おぐにあやこの行った見た書いた

★The Higher Power of Lucky (Susan Patron)

★The Higher Power of Lucky (Susan Patron)

2007年のニューベリー賞受賞作。
渡米後、「かんたん書評」ブログが一切アップされないので、「ははーん、おぐには本を読んでないんだな」 とか誤解されちゃってるでしょうが、実は……そうかも。
というか、私、ほんとに英語で本を読むのが遅いのです。
いまだこの手の児童書やヤングアダルトで精一杯。専門書になると、いわゆる 「つまみ読み」 を英語でする技術がまだないもので、結局最初から頑張って読んで、途中で断念することが多いわけです。

それでも、語学の基本は案外、良い文章を読むことにある、と思っているもので。
こつこつと図書館で本を借りてきては、読んでいるのです。
今回のこの本はぜひお薦めしたくて、アメリカ発の「書評」エントリーのトップバッターに持ってくることにしました。
邦訳も出るでしょうから、ぜひぜひ、よろしく。

主人公のラッキーは10歳の女の子。カリフォルニアのどん底のようなトレーラー集落(人口43人)に暮らしてる。母はある日事故で死に、母と別れてフランスの若い女の子のもとに走った父親は子育てする気はさらさらなく、ラッキーの面倒を見にやってきたのは、なんとなんと、この父親とも別れたフランス人女性。つまり、実父の元恋人、というわけ。

この本、最初のシーンがいきなり、アルコール依存症者のためのアノニマスグループの集まりなのね。これはたぶん、依存症の世界や、12ステップ、ハイヤーパワーなどの用語を知らない人にはなじみにくいかもしれない。けれど、私にはむしろ、何度も何度も取材してきた世界だけに、ものすごく光景が鮮やかに伝わってきた。
その会合をこっそり盗み聞きしながら、彼らがどうやって自分なりの 「ハイヤーパワー」 をつかんだのかを知りたいと願う10歳の少女ラッキー。
私なんかもう、この設定だけでノックアウトだわ。

日本的な表現で一言で言ってしまうならば、
10歳にして生きづらさを抱えた少女が、一風変わった近所の住人やら、フランス人のブリジットとの関わりの中で、母親の死や見捨てられ感を、鮮やかに受け止めていくまでの物語、かな。

とにかく、最後の骨壺のシーン(これ以上はネタバレなので書きません)が圧巻です。

ちなみに。
上記書名リンクから、amazonの書評を読んでいただくと分かるのですが。この本の1ページ目に登場する scrotum という単語 (陰嚢、という意味です) 一つのせいで、この名著を図書館の子ども向けの書棚から排除しようという動きが、一部の司書たちの間にあったそうです。
日本じゃあ、考えられないな。
文脈で読めば、何の問題もないと誰もが思えると思うんだけど。




★鴨川ホルモー (著・万城目学)

★鴨川ホルモー (著・万城目学)

おもしろい、とどこかで書評を読んで、図書館で借りてみた。
京大生たちの仰天青春物語、というか、変な物語。

本の案内文で簡単に説明すると
「謎のサークル京大青竜会に入った安倍を待ち構えていた「ホルモー」とは? 恋に、戦に、チョンマゲに、若者たちは闊歩して、魑魅魍魎は跋扈する。京都の街に巻き起こる、疾風怒濤の狂乱絵巻。前代未聞の娯楽大作、ここにあり!」
だそうで。
確かに、そういう本です。

京大時代が懐かしく思い出された部分も多少ありましたが、文章があまり好きじゃなかったこともあり、それほどおもしろい!!!とは思わなかったかも。

★「美しい」ってなんだろう? (著・森村泰昌)

★「美しい」ってなんだろう? (著・森村泰昌)

これまでブログで何度も触れている理論社「よりみちパン!セ」シリーズの1冊。

あんまり安倍首相が「美しい国」とか言うもんだから、この際、世界でご活躍の美術家、森村さんにズバリ、「『美しい』とは何か?」という骨太(?)のインタビューなんぞどうだろか……と思い、読んでみた1冊。
森村さんの半生がよくわかるうえ、「美」との独特の付き合い方がわかりやすく描かれていて、大人も十分楽しめます。芸能界と芸術界の違い、「広く行き渡らせること」と「深く行き着くこと」の違いなど、考えさせられることも多かったです。

あとがきにはこんな言葉がありました。
とりあえず、安倍首相向けに、書き留めておきましょー。

最近、「美しい」という言葉を日本の首相もお使いになり始めましたね。しかし私がなんどもくりかえしお話してきたことは、なにが「美」かなんてだれにも決められないということでした。
「これを美と思いなさい」と、「美」をおとなから押し付けられるのは、やっぱりおかしいし、ましてや「これが国民として持つように教育されるべき美意識だ」とまんいち法律化されるとすれば、なおさらおかしいです。
なぜなら「美」はひとそれぞれだからです。それぞれにそれぞれの「美しい」がある。このそれぞれの「美しい」を語り合い、なぜそれが「美しい」のか、意見交換することで、人間や自然や宇宙を理解する糸口も見えてくるはず。
相手が美しくない、みにくいと思うから、相手が敵に見えてくるのとちがいますか?


