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読書日記11、12月

2012年は、年間160冊ペースでした。
記憶の欠落が頻繁に起こることもあり、自分の備忘録として記録をつけてきましたが、こうして文章に残してもなお、記憶が定着していないことが昨年判明し、がああああん。
それでも、書かねばもっと忘れてしまうので、やっぱり今年も記録に残しておこうと思います。
主に、自分のために。
ということで2012年11、12月に読んだ本の備忘録です。

■ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて 安田浩一
 読み応えのある本でした。以下、気になった部分を列挙。
*母がイラン人、父が日本人という男性は、「在特会のメンバーは僕のようなハーフを何の抵抗も偏見もなく受け入れてくれた。日本が好きだと話す僕を、愛国者として認めてくれたんです」。筆者は「愛国心とは寂しき者立ちの最後のより所ではないかと感じてしまうのだ」とも。
*289ページ。広島で、「周囲を威嚇し、市民団体を蹴散らすようにしながら日の丸集団が行く」という場面を見て、筆者は「気持ちいいだろうなと私は思った」とも書く。
*324ページ。西日本で支部長を務めた男性のコメントとして「(在特会の)メンバーには、ここではじめて〝認められた〟喜びを得る人間が多い」と打ち明けたと書く。シュプレヒコールを叫ぶと、みなが唱和してくれる。これがやみつきになるのだと。筆者も、「偏狭なナショナリズムを煽っているようにしか見えない在特会だが、そうした『懐の深さ』がある面は否定できない」と書いている。
 内側に入った者への「懐の広さ」になるほどなあ、と。

■警視庁捜査一課長 特捜本部事件簿 田宮榮一
 ホテルニュージャパンの火災事件の翌日に、羽田沖日航機墜落事故が起こるっていったい……。事件記者にしろ、刑事にしろ、大事件に当たる当たらないという運があって、それによって半生を左右されるもんなんだけど、それにしても、田宮さんの事件運、強すぎ。
 最も興味深かったエピソードは、とある殺人事件での取り調べ。容疑者は自供していたけれども、ベテランの刑事が「今は犯行を認めているが、公判で供述をひっくり返す恐れがある」と田宮さんに報告したそうで、田宮さんはこれを受け、あえて、供述調書を思い切り素人のキャリア警部見習いにやらせちゃう、という部分。下手にベテランの刑事が供述調書をまくと、「昨日いい忘れたことを本日は申し上げます」だの「本日は本当のことを申し上げたいと存じます」だの、ついつい美文(?)で矛盾ない物語に仕立て上げてしまう。逆に調書の任意性を公判で疑われないためにも、「こんなド素人がまいた調書ですから」と言えるように、あえて素人に「容疑者の言ったことだけをそのまま書け」と命じたのだって。実際、この容疑者は公判でいきなり犯行を否認し始めた、らしい。
 PC遠隔操作なりすまし犯行予告事件で、逮捕された4人中2人までが自白させられたことを思うと、このエピソードはとても含蓄深い。おまけに、「公判で供述をひっくり返すかも」と上司に報告したこのベテラン刑事というのが、これまた後の警視庁捜査一課長の寺尾正大氏というのだから、なるほどなあ、とうなるばかり。

■小沢一郎はなぜ裁かれたか 日本を蝕む司法と政治の暴走 石川知裕×佐藤優
 石川氏の本の中では、「悪党」よりこっちのほうが興味深かった。それにしても、最高裁判事の一席が、外務官僚の天下り先の指定席ってほんと? し、知らなかった。
 石川氏が保釈後の再聴取でその内容を録音したのは、佐藤氏の助言があったから。そもそも佐藤氏が親身に石川氏に助言を始めたきっかけは、石川氏がまだ任意で話を聞かれている段階で、担当検事から「あなたは『階段』だから」と言われたのを佐藤氏に告げたため。佐藤氏はその一言で、「自分の捜査が鈴木宗男氏への『階段』だったように、石川氏の捜査は小沢一郎につながる『階段』なんだ」と喝破し、石川氏は自分と同じ立場にいると痛感し、「あなたは早晩逮捕される」と石川氏に告げたという。実際、その後すぐに石川氏は逮捕されたわけで……。
 大変考えさせられる本でした。
 この本と合わせて、ネット上で、石川氏が録音したという取り調べの文字起こしを探して読んでみると、ある意図を持った地検特捜がどのような取り調べをし、どのような調書を取ろうとするのかがよく分かって、ものすごく興味深いです。

