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ナショナルシアターまであと1週間

あれからもう2年半近いんだ、とちょっとびっくりした。
2008年の秋、ワシントンDCのナショナルシアターの、無料プログラムで歌ったときの音源を、今朝がた、思うところがあって、久しぶりに聞きなおした。
合唱を始めて1年足らず。初めての、3人でのアンサンブル体験で、私だけがコーラス初心者で……。
後にも先にも、あんなに緊張した体験は、なかった。

なぜかというと、自分の身体が楽器だから、なんだと思う。
あの夜、1回目の講演で、私の喉の奥は、あまりの緊張でピタリと張り付き、どうにも自由にならなかった。
今になって音源を聴きなおしてみても、「最初のここでピッチが届かなかったんだっけ」 とか、「ああ、そのせいで緊張して、ここで声が上ずったんだ」 とか、今でもなお、リアルに記憶がよみがえる。
それほどに強烈な体験だったんだなあ、と、ため息が出てしまう。

あれから2年半。
来週の月曜日、また、同じ舞台に立つことになった。
合唱に加え、今回も、アンサンブルに挑戦。

クラシックの名曲を女声三部のスキャットに編曲した楽譜から、ブラームス編で 「ハンガリー舞曲5番」。
そもそも、曲自体が自由度の高い曲である上、私自身も、楽譜オタクなもので、楽譜を見てるうちに、あんな風にしたい、こんな風にしたい、と 「妄想」 ばっかりが忙しくて。

でも、あと1週間、というところで、なんか、腹が決まってしまった。
曲自体の完成度を高める、というだけだったら、たぶん、色々な工夫のしようもあるし、帳尻を合わせる方法もあるのだろうけれど、そういう 「近道」 に浮気するのは、もうやめる。

今回はもう、自分のパートを、常に正しい発声で、最初から最後まで体力を持たせて腹筋意識して、ポジションを崩さず、最後まで歌う……ってことを第一の目標にする。

確かに、アンサンブルは、メンバーの呼吸を合わせることも大事だし、ましてこの曲の変幻自在なリズムに全員で乗っていこうと思ったら、「みんなで」 やらなきゃいけないことが、あまりに多すぎる。
それを思うと、途方にくれてしまう。
だけど、案外、この変幻自在なこの曲だからこそ、正攻法で、腹筋駆使して、隙なく歌いきることが、実は一番大事だったんじゃないか、と、はたと思い至った。
でもって、私、自分のやんなきゃいけないこと、全然できてないじゃん! って。

今日、数時間、ソプラノ2人でパート練習して、それに気付いた。
メロディーラインをきちんと歌えなきゃ、どれだけの小細工を駆使したところで、この曲の、なんというか、「説得力」 がなくなるぞ、と。
(ああ、気付くの、遅すぎ~!!!)

おまけに。
私の場合は、この手のノリの良い曲が一番怖い。
目の前に落とし穴がいっぱいあいてる感じ。
どーせ、本番になったら、間違いなく、私は、この曲のムードに踊らされる。
聴いてる人を踊らせる前に、自分がころっと踊っちゃう。
(いや、物理的に 「踊る」 ってわけじゃないけど)。

だから、誰よりもちゃんと練習しておかないと。
どんなに緊張しても、どんなに気持ちが先走っても、どんなに高揚しても、それでも、崩れない発声とポジションを得るために、練習しておかなきゃ、と思う。

曲つくりがどうとか、
他パートがどうとか、
そういうこと以前に、
一人でもやれることが、やらなきゃいけないことが、
こんなにも、いっぱいあったよ……。

速度を速めるところ、早口言葉みたいになってる部分を、徹底的に部分練習。最初はゆっくり。だんだんスピードをあげていく。
G音からG音へのオクターブ跳躍は、手抜きせず、あきらめず、もう一度確実に。偶然に頼らず、目指すところにあたるように。

La Li La ~、と歌うところが何度やっても、うまくいかないの、なぜだろう、と思ってあれこれ試してたら、子音をはずすとどうにかなることがわかった。
つくづく、私は、「ラリルレロ」 と相性が悪いらしい。

明日も練習。
アメリカであといくつ、舞台に立てるかわかんないしね。
悔いの残らないように、もう少し踏ん張ってみよう。

あ、最後になりましたが。
アメリカはDC界隈にお住まいの方々に、一応宣伝させてくださいませ。
DCのメトロセンター駅近くの、National Theater
3月7日月曜日。午後6時と午後7時半の2回公演。
月曜日夜恒例の、無料プログラムです。

……ああ、書いちゃったよ。
とりあえず、これで背水の陣。
あとは、練習するのみ。



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歌の発表会、終わる

歌の発表会が、本日、無事(?) 終わりました。
もう、細かいことは、何も言いますまい。
舞台では、せいいっぱい歌ったけれど、舞台に上る前に、胸はれるほどせいいっぱい練習してきたか、といえば、決してそうではなく、舞台で緊張してブルブルと震えるほど真剣にこの日まで頑張ってきたのか、というと、やはりそうではなく。
悔いが残るかといえば、ものすごく悔いは残るけれど、じゃあ、今の自分の力でもっと歌えたかといえば、あれが結局、自分の力 (というか、「力不足」) そのまんま、だったんだと思います。

このままではちょっと腹が立つし、悔しいので、
いつか絶対、雪辱を晴らしてやる! 
(……ってどこで?)

