新聞記者でした。「行って、見て、書く」ことを大切に、現場を歩いたり、人と出会うことで、心の中の「?」が、ちょっと背伸びして「!」に変わっていく瞬間を、できるだけ毎日、書いてみたいです。(小国綾子)

トライアウトの結末

気づけば、息子の野球チームのトライアウト (10月31日) から、なんと3週間が経とうとしている。
って、まだ、3週間なんだ……。
溜め息が出るほど、実は我が家にとって、本当に長い、長い3週間だった。
トライアウトの結果がどうだったか。
心配してくださっている方もいるだろうから、きちんと書いてみようと思う。

12人の枠に24人の参加と思われたトライアウトが、実は、めぼしい選手が集まらなかったために、別日に補強用の選手を集めて行われていたらしいことも、先日のエントリーに書いた。
一方で、チームを主催するBCCが、これまでの Hurricanes とは別に、トラベルチームをもう1チーム立ち上げられないか、と画策している噂も聞いていた。
だから、なんとなく、私も夫も、すでに結果は覚悟していた。

トライアウトから1週間後の土曜日の朝、結果がウェブサイトに発表された。
息子は、合格していたか。
イエスでもあり、ノーでもあった。
つまり、Hurricanes のメンバーとしては選ばれなかったが、もう1チーム新たに作られるトラベルチームのメンバーとしては選ばれていたのだった。

私と夫にとって、その結果は決して悪いものではなかった。
むしろ、考え得る最善の結果とも思えた。
今の Hurricanes にいる限り、息子はどんどん自信を失うだろう。
プレッシャーでつぶれかねない。
もはやこのチームの主力選手と息子の身長差は、15センチにも広がっている。
パワーも全然違う。
来春以降も、このチームにいたならば、チーム自体がいくらトーナメントを総なめし、いくつトロフィーを手にしたとしても、息子の苦悩はさらに深まっていく可能性があった。

しかし、BCCのトラベルチームプログラム自体には、若干の未練があった。
なぜなら、プロのコーチがついてくれるからだ。
どうせアメリカで野球をできるのもあと1年限り。
それならば、本人がやりたいところまで、応援してやりたかった。

そんなわけで、新しいチームのメンバーに選ばれた、というのは、春からの息子にとってみれば、決して悪い結末じゃないはずなのだった。
そのメンバーの中ならば、再び主力選手になれるかもしれないし、これまで通り、プロのコーチにも教えてもらえる。
「よかったじゃん」 
そう言いかけて、息子の顔を見て、私は黙り込んだ。

息子は全身で、トライアウトの結果に耐えていた。
打順最下位に落ちようと、それでも彼にとっては、今の Hurricanes こそが居場所であり、そこのメンバーだけが自分のチームメートだった。春からも、そのチームで、みんなと一緒に野球をやりたい。
そう思ったからこそ、悩んだ末に、自分で、トライアウトを受けることを選んだのだ。

私たち親にとっては、「合格であり、不合格でもある」 というトライアウトの結果は、
息子にとっては、正真正銘の 「不合格」 でしかなかったのだろう。
新しいチームでは、「やるかどうか分からない」 という。
「やりたくない」 でもない。
「やらない」 でもない。
自分でも、どうしていいのか分からなかったんだと思う。

息子はしばらく部屋に閉じこもり、出てこなかった。
夫は何度か息子の部屋のドアまで行って声をかけたが、それ以上に言葉を掛けることはできなかった。
結局夫婦してできたことは、待つことだけだった。

1時間くらいして、息子は部屋を出てきた。
バッティングセンターに行きたい、と言った。
最近新しくできた、札幌ラーメンの店でラーメンをすすったあと、家族でバッティングセンターに行った。

息子は、いつもと同じように100球ちょっと打って、家に帰る時には、憑き物が落ちたみたいに、さっぱりした顔をしていた。
「で、どうするの? 新しいチームでやるの?」
さりげなさを装って尋ねたら、
さも当たり前といった表情で、息子は即答した。
「うん、やるよ」

野球ってすごいな、とこんな時、思わずにいられない。
野球はいつも、息子に、親では絶対に与えてやれないものを、与えてくれるのだ。

後日、息子は夫に言ったらしい。
「なんか段々、ザックの球を打ちたくなってきた」
ザックは、Hurricanes のエースで4番。
息子より15センチ身長が高いヤツだ。
チームメートの中で一番仲良しの相手でもある。
新しいチームに入れば、春からカウンティーのリーグで何度か対戦することになる。
本当は、かつて自分がいたチームと、チームメートと対戦したくない、と常々言うような子だったのにね。

息子はそれから数日後、シーズンオフをどう過ごすか、放課後用の予定表を自分で作った。
学校と塾の宿題をこなしつつ、週に2回、プールで泳ぎ、週に1〜2回、バッティングセンターに行く。
もちろん、毎晩素振りは100回だ。

三日坊主の代表格みたいな私としては、「どうせ私の子どもだもん。こんな予定表通り、できるもんか」 とたかをくくっていたのだけれど、とりあえず、2週間、完璧にやり遂げている。
これにはちょっと驚かされた。

そのうえで。
息子にはなかなか正直に伝えられない心配事があった。

去年のトライアウトの後、一時は2チーム作られるはずだったのが、選手が足りず、1チームしかできなくなったせいで、ひとたび合格となっていたチームメートのタイラーが、結局、トラベルチームをあきらめざるをえなくなったことがあった。
残酷な結末」 というタイトルでブログにも昨年、書いた通りだ。
今年も同じ結末が待ち受けていないと、誰が言えよう。

Hurricanes に選ばれなかった現役選手は、息子のほかにもう一人いた。
アズラだ。
アズラのママは、「Hurricanes はプレッシャーがきつすぎる。息子はもはや野球を楽しめなくなっている。トライアウトに受かっても、やらせるかどうかわからない」 なんて言っていた。
今回、トライアウトの結果が発表になった後、すぐにアズラの両親に連絡を取った。
今後のことを話し合いたかったのだ。
しかし、アズラ一家の答えは……。
「新しいチームにどんなコーチが来るかわからないし、どんな監督が来るかも分からない。もう、あんなプレッシャーを息子に掛けたくない。息子自身も、それを望んでいない」

いよいよ、新しいチームの未来は暗くなった。
アズラがピッチャーをやらないで、誰がやる?
息子は、アズラと2人で頑張るつもりになっていたのに。

息子に 「アズラはやらない、って。トラベルチームのプレッシャーはもう嫌なんだって」 と伝えた。
息子は一言、
「じゃあ、新しいチームに知り合いはいないってわけか」
とだけ言った。
「だったらやりたくない」 と今までみたいに言い出すかと思ったが、何も言わなかった。
しばらくしてから、ぼそっと 「アズラの根性なし……」 とつぶやいていた。
心底がっかりしたみたいだった。

それからも、BCCに問い合わせの電話をするたび、「大丈夫です。チームはできます」 と受付の女の人はいう。でも具体的な話はなかなか見えない。
「もうすぐ、新しい監督とコーチの名前も発表されると思いますよ」 と言われたが、いっこうに連絡は来なかった。
もしもチームができない、という結論が出たなら、あわてて別のチームを探さねばならなくなる。
この時期から、それなりのレベルのチームのトライアウトを受けられる可能性はほとんどない。

一方、息子はそんなこととも露しらず、誰も知らないチームメートの中で野球をやる覚悟を固め、トレーニングに励んでいる。来春にはかつてチームメートだった強豪 Hurricanes を相手に、たぶんほとんど勝ち目のない戦いを挑むことになる。それでも構わない、とようやく覚悟を決めたのだ。
ほんの1カ月前には、「今のメンバーと敵味方で戦うようなチームには入りたくない」 と言っていた息子が、今、あんなに嫌がっていた 「元チームメートと敵味方で戦う」 という現実を受け入れ、ようやく前向きになっているのだ。
ここで、この局面で、チームができない、という結論だけは、避けてほしかった。

ようやく連絡が来たのが、まさに今朝。
つまりトライアウトの結果が発表されてから、すでに2週間、待たされたことになる。
結論は、

「チームは作りたいと思っています。でも、今まだ選手が8人しかいません。今週末も新しく有望な選手をトライアウトする予定ですが、2月までに12人集めないとチームはできません」
「力のある選手を知っていたら、みなさんも紹介してください」

新しいプロのコーチは、ジェフ・クロニガーさん、という。
知らないコーチだが、息子はちょっと安心した様子で、「よかった〜、それなら簡単だ」 という。
「簡単、って何? あんた、ジェフコーチって知ってるの?」 と尋ねたら、
「知らないよ。でも、ジェフって名前なら、コーチ・ジェフ、って簡単に呼べるじゃん」 だって。
呼びにくい名前や、発音の難しい名前だったらどうしよう、と秘かに心配していたらしい。

