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MY AMERICAN FRIENDS-- a letter from Tokyo

Dear friends,

One year has passed since the earthquake and tsunami.
Some American friends of mine kindly sent me an email or sent me a message via Facebook on March 11th this year, and asked me how things really were in Japan.

Here are some updates of Japan, and my life.


This is a slideshow of 3.11 in Japan, with English captions.

http://jp.wsj.com/japanrealtime/blog/archives/9873/tab/slideshow/


I would like you all to look at this, especially the last photo. This is our saddest, toughest, but the most hopeful year we ever had.

I enjoy my job as a newspapers writer. I sometimes write about the earthquake and the tsunami. It is difficult. Whenever I write about it, I cannot help feeling a kind of guilt that I was not in Japan at that moment. This sense, which I felt for the first time on March 11th last year, still remains with me. It may never go away.

However, now I must decide to do what I can in Japan (especially as a journalist). I will keep on doing what I can do wherever I am. This is just the simplest but the most important goal for me.

By the way, I joined the Japanese chorus group at the beginning of February. Yes, I finally began to sing in Japan.
On March 11th, our chorus group entered a chorus contest held in a city near Mt. Fuji. We sang several songs. My favorite is Haru-no Ashioto written by Kentaro Satou, also known as Ken-P, a Japanese composer who has been in the U.S.

http://www.wisemanproject.com/score/KisetsunoShiori-1E-Spring-A4-no-copy.pdf (you can see some English words in the last page)

The words I fell in love with are

“I sing.
I sing yesterday’s wish,
and tomorrow’s dream.”


Whenever I sing this song, these words remind me of 3.11 and make me cry.
Please try and listen to the song.
This is its music filed on the composer’s website;

http://www.wisemanproject.com/mp3/110308-HarunoAshioto-OsakaChoralWorkshop.mp3


I believe you understand why I fell in love with this song.
We sang this song from our heart, and we won the 3rd prize at the concert.
We were very happy that we could share our message with listeners there.
Hopefully I can share it with you, too.

Love,
Ayako Oguni
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あなたは長生きしたいですか?

長生き、について、あれこれ考えています。
実は最近、周囲の友人知人から、「あんまり長生きしたくないな」 って声を聞くことが増えました。
自分より若い世代からは、「年金も心配だし、長生きしてもロクなことがなさそう」 など。
上の世代からは、「長生きして、子どものお荷物になるの、嫌だしね」 みたいな。
こんなにたくさんの人が、「長生きしたくない」 と思ってしまう世の中って、いったい何なんでしょう。

7年前から、「死にたい」「切りたい」 という若い人たちの取材をしてきて、ふと思う。
「死にたい」 と 「長生きしたくない」 の間には、大きな大きな違いがきっとある。
でも、死にたいと思ったり、生きづらさを抱えている、私が取材してきた若い人たちにとって、世の中の多くの人が 「あまり長生きしたくない」 と思ってしまうような世の中が、生きやすいわけがないんじゃないか、って。

27歳の時、母が死んだ。
母は53歳だった。
ああ、きっと私も53歳で死ぬ。
人生折り返したなあ、と当時は思ったもんだ。

40歳過ぎた今、ええい、こうなったら100歳まで生きて、この世が、この国がどうなるのか、見届けてやるっ!
などと思っている私だけれど、
「長生き」 をネガティブに考えざるを得ない時代は、やっぱり嫌だ。
そして、願わくば、私がこれまで取材してきた、生きづらさを抱えた彼女、彼らが、より生き生きと暮らしていける社会であってほしい。
切にそう願う。

あなたは長生き、したいですか?