■悪党 小沢一郎に仕えて 石川知裕

■野球選手の栄養と食事 川端理香
 私には無理でも、息子が読んで、意識改革するんじゃないかと図書館で借りてみたが、さすがにそうもいかなかったみたい。失敗。

■プロメテウスの罠 朝日新聞特報部
 なるほど、とうなった部分と、なんか違うのではないか、と首を捻った部分と。話題作、であることに変りなし。

■夜の国のクーパー 伊坂幸太郎
 好きか嫌いかといわれたら嫌いじゃないけど、昔の作品のほうが好き……って絶対に伊坂ファンのうちの一定の読者が同じことをつぶやきながらこの本を読んでしまっているんだと思う。

■ぼくは、いつでもぼくだった。 いっこく堂
 ふりがなつきなので子どもでも読めます。児童書。
 腹話術のいっこく堂さんの半生記。過去のいじめ体験、育った地沖縄への思いもきちんと書かれていて、あらためてあの腹話術の向こう側にそんな色々な体験があったんだなあ、と感じました。

■舟を編む
 遅ればせながら「舟を編む」(三浦しをん)を読む。
これも昨日の逃避行動の一つなんだけれども。

2012年本屋大賞。
2011年の受賞作の「謎解きは……」で、「本屋の店員さんは本気でこの本を客に一番薦めたいのか? 勘弁してくれ!」と絶望的な気分になっていたのだけれど、「舟を編む」のほうは好きです。

若い世代でも楽しく読める。なぜなら、キャラ立ちすぎなほど立っていて、分かりやすい。登場人物全員の努力がちゃんと報われるから、読者の心も癒される。
ま、癒し系、ですな。逃避行動中の私にはちょうど良かった。
どーせ来年には読んだことすら忘れているだろうから、絶対に忘れたくない言葉だけを、ここに書き残しておこうとおもいます。

一箇所目は212ページ。板前さんの女性が、言葉の重要性を語る場面。料理の感想には複雑な言葉はいらない。「おいしい」の一言でいい。でも、板前修業のためには言葉が必要だ、と。「記憶とは言葉」だから。「香りや味や音をきっかけに、古い記憶が呼び起こされることがありますが、それはすなわち、曖昧なまま眠っていたものを言語化するということです」と。

記憶とは言葉ーー。
これを日々、切実に感じて暮らしています。私は悲しいくらい、「言語化したものしか覚えていられない」からです。
大切な人との思い出も、新しい経験から学んだあらゆる事柄も、どうしても覚えていたことであっても、言葉にしなかったものは恐ろしいスピードで記憶から消えてしまう。

小学校はおろか、中学校や高校の入学式だって、一つの記憶もありません。というか、小学校や中学校の記憶はもはや、ほとんどない。悔しかったことや恥ずかしかったことや、ネガティブな思い出がいくつか残っているだけ。
一方、高校時代のことは、少し思い出せることがある。これは私が日記をつけていたからだと思う。日記を読み返すことで、忘れずにいられただけなんだと思う。
なぜなら、日記をあまりつけなくなった大学時代の記憶のほうが、今では大きく欠落しているから。社会人になって長野支局にいた4年間の記憶もかなり曖昧。母が死んだ後の1年間の記憶なんて、ほぼ皆無。

「ほかの人みたいに色々なことを覚えていられない自分」との付き合い方を40年かけて身に着けてきたんだと思う。
だから、ひたすら言葉にしてしまう。
忘れたくないから。覚えていたいから。誰かに伝えたいから。今だけでなく、いつか来る日に。