本日は家族も聞きに来てくれました。
私が歌い始めてしばらくすると、息子は下を向いたまま、固まってしまったそうです。
隣で夫が 「おい、気分でも悪いのか?」 と案じたくらい。
「だ、だいじょうぶか?」 と小声で夫が聞いたら、息子はこう答えたそうな。

「母ちゃん……顔、変。もう、見るに堪えない……」

曰く、その顔は、

・スターウォーズに出てくるジャバザハット (顎がない) のようであり。
・映画Mask に出てくる、顎がびよーんと伸びる犬のようであり。

発表会の後、家族でレストランで食事をとっていたら、息子は、真顔でぼそっとこう言うのです。

「母ちゃん、顔って治らないの?」

………。
絶句。
なんか、情けないのを通り越して、涙が出るほど笑ってしまいました。
とほほ。

さらにさらに。
息子がしばらく考えた後、
「あ、母ちゃんの歌う時の顔って、アレとそっくり!!」
と言い出した。
その アレ とは、今年の息子のハロウィン仮装用マスク。








mask.jpg


しばらく、立ち直れません。
でも、私としては、顔が変なのは、もう、元々の部分もあるので、あきらめがつくとしても、
もっと素敵な声で歌いたかったなあ。
これはもう、ほんとに、正直な思い。

歌いたい方向も、歌いたい響きも見えてたのになあ。
その方向すら向ききれなかったような、そんな反省が残ります。
まあ、初めての歌の発表会だったし。
気持ちを立て直して、また、頑張ろうっと。
そう。
女40代、どこまでもどこまでも、前向きなのさ。

それはそうと。
先日のエントリー「おことわり」については、あれこれメールやコメントなど、ありがとうございました。
ブログを閉じるわけでも、息子について一切書かないというわけでもありません。
ただ、息子のプライバシーをどんな風に考えながら書いていけば良いのか、この1年ぐらいかけて、少しずつ模索していってみようと思います。
秋の野球についても、先日アップして、その直後に削除した内容を、きちんと精査したうえで、もう少し簡単にまとめたものを、トライアウトの結果も含め、きちんと再アップしたいと思っています。

いろいろなことがあったけれど。
今は野球に心から感謝しています。
2年前、野球は息子にとって、この国へのドアでした。
今、野球は、たぶん、息子を色々な形で成長させてくれる、かけがえのないものなのだと思います。
それはもう、親にはとうていできない、そんなものなのだと思います。
「親にしかできないことがあるのと同じように、親だからできないことがある」 が持論だったのですが、まさに、野球は、「親だからできないこと」 を息子にもたらしてくれているんだな、と。

またやるのか、発表会>じぶん。

ピアノの発表会の前は、いつも後悔した。
「ああ、どうして、出ます!なんて言っちゃったんだろ。やめりゃ良かった。こんな苦労するなんて。だいたい楽しむために始めた趣味で、なんで、こんな思いをしなきゃならんのだ。ああ、私ってなんと、アホなんだろ~っ」 と。

それなのに、人間は考える葦である前に、繰り返す葦なんだろーな。
また、やってしまうのである。発表会。
それも今度は、声楽。ソロ。
ははは、逃げ場はもう、ありません。

曲は2曲。
以前、ああだこうだ書いた、ヘンデルの Lascia ch'io pianga。
で、次にサウンド・オブ・ミュージックから Climb Every Mountain。
「ちょっと待て。イタリアの古典と、アメリカのミュージカル。いくらなんでも、節操なさ過ぎではないか」 と思われた方はきっと正しい……。
でも私の中では、「囚われの身の信仰の篤い女性が、自由に恋い焦がれ、神に祈る」 という Lascia ch'io pianga と、「あきらめず、すべての山に登りなさい」 というClimb Every Mountain は、言語も違えば、時代も違うというのに、「問いと答え」 という形で結構完結できてるのよね。

だからとりあえず、現段階ではこの2曲を、違和感なく、同じ気持ちで、でも別の居場所から、歌えています。

ただし、歌自体 (というか、発声および響きやら呼吸やら、イタリア語の発音やら、つまり歌に絡むあれこれ全部) は、「多少難あり」 ではなく、「多いに難あり」 で、これはもう、あと10日ではどうにもなりそうにありません。
ははは。そうなんです。
あと10日しかないのねえ。

特に1曲目のイタリアものは、難物です。
あれこれ試してみたけれど、結局落ち着いた結論はこれ。

「正しい姿勢で、正しい呼吸で、正しい発声で、ていねいに歌う」 プラス 「常に息の流れや響きの流れを止めない」 の基本をがちっと固めることでしか、とうてい表現しきれない世界があるらしい。

気持ちが先走っても、ちっとも伝わらないし、下品になるし。
哀しみと、信仰心と、誇りと、喜びと、苦しみと、確信とを、同時に表現するなんてことが、人間にどうやれば可能なのかよくわからんけれど、この曲はつまり、どう考えても、そういう曲なんですよね。

ピアノの発表会の前には、ピアノがピアノであることを嘆いていたように思う。
「会場のピアノが、練習してるピアノと違うなんて、なんてハンディーを負った楽器なんだろう」 とか。
でも、今から考えたら、なんと愚かだったんだろう。
ピアノは、まだいい。
私が風邪をひこうと、緊張しようと、何をしようと、楽器はちゃんと音を出してくれるもの。
声は怖い。
ある朝、突然声が出なくなってたらどうしよう……、なんてことを、時々想像しては、一人びびっている。
もっと怖いのは、緊張することだ。
緊張すると、人間の声帯って、手巻き寿司の海苔がべたっと喉の奥に張り付いたみたいな感じで、どうにもこうにも動かなくなる。ほんとに冗談じゃなく、声がべたっと出なくなる。
一度、コーラスの舞台でアンサンブルをやった時、そのような経験をしている身としては、ましてソロの初舞台となった時、自分がどこまで緊張するのか、想像するだに恐ろしい。
もはや、未体験ゾーンだ。

まあ、それでも。
40代で、未体験ゾーン に挑戦できる人生って、きっと幸せなんだろうな。
 

声楽レッスン覚え書き Lascia ch'io pianga編

Lascia ch'io piangaに悪戦苦闘中。
どうも、これは1カ月とかの単位でじっくり取り組もう、という気持ちになっている。
この曲に関しては、昨日が2回目のレッスンだったのだけれど、1回目からして、なんというか、「なはは」状態だった。

ああでもない、こうでもない、と、Lascia ch'io pianga の歌詞の意味を調べまくって、音源を聞きまくって、自分なりのイメージをすっかり作ってしまって、こういう響きで歌いたい、という地点も薄らボンヤリと見えていて、でもそこに到達する技術はとうていなくって、ああ、仕方ないから、もう、躊躇せず、思い切り歌いましょ~~、というのが1回目のレッスンでの出来事だった。