春のおすそわけ

kankoubai.jpg

寒紅梅。
数輪、咲いていた。
今年は春が遅いね。


tanpopo.jpg

おひさしぶり! 日本のタンポポ。
去年まで、こんなのを見つけたら、家族で血眼になって、必死で抜いてたのにねえ。
日本の春は、タンポポを大切に出来るからうれしい。

(アメリカでは、タンポポは、青い芝生をダメにする史上最悪の雑草、なのです。
除草剤のラベルには、たいてい、タンポポの絵が載ってるくらいに)。


shinamansaku.jpg

私が一番大好きな早春の花。
ふふふふふ。
まんず、咲く、ってやつです。

試運転のツイッターで誤った事実を拡散してしまった、の巻

1月から始めた試運転中のツイッターで、間違った情報を流してしまったことに気付きました。取り急ぎ、ブログにて、訂正の上、経緯を説明いたします。

私の尊敬している米国在住の方が、ご自分の骨粗しょう症検査をめぐる体験を書かれた上で、日本の医療について、

日本は不必要な検査をしているだけ?」 
とツイートなさいました。
私はこれに対し、

中学生の医療費がタダなので近所の整骨院はマッサージ目的の野球少年のたまり場に。親はタダだから頻繁に行かせ、医者はもうかる。医療費はうなぎのぼり。我が家、米国では無保険だったのでCTなんて夢のまた夢だったのに

と書き加え、非公式RT(という表現でよいのでしょうか?)しました。
こちらのツイートが、何人かの方にRTされました。

数時間後、何人かの方から、

整骨院には医師はいない

というご指摘をいただきました。
もう、真っ青!
ご指摘の通り、私の完全な勘違い、間違いでした。
整骨院ではなく、整形外科の誤りだったのです。

また、RTにて拡散されている中で、お医者さんが治療行為ではなく、マッサージだけをしているような誤解も招いていることを知りました。こちらも、私の舌足らずでした。

これに気付いた段階で、以下のような2件をツイートしました。
(外出中だったため、こちらの対応も遅れてしまいましたが)。

ご指摘感謝。先のRT、整骨院ではなく、整形外科、でした。すみません! あと「マッサージ目的」なのはあくまで少年たち。医師は野球肘などの治療に加え、マッサージや年齢に応じた筋トレ指導まで相談にも乗ってくだるので親子の信頼は厚いし、貴重な放課後の居場所にもなってるらしいです。

だから、地域のスポーツ少年にとってはとてもありがたいお医者さんでもあります。ただ、これらが無料でいいのかなあ、と。税金の使い道としてどうなのかなあ、と。アメリカとの落差に、心底驚いちゃったんですよね。

それでも、ツイッターを始めたばかりの私のフォロワーなんて30人程度で、私がこうして訂正ツイートをしたところで、すでに拡散してしまった前のツイートを読まれた方には、届けようがありません。
どうしてよいかわからず、とりあえず、外出先から帰ってきた今、あれこれ考えて、ブログにエントリーを書いた上で、RTくださった方と、お気に入り登録してくださった方には、ダイレクトメッセージにて、訂正内容をお伝えし、ブログのURLをお知らせしよう、と思っております。
(本来、そういう手法が適切なのかどうかも分からないのですが、それくらいしか思いつきませんでした。かえってご迷惑をかけてしまうのかも……と若干不安ではあります)。

今回のことで、最初にショックだったのは、自分が間違えた情報を発信したと気付いたとき、あとになって訂正したいと思っても、受け手の全員に訂正をお届けするすべを自分が知らない、ということでした。
(今もそうです。こういう場合、本来ならどうするべきなのか、ご助言ください。きちんと勉強していきたいと思います)。

さらに、しばらくして、もう一つのことに気付き、さらに立ち直れなくなりました。私の書いた内容をRTしてくださった方々に対して、私は、「間違えた情報を発信させてしまった」 ってことなんですね。
気付いた時は、さすがに食べ物がのどを通りませんでした。
ああ、どうすればいいんだろう、って。

以上が、今回の経緯です。
誤解させてしまった方々、本当にごめんなさい。
また、RTの形で、結果的に間違った情報を発信させてしまったお相手の皆様にはもう、なんとお詫びしてよいのか分かりません。
間違えた情報を読んだ方々に、どうか訂正情報が届きますように……と祈るような思いです。

その上で、140字ではとても書きつくせないので、今回、私が脳髄反射でRTしてしまった事情を少しだけご説明しようと思います。
アメリカに暮らしていたころ、野球少年だった息子が腰痛を訴えました。必死でネットで情報収集をして、もしかしたら、腰椎分離症ではないか、と考えました。
日本では、まずレントゲンを取り、それでも原因が分からないときは、CTやMRIをとることもある、と知りました。早期発見できれば、治療方法もあるが、治療が遅れれば、骨がくっつくことはない、ということも知りました。

