おぐにあやこの行った見た書いた

初めて書く 「人種」 の話

連日、食いモノのエントリーばっかりアップしていたのは、もちろん、週末においしいものを食べまくった、ということもあるのだけれど。
書きたくて、書こうとして、どう書けばよいか、ずっとこの1週間ほど引きずってきたテーマがあったりするんだな、これが。

人種、の話。
日本で15年以上記者をやってて、真正面からこれをテーマの記事を書いたことがない。
アメリカにわずか半年暮らしただけで、知った顔して書けるテーマでも、実はたぶん、ない。
だから、分からないなりに、感じたことを書いてみようと思う。

「オバマvsヒラリー」 を基本的には楽しんで来た私だけれども、一つだけ、できれば見たくないなあ、と思っていたことがあった。それは、2カ月前のエントリーにも書いたことだけど、

これからどうなるんだろう。
選挙戦、もっと熾烈になるのかな。
たまらないなあ、と思うのは、オバマ陣営も、クリントン陣営も、接戦が続けば続くほど、この数週間がそうだったように、お互いへの攻撃を強めるしかなくなるわけで。
互いへの攻撃を強めれば強めるほど、ジェンダーだとか、人種だとかが何となしに対立軸になってしまうわけで。

「黒人初の大統領」 が誕生しても、
「女性初の大統領」 が誕生しても、
それまでの過程で、私たちはたぶん、できれば直視したくないようなたまらないこの国の現実をたくさん突き付けられちゃうんじゃないか、と。
そんな予感がする。


というような話。
今回の、オバマ氏が通う教会の、ジェレミア・ライト氏という黒人牧師の発言と、それに対する大きな反発、それに対するオバマ氏のスピーチまで、一連の流れを追いながら、この国についてたくさんのことを学んだ気がした。
「できれば直視したくない」 ことも含めて。

ライト牧師は、「God bless America (アメリカに神の恵みがあらんことを)」 と言う代わりに、「God damn Ameria (アメリカに神の呪いがあらんことを)」 と言い、アメリカのことを 「KKKの国」 と称し、2001年の米国同時多発テロのことについても、「米国が海外でやってきたようなこと」 で、「ヒロシマやナガサキでは、もっと多くの人の上に原爆を落とした」 と語った。
これら、とっくの昔の演説や、すでにDVDとして発売もされている発言が、YouTube や テレビで何度も何度も放映され、この牧師を人生の師としていたオバマ氏に対して、「こんな、反アメリカ的な発言を繰り返す奴を慕うオバマが、大統領としてふさわしいのか」 という問題が浮上してしまった。

人種の対立を超えた unite を訴え、大きな hope の物語を語ってきたオバマ氏だけに、その師の 「反白人」「反米国」 的な発言が繰り返し報道されたのは、とても痛かったと思う。

彼は、自分の立場をスピーチした。
たぶん、このタイミングで、日本の多くのメディアもそれを報じたと思う。

このスピーチ、私は聞き逃したんだけど、その後、YouTubeで何度も聴いてみた。
それは、危機管理、って側面から見れば、極めて高度なテクニックだったし、政治家の演説として見れば極めて完成度の高いものだったし、内容そのものも、人の心を打つ力を持っていたと思う。
実際、米メディアの多くのジャーナリストが彼のスピーチを非常に評価した。

「すばらしい」「非常に勇気ある演説だった」「(この国への)大事な贈り物だ」「雄弁だった。アフリカンアメリカンだけが、こうも真っ直ぐに人種について語ることができるのだ」

何人かの専門家は、オバマ氏ができうる最高のパフォーマンスで窮地を挽回したかのように論じているけれど。
本当にそうかな、と思ってしまった。
この問題、いったん噴き出したからには何度も何度も彼の足を引っ張るんじゃないかな。
特に、もしも彼が民主党候補としてノミネートされたならば、その後で、必ず蒸し返される話しなんじゃないかな。

ずっとずっと不思議だったんだ。
オバマ氏のミドルネーム (父親側の姓) が、「フセイン」 だということがネガティブキャンペーンにさんざ使い倒されていた時。
ラジオトークショー (たいていが保守路線) で、みながさんざっぱら、「バラック・フセイン・オバマ。フセイン、フセイン、フセイン。大統領候補のミドルネームを連呼しちゃ悪いかい?」 などと叫んでいた時。
「この国では、『フセイン』のミドルネームについて、ここまでネガティブキャンペーンを打てる人たちでも、人種については、表立って言えないんだなあ」 と思ったものだった。
本音の部分で、人種問題について、この国の人たちは何を考えているのだろう。
それを知る機会が、とても少ない。
私の周囲にいる人たちは、どんなテーマでも率直に語ってくれる人が多いんだけれど、それでも人種問題になると、とても慎重に慎重に言葉を選ぶ気がした。
たぶん。
それほど根の深いテーマでもあるんだろう。

オバマ氏の演説の中で、私が一番、どきりとしたのは、彼が自分を育てた白人の祖母について語っているところだ。
彼女から、黒人男性と道ですれ違う時の恐怖を聴かされ、子ども心に身がすくんだ、という思い出話には、たまらない思いがした。
こちらに来てとある黒人の社会学者が書いた文章を読んだことがある。
手元にないので厳密に引用できないが、以下のような話だった。

「大学にいる僕を、生徒たちは尊敬の眼差しで見る。しかし、一歩、大学を出て、街でエレベーターに乗ると、そこで乗り合わせた女性は、僕を脅えた目で見る。難しい社会学の専門書を抱えていたって、それは同じことなんだ。僕は、2つの人生を生きているようなものだ」

オバマ氏は、さらに複雑な人生をたぶん、生きてきたのだろう。
あらためてそれを痛感させられた。

もちろん、彼はこの挿話を、「なぜ自分が、ライト牧師と縁を切れないか」 を語るのに最も効果的に使っているわけで、非常に計算された部分でもある。
彼は、この国に人種差別が存在することを認めたうえで、再度 それを克服していこうと呼びかけ、こんな風に演説で自分の立場を表明した。

「私は黒人コミュニティーと縁を切れないように、ライト牧師を切り捨ててしまえない。人種や民族のステレオタイプ(な偏見)を何度か口にした私自身の白人の祖母と縁を切れないように、ライト牧師と縁を切れない」

悩んだ末の言葉だったんだろうな。
ライト牧師との関係を切らないと騒動は収まらない、しかし、あっさり切り捨てれば今度は多くの仲間を失う。
そしたらもう、極めて個人的な体験談を吐露して、心情的な理解を求めるしかないもんね。
それでも、騒動になった途端、騒動の渦中にいる問題人物との関係性をあっさり否定したり、切り捨てたりする政治家より、ずっと勇気ある演説だったと、私自身は思う。