★無理なく続けられる年収10倍アップ勉強法 (著・勝間和代)

★無理なく続けられる年収10倍アップ勉強法 (著・勝間和代)

私、たぶん、勉強好きだと思う。
子ども時代から勉強が苦になった記憶もあんまりない。
就職してからも、忙しければ忙しいほど、あれこれ勉強したくなる。
ピアノなんかもたぶんそう。
が、この本を読んでつくづく痛感。
私にとって、勉強は趣味なんだな。
あるいは、私が勉強の範疇にいれていたものは、全部趣味だった、というべきか?
だから、「勉強」と「年収アップ」をつなげるという発想が、ぜーんぜんありませんでした。
これって会社員ボケだろーか。
それとも、器用貧乏のなれの果て?

著者はいいます。
勉強を続けられないのはモチベーションが上がらないから。勉強を無理なく続けるためには、勉強すればするほど幸せになればいい。すなわち、勉強することによって年収が実感できるスピードであがっていけばいい。つまり、年収増につながる勉強をし、実践の場で生かすのが肝要だ、と。

以前よりは崩れつつもなお、年功序列の賃金体系が未だ残る会社に勤める身だったから、私にこういう発想がなかったのか。
それとも、単にこういう性格なのか。

本書にこんな一文があります。

間違えてはいけないのは、同じ勉強でも、基礎スキルアップのための勉強と教養のための勉強は違う、ということです。当然、年収アップに直接つながる、つまりモチベーションが続くのは、基礎スキルですから、まず、こちらが必要です。(略)
一般に、子どものころから優等生の、一見勉強熱心な人は、とかく教養のための勉強に走りがちですが、たいてい職場の雑学博士になってしまうだけです。(略)
今行っている仕事につながらなければ、他人の目には、雑学にしか見えません。


思わず大爆笑してしまった。
確かに確かに!
元優等生タイプだわ、私。
年収アップとか無関係にピアノ弾いたり、本読んだり、語学勉強したりしちゃうわ、私。
おまけにピアノなんか、我が職場では「雑学」にすらならないよ。
でもなあ。
「他人の目には雑学にしか見えない」と言われても、そもそも他人からどう見えるかと「幸せ」は、無関係と言い切ることはできないにせよ、そう重なる尺度でもない気がする。

人知れずピアノ弾いてて、弾けなくて悔しくて、ばかみたいに時間とお金をつぎ込んで、それで出せた一つの音が、翌日の仕事の活力、思いのこもった記事1本につながる……そんなことだって、あると思うんだなぁ。
おまけに、はっきりしてることは、私は、「明日のより良き記事」のために下手なピアノを弾いてるわけでもないんだよな、間違いなく。
そして、このうえなく、幸せでもあるんだよな、きっと。

ただし。
この本を読んでよく分かったことは、趣味のための勉強だとここまで徹底した手法で自分を追い込んでいくことはできないだろうな、ということ。そして、ここまでやれる人には、ほんと、頭が下がっちゃうな、とも。

実は最近、ある先輩記者から、私の「あれもこれもほどほどで幸せ」状態について、「恵まれた能力を磨く努力を怠っている。時間をどぶに捨てている」 的な助言 (本当に心と熱意のこもった厳しくもあたたかい助言)をいただいたところ。
ちょっと悩んだりもしているのです。
思えば20年前(つまり大学生時代)、当時大好きで、大尊敬していた山口泉さんという作家さんから、「おぐにの欠点は向学心だな」と指摘されたんだっけ。長く、あの言葉の意味をつらつら考えてきたけれど、良くも悪くも私、今はそこまで向学心とかない気がする。

それとも、案外、追いつめられたら、昔ながらの向学心に燃えちゃったりするのかな。

★千年樹 (著・荻原浩)

★千年樹 (著・荻原浩)

