おぐにあやこの行った見た書いた

プロフィールを微調整しました

退職にともない、ブログのテンプレートおよびプロフィールのところを微調整しました。
「新聞記者です」は、安易に、「新聞記者でした」と訂正。
「仕事:新聞記者」のところは、「07年秋まで新聞記者。今はなんにも」と訂正。

訂正してしまえば、なんとも簡単なもんだ。

退職を決めた時、ある先輩記者から、
「あなたに新聞記者をやめてほしくない。書くのをやめてほしくない」
と熱く言われたのをふと思い出した。

あの頃(たぶん今も)、私の中では、「新聞記者であること」 と 「書くこと」 とは同義ではなくて、だから「会社をやめる=記者をやめる=書くことをやめる」、と思ったこともなかったのだけれど。

それでもやっぱり、毎日通うべき場所があって、取材すべきテーマがあって、書かねばならない、あるいは書くことができるメディアがある、ということのありがたさ、重たさは、辞めて初めて、私なりに少しずつこれから、しみじみと自覚していくんだろうなあ。
そんな気がします。

出国の日の朝に見た夢は……

(9月26日朝の話)

成田空港近くのホテルで目を覚まし、ちょっと奇妙な気持ちになった。
変な夢を見たから。
いや、当たり前の夢、というべきか。

夢の中で、私はまだ新聞記者だった。
誰か男の人にインタビューしていた。
それだけの夢。

普段見たのならば、単なる日常であって、心にも留まらない夢のはず。
でも、仕事を辞め、日本を発つ日に限って、こんな夢を見てしまう自分に、ちょっとフクザツな気分。

退職します。

突然ですが、仕事を辞めることにしました。
8月下旬、夫に米国ワシントンDC赴任の命が下り、さてどうしたものか、と。
会社では、休職は1年しか認められないし。
家族は、やっぱり一緒にいたい、と思うし。
あれこれ、あれこれ、あれこれと、かなり迷った末の結論が、
「いったん仕事を辞めて、家族みんなで渡米しよう」でした。

折しも、国の次世代育成法を背景に、社内に再雇用制度ができたばかり。子育てを理由にした退職の場合、あれこれかなり制限はあるものの、再雇用してもらえる、という制度です。
3年とか3年半とか先の帰国後、また、毎日新聞社にお世話になるかどうかは、その時になってみないと分からない気がします。
でも、今思うのは、私はこの仕事も、この会社の仲間も、本当に好きだったんだなあ、ということ。

夫の海外赴任の可能性は、もう随分と前から分かっていたことで、私自身も随分と長い時間をかけて出した結論です。
だから、いざ、具体的な退職の日取りが決まった後も、心の平静を保ったまま、淡々と退職に向けた日々を送れるだろう、と予想していたのですが……。

驚きました。
とんでもない!

いざ退職手続きが始まると、やはり無性に寂しいんですよね。
これは意外な発見でした。

今、一番ダメなのは、新聞で、見知った記者の書いた心を打つ記事を読んじゃったりした時。
「こんなに素晴らしい仕事を私は自ら手放すのか……」と情けなくなります。
記者生活17年余、言葉の持つ力に疑問を感じたり、自信を失ったりの連続だったけれど、結局のところ、私はやはり、言葉の力を信じていたし、それを大事にしたかったから、ずっとここにいたのだなあ、と。
今更ながら気付いたのでした。

まあね。
迷った時は、「未経験のほうを選ぶ」が信条なので。
40代で何を甘いことを! とあきれられてしまいそうだけれど、やっぱり1度の人生なら、最後の最後まで、あれもこれも試してみたい。
私にとっては、いわゆる「専業主婦」体験も、会社を辞める体験も、海外暮らしの体験も、未知のものだから、そこで自分がどんな風に悩むのか、迷うのか、あるいはカラカラと笑って歩いていけるのか、ものすごく不安で、そして、ちょっと楽しみ。

退職を前に悩んだり迷ったり落ち込んだりもしたわけですが、最後は、「どう転んでもたぶん、ただでは起きないだろー」と開き直れるあたり、やはり「不惑の歳」を超えた者の強みなのかも。

渡米までちょうど3週間。
残る仕事をきちんとすること。
そして……大の苦手の引っ越し作業。
ゆっくりピアノを弾く時間がないのが、かなりつらい!