あいかわらず、ラジオのトークショーのオバマ批判は、落ち着く気配がない。
「こんなアンチアメリカな人物は、大統領どころか、上院議員としてもふさわしくない!」
「私は無党派で、オバマを応援しようと思ってきたけれど、アメリカを悪く言うなんて許せない!」

彼の肌の色や人種について、あからさまに何かを言うことはなかった保守派のラジオトークショーで、一気に人種問題が 「解禁」 されちゃった感じ。この大変な盛り上がり振りをみながら、ふと思った。
実は、問題は、ライト牧師の騒動の前から水面下にずっと存在してたんじゃないか、って。
ライト牧師の 「過激な説教」 は一つのきっかけに過ぎず、実はみんな心のどこかで人種問題について気になってたんじゃないか、って。
「黒人には投票したくない」 とは堂々と言えないこの国で、オバマ氏を批判し、否定し、彼に投票しないことを堂々と表明できる 「立派な理由」 がとうとう登場しちゃったんじゃないか、って。

渡米から半年。
この国の人たちがここまでストレートに人種について語る姿を、初めて見た。
テレビで、新聞で、ラジオで。

「人種のことをあからさまに語るのは難しい。黒人の友人といる時には言わないことを、白人同士の友人の間でしゃべることはある。黒人たちもまた、白人に対する思いのあれこれを、僕には言わなくても、お互いに語ることはあるはずだ」 と、そんなことを吐露したリベラル派のコラムニストがいたり。
「今回のライト牧師の説教に対して、この国でわき起こった大きな反発に触れ、改めて、実はこの国の白人たちが私たち黒人のこれまでの怒りをまったく理解してなかったんだと痛感しました。ライト牧師の発言は、決して特殊なものではなく、ある時代の黒人の教会では普通に聞かれたものだったのに」と新聞に投稿した女性がいたり。

メディアの内側にいる人達から、「勇気がある演説だった」「人種というテーマに対してこれほど率直な演説はほかにない」 といった評価が多く出ているのも、結局は、メディアの内側の人たちがこれまで、人種について書くことに、とてもとても慎重になってきた経緯があったからじゃないかな。
自分の実体験に照らしても、反省も含め、そんな思いにいたった。

今、すごくぎりぎりのところで、自分の体験に基づいて、自分の言葉で、この国の人達が人種について語り始めたのかもしれない。それが多数派でなかったとしても。
だから今はできるだけ、自分の政治信条やら思いこみを横に置いて、真っ直ぐに色々な人の声に耳を傾けてみよう、と思ってる。

テキサスとオハイオの予備選から一夜明けて

まず最初に、「ぬか床SOS」にご助言くださった皆様、感謝です!!

ところで。
テキサス州とオハイオ州でヒラリーが華々しく3度目の復活劇を演じた日から一夜あけて。
すぐさま私の元に届いたメールがこれ。

「金曜日、君と選挙戦の話しをするのが楽しみで待ちきれないよ。
 ヒラリーの髪型でもして行こうかな。エドより」


エドは72歳、白人男性でデモクラッツ。
元々理系の人だが、退職後は、地元の図書館でボランティアとして外国人に英語を教えている。
初めて会った日、彼はいきなり、こんな議論をふっかけてきた。

「ねえ、あやこ。ヒラリーは、ビルの妻でなかったとしても、こうして上院議員になり、大統領選の最有力候補にまで上り詰めたと思うかい? 世界中に、女性の大統領や首相はいるけれど、たいていは重要人物の妻や娘なんだよね」

ちっくしょー、あんた絶対にヒラリーが嫌いだろ。
マッチョで、女に上に立たれるのが嫌いで、おまけに女に議論をふっかけては勝ちまくるのに快感を覚えてるんだろ。
ちくしょーちくしょーちくしょー。
根が単純な私はすっかり怒り狂い、腹わた煮えかえる思いで反論したさ。

「確かに、ビルの妻のお陰でメリットもあったでしょーね。でも今の選挙選を見てごらんよ。ビルのせいでいくら足を引っ張られてるか。『ブッシュ・クリントン・ブッシュ・クリントン』の20年支配、なんて言われるし、ビルの問題発言で黒人支持者を失うし、オバマの 『change』 の前には下手な経験で損してんじゃないのよ」

もちろん、こんなにスムーズに言えたわけではなく、つっかえつっかえ、頑張ったんだけどね。
エドは、はっはっは、と実に楽しそうに笑い、「そりゃそうだな」 だって。

だから、メリーランド州の予備選の後で、エドから

「僕が誰に投票したと思う?」

と聞かれた時には、すぐさまこう言ってやった。

「どーせ、オバマでしょ。あなた、絶対にヒラリーが嫌いなんでしょ」

そしたらエドは、またしてもうれしそうにこう言う。

「残念でした。ヒラリーに投票したよ。オバマの選挙運動って、ちょっとうわついた感じがするし、彼は素敵な候補だけれど、大統領となるとどうかな。やっぱり経験って大事だからね」

この時の私の驚きったら。
あんた、女が大統領になるのが許せない、マッチョな女性差別主義者じゃあなかったの???

エドと心底仲良くなったのは、この時だと思う。
それ以来、30年の歳の差なんて。
毎週1度、政治談義を交わすのがお互いの楽しみになっているというわけ。

オハイオとテキサスの予備選の前、「今度の今度ばかりはヒラリーももうダメよ。ディベートに、ネガティブキャンペーン、ファイターとしての演出まで、あらゆることをやり尽くしたけど、オバマが相手じゃ勝ち目はないよ」 と熱く断じる私に、「いやあ、来週、選挙結果を君と話すのが今から楽しみだよー」 とエドは言っていたっけ。
きっと、選挙結果を見てすぐに私の顔が思い浮かび、このメールを出したんだと思う。
ちくしょー。

しかし参った。やっぱり選挙って分からない。
ヒラリーがここに来て盛り返すなんて。
やっぱりこの国の人は、underdog というか、敗北を喫してる挑戦者が好きなの?
出口調査の結果の通り、年寄りの反逆?
実はとあるメディアから原稿を頼まれていて、「オバマはなぜ強いか。ヒラリーは風前の灯火」 なーんて原稿を仕上げたばかりだった。
あーあ、全面書き換え、決定。

負けても負けても、打たれ強く立ち上がる、っていうの、日本人のメンタリティーとしても嫌いじゃないよね。
「立つんだ、立つんだ、ジョー」 の世界?
我らがヒラリーさんは、久しぶりに晴れやかな表情で勝利のスピーチをしたかと思ったら、その最後に、いきなり自ら

Yes, We Will !