歌い終わったら……。
きっと、あれは間違いない。
先生は、あきらかに困っていた。
一言、「えっと……。音によって、色々なポジションで歌ったりしてしまっているので、コンコーネでやっていることを忘れずに、同じ発声で歌えるようにやってみてください」。
困っている顔を見て、「ああ、またやってしまった」 と思った。
東京で習っていたピアノの先生が、同じ顔をよくしていたから。

ピアノ曲の場合はこんな感じ。
新しい曲をもらう。
うれしくて、舞い上がって、興奮しちゃって、まともに弾けないくせにCDとか聞きまくって、耳ばっかり 「お腹いっぱい状態」 になって、それでも技術はもちろん全然ともなわなくて。
最初に先生に聞いてもらうレッスンにて、思い入れたっぷりに弾いたら……。
先生はホント、困った顔をして、
「うーん。まあ、歌いたい方向がみえてるってことは、素晴らしいことですよね」 などとフォローしてくれたのだったっけ。
それから、「でも、気持ちを込めるのはしばらくお預け」 というお達しが出て、片手練習、部分練習、あらゆるドリルに、リズム練習。
数週間を経たころになって (発表会の曲なんかの場合、1カ月以上が過ぎたころになって)、ようやく先生から、ゴーサインが出るのだ。

「さあ。もう、おぐにさんの解釈で弾いていいですよ」

そのたび、「ああ、気持ちだけじゃ、何にも表現できないんだ」 と思い知り、訓練と練習の必要性をいたくいたく感じてきたわけだけれど、それでも、新曲をもらった時の、それも、すごく好きになってしまった曲をもらった時の喜びというのは、何にも勝るもので、結局、新曲をもらった時の最初のレッスンでは、またしても舞い上がり、好き勝手に思い入れ、技術の何の支えもない状態で、気持ちに任せて弾いてしまう。
何度も同じことを繰り返してきたのよね。

でもって、先日のLascia ch'io pianga の一回目の、声楽のレッスン。
まさに、同じ 「困った顔」 の先生が目の前にいたのだった。
ああ、先生、ごめんなさい。
あたし、ちゃんとやりますから……。

それから、2週間。
とりあえず、ピアノの時にやったことを思い出し、やってみた。
練習時間は圧倒的に不足していたのだけれど、必要なことを順番にやってみたつもり。

いったん、音源を探して聞きまくるのはやめ、発声練習をできるだけ丁寧にやり、発声とコンコーネをやらずに Lascia ch'io pianga をまず歌う、ということを一切禁じ、コンコーネの発声のまま歌えるように繰り返し練習。

あ、の母音だけで歌ってみたり。
子音をはずして、母音だけでレガートを確認してみたり。
ドレミの音階で歌ってみたり。
歌詞で歌う練習まで、なかなかたどり着けなかった。
歌詞をつけたら、途端に、響きが落ちていく感じがした。
これはもう、どうしたことか、って感じ。

それでも、時間はようしゃなく過ぎるわけで。
気づけば、レッスンの朝はやってきたのだった。
そういえば、Lascia ch'io pianga は ABAの曲構成になっているので、最後のAの部分はもっと自由に変化をつけて良いですよ、と言われていたのだったっけ。

あわててネット上であれこれ音源をあらためて聞くのだけれど、どれもあまり気に入らない。
むちゃくちゃ上手な人は、これでもか、これでもか、と装飾しまくって、いやはや見事なんだけれど、そんなこと私がやっても仕方ないし、聞き苦しいだけ。
それで、自分なりに考えてみた。

ABAの最後の部分 (キーはF major)。
一番最初の ch'io を Dの音に乗せて、内に秘めた思いの強さを少しだけ見せる。
でも、次の la dura sorte は変化させない。
ここは、いかようにも飾れる場所だし、多くの歌い手さんが、一気に飛翔しちゃったりすることも多い。そこまでしなくても、sorte だけ優しく飾る手はあるとも思う。
でも、個人的にはやっぱり、ここは、「あれれ」 と思うくらいシンプルに歌うほうが、辛い運命をもはや受容しつつある、信仰心の篤い女性を表現できるんじゃないかな、と思う。

で、e che sospiri の pi の音でCの音に下ろさず、pi だけGの音に残すことで、「溜め息をつくようなあこがれ」 に何か、もう少し意志の強さと信仰心に裏打ちされた確信のようなものをこめる。

で、次。
e che sospiri, eche sospiri とたたみかけるところは、ははは、実は朝のうちには意志決定できなかった。だから、テキトー。今なお、歌うたび、違う。

ただ、最後のフレーズについては、
やはりここも、la dura sorte を絶対に揺らさず、素直に歌い、次の e che sospiri ではいつものように so の音で上昇するのではなく、 che で上昇しておいて、so は最初からGの音で上から、ありったけの思いをこめて、大事に大事に歌い、あまり無理せず、できる範囲で装飾する。

というところまで、決めたところで、ほとんど練習する間もなく、レッスンへ。
練習不足がたたり、最初に先生の前で歌った時は、ほとんど変化をつける余裕もなく終わってしまった。
ははは、やっぱり、練習したようにしか歌えないもんです。反省。
それでも2回目は、ほぼ思っていたような変化をつけられた。
e che sospiri とたたみかけるところをどうするかを、もう少し検討することが課題かな。

もっと上手だったら、あれこれいじりたい所はもっとあるけれど、やってみたところで、耳に汚かったので、あとはもうやらない。上手になったら、少しずつ付け足すかもしれないけれど。