この歳になって、気付いた。
だから、言葉を扱う仕事を選んだんだなあ、って。
言葉にしがみついていないと、私は社会とつながっていられなかったんだなあ、って。

そんなことをあらためて考えさせてくれた本でした。
著者さんの意図はたぶん、そんなところにはなかったのかもしれないけれど。

■ネット依存の恐怖 ひきこもり・キレる人間をつくるインターネットの落とし穴 牟田武生
■インターネット中毒 キンバリー・ヤング

■ギャンブル依存との向き合い方 NPO法人ワンデーポート 中村努ほか
 依存症アプローチだけだと救えない「ギャンブル依存」がある、という視点が興味深かったです。発達障害を含めた色々な背景をきちんと理解し、一人ひとりに応じた回復支援が必要だ、というのが本書の主な主張です。
 ネット依存の取材の中で、ワンデーポートと代表の中村努さんと出会いました。大変貴重な出会いでした。
 219ページ。「最初は『発達障害であるかないか』の判断にとらわれていましたが、少しずつ『発達特性を考慮に入れた支援の個別化』という考え方ができるようになってきたと思います。そして現時点では、発達障害の見方や支援の仕方を参考にしながら、発達障害か依存症かということにあまりこだわらず、『生活課題とそれに対応する支援に想像力を働かせる』という形に相談のやり方は変化してきました」
 シンプルな記述ですが、大変な試行錯誤を重ねてこられて導き出された道筋なのだと思います。多くを学ぶことができました。

■「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー 高橋秀実
 かなりお勧め。特に野球に興味のある方には。
 守備がまずくて5点取られても、6点取り返せば勝てる。だから徹底して打撃強化を。それも開成なんかにボカボカ打たれたら、つい名前と打撃力のギャップに驚いて、相手ピッチャーが動揺するから、それに乗じて大量得点を取ってしまえばこっちのもんさ、という戦略に、腹を抱えて笑いました。
 それがちゃんと当たっているんだから、すごい。おまけに選手たちも、実は真剣に努力していたりして、思わず息子に「これは絶対に面白いから読め」と勧めました。
 息子によると、チームメートの中でも何人も読み始めているとか。

■父・金正日と私  金正男独占告白 五味洋治

■トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか 羽根田治ほか

 まさに中国は万里の長城で遭難がおきて大騒ぎをしているころに、偶然、図書館に予約してあった本書の順番が回ってきて手元に届いた。2つの遭難事故はともに同じ旅行代理店の主催したツアーだったことをしり、複雑な思いがしたのだった。
 トムラウシ山遭難事故の時、私はアメリカにいたので、この事故についてはほとんど知らない。ただ、今回読んでみて、一つ、ぞっとした。
 夏山で、旭岳温泉から白雲岳を経て、白雲岳避難小屋に1泊し、次にヒサゴ沼避難小屋で2泊目、そしてトムラウシ山へ……というコースは、実は私が25年以上前、生まれて初めての単独行で採ったコースとほとんど同じだったから。
 私の場合は、旭岳温泉ではなく、層雲峡のほうから上ったのだけれど。1泊目の小屋も2泊目の小屋も同じ。それどころか、1日目は快晴だが徐々に天候が崩れ……という展開まで同じだった。私の場合は、ヒサゴ沼避難小屋で翌日の天気を検討し、どうせ雨の中の山行になるなら、トムラウシはあきらめて天人峡温泉へのエスケープルートで下山する、という結論を出した。翌朝は、ただの小雨だったけれども、それでも天人峡温泉に降りた。軟弱だったから、というのもあるけど、一人山行だったから、というのが大きかったと思う。一人だと、自分で自分の身を守らなきゃいけないことを、ひしひしひしと感じるものだし。一人だったから、そんなに荷物も担げなかったし、ビバークの用意くらいはあったけど、ちゃんとしたテントすら担いでなかったので、無理は禁物とよーく分かっていたから。
 だから、この本で、問題のツアーの検証の中で、参加者の多くが、ヒサゴ沼避難小屋を朝出発する時、「こんな雨の中、ほんとに行くの?」「1日予定を遅らせたっていいのに」などと内心思っていたのに、誰も周囲のメンバーに気を使って口に出せなかった、ということい複雑な思いをした。だいたい、思ったことが口に出せない相手と一緒に山に登るのは、それだけで危険な気がする。……と思ってしまう私は、きっとツアー登山に向いてないんだろう。いや、いまの体力ではどんな登山にも向いてない気がするけれど。
 天人峡温泉へのエスケープルートだって、雨の日はせいぜい悪路で、そもそも下山の苦手な私は、「ひええええ、早い目に下山する結論を出しておいてよかった。雨の量が増えて、水が出てたら、後で下りるの、大変だったよ……」と思った記憶がある。
 あの時、「トムラウシ山にあこがれてこのルートを計画して、初の単独行のプレッシャーもあって半年間、ジョギングしたり一人でトレーニングしたのに、結局トムラウシには登れなかったなあ。でもま、人生長いし、いつでも登れるだろ、待ってろよ、トムラウシ」などと思いながら下山したわけだけど。人生長いけど、いまだに登れてません。トムラウシ。ははははは。
 それでも。今も思い出す快晴の日の白雲岳の雪渓の美しさ。シマウマみたいなあの山の姿を、もう一度見たい、と今も思います。(白雲岳を見るだけだったら、今の私でも大丈夫だろうと思う。お天気の良い日にロープウェイで上まで上っちゃって、楽しい稜線歩きしちゃうのだ。待ってろよ、白雲岳)。