と連呼し、支持者たちにも連呼を迫ってた。
オバマの 「Yes, we can」 ならぬ 「Yes, we will」。
「できるぞ」 から 「やるぞ」 への大展開。
タイミングも絶妙だ。
オバマが 「そうさ、僕らはできるんだ」 と言い続け、それが定着し、人々を魅了し、勇気づけ、前を向き始めた時だから、「やるぞ!」 という一言も生きてくる。
(オバマファンの間では大顰蹙をかってるけどね)
「できる」 をもう一歩進めた 「やるぞ」。
復活劇効果のお陰で、説得力も増すというもの。
つくづく、この人ってすごいわ、と思う。

実は、昨日のテレビの選挙報道では、共和党候補のハッカビー、そしてマケインの妻2人がビミョーに気になったんですが、その話はまた今度。
あさってのエドとの 「対決」 に向け、英語で理論構築しなきゃ!

好きだな、この写真

エントリー「ヒラリーと、おばさんの憂鬱」に登場してくれた女性と、またしても選挙談義。
あんなにヒラリーにこだわった彼女が今はこういう。

「テキサス、オハイオで負けた後はもう、潔く身をひいてほしい。潔く、潔く」。

潔く、と言う時に彼女が使ったのは、graciously という言葉。
辞書を引くと 「寛大に、愛想よく、快く、優しく、親切に、優雅に、潔く、円満に」 なんて訳語が載っているんだけれど、彼女の思いはもしかしたら、「潔く」 より 「優雅に」 に近かったのかも。

彼女と2人して共感し合ったのは、
「最近の、ヒラリー陣営の、オバマ陣営に対するネガティブキャンペーンは見ていてつらいよね」
だった。
このオバマ人気の中にあってもなお、ヒラリー氏が唯一オバマ氏に優位を保っていた支持層である高齢白人女性たちの、どうしようもないヒラリーへの熱い思いを、最近のネガティブキャンペーンは、踏みにじっている感じがする。

ヒラリーをそんな風に見つめ続ける彼女は、最近、この本を読んでるのよ、と教えてくれた。
オバマ氏の自伝だった。それも2冊の著書のうち、より素直に書かれていると評判の1冊目のほう。
笑ってしまった。
実は、私もこの本を買って、読み始めたばかりだったから。

彼の半生をきちんと彼の言葉で振り返ってみたいと思わせたのは1枚の写真だ。
オバマ氏へのネガティブキャンペーンの一つとして報じられた写真。
彼がケニアに行った時に、民族衣装を身につけた、という写真

私はこの写真が好き。
ニュースやあれこれで、オバマ氏が思春期に 「白でも黒でもない自分」 に思い悩み、模索したと何度も聞いた。そんな彼の物語性は今、多民族国家のこの国に生きる多くの人々の心をつかんでいる。
この写真を見て、一番最初に思ったのか、

「彼の歩いてきた道をもっと知りたい」

だった。
この写真、ヒラリー陣営の誰かが意図的に流したネガティブキャンペーンだ、などと噂され、それが報道されてもいる。浅黒い肌にターバン姿が、イスラム原理主義のテロ指導者たちを想起させるから、ということらしい。

でも。
この写真が、ネガティブキャンペーンとして成立してしまうなら、悲しいな。
とても、素敵な写真だと思うんだけどな。
私は、この写真がとても好き。

そんなことをヒラリーファンの彼女に話したら、彼女も共感してくれた。
「そうよね。私も美しい写真だと思う。あれをヒラリー陣営が流したなんて信じない。オバマ人気を怖がった共和党の誰かじゃないのかな。いずれにしても。あの写真は、この国の大多数の人にとっては、ネガティブキャンペーンではなく、逆に働くと思うよ」

この国が、そうでありますように。

在米イラン人の見る大統領選

こちらに来て、イランから来た人たちとよく知り合いになる。
グリーンカードの抽選に当たったから、とやってきた人。
親類縁者を頼ってやってきた人。
こちらで開業するため、必死で試験を受け続けてるイラン人の医者。
ようやく地元のカレッジで教職を得たの、という女性。

米国に暮らす多くのイラン人は、今のイラン政府に批判的。でも一方で、米国の対イラン政策や、アメリカ人のイラン観にも思うところはいっぱいあって、それを慎重に、とても慎重に発言する。
あるいは、発言しない。
そんな人が多い。

「ところで、あなたは、オバマ、ヒラリー、マケイン、ハッカビー、誰が一番好き?」

私の質問に対する彼らの答は、当たり前だけれど、色々。
でも、アメリカに暮らして4年という夫婦からこんな答を聞いた。

「イラン政府が一番好きなのは、間違いないわ、オバマ氏よ」

さて、そのココロは?

「だって、オバマ氏の父親姓って、Hussain だもの。Hussain っていえばもう、兄弟も同然よ」

……そんなものなんでしょーか?

確かに、オバマ氏のお父さんはケニア出身のイスラム教徒だったはず。
オバマ氏も、世界最大のイスラム人口を抱えるインドネシアで育った経験がある。
ご自身もお得意のスピーチで、そんな経験を語り、自分がいかに世界の多様な人達と分かり合える回路を持っているかをアピールしてたっけ。

しかし、名前が「Hussain」だからってのは、あまりに単純過ぎないか?

そんなわけで、今日は別のイラン人二人にも、こんなふうに尋ねてみた。
「ねえねえ、知人のイラン人夫婦は、『イラン政府はオバマの父親姓が Hussain だから、オバマ大統領誕生を期待してる』 っていうんだけど、それどう思う?」

日本語で質問するなら、もっともっと慎重に、誤解を受けないように、色々と言葉を費やして尋ねたんだろうけれど。悲しいかな、私の英語力じゃあ、ずばり、そのまんま聞くしかないのよね。
一つ間違えば、すっごい偏見に満ちた質問だと思う。

だけど彼らは全然そんなこと気にせず大きくうなづいて、こう言った。

「そりゃもう、間違いないよ。Hussain といえば、イランで一番よくある名前なんだから。イラン政府だけじゃない。イランに暮らす多くの人々が 『バラック・フセイン・オバマ大統領』 の誕生を期待してるのさ。オバマもイランと直接対話したい、って言ってるだろ。実はイラン政府もそれを歓迎してるからね」 と米国で開業を目指す医者の中年男がいえば、
つい最近、グリーンカードの抽選に当たって渡米したばかりの、イランで英語を学んだという若い女の子も、
「2週間前までイランに暮らしてた私が言うんだから間違いないわ。みんな、オバマには期待してる。イランと米国との関係が少しでも良くなれば、って」

