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「な」の力 (再投稿)

毎日新聞のコラム「発信箱」に2回目を書きました。
タイトルは、

「な」の力
http://mainichi.jp/opinion/news/20120417k0000m070141000c2.html

一度、ブログにさらりと書いたものを、あらためて書きなおしたものです。

今回は、コラムに書ききれなかったことを、ここに書いてみようと思います。

ずーっと分からないことがひとつありました。
どうして、自分は合唱を続けているんだろう、ってこと。
ご存知の通り (いや、知らない人も多いだろうけど)、自分勝手な性格です。
人と何か一緒にやることは苦手です。チーム取材も下手だし、仕事でもたいてい一匹狼。
他人と合わせる、なんてこと、できません。
ところが、合唱って、「他人と合わせる」 べきものですから。
どう考えても、私が続けていられるわけない、はずなんですよね。

今回、このコラムを書くにあたって、色々と考えているうちに、気づいたこと。
書く、ということを生業にして20年。ずーっと言葉にこだわり続け、言葉を信じ続けながら、一方で、言葉には持ち得ないような音楽の力に憧れてきた気がします。
だから、ピアノにもあんな風にはまったわけだし、合唱にも。
特に合唱は、ピアノやソロで歌うのと違って、自分が下手でも、周囲が上手だと、それで幸せになれますから。
(私が、木曽センセのピアノレッスンをあれほど愛したのは、彼女が自分で弾いてくれたから、だったのかも。木曽センセの奏でる音色を聴いているだけで幸せだったからなのかも)。
自分一人では絶対に生み出せないような音色に包まれて、音楽の力に励まされてきたから、今まで、言葉の世界にしがみついてこられたのかもしれないなあ、と思うわけです。

佐藤賢太郎さんの 「春の思い出」 を初見で歌った時の、あの不思議な感覚は、今でも生々しく覚えています。
なんというか、言葉と、音楽が、手をつないで一緒に歩いている感じ?
どの言葉をとっても、この音形しかありえないと思えたし、この音形には、この言葉しかありえないと思えました。
初見で、ちっとも満足に歌えなくても、ただただ、心地良い、と思った。
数回歌っただけで、音楽も歌詞も全部心の中で鳴り続けてくれる感じがしました。

今回、記事にした 「前へ」 の時もそうでした。
練習で、初見で、歌い始めたら、うまくいえないけれど、言葉が音楽になって、音楽が言葉になっていく、そんな感じがしたんです。

私は、言葉を仕事にしてるから、コラムの最後には、「言葉の力をあきらめない」 と書きました。
それは私の決意表明でもあるわけです。
でも、本当のところ、佐藤さんの 「な」 の力は、言葉の力でもあり、かつ、音楽の力でもあるのだと思います。そういうところに私は一番胸を衝かれたのだと思います。

音楽では、思うような表現はひとつもできない自分ですが、せめて、言葉だけはあきらめず、伝えることをあきらめず、どうにかやっていこう、と思っているところです。


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Alcohol is a Drug

生まれて初めての訳書「自傷からの回復」(みすず書房、http://www.msz.co.jp/book/detail/07462.html へへへ、今さらながら、しつこく宣伝しよう!)で、一緒にお仕事させていただいた、尊敬する松本俊彦先生と先日、お話する機会がありました。

折りしもその日は、警察庁が2011年の月別自殺者数の速報値(http://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/H23_tsukibetsujisatsusya.pdf)を出したこともあり、話題はおのずと震災と自殺の話に。松本先生は、被災地での自殺数増加がはっきりと統計に出てくるのは2~3年後ではないか、と言っておられました。周囲が復興する中で感じる格差感。あれに人は脆弱なんだよね、と。
胸にどっしりと来る話なのでした。

もう1点、被災地でのアルコール問題の話にもなりました。たとえば避難所で生活基盤を失った漁師さんたちが昼から酒盛りをしていたとして、「避難所では飲酒禁止」といえるのか? という問題。
それをバッサリと言ってしまうのはやはり、あまりに切ないものがあります。

でも、酒の上での小さな揉め事や暴言、場合によっては暴行や女性への嫌がらせ……お酒のもたらすかもしれないネガティブな結果は数え切れない、というのも現実なのです。
まして、仮設住宅で一人暮らしの被災者がアルコール依存症に陥ってしまう切ない事例っていうのも、これまでの災害でもいっぱいあったし、今もきっとあるのだと思います。