アメリカでスポーツドクターにかかったところ、レントゲンの結果を見た医師が、「腰椎分離症ではないだろうから、様子をみましょう」とおっしゃいました。
「CTやMRIは撮らないのですか」と尋ねたら、
「現時点では必要ありません」と。

親にしてみれば、日本にいたならCTやMRIを撮ることで、よりきちんと検査できたのに、という思いでした。無保険状態だった我が家では、アメリカでCTなど撮ろうものなら、何千ドルとかかると言われ、「念のために」なんて理由では、とうてい撮ることができなかったのです。将来、子どもの腰に何かあったら、私たち親の責任だ、とたまらない思いでした。親の英語力不足のせいで、何か大事な情報を聞き漏らしているのではないか、とか、怖くて怖くてしかたありませんでした。

それが日本に帰国し、地域のスポーツ少年たちが、整形外科に無料で通っているのを見た時には、本当に感動したものです。
医療行為である治療をしながらも、一方で、スポーツ少年の相談に乗ったり、年齢にふさわしいトレーニングの仕方を教授したり、マッサージしたり……そういう居心地の良い医療機関に、地元の子どもたちは頻繁に通い、親も「無料だから」と喜んでいることを知り、日本ってすごいなあ、と思いました。

でも一方で、税金の使い道を考えたときに、ここまで無料である必要があるんだろうか、とも思ったんです。限られた財源で、本当に困っている人を支えようと考えたとき、今の制度って本当にベストなんだろうか?と。

息子に関していえば、しばらく様子を見ることで、腰痛は治まりました。帰国してからもCTやMRIは撮っていません。もしかして撮ってみたら、「腰椎分離症を放置しちゃってたんですね」といわれるような状態なのかもしれません。
でも、今は症状もありませんし、あの時点で、「CTやMRIを撮る必要はない」とおっしゃったアメリカの医師の判断は妥当だったんだ、とも感じています。

そんなことを考えていた時、先のツイートを見たもので、ついつい、脳髄反射で非公式RTしてしまいました。
事実関係については十分に慎重であるべきだったのに、それを怠りました。
今後このようなことのないよう、ツイッターについてもう少し勉強して、情報発信するときにはもっと慎重に事実関係に誤りがないかを確認していきたいと思います。

正直いうと、「こんな私にツイッターを続ける資格なんてないわ。なんだか怖いし、やめてしまおう」と思わなかったわけでもないのですが……。
それでも、古いメディアに勤めながら、新しいメディアのありようをもっと知りたい、勉強したい、と思う者として、ここで閉じこもってしまっちゃいけないな、と。
失敗のたびに真摯に反省し、できる限りのお詫びしながら、それでもやっぱり、ひるまず、新しいことに一つひとつ挑戦し、学んでいくしかないなあ、と今は思っています。

そんなわけで、みなさま、今後とも、よろしくご指導お願いいたします。
今回、私の間違いをご指摘くださった方に、心より感謝します。本当に貴重な勉強をさせていただきました!!!
また、こういうケースの場合、どんな風に対応するのがもっとも誠実なのか、なんてご助言もお待ちいたします。


明日が楽しみなのは、いいことだ

久しぶりに、13歳の息子の話。
(普段はもう、息子の話は書かないようにしてるんだけど、ま、今回は、ポジティブな話だから、公開しちゃおう)。
本日10日、いよいよ息子の中学で3学期が始まった。
(私の、お弁当作りライフも、再びスタートだ)。

実はこの週末、福井市に住む私の妹一家を、息子と訪ねたんだけどね。
越前ガニ(オス)だ、セイコガニ(メス)だ、寒ブリだ、ガサエビだ(生で食べると甘エビよりうまいっ! 甘エビとボタンエビの良いとこ取りみたいな味)、取れたての色とりどりの野菜だ、とごちそう三昧。
で、その帰り道。

こっちは、「あーあ、ちくしょー、明日からまた仕事だぜ」 なんて気分なのにさ。
隣で、息子がいう。

明日、楽しみだな~

へ? 明日、なんかあったっけ?

