北京五輪の開会式、テレビで見られなかったので、今日の今日まで知らなかったよ。
いわゆる「口パク」問題。
開会式で 「歌唱祖国」 という歌を歌い、世界中のメディアに取り上げられ、すごい人気者になっちゃった9歳の少女、林妙可ちゃんの歌は実は口パクで、実際に歌ってたのは7歳の少女、楊沛宜ちゃんで、そもそも 「口パク」自体が党の指示だった、ってな話。
ワシントンポストでも、2人の少女の顔写真入りで、大きく報じられてた。
記事には、楊沛宜ちゃんは 「歯並びが悪く」「見た目が良くなかった」 ので、「歌声はあまりよくない」 けど 「パフォーマンスは完璧」 な林妙可ちゃんを起用した、と書いてあって、あまりに身も蓋もない話に、私はトホホとなってしまった。
そもそも中国国内でも、賛否両論ものすごくて、特に反対意見の多くが、「子どもを容姿でふるいにかけるなんて!」 という反応らしい。
アメリカのメディアでも、「いくら完璧な五輪を演出したいからって、移民労働者を街から追い出したり、五輪反対派の動きを封じ込めたりするのと同じノリで、子どもまで操作するなよ」 的な論調がフツーみたい。
いや、私だって思ったよ。
「どっちの少女も、やっぱり傷つくだろー、これは」 と。
日本だったら、すぐに 「心の傷が残らないように!」 って声が上がって、「心の専門家」 でも派遣しそうだ……とまでは言わないけど、かなりひどい話だと思う。
けどさ。
実はこのニュースを読んで、私は、正論なんてすっ飛ばし、ただただ、くらーい過去を思い出したのだった。
あれは、そう、小学校1年生の時。
実は4年生くらいまでの記憶はほとんど断片的にしか残ってない私なので、1年生の時の記憶なんて、これっくらいしか覚えてない、って言うほどに、忘れられない記憶なのさ。
小学校に入学したら、母親の計らいで、近所のお姉ちゃんたちと一緒に登校することになった。
そのお姉ちゃんたちの名前はもう忘れた。
そのお姉ちゃんたちは、いつもベラベラとおしゃべりをしながら歩くので、だらだらと遅く、おしゃべり相手のいない私はいつも、彼女たちの前をすたすたと歩くのが常だった。
一人で。
そのお姉ちゃんたちは、私ともう一人、入学したばかりの1年生の女の子の 「お世話役」 を言いつけられていたらしく、その子も一緒に登校していた。
今思えば、なぜ1年生同士、私とその子が仲良しにならなかったのか、全然覚えてない。
まあ、当時の私は、ものすごく大人しかったらしいので、自分から友だちなんか作れなかったのかもしれない。……って、ははは、今の息子みたいなもんか。
ともかく。
ある日のこと。
いつものように、ぺちゃくちゃしゃべり、だらだら歩く、お姉ちゃん集団の前を一人でスタスタと学校に向かって歩いていたら、後ろから、一人のお姉ちゃんの声がした。
「あやちゃーん!」
呼ばれた、と思って振り返った私。
そしたら、そのお姉ちゃんは言ったのさ。
「あんたとちゃうわー。かわいいほうの、あやちゃんを呼んだんやん」
………。
もう一人の1年生の女の子も、「あやちゃん」 という名だったんだな、これが。
あの時、何も言わずまた、前を向いて歩いたことだけは、覚えてる。
口をきいたら泣きそうで、ずっと無言で歩いたことを、妙にリアルに覚えてる。
それ以来、あのお姉ちゃんたちと学校に行くのがすごくいやだったのに、わざわざ母親が気を回し、一緒に登校してくれる上級生を探してくれたのに、それをいやだと言うのは申し訳ないようで、結局、何ヶ月も彼女たちと登校し続けた。
これにはさらに後日談があって、そのお姉ちゃんの一人が熱で学校を長く休んだ時があったんだ。
母親が、「いつも一緒に登校してくれてるお姉ちゃんなんだし、お見舞いに行こう」 と言い出した。
お見舞い、は別にいやじゃなかった。
ただ、母は、こう言ったのだ。
「あんたの持ってる、あのお菓子、お見舞いに持っていってあげたら?」
このお菓子が、なぜかレモン味のラムネだったことを、私は今もよーく覚えているんだけれど、これは単に記憶がねつ造されただけかもしれない。