そんなわけで、もっとアルコールの問題をきちんと考えなきゃいけないよね、というような話になったのでした。

アメリカで一つ、学んだことがあります。
私の暮らしていたメリーランド州では、運転免許証取得の前に3時間のアルコール・ドラッグ講習を受けなきゃいけませんでした。この内容というのが、いわゆるアルコール&薬物乱用防止教室、みたいな感じでね。アルコールや薬物が人体に与える影響や各種ドラッグの呼び名、影響、依存の程度など、かなり膨大な知識を学ぶことになります。
挙句の果てに、最後はこれらの知識を問うテスト。
これに合格しなければ、免許は取れない仕組みなのです。

このテストの最初の問題ってのが、何より印象的でした。
文章の正誤を問う問題なんですが、こんな一文でした。

Alcohol is a drug.  (アルコールはドラッグである)」。

もちろん答は、「正しい」です。
考えてみれば当然の答なんですけどね。
この一文を見た瞬間、
「そうなんだなあ、アルコールって、最も安価で、手に入りやすく、それだけにコントロールもしづらいドラッグなんだよなあ」
と改めて気付かされた思いでした。

過去に薬物依存の取材やら、自傷の取材をしていた時も、あっちこっちでアルコール問題とぶつかったもんです。「切っちゃった」と電話してくる子が最初に飲んでたのも、そういえばお酒でしたっけ。
(すぐに、処方薬に移っていったけど)。
違法薬物乱用やら、ほかのアディクションへのシグナルとして、飲酒にもっと関心を払うべきだったなあ、と今、反省をこめてそう思います。

……ってな話し合いを、そもそも、お酒の席でやっちゃってる、アンタらってどうよ? 
なーんて突っ込まないでくださいね。
(実のところ、この日の黒糖焼酎はホント、おいしかったのよ)。

お酒大好きで、時には一人で自宅飲みしちゃう私が、なにをエラソーに言うのか、って話ではありますが。
自殺予防を考えるとき、アルコール問題はとっても大事だとひしひしと感じます。

だって、こればっかりはアルコール依存症本人だけの問題じゃないから。
配偶者や、その子どもたちにまで、時には、自殺の影を引き寄せてしまうから。
そんな悔しいケースをいくつか取材してきた今、しみじみとそう思うのです。


池澤夏樹さんにインタビュー

2012年最初の仕事 (というか、取材自体は昨年末に行ったものですが) は、
作家、池澤夏樹さんのインタビューです。

特集ワイド:日本よ!悲しみを越えて 作家・池澤夏樹さん

昨年、池澤さんの近著、「春を恨んだりはしない」 を読みました。
なんというか、言葉の一つひとつが深くて、静かで、胸に染みてきて、たぶん、私にとっては、東日本大震災を書いたどの本よりも、胸に迫るものがありました。

2011年最後の仕事として、池澤さんの言葉に触れることができたこと、
2012年最初の仕事として、池澤さんの言葉を紙面にできたことは、
本当にうれしかった。
記事について、池澤先生から、「思想的共感関係でしょうね、基礎にあるのは」 というコメントをいただきました。
こちらも、ありがたいことです。

私の、仕事始めでした。

奥日光の紅葉の森を歩く、の記事

2日前だったか、掲載された記事です。
あれこれ思いながら、奥日光の紅葉の森を歩きました、というようなルポ記事。
奥日光の紅葉の森を歩く。

そしたら今朝になって、尊敬する上司の一人から、電話がかかってきて、言うのです。
「紅葉モノは、2度目だなあ」
おお、よく覚えていらっしゃる。
……って当たり前です。
なにしろ、「選挙ももうすぐやし、おぐに、紅葉の森でも歩いて、選挙のことを考えてこいや」 と私に命じたのは、ほかでもない、この上司さんでしたから。