さらに、二人に共通していたのは、「オバマ氏が大統領になったからといって、米国とイランの関係が良くなることはきっとないよ」 という諦観だったのだけれど。

ケネディーセンターの日本文化週間

先週末から今週末にかけて、ワシントンDCのケネディーセンターで日本の文化特集をやっております。狂言、バレエ、蜷川幸雄さんの芝居に、宮本亜門さんのミュージカルなどなど。
息子とは、亜門さんのミュージカル「ブンナよ、木からおりてこい」を、夫とは蜷川さんの「身毒丸」を見てきました。
それぞれ、とても楽しめました。

「身毒丸」 は開演前にナレーションでかなり詳しくストーリーを英語で説明したものの、舞台自体は完全に日本語。アメリカの人の目には、寺山修司のこの作品、どんな風に伝わったんだろうなあ。
舞台が終わった途端、隣のオバサンが大興奮で叫んでた。
「インクレディブル!」
なんとも怪しげな役者たちの存在感と、舞台演出と、音響に感動したらしい。

私の耳に残ったのは、
「家があって、屋根があって、お父さんがいて、お母さんがいて、子どもが2人いて、それが家族というものだ」 というお父さんのセリフ。
そうそう。
こういう価値観、あったあった。
息子が長じてこの芝居を見ても、もう、「あったあった」 とは思わないんだろうなあ。

それはそれとして。
今回のケネディーセンターでの催しの中で、ものすごい人気を誇っていたのが、ロボットたちでした。ペットセラピーの代用ともいえる 「ロボットセラピー」 で効果を上げた実績を持つ、パロちゃんとか。アシモとか。

でもたぶん、一番人気は、着物姿のアクトロイド。
アンドロイドとアクターあるいはアクトレスを掛けた名前らしい。

20くらいプログラミングされた質問があって、これを尋ねるとちゃんと英語で答えてくれる。
アメリカの大の大人たちが、奪い合うようにマイクを握り、
「どんな食べ物が好きですか?」
「あなたは何歳ですか?」
「お名前は?」
「アメリカをどう思いますか?」などと必死で聞いている。
ちゃんと答が返ってくると大喜び。
一方、うまく質問を理解してもらえず、奇妙きてれつな答が返ってくると、これまた大喜び。

いわゆる人型ロボットのどうしようもない不自然さから来る不気味さがかなり抑えられていて、その出来には関心した。
もっとも、その後、女子トイレで黒人女性2人のこんな会話を耳にした時は爆笑してしまったが。

「しっかしさーー。日本にはきれいなモデルとかいないのかねえ」
「ほんとだよね、何もロボットに受付嬢をやらさなくたってねえ」

思わず、「いや、日本にだってきれいな女優さんはいっぱいいるのよ」 と口をはさみたくなったが、でもよくよく考えたら、どんな女優さんだって、あそこまで人気者にはなれなかったかも。
「私は2年前に生まれました。でも生まれた時から18歳で、歳は取らないの」 なーんて答えるだけで、拍手喝采してもらえるんだもの。
いやはや、大したもんです。

ヒラリーと、オバサンの憂鬱

「ヒラリーの涙」報道について書いたエントリーの後半に登場してもらった、民主党支持者で、日本茶が好きで、「アメリカのケーキは甘すぎてダメ」という志向を持つ米国人女性(白人、推定年齢60歳)と、今回の予備選について茶飲み話した。

投票日の夜にやってきた彼女は、私が尋ねる前からきっぱり言う。

「これまであなたに、何度も何度も、私言ったわよね。『ヒラリーか、オバマか。どうしても決められないの』 って。でも結局私、今日はヒラリーに投票しちゃった」

さばさばとした表情でそういうから驚いた。
(というか、誰に投票したか、こんなにサバサバと他人に言っちゃっていいのか?)

彼女が、ヒラリーに投票しようと決めたのは、今朝方かかってきた1本の電話が原因だという。

「オバマ陣営からの電話でね。息子さんはいますか? って言うのよ。民主党に登録してあるはずの私じゃなくて、息子さんはいますか? だって」

彼女はずっと迷ってきた。
長年、ヒラリーの活動をつぶさに見守ってきた。尊敬もしてるし、感謝もしてる。
でも、夫のビルがどうも好きになれない。
そこに、華々しく、オバマ氏登場。
経験がない。ただの演説家に見える。そんな不安材料がいっぱいあるにも関わらず、この国がオバマ氏のような大統領を抱いた時の、この国のかたちを思い浮かべて、それを素敵だと思う自分を抑えられない。
でも、長年支持してきたヒラリーを裏切れない。
ああ、どうしよー。
延々とそんな悩みを吐露してきた彼女だったのだ。

そんな彼女の気持ちを、1本の電話が踏みにじった。
「ずっと気になってたの。オバマの選挙運動は、あまりに若者のシフトし過ぎてる。露骨過ぎる。私を、私のような年代の者を、ないがしろにし過ぎてる。1本の電話で、私はすっかり腹を立ててしまったの。それでヒラリーに投票したのよ」

彼女は言う。
「今日はオバマが勝つかもしれない。(事実勝った。この会話は、開票前のもの)。でもね、そうなったら私、選挙事務所に電話しようと思う。若者ばかりをターゲットにした選挙キャンペーンは間違ってる、って」

前日のオバマ集会で感じた「ロックコンサートに乗りきれなかった時のような気持ちの重さ」 の正体が、なんとなく私にも自覚できた。
そうよ、そうなのよ。
オバサンの憂鬱、なのよ。

投票日の朝にかかってきたその1本の電話に対して、彼女は最後にこう言ったんだという。
「私は、ヒラリーを応援してきたけれど、オバマ氏が候補になったらオバマ氏を喜んで応援するわ。でも、あなたたちはどう? もしもヒラリーが勝ったら、本当にヒラリーを応援する? それとも、政治から興味関心を失って、投票も選挙応援もこの国の行方も、どうでもよくなっちゃったり……しないわよね?」

さて、どうなんだろう。
昨日、ロックコンサートのごとく会場を埋め尽くした1万7500人の大観衆の思いの行方。
オバマ氏が最終的に候補になろうとなるまいと、人々がなぜこれほどまでに、Yes, We Can に揺り動かされたか、とても丁寧にウォッチしてくべきものなんだ、と改めて感じた。
今のこの国を理解する、というのはきっと、そういうことなんだろう、とも。