■1984年 ジョージ・オーウェル
■働く大人の教養課程 岡田憲治
 キーワードは、▽「わからない」を仕分ける▽「ただ教えて」から「ちゃんと尋ねる」へ▽「発言」という日本語(発言、という言葉のつくのは、トンデモ発言、問題発言、差別発言、などネガティブなことばっかり)

■静かに「政治」の話を続けよう

■生き方の不平等 白波瀬佐和子
 これは手元においてしっかり読もう……と思えた本だったはずなのだけれど。なんだか頭にすいすいと入ってこない。相性が悪いんだろうか。ちょっと時間をおいて、また読みなおすことにします。

■ふしぎなキリスト教 橋爪大三郎&大澤真幸
 大変評判の良い新書だったので、楽しみにしてたんだけど……。私にはあまり響かなかったなあ。というわりには、自分向けの備忘リストは結構長々とあります。

*65ページ <一神教の場合、Godとの対話が成り立つのです。それはGodが人格的な存在だから。「神様、世界はなぜこうなっているんですか」「神様、人間はなぜこんな苦しみにあうのですか」。そう訴えてもいいし、感謝でもよいので、Godheno語りかけを繰り返す。このGodとの不断のコミュニケーションを、祈りといいます。この種の祈りは、一神教に特有のものなんですね。>
*122ページ(日本人が「科学と宗教は対立する」と考えることについて、そのこと自体を「ナンセンス」と書き、)<科学はもともと、神の計画を明らかにしようと、自然の解明に取り組んだ結果うまれたもの。宗教の副産物です。でもその結果、聖書に書いてあることと違った結論になった。(宗教と科学との両方を矛盾なく信じることができる各宗派のスタンスをこの後で説明)
*320ページ <キリスト教のふしぎは、音楽、美術などの芸術に深い影響を与えていることです。(略)まず、音楽。音楽はキリスト教の場合、禁止されなかった。イスラムには宗教音楽がありません。禁止なのです。ですから、アザーンもクルアーンの朗唱も、私たちが聴くと音楽みたいでも、絶対に音楽ではないとされている。>
*330ページ <日本人の考える無神論は、神に支配されたくないという感情なんです。「はまると怖い」とかも、だいたいそう。それは大多数の人々の共通感覚だから、もしそれを無神論というなら、日本人は無神論が大好きです。でも、これは、一神教の想定する無神論とはだいぶ違う。日本人が神に支配されたくないのは、そのぶん自分の主体性を奪われるから。日本人は主体性が大好きで、努力が大好きで、努力でよりよい結果を実現しようとする。その努力をしない怠け者が大嫌いで、神まかせも大嫌い。と考える人々なのです。だからカミが大勢いる。カミが大勢いれば、カミひとりの勢力はその分殺がれる。人間の主体性が発揮しやすい>(橋爪大三郎氏)