ダルビッシュのヌード

ダルビッシュが脱いだ、というから、一度、見ておきたいもんだ、とは思っていた。が、掲載紙が「anan」と聞いて、ひるんだ。
だってさ。
アンアンを立ち読みしてる40代というのもみっともない気がするけれど、
アンアンをレジに持って行くオバサンというのも同じくらいみっともない感じがして。
では、どうやってアンアンを入手すれば良いのだろう……。
結局、勇気がないのであった。

会社の女性社員同士で、ダルビッシュのヌードの話題になった。
「見たいよね」
「うん。見たい。でもどの本屋でも売り切れらしいよ」
「案外、この会社の1階の書店あたりじゃ、まだ売り切れてないかも……」
「やっぱり、新聞記者たるもの、話題ものにきちんと目を通すのって仕事の一環よね?」

「仕事の一環」の大儀を得た私は強い。すぐに、1階の書店に電話した。
「毎日新聞のおぐにですが。アンアン、まだあります?」
いつもの、お仕事用の声。やった〜! ちゃんと、1冊、残っていたのだった。早速、取り置いてもらう。
すぐに取りに行くと、いかにも、がっついてる感じがしちゃうかも、とかあれこれ気を遣い、十数分後に本屋へ。

書店のレジの男性が、「袋に入れましょうか?」と聞いてきた。
「いえ、いりませーん」。
あくまで仕事目的での購入だと言わんばかりに、必要以上に胸を張っちゃう私。

で、肝心の内容ですが……。
表紙の写真が、「全裸でベッドイン」的なものだけに、どこまで脱ぐんだろう、と妄想を誘うわけですが、雑誌に掲載されていた数枚のヌード写真についていえば、
「へ? これだけ?」
と拍子抜け。
(それとも、私の期待し過ぎだったんだろうか?)

なんでかなあ。
あんまり、ヌード! って感じがしないのであった。
これまた女性同士でワイワイワイ。

「なーんかさ、期待外れよね」
「でも、ダルビッシュを脱がせた、って点で、企画勝ちとは言えるよね」
「確かに。もう芸能人のヌードとかに意外性もないし。スポーツ選手ってねらい所かも」
「今、脱がせて一番話題になるスポーツ選手って誰だろ?」
「そりゃ、間違いなく、ハンカチ王子でしょ」
「いいねえ、話題性では最高よね」
「ハニカミ王子は?」
「あれは若すぎて、ダメなんじゃない?」
「いや、案外、すごいことになるかも」

気付けば、もくもくと無言で仕事をする男性記者たちの前で、女性ばかりがヌード談義に花を咲かせていたのだった。

それに気付いた私が思わず、「でもこういう会話ってさ、男性がかつて職場でしては、セクハラのレッテルを貼られたんじゃなかったっけ?」。
先輩記者は 「これはいいのよ。だって仕事の一環だもの。それにこの程度の話を嫌がるようじゃ、新聞記者はつとまらないでしょ〜」。
私は苦笑しつつも、「いや、その一言って、かつて女性記者たちが職場に貼ったヌード写真をセクハラだと抗議した時に、男性上司や同僚に 『こんなことを気にするようじゃあ、新聞記者失格だ』 とか言われたのに何か似てない? まずいよ。まずい。私たち、絶対、オヤジ化してる……」

しばしみなで、反省したのだった。

白を着てこそ、の佑ちゃんだったのか!

日米大学野球のニュースで、斎藤佑樹投手を見た。
あれれ、印象が違う。
いわゆる「王子」的オーラに包まれていない。
なんか、別人みたいだ。

しばらく観察していて気付いた。
日本代表の、紺色のユニホームがいけないんじゃないか?
たぶん、王子様は、白がお似合いなのである。
花嫁の白?
純粋無垢の白?
なんかよくわからんが、クール・ビューティーとまで言われる彼の色白 (だいたい野球やってて、なんであんなに色白なんだ? 日焼け止め塗りまくっても、私はもっと色黒だぜ……)の 「王子さま顔」 は、白いユニホームにこそ映えるのである。

なーんて、どっちでもいいんですけどね。
そもそも、私は「ハンカチ王子」派ではなく、田中将大君派だし。
汗をハンカチなんかでぬぐうなよ。男ならこぶしで拭え!とか思っちゃうし。
いや、ハンカチを使う斎藤選手を批判してるわけでは決してなく、ただ、「ハンカチ王子」とか「ハニカミ王子」とか、彼らをすぐ「王子様」扱いするのは、やっぱりヤダなあ、と。