オバマ氏が、ヒラリーさんを、獲得代議員数で逆転した、そんな夜。

オバマ圧勝の前日の集会

私の暮らすメリーランド州と、ヴァージニア州、それに首都ワシントンDCの予備選挙で、オバマ氏が圧勝し、獲得代議員数でとうとう逆転した、というニュースをリアルタイムに聞きながら、今更こんなエントリーをアップするのも何ですが。

実は、投開票日の前日、生オバマを一目見に、車を30分走らせちゃったのよね、私。
メリーランド州立大学にある、巨大なアリーナ会場。
その場に集まったのは大学生や一般人ら約1万7500人 (ワシントンポスト紙によると)。

開場は朝10時半。
オバマ氏が登場したのは午後1時過ぎ。
2時間半以上、延々とアップビートなBGMがガンガンと流れる会場で、ウェーブの練習なんかさせられちゃったりして、私なんかもう、ポップコーンとかほおばっちゃったりして、ほとんどスポーツ観戦かロックスターのコンサートか、って感じ。

でもね。スポーツ観戦やロックスターのコンサートと一番違ったのは、たぶん、セキュリティーの厳しさだった。いきなり入場前の長い列に向かって、ボランティアたちが、「携帯電話やカメラ、パソコン、ありとあらゆるOA機器の電源を入れてくれ」 と叫び始めた時は、何が起こったのかと思った。OA機器を使った新手のキャンペーンかしらん、と思っていたら、入場時のセキュリティーチェックをより厳密に行うためだった。
この国では、黒人運動家や、黒人の権利に絡んだ政策を推し進めた大統領が、暗殺されてきた歴史があるんだものね。
「オバマには大統領になってほしくない。だって、あんないい人が暗殺されたらいやだもの」 と本気で語るアフリカンアメリカンがいるのも、そのためだ。

それにしても、すごい人。
小高い丘の上に立つ巨大なコムキャストセンターに、人々が長い長い列を作る様は、どこかの巡礼地みたいな感じで、氷点下の中でよくみんな我慢して外で待ったと思う。

人の波を前に、男たちがこんな会話をしてた。

「おいおい、女ばっかりだぜ」
「まったくな。女はヒラリーを応援するんじゃなかったのかい?」

揶揄混じりの会話は、ちょっと悔しかったけれど、でもホント、女性がたくさんいた。
白人も黒人もラティーノも関係なしに、本当にいっぱいいた。
ヒラリー危うし、という感じ。

すごい数の警察と、すごい数のボランティア。
人種の偏りはほとんど感じなかったけれど、
この世代の偏りは何だ?
若者ばっかり。
ま、大学だもの、仕方ないか。

開場から1時間を過ぎて、まず、午前11時40分に国歌斉唱。
150近くある記者席で、記者たちまで起立して歌うのを見て、日本と違うなあ、とふと思う。
いよいよ始まるか、と思うが、その気配はない。

「Latino for OBAMA」 というプラカードを持ったラティーノたちが現れると、メディアがわっと取り囲んだ。テレビが盛んに撮影してる。もっと拳を振り上げて、とか、叫んでくれよ、とか注文をつけてる。ああ、メディアのこういうところは、日本も米国も一緒ね。

開場から2時間後、ようやく集会が始まる。
学生がまず舞台に立ち、叫ぶ。

You guys!
Are you fired up?
Ready to go?

会場の若者は総立ちで叫ぶ。

Yeah!!!

これって日本語にすると、

「おーいおまえら、ノッてるか〜い?」
「いぇ〜〜い!」

だよね。
やっぱりどこまでも、ロックコンサートみたいなのだった。
大体、ここまで延々と待たせるのだって、下手な前座の演奏を延々と聞かされてる感じ。
時間のないオバサンとしては、段々とイライラ。

女はやっぱりヒラリーに投票するんだろ? なんて偏見を持ってる人に、とりあえずこの会場を見せたいよ。
会場を埋め尽くす、若い娘さんたち。
ピチピチのお腹だして、腰だして、氷点下の中もかっ歩できるその若さ。
お母さんたちがヒラリーを応援すればするほど、「ママってサイテー。私は絶対、オバマよ〜」と言い出しそうな感じだ。
オバマは本気で強い。そうヒシヒシと感じる。

12時50分。
何度も練習したウェーブが始まった。
1周。
2周。
3周。
まったく衰える気配なく、何度も何度も繰り返す。
甲子園のPL高校の人文字応援も真っ青の、一糸乱れぬこの動き。
アメリカの人って実はこういう集団的応援も得意だったのね。

もう飽きるほど聞いた Yes,We can コールと、Obama コールの末、
2万人近い観客が総立ち。
1時02分、いよいよ本打ち登場!!

さて、生オバマの感想は……?

1、待ち疲れた。
2、やっぱり演説はほれぼれするほどうまい。
3、若者、何でもかんでもキャアキャア叫びすぎ。

オバマ氏が叫ぶ。
「多くの人が言う。『おまえはまだ若い。次回まで待てるだろ』 と。冗談じゃない。今だって遅すぎる。今がその時だ。僕らは待てない。今が変革の時なんだ!」

若者、大興奮しながら拍手喝采。

しかし、どうなんだろ。
健康保険ネタにも、教育ネタにも、イラク戦争ネタにも、温室効果ガスネタにも、全部が全部、「いぇ〜い!」 でいいのか?
おい、そこの青年たち、タコスチップにむちゃくちゃチーズつけて、大量のプラスチックゴミ出しまくっておいて、「地球温暖化に立ち上がれ、いぇ〜い!」 でいいのか?

Change という単語が聞こえただけで、反射的に総立ちしちゃっていいのか?
そんなにも、そんなにも、あんたたちは CHANGE がほしいのか?

Yes, we can! の先に続く言葉に耳を傾けるよりも、Yes, we can! とひたすら叫び続けていたいのか? それほどに、あんたたちは、信じられるものがほしいのか?