ああ、君はそういうことを心配しているのか。
母ちゃんは、チームが空中分解しないか、それが一番心配というのに。

その日の夕方、我が家にチームメートのザックが久しぶりにやってきた。
トライアウト以来、まったく会ってなかった。シーズン中は3日に1度は顔を合わせていたのにね。
Wiiで野球ゲームをやりながら、やれホームランだの、逆転だの、と2人して大騒ぎしている。
トライアウトの結果が発表になってしばらく、息子は 「ザックとはまた遊びたいけど、今はまだ無理」 と言っていた。
ようやく、そこのところも乗り越えたってことなんだろう。

以上が、我が家に起こったこの3週間の出来事だ。
今なお、チームの行方は見えないままだけれど、春に新しいチームで戦えることを信じて、長い冬のシーズンオフを乗り越えていくしかないもんね。

時々、ふと日本の少年野球チームを思い出して、懐かしさで胸がいっぱいになることがある。
1年から6年までずっとほとんど同じメンバーで、親も子もまるで家族みたいに仲良くて、一緒に泣いたり笑ったり。
日本にずっといたならば、毎年のトライアウトでチームメートが変わるとか、まして、トライアウトの結果、プレイするチームが見つからないとか、そんな思いをすることもきっとなかったろう。
それでも。

この長い長い3週間、息子の挫折と成長を見守ってきて、
ここに来て良かったんだと、そう信じられる気がした。

この秋の出来事・7

こうして秋のリーグ戦がすべて終わった。
最後に思わぬ2敗を喫したけれど、それでも、春、夏、秋まで通してチーム成績を見ると、

49勝7敗
先日の2敗まで、なんと31連勝中だったのだ。

もっとも。
監督のルーは、この連勝記録や、勝率なんかについて、何度も何度も子どもたちに教えては鼓舞していたけれど、この手の華々しい記録を聞くたび、私の気持ちはむしろ、沈んでいった。
チームばっかり強くなって、どこか、置いて行かれるような、そんな心細い気分。
そして、勝つことだけに価値があるのか、という、ちょっぴり白けた気分も。

何はともあれ。
息子はトライアウトを受けた。
自分から選んで受けた。
腹痛も頭痛も不安も焦りも乗り越えて、自分で決めて、自分で受けた。
そして、周囲を驚かせるような、実力以上の力を見事に出し切った。
心配していたバッティングでさえ、センター越えの当たりまで飛び出したのだから。
それ以上、親として、何を望もう?

トライアウトに参加した選手は25人。
この中で、11人の現役選手を除けば、同じレベルに達してると思えたのは、わずかに1〜2人だった。
そもそも12人定員のところ、11人しか選手がいない現状を考えると、現役選手に、この1〜2人を加えたような結論が出るんだろう、と私は予想した。
息子もそう思ったんだと思う。

トライアウトの後は、息子の表情から、迷いも、不安も、消え去っていた。
力を出し切ったから、だけではなく、実際に、力を発揮できたから、だったんだと思う。

トライアウトの結果を待っている最中に、リーグ戦の後に控えるプレイオフが始まった。
BCC Hurricanes はリーグ戦を首位で終えているので、初戦はシードされているし、第二戦も、毎回コールド勝ちしているような相手なので楽勝、と思われた。

そんな試合の前に、チームの野球ママたちから、驚くべきニュースを聞かされたのだった。

「トライアウトの結果、まだ出ないわねえ」
「そうなのよ。でね、私、この前、BCCに電話したの。そしたら、結果的には、36人の選手が受けに来たっていうのよ。どうやら、別の日に、もう一度、トライアウトをしたみたいなのよね。で、人数が多かったこともあって、2チーム作れないかな、って話になってるんだって」

は?
36人?
別の日にトライアウト?

この瞬間、ああ、ダメだ、と思った。
そもそも、このチームがトライアウトを毎年行う理由は一つ。
「良い選手を補強したいから」 だ。
少年野球なんて、1年で身体の成長スピードだってそれぞれに全然違う。2年前まで主力選手だった子だって、気づけば、チームメートに追い抜かれ、目立たない子になっていたりするものだ。
だから、毎年、実力を計り直し、常にチームを強くする。

だから、トライアウトの当日にどれくらい実力を発揮できるか、なんてのは、本当の話、現役選手にはそれほど問題ではないのだ。すでに力のほどは、BCCのプロコーチたちがすっかり分かっているのだから。
息子のトライアウトの合否は、息子の出来不出来ではなく、どの程度強い子がトライアウトに何人程度来るかで決まる、と私は踏んでいた。

だからこそ、トライアウトの日、たいした子がいなくて、「これなら大丈夫だろう」 と思ったのだ。
しかし、BCC側は、そんな風には受け止めなかったんだろう。
「これじゃ、補強できないじゃないか」 となったのかもしれない。
それで、あわててツテをたどって、めぼしい選手に声をかけたのかもしれない。

とにかく。
知らないところで、2回目のトライアウトが行われ、そこに6〜7人の選手が参加した。
となれば、それなりの選手たちだったはずだ。
その事実が物語っていることは、アメリカ少年野球母歴わずか2年の私にだって、十分に分かった。

さて。
冬の寒さの中、雨まで降り始めた最悪のコンディションの中で、プレイオフの初戦が始まった。
息子が1回目の守備からベンチにいるのを見て、ああ、と悟った。
どうやら、プレイオフは夏のトーナメント同様、バッティングオーダーを9人だけで回すことにしたらしい。

ベンチにいるのは、息子とアズラだ。
冬の雨の中、それでも試合中だから、とフリースも着ず、上着も着ず、びしょぬれで応援している姿を見て、なんだか切なくなった。
せめて雨が止んでくれたらいいのにね。

試合の流れ自体も、不穏なものとなった。
先発のエバンが寒さのためか、制球が定まらない。
デッドボール、四球、三振、四球、三振……みたいな具合。
エバンに続き、アズラ、スコットと継投したが、寒さのためか、内野も外野もエラー続出。
結局、1〜3回の3イニングで13点を失ってしまったのだった。
一方、打線も沈黙。3イニングで無安打。相手の四死球などで1点返したものの、1−13という思わぬ展開。

雨の中、聞こえる声は相手チームの子どもたちの声ばかり、というような状態になってしまった。

何もできないまま、雨のベンチで座っている息子の背中を見てきたら、すーっと気持ちが冷めていく気がした。
「なんかもう、やっぱり、このチームはもう、いいや」

息子が今もこのチームで戦い続けたいのは分かっている。
だからこそ、トライアウトを受けたのも知っている。
でも私の中では、何かがプツンと切れていく感じがした。

「最後のプレイオフくらい、みんなで戦いたかっただろうになあ。これまで通り、11人全員でバッティングオーダーを組んだほうが、この子たちはのびのびと今まで通りに戦えただろうになあ」

思い切り身勝手に、私はそんなことまで思ったのだった。

息子は5回から、いつものサードではなく、セカンドを守った。
セカンドのライアンと交代での出場となったからだ。
打席は2回、回ってきたが、1打席目はストレートのファーボール。これじゃ打ちようがない。
2打席目も結局、スリーボールから、待球指示が出たところにストライクが来ただけで、結局ファーボール。
2イニングの後、最終回の7回は、またライアンと交代させられ、ベンチに下がった。

息子と後退でひとたびベンチに下げられた時、悔し泣きしてママに訴えにきていたライアンは、再び試合に戻してもらえて、ベンチの中で小躍りして喜んでいた。
その隣では、投げて打たれるだけ打たれ、打席には1度しか立たせてもらえなかったアズラが、ずっと雨に濡れていた。

試合は10−14で負けた。
よくそこまで追いついた、とも言えるが、相手の四死球によるもので、結局我がチームの安打数はわずか2本だった。

まさかのプレイオフ決勝進出ならず。
結局、シーズンの最後になって、普段なら絶対に負けない相手に3連敗したことになる。

夏時間も終わり、外でまともに練習できなかったから。
寒くて体調を崩しているメンバーがいたから。
天気が悪かったから。

色々な理由は探せるけれど。
結局、チームの勝ち負け以上に大事な、トライアウトの前後の試合だった、ということに尽きる気がした。
11人の子どもたちの中で、一試合一試合のチームの勝ち負けが、自分のトライアウトの結果より大事だと本気で思える子がどこにいるだろう? たぶんそれは、親だってそうなのだ。

家に帰ると、ザックの父親であり、監督でもあるルーから、全員にこんなメールが届いていた。

2009 BCC Hurricanes:
49-8
31 game winning streak
Undefeated in tournament play
Elkridge Tournament Champions
RBBA Tournament Champions
Cove Creek Tournament Champions
Smithsburg Tournament Champions
AAU Super Regional Tournament Champions
MCBA U10 Spring Season Runner Up
MCBA U10 Spring Playoff Runner Up
MCBA U11 Fall Season Champions
11 great kids
1 unbelievable team


翌日には、トライアウトの結果が発表されるのだろうに。
たぶん、もう、ルーは結果だって薄々知っているだろうに。
11人の子どもたちのうち、何人かが落ちるのだろうに。

気づけば、ちっとも勝ち負けに一喜一憂できなくなっている自分に気づいた。
案外、最後の3敗を、ちゃんとまともに悔しがってるのは、ルーだけなのかも、と思った。

こうして、長くて短い秋の野球シーズンが、本当に終わってしまったのだった。
春にも増して、きつい秋だった。
息子に親として何もしてやれない秋だった。

それでも。
一時はトライアウトを受けない、受けたくない、とまで言った息子が、自分からトライアウトを受けることを決め、力を出し切ったことは、親として、何よりうれしいことだった。
それは、どんなヒットより、どんなミラクルプレーより、親として誇らしいことだった。

アメリカの野球パパママは試合中、平気でこんなことを子どもに叫ぶ。

I'm proud of you!!!