以下、忘れてしまわないうちに、レッスンの覚え書き。

・Lacia であっても、レガートに。
・Lacia や pianga の後の休符に音楽を創る。(これは意識してたつもりだったけれど、「ぽとん」 と消えるように歌うのでは、他人には何も伝わらないのだ)
・e che sospiri は、so で上っていくところより、むしろ、pi で音が降りるところが大事。ここを不用意に歌うわず、むしろここで音楽を創る。(これは目から鱗だった。この日一番の大発見!)
・liberta を一つの言葉として意識し、大事に歌う。(そりゃそうだ。こんなに溜め息が出るほどあこがれているのが、「自由」 なんだものね)。
・あとはもう、高音を歌う時の発声。力を背中のほうに、後ろに後ろに引っ張る感じ、というのだけれど、どうもこれが体得できてない。これは長期戦。
(あとは発声や発音についても多数)。

ここまで歌ってみての感想だけど。

まず、どうも最初がうまくいかない。
Lacia を祈るように歌いたいのだけれど、La と歌ったところで、自分の声に絶望したくなる。
cia は発音を気にすると、音色が貧しくなり、音色を気にすると、発音ができない。
あと、中間部の中の、pieta という言葉が全然思うように歌えない。
よくピアノの先生が、「思った音色を出せないのは、本当の本当の意味で、目指す音色が頭の中で鳴っていないからです」 と言ってたっけ。
あれに近い状態なんだと思う。
思うように歌えない、のではなく、本当のところ、「何か違う」 ということしか見えないのだ。
前途多難。
でも楽しいから、いいか。

歌いたい音色は見えてるのになあ

声楽のレッスンで新曲として与えられた、Lascia ch'io pianga が、延々と頭の中で響き続けていて、一瞬もお休みしてくれない。
壊れたレコード状態。
あーん、まいった。

そもそも、このヘンデルの歌曲の全体像を、私は見たことも聴いたこともない。
だから、歌曲全体の流れの中でどうとか、位置づけがどうとか、そんなことはちっとも知らない。
それでも、ただただ、歌いたい方向だけは見えてきた。

とらわれの身で歌うこの曲は、実に悲しい曲なのだけれど、それでも神さまと向き合う歌でもあるから、ただただ悲しい、と歌ってはいけないのだと思う。
深い悲しみゆえに、神に語りかけ、でも神に語りかけることで心の平静を取り戻すさまだとか、我が身が解き放たれることへのかすかな希望が、まっすぐに表現されなければいけないのだと思う。

だから、e che sospiri la liberta という何度も出てくるフレーズは、毎回、少しずつ、たぶん、違う。
最初は、鳥が飛び立つように、ひたすらあこがれを歌い込んで。
途中、歌い重ねる部分では、切実な感じで。
でも、間奏を経て、中間部を経て、再び同じテーマに戻ってきた時には、もっともっと神さまに近いところで、もっと純粋な心持ちで、神を信じているがゆえの喜びのようなものを、こんなに悲しい境地にありながら、それでも希望のようなものを、歌い込まねばならないような気がする。

でも、最後の最後には、たぶん暗い洞窟のような、明かり一つない場所に閉じこめられた我が身を再びみつめ直し、それでも深い絶望の底から、小さな小さな光りを見出すように終わらなければならない気がする。

そんな風に歌いたいのになあ。
イメージまで見えているのになあ。
歌いたい音色はもう耳に、響いているのになあ。

いざ自分が歌い始めると、まったく違う地平で 
(それこそ、声がかすれるとか、響かないとか、そういう 「問題外!」 のレベルで)、
悲しいくらい平板で、無神経な自分の声が出る。

まったく~。
Lacia ch'io pianga (私を泣かせてください)、どころか。
こんな私の声をどうにかしてください、と泣きたい気分だ。
カードゲームのポーカーで、カードを総替えするかのように、自分の声を総替えできないか、と思ってしまう。

心の中で響いているのと同じ音色の声が、自分で出せるようになる日なんて、
本当に来るのかなあ……。
楽器相手ではなく、相手が自分の身体だけに、むちゃくちゃ悔しい。

私にイタリア語を教えてください

声楽レッスン、経過報告。
2週間に1度くらいの頻度で、レッスンを継続中です。
そもそも、高校の音楽の授業で習って以来、大好きな曲、Caro mio ben を歌えるようになりたい、ということがきっかけで始まったレッスンだったわけで、何となく、数カ月かけて1曲を仕上げる感じかな~、と予想していたのですが。

なぜか、Caro mio ben は数回で、「40代の大人の女性のカロミオベンというよりは、妙に初々しすぎるけど、まあいいでしょー」 と先生から合格をいただき、気づけば、同じ全音の 「イタリア歌曲集1」 の中から、Sebben, crudele を歌うことになっていたのでした。

非常に研究しやすい展開の曲で、気持ちをストレートに乗せやすい音型でもあるので、

・意訳をチェック。
・逐語訳で言葉と音との関係をチェック。
・Youyubeなどで、ひたすら色々な歌い手さんの解釈をチェック。
・ピアノ伴奏を弾いてみて、自分がどう歌いたいかの確認。
・歌の練習開始。

というステップを、ほとんどつまづくことなくここまでこれたのでした。
もっとも、巻き舌ができないとか、イタリア語の発音がよくわかってないとか、そういう問題以前に、私の場合、そもそもの発声法やら呼吸やら姿勢に問題あり、な状態なので、思ったように歌えるわけもなく、歌いたいように歌えないのが、なかなかツライところ。

特に、先日のレッスンで、「amar という言葉を、そんなに不用意に歌わないで!」 と先生に注意された時は、ひえええ、でした。
そもそも私、感情表現する際に、一切恥かしいとか思わないタイプだし、逐語訳チェックの時、
「やっぱりこの曲は、crudele と amar をいかに大事に歌うかだろうなあ。あとはSempre fedele のたたみかけの具合か……」
などと肝に銘じてきたつもりだったので。

こ、これでも足りませんか……??
もしかして、イタリア人の愛って、むちゃくちゃ、濃い?