結構、オバマファンを自称していた私なんだけど。最後は妙にフクザツーな気分になってしまったのだった。
ふと周囲を見れば、私と同世代かそれより年配の大人たちが、総立ちの若者の中でぽつねんと座り、腕組みして渋い顔で考え事してた。

オバマは強い。ものすごく強い。
これまで選挙なんかに関心のなかった層を、たぶん、若者だけでなく、ごそっと掘り起こしてる。それは肌身に感じる。
この場は大学だから、若者ばかりが目立っただけで、彼の支持者はもちろん若者だけじゃあない。
未来とか、希望とか、変革とか、はっきりと先が見えないほどにまぶしいものを、私たちに見せてくれそうな予感を、間違いなく彼は持っている。

でも。
この日、私の中に生じた、ロックコンサートで乗り切れなかった時みたいな気分は何なんだろう。

きょうは朝からオバマ応援

節操がない、と言われればそれまでだけど。
今朝は朝6時に家を出て、やってきました、オバマ応援。

オバマ氏の公式ホームページから、各州のページに飛ぶと、近所でやってるイベント予定が分かる。ミーティングは平日の夜か週末の昼間だし、phone bank (携帯電話を持ち寄って電話を掛けまくるというもの) は英語が流暢でないとつらい。そもそも「体験」目的の私としては、相手の反応が目に見えないとつまらない。
そんな中で見つけたのが、これ

朝6時半から大通り沿いで Obama のプラカードを掲げて立ち、通勤客にアピールしよう、というVisibility Event。これなら、1時間だけ参加し、大急ぎで自宅に戻れば、息子と朝食を一緒に食べられそうだ。

朝5時50分に起き、真っ暗闇の中、現地へ向かった。
実は、今回の場所は、先週参加したヒラリー陣営の集会場所のすぐ近く。
それだけに、自らの節操のなさをヒシヒシヒシと感じてしまう。
「Knowles通りとConnecticut通りの交差点の駐車場で集合」 なんて、そんなテキトーな待ち合わせ場所あるかい! と思いつつ言ってみたら、どうやらそれらしき人が数人ちらほら。

駐車中の車の隣にキャンプ用のテーブルを置き、買ってきたドーナツと家庭用の水筒に入った暖かいコーヒーを並べてある。その場にいたのは30代の白人夫婦と2人の白人女性。
とりあえず、
「混ぜてもらえるかな? 正直言ってアメリカ市民でもないんだけどさ」 と切り出してみる。
それから、ふとオバマ氏お得意の 「Yes We Can スピーチ」 を思い出し、よし、あれをちょっと拝借しよう、と考え、こう続けてみた。

「少し前までは、アメリカ市民でもないし、関係ない、何もできることはないと思ってたの。でもスーパーチューズデーの夜、オバマさんのスピーチを聴いて、思ったの。もしかしたら、って。Yes, I can ! って」

まあ、実際はこんなにスムーズではなく、少々詰まっちゃったんだけど。
それでも、4人全員の大拍手を勝ち取ったぞ。
「Welcome ! 」 と歓迎してもらうのって、ほんと、気分いいのよね。

いかにもお手製ちっくなプラカード (公式のカードに混じって、写真を拡大コピーしただけ、とか手書きのポスターなんかもあった) が15枚ほどあった。
1枚を高く高く掲げてみる。
しかし……。

つまらん。
ヒラリーの時みたいに、「Bumper sticker for Hillary?」 とか言葉が必要なわけでもないし、そもそもアピールする相手がみんな車に乗ってる通勤客なので、そこで対話は生まれないし、おまけに、

真っ暗で、相手の反応が見えない〜

これは大誤算なのだった。
どんな世代の、どんな人たちが、オバマ応援に反応するか、それが見たかったのになあ。

でも、そうこうするうちに、ちらほらと、運動に参加する人が集まり始めた。黒人女性2人組が来て、その後、妙にノリの良い白人男性が来て、さらに白人夫婦が来て……。
最後は総計15人くらいに。
うち10人は白人で、アジア人は私一人、ね。
全体的に30代前後が多い感じ。

次第に夜が明け、段々とおもしろくなってきた。
上り始めた太陽のお陰で、車の中が見えるから。
最初は、賛同の意を示すクラクションくらいしか反応が見えなかったんだけど、明るくなって通り過ぎる車の中が見えるようになってくると、色々な人が実に色々な反応を示してくれていることがわかってきた。

ちぎれそうなほど手を振ってくれた女性。
窓を開け、上半身を乗り出し、「オバーマオバーマ」 と叫んでくれた黒人男性2人組。
あっちでタクシー運転手がクラクションを鳴らせば、
こっちではトラックの運転手が、野太いクラクション。
おまけに、生徒を乗せたスクールバスの運転手さんまで!
リアクションだけで見れば、そこに民族差はほとんど見られないような気がした。
別にアフリカンアメリカンの人たちだけでなく、色々な人が賛意を表してくれた。
が、あえて言うなら、年配者の反応が悪い。
これがヒラリーの時との差かも。

もちろん、賛同ばかりじゃない。
親指を立てて賛同してくれた人もいっぱいいたけど、その半分くらいの数の人が逆に親指を下に向け、反意を表明してた。
わざわざクラクションを鳴らし、私たちの注意を引いておいてから、親指を下に向ける人までいる。
結構なスピードで運転してるくせに、ハンドルを完全に離し、両手で 「Go to hell ! 」 とやってくれた白人男性もいた。
おいおい、危ないってば。

おもしろいなあ、と思う。
この国では、車の中からでも、ここまで豊かなリアクションを見せてくれるんだ。
というか、何か意見表明をしないといられない国民性なのかも。

もう一つ、気付いたことがある。
ヒラリー陣営で、車のバンパーにつけるステッカーを配った時には、リーダー格の人はものすごく選挙運動がうまかった。集会でも 「ミニ・ヒラリー」 みたいな弁の立つ女性がいっぱいいたし、地域選挙も含め、選挙運動をやりなれてる感じがした。
だから、私が参加した時も、すぐに名前なんかを書かされたし、「アジア人向けの集会もするから、絶対に来てね!」 とか言われるし、運動内の民族的多様性を確保するため、私みたいにたいして英語もできない人間でも上手に活用する術をよく分かってる感じがした。

が、今日のオバマ応援は、全然違った。
みんな、すごく選挙応援が下手。
車が信号待ちしてる時なんか、もっと積極的にチラシなんかを用意して配りまくればいいのに、と、こっちがイライラしちゃうくらい。そもそも彼ら、そういうチラシすら用意してないのだ。
朝が明けてきて、道ゆく人も見え始めたのに、積極的に声もかけない。
はっきり言えば、全員が全員、素人なのだ。
主催者らしい白人男性なんて、手袋もしてない。冬の、それも早朝の野外選挙運動といえば、手袋は必須だろ、と突っ込みをいれたくなる。

みんな、ただ、何となくうれしそうに、楽しそうに、車に向けてプラカードを揺らしてるだけ。
私に対して、名前を書けとか、こちらで選挙権のある知人の住所を書いてくれないか、とかそういうのも一切なし。