■教育の悪魔 見えない「いじめ」を解決するために 山脇由貴子
 いじめを解決するための実践ルール、の章が興味深かったです。特に、学校に親はどう告知すべきか、という点。学校は調査します、というだろうが、調査は結構です、と言えと。いじめの真実は、いじめられた側にしか分からないから、「いじめはありました」と報告すべきだ、と。学校に相談するのではなく、報告だ、と。
 もう1点。いじめの解決と、責任追及は、同時にはできない、というのも考えさせられました。
 結構大事だと思ったのは保護者会でのいじめ報告。この時に、全員の保護者に、自宅で自分の子どもに「あなたはやってないわよね」などと尋ねない、というのを徹底しなければならない、というのに深く共感。誰が何をやったか、誰が一番ひどかったか、そういうことを親が子どもに聴き始めたら、結局、みなが保身に走り、責任転嫁が始まるから。
 そうでなはく、親が子に伝えるべきは、次のこと。「今日の保護者会でいじめがあったことを知った。いじめは誰もが被害者にも加害者にもなりうる。だから親全員一丸となっていじめを解決しよう、ってことになったから」と子どもにつたえ、ただごとではないという真剣さがつたわれば、他人事ではなく、おのずと子どもたちの行動も変わっていく、と。
■震える学校 不信地獄の「いじめ社会」を打ち破るために 山脇由貴子
 冒頭の、教師がいじめにあうエピソードに震撼します。ネットというツールとその匿名性を武器に、子どもが大人を集団でいじめることができる時代になったとは。
 教師が「あのエロ教師、買春やってる」「着替えをのぞかれた」などとネット上で噂を立てられた場合、あるいは、死ね、キモいなどの匿名メールを何本も送りつけられ、「奥さんをレイプする」などの脅迫を受けた場合、教師は①生徒にいじめられたということを「恥」を感じ、誰にも相談できない②疑心暗鬼になり、子どもだけでなく、同僚なども加担しているのでは、などと不信地獄に陥るーーという問題があるようです。
 一方、先生がいじめの対象になっている限り、①生徒間のいじめが減る②親が学校批判に盛り上がり、子どもの学校や教師批判を受け入れてくれるーーという理由から、子どもにとっては望ましかったりするのだそうで。
 「教師いじめ」は、ますます増えていく予感がします。そういうことがどの教師にも起こりうるということを前提に、学校でしっかり、対応策を準備しておいたほうがいいんじゃないかな。

■悲しみの乗り越え方 高木慶子
 「グリーフケア」について。東非日本大震災の後、被災地でグリーフケアに取り組む高木先生の、震災直前に書かれた本です。152ページ、悲しみの乗り越え方について書かれたところで、「手放さなければならない時が来たら、思い切って手放す」ことによって、それがむしろ本人の「解放」になるという点、考えさせられました。
 この本は購入しようかな。高木先生、インタビューしてみたいです。

■3・11から考える「この国のかたち」 東北学を再建する 赤坂憲雄
 この本、とても勉強になりました。

*18ページ もし東北で被災していたら、きっとまるで異なった態度や行動を選んでいたと思いますが、幸か不幸か東京にいたのです。だからこそ、見えることは確実にあって、現場とはなにか、とあらためて考えさせられました。わたしは民俗学者ですから、現場でしか、フィールドでしか見えない、感じられないものがあることはよく知っています。しかし、これだけ被災エリアが広大であり、多様であり、また厳しく分断されていると、現場は孤立した点のように閉じられているんですね。東京にいるわたしの役割は、可能なかぎり遠くまで見はるかすこと、深く、深く、思考を巡らすことだと感じる瞬間がありました。(長く引用したのは、私にとってものすごく大切な視点だったから。あの日、日本におらず、アメリカで東日本大震災の日を迎えた者として。新聞記者として)

*54ページ 被災した神や仏をどう再建するのか、という問題(政府の復興会議で僧侶の玄侑さんが寺や寺社の再建を支援できないか、と繰り返し提案したことについて、行政は宗教に関わってはいけないという建前があって、予算をつけるなんてとんでもないとただちに退けられた、という話)

*69ページ (復興を巡る高齢者と若者世代の対立。高齢者は元通り、昔の村に暮らしたいといい、若い世代はもう、そこには戻りたくないということ)

*82ページ 「津波てんでんこ」は諸刃の剣、という問題。(てんでんこ、と語り継がなければいけなかったのは、東北地方では家族の絆が強すぎて、それを守らないと、家族のために津波に飲み込まれた人が続出したから。逆に家族の絆が薄まってきている時代に「てんでんこ」=てんで勝手に逃げればいい、というのは違うのではないか、という指摘。

*165ページ 貝塚について。津波に襲われなかった場所は、貝塚が見つかった場所であることが多い。縄文人は津波から身を守るために高台に暮らしたのか、という指摘。

*171ページ 三陸のわかめや松島のカキが震災・津波の翌年、とても好調。養殖棚のしたに分厚い層をなしていたヘドロが流され、きれいな海が戻ってきたから、と。

■アメリカは今日もステロイドを打つ USAスポーツ狂騒曲 町田智浩
 尊敬する町田さんのアメリカ本。図書館で読んだけど、これは後日、購入決定。
 以下、備忘録のページ数のみ。27、31、128、194、206、214