荻原作品=絶対にはずれなく面白く、からっと明るく、うまさを感じさせ、グイグイ読まされちゃって、さすがだなあとすっかり感心。
……という先入観を壊されました。

樹齢1000年のくすの木の周辺で織りなされる人間ドラマ?
一言でいえばそんな感じ。
時代時代に生きた人々のエピソードを交錯させ、何か1本の太い運命の糸のようなものを読者に感じさせるあたりは、さすが荻原さん、上手だわー、と思いましたが。
「ぐいぐいと引き込まれ……」という感じでもなかったので、寝付く前の2時間、うとうととしつつ最後まで読んだって感じでした。

★ピアノはなぜ黒いのか (著・斎藤信哉)

★ピアノはなぜ黒いのか (著・斎藤信哉)

ピアノの調律師さんの書いた一冊。
アマゾンでの読者書評、かなり評価が低いんですが、ちょうど電車の中で読むのに格好の一冊というか、私は結構楽しみました。

ピアノが黒い、は日本だけの常識で、欧米ではピアニストの衣装を映えさせるためにもリサイタルなんかでは黒を使うけれど、家庭にあるピアノの主流は木目だ、というのは全然知りませんでした。
そうだったのか……。

私がピアノを習い始めたのが1970年、4歳の時だから、国内のピアノ販売数が1960年4万2000台から65年13万2000台、70年21万9000台に増えていった、なんてデータを見ると、ちょっとしみじみしてしまいます。
ちなみに1970年当時、ピアノ1台の値段は大卒男子初任給の約6倍だたそうで。「文化住宅」という名の長屋暮らしだった両親が、こんな時代にピアノを無理して買ってくれたんだなあ、と思うと、胸が詰まります。

木材の人工乾燥などの技術革新を武器に、それまで何カ月もかかっていた木材乾燥の過程を2日以内に短縮、ピアノの大量生産とコストダウンを実現したというヤマハとカワイ。
ヤマハは最盛期に1日800台ものピアノを作っていたんだって。
スタンウェイやベヒシュタインが1日5〜10台という時代にね。

筆者は欧州のこだわりのピアノ作りを高く評価しているし、私自身、それはそれでよーく分かるけれど、でも、ヤマハやカワイの大量生産ピアノが存在しなければ、我が家みたいな家庭でピアノを購入することなんてとてもとても無理だったはず。
すそ野が広がったことは、すそ野にいた者としては、ほんと、手を合わせて感謝したい気持ちだったりします。

あと、本書の最後のほうの章「ホームコンサートをしてみよう」。いいですねー。20畳のリビングがあれば……と思いましたよ。はい。
でも我が家には10畳足らずのリビング兼子ども部屋 (つまり部屋の床にランドセルや教科書が散乱しているリビング) に電子ピアノを置くのがせいいっぱいだ〜っ!

★いじめをやめさせる! (著・佐山透)

★いじめをやめさせる! (著・佐山透)

先日、いじめ関連本についてブログに書いたら、とある方から、「この本も読んでみて」と薦められたもので。読みました、はい。

現役の公立高校教諭(教師歴25年)が「本音で語る、現実的対処法」だそうで。
結論がすごいぞ。
「学校に、いじめに対処する力はない!」と断じちゃってる。だから親が守ってやるしかないぞ、と。
曰く、校長にしろ、担任教師にしろ、それぞれ、いじめの現実を認めたら自分の評価に響く。どうせ解決できない問題なら「なかったこと」にしてしまうのが一番無難。学校の教師が一丸となっていじめ問題に対応することなんてありえない。ある学年でおきたいじめ問題は、他学年の教師にとっては格好の酒の肴だ。担任教師が、本気でいじめっ子と対決しようとすると、授業ボイコットなどの反撃を受け、よけいに学級運営に苦労することが多いので、「あいつとも仲良くしてやってくれよ」などと、いじめっ子に頼み込むのが関の山だ、とか……。
現役の先生に、「我々には無理です」と最初から白旗あげられてるみたいで、それはそれで悲しい。

おもしろいな、と思ったのは、この教師が小学校時代に「いじめっ子」だった体験と、中学時代に「いじめられっ子」だった体験を書いていることです。
この両方の体験から、「いじめられやすいタイプ」や「いじめがエスカレートする要因」について、書き出してます。

「泣かせるのが生きがい」と思えるほど、いじめていた小学時代、自分がいじめなかったことの理由として、

・担任、母親など女性にしか注意されなかったこと
・父親が無関心だったこと
・クラス内でもいじめに加わる者が何人かいたこと
・著者が当時クラス委員をしたり成績上位者でクラスで一目置かれていたこと