昔は、結構 「濃い恋愛」 タイプだった私も、もはやそんな世界から足抜けして○年だからなあ。
歌えるか、ちょっと自信ないのでありました。

それはそうとして。
Sebben, crudele の 「濃い恋愛」世界だけでも、せいぜい、私には重たいわけですが、なんと、先生は、「せっかくだから、もう1曲、やりましょー」 って。
ふええええ~ん。
それが、今回新曲のヘンデルの Lascia ch'io pianga 。
たぶん、どなたも聞けば、「ああ、あの曲!」 って感じの有名な一曲です。

それほど、胸にぐぐっと来ない曲だったら、私の場合、次のレッスンであっさりと、「センセー、私に2曲は無理です。Sebben, crudele で十分に重いので、これだけ今回も練習してきました」 と先生相手に言ってしまえる私なんですが。
これほど、むちゃくちゃ美しい曲を前にして、それに抗えるわけもなく。
ああ、私はすでに骨抜き状態。
絶対に歌えるようになりたい、とまたしても、この曲に取り組み始めたのでした。
おかしいなあ、Caro mio ben を歌えればそれで十分、と思ってたはずなのに……。

で、またまた、

・意訳をチェック。
・逐語訳で言葉と音との関係をチェック。
・Youyubeなどで、ひたすら色々な歌い手さんの解釈をチェック。
・ピアノ伴奏を弾いてみて、自分がどう歌いたいかの確認。
・歌の練習開始。

と、いつもの通り、曲を調べ始めたのは良かったんだけれど。
逐語訳でつまづいてしまった。
ネット上には、意訳はあふれているけれど、今ひとつ、一つひとつの言葉の意味が分からない。
特に、

Il duolo infranga queste ritorte
de' mei martiri sol per pieta.

の部分がダメ。
ネットなどでの意訳は「私の悲しみの鎖を打ち砕くは 哀れみだけ」とかになっ
ています。
martiriは殉教者、pietaは哀しみ、かな。
ならば、infranga や queste や ritorte は?
言葉の意味が分からないので、歌えません。

おまけに、youtube であれこれ、片っ端から聞いてるわけですが、時々、グチャグチャっと心に入り込んでしまう声があって、気づけば、楽譜みながら聞いていたはずが、ボロボロと泣いていたりするわけで、なんか全然前に進めません。

とにかく、現時点での、この曲への感想。
sospiri という歌詞の部分 (特に3連符で上昇するところ) が思ったように歌えたら、たぶん、自己陶酔してぶっ倒れる気がするわ。
もっとも、そこまで歌えるようにはきっとならないので、ぶっ倒れることはないでしょうが。

声楽のレッスン・覚え書き1

コーラスは実に楽しい。
響きが重なるのも、重なったところに、不思議と別の響きが生まれるのも、聞いていて、ほんとに不思議な世界だと思う。
どうして、3声の音色を重ねただけで、5重も6重もの膨らみが生まれるのか、そういう仕組みはちっとも分からないけれど、でも、そんな風に音色が膨らみ、震え、広がっていく瞬間があって、あれは絶対に一人ぼっちでは到達できない世界なんだと思う。

生まれてこのかた、「誰かと一緒に何かやる」 ということにことごとく失敗してきた私には、この喜びって、かなり新鮮なのだった。
おまけに1年半近く一緒に活動してくると、仲間の一人ひとりにもものすごく愛着が沸くってもので、誰かの送別会に号泣したり、同じ舞台に立てることの幸せにクラクラしたり、ちょっと調子が悪い時に誰かのそばでその人の声を聞いているだけで心が落ち着いたり、そういう世界が広がってくる。

もしかして、中学生とか高校生が体育会系の部活なんかをやると、こんな境地にたどりつけるのかしらん。
私は40歳過ぎて、初めて、こういう世界を知った気がするのだった。

そんなわけで、もう一歩、歩みを進めてみることにした。
どうせなら、ちゃんと自分も歌えるようになりたい、ということ。
響きを耳で楽しんでいる時、自分のささくれだった声を聞いて、悔しい思いをするのはもう嫌なので。
あるいは、自分なりに音楽性を表現しているつもりで、全然周囲と溶け合わない声を出すのは、もうやめてしまいたいので。
名付けて、「私もちゃんと上手になりたいぞ」計画。
コーラスの先生に、個人レッスンを受けることにしたのだった。

初のレッスンでは、主に、発声練習とconcone。
目標は、とりあえず、高校生の音楽の教科書に載っていたイタリア歌曲の 「Caro Mio Ben」 が歌えるようになることだ。へへへ、高校時代から、歌い始めて四半世紀のこの曲。
ああ、何度、酔っぱらって大声でうたっては、周囲にひんしゅくをかったり、友人をなくしたりしたことか。生後6カ月の息子を連れ、スペインに行った時、アンダルシアの海岸で、波の音にまぎれて歌ったのも、この曲だったっけ。

発声練習でまず、自分の欠点がはっきりした。
レガートに歌えない。
音程にこだわるあまり、一つ一つの音程を歌ってるだけで、音階を歌えない。
これに、姿勢やら呼吸法の難が加わり、なんかもう、身体はバラバラ。

Conconeでは、この欠点が、さらにさらに明確になる。
ドレミファソラシドでまず歌う。子音の処理が下手。母音の響かせ方がなってない。一つひとつの音をうまく歌いきれずにいるだけで、すでに頭が大混乱しているのに、これをレガートで、息の流れを変えないように、一本のまま歌いきらねばならない。
これは困った。

合唱では、みんなと響きを合わせることに主眼を置けばよかったから、それぞれの音域で少々、響かせる場所をかえたり、なんというか声の出し方を変えても、とりあえず、みんなで響いていれば良かったんだと思う。
でも一人で歌うということは、この部分が許されない、ということなんだなぁ。
これは新しい発見だった。

とにかく、Conconeをドレミの音階で歌っているあいだじゅう、「ドとかレとかミとか子音や母音を気にするだけで精一杯なのに、ここに呼吸だの、響かせる位置を変えないだの、音色だの、レガートだの、全部を気に掛けて歌えるわけないじゃん! 全部、『ア』 で歌えれば、楽なのに!」 と思い続けていた。

そしたら先生が言った。
「では今度、全部 『ア』 で歌ってみましょう」

絶対に、そっちのほうが簡単だと思っていたのに。
信じられないことに、「ア」 では歌えなかった。
響かせたいところが響かない。
もどかしいくらい声が出ない。
いったい何が起こったのか、と思った。
ただただ、発声練習みたいに 「アーーー」 って歌ってるだけなのに。
ア だけでフレーズを大事にしたり、レガートで歌ったり、響きを大事にしたりするのが、ここまで難しかったとは!
「子音なんてなんと面倒なんだろう」とか、「母音がころころ変わるのってなんと難しいんだろう」なんて思ってきたけれど、実はなんてことない、私はこれまで結局、子音や母音の変化に頼って、文字通り口先でごまかして歌ってきただけだったのだ。
ああ、愕然!