■アホ大学のバカ学生 グローバル人材と就活迷子のあいだ 石渡嶺司、山内太地

■したたかな「どじょう」 野田佳彦研究 大下英治
■松下政経塾とは何か 出井康博
■政権交代とは何だったのか 山口二郎
■政権交代論 山口二郎

■原発一揆 警戒区域で闘い続ける“ベコ屋”の記録 針谷勉

ここ1カ月くらいで読んだ本の中では、最も心に残った本です。
『希望の牧場・ふくしま』のことは以前からアンテナを立ててきたつもりですし、代表の吉沢正巳さんのお話を聴きに行ったこともあったもので、そのお人柄や信念にもすでに触れてました。が、この本を読むことで、さらに、これまでに何があり、どんな思いが吉沢さんを突き動かしているのか、それによって周囲のどんな人々が考え、行動してきたのか、よくわかりました。
良い本を世に出してくださった関係者みなさまに感謝の思いでいっぱいです。

以下、いつか自分で記事を書く日のために、覚えておきたいことを列挙しておきます。
*もともと吉沢さんは反原発を貫いてきた人で、1960年代には南相馬市小高区の「浪江・小高原発」に対して30年以上にわたって反対運動に参加してきた。
*吉沢さんは、2011年3月17日の夜中にはもう、東電本社に直談判に出かけていた。飼っている330頭の牛たちについて「あいつらは停電で水も飲めない。餌もない。いずれみんな死んじまう」と男泣きしたら、思いが伝わったのか、警備の警官が東電内部に連絡を取り、数分後には本店の応接室まで通された。30分間、半べそをかきながら「自衛隊や消防は決死の覚悟で戦ってるのに、東電は自分たちで作った原発をなぜ止められないのか」とまくし立てると、東電の主任もついに泣きだした、と。
*1週間にわたって車で寝泊まりしながらあちこちで抗議行動をしたが、その間、東京の警察官や役人はみな親切で、「心が通じた」という手応えもあった。しかし、浪江町に帰ってみると、1週間前と何も変わっていない。被ばく覚悟で牧場に通い牛の世話をすることに「意味があるのか」という堂々巡りの議論が牧場関係者の間で行われた。
*吉沢さんの父親は、満蒙開拓団出身者で、帰国後、まず千葉の四街道市で開墾を初め、さらに20年後、南相馬市と浪江町の山林を購入し、それが牧場の基礎となった。
*吉沢さんが活動をする過程で、被災者同士のいがみ合い、酪農農家同士のいがみ合いが起きた。たとえば「希望の牧場」の牛が、餌が足りないためによその家のビニールハウスを破って干し草を食べたり、一時帰国した人が自宅のいたるところに糞尿が落ちているのを見て言葉を失ったり、そういうことがあったため。
*酪農農家を最も傷つけたのは、動物愛護家や愛護団体による「殺処分反対!」の行動だった。たとえば、スプレーでガードレールや牛舎前の道路に「殺処分反対!」と落書きしていく。また、「行政は牛に洗剤を注射しころしている」「農家の同意を得ていない牛まで勝手に殺している」とガセを流す。しかし、実際の殺処分の現場では、行政や業者の職員は「信じられないくらい家畜の死骸を丁寧に扱う。クレーンでつるすときも、まるで人間の遺体でも運ぶかのように、ゆっくりと静かに動かす」(109ページ)。

■ザ・ギバー 記憶を伝える者 ロイス・ローリー
1993年度ニューベリー賞受賞作。
息子に読ませたくて借りたんだけど、私のほうも夢中になってしまいました。かつて復刊運動があった、というのもうなづけます。図書館で講談社版を借りましたが、これから読むなら、復刊版を読まれるといいかもしれません。
http://3.bp.blogspot.com/_l3db36LimII/S_vtlTFQf1I/AAAAAAAAAB4/ydXjLxtyi0Q/s1600/giver.jpg

■寅さんとイエス 米田彰男
イエスの風貌、ユーモア、その存在は、実は寅さんの世界に類似している」と神父で清泉女子大教授の米田氏が説く……かなりおもしろい本です。
寅さんの女性に対する「非接触」に着目し、福音書に見るイエスの「姦淫」の概念と対比させたり。うむむむー、と感心すること、多かったです。