ちなみに、あの時の記事はこんな感じ
私にとっても、忘れがたい記事です。

ところで、この上司さん、今朝の電話でこう言うのです。
「最後の4行が、おぐにのこの4年間の変化なんやなあ」 と。

げげげ。
最後の4行に注目するか、やっぱり。
……って感じ。
実は今回の紅葉記事は、最後の段落に何を書くか、をひたすら悩み続けたからです。

最初に勢いで書いたのは、こんな文章でした。

奥日光の木々はこの秋も、いつもと同じ色とりどりの葉を揺らしている。
違っているとしたら、それは人間のほうだ。


でもなあ……と悩んで、書いては消し、書いては消し。
最後は、おいおい、人間のはしくれとして、あんたはそんなに告発調で書ける立場なのか? などと自問したり、そもそも、人間の思い入れなんて身勝手なもんだしな、と反省したりして、結局、最後の一文を丸ごと削除しました。

奥日光の木々はこの秋も、いつもと同じ色とりどりの葉を揺らしている。


ところが、うーん、これでは、森を歩いた時の思いは、やっぱり伝えられないなあ、と。
それで、最後の最後に落ち着いたのが、最終原稿のこれだったわけです。

人の思いのあれこれとは無関係に、奥日光の木々はこの秋も、いつもと同じ色とりどりの葉を揺らしている。

ちょっと淡白でも、書き過ぎるよりはいい、と思いました。

上司さん曰く、「つまり、この4行に見る4年間のおぐにの変化は、一言でいうならば、『安定感』 かもなあ」。
思わず正直に、「いや、単なる 『加齢』 じゃないですかねえ」 と答えました。

原稿を書いている間、ずっと心にあった、「書き過ぎたくない」 という思いは、今回のテーマに限るものなのか、ほかのテーマでもそう感じるものなのか、まだ自分でもわかりません。
さてさて、どっちへ行くのやら、という感じです。

写真は、この日に見たツリバナの紅葉。

tsuribana.jpg



なぜ今なお、向田邦子なのか、という記事

再就職して最初に与えられたテーマは、「没後30年 向田邦子さんブーム」 でした。
「没後30年、は夏の話なので、今さらもう遅いんだけど、まあ、読書の秋ってことで」 などとデスクからこのテーマを告げられたとき、ああ、これは、デスクの厳しくて温かい思いやりなんだな、とわかりました。

私が向田さんのファンであることは、当然デスクは知っていたはずだし、
だからこそ、再就職第一号の記事テーマとしてはふさわしい、と配慮くださったのだろうし、
一方で、「だからこそ、つまらん記事を書いてくるなよ」 という意図もビシバシと伝わってくるわけで、
これは大変な課題をのっけからいただいてしまったわ、というのが、私のホンネなのでした。

おまけに、夏にブームだった話を、はて、どうやって料理すりゃいいんだ? 

わけもわからず、夏の間に出版された関連書を読み漁り、ある方に取材依頼したけど諸事情あって断られました。
でも、不思議なことってあるもので、その方が、取材を断る電話の中で、私に言った一言が、結局今回の取材の方向を決めてくれたのでした。

「人はね、他人の記憶を頼りにしても仕方ないんだよ。
 自分自身の家族の記憶、生活の記憶が必要なんだよ」


それまで、「向田さんの作品を読むと、どうして、自分自身の家族の記憶がよみがえるんだろう……」 というところでとどまっていた私の前に、すうっと1本の道が開けたような気がして。
その向こうに、津波によって水と泥を被った家族アルバムと、それを懸命に修復するボランティアの学生さんたちが見えた気がしたのでした。

最初から絵を描いて、帳尻あわせのように取材してしまうのがイヤで、どこに向かうのか分からないまま、取材した今回の記事、どこへ向かうのか自分でもドキドキしましたが、最後はこんな記事になりました。

花こぼれ、なほ薫る 今も向田邦子作品--という理由


4年ぶりに新聞記者の仕事を再開するにあたって、言葉の持つ力について思いめぐらせることができたのも、貴重な時間となりました。
あれこれ戸惑うことの多い毎日ですが、また、ジタバタとやってみよう、と思っています。


プロフィールを微調整しました

退職にともない、ブログのテンプレートおよびプロフィールのところを微調整しました。
「新聞記者です」は、安易に、「新聞記者でした」と訂正。
「仕事:新聞記者」のところは、「07年秋まで新聞記者。今はなんにも」と訂正。