欠点がそのまま、見えまくる。
絶望的なくらい、薄っぺらい、私の 「ア」。
途中で嫌になって、やめたくなったほど。
いやはや、恐るべき 「ア」 の世界……なのだった。

やっぱり、きちんと、基礎から正しい呼吸、姿勢、発声を学ぶことが大事なんだなあ、と痛感した。
思えば、Caro Mio Ben に初めて出会ったのは、高校時代の音楽の授業で、このころ、私の高校には、バリトンの声楽家、金丸七郎先生がおられて、この授業というのが飛びきりおもしろかった。
やっぱりホンモノの先生の授業は、かくも楽しいのか……と、私はこの先生の授業に、ハマった。
だからって、何も、四半世紀も、この授業で習った曲を、酔っぱらうたびに思い出し、歌わなくてもいいのにね。

Caro Mio Ben とか、椿姫の中で父親が「プロヴァンスへ帰ろう」と歌う曲(曲名、忘れた)とか、フィガロの結婚の「ヴォイケサペーテ」(たぶん曲名は「恋とはどんなものかしら」。自信なし)とか、ほかにも、曲名は全然思い出せない曲多数。でも、今も歌える。
ああ、三つ子の魂百までも。
無性に懐かしくなって、金丸先生の名前をぐぐりまくってしまったら、あら、見つけてしまった。
NHK文化センターの大阪教室で、こんな講座や、こんな講座を指導しておられる。
そっか、金丸先生、高田三郎さんの作品の指導をされてるんだ、と思ったら、これまた不思議なご縁だなあ、としみじみしてしまった。
私も去年、今年と、今のコーラスグループで、コーラスの先生に高田さんの作品をご指導いただいていたものだから。
音楽のご縁というのは、たいてい、こんな風に、ぐるぐる回って、どこかで一つにつながって、そういう偶然みたいな出会いにいつも励まされたり、心を打たれたりするもんなんだ。

それはそうとして、レッスンに話に戻ると。
最後に、この、いわくつきの、Caro Mio Ben も聞いていただいた。
歌い継いで早四半世紀。強弱記号の隅から隅まで暗譜している曲でも、大事にしてきた曲だからこそ、ちょっぴり緊張したりするもんだ。

思ったようには歌えなかったけれど。
何より収穫だったのは、「思ったような歌い方」 以前に、もっともっと細かく大切に歌っていくべき点が、山ほどもあって、それを一つひとつ埋めていくことで、「思ってなかったような歌い方」 がきっと見えてくるだろう、と思えたこと。

毎日、声を出していたなら、呼吸を意識しながら暮らしたなら、乗り越えられるのかなぁ。
ピアノにはまっていたころ、「声楽っていいよなあ。相手は楽器ではなく、自分の声や身体なんだから、もっと自分の思い通りに響きを自在に表現できるだろうに」 と思ったことがあったっけ。
ああ、なんと浅はかだったことか!
ピアノは、私がどんなに下手でも、風邪をひいていても、すくなくとも決まった音程で、音を出してくれるもんね。
声はとても、そういうわけにはいきません。
自分の思い通りにならない身体に対するいら立ちというのは、ピアノを前にして思い通りに動かない指に対するいら立ちの、何というか 3.8倍くらい大きい感じ。
3.8、という数字には意味がないんだけれど。
つまり、小数点で表現したくなるくらい、なんとも情けない気分になっちゃうのであります。


初のトリオ体験

コーラスの秋の舞台は、DCでは由緒ある(というか、古い、というか)、ナショナルシアター。
といっても、おおお、ナショナルシアターかぃ? と驚くほどのことではなくて、
ナショナルシアターの中の、ヘレン・エイズという有名な女優さんの名前をいただいた小さなギャラリー(お客さんはせいぜい入って100人くらい)で、毎週月曜日の夜に行われている、無料プログラムに、登場させてもらったのだった。

曲目は、里の秋、紅葉、雪、など季節の日本ものと、アメリカの昔ながらの曲など。
ただし、今回の舞台が、私にとって、全然重みが違ったのは、今回、初めて、ほかの仲間2人と私の合計3人で、人前で一曲歌うことになっていたから。
曲は 「村の鍛冶屋」。
3声のそれぞれのパートの音の上昇下降がとても激しく、テンポも次々と替えていく編曲で、おまけにアカペラ曲なので、いったん誰か一人の音がずれていくと、ハーモニーの響きを聞きながら微調整する作業がとても難しくなる曲なのだった。

今回一緒に歌った相手の2人というのが、ソプラノの方は大学で声楽を学んだ方だし、アルトの方は小学生のときから合唱団に所属し、大学でも全国に名の通った大学合唱団にいた方。メゾソプラノの私だけが、ほんと、ずぶの素人で、発声も呼吸法も立ち方も、何から何まで、いやになるほど素人で。
どうなることやら、と練習を始めたものの、なんかもう、歌を歌うこと自体が嫌いになっちゃうかも……と思うくらい、精神的にはきつい思いをさせてもらったのだった。
おまけに、舞台までの日々に、次々に起こる事件……。

事件1: 声帯が腫れ上がる

発声自体が正しくできてないのに、頑張りすぎて、ある時、まったく声が出なくなった。これは先生の個人レッスンを受けて、発声を修正することで、改善されたけど、一時はほんと、しゃべるのもつらいほど声が出なくなったのだった。これが舞台の3週間前。