学校に行くの、久しぶりだし

………。
ああ、神サマ。
しばらく口がきけなかったよ。

自慢じゃないが (いや、ホントに自慢になんないんだけど)、息子は保育園に通い始めた生後11ヶ月から常に 「登園拒否児」 だった。
5歳くらいになると、それでもなんだかんだと、病気もせず毎日通ってくれたけれども、それでも私は時々、見知らぬお母さんからこんな風に声を掛けられたもんだ。

「あの……おぐにさんですか? うちの子どもが保育園に行きたがらないんです。保育士さんに相談したら、『おぐにさんは登園拒否児の母の大先輩だから、聞いてみたら』 って言われて」

みたいな。
とほほほほ。

小学校に上がってからは、比較的穏やかに登校していたけれども、それでも、息子に 「学校楽しい?」 なんて尋ねた日には、必ずこういう答えが返ってきたもんだ。

「あのね、母ちゃん。オレは基本的に、学校は嫌いなの」

さらに、アメリカに行って最初の2年間くらいは、もう大変!
登校拒否傾向にはますます磨きがかかり、学校がいやだいやだ、が口癖みたいだった。
しかし、私のほうも、「登校拒否児母歴10年」 ともなれば 「いやだ」慣れしちゃっていて、本気の「いやだ」 とガス抜きの「いやだ」 の区別がつくようになってたもんね。
年に2~3回、本気の「いやだ」 の時だけ親公認ずる休み宣言し、「休むのも生活の知恵。でも、明日は行けよ」 などと休ませて、遠出したり、外でバーベキューしたりして気分転換したっけなあ。

……なーんて長い長い闘いの日々の後、まさか、13歳という難しいお年頃の息子の口から、「学校が楽しみ」 なるセリフを聞かせてもらえるなんて、思ってもみなかったよ。

相手が思春期ですから、ここは大げさに感涙するわけにもいかず、「へええ」 などと無関心なそぶりを見せながら、心の中でこっそり、また一つ、子離れスイッチを押したのだった。

ちょうど去年の今頃だったよな。母息子でアメリカから一時帰国し、狭い狭いウィークリーマンションで、時差ぼけと闘いながら、今の中学を受験したのって。(いや、受験をしたのは息子なんだけど)。
息子が寝た後、夫婦でしみじみと、「あの時、頑張って良かったなあ」、と語り合ったのだった (いや、頑張ったのも息子なんだけど)。

ずっとずっとずっとうらやましかった。
「保育園大好き!」「お友だちと一緒にいたい!」「学校が楽しい!」 という子どもたちを持った親のこと。
あんなだったら、どんなに明るい気持ちで仕事できるだろうなぁ、と。

でも今、長い長い登校拒否児母の日々があったからこそ、この喜びがあるのだわー、と思う。
なんかもう、これから始まるだろう反抗期だって、怖くないわ、と思う。
だって、苦労が深いほどに、後の喜びも味わい深いと、子育ての奥深さを知っちゃったもんね~。
(いや、やっぱり、子育てはラクなほうがいいし、子どもは育てやすいほうが助かるけど)。

あーあ。それにしても。
子育ても、いよいよ、あとちょっとだなあ。


初詣に思ったこと

2012年の初詣は、東北は遠刈田温泉の小さな神社。
お賽銭入れて、頭を垂れ、思わず

「会社がつぶれませんように……」

と拝みかけた自分に、ただただ愕然とした。
おいおい、どうしたっていうんだい?
こんなことを拝むなんて、おまえは経営者かい?

新聞社を退社したのが2007年。
それから4年間、アメリカで暮らした。
ありがたいことに、なんだかんだとアメリカ滞在中にも書く機会をいただき、
週刊誌連載 (週刊ポスト「ニッポンあ・ちゃ・ちゃ」) を書きながらアメリカ社会を理解し、理解しながらまた書く、というような日々だった。
新しい人、考え方、文化に出会えたあの4年間は、私にとっては今も宝物だ。

さらに、
新聞社の外側から新聞記事を読む機会を得られたこと、海外から日本語情報を得たい一心からソーシャルメディアに少しはなじむことができたことも収穫だった。
日本に帰国するにあたっては、諸条件あれこれ考え尽くしたうえで、かつての勤め先の新聞社に再就職する、という道を選んだ。
古巣の新聞社には新しい制度ができていて、子育てを理由に退職した者には、一定の条件のもとに、再就職の道が開かれていた。
そんな制度の適用第一号として、私は古巣の新聞社に再就職したのだった。