こっぱずかしくて、そんなこと、自分の子どもに言えるかよ……。
いつもそんな風に思ってきたけれど。
今だって、直接本人になんてとても言えないけれど、
だからここに書いておこうと思う。

今回ばかりは、ほんとに、母ちゃんは、
君を、誇らしく思ったよ。
つまずいては、立ち上がり、
迷っては、歩き出し、
そんな風に繰り返しながら、母ちゃんも父ちゃんももはや手出しのできない世界で成長していく君を、
ほんとうに誇らしく思ったんだよ。

だから、胸を張ろう。


この秋の出来事・6

リーグ戦最終戦の日がやってきた。
相手は、宿敵ジャーマンタウンホークス。
息子はこの日、少し打順を上げ、8番。守備は、サードで固定だった。
この日に限って、サードに球が飛ぶ飛ぶ。
そのたびに、息子は手堅く守っている。送球も悪くない。少し迷いがとれた感じだ。
一度なんか、三塁側に痛烈なファールのゴロが飛んだ時、これを息子が逆手でバシッと止めたら、相手の応援席のママからこんな声が飛んだ。

「ナイスストップ! ああ、でも、うちの息子が打つ時、そういうナイスプレーはしないで〜」

後で息子に聞くと、3塁コーチャーに立っていた宿敵ジャーマンタウンホークスの、出場停止歴アリの問題監督ランシンガー氏からも、「君の守備範囲は随分と広いねえ」 とこっそりほめられたらしい。

しかし、バッティングのほうは、いきなり、最初の打席に空振り三振。
その時の相手投手は、ランシンガー監督の息子。つまり、春シーズンに退場騒ぎを起こした短気で気性の激しい背番号15番君だ。
彼は本当に成長していた。
ものすごく球威を上げ、たぶん、リーグ一のピッチャーに成長していた。制球力もついた。上背もぐっと伸びた感じだ。

息子の第二打席は、2アウト一、三塁のチャンス。
2アウト、というだけで、なんか嫌な予感がしてしまう。
とにかくプレッシャーに弱い息子だ。
2アウト、というのは、どうもダメだ。
案の定、初球を叩いてショートゴロ。これで3アウトチェンジ。
がっかりの展開だが、それでも打球は悪くなかった。
迷って打ったセカンドゴロやファーストゴロではない。

そして第三打席目。
秋のリーグ戦の最後の打席が息子に回ってきた。
……って、おいおい、またしても2アウトかい?
それも二死2塁の場面。

初球、見逃しストライク。
一塁コーチャーに立ってる監督のルーが怒鳴る。
「思い切って振れ。振るんだ!」

私は思わず、頭を抱える。
あっちゃー。ここで怒鳴らないでよ、ルー。
うちの息子、そういうのですぐに、焦るんだからさー。

第二球。
息子は迷わず振った……悪球を。
ほれ、みろ。
ルーのせいだ。

息子は、ちらりと一塁コーチャーのルーを見る。
あとで息子に聞いたところによると、「ルーはああいう時、高めのボール球だったぞ、って責めるようなゼスチャーで叱るんだ。だから、叱られると思った」

しかしルーはここで、こう叫んだ。
「良いスイングだ! それでいいんだっ!」

そこに第三球目。
完全なクソボール。
内角、高すぎのボールを、これまた息子は振った。
そしたら、なぜか、カキーン!

これが、今シーズンを通して、息子にとっては一番良い当たりのヒットとなったのだった。それもレフト側に飛んだのは、アメリカに来て以来、ほとんど初めてなんじゃないかな。
試合後の息子の談。

「一球目見逃して、ルーに『振れ』って言われて、それで二球目でボール球を振ったらもう、焦って訳が分からなくなって、ルーに叱られると思ってルーを見たら、ルーは『グッド・スイング』とか言うし、いつもと違うからよけいにパニックになっちゃって、もう、何も考えられなくなって、訳も分からずバットを振ったら、当たっちゃった」

……ってあんた。
野球漫画じゃないんだから。

息子によると、一塁に出塁したところで、一塁コーチャーに立っていたルーは息子に、

「ほらね。ようやく君は今、自分の中にある力に気づいただろう」

と言ったそうだ。
……ってあんたまで。
野球漫画じゃあるまいし。

この試合、実は最後にマウンドに登ったリオが崩れ、6失点したことなど、色々あって、結局1点差で負けてしまったのだけれど。
でも息子にとっては、本当に大事な試合となった。
チームの選抜試験(トライアウト)の5日前。
息子はトライアウトを受けようと決意し、そこに希望をつないだのだから。

(つづく)

この秋の出来事・5

秋のリーグ戦、初の敗戦は、なんとコールド負けだった。
相手は、かつてのチームメート、ショーンの所属する Olney Buccaneers だ。

この日、BCC Hurricanes は、クリスが新型インフルエンザでお休み、スコットも何かで休みらしく、わずか9人で臨んだ試合だった。
敗因は、と言われれば、一つは、「まったく打てなかった」 ことだろう。
ヒットを打てたのは、エバン、ザック、それに内野安打のマイケルだけ。
ヒット数はわずか4本。
息子はといえば、なぜか、息子がバッターボックスに立つたび、それまで好投していた相手ピッチャーが連続でボール球を投げるもので、2打席とも四球出塁だった。

5−17なんて恐ろしいスコアでコールド負けした理由はもう一つ。
投手陣が、またも崩れたのだ。
立ち上がり調子が良かったリオも、3回には捕まり、3点取られたところで、我がチームのエース・ザックがマウンドへ。
ところが、頼みの綱のザックは、私立中学に進学したばかりで、あれこれ行事が重なって、練習や試合を休むことがここのところ増えており、2週間も野球ができない状態が続いていた。
いつもと比べ、球は走ってないし、そもそもコントロールも定まらなかった。
四球か、長打を打たれるか、みたいな展開が続き、この回だけで6点を失ってしまった。

3−6、さあ、ここから反撃だ!
と思ったものの、まったく点が取れない。
瞬く間に、相手の攻撃となった。
マウンドには、再び、ザック。
ところが、打順1番から4番までの相手打者の粘りは素晴らしかった。
4球も5球もファールで粘り、最後の最後に長打を放つ。

感動的だったのは、ショーンがこのザックを相手に2塁打を放ったことだ。
敵チームとはいえ、ショーンが、元チームメートから堂々と放った1発は、十分に周囲を感動させるものがあった。
このチーム相手に逆転はしんどいかもしれない。そんな予感がした。
結局ザックはノックアウトされ、次にマウンドに登ったのは、ジョーンズイ。

しかし、彼が投げた初球は、ピッチャー強襲のすごい当たり。
ジョーンズイがこれを取ろうとして、右手を痛めた。
普段、アメリカンキッズのわりには冷静沈着で、クールなタイプのジョーンズイが、あまりの痛みのために泣いている。
これで再びピッチャー後退となった。
4番手でマウンドに上がったのは、普段安定感のあるアズラ。
しかし、なぜか4人に四球を出したところで、これまたピッチャー後退。
5番手は、エバン。もう、後はない。
左腕のスコットがお休みなのが、ここに来て響いている感じだ。

この時点でまだ、4回の裏だった。
ということは、あと3回も守備が残っている。
でも、エバンが倒れたら、次に出せるピッチャーは、どう考えても息子しかいない。
ど、ど、どうするの???