とにかく、私は、お菓子の中でもラムネはとても好きだったし、中でもレモン味が一番好きだったんだ。
だから、言った。
「いやだ」
って。
泣きながら、「絶対にあのお姉ちゃんにお菓子なんかあげたくない」 と言ったんだと思う。
「本当は一緒に学校になんか行きたくなかった!」 と初めて言ったんだと思う。
その時、「かわいいほうのあやちゃん」 事件の顛末まで母にしゃべったのかどうか。
これまた、全然覚えてない。
ただ、はっきり覚えてるのは、母が 「あんたがそんな思いをしてたなんて」 と悔し泣きし、「わかった、お見舞いなんか行かんでええ。お菓子なんかあげるな。もう、明日から、あの子たちと学校に行かなくていい」 と泣きながら宣言してくれたことだ。
たぶん、私、「かわいいほうのあやちゃん」 事件についても、しゃべったんだと思う。
だから、母は、悔し泣きしたんだと思う。
北京五輪と、レモン味のお菓子なんて、なんの関係もないのにさ。
この口パク騒動の記事を読んで、一番最初に思い出したのはこの記憶だったのさ。
レモン香料のすっぱいラムネの味まで思い出しちまったぜ。
「口パク」騒動が結構な騒ぎになっている背景には、実は、私と同じように、容姿に絡む過去の記憶やら古傷を思い出して、憤慨したり、哀しくなったり、あきれ果てたり、トホホになったりしてる男女が多いからじゃーないかしら。
「子どもを容姿でふるいにかけた」だの、「完璧を演出しようとする中国の姿勢はいかがなものか」だの、みんな色々言ってるけれど。
心の奥ではもっともっと生々しい感情やら記憶が呼び覚まされてたりしてね。
だって、今さら容姿がどうのなんて劣等感とさらさら無縁に生きることを覚えて早ウン十年状態の私だって、いきなりこのニュース読んだら、「かわいいほうのあやちゃん」 事件を思い出しちゃうんだもんなあ。
まいったまいった。
こんなささいな記憶でさえ、私はいまだに忘れられないんだもの。
「顔を選ばれた少女」 も 「声を選ばれた少女」 も、いつか長じて、この時の出来事の持つ意味をあらためて考える瞬間を迎える気がするなあ。
いわゆる「口パク」問題。
開会式で 「歌唱祖国」 という歌を歌い、世界中のメディアに取り上げられ、すごい人気者になっちゃった9歳の少女、林妙可ちゃんの歌は実は口パクで、実際に歌ってたのは7歳の少女、楊沛宜ちゃんで、そもそも 「口パク」自体が党の指示だった、ってな話。
ワシントンポストでも、2人の少女の顔写真入りで、大きく報じられてた。
記事には、楊沛宜ちゃんは 「歯並びが悪く」「見た目が良くなかった」 ので、「歌声はあまりよくない」 けど 「パフォーマンスは完璧」 な林妙可ちゃんを起用した、と書いてあって、あまりに身も蓋もない話に、私はトホホとなってしまった。
そもそも中国国内でも、賛否両論ものすごくて、特に反対意見の多くが、「子どもを容姿でふるいにかけるなんて!」 という反応らしい。
アメリカのメディアでも、「いくら完璧な五輪を演出したいからって、移民労働者を街から追い出したり、五輪反対派の動きを封じ込めたりするのと同じノリで、子どもまで操作するなよ」 的な論調がフツーみたい。
いや、私だって思ったよ。
「どっちの少女も、やっぱり傷つくだろー、これは」 と。
日本だったら、すぐに 「心の傷が残らないように!」 って声が上がって、「心の専門家」 でも派遣しそうだ……とまでは言わないけど、かなりひどい話だと思う。
けどさ。
実はこのニュースを読んで、私は、正論なんてすっ飛ばし、ただただ、くらーい過去を思い出したのだった。
あれは、そう、小学校1年生の時。
実は4年生くらいまでの記憶はほとんど断片的にしか残ってない私なので、1年生の時の記憶なんて、これっくらいしか覚えてない、って言うほどに、忘れられない記憶なのさ。
小学校に入学したら、母親の計らいで、近所のお姉ちゃんたちと一緒に登校することになった。
そのお姉ちゃんたちの名前はもう忘れた。
そのお姉ちゃんたちは、いつもベラベラとおしゃべりをしながら歩くので、だらだらと遅く、おしゃべり相手のいない私はいつも、彼女たちの前をすたすたと歩くのが常だった。