■女性のいない世界 性比不均等がもたらす恐怖のシナリオ マーラ・ヴィステンドール

息子を持つ親としては、打ち震えますな。とても息子が結婚相手を見つけられるわけがない気がしてきた……。アジア全体でみれば、息子たちが結婚適齢期を迎える15年後、圧倒的に「男余り」現象が深刻化しているはずだから。
ただし、年末の仕事の忙しさゆえ、90ページまでしか読めなかった。いったん図書館にお返しし、年明け、再び順番が回ってきたら、全部読もうとおもいます。

私が、中国やインドのコミュニティーで生まれる新生児において、性比不均等が見られると知ったのは確か、ニューヨークにおける中国人やインド人コミュニティーのデータを、米国のカレッジの社会学の授業で知った時だったと思います。だから中国やインド、韓国あたりまでは知った話だったんですが……西アジアのアルメニア、アゼルバイジャン、グルジアあたりでも、中国に勝るとも劣らない性比不均等が見られている、というのには驚きました。つまり、ヒンズー教でもイスラム教でもキリスト教でも、同じ現象が起こっているって話。

以下、90ページまでで興味深かったことを列挙。
*性比不均等は、その国の首都、所得水準や教育水準の高い層から始まる。これはどの国でも同じ。32−33ページ。
*人口統計学者はすでに、「女児:男児=100:120」などという不均衡の現実を前に、これから数十年のうちに成人するはずの何千万人という独身男性のことを「余剰男性」と呼んでいる。37ページ。
*中国スイニン県では、経済発展とともに女子が消えていった。2007年、スイニンの母親が生んだ新生児は、女子100につき男子152人! 42ページ。
*パリの人口開発研究所の上級研究員であるギルモト氏が2005年に計算したところによると、もしもアジアの出生性比がこの数十年間、自然な平衡値である105を維持していたならば、アジア大陸にはあと1億6300万人の女性がいたはずだという。つまり、超音波検査と中絶が1億6000万人の女性の生命をうばった、ということ。この数って……日本の人口より多いんですよね。

■米国の光と影と、どうでもイイ話 向井万起男

文章、決して心地よい感じではないのですが、私にはツボにはまる情報が多かったです。
この本を読んで、観てみようと思った映画は、
*「ジョー・ブラックをよろしく」(1998年)
*「告発」(1995年)

読んでみようと思った本は、
*「自己再生 36歳オールドルーキー、ゼロからの挑戦」(斎藤隆インタビュー本)
*「日本人が知らない松坂メジャー革命」(朝日新書)
……著者は「日本人はチームワークを重視するが米国人は個人を重視するという固定観念に対して、例を挙げて反対している」んだそうだ。
*「大国アメリカはスポーツで動く」(2008年)
*「謎の1セント硬貨」(向井氏の、米国での体験記)
*「大リーガー」はスパイだった モー・バーグの生涯(平凡社)
*「背番号42メジャー・リーグの遺産」 ジャッキー・ロビンソン研究書
*「大統領オバマは、こうしてつくられた」(朝日新聞出版)

■神社のおかげさま 和田裕美

■ゲームの父・横井軍平伝 牧野武文
■横井軍平ゲーム館 牧野武文
(ゲームボーイの記事を書く前に読みました)
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読書日記7〜10月・下

イチオシ!は、赤坂真理さんの「東京プリズン」。何度も何度も書きなおし、それでも最後まであきらめなかったインタビュー記事でした。
あと、園子温さんの著作もいいです。私にとっては彼の映画より、彼の言葉のほうが好きです。
岡野雄一さんの「ペコロスの母に会いに行く」もお勧め。


■橋下語録(産経新聞大阪社会部)
■どうして君は友だちがいないのか(橋下徹)
■まっこう勝負!(橋下徹)

 橋下現象を知りたくて資料として読んだ本。案外とおもしろかったのが「どうして君は友だちがいないのか」。たとえば、

 <「空気を読む」行為を、いやらしくて子どもらしくないと考える大人は少なくありません。子どものうちぐらいは「イヤなことはイヤと言え」「周りのことなんか気にせず、自分を素直に出しなさい>なんてアドバイスする大人は多いでしょう。しかし「空気を読む」のは非常に重要なことです。子どもたちが小学校、中学校、高校を通して一番に学ばなければいけないこと、それは勉強というよりも人間関係を築く基礎能力だと僕は考えます>