再就職先ではこれまた、上司にも同僚にも、仕事にも恵まれ、もはや打ちきりの心配もなければ、黙っていても仕事が振ってくる、給料は振り込まれる、というありがたい労働環境のもと、毎日がもう、楽しくて楽しくて、ありがたくてありがたくて……。
おまけに、悩んだときにふとつぶやけば、周囲にいる同僚がああだこうだとアイデアを出してくれる、その環境がなんとも新鮮だったこと!
なるほど、たいていの仕事は自宅勤務のほうが能率が上がるが、こと企画勝負の仕事の場合は、あながちそうとも言えない、という話をどこかの本で読んだよな、などと思い出したほどだった。
アメリカでは、何を書いても、相談できる相手がほとんどいなかったからね。
同僚がいるって、なんとありがたいんだろう!

私は単純だから、もうすっかり感動してしまい、原稿は基本的に自宅で書くし、取材は会社の外でする生活にも関わらず、毎日ちゃんと会社に顔を出すようにしてたんだ (当たり前か)。

そしたら、やっぱり、失いたくなくなったんだねえ。
今の仕事環境を、手放したくない、と切実に思うようになっていたんだねえ。

アメリカでバッタバッタと新聞社がつぶれ、ここ10年で記者職の4分の1が失業した (ごめん、データ元が見つからない)、なんて話も聞いていたし、実際に、失業した友人もいたからね。
日本の新聞業界の先行きの暗さについては、帰国前から、とても危機感があった。
新聞社に再就職をするにあたっても、そのあたりは覚悟の上だった。

再就職してからも、社内で、「新聞は今後どうなっていくと思います?」 などと相手構わず話を向けた。
ところが、時々こんな返事がかえってくるものだから、愕然とさせられた。

「先行き厳しいけどね~。おぐにさんがいる間くらいは、まあ、大丈夫だよ」

二重の意味で、ショックだった。
一つは、組織を動かす立場にある50代が、すでに逃げ切りを考えている組織ってどうよ? というショック。
(全員ではありません。あくまで、一部の人の反応です)
もう一つは、「うそだろ、あと10年持つと思ってんのかよ?」 というショック。

それでも2011年の10月と11月と12月は、
45歳でいきなり 「新人記者」 になっちゃったアタフタな日々の中で、なかなかゆっくりじっくりとモノを考える余裕もなかったのだった。
だからだと思う。
冒頭の話に戻るけど、いきなり、初詣で、

「会社がつぶれませんように」

と願かけそうになっちゃったなんてね。
自分で自分の愚かさに愕然として、ひたすら恥じた。

お賽銭、わずか10円だったので、拝む中身の上書き保存なんて許されるかビミョーな気もしたのだけれど。
あわてて私は、つけたしたのだった。

「たとえ会社がつぶれようと、たとえ日本経済が破綻しようと、生きていける自分でありますように。
子どもと夫と、双方の両親とをきちんと守っていける私でありますように」

……それから、自分で自分にツッコミを入れた。

こんなこと、そもそも、神頼みして、どうするよ?
んなわけで、帰国から4ヶ月余。
30代(の一部の方)の覚悟と、20代(の一部の方)の才能に刺激をいただきつつ、上の世代の方々(の一部の方)の積み重ねてきたものに励まされつつ、私もどうにか性根入れ替えてあれこれ挑戦してみよう、と思っております。
2012年もよろしくお願いいたします。

追伸:今年の目標。「1本の記事も、思考停止せずに書くこと」
    新聞社に戻ると決めたからには、まずはその場所で。


うれしい絵葉書

仕事に復帰して、あっという間の1ヶ月半。
思うように原稿が書けず、うんうん悩んでいるところに、読者の方から、会社に1枚の絵葉書が届いた。
紅葉の記事を読んでくださった方らしい。