エバンであっても、調子づいた相手の打線は押さえられなかった。結局、打たれ、この回が終わった時には11点を失っていた、というわけ。
試合を通じての被安打は、なんとこの4イニングだけで、12本。そのうち2本が外野を越える2塁打だった。

結局、5回表に四球でランナーがたまったところで、ザックが2塁打を放って意地を見せ、どうにか1点を返したものの、そこまでだった。点差は12点。5回でコールド試合が成立したのだった。

子どもたちには申し訳ないけれど、私は心底ほっとした。
コールドが成立してなかったならば (つまりあと1点こちらが取って、点差が11点だったならば)、次のイニングには息子がマウンドに登ることになり (実際、投球練習までは、していたのだ)、あの強力打線の洗礼を受けていただろう。
ようやくこの前の登板で、小さな自信を取り戻したところなのに、ここでまたコテンパンにやられてしまうのだけは、あまり見たくなかったから。
あまりに後ろ向きな根性と分かっているが、野球母なんて結局、そんなもんだ。

さて。試合終了後。
素晴らしい2塁打を最後に放ったザックが、ずっと泣いていた。
マウンドであんな崩れ方をしたこと、今シーズンはなかったもんね。
よほど悔しかったんだと思う。

それでも。
この試合の後、お隣のフィールドでまだ続いていた試合を、ようやく泣きやんだザックや息子たちと見にいったら、そこにショーンがやってきた。

まず、気遣いのブランドンが声を掛けた。
「ショーン! グッド・ゲーム。すごいヒットだったね」
それでザックも顔を上げ、「Great hit!」と言った。
ショーンは素直にうれしそうな顔をしながら、ザックにこう返した。
「僕も、君も、2塁打を打ったよね、今日」

ショーンがチームメートとくったくなく談笑する姿をみて、正直、はっとさせられた。
彼が春から夏にかけて、我がチームにいた時、こんな表情でチームメートとあまりしゃべっているのを見たことがない。だから無口な子だと思ってた。クールで無愛想な子なんだと思ってた。
でも違ったのだ。
ショーンはあの時、うちの息子と同じように、やっぱり苦しんでたんだなあ、と今さらながら気づかされた。
そのショーンが今、まっさらな笑顔で元チームメートたちと話している。
そこにはもう、わだかまりも、劣等感もないみたいだった。

こんな風に、アメリカの野球少年たちは、チームを選び、新しいチームメートと出会ったり元のチームメートと別れたり、出会いと別れを繰り返しながら、しなやかに強くなっていくんだろう。
息子もそんな風に成長してくれますように。
祈るような気持ちになった。

(つづく)

この秋の出来事・4

トライアウトに受かるのか、受からないのか。
それがたぶん、息子の心に大きくのし掛かっていた。
トライアウトをそもそも受けさせるのか、受けさせないのか。
親にしてみれば、そこからして悩んでいた。

息子が 「受けたくない」 と言い出せば、それでもいい、と思っていた。
だいたい、楽しみで始めた野球で、ストレスためまくって、腹痛に加え、片頭痛まで背負い込んで、生活全体が振り回されるなんてどうかしてる。
でも一方で、「ここで子どもに逃げることを許して良いのだろうか」 なんて思うこともあって、そこが悩みの種だった。
堂々巡りの結果、いつも行き着くのは、「今は待とう」 だった。
きっと時が来れば、本人が選ぶだろう、と。

トライアウトまであと10日、という場面で、マウンドに登り、点差を守って逃げ勝てた、と言う経験は、息子には大きな自信になったようだった。
「トライアウト、受けたくないな……」 と言わなくなった。
「受かるかな……。怖いな」 と言うようになった。
ああ、この子は、トライアウトをきっと受けるんだろう。
そんな気がした。

トライアウトまであと1週間、というころに、リーグ戦の残り2試合が行われた。
そのうち、最初の試合が、リーグ2位につけている Olney Buccaneers との試合だ。
このチームには、秋を前にして、チームを去ったショーンが参加している。
BCCの選手の起用法などに疑問を持ったジョンと息子のショーンが、あれこれ悩んだ末に選んだのは、リーグトップの Olney Pirates のトライアウトを受けることだった。
結局、1つしかないそのスポットは、夏のトーナメントで一緒に戦った、ランディーが勝ち取った。
その時、Olneyの野球連盟から、Buccaneers (Piratesの下位チームに当たる) でプレイしてみないか、と枠を提供されたのだ。

すでに我がBCCと Buccaneers は2試合をダブルヘッダーで戦っていたのだけれど、あいにくの新型インフルエンザのせいで、息子はそれらの試合に欠場している。
つまり、私にとっては、Buccaneers との試合というのは、誰より仲の良かった野球バカ、ジョンとの、懐かしい懐かしい再会の日を意味するのだった。

試合の1時間前から、フィールドわきのベンチに陣取ってるのを見つけた時は、もううれしくてうれしくて、自分からハグしに行ってしまった私なのだった。
それからは、怒濤のごとき野球談義だ。
ああ、懐かしい!

ショーンのパパ、ジョンは、私との会話の途中であっても、相変わらず猛烈野球パパぶりを発揮し、何かあるたび、息子にハッパを駆けに行く。
「ああ、変わってないなあ〜」。
しみじみ、懐かしい。

「調子はどうだい?」 とジョンが聞いてきたので、ここは正直に息子のスランプ話を一通り話すことにした。
「本人自身が、もうトライアウトは受けない、って言ったこともあったの。今も迷ってるみたい。実際、受けても、受からない可能性が結構高い気がするのよね」

そしたらジョンはこんな提案をしてきた。

「まあ、色々な選択肢があるさ。実はショーンはこの秋、別にもう一つ、ワシントンDCのリトルリーグの持っているトラベルチームにも参加してるんだけどね。普通はリトルリーグといえば、住所によって入れるリーグが決められてしまうものなんだけど、このトラベルチームに限っては、それを適用してないみたいなんだ。メンバーはショーンや君の息子よりも上手いようなトップ選手が数人。でも、過半数は、ショーンや君の息子よりずっと下手な子で構成されていて、自信を付けるにもちょうどいいレベルだ。
週末のたび、バージニア州に遠征に行って、試合をやってるんだけど、興味があるなら、いつでも口をきいてあげられるよ。君の息子みたいに、たとえ打撃が弱くても、守備の良い選手は、どこのチームだってほしがるさ。
別にBCCでなくても、Montgomery Nationals とかRockville Rockets とか、このカウンティーリーグに参加しているほかのライバルチームのトライアウトを受ける手だってある。BCCは難しくても、ほかのチームなら、枠があれば間違いなく受かるはずだよ」

知らなかった。
ショーンは、Olney以外に、DCのリトルリーグのトラベルチームにも入っていたんだ。
なんとなく、ジョンの気持ちが分かった。BCCを抜ける、というのが本当にショーンのためになる選択肢なのかどうか、ジョンは相当に悩んだはずだ。もしも、Olneyが期待したようなチームでなかった時の保険として、彼はあちこち情報を集め、別のチームにも所属させたんだろう。

「何も、BCC Hurricanes ばかりが野球チームじゃない」 って言葉も、ジョンが言うと本当に説得力があるのだった。

私自身、アメリカの少年野球を2年間見てきて、この部分が、アメリカと日本の少年野球の一番大きな違いじゃないか、と思う。
アメリカでは、一人の子どもが同じチームで、同じ顔ぶれのメンバーと6年間野球をする、なんてことは滅多にない。
そもそも、多くのリトルリーグでは、低学年ならいざ知らず、高学年にもなれば毎年ドラフトがある。前年の成績やトライアウトの成績をもとに、各チームの実力を均すため、毎シーズン前にチームを編成し直すのが普通だ。
だから、毎年のように監督も替われば、チームメートも変わるのが普通なのだ。

私の暮らすモンゴメリー郡は、リトルリーグが長く存在しなかったために、地元のスポーツクラブや自治体単位で運営されている野球連盟などのリーグが優位にある。
これらのリーグ内のレクレーションチームでは、さすがにドラフトこそやっていない。それでも、レクレーションレベルでちょっと上手な子になると、間違いなく、もっと高度なチームを求めて、どこかのトライアウト(選抜試験) を受ける。

日本では、野球はあくまで、「みんなで守りきるチームスポーツ」という色彩が強いが、アメリカのベースボールはむしろ、「個々人が打ちまくる個人競技」 という要素が強い。
だから、強くなっていくのも、「チーム全員で」 ではなく、本当に上を目指す子は、一人で強くなっていく。次々に難しい試験を受け、より強いチームを求め歩くのだ。
だから、各リーグ代表の意味合いを持つトラベルチームの場合、チームが強くなれば強くなるほど、その噂は州内に広がり、トライアウトには、「より強いチームで野球がやりたい」 という意欲のある選手が集まってくる。その結果、強いチームはより強くなり、一方で、弱いチームからはスター選手が次々に抜けていく。
まさに小学生のうちから、弱肉強食の競争社会だ。

そのかわり、たとえ、チームメートがより強いチームを求めて、別のチームに移籍したとしても、元の仲間が出て行った選手を、「裏切り者」 だとか、「うちのチームを見捨てた」 なんて言い方をしたりしない。むしろ応援するのが常だ。
(実際、強い子が抜けたほうが、自分あるいは自分の子どもが活躍するチャンスが増える、という一面もあるわけだしね)。

もちろん人間だから、腹の底では色々な思いだってある。それは大人も子どもも同じ。でも、そこをサバサバとフレンドリーにやり過ごすというのが、アメリカ人はとても上手だと思う。
アメリカ人が、組織への愛着だの、忠誠心だの言わず、ドライに転職を繰り返し、キャリアップできるのも、考えようによっては当たり前だ。だって、10歳、11歳のころから、「転職」慣れしてるようなものだもの。
となれば、日本の 「6年間、同じメンバーで一緒に強くなる」 という少年野球は、いわば終身雇用型社会の縮図ってことかしらん。

まあ、そんなわけで、ショーンのパパ、ジョンと話すことができて、少し気持ちが軽くなった。
私自身、地元に新しくできたリトルリーグだとか、BCCのトラベルチームの下位に位置するセレクトプログラムだとか、ほかの選択肢をあれこれ模索していたわけだけど、まさか 「DCのリトルリーグのトラベルチーム」 なんて選択肢まであるとは、思ってもみなかった。
なんだか、前向きになれた気がしたのだった。