高校時代も、大学時代も、早稲田のユニホームがもしも 「白」でなかったら、彼は「王子」と呼ばれずに済んだんじゃないか、とふと思ったのでした。



40歳を過ぎたら

数日前の話なのだけど。
そうだ、書き留めておこう、と今更ながら思いついたもので。

会社の先輩記者とお茶した時、彼がしごく当たり前のことのようにこう言った。

おぐにちゃん。
あのね。
40歳過ぎたら、これまでと全然違う環境に自分を置いてみなきゃ。


私自身、近い将来、環境が大きく変わりそうな気配が実際にあって、それについての不安をふと漏らした時に、彼がこれを言ったわけで。
ああ、そういえば、と我が身を振り返ってしまった。
7年ちょっと前、私の仕事が主に原因で、息子が精神的にすごく不安定になったことがあって、それを機に、社会部を去った。
特ダネ競争のない今の部署で、目新しい仕事が楽しくて楽しくて、夢中になって仕事をしてきたけど、それももう、7年目になるんだな。

「違う環境」 にどう臨もう?
何を見つけよう?



お仕事いろいろ

最近、お仕事系の話を書いてないので、全然仕事してないんだろーと言われそう?
いえいえ。
記事になってないので、まだここには書いてませんが、いろいろ仕事もしてるのです。
例えば、ビリーズブートキャンプで有名なビリー・ブランクス氏のイベントをちらり取材してきた話とか。
その場での禅問答のような記者会見の話とか。

ほかにも4つくらい同時並行で取材進行中。
あさってには、実は子ども時代に、一番尊敬していた児童文学作家、松谷みよ子さんにいよいよ会いにいくのだーーーーーーーーーっ!
楽しみ楽しみ。

むかーしむかし、「大きくなったら童話作家になりたいです」と松谷さんにファンレターを書いたのだったっけ。
そしたら万年筆の手書きのお手紙をくださった。
恥も外聞もなく正直に書くならば、松谷さんやあまんきみこさんらが同人をされていて当時、まだ続いていた「びわの実学校」という児童文学雑誌に、投稿したこともあったっけかな。(確か中学校時代だ……)。

ああ、穴を掘ってでも入りたい。
童話作家には、ならなかったけど。
新聞記者として、私が一番最初に「書く」ことを意識したきっかけをつくってくれた松谷さんに会いに行けるというのは、このうえもない幸せなことだとしみじみ感じます。

旧姓併記旅券への道3

注:「旧姓併記旅券への道2」より続く。

旅券課のご担当者が電話でおっしゃるには
「戸籍謄本は本日無事に届きました」。
ここまでは予想していた通り。
意気込みを見せるため、速達で送ったしね。

ところが、次の一言には驚いちゃった。

「それで、いただいた書類を精査した結果、旅券事務所のレベルで、旧姓併記旅券を発行できると判断いたしましたので、来週、受け取りにきてください」

えええええっ!

まず、先に、喜び。
外務省に回されて、さんざ待たされて、挙げ句に「ダメです!」と連絡が来ることを覚悟していたもんだから。

それから疑問。
いったい何が決め手になったのだろう。

とりあえず、電話のお相手に尋ねてみた。
「今後のためにも教えてください。今回は何が決め手になったんでしょうか?」

説明によると、

・戸籍謄本によって婚姻後の書籍であることが証明できた。
・戸籍謄本と社員証によって、職場で旧姓を使用していることが証明できた。
・今回追加で送った新聞記事も含め、たくさんの提出書類のお陰で、総合的に海外で「活躍」していることも証明された。

というような判断をしてくださったことが分かりました。

厳密にこの書類とあの書類があったから認められた、という説明ではなかったけれど、やはり昔と同様、あれこれ大量の添付書類を見繕って窓口で切々を訴える、というようなことが、案外効果を発揮するのかもしれません。

それともう一つ。

「旧姓併記旅券への道1」に切々と書いたように、そもそも私は今回、「会社の所属長印を押した書類がなきゃ、私が『おぐに』であることを認めてもらえないのか?」という悔しさからスタートし、「会社の書類なんかの力を借りてたまるか」と半ば意地になったわけだけど。