お帰りなさい!
小国さん!
久しぶりに、小国さんの書かれた記事が掲載されていて、
とてもうれしかったです。


とあって、ちょっと泣けた。
ちょっと自信喪失中の今、その絵葉書をまるでお守りのように、持ち歩いている。

はがきには、こんな文字も。

函館の旅でイカのお話に登場した息子さんも、大きくなられましたか。

びっくりした。
あれは2006年11月だから、そうか、きっかり5年前だ。
旅の記事で、こんなのを書いた。

あの5年前の記事を、覚えていてくださったなんて。
私が新聞から離れていた4年間、ちゃんと覚えていてくださったなんて。

ありがとうございますありがとうございます……と心で唱えながら、
締め切り目前、今夜も記事を書いてます。



親子でアンケート調査

古市憲寿さんの「絶望の国の幸福な若者たち」 を読んで、超若者13歳の息子にインタビューしてみることにした。

私 「今の暮らしに満足してますか」
息子「うん」
私 「将来に不安がありますか」
息子「うん」


おおおおお!
古市さんの提示した若者像と一緒だーーーっ!
ならば、これはどうだ?

私 「日本の将来に関心がありますか?」
息子「別に」

おおお、これも古市さんの若者像と同じだぞ。

私 「世界の出来事、将来に関心ありますか?」
息子「別に~」

があああああん。
これって、ただの、無関心若者じゃあないか。とほほほ。

ところが、息子がこう切り出した。
「なんかさ、一方的に都合のいい質問ばっかりされて、俺、むちゃくちゃ損してる気がするんだけど。俺も質問していい?」

もちろんもちろん。
じゃあ、親子でアンケート合戦といこうぜ。

息子「父ちゃんと結婚して後悔してませんか?」

………。
いきなりそれかよ。

私 「後悔なし。」
息子「えええええええええっ! うそだろ」
私 「あんたが知ってるよりは、父ちゃんはいいヤツなんだってば」
息子「ふうううううん」

私 「じゃあ、私の番ね。結婚するなら、専業主婦がいいですか、働く女がいいですか」
息子「俺、まだ結婚なんて考えてないし」

そりゃそうだな。

息子「近い将来、また海外に出たいですか?……ってこれ、答えがみえててつまらんな」
私 「もちろんイエス」

私 「あなたは、近い将来、また海外に出たいですか?」
息子「まあ、イエスかな。とにかく俺、もうかることをしたいの」
私 「だったら日本を出るしかないよ、どっちにしても。で、専業主婦ではなく、働く女を捕まえなさい」
息子「そういうもんか?」
私 「当然でしょ。シングルインカムよりは、ダブルインカムじゃないの」
息子「まあねえ」

息子「じゃあ、質問。今度海外に出るなら、夫と一緒に行きたいですか?」
私 「ノー!」
息子「ひえええ、まじ?」
私 「そりゃそうでしょ。これまでは子育てがあるから、家族単位で行動してたけど、あんたが独立したら、海外なんて、一人で行くにこしたことないのよ。あんただってそうだよ。今度海外に出るときは、親がかりじゃなく、出なさい」
息子「へいへい」

この間、息子は常にシラフで、
私は、完璧な酔っ払いなのであった。
なんとも平和な秋の夜。

お店は、息子が保育園児のころからよく通っていた、バール・オステリア・コムム
生ハムとオリーブとチーズとワインがお勧めです。

今一番話を聞いてみたい人、西水さん

日本に帰ってきて、2ヶ月余り。
そろそろ、「あの人の話を聞いてみたい」「この人に会いたい!」 というのが出てきました。
現在、アプローチ中の意中の人の話はおいておいて。
今一番話を聞いてみたい人! の一人が、元世銀副総裁の西水美恵子さんです。

ご経歴を書き出してみると……。

1970年、米ガルチャー大卒(経済学専攻)。75年ジョンズ・ホプキンス大大学院博士課程(経済学)を卒業、プリンストン大経済学部(ウッドロー・ウイルソン・スクール兼任)助教授に就任。80年、世界銀行経済開発研究所に入行。エコノミスト、IBRD(世界銀行グループ・国際復興開発銀行)のリスク管理・金融政策局長などを務めた後、97年、南アジア地域担当副総裁に就任。2003年、定年を待たず退職。以後、世界を舞台に様々なアドバイザーを続ける。07年よりシンクタンク・ソフィアバンクのパートナー。著書に「国をつくるという仕事」(英治出版)。