あれれ、と不思議な感じがして、手袋のない手に必死で息をはきかけてる主催者の白人男性に尋ねてみた。
「こういうこと、しばしばやってるの?」

彼は言う。
「実はね、これ、僕にとっては最初の選挙運動なんだ。計画したのは妻なんだけどさ。夫婦で、今回ばかりは何かオバーマのためにやってみたくなっちゃってね」

夫婦で話し合い、何かやってみようと計画し、お手製のプラカードを用意し、公式ウェブで告知したんだそうだ。「いざとなったら、2人だけでやってもいいしね」と。
自腹を切ってドーナツをたくさん買い、暖かいコーヒーを水筒に詰め、そのくせ自分の手袋はしっかり忘れて……。
つまりその日集まった10人以上は、お互いまったく見知らぬ他人で、ウェブの情報だけを頼りに、こんな朝早くにやってきたというわけ。
私も含めて。

彼がしゃがみこみ、「寒いかい?」 と声を掛けた。
声を掛けた先を見ると、ゆりかごの中に赤ちゃんがいた。
青い目をパッチリ開けて。
この瞬間、胸が詰まった。
この夫婦、赤ちゃん連れだったんだ。

ゆっくりと話しをする時間もなく別れたのだけれど。
それまで大統領選に興味もなかったような夫婦が、たぶん自分たちと子どもの未来を想い、初めて何かを一緒に計画し、行動に移したんだろう。
小さな夫婦の物語に過ぎないのだけれど、オバマの強さを垣間見せてもらった気がした。
これからの8年間、この赤ちゃんの青い瞳に映るのは、どんな国の姿なんだろう。

Yes We Can の魔術

民主党ばかりでなく、共和党にも関心を寄せろよ、と夫は言う。
そりゃ確かに、Huckabee さんの集会とか、どんな人が来て、どんな話をしているのが、興味がないわけじゃあない。
正直に告白すると、原因は私の英語力不足。
読解スピードがついていかず、大量の選挙報道のすべてをとても読破できそうになかったため、最初っから民主党だけに絞って、これまで記事を読んできたのだった。
まずは反省。
ということで、本日、Huckabbeさんの集会が近所でやってないかなー、と調べて見ましたが、日曜日のお昼とか平日夜とか。
うーむ。
好き勝手動き回るのは息子が学校に行ってる時間だけ (息子がこの国にもう少し慣れるまではね)、と自分なりに決めている私としては、ちょいと苦しいのだった。

ということで、本日はオバマ話。
スーパーチューズデーの前夜9時前、という絶妙なタイミングで、オバマ陣営から支持者への一斉メールが届いた。(私も登録しているのだ)。
タイトルは YOU HAVE TO SEE THIS.
中身には、4分半程度の動画へのリンクだった。

いやはや、参ったね。
彼の、Yes, we can節は、何度か演説なんかで見聞してきたけれど、この見事なセンス。
部外者の私でも、Yes, we can の連呼と、優しげなメロディーに、しみじみと癒されてしまったよ。
もしもこの国の国民が全員若者だったら、正直言って、ヒラリーさんには勝ち目がないだろ、と思ってしまったほど。

一夜明けてスーパーチューズデー。
5日の夜、テレビで、オバマさんのスピーチを見た。
しょせん私の寂しい限りの英語力ですから、逐語訳できるほど理解なんかとうていできないわけだけど。
それでも、彼のスピーチがむちゃくちゃうまいことだけは、よーく分かった。
スピーチの最後は、お得意の繰り返しによる盛り上げ。
最後の最後は、Yes, we can の連呼。
彼が、力強く、“Yes, we can” と叫び、聴衆に “Let's go on !” と呼びかけた時なんか、テレビのこっち側で、一緒になって、

YES, WE CAN !

と私まで叫びそうになったよ。
スピーチの途中からは、前夜に見た例の動画と、そのメロディーの記憶があふれてきて、感動的なBGMつきでスピーチを聴いてるみたいな感じ。
まさかとは思うけど、そこまで狙った動画配布だったのかしらん。

この国に来て4カ月の間に色々あった出来事や、
切なかったこと、悔しかったこと、
それでもあきらめきれないこと、
もっと目の前の話で言うならば、カレッジの社会学の宿題が全然終わらないことまで、
全部全部胸にこみ上げてきて、
 
Yes, We can.

そう、力強く自分に言い聞かせたくなっちゃったんだよね。
魔術みたいだな。
まいった、まいった。

この手の動画を、日本の政治家で作ってみたらどんな感じかなあ、と想像してしまった。
少々古いが、土井たか子さんの 「山が動いた」 で作れそうな気がする。特に今の時代だと、旧社会党シンパのノスタルジーをかっさらうことくらいはできそう。
ちょっとマイナー過ぎか。

小泉純一郎さんが土俵に上がり、涙目で言った 「感動したっ!」 はどうか。
なんか作れそうな気はするけど、未来や希望を想起させてもらえないし、第一、自信に充ち満ちてくる感じが全然しないよなぁ。

ただの、Yes, we can.ってだけの言葉なのにねえ。
日本の英語の教科書で言えば、

Can you swin?
Yes, we can.

みたいにして中学生で教わるような単純な言葉じゃない?
それがどうして、彼のスピーチをあんなに力強くしうるんだろう。

Bumper stickers for Hillary ? 行動編

(Bumper stickers for Hillary?集会編、の続き)

さて。
集会はお開きになった。
さっそくあちこちで、色々なボランティアのリーダーの元に、人が集まり始める。
私は、息子の補習校のお迎えまでまだ数時間ほど時間があったので、近所のショッピングモールに行って、ヒラリー応援をうたった bumper sticker (車に張るバンパー) を配るボランティアに参加してみることにした。
「英語、うまくないけど、参加していいよね?」 と聞くと、
「大歓迎!」 と言われたもんだから。

いよいよ、選挙ボランティア体験も実践編、である。
ワクワクドキドキの私である。

車で20分の近くのスーパー前に集合。
集まったのは、ボランティアの中核メンバーが3人。それに初めてこういう行動に参加するという白人夫婦。それから私の6人。
民主党の色である青いステッカーを手に、笑顔で叫ぶ。

Bumper stickers for Hillary??

リーダーの人から、前もって注意事項が言い渡されていた。
「ステッカーはお金もかかってるし、間違いなく車に貼ってもらうことが必要なの。だから、ただ渡すのではなく、その人の車まで一緒に同行し、その場でバンパーの汚れを布で拭き取り、私たちの手で貼らせてもらうのよ!」

だから、ステッカーとボロ布を握りしめ、叫ぶことになる。

Bumper stickers for Hillary??