結果的には、「所属長印を押した旧姓使用証明書」こそ提出しなかったけれど、やはり旧姓で仕事をしていることの証明として「社員証」が、海外で仕事をしたことの証明として「会社の仕事として行った海外出張をまとめた新聞記事コピー」が、やはり力を発揮してくれたことは間違いないのでありました。
それがちょっと悔しいところではあります。

それでもそれでも。
婚姻届を出して約10年。
運転免許書や健康保険証、通帳など次々と旧姓名義のものを失い、いまや私が「おぐに」であることをそれなりに証明してくれそうなIDカードは、社員証と国会記者証だけとなっていたわけだけど。
(もちろん、社員証じゃあ何もできない)。
10年ぶりに私は、「おぐに」という文字の入った身分証明書を手に入れられるというわけです。

もちろん、かといって、今の法律の下では、この旧姓併記旅券を使ってあらたに旧姓名義の銀行口座を開くようなことはできません。
ただし。

次のステップとして、今度は旧姓併記ではなく、旧姓の「おぐに」名で新たにクレジットカードをつくってみようかな、と思っております。写真入りカードをつくっておけば、国によっては、身分証明書代わりになる、と聞いたので。
(去年、シアトルマリナーズの試合を見に行った時、生ビール1杯買うのに身分証明書を見せろと言われ、わざわざ旅券を出さなきゃいけなかった。あれはかなり面倒。クレジットカードで済むならそのほうが助かるもの)

ただし、カードの名義と、支払い口座の名義が違うという点で、若干の手続きが必要かもしれません。半年ほど前に問い合わせたいくつかのカード会社によると、確か、これができる会社とできない会社と両方あるみたいでした。
そのあたりを、「旧姓併記旅券への道4」以降でご報告したいな、と思っております。

それにしても。
来週の旅券受け取りがすっごく楽しみ。
変よね。
たかが「おぐに」の名前が、あくまで「併記」されるだけなのに。
なぜ、こんなにうれしいんだろう。


旧姓併記旅券への道2

先週末、追加で戸籍謄本を別途郵送しました。

職場所属長印を押した「旧姓使用証明証」なる書類を添えて申請すれば、旅券事務所の判断で旧姓併記旅券を発行してもらえる旨の説明を受けた話は、先日のエントリー「旧姓併記旅券への道1」に書いた通りです。

「旧姓使用証明書」を提出しないのであれば、あれこれの材料で「旧姓を使って」「海外で活躍している」という2点を証明するしかないわけです。
私が先日、提出してみたのは、

・著書4冊 → 添付書類として表紙のコピー
・海外の大学から来た封書1枚 → コピー
・海外の企業から来た封書1枚 → 現物
・社員証(旧姓併記)のコピー
・国会記者証(旧姓のみ)のコピー

この段階でネックになったのは、「海外で活躍している」とは言えない、という点だったと思います。
さらに、旧姓で出した著書が、婚姻後のものであることを証明するために、婚姻日時の分かる書類、すなわち戸籍謄本(本当は抄本でも良いそうですが、これはもう念のため)が必要となったわけです。

このあたりは事務所の方もとても親切で、「何度もご足労いただくのは申し訳ないから」とわざわざ宛名入りの切手を貼った封筒を用意してくださり、「郵送で結構ですよ」と言っていただきました。
先日の申請前に、旅券事務所に電話で問い合わせた際、念には念をと「戸籍謄本などは必要ないのですか?」と確認したのに、電話相談担当者から「必要ありません」と明言されちゃった事情を説明したから、事務所の方が申し訳なく思ってくださった結果かもしれませんが。

そんなこんなで週末に、戸籍謄本を追加で郵送しました。
ついでに、ふと思いついて、

・婚姻後に海外出張し、取材した内容をまとめた記事のコピー

などを同封しました。

本日夕方、旅券事務所の方から携帯電話に連絡をいただきました。
先日の申請時に、「戸籍謄本のコピーが届いた時点でいったんご連絡を差し上げ、そのうえで、外務省に申請書類を回します」というような説明を受けていたので、その連絡かな、と思ったのですが……。

(つづく)

旧姓併記旅券への道1

パスポートが切れるので、申請に行きました。
昨年3月、旅券に旧姓併記する条件が緩和され、以前のように、旧姓での活動や実績が海外の大学や学会からの招聘状などで確認できなくても、「職場で旧姓使用が認められていること及び業務により渡航する者」であれば認められるようになりました。
それで、旧姓併記で旅券申請しようかな、と思った次第。