それはそうとして。
肝心の、Buccaneers との試合。
ジョンは試合前、こう言った。
「前の2試合はこてんぱんにやられたけど、今回は一矢を報いるつもりだよ」

ところが。
「一矢」 どころか!
我がBCC Hurricanesは、Buccaneers を前にわずか安打4本に押さえられ、なんとなんと、今シーズン初めての敗戦を喫してしまったのだ。
それも、

コールド負け。

……ってな話は、次回につづく。

(つづく)

この秋の出来事・3

リーグ戦は全勝のまま、推移していた。
「勝って当たり前」 というのは、チームとしては、なかなかツライ状態だ。
なぜか。
勝ち負けに燃えられない。
なにしろ勝って当たり前、なのだ。
チームを応援する声にも、力が入らない。
何しろ、ピンチらしいピンチがないのだ。

「勝って当たり前」 のチームに、何が起こるのか。
この秋、私はしみじみ思い知った。
子どもも、大人も、チームの勝ち負けに興味がなくなるのである。
気になるのは、試合の勝ち負けではなく、あくまで、自分が、あるいは自分の子が、活躍できたかどうか、それだけ。
息子にしろ、私にしろ、そういうところに落ち込んでいた。
不調を引きずる子ほど、その親ほど、そういうところに落ち込んでいた。

私は、息子がこんな状態だったから、苦しんでいるのは息子だけだと思っていたのだけれど、実は、同じ 「打撃不調組」 のアズラやマイケルあたりは、似たような悩みをずっと抱えていたのかもしれない。

ルーと少し話した翌々日から、長雨が降り続けた。
試合は全部延期となり、外での練習もできなくなった。
それで仕方なく、インドアの施設を借りて、バッティングの練習をすることになった。
打撃で結果を出したい息子としては、願ったり敵ったりのチャンスだ。

もともと、息子は、バッティングケージが得意だ。
試合みたいに 「生きた球」 じゃないから。
クソボールが来たり、緩急つけられたりすることもない。
案の定、バッティングケージの練習が始まると、一番よく飛ばしているのは、打順最下位の息子だったりしたのだった。

「結局、ケージの練習じゃ、意味がないんだよなあ、うちの息子の場合……」

トホホな気分になっていたら、コーチのジョーが面白いことを始めた。
ちょうど9人いた少年たちを3人ずつのチームに分けた。
あとは、こんなルールで試合を始めたのだ。

・ボール球以外、振ること。
・ゴロやケージの天井に当たる球、両脇のネットに当たる球もすべて自動的にアウト。
・ヒットと認めるのは、バッティングマシンの表面にまっすぐ飛んでいくラインドライブだけ。
・3アウトチェンジ。

最初のうち、どのチームも3球でチェンジだった。
一人がゴロを打ち、アウト。
もう一人が、打ち上げ、アウト。
もう一人は、普通だったらライト前ヒットくらいの当たりだろうに、右脇のネットに当たってしまって、これもアウトの宣告。
こんなルールで誰がヒットを打てるだろう……。

と思ったら、最初にヒットと認めてもらったのは、試合ではからきし打てないけど、バッティングケージには強い息子なのだった。
誰も 「ヒット」 を打てない中で、打てた息子は、有頂天だ。

そうこうするうちに、段々とみな、いい当たりが出始めた。
一人が打って、無死1塁。もう一人が打って、無死1、2塁。3人目が打って、これで1点……。
そんな感じで、得点するチームも出始めた。
息子たちのチームにも得点のチャンスが訪れた。
エバンが打って無死1塁。息子が良いあたりながら左側ネットに当て、アウト。マイケルが打って一死1、2塁。エバンがゴロを打って二死2、3塁。
大チャンスである……。

と、ここで驚くようなことが起こった。
それまで、バッティングマシンを直撃するような当たりを何度も出し、アウトになる時も、両脇のネットに当たるラインドライブ系の当たりだった息子が、このチャンスに来て、突然打てなくなったのだ。
力のない、ただのゴロ。
まるで試合で打つような、そんな当たりだ。

はっ、とさせられた。
コーチのジョーは、これをやりたかったんだ。
子ども達に、バッティングケージの中であっても、試合と似たプレッシャーや負荷を掛け、その中で打つ練習をさせたかったのだ。
そして、そのプレッシャーに一番見事に反応し、打てなくなったのが、バッティングケージは得意なはずの息子だったというわけ。

まいったなあ。
というか、さすがだなあ、コーチのジョー。

それまで、トッドコーチの素晴らしさが記憶に鮮やかすぎて、今ひとつ、ジョーについては感動したことがなかったのだけれど、この日の練習には恐れ入った。

もう一つ。
あることに気づいた。
打球をヒットにするか、アウトにするかは、ある程度、コーチの裁量によっても左右されている感じだ。
よくよく見ていると、何となく、息子には、「一発で得点できるようなチャンス!」 という場面が回るように、うまくコーチが工夫しているようにすら見える。
それとも、偶然かな?

息子は、そんな風に回ってくるチャンスで、ちっとも打てない。
そうこうするうちに、9回の攻撃となった。
息子たちのチームは現在2位。
強打者ブランドンやクリスのいるチームに、あと1点差につけている。
そして、偶然だとしたら、どう考えてもできすぎの場面で、息子に回ってきた。
二死2、3塁。
長打が出れば逆転。

気づけば、まるで試合中みたいに、私まで緊張していた。
ああ、神様、どうか打たせてやってください……みたいな。

息子は、打った。
それは、バッティングマシンの上のあたりを直撃。
角度も文句なし。
コーチジョーは、思わず、右手を回してホームラン、という仕草をしてから、「いや、2塁打にしておこう」 と言って笑わせた。
それでもこれが決勝打となり、息子たちのチームは勝った。

勝者へのご褒美は、バッティングケージの後かたづけの免除だ。
息子も、マイケルもエバンも、大喜びだ。
私はなんだか圧倒された。

息子のメンタルな弱さは、バッティングケージにいくら通っても克服できない、と思ってきた。
でも、コーチジョーの手にかかれば、こんな魔法みたいな練習だって可能なのだ。
やっぱりプロのコーチってすごい。
ここはもう、脱帽するしかなかったのだった。

わずか1時間の練習で、1家庭15ドル徴収された、高くつく練習だったけれども。
息子にとっては、学ぶところの多い練習だったんじゃないかな。

さて、それから数日後、ようやく長い長い雨が上がった。
次の試合の相手は、息子が今シーズン、唯一ヒットを打っている相手、Montgomery Nationals なのだった。
息子はこの日も、打順最下位。
守備は、サードでほぼ固定だ。

最初の打席は、2回。先頭打者として、打席に立った。
ランナーもいないし、2アウトでもないし、ストレスフリーな状況だ。
でも……息子はあっさり、ピッチャーゴロ。がっかり。
次の打席は二死ランナーなし。
これも、ストレスフリーな状況と言える。
息子の打球はセカンドへ。
ところが、二塁手がこの打球を弾いた。
母ちゃんとしては、「内野安打」 とつけたいところだったが、ここは厳しく 「エラー出塁」 と正直に記録した。
それでも、二死から息子がランナーに出た後、パスボールや四球、数本の安打で、一挙に7点を挙げた。見ようによっては、猛攻撃のきっかけを作ったわけで、なんとなく息子もうれしそうだ。
気持ちというのは本当に大事なもので、次の守備の回では、サードの脇を抜くような強い当たりを突っ込んで捕り、クイックで投げて1塁は見事アウト!
「Great throw!!」 とあちこちから声が上がる。

4回を終わって、スコアは11−3。
誰もが快勝を信じて疑わなかった。
ところが……。

この日、我がチームは9人しかいなかった。
エースピッチャーで巨砲のザック、そして一発のあるクリスがともに不在。
こうなると、なかなか長打が出ない。
監督は最初から、快勝することを前提に、毎回ピッチャーを代える作戦だったらしく、コールド勝ちにならなければ、息子にも投げさせる心づもりだったらしい。

ところが、エバン、リオ、ジョーンズイ、スコットあたりまでは良かったが、5回で登場したアズラが崩れた。四球を出しまくり、一挙に5点を失い、スコアは11−8に。
2点を取り返し、13−8としたものの、6回の守備では、コーチのジョーは、1回に3三振を取る好投を見せたエバンを、再びマウンドに送った。
ところが、寒さゆえか、いったんマウンドを降りて調子が狂ったか、今度はエバンもストライクが入らない。
4四球のあと、デッドボールで、2点を返され、13−10に。
2点差で一死満塁。
一打逆転、という場面で、いきなり息子がマウンドに呼ばれてしまったのだった。

まさに息子がノックアウトされ、 「もう、俺、ピッチャーはいいや」 と言うまでに打ちのめされたのも、実はこの相手、Montgomery Nationals だったっけ。
ああ、悪夢再び……。
おまけに今度は、わずか3点差。
おまけに、満塁。
ここで負けたら、BCC Hurricanesの無敗神話が崩れる、というような場面。