を挙げてます。

一方で、中学時代にいじめられた理由として、

・当時は、無口でおとなしい性格だった
・何かされても反撃せず、「やめろ!」と大声で言えなかった
・体力的に劣っていた
・担任にも両親にも打ち明けられなかった

を挙げています。

そしてこの両方の体験についても、これらは昔の話で、今のように「メールによるいじめ」などより陰湿で集団的になったいじめは、もっと解決が難しくなっている、と指摘しています。

学校でいじめられっ子にならないため、ちょっとした子育て上のアドバイス、というのが本書にありましたので、いくつか書き出します。
(うーん、それってどうかな〜、と疑問を差し挟みたくなるところもありますが……)。

*子どもの言葉遣いの乱れを注意するのは、友だちたちの間で使われている話し言葉を使うな、友だちをなくせ、と言っているのと同じ。聞くに堪えない言葉遣いにも、「親から自立しつつあるんだな」と思っていればいい。

*今の子はコンビニ、パソコン、携帯電話が当たり前の世代。親の時代遅れの価値観を押し付けることは、子どもに屈辱感を味わわせることになりかねない。

*過保護で口うるさい親の子はいじめられっ子になりやすい。甘やかしの親の子は逆に、いじめっ子になりやすい。子どもに無関心な親の子もいじめっ子になりやすい。しつけや勉強に厳しい親の子はいじめっ子、いじめられっ子の両方になりうる。

でもって、著者が教師経験を通してまとめた 「いじめられやすい子の特徴」は、

・肉体的にハンディを負った子
・ぼーっとしてる子
・何をするにもみなより遅い子
・生意気でえらそうな子
・自慢する子
・いじめられた時に反撃せず、それを親や教師に訴える子
・その場の和を乱す子

……なんか書いていて、気が重くなってきた。
上記の子たちのいないクラスって、どんな集団なんだろ。うーむ。

おまけに、親がいじめと闘うためにも、日頃から子どもがいじめについてしゃべってくれるような関係を作っておけ、という一方で、上記のように「親にすぐ言う子」はいじめられる、とも書いてるわけで、いったい、どうすりゃーいいのよ!って言いたくもなる。

でもって、著者の編み出したマニュアルはこんな感じ。

*子どもはいじめを記録する。多ければ多いほど有効。
*子どもはいじめられた時、「やめろ」と大声で叫ぶ練習をする
*子どもは空手や柔道の技を磨いてでも、反撃するようにする
*親は、いじめ記録を10枚程度にまとめ、学校に怒鳴り込む。大騒ぎして校長やほかの教師まで巻き込む。
*学校に求めたい点を誓約書にまとめ、校長にサインをさせる
*いじめた子の親への直接抗議は、効果的ではない
*校長でダメなら、教育委員会に怒鳴り込む
*それでもダメなら、法的手段に訴える

………。
この本を読んで一つだけよーく分かったこと。
学校におけるいじめの現実を最も良く知る大人である「現役教師」の多くの方々が今や、いじめは自分たちの力ではもはや解決できない、と結論をすでに出しているんだ、ということ。

とりあえず、子どもに柔道でも習わせろ、ってか?
うーむ。


★豚の死なない日 (著・ロバート・ニュートン・ペック)

★豚の死なない日 (著・ロバート・ニュートン・ペック

最近読んだクリス・クラッチャー著作2冊「ホエール・トーク」「アイアンマン」とともに、訳者の金原瑞人さんからご紹介いただいた本。
こちらは、クラッチャーの重さとはまた別の、静謐で、圧倒的な世界です。

貧しい農家の12歳の少年が、大地を踏みしめ、家畜を飼い、父に多くを学びながら13歳で大人になっていく……そんな日々を淡々と描いています。ただただ、圧倒されます。

文盲の父が息子に教えることが素晴らしく、例えば、息子に「仲良くできている相手との土地の境にまで柵を立てるのはなぜ?」と問われ、「あそこの牛がうちのトウモロコシをかじったら、相手はわしよりもっといやな思いをするだろう。うちの牛に自分のところのトウモロコシをかじられるよりな。柵はいがみあうためのものじゃなくて、仲良くやっていくためのものなんだ」と教えます。
こんな風に、一つひとつの父の教えの含蓄はとても深いです。