訂正してしまえば、なんとも簡単なもんだ。

退職を決めた時、ある先輩記者から、
「あなたに新聞記者をやめてほしくない。書くのをやめてほしくない」
と熱く言われたのをふと思い出した。

あの頃(たぶん今も)、私の中では、「新聞記者であること」 と 「書くこと」 とは同義ではなくて、だから「会社をやめる=記者をやめる=書くことをやめる」、と思ったこともなかったのだけれど。

それでもやっぱり、毎日通うべき場所があって、取材すべきテーマがあって、書かねばならない、あるいは書くことができるメディアがある、ということのありがたさ、重たさは、辞めて初めて、私なりに少しずつこれから、しみじみと自覚していくんだろうなあ。
そんな気がします。

出国の日の朝に見た夢は……

(9月26日朝の話)

成田空港近くのホテルで目を覚まし、ちょっと奇妙な気持ちになった。
変な夢を見たから。
いや、当たり前の夢、というべきか。

夢の中で、私はまだ新聞記者だった。
誰か男の人にインタビューしていた。
それだけの夢。

普段見たのならば、単なる日常であって、心にも留まらない夢のはず。
でも、仕事を辞め、日本を発つ日に限って、こんな夢を見てしまう自分に、ちょっとフクザツな気分。

退職します。

突然ですが、仕事を辞めることにしました。
8月下旬、夫に米国ワシントンDC赴任の命が下り、さてどうしたものか、と。
会社では、休職は1年しか認められないし。
家族は、やっぱり一緒にいたい、と思うし。
あれこれ、あれこれ、あれこれと、かなり迷った末の結論が、
「いったん仕事を辞めて、家族みんなで渡米しよう」でした。

折しも、国の次世代育成法を背景に、社内に再雇用制度ができたばかり。子育てを理由にした退職の場合、あれこれかなり制限はあるものの、再雇用してもらえる、という制度です。
3年とか3年半とか先の帰国後、また、毎日新聞社にお世話になるかどうかは、その時になってみないと分からない気がします。
でも、今思うのは、私はこの仕事も、この会社の仲間も、本当に好きだったんだなあ、ということ。

夫の海外赴任の可能性は、もう随分と前から分かっていたことで、私自身も随分と長い時間をかけて出した結論です。
だから、いざ、具体的な退職の日取りが決まった後も、心の平静を保ったまま、淡々と退職に向けた日々を送れるだろう、と予想していたのですが……。

驚きました。
とんでもない!

いざ退職手続きが始まると、やはり無性に寂しいんですよね。
これは意外な発見でした。

今、一番ダメなのは、新聞で、見知った記者の書いた心を打つ記事を読んじゃったりした時。
「こんなに素晴らしい仕事を私は自ら手放すのか……」と情けなくなります。
記者生活17年余、言葉の持つ力に疑問を感じたり、自信を失ったりの連続だったけれど、結局のところ、私はやはり、言葉の力を信じていたし、それを大事にしたかったから、ずっとここにいたのだなあ、と。
今更ながら気付いたのでした。

まあね。
迷った時は、「未経験のほうを選ぶ」が信条なので。
40代で何を甘いことを! とあきれられてしまいそうだけれど、やっぱり1度の人生なら、最後の最後まで、あれもこれも試してみたい。
私にとっては、いわゆる「専業主婦」体験も、会社を辞める体験も、海外暮らしの体験も、未知のものだから、そこで自分がどんな風に悩むのか、迷うのか、あるいはカラカラと笑って歩いていけるのか、ものすごく不安で、そして、ちょっと楽しみ。

退職を前に悩んだり迷ったり落ち込んだりもしたわけですが、最後は、「どう転んでもたぶん、ただでは起きないだろー」と開き直れるあたり、やはり「不惑の歳」を超えた者の強みなのかも。

渡米までちょうど3週間。
残る仕事をきちんとすること。
そして……大の苦手の引っ越し作業。
ゆっくりピアノを弾く時間がないのが、かなりつらい!

