いたとき、くる日もくる日も雪景色で、春の訪れを一番感じたのは、雨の音だったことを思い出しました。(冬の間は雨は降りようがないの。雪になっちゃうから)。
色とりどりの花を見るより、何より、雨音を聞いて、「ああ、ようやく春が来てくれた」 と、自分で自分を抱きしめたくなるような気持ちになったあの年の春が、私には一番印象深かったなあ、と。
そんなことも思い出しました。

最後に。
小石川植物園でいつも見に行った花の写真を。
アテツマンサク。
シナマンサクより花期が遅いので、まだこんな感じ。
くるくると固く巻いた花びらを四方に伸ばしたら、春はすぐそこ。

atetumansaku.jpg




コシノヒロコさん、インタビュー

NHKの朝の連続テレビ小説「カーネーション」にはまっている。
毎朝見てしまう。

……と思ってたら、このドラマの主人公のモデルとなった小篠綾子さんの長女、コシノヒロコさんをインタビューする機会に恵まれた。
実に示唆深いお話でした。

インタビュー記事はこちら。
「幸せの99%は努力です」

いやはや、随分励まされるインタビューでした。
「努力は女のマタの力である」なーんて言いながら、私や妹に努力努力と言い続け、約18年前死んだうちのお母ちゃんに背中をどつかれた感じです。
大阪の母ちゃんは、努力、が好きなのかなあ。
そういや、あと5日で、うちの母ちゃんの命日なのねえ。


「若者って 『かわいそう』 なの?」 という記事

先のブログに、西水さんともう一方、会ってみたい人がいる、と書きましたが、それが彼です。
東大大学院生の若き社会学者、古市憲寿さん(26)。
彼の著書の中に、

*世代間格差に怒り、訴えるのは40歳前後が多い
*若者論は、実はオトナの「自分探し」

という指摘を見つけ、ああ、会って、話してみなきゃ、と思ったのでした。

そうして書いた記事が本日夕刊に掲載されました。
「若者って 『かわいそう』 なの?」

私は1990年に新聞記者になって以来、「若者論」 っぽい記事をたくさん書いてきました。まさに90年代の 「こころの時代」 に乗っかって、子どもや若者たちの、いわゆる 「心の闇」 (そう。新聞は一時期、これが大好きでした……) をさんざ書いてきたように思います。
私が渡米した2007年ごろからでしたっけ?
そのあたりの潮目が変わり、「こころ」 よりも、「格差」 やら 「貧困」 などの切り口で、子どもや若者の問題が描かれるようになっていった気がします。

そういう意味では、若者論の変遷は、オトナの自分探しであると同時に、社会を映しこむ鏡みたいでもあったんだなあ、と今さらながら気付かされます。

ところで。
恥を忍んで告白すると、私は10年くらい前まで、自分は若い人の取材が得意なんだと勘違いしてました。
実際、10年くらい前までは、相手の言葉が説明なしに、まっすぐに心に入ってきたし、言葉がなくても感覚で分かり合えることも多かったし、私はそれをただ、「新聞読者向けの言葉」 に翻訳すれば済んだんです。
どうして、40代、50代の先輩記者たちは、若者の記事を書かせると、こんなにトンチンカンになるんだろう、なんて思ったものです。
でも、得意なんかじゃなかった。
単に、年齢が近かった。それだけ。

8年くらい前に、自傷行為について本を書いたときも、自傷する若い男女の言葉は、とてもよく分かりました。
すくなくとも、分かる、と感じていました。
いくつかの言葉には、「ああ、私もかつてこう言ってた」 と感じたし、「今だって私、そう思ってるよ」 と思ったことすらありました。

ところが、ある日を境に、「分かってる」 と思うことをやめよう、と決めました。
自傷していた10代の女の子に、
「おぐにさんがお母さんだったら良かったのに」
と泣かれた日にです。
私は、せいぜい 「オネエサン」 くらいのつもりだったのになあ。
お母さん、なんて言葉が相手の口から飛び出すなんて、想像すらしていなかったんです。

私は、若い人の言葉を分かった気になっているけれど。
私は、若い人のとても近いところにいる気になっているけれど。
実はもう、全然そうじゃないんだ、と。
恥ずかしいくらい遅ればせながら、ようやく気付かされたのでした。
その日以来、自分はもう若い人の言葉をきちんとわかってはいないのだ、という地点から取材をスタートさせよう、と考えています。

今回、古市さんと会うにあたって、「20代の仲間を連れてきていただけませんか?」 とお願いしたのも、そのためです。私のほうも、知り合ったばかりの、ある雑誌の編集長の女性(29)を同行させていただきました。
20代の男女3人に、40代の私、そしてカメラマン、という構成で、「合コンインタビュー」的な感じでやってみようと思ったわけです。

同席くださった20代女性2人は、とても優秀な方々でした。
実際、古市さんとのインタビューの後、別の機会にあれこれと私に助言をくださいました。彼女たちの古市さん像と、私の見た古市さん像を比較したり、お互いに意見を交わしたりすることで、より立体感のある言葉を生み出せたように思います。
すべての試みが成功したとは決して言えませんが、すくなくとも、この2人の同席者の感想やアドバイスがなければ、私はいくつかの落とし穴に落ちて、古市さんの言葉や、古市さんの描く若者像について、あれこれ誤解していたようにも思います。
たとえば、古市さんの描く 「若者像」 と、古市さん自身の考え方やスタンスには、明確な違いがあるということ。これをついつい混同しそうになるところを、女性2人に救ってもらいました。
もっとも、それをきちんと紙面に生かしきれたかは、別問題。まだまだ、だなあ、と反省。

一対一のインタビューで、一方向 (やりとり、と考えると、双方向、か) のやりとりに終わらせず、インタビューに複数の方の同席をお願いすることで、色々な人の間のやりとりを通して、取材相手の人物像とその主張を浮き彫りにしていこう、という試みのほうは、あまり成功させられませんでした。
その点ももう、私の圧倒的な力不足。
これは今後の反省材料、というか、課題です。

自分のインタビューする姿を他人にさらすというのは、思った以上に覚悟のいることでもありましたが、これは良い勉強になったと思います。

また、今回、この手法の致命的な欠点にも気付きました (それは営業ヒミツですが)。それに気付いたという点も、収穫でした。

いずれにしても、この手法、もっと色々な可能性があると感じましたので、また機会を探して、挑戦してみるつもりです。

もう1点。
今回は新聞社のサイトに掲載された記事を、色々な方が twitter でつぶやいてくださいました。批判あり、共感あり、拝読していて、とても面白かったです。
恥ずかしながら、これまであまり気付いていなかったのですが、こうして記事についてつぶやいてくださったのを、まとまった数のツイートとして読むことで、記事中のどの箇所、どの言葉が引用され、槍玉に上がり、批判され、あるいは共感を集めているのかが、一目瞭然なんですね。
その点、ものすごく勉強になりました。つぶやいてくださった方々すべてに、感謝感謝です。

私自身は、twitter は情報収集のツールとして以外では、まったく使えていないわけですが、自分なりの使い方をもう少し時間をかけて、開拓してみてもいいかな、と思いました。

プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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