フツー、使わんだろ、息子を……。

息子が投球練習を始める。
とりあえず、ストライクは入ってるみたいだ。
「がんばれ〜」。
気づけば、チームメートのパパやママたちが、息子の名前を必死で呼び、応援している。
ああ、こんな風に、パパやママが燃えて応援したのって、いつ以来だっけ?
秋シーズンのリーグ戦では初めてのような盛り上がりだ。
そりゃそうだよな。
どう考えても、ここでマウンドに息子がいること自体、今シーズン始まって以来の最大の危機だもの。

息子は初球ストライク。でも2球目がライト前のポテンヒットとなり、これでランナーが一人還って13−11。点差はわずか2点差。
……と思ったら、なんとライトのアズラがセカンドに送球し、セカンドランナーはアウト!
これで2アウトだ。

次のバッター。
この日はレフト前ヒットを打っている打順6番の選手だ。
一球目はストライク。
2球目もストライク。
「あと1球だ! 頑張れ〜」 と応援席から歓声が上がる。
が、息子はここから続けてボール球3球。
たちまちフルカウントだ。

もう、気が気じゃなかった。
見るのも怖かった。
でも最後の最後は、空振り三振。

ひええええ、勝ったー。
緊張して、吐きそうだったよ。もう。

この日の夜、息子はすっかり明るかった。
「なんか、俺にセーブが付いちゃった」 とか言う。
ちゃっかりそういうことを考えていたのか、ちくしょー。
こっちはただただ、緊張してたというのに。

私が 「エラー出塁」 とつけたバッティングについても、本人の頭の中では 「内野安打」 と記憶されているらしく、それが、次の回や、ピッチングにも、いい影響を与えてくれたらしい。
「不思議だよなあ。ヒットが出た後って、サードゴロをさばくのにも、軽く送球しただけで、ファーストにずばっと速いのが行くんだよなあ」
だって。

「ありゃ、エラー出塁だろ」 と、訂正しないことにした。
ことほどさように、メンタルが大事なのだと思い知らされた今、あえて冷や水を浴びせることもないだろうしね。
さあ、リーグ戦も残りはわずか2試合だ。

(つづく)

この秋の出来事・2

新しいバントを慣らしに、パッティングケージに通い始めた。
やっぱり、高いバットは、よく飛ぶ。
これはもう、実感。
ケージのボールが相手なら、息子は次々にラインドライブでライナー性の当たりを放ち続けた。前の軽いバットより、明らかに、スイートスポットが大きいらしい。
また、two-piece の構造によるものか、飛距離も出てる感じがする。

「これで打てるようになればいいなあ」
母ちゃんはしみじみとそう思いながら、コツコツと時間を見つけては、息子をバッティングケージに連れて行った。
息子に今必要なのは、自信なんだ、とそう思ったから。

でも、バッティングケージではたいていの速球についていく息子が、試合の 「生きた球」 を相手にすると、なかなか打てない。
チーム内でも、息子の打てないイメージが固定化し、僅差の試合では監督からのバントのサインも増え始める。
だからよけいに打つチャンスが減る。
チャンスが少ないから、1回1回の打席で力んでしまう。
悪循環なのだった。

試合中にも、チームメートが談笑する輪の外にいることが増え始めた。
あんなに好きだった野球を、一番好きだった野球を、息子は楽しめなくなり始めているのではないか?……親として、悩む日が始まった。

もちろん、まったく打てなかったわけじゃない。
269ドルのバットで放った初ヒットなどは、いつものようなピッチャーの足元を抜く痛烈なゴロ、ではなく、センターへのライナー性の当たりだった。
でも、打てた後は、3〜4試合ヒットが出ない。そんな日が続くうち、結局、打順はチームで最下位になってしまった。

息子が苦しんでいるのは、傍目にもよく分かった。
試合の前に緊張して腹痛や胃痛を起こすのは、これまでにもよくあったことだし、野球だけでなく、たとえば塾に行く前にもよく同じ訴えをしていたことから、「まあ、体質だよね〜」 なんて親子で笑い飛ばせた。
ただ、息子が片頭痛を訴え始めた時には、まいった。
頭痛で、身体を動かしたり、走ったりするだけでも、頭が割れるように痛い、という。
ユニフォームに着替え、練習フィールドまで行ったのに、動くだけで頭が割れるようだと訴え、結局、練習も休んだ。
息子が自分から体調不良を訴え、練習を休んだことなど、これまで一度もなかったのに。

ネットで頭痛についてあれこれ調べ、子どもの偏頭痛が、実はとても多いことを知った。
緊張性頭痛かと思ったけれど、子どもの場合は、ズキンズキンとしなくても、偏頭痛であることが多いという。「運動すると頭が割れるようにいたくなる」 というのは子どもの片頭痛に見られる典型的な訴えで、これを周囲が 「さぼり」 のように受け止めると子どもがどんなにツライか、原因は色々あるけれどストレスであることが多い、というような文章も見つけた。
どうやら、息子は、偏頭痛を背負い込んだらしい。
そして、その原因にはたぶん、野球によるストレスがあるのだ。

2日に1度は、激しい頭痛を訴えるようになった。
このままでは、普通の暮らしを続けることさえ大変そうだった。
たいていは昼過ぎぐらいに始まり、夜の7時くらいにおさまる。
息子が行きたがったので、頭痛が治まってから、いつも車で半時間のバッティングセンターに通った。
ケージの中では、何本だってラインドライブ性の当たりを放つ息子が、なぜかゲームでは打てなくなる。
これはもう、やはりメンタルな問題と認めざるをえなかった。

思えば、秋シーズンの最初のころに、バッティングのプライベートレッスンを受けさせたこともあった。その時、レッスンをつけてくれたコーチはこう言ったのだ。

「いい素振りしてるし、かなり打てるだろ? え? 全然試合じゃ打てない? ウソだろ。そんなの信じられないよ。だって、こんな当たりをしてるじゃないか」

結局、トッドコーチの言ったことが正しかったのだ。
息子の打撃不振は、どんなレッスンの中でも、直せない。
すべての問題は、彼の心の中にあるのだから。

プレイにも、息子の苦悩がにじむようになった。
バットを出すのを迷ったり、見逃し三振したり。
春シーズン5月、泥沼化するスランプの中で、一度もバットを振らぬまま、三振に倒れたことがあった
あの時と同じような、深い、暗い、穴に、家族して落ちていく感じがした。

息子の異変に気づいていたのは、私と夫だけではなかった。
たぶん、チームメートも、その親たちも、それには気づいていたはずだ。
監督のルーもまた、息子の状態がもはや、打撃不振、なんて程度の話ではないことに気づいていた。

見逃し三振した試合の翌日、私は久しぶりに息子の練習を見学に行った。
これまでは、息子とザックを練習場に送り届けるのが私の役目で、あとはさっさと帰宅し、帰りはザックのパパでもある監督のルーに一緒に連れ帰ってもらうのが常だったからだ。
それでも、息子があんなに意気消沈しているのが試合中だけなのか、あるいはもしかしたら、練習中ですら、チームメートと談笑することもなく、暗い表情で白球を追ってたりするのではないか、それを自分の目で確かめなければ、と思ったのだ。

夫との話し合いの中で、もうチームから息子を引きはがしてやったほうが良いのではないか、なんて話すら出ていた。
「もう、このチームは息子には強すぎるのではないか」
「一番好きだったはずの野球に、一番苦しんでいるような暮らしが、小学生に良いわけない」
「でも、決めるのは本人でしょう?」
「今の状態のあいつに、そんな判断が可能なのか? 無理にでも、引きはがしてやったほうがいいのではないか」
「トライアウトも受けさせない選択肢もあるよね」
「本当は、挑戦させて、自分の限界をきちんと見つめる経験をさせておきたいけどな」
「これ以上追いつめられたら、片頭痛発作で、普通の暮らしを遅れなくなるもの」

息子が寝た後、夫婦で話し合う日が続いていた。
トライアウトを受けない、という決断をしたならば、それはきちんと、監督のルーに伝えねばならないし……。

そんな風に迷いつつ、それでも、月曜日の練習を見る限り、息子はやはり、チームメートたちと一緒に白球を追うのが実に楽しそうだった。
試合の何十倍も伸び伸びとプレイしていたし、守備なんか圧倒的に練習のほうがうまかった。
……というか、つまりは、試合でいかに、実力を発揮できないでいるのか、ということが、よーく分かった。

溜め息をつきながら、練習を見つめていたら、遅れてやってきた監督のルーが声を掛けてきた。
普段は、あまり自分からはあれこれ話しかけてこない人だけに、驚いた。

「彼、どうだい? この前の試合で、ちょっと変だっただろ。試合の前の打撃練習では、びっくりするほど振りも速くなってるし、調子も良かったのに。打席に立った途端、全然、いつもの振りができなくなってた。最後のあの三振だって、どこか変だった。大丈夫かな、と思って」