事件2: 息子が風邪をひき、発熱

舞台の1週間前、いきなり息子が風邪をひき、発熱。私はその看病で、最後の練習を欠席する羽目に。「今、熱を出してくれたら、舞台の日にいきなり息子が再び発熱することはもうないだろう」 と思いつつも、「このタイミングで私が息子に風邪をうつされたら、見事に舞台に重なってしまう……」 と脅え、お友達が日本から取り寄せたというマスクを譲っていただき、マスク生活を送り始める。

事件3: 深夜に国際電話でたたき起こされる

息子の熱が引いた後、まさに舞台5日前。
絶対に風邪をひいてたまるか、とマスク着用で早寝早起きを敢行していたのだけれど。
夜中1時半、いきなり携帯電話が鳴って起こされた。見れば、日本から。
「もしもし」と出てみれば、元職場の上司で、「あれ? もしかして、寝てた? あー、そうか、時差を忘れてた」。
元上司だし、懐かしい声でもあるし、丁重に対応し、電話を切った。 「この前メールを送ったんだけど……」というような用事。半日以内にお返事してますけど、と申し上げると、「え? じゃあ、俺が間違えて消しちゃったのかも。最近、エッチメールが多くて、件名でどんどん削除してるもんだから」 という返事。ちなみに私が送ったメールの件名は、「ファックスで」 でした。
ファックスでエッチはできないと思うが。
電話を切って、ようやく寝入った午前2時半。再び電話でたたき起こされた。
驚くことに、またしても、私が元いた新聞社の今度は出版局から。
これまた、日本ではさんざお世話になった方だったので、その声は懐かしく、少し助言などもしてもらい、そのまま電話を切った。
しっかし一晩に2件も、それも同じ会社の人から、「時差をうっかり忘れて」 電話がかかるって、これどうよ? 古巣の会社が妙に心配になった夜。

翌日は、「まいったよー」 とさんざ笑い話にして済んだ。
「二度あることは三度ある、と言うけど、まあ、夜中の電話が2本で良かったよ」 なーんてオチを付けながら。ところが、「2度」 じゃ済まなかったんだ。

翌日の夜中、今度は4時半に、またしても、前夜かけてきた出版局の、今度は後輩女性記者から電話。
開口一番、「あれ? また早朝でしたか?」。
「また」 というあたり、昨夜掛けてきた先輩記者がきっと彼女に、「俺、なんかとんでもない朝早くとかに電話しちゃったみたいだから、時差には気をつけてね」 などと助言したんではなかろーか。それで、この女性記者は、時差を調べることなく、単に、先輩記者より2時間ほど電話する時間を遅くしてみた、ってことだったんだろう。
この女性記者の運が悪かったことには、この 「時差無視電話」 が、彼女にとっては1度目であっても、私にとっては 「3度目」 だったということ。さらに、前夜よりもこの時の私はずっと体調が悪く、風邪を引きかけたのか、身体の節々が痛く、絶対に十分な睡眠を取りたかった夜だった、ということ。おまけに、夜中の電話で家族中が起きてしまい、家族から責められながらの電話だったということ。
ついつい、「電話はこちらの午前9時から午後9時までにしてください。つまり日本時間の……」 と説明しようとするが、なんかもう、気持ちが萎えて、おまけに寝ぼけていて、計算ができない。ぼーっとしていたら、電話の向こうの彼女があわてて、「こちらで調べます!」と言った。
そりゃそうだわ。

そんなわけで布団に再びもぐりこんだが、氷点下の夜に冷たくなった足が温まるわけもなく、おまけに、「こんな3本の電話のせいで、風邪をひいて、舞台に立てなくなって、代役の人に迷惑かけたり、みんなに迷惑かけたりしたらどうしよう」 と思ったら、不安と怒りとでもう朝まで寝られなくなってしまったのだった。
怒りだの不安だの、こういう負の感情が、人間の自然治癒力を弱めるのだから、ポジティブシンキングでいかなきゃー、とか思うのだけれど、だめねー。
ほんと、ああなると一睡もできないんだから、私も神経細い細い。
自分であきれてしまったわ。

まあ、そんなこんなで、一つ間違えたら舞台に立てなかったわけだから、無事に舞台に立てたことだけでもう、周囲のみなみなさまに心より感謝、感謝、というわけです。

初のトリオ体験はどうだったって?

2回公演だったのだけれど、1回目は久しぶりに本気で緊張した。
ピアノの発表会の時以上に緊張したかも。ピアノは、私が緊張しても、ちゃんと音が出てくれる。でも、声って怖い。緊張すると、声帯がはりついたみたいにカラカラになって、声も出ない。それどころか音程まで狂うのねえ。生まれて初めての体験に、本気でびびりました。
さんざんの出来だった1回目の後はもう、開き直ってしまって、「2回目は緊張する気がしないわー」 などと思ってたら、なぜか不思議と2回目は緊張しなかった。
会場にたくさんの子連れのお客さんが来てくれて、子どもたちに歌いかけようと意識したら、なぜか緊張が消えていった。少なくとも、気持ち良く歌うことができた。
1回目が、普段の2~3割の出来だったとしたら、2回目は8割は行ったかな、という感じ。

まあ、色々あったけれど、帰宅して、うまいビールをぐいと飲んだら、あとは失敗はすべて忘れて、すべて、めでたしめでたし。
今朝はもう、「前を向いて歩こう」 という気分です。

ジョイントコンサートを終えて

昨日、日本から来られた合唱団との合同コンサートがあった。
昨年末に、こちらの合唱団に入れていただいて以来、約半年近く、このジョイントコンサートを最大の目標にみんなで頑張ってきたものだから、終わった時にはもう、涙と抱擁、というような具合となり、一夜明けた今日はもう、なんだか気持ちが抜け殻状態、なのだった。

今回は、色々と悩んだことも多かった。
これまでの私の習い事は、一人で時間のやりくりが可能なものばかりだったから、仕事を抜け出したり、睡眠時間を削ったりしながら、どうにかしてきた。仕事を抜け出した時は、その分、夜中に自宅で帳尻を合わせば良かったし、そういう意味では、息子との時間を大きく削らなくても済んだのだ。