特に、最後の数十ページはもう、ため息すらつけない感じです。
父と息子の絆に圧倒されるからです。

私が一番好きなシーンは、豚を殺めた後の息子と父を描いた場面。(ネタバレになるので詳しく書きませんが)。

それから、父が使っていた道具の取っ手が、父が握っていたところだけ明るい金色をしているのに、主人公が気付く場面です。
主人公は、その取っ手を「息を呑むほど美しい。働く手が取っ手を金に変えたかのようだ」と感動し、そして「ぼくの手がその道具を持てるくらい大きくなったかどうか」を確かめます。
なんか、ドキドキしながら、読み終えました。

★女性の品格 (著・板東真理子)

★女性の品格 (著・板東真理子)

あんまりにすごいベストセラーなので、パラパラと斜め読み。

型どおりの挨拶をしよう、招かれたら手土産を持っていこう、約束を守ろう、敬語のつかいかたなど、まあ、いわゆる常識が半分。
仲間だけで群れない、プライバシーを詮索しない、後輩や若い人を育てよう、家族の愚痴を外で言わない、聞き上手になろう、など、いわゆる社会人としての人間関係も回し方が3分の1くらいか。
あとは装いだとか、暮らし方だとか、そのたぐい。

あんまり「品格」なるものとご縁がないタイプだと自分でも自覚してましたが、次の一文を読んで、「こんなの、あたしゃ、いらんわ」と読む気がうせた。

誰も見ていないからと外見にかまわないのは女性としての自殺行為です。(略) アイメーキャップだけはするとか、口紅だけはつけるとか、その人なりの方針でいいでしょうが、急にだれかが訪ねてきても慌てない程度の装いは大事です。

家で誰も見てないときだけでなく、出勤時もメイクをしないスッピン人生の私なんか、どうなるのさ。
(「自殺行為」とか軽く書かないでほしいなあ)。
相手を不愉快にさせない程度に普通にしてれば、品格なんか、ま、いいか、と思ってしまったのでした。


★アイアンマン (著=クリス・クラッチャー)

★アイアンマン トライアスロンにかけた17歳の青春(著=クリス・クラッチャー)

先日、この著者さんの「ホエール・トーク」を読んで、あまりの作品のすごさに完全にノックアウトされたもので、今回は、もう1作、翻訳されている本を見つけたので読んでみることにしました。

「ホエール・トーク」は「一見、スポーツ青春小説に見えて、実は人種問題から児童虐待までさまざまな過酷な社会問題にがんじがらめにされながらも、そこでもがき、自分を獲得していく少年たちのお話」でありました。
今回のは……「一見、これまたスポーツ青春小説に見えて、実は、DV問題や怒りのコントロールなどの問題の中で、それでも仲間を得て、その仲間の人生の重さに触れることで、成長していく青年の話」とでも申しましょうか。

主人公は17歳。トライアスロンレースに出場するため、日々過酷なトレーニングを続けている。しかし、ある教師の侮辱に怒りを抑えられないまま反抗し、停学寸前に。罰として短気矯正クラスに入れられてしまう。荒っぽい問題児が集まる特別学級で、彼は仲間たちの人生に触れ、なぜ自分が怒りをコントロールできないのかに一つひとつ気付いていく……そんな話です。

この少年、 「学校や家族との関係がこじれてくればくるほど、肉体的な苦痛がほしくなる。体の痛みなら、自分でしっかり把握してコントロールすることができる」 といいながら、むちゃくちゃ厳しいトレーニングをひたすらこなしているんですが。
私はむしろ、自傷行為を連想しちゃいました。

あと、この「短気矯正クラス」を率いる先生が、ほかの先生に向かって言う台詞がいい。

たいていの生徒は、自分に欠けてるものを口にするのが苦手なんだ。なぜなら、それがなんなのか本人にもわからないからだ。それを教師が先にみつけて、できるだけ早く手を打たなきゃならない

本人が気付く手助けをする、という意味での「手を打つ」なんですよね。

主人公が自分の怒りの正体と向き合い、自分の言葉で分析できるようになるシーンも心に残った。

ずいぶん長くかかったけど、怒りは恐怖の隠れみのにすぎないっていう先生の言葉の意味がようやくわかってきたような気がする。根底に恐怖があることさえ認めれば、怒りをおさえることなんて簡単だし、おさえる必要もないくらいだ。どうやら恐怖は、レイモンド(主人公を侮辱した教師)や親父にプレッシャーをかけられて、自分の弱さを自覚したときにわいてくるらしい。それさえいさぎよく認めれば、もう恐怖を隠す必要はない

重い重い内容でいて、読後感は爽快、という小説です。
「ホエール・トーク」のほうが、ずっと好きだけど、読後感がからりと明るいのはこちらだと思います。