どこか、こちらの真意を探るような目が苦手で、いつもは、あまりあれこれと色々なことをルーに話すのが苦手な私なのだけれど、気持ち半分どこかでもう、このチームとはもうサヨナラなんだ、と思っていたからかもしれない。
逆に、思い切って、正直に全部話してしまった。

「ものすごく、打てないことが苦しくなってるんでしょうね。これまでも、試合や練習の前に腹痛を訴えることはあったんだけれど、最近は片頭痛まで出てきたんです」

ルーはしばらく考えていた。
私は、ルーのほうから、あることを切り出すのではないか、と身構えた。

「トラベルチームのレベルが、そろそろ彼には厳しくなってきているのかもしれない。でも彼のレベルなら、BCCのセレクトチームなら十分に活躍できるのだし、来春からは、トラベルチームを抜けて、セレクトチームに所属するのも選択肢かもしれませんね」

と言い出すのではないか、と思ったのだ。

ルーはすでに、息子を見切っているのではないか。
どこかでそういう思いが、きっと私の中にあったのだろう。

ところが、ルーはそうは言わなかった。
「確かに、打球がラインドライブで外野に飛ばない、とかそういう課題は抱えているけれど、それでも、彼のフィールディングは実に良いし、手堅いのに……」

練習の後、息子には正直に伝えた。
「ルーはね、あんたの守備がとても良いって。素振りも良くなってるのに気づいてたって。試合前の打撃練習もとても良かったのに、って。だから、試合になると打てなかったり、迷ったりしてるのをすごく心配してたよ」

不思議なもので、息子の固かった表情がふっと和らいだように見えた。
その夜、息子がずっと、呪縛から解かれたみたいに、ウキウキしてみえた。
そんな息子の様子をみて、ようやく私は気づいた。
息子は、打てないことだけでなく、監督のルーやチームメートに見切られているのではないか、ということを、ずっと思い悩んでいたのだろう。

私にしろ、息子にしろ。
ついつい英語でのコミュニケーションをおっくうがって、積極的にこちらから働きかけないもんだから、こういうディスコミュニケーションの穴にずぼっとはまりやすいのだ。
特に、息子なんか、アメリカンキッズみたいに喜怒哀楽を表に出さないから、ルーから見たら、「何を考えているか分からない子」 なんだと思う。
ほめても、有頂天にならないし、逆に叱られても、顔をこわばらせ、無口になるだけ。
やる気やガッツを、言葉で、態度で、常にアピールしなきゃいけないこの国では、息子のような表現力の乏しさは、実は致命的だったりする。

私自身も、この半年くらい、息子のスランプの穴に同じようにはまりこみ、暗くなり、ルーと談笑したり、話しかけたりすることをどこかで避けていたのかもしれない。
気持ちが元気な時には、どんなチャレンジングなコミュニケーションでも乗り切れるのになあ。

子どものことで悩み始めた時の母親というのは、哀しい。
自分のことなら平気なのに、子どものことで悩み始めた途端、一気に、コミュニケーション能力を大きく失ってしまうことがあるから。まして、外国語でのコミュニケーションとなると、なおさらだ。
思い切ってホンネでぶつかることって、やっぱり大事なんだよなぁ。
分かっていても。
それでも、どうにもならない。
おっくうで、苦しくて、笑顔で声をかける気持ちが萎えてしまうことが、確かにこの秋、私には多かったように思う。

これが、トライアウトの2週間前。
リーグ戦も残すところ、わずか3試合、という秋の日の出来事なのだった。
息子は相変わらずヒットが打てなかったけれど、それでも片頭痛発作だけは、なぜか、この日を境に、ぴたりとおさまった。
人の身体というのは、なんと不思議なのだろう。

(つづく)

この秋の出来事・1

書いたり、消したり、色々とお騒がせしてますが。
息子のプライバシーに配慮しつつ、この秋の少年野球体験について、書き直してみました。
野球の話のようであり、実はそれだけではないようでもあり、親として随分と考えさせられた秋でした。
思えば、我が家の中で、アメリカの競争社会で本気で戦いを強いられているのは、実は息子だけなのかもしれません。
夫の勝負の舞台はあくまで日本のメディアで、職場もほとんど日本人。
一方、私はといえば、18,19歳のお子様たちに混じって 「オバサン学生」 をしている程度で、やはり本当の勝負所は、日本人のジャーナリストとしてこの国の何を見つめるか、ということだから。
アメリカで、アメリカ人と同じ土俵で、彼らと勝負するなんてことは、駐在暮らしでは、ほとんどないんですよね。
だから、息子の野球を通して、時折、そうしたアメリカの社会のシビアさを垣間見ると、ドキリとしてしまうんだと思います。
正直な話、ここが日本だったなら、日本語が通じる世界だったなら、日本の常識で判断できる場所だったなら、などと弱気になったこともありました。
そのたびに、迷ったり、フラフラしたり、動揺したり、夫婦して情けないくらいオロオロしながら、息子を見守ってきました。
そんなわけで。
2009年秋、一人の野球少年の戦いの物語……というようなお話です。

++++++++

この秋シーズンの目標を「バッティングの改良」と位置づけた息子。
初試合から、良いスタートを切った。
同じ日本人の野球少年で、きれいなフォームでバシバシと速球を決めてくる本格派ピッチャー、M君のいる、Montgomery Nationals とのシーズン初試合で、M君との最初の対決は「空振り三振」だったのだけど、次の打席では、ライト前ヒット。2打点も上げたからだ。

「長い長いスランプから、ようやく抜け出せた!」

私はそう思ったし、息子自身もそうだったと思う。
夏休みの間、毎日素振りを欠かさず頑張ったかいがあったというものだ。
目標に一歩近づいている気がした。
この時はまったく分かってなかったのだ。
この後、春以上に精神的にきついスランプが待ち受けていようとは……。

息子はこの日を最後に、ぴたりと打てなくなった。
次の試合は、サードゴロ、四球、ピッチャーゴロ。
その次は、ショートゴロ、四球、セカンドゴロ。
次はピッチャーフライ、サードゴロ。
シーズンの最初の息子の打順は7番で、後ろにまだ4人いた。
しかし、3試合ノーヒットの後、息子の打順は9番に落ちた。

ここで思わぬ不運に見舞われた。
なんと息子が、この最悪のタイミングで新型インフルエンザにかかってしまったのだ。
……って言っても、うつしたのは、私なんだけどね。
これで息子は、3試合を棒に振った。
そのうち2試合は、かつてチームメートで、「このチームにいる限り、息子は活躍できないから」 と、あえてチームを去ったショーンが現在所属する Olney Buccaneers とのダブルヘッダーだった。
久しぶりに、ショーンのパパのジョンに会いたくて、息子のことを相談したくて、ずっとずっと私自身が楽しみにしていた試合だったのだ。
だけど、そんな願いも、新型インフルエンザの前に、露と消えた。
息子を欠いた BCC Hurricanes は、ショーンのいる Buccaneers に、大差で快勝したのだった。

久しぶりのヒットは、インフルエンザからの復帰試合で出た。
この時もなぜか、第一試合と同じ相手の Montgomery Nationals との試合だ。
初回から打線爆発。2回の攻撃が終わった時点で、ヒットが出てないのはなんと、息子とアズラの2人だけだったのだ。
「こんな日にノーヒットだと、さすがにもう、声の掛けようがないよなぁ」
そんな状態で迎えた3回の攻撃。打順は8番スコットからの下位打線で、スコット、息子、アズラ、マイケルの打撃不調4人組みが連続でヒットを放った。
こうして、「全員安打の猛攻撃」 の例外的存在になることだけはなく、久しぶりのヒットが出たのだった。
ライト前への当たり、だった。

ただし、この試合にはオマケがあった。
27−4、というとんでもない大差試合だったこともあり、「投げてみるか」 といきなり息子にピッチャーのお役が回ってきてしまったのだ。
しかし、息子の今期の目標はバッティングであり、もはや投球練習すらしたことがない。
日本で小学校3年まで軟式野球をやっていたから、プレートの使い方や牽制球の投げ方こそ知っているけれど、実際にアメリカのマウンドでそれをやったことすらない。
インフルエンザからの病み上がりで、体力も落ちている。
おまけに、審判から 「ユニフォームの下に着ている白いシャツは、バッターが球を見極めにくいので、脱ぎなさい」 と指導され、凍えるような寒い夜に、メッシュのユニフォーム1枚で投げることになってしまった。
どう考えても、非常に悪いことの重なったタイミングでの、久しぶりのマウンドだった。

投球練習をしている間、1球もストライクが入らなかった。
最初のバッターに対しては、ボール、ストライク、ストライク、ボールで、最後は空振り三振。
なーんだ、もしかしたら、そう不調でもないじゃん、と思ったんだけど。
そこから大きいのをポンポンと2つほど打たれたところで、息子は崩れた。
ストライクが入らなくなった。四球が続いた。
それでも、大差にあぐらをかいた監督のほうは、替える気がなかったらしい。
ただ、「大丈夫か?」 と監督が声を掛けたところで、息子からマウンドを降りた。
あとで聞いたら、「腕の調子が変だったし、これ以上投げてもダメだと思った」 という。
マウンドに死んでもかじりついてやる、とは思わなかった……そういう事なんだろう。