一人で。
そのお姉ちゃんたちは、私ともう一人、入学したばかりの1年生の女の子の 「お世話役」 を言いつけられていたらしく、その子も一緒に登校していた。
今思えば、なぜ1年生同士、私とその子が仲良しにならなかったのか、全然覚えてない。
まあ、当時の私は、ものすごく大人しかったらしいので、自分から友だちなんか作れなかったのかもしれない。……って、ははは、今の息子みたいなもんか。
ともかく。
ある日のこと。
いつものように、ぺちゃくちゃしゃべり、だらだら歩く、お姉ちゃん集団の前を一人でスタスタと学校に向かって歩いていたら、後ろから、一人のお姉ちゃんの声がした。
「あやちゃーん!」
呼ばれた、と思って振り返った私。
そしたら、そのお姉ちゃんは言ったのさ。
「あんたとちゃうわー。かわいいほうの、あやちゃんを呼んだんやん」
………。
もう一人の1年生の女の子も、「あやちゃん」 という名だったんだな、これが。
あの時、何も言わずまた、前を向いて歩いたことだけは、覚えてる。
口をきいたら泣きそうで、ずっと無言で歩いたことを、妙にリアルに覚えてる。
それ以来、あのお姉ちゃんたちと学校に行くのがすごくいやだったのに、わざわざ母親が気を回し、一緒に登校してくれる上級生を探してくれたのに、それをいやだと言うのは申し訳ないようで、結局、何ヶ月も彼女たちと登校し続けた。
これにはさらに後日談があって、そのお姉ちゃんの一人が熱で学校を長く休んだ時があったんだ。
母親が、「いつも一緒に登校してくれてるお姉ちゃんなんだし、お見舞いに行こう」 と言い出した。
お見舞い、は別にいやじゃなかった。
ただ、母は、こう言ったのだ。
「あんたの持ってる、あのお菓子、お見舞いに持っていってあげたら?」
このお菓子が、なぜかレモン味のラムネだったことを、私は今もよーく覚えているんだけれど、これは単に記憶がねつ造されただけかもしれない。
とにかく、私は、お菓子の中でもラムネはとても好きだったし、中でもレモン味が一番好きだったんだ。
だから、言った。
「いやだ」
って。
泣きながら、「絶対にあのお姉ちゃんにお菓子なんかあげたくない」 と言ったんだと思う。
「本当は一緒に学校になんか行きたくなかった!」 と初めて言ったんだと思う。
その時、「かわいいほうのあやちゃん」 事件の顛末まで母にしゃべったのかどうか。
これまた、全然覚えてない。
ただ、はっきり覚えてるのは、母が 「あんたがそんな思いをしてたなんて」 と悔し泣きし、「わかった、お見舞いなんか行かんでええ。お菓子なんかあげるな。もう、明日から、あの子たちと学校に行かなくていい」 と泣きながら宣言してくれたことだ。
たぶん、私、「かわいいほうのあやちゃん」 事件についても、しゃべったんだと思う。
だから、母は、悔し泣きしたんだと思う。
北京五輪と、レモン味のお菓子なんて、なんの関係もないのにさ。
この口パク騒動の記事を読んで、一番最初に思い出したのはこの記憶だったのさ。
レモン香料のすっぱいラムネの味まで思い出しちまったぜ。
「口パク」騒動が結構な騒ぎになっている背景には、実は、私と同じように、容姿に絡む過去の記憶やら古傷を思い出して、憤慨したり、哀しくなったり、あきれ果てたり、トホホになったりしてる男女が多いからじゃーないかしら。
「子どもを容姿でふるいにかけた」だの、「完璧を演出しようとする中国の姿勢はいかがなものか」だの、みんな色々言ってるけれど。
心の奥ではもっともっと生々しい感情やら記憶が呼び覚まされてたりしてね。
だって、今さら容姿がどうのなんて劣等感とさらさら無縁に生きることを覚えて早ウン十年状態の私だって、いきなりこのニュース読んだら、「かわいいほうのあやちゃん」 事件を思い出しちゃうんだもんなあ。
まいったまいった。
こんなささいな記憶でさえ、私はいまだに忘れられないんだもの。
「顔を選ばれた少女」 も 「声を選ばれた少女」 も、いつか長じて、この時の出来事の持つ意味をあらためて考える瞬間を迎える気がするなあ。
Comment*2