いやはや、おもしろかった。
日本でこういうことをやると、興味のある人は静かに近寄って来るだろうけれど、多くの人は無視するよね。あるいは、顔の前で手なんかを小さく振りながら、軽く頭を下げちゃったりなんかして、悪意がないことだけを伝え、そのまま立ち去るとか。

アメリカの人はおもしろい。
反対であろうと、興味がなかろうと、ヒラリー大好きであろうと、とにかくリアクションしてくれる。このリアクションが豊かで、バラエティーに満ちている。

「オバーマ!」 と一言、喜びと誇りに満ちた顔で言い、胸を張って立ち去るのは、やっぱりアフリカンアメリカンに多い。それも女性に多い、というのが印象。
(彼女たちの、オバマ氏の名前を本当に誇らしげに口にする表情は、こっちまで感動するくらい美しかった!)
こんな時は、ヒラリー陣営のリーダーも、 「ええ、オバマも素敵な候補者よ!」 と相手をたたえる。

親指を立てて、「ヒラリー! ヒラリー!」 と歓声を上げる人もいれば、駐車場内を車で走らせながら、窓を開け、クラクションをがんがん鳴らして支持表明する、うるさい人もいる。
「私も娘もヒラリー派よ」 という人も結構目立った。
こういう派手なレスポンスをしてくるのは、ほぼ女性に限られている。
圧倒的に多いのは白人女性。

さらに、ヒラリーがヒスパニックに人気が高い、というのも、実感としてつかめた。
女性だけでなく、男性も 「ヒラリー支持」 を口にするのは、ヒスパニックの家族連れなんかに多い。

それに比べると、白人男性は意外なほど冷たかった (気がする)。
中には、すごい剣幕で、
「Don't kill children !」 と何度も叫びながら立ち去った白人男性がいた。
一瞬、なんだろ、と思ったけれど、どうやら、ヒラリーの中絶に対する態度 (確か、「中絶は女性にとって悲しいこと。避けられるなら避けるべきだけど、権利は認められるべき」 だっけ?) を批判していたらしい。

どっちにしても、「ジェンダーや人種が問題なんじゃない」 とどの候補が言おうと、それは嘘だ、としみじみ痛感。
こうやって、街行く人々に声をかけて、その反応を身体で感じれば、そこにジェンダーや人種・民族のバイアスがあるのは、どうしようもなく明かなのだった。

ほかにも、「興味ないわー」 や 「どっちか決めてないし」。
「オバマにもクリントンにもうんざりしてるの」 や 「そうやってうるさく支持を求めるところが嫌いなのよね」。
いろいろなことを、いろいろな人が言いながら、立ち去っていく。
日本で同じことをやっても、これほど面白い体験はできないだろうな。
私の英語力がもう少しどうにかなっていれば、もっと豊かな言葉をキャッチできたと思う。
誰に言うでもなく、サラリと言う、短い、小声の言葉って、一番、私には聞き取りづらいのだ。

「誰に投票するかは、私が自分で考えるわ!」
「俺は共和党支持者なんだ」
そんな風に言う相手に、ボランティアリーダーの女性が必ず笑顔で返していた言葉がある。
それは、

That's America !

だ。

あなたには、あなたの信じる候補者に投票する権利がある。
私には、私の信じる候補者に投票する権利がある。
それが自由な国、diversity (多様性) を認めてくれる国、アメリカなのよ!
というわけだ。

これを言う時の彼女は、本当に誇らしげで、胸を張っていた。
単に他の候補を支持する人に悪く見られないように方便で言っているというようなことではなく、本気で、それを誇り、信じているのだと、見ていてよく分かった。

さてさて。
肝心の車のバンパーステッカーはどうなったかというと。
これねえ、ほしがる人、すごく多いの。
ところが、「じゃあ、この場で、今、車に貼らせてくれる?」 というと、半分以上の人はその瞬間に言い繕って逃げる。
この逃げ方がまた絶妙。

「あーん残念、私、車を持ってないの」

うそつけ、嘘!
この巨大ショッピングモールに、車なしで普通こられないだろ。
カートにつんだ大量の買い物を、君は本気で歩いて運べるのか?
といったみえみえの嘘。

ほかにも、
「夫の車だから、夫に許可を取らないと」
「今日はバスで来たんだ。あとで車を持ってくるよ」
「車に貼って、取れなくなるといやだなあ」(多くの人の本音はこれだと思う)
などなど。
ここからが、選挙ボランティアの交渉力が問われる。

「大丈夫。お湯を掛けるとすぐ取れるのよ」 とか、「バンパーがダメなら、車の内側から後ろのガラス窓に固定する方法もあるよ。私が今、やって差し上げるわ」 とか。
ボランティアリーダーの彼女は、ここからの押しがものすごく強くて、気付けば相手を納得させて、相手の車に同行する。
英語が苦手な私には、これができない。
だから、

Bumper stickers for Hillary??

と笑顔で叫んでおいて、「1枚ちょーだい」 と誰かが近付いてきたら、「Could I put it on your car right now?」 とか尋ねて時間稼ぎしながら、ボランティアリーダーに合図し、合流してもらう。あとは彼女の交渉力に任せて、一丁上がり、みたいな。
ほとんど、私がやってることは、キャッチですな。

立ち去る時、ボランティアリーダーに 「本当に本当にありがとう」 と感謝された。
圧倒的な言葉の壁にはばまれ、さしたる成果も上げられなかった私なんだけどな。

でも、感謝された中身を、私は実はその2時間で、かなり痛感していた。
何より感謝されていたのは、私が、アジアンだということだったと思う。
同じように、夫婦連れで参加した夫 (つまり男性) も、とても感謝されていた。
私と彼がいなければ、その日のボランティア4人は、全員が白人女性。
一気に、diversity が失われてしまう。
ボランティアメンバーの中に、アフリカンアメリカンがいて、ヒスパニックがいて、アジアンがいて、ちゃんと男がいてこそ、多種多様な人々に支持を訴えやすくなるし、「へええ、色々な人が支持してるんだ」 ということをアピールすることができる、というわけ。
戦略上のそういう理由に加え、たぶん、本気で彼女たちは、diversity を尊び、自分たちの仲間の diversity を誇りたいんだろう。

実に興味深い体験だった。
悪辣な怪文書や怪メールも飛び交うらしい民主党の選挙戦で、それでも「初の黒人大統領候補」 と 「初の女性大統領候補」 の一騎打ちというシチュエーションが、自信を失いかけたこの国の多くの人々を今、勇気づけてるんだと肌身に感じた。
結局、アメリカを世界に誇りたいんだよな。

こうなると、オバマ陣営のボランティアも1日体験したいもんだ。
彼がどんな人たちを惹き付けてるのか、すごくすごく興味があるもの。
なーんて。ああ、節操のない私。
スーパーチューズデーは明日だっ!