久しぶりのヒットと。
久しぶりのマウンド体験。
息子は……、やっぱり喜んでいるわけはなく、ムチャクチャ落ち込んでいたのだった。

「お声がかかるなんて、ピッチャーとしてもまだまだ期待されてるってことじゃん」
などと、てきとーに励まそうとしたのだけれど、もはや思春期前期の息子がそんなことでおだてられるわけもなく……。
俺、もう、ピッチャーはいいや
ぼそっと出た一言は、そんな言葉なのだった。

帰り道、車中に漂う重苦しい雰囲気。
なんとなく、きつい秋シーズンになりそうな予感。
そんなあれこれを吹き飛ばすため、すでに夜7時半を過ぎていたというのに、私はスポーツ用品店に車を走らせた。

そろそろ去年買ったバットも短すぎるんじゃない? 1本、新しいのを買おうか

夕飯も食べてなかったし、店がそもそもまだ開いているのかだってよく分かってなかったけれど、そんなことしかもう思いつかなかった。

息子のその時使っていたバットは、ちょうど前年のトライアウトの前に買い与えたものだった。
もはや重さも長さもよく分からない。
というのも、それらを書いた塗料も、模様の塗料も、すべてはげて、ただの銀色の棒状態だから。
連日、素振りのほかに、ティーボールやら、私の球出しを打ってきたため、安物バットの塗料はすっかりはげ落ちてしまっていたのだ。

息子が実はバットを買ってもらいたがっていることは、薄々気付いていた。
でも言い出さないのが不思議だった。
時々遠慮がちに、
「ブランドンってさ、バットを3本持っていて、ピッチャーによって使い分けるんだよ」 とか、「エバンが新しいバットを持ってきた」 なんて言うことはあった。
そのたびに私はサラリと、「みんな、お金持ちだからねえ」 なんて言い方でかわしてきた。
息子から、「俺もほしい」 と言ったことはなかった。
だから、それほどほしくないんだろう、と思ってきた。

だけど、「新しいバット、これから買いに行こう」 といった時の息子の表情がパッと明るくなったのを見て、なんとなくこれまでの息子の心理がよく分かった。
バットは、とてもほしかったらしい。
でも、言い出せなかったらしい。

バットがほしい、と言い出せるほど、ヒットを打てていないから。
ヒットが出ないのをバットのせいにしているみたいで、潔くないと思われそうだから。
それを母ちゃんや父ちゃんに指摘されると悔しいから。
あまりに高い買い物で、親に申し訳なかったから。

きっとまあ、そんなところだろう。

新しいバットは、少し重い目のにした。
10歳くらいまでの子どもにとって、硬球用バットは、軽ければ軽いほうが良い、だ。
速く振れるほど、ボールもよく飛ぶから。
でも11歳、12歳くらいからは、事情が少し変わってくる。
軽いバットは、スイングも速くなるけれど、軽いばかりのバットの真芯でボールをとらえるのは、かなり技術がいる。スイートスポットが小さいからだ。
成長し、力がついてきて、スイングも速くなってきたならば、今度は、「軽ければ軽いほど良い」 ではなく、もう少し重い目のバットのほうが、ヒットを出しやすい、らしい。

さらに、スポーツ用品店で聞いたところによると、息子のように、どちらかというと小柄で非力なタイプは、バットが one-piece ではなく、two-piece のほうがよく飛ぶらしい。

なるほどなあ。
ただの one-piece で、おまけに 「軽ければ軽いほうが良い」 路線の銀色バットは、すでに息子には合わなくなっていたのだ。
スポーツ用品店の兄さんに、「それはあまりに短すぎます」 と指摘されてしまった。

で、バット売り場には、息子のチームメートたちが持っているバットがずらりと並んでいた。
値段を見て、はあああ、と溜め息が出た。
250ドルを下るバットは、ありませんでした、はい。
なんかもう、思いつきで夕飯も食べず、車を走らせてきた勢いで、私は息子に言ってしまった。
「値段なんか気にするな。母ちゃんは、こういう時のために働いて、原稿書いて、お金を稼いできたんだから」
息子がおずおずと選んだバットがこれ。

Easton の Stealth Speed シリーズ。
30インチ、19オンス。


買っちゃったよ。
269ドルでした。
「高いバット買ったんだから、絶対にヒット打ちなさいよ」 などと、母ちゃんはもう、言いませんでした。
言わなくても、269ドルの重荷は、息子にしーーーーーーーっかりのし掛かってるみたいだったし。
しみじみと新しいバットを愛でながら、ただただ、素振りに励む息子なのでした。

さて。
新しいバットがきっかけで、いきなり息子がヒットを打ち始めたら、
テレビドラマか漫画みたいな展開なんだけど。
現実は、やっぱり、やっぱり、厳しいわけで。
でもそれは、次回のお話。

(つづく)

おことわり

実は、昨夜、秋の少年野球がどんな風だったのか、6本に渡るエントリーを書き、そのうち5本まで公開していたのですが。
よくよく考えたら、息子もすでに思春期前期のお仲間入りをしているわけで、
それどころか数年後には、パソコンやネットとのお付き合いも始まる可能性が濃厚なわけで、
そろそろ、息子ネタを書き散らすのも自粛するタイミングかなあ、と思い直し、
結局、全部、公開を取りやめました。

思えば、「ベイビーパッカーでいこう」 (日本評論社) 以来、息子のお陰で随分と駄文を書き連ね、それでいくばくかの原稿料もいただいてきたわけですが、段々とそういうこともできなくなるんだろうなぁ。
息子や子育てをネタに、原稿料を稼ぐのは、息子が小学校を卒業するまでにしよう、と心に決めていたわけだけど、小学校5年生でもすでに、なんというか、人格を持った人間なのねえ。
……って当たり前なんだけど。

ちなみに、週刊ポストの連載に関しては、息子も読んでおり、時には、「母ちゃん。これ、俺がいなかったら書けなかった原稿だろ。モデル料、ちょうだい」 とちゃっかりのたまうようになりました。
こんな感じで、時々プライバシーを切り売りして生活している母ちゃんを持った運命を呪わず、したたかにそれをうまく遣い倒しながら、ちゃっかり生きていってほしいもんだ、というのが、母ちゃんの切なる思いなのであります。

というわけで、いったんアップしたエントリーを全部削除しました。
おさわがせして、ごめんなさい。

たまらん夢

息子のトライアウトの夜、たまらん夢を見た。
滅多に夢を見ない体質で、おまけに 「夢を見た気がする」 という確信があっても、それを覚えているなんてことは滅多にない体質なので、朝になっても覚えている夢というのは、それだけで、妙な気持ちだ。
それにたいてい、私の見る夢 (=朝まで覚えている夢) は、悪いものばかりだから。

断片的な記憶によると、夢はこんな感じ。
息子たちのチームが野球の試合をやっている。
私はいつものようにスコアをつけている。
試合は初回から快勝ムードで、なんか理由は分からないけれど、あれこれ周囲に気を回しているうちに、息子の打順が終わってしまう。

あーん、見逃した!
と思って、夫に聞くと、夫がぶ然として、
「バントサインが出された」 という。
初回で、すでに10−0と大量得点差をつけた状態で、2アウトランナー2、3塁、という場面で、息子にバントサインが出されたという。息子はバントをきれいに決めたけれど、もちろん、ファーストアウトで、得点はならず。
それで、チェンジ。

「ああ、こんな場面ですら息子にはバントサインが出されるのか……。やはりこのチームに残留させたのが間違いだったのか」 と、たまらない思いにかられる、という展開。

おまけに、そこからはもっとキテレツな展開で、気づけば私は船に乗っている。
なんかやけ酒飲んで、完全に泥酔しているところで、悪いヤツにダマされ、世界一周のクルーズの旅に連れて行かれたのだ。

「船から降ろしてくれー。
息子が野球の試合中なんだ。
試合を私は観たいんだ!」


と、見渡す限りの大海原の真ん中の船の上で、私はオイオイオイと泣いている。
そんな夢。
こりゃもう、病気だな。
それも相当に重症。
ああ、もう、こうなったら、息子の野球なんか忘れて、本当に、一人世界一周クルーズにでも出掛けたほうが良いのかも。

夢の内容を深読みするのはあまり好きじゃないけれど、たとえ息子がトライアウトにもしも受かったとしても、今のチームで来シーズンも野球を続けることが息子にとって幸せなのかどうか、私の中ではどこまでも迷いが残っているってことなんだろうなあ。
まいったまいった。
プロフィール

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。
   仕事を辞めて渡米。
   メリーランド州在住。
   現在、週刊ポストに
   「ニッポンあ・ちゃ・ちゃ」
   を連載中。
趣味■読書、ピアノ、旅、昆虫飼育
目標■ちょっと背伸びして、
    疑問符を感嘆符に変えること
苦手■勧善懲悪
著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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