例えば、取材で海外などに行った場合、旅券に記載された戸籍名でホテルなどに宿泊しますよね? ところが、取材先が急に私に連絡が取りたくてホテルに「おぐにさんを」と電話したところで、「こちらにそういうお客様はおりません」でお終い。そういうトラブルが実際にかつてありました。
そんなこともあって、旧姓併記できる話を聞いて、次回の切り替え時には絶対にトライしようと思っていたんです。

おまけに夫婦別姓がちっとも実現しない今、証明書に「おぐに」の旧姓を記せる可能性が残されているのは旅券だけ。この旅券を身分証明書にすればクレジットカードを旧姓で作ることができると、クレジット会社にすでに確認済み。この際、支払い口座名義が戸籍姓であっても構わない、という点も。
一方、銀行口座のほうは、たとえ旅券に旧姓併記したところで、旧姓で口座を開くことは法律上できないんですけどね。

旧姓併記については、本当は、職場の上司にお願いをして、旧姓使用証明書にはんこを押してもらえば、済む話だったんです。

ところが、この旧姓使用証明書を前に、ちょっと考え込んでしまったのでした。
新聞記者という仕事柄、いつ仕事で渡航するか、予定なんて立つわけないし、旅券の失効時期にちょうどタイミング良く次の海外出張の予定が決まってるなんて都合の良い話はあるわけないのに、渡航予定日や渡航予定先まで記入しなきゃあならない。

つまり、テキトーに記入しろ、ってこと?
厳密に言えばウソじゃん。
ウソはやだなあ。

そもそも、会社勤めしてないけど海外で取材活動を行っているフリーのライターさんたちは、どんな書類で認められるんだろう??

それで確かめてみたくなりました。
会社の書類なしでどこまでできるだろう、って。

とりあえず、著書4冊と海外の大学から送られてきた封書1通、ほかにたまたま海外の会社からCDを送ってもらった時の封書を付けて、申請に行ってみました。

最初に言われたのは、
「海外で出した本はありませんか?」でした。
つまり、海外で取材した内容を含んだ本であっても、海外で出版してなければ、「海外で活動している」と認めるには不十分らしい。
(資料として提出するのは本の表紙のコピーであって、本の内容ではないのでした……)。

次に言われたのは、「新聞社にお勤めでしたら、『旧姓使用証明書』を提出してくださればすぐに旧姓併記で発行できますよ」ってこと。
窓口の方が親切で言ってくださった助言だったのに、なぜかなあ、この一言で私の何かにスイッチが入っちゃった。

実は、私の職場の机の中には、すでに「旧姓使用証明書」の書式が入っています。上司に見せて、「いざと言う時は書いてね」とも伝えたことがあります。
それでも、なんか妙に抵抗があったのです。
「結局、会社の力を借りないと、私は『おぐに』の旅券をもらえないってことか〜」って。
なんかこだわってしまっていたのでした。

だから、窓口では、こう答えてしまいました。
「会社から書類をもらうことは可能だと思う。でも私は知りたいんです。会社の書類なしには、認められないのかどうか。例えば、フリーライターさんならどうですか? どういう書類があれば認められるんですか?
旅券の問い合わせ窓口では、これとこれがあれば必ず認められる、というような言い方を絶対になさいませんよね。ケースバイケースで判断します、と。だから、ネット上でも古い情報から新しい情報まで色々な情報が飛び交ってます。特に会社組織に属してない人は苦労もしてます。
私はこの著書のほとんどを、会社の仕事とは別の取材活動として書きました。会社員として海外で取材活動を行ったこともありますが、会社の仕事以外で海外で取材したことも何度もあります。
勤務先の社印を押した書類なしで、旧姓併記を認めてもらえるかどうか、そのために何が必要なのか、確かめてみたいんです。
それで認めてもらえないなら、何が問題だったのか、きちんと理由を説明してくださればいいです。認めてもらえなかった段階で、もう一度検討して、『旧姓使用証明書』を提出して申請しなおしますから」

なんでかなあ。
むちゃくちゃ意地になってた気がする。
一言でいうなれば、「私が『おぐに』(旧姓)であることを、会社の力を借りずに証明したい」という思い。
いやはや。