でも、今回の合唱は違った。
一人でどんなに練習したところで、目指すべき場所には、みんなと練習しなければ到達できない。
合唱の難しさは、そこにある。
週に1度の平日の定期練習も、別の平日にやるパート練習も、自分の都合をどうにかすると参加できたが、メリーランド州側とバージニア州側との合同練習だけは困った。日曜日の午後を丸ごと使った練習だったから。

息子は土曜日に補習校に通っているので、私たち家族にとって、日曜日は唯一、一緒に過ごせる貴重な日だ。まして、このブログにも何度も書いているように、渡米後の息子はとても不安定で、ストレスをためていて、日曜日の家族デーにエネルギーを充填しては、どうにかこうにか次の1週間を乗り切っているような状態だった。
だから、とても、息子との日曜日を捨てて、合唱の練習に行く、という選択はできなかった。

日本では、週に1度はベビーシッターさんを頼んで、飲み歩いたり、コンサートに行ったり、遊び回っていた 「悪妻・悪母」 の私だったんだけど。
あれは、やっぱり息子が安定していて、赤ちゃんの時からお世話になっているシッターさんとの信頼関係もバッチリだったゆえに、成立していた暮らしだったんだな。

そんなわけで、合唱団の中では新米の身でありながら、肝心の合同練習にまったく参加できない日々が続いた。
今の状態の息子を残して、日曜日に家を出る選択は、どうしてもできなかったからだ。
迷いに迷った挙げ句、私の合同練習への欠席が問題になったら、その時は舞台をあきらめよう、と気持ちを固めた。
いわゆる「舞台」とか「本番」とかへの執着心は、とことん強い方だと自分でも自覚している私だから、そういう結論を出すまでには、実は結構悩んだ。

それでも。
仲間を見回せば、私だけでなく、色々な人が色々な事情を抱えていた。
事情を抱えながら、何かを犠牲にしたり、無理したりしながら、必死に時間と気持ちを持ち寄って、練習しているのも分かった。
だからいつも後ろめたかったし、申し訳なかった。
中途半端、と言われれば、それは事実には違いなく。
でも、誰もそんなことは言わないわけで、結局は自分で自分に 「中途半端ではないか」 と言ってしまい、その言葉に自分で思い悩むような日々が続き……。
つまり、自分の中で、気持ちにうまく折り合いを付けられなくなっていたんだと思う。

何がつらいといっても、合唱というのは、自分一人で練習するだけでは、どんなに努力してもうずめられないものがある、ということが、ものすごくつらかった。
誰かと一緒に何かをする、ということは、こういうことなんだな、と思い知らされた。
つくづく、そういうのに向いてないな、とも。
「みんな」 で創り上げる喜びは、もちろん、まぶしいくらい感じられたけれど、その過程で何度、「みんな」 の難しさを痛感したことだろう。

色々な人の助けを受けて。
色々な人の支えを受けて。
色々な人の許しも受けて。
そして、家族の応援も受けて。

それでも、一度はあきらめた舞台に立つことができた。
それは、本当に本当にありがたいことだった。

私自身はちっともうまくないのだけれど、周囲の美しいハーモニーに包まれて歌い、下手なりにそこに溶け込み、一部になっていくプロセスが、ものすごく感動的なんだということも知った。

「みんな」 はしんどかったけれど、
「みんな」 は難しかったけれど、
一人では届かない何かに、触れることができるんだと知った。

ほかにも、心に残ったことはいろいろ。
大好きな嶋田先生のレッスン。
香織先生のピアノ。
日本から来られた合唱団の、舞台本番のものすごい集中力。
日本から来られた友清和親先生に、本番前の2日間、レッスンをつけていただけたのも、とても貴重な体験だった。なにしろ、友清先生は、「水のいのち」の作曲家、高田三郎先生から直接学んだ方。そのレッスンは、高田先生の生きた言葉がいくつも散りばめられていて、とても心に残るものだった。

でも。
課題だった 「みんな」 には、今一歩及ばず。
ここのところが、今回の宿題。

ケネディーセンターで歌います~

怒濤の少年野球ネタで、息子とともに泣いたり笑ったり大変だったこの週末ですが。
ちらりと書いたように、私の合唱人生も少しずつ前進しているのです。
そしてとうとう……。

4月4日(金)、ワシントンDCのケネディーセンターで歌います!

ケネディーセンターには、ミレニアムステージという大きな会場があって、ここでは毎日、午後6時から市民向けに無料プログラムが行われています。
初めてこのステージを見たのは確か、去年のクリスマス前の管楽器コンサート。
なんと、このコンサート、管楽器をやってる人ならば、アマチュアでも、下手でもOK。午後3時に集まって、リハーサルで練習したら、誰でも参加できる、という舞台でした。

見るより、演奏するほうがずっとずっと楽しそうで。
「ちくしょー、来年、どうにか参加できないかしら。管楽器なんか、やったことないしなあ。息子のリコーダーか何かを持参しても、入れてもらえないよなあー」
などと本気で思ったものでした。

そういう意味では、アマチュア音楽家に門戸を開くこのステージ、私にとってはあこがれの場所だったわけです。
そこに立てるなんて、もうそれだけで、アメリカに来て良かった、というもの。

合唱を始めて3カ月。
スポーツも音楽も基本的に個人競技が好きで、団体でやるものにはものすごい苦手意識があったのは、以前にも書いた通り。
でも最近、この、「みんなと」 というのが実に楽しいんですよね。
少しずつ、「みんな」 といても心地よい自分に気付くようになってきました。

いわば、「40歳にして、性格改善」 ですな。
ははは、いやいや、反省します。

このブログ、最近は在米の日本人の方も結構読みに来てくださっているようなので。
一応、ここでも宣伝しちゃおうっと。

これが4月4日(金)のケネディーセンターのプログラム
こちらが、ケネディーセンターのHPにある私たち合唱グループの説明

よかったら聴きに来てください。
プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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