この西水さんがこの秋、日本に一時帰国されます。
東京でも講演をなさるというので、わくわくしているのです。

実はそもそも、この西水さん。
夫の方が、先に取材した相手。
アメリカ時代の話です。

当時の記事内容をかいつまんで言うならば、

「自信喪失した日本人」 なーんてことをことさらに言いたがるのは、そうやって書きたてているマスコミや政治家、大企業の社員だけなんじゃないか。日本がお金持ちで世界中からちやほやされていたバブル時代の幻影を追い求めているだけで、実はそういう世代のおっちゃん達は、官僚組織や終身雇用と年功序列に守られているんで、本当のところ、本気で危機感を感じちゃいないよね~、って話。

さらに、中小企業や地方の人たちや若い人たちは、そんなこと言ってる余裕すらなく、もっと早いうちからきちんと危機感を持ち、新たなものを生もうと頑張ってるよ、と。
さらにさらに、若者が「内向き」って言いたがるのだって、そういうおっちゃん達であって、会社からの海外転勤を断るのは、会社からの異動命令は絶対だと思い込んでる上の世代よりよっぽど自立してんじゃないかいな、という指摘もあったっけ。

夫は大変感銘を受けて帰ってきました。
新聞記者というのは、すごい人を取材するたび、いちいち人生観が変わったりするわけだけど。
実際に、人生は変わらないことが多いように思います。

でも、夫に関していえば、案外、西水さんの取材は、夫は人生観だけでなく、人生というか生き方も少し変えたんじゃないかな、と。具体的には書きませんが。
そんなこともあって、ぜひぜひ、西水さんの話をうかがいたかったんですよね。

で、一つ宣伝。
朝日新聞の企画ですが、東京で西水さんのお話が聞ける機会を用意してくださっています。
働く女性の応援プロジェクト、「生き方カレッジ」第四回。
詳しくはこちらを。
私はすでに申し込みました。
まだ、満員になってません。
この機会に、どなたか行きません?

ちなみに今回のイベントは女性限定ですが、
ほんとは西水さんの話、男性にも聞かせてあげたいなあ~。

45歳再就職、の壁。

ブランクは4年。
今回、再就職したのは、17年勤めたのと同じ新聞社。
おまけに配属されたのは、辞める前、5年以上も働いたのと同じ部署。
おまけにおまけに、私はとても、その部署での仕事を愛していたのだ。

となれば、まさかここまで、再就職にあたって自分が緊張するなんて、誰が想像するでしょう!?

ところが……。
ああ、もう。
みなさん、好きに笑ってやってください。

私は最初、社名を名乗って、電話1本かけるのにも、緊張しました。
4年ぶりに、新聞社の名刺を取材相手に差し出すとき、本気でドキドキしました。
(名刺に書いてある社名も、部署名も、肩書きまでも、まるで4年前と変わっていないというのに!)
家に帰ればヘトヘトで、すっかり疲れやすくなっていて、それが年齢のせいなのか、久しぶりの仕事のせいなのかもよく分からず、昔から得意技だった自宅での長時間残業のスピードはすっかり落ちてしまって、ああ、こんなことで本当に大丈夫なのかしら、と。
ホントは、不安で不安で不安で不安で仕方ないのです。

職場では、
「まったく変わらないねえ」 だの、
「君がここにいても、全然違和感ないや。いなかったことが不思議な感じ」 だの、
「同じ仕事なんだし、ラクショーだろ」 だの、
皆さんお声をかけてくださるわけで、
温かいまなざしで見守り、声がけしてくださる諸先輩やら仲間に感謝しつつも、
腹の中で、私は思わず、叫ぶわけです。


じょ、じょーだんじゃないわよっ!
楽勝なわけないでしょーーーーっ!
必死なのよ、
毎日、ドキドキしてんのよ、
恥ずかしいくらい、アタフタしてんのよーーーーーっ!


顔で笑って、心で泣いて。
仕事に慣れるには、もう少し時間がかかりそうです。
以上、45歳で再就職した私の、かなり正直な感想なのでした。

プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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