よくよく考えるとものすごくナンセンス。
旅券の名義が、人間の存在を左右するわけなんかないのにねえ。

このクソ忙しい時に、窓口で延々と30分も1時間も説明に費やしたのはなぜなのか、なぜこうまで意地を張っちゃったのか、自己分析してみた。

結婚して以来、「おぐに」を証明してくれるモノが何一つなくなり、名義変更すれば健康保険証や郵便局の通帳の「おぐに」名義を二重線で消され、訂正印を押さされ、そんな一つひとつの経験の積み重ねの果てに、旧姓へのこだわりがますます強くなっていたことが一つの理由。

あと、会社の書類一つで、あっさり旧姓「おぐに」を認めてもらえちゃうことへの妙な抵抗感が、私の中にはあるのだなあ、とも気づきました。
会社のルーティーンワークとは別に、自分なりの思い入れを大事に、取材し、本にまとめてきた努力や時間を、私はたぶん、思いのほか大切に思っていたのかもしれません。

何やってんだろ、と自分でも思っちゃう。
制度に対する抵抗というには、あまりに徹底してないし。
どうしようもなくなったら会社に泣きついて「旧姓使用証明書」を出してもらえばいいや、という担保を確保した上での「ジタバタ」にほかならず、それで社会が変わるわけでもなく、誰かのための行動というわけでもなく……。
はっきり言えば、私の単なる自己満足に過ぎない。

そこまで頭で分かっていてもなお、やっぱり、会社名義の「旧姓使用証明書」なしでまずは申請してみたかったのだった。
それで結果的にだめだったとしても。

例えばこの先、私が会社を辞めたなら、求職中だったら、「旧姓使用証明書」を用意することもできない。会社員でなくなったら、私は「おぐに」の名前を併記した旅券を取る道が閉ざされるってわけ?

窓口の女性の、さらに上司の女性が登場したので、正直にそんな思いを伝えたら、意外なことに、彼女はまっすぐに、すっきりと、私の言い分を受け止めてくれたのでした。
「フリーの方でも、会社組織の書類がなくても、旧姓併記が認められているケースはあります。もう条件緩和から1年が経っています。少しずつ状況は緩和されてきています」。
彼女は私の目を見て、きっぱりとこう言ったのだった。
「わかりました。じゃあ、やってみましょう!」

「旧姓使用証明書」があれば、旅券事務所レベルで判断して発券が可能なんだそうだ。でも、その書類がないと、事務所レベルでは判断ができないため、「事情説明書」を添付し、外務省の協議にかけられる。となると、1カ月くらいかかることもあるし、その上で不許可の結論が出ることもある、と一連の流れを説明してくださった。
とりあえず、事情説明書を作文する。
自分の作文のまずさで旧姓併記できなかったら、こりゃ、あきらめもつくというもんだ。

ところがところが。
再度、窓口に行ったら、さっきまで対応してくださった女性上司の方が不在で、また、新たなご担当者が登場し、私の事情説明書を読んで一言、
「会社に所属されているなら、会社に『旧姓使用証明書』を出してもらったら、すぐにOKが出ますよ〜。事情説明書なんてなくても、旧姓使用証明書があれば確実なのに」

だから、それ、もう、終わった議論なんですってば……。
一から、再び、ほとんど理屈にならない思いを、熱っぽく語る私。
「だから、外務省協議でも何でもかけてください。それで不許可なら、その理由とともに教えてくだされば結構です。だったら納得もします。どういう結論が出るのか確かめようというこの作業も、自分にとっては、取材活動の一つだと思ってます」
などと説明していたら、さきほどまで対応してくださっていた女性が飛んできてくれて、周囲のスタッフにはっきり宣言してくださった。

「この人は、旧姓使用証明書なしで、事情説明書を添えていったん申請することでもう決定してますからっ!」

その彼女の毅然とした態度に、ちょっとだけ胸を衝かれた。
ああ、この人はたぶん、私のむちゃくちゃ意固地な、ほとんど理屈ではない、説明しようのない思いを、そのまま、きちんと受け止めてくれたんだ、と、そう思えたから。

彼女がふと私に言った。
「記者さんはやはり旧姓を使う方が多いんですか? 昨年、条件が緩和されて以来、たくさんの記者さんが申請に来られているんですよ。それまでは、申請前にわざわざ離婚されたりしていたそうです……」
きっと彼女は、この旅券事務所で、色々なものを見つめてこられたんだろう、とふと思った。

ということで、「旧姓併記旅券への道1」でした。
「2」を書けるのは、いつかなあ。