ダルビッシュのヌード

ダルビッシュが脱いだ、というから、一度、見ておきたいもんだ、とは思っていた。が、掲載紙が「anan」と聞いて、ひるんだ。
だってさ。
アンアンを立ち読みしてる40代というのもみっともない気がするけれど、
アンアンをレジに持って行くオバサンというのも同じくらいみっともない感じがして。
では、どうやってアンアンを入手すれば良いのだろう……。
結局、勇気がないのであった。

会社の女性社員同士で、ダルビッシュのヌードの話題になった。
「見たいよね」
「うん。見たい。でもどの本屋でも売り切れらしいよ」
「案外、この会社の1階の書店あたりじゃ、まだ売り切れてないかも……」
「やっぱり、新聞記者たるもの、話題ものにきちんと目を通すのって仕事の一環よね?」

「仕事の一環」の大儀を得た私は強い。すぐに、1階の書店に電話した。
「毎日新聞のおぐにですが。アンアン、まだあります?」
いつもの、お仕事用の声。やった~! ちゃんと、1冊、残っていたのだった。早速、取り置いてもらう。
すぐに取りに行くと、いかにも、がっついてる感じがしちゃうかも、とかあれこれ気を遣い、十数分後に本屋へ。

書店のレジの男性が、「袋に入れましょうか?」と聞いてきた。
「いえ、いりませーん」。
あくまで仕事目的での購入だと言わんばかりに、必要以上に胸を張っちゃう私。

で、肝心の内容ですが……。
表紙の写真が、「全裸でベッドイン」的なものだけに、どこまで脱ぐんだろう、と妄想を誘うわけですが、雑誌に掲載されていた数枚のヌード写真についていえば、
「へ? これだけ?」
と拍子抜け。
(それとも、私の期待し過ぎだったんだろうか?)

なんでかなあ。
あんまり、ヌード! って感じがしないのであった。
これまた女性同士でワイワイワイ。

「なーんかさ、期待外れよね」
「でも、ダルビッシュを脱がせた、って点で、企画勝ちとは言えるよね」
「確かに。もう芸能人のヌードとかに意外性もないし。スポーツ選手ってねらい所かも」
「今、脱がせて一番話題になるスポーツ選手って誰だろ?」
「そりゃ、間違いなく、ハンカチ王子でしょ」
「いいねえ、話題性では最高よね」
「ハニカミ王子は?」
「あれは若すぎて、ダメなんじゃない?」
「いや、案外、すごいことになるかも」

気付けば、もくもくと無言で仕事をする男性記者たちの前で、女性ばかりがヌード談義に花を咲かせていたのだった。

それに気付いた私が思わず、「でもこういう会話ってさ、男性がかつて職場でしては、セクハラのレッテルを貼られたんじゃなかったっけ?」。
先輩記者は 「これはいいのよ。だって仕事の一環だもの。それにこの程度の話を嫌がるようじゃ、新聞記者はつとまらないでしょ~」。
私は苦笑しつつも、「いや、その一言って、かつて女性記者たちが職場に貼ったヌード写真をセクハラだと抗議した時に、男性上司や同僚に 『こんなことを気にするようじゃあ、新聞記者失格だ』 とか言われたのに何か似てない? まずいよ。まずい。私たち、絶対、オヤジ化してる……」

しばしみなで、反省したのだった。

白を着てこそ、の佑ちゃんだったのか!

日米大学野球のニュースで、斎藤佑樹投手を見た。
あれれ、印象が違う。
いわゆる「王子」的オーラに包まれていない。
なんか、別人みたいだ。

しばらく観察していて気付いた。
日本代表の、紺色のユニホームがいけないんじゃないか?
たぶん、王子様は、白がお似合いなのである。
花嫁の白?
純粋無垢の白?
なんかよくわからんが、クール・ビューティーとまで言われる彼の色白 (だいたい野球やってて、なんであんなに色白なんだ? 日焼け止め塗りまくっても、私はもっと色黒だぜ……)の 「王子さま顔」 は、白いユニホームにこそ映えるのである。

なーんて、どっちでもいいんですけどね。
そもそも、私は「ハンカチ王子」派ではなく、田中将大君派だし。
汗をハンカチなんかでぬぐうなよ。男ならこぶしで拭え!とか思っちゃうし。
いや、ハンカチを使う斎藤選手を批判してるわけでは決してなく、ただ、「ハンカチ王子」とか「ハニカミ王子」とか、彼らをすぐ「王子様」扱いするのは、やっぱりヤダなあ、と。

高校時代も、大学時代も、早稲田のユニホームがもしも 「白」でなかったら、彼は「王子」と呼ばれずに済んだんじゃないか、とふと思ったのでした。



プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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