 なんて一文とか。
 あと、彼の独特の友だち論は極めて興味深かったです。友だちなんてためにならない。友だちなんていらない。「本当の友だちがいない」なんて悩む必要はないんだ。友だちのハードルを下げてごらん。他人と一緒にいること自体、難しいことなんだから、苦なく一緒にいられるならそれで十分友だちと言えばいい。友だちなんて人生の一部だし、長くつきあえる友だちって実は大人だってほとんどいない。信じられないなら、自分の親に聞いてごらん、「パパやママは今、親友って呼べて、頻繁に一緒にいるような友だち、何人くらいいるの?」って。

 そういう文章の後展開される、彼なりのサバイバル方法……強い者を見つけ、そこにくっついて、ドラえもんのスネオのように生きて行け、というメッセージも、極めて興味深かったです。そうやって生きてきた人が、長じて、ああいう政治スタイルを採っているということにも。
 彼の友だち論は、決して多くの子どもたちを幸せにするものではない気がしますが、友だち関係に悩む一部の子どもには、福音になるのかもしれない、と感じました。

■「東京プリズン」赤坂真理
 これはもう、御本人のインタビュー記事が私なりの読後感のすべてです。まだ毎日新聞のサイトで読めるようです。http://mainichi.jp/feature/news/20120910dde012040065000c.html

■「学校における自傷予防」
 図書館で借りたら、文京区にはなくて、都立図書館から借りることになった。悲しいことに、DVDの貸し出しは許可が降りなかったみたいで、DVDはなし。だめだ。しかたないので、これは後日購入しよう。

■「原子力と宗教 日本人への問い」 鎌田東二&玄侑宗久

 京大の宗教学者と、福島の寺に暮らす作家で臨済宗住職の対談集。主に、どちらかというと、玄侑さんの言葉が光っている対談集ですから、玄侑さんファンは必読、とおもいます。以下、それぞれの言葉で印象に残ったもの。

<鎌田さん>
*絶対に揺るがない確固とした信念というものは怖いものですよ。「安全神話」というのがそうでしたでしょ? 「絶対、大丈夫です」と電力会社はひたすら言い続けた。(略)そもそも「安全神話」などという言い方が気に入りません。神話というのは、ちょっとやそっとのことでは崩れるものではありません。簡単に崩れるようなものは、神話ではない。神話が壊れる時は、人間が壊れる時なんですよ。

<玄侑さん>
*……(略)混乱とか混迷とかいうのは大きな変化のときです。とりあえず、提案したいのは、自分が違和感を持つ考え方や反対意見に積極的に耳を傾けること。揺らぎを受容すること。へんに「絶対この判断が正しいんだ」などと思い込まずに肩の力を抜いて、由来で、たゆたっていくことが大切ではないでしょうか。(福島で見られる多くの分断、主に、避難をめぐる住民同士の分断を語った後での言葉)39ページ以降

*(漁師さんたちは海の側でしか暮らせない。高台移住しても、一列目の海が見える場所ならいいが、二列目以降は嫌だという、というエピソードを紹介した後で)アジアの人々は懲りないところがいいんです。そもそも高台といえば聞こえがいいですが、そんなにいい条件の土地が、今まで手付かずであるはずがありません。不便で開発できそうもないから残っていたり、神々がいる山だったりするわけですね。(これを受けて、鎌田さんが笑いながら「神々がいる山、なかなかいい言い方ですね。要するに、人間が住めるとは思えない土地」と答えている)

*(15メートルの津波がきた南相馬で新たに築く防潮堤が何メートルになるか、と玄侑さんが問うたのに対し、鎌田さんが「16、17メートル?」と予想する。これに対して)違うんです。7メートルから8メートルです
中途半端だと考える人がいるかもしれませんが、私は、それはけっして悪くないと思いました。むしろ15メートルを越える防潮堤なんかが造られることにならなくてよかった、とほっとしました。そんな防潮堤のある海辺は、もはや遊び場になりませんよ。泳ぐ場所でもないし、自分の船も見えなくなる。(略)なんだか「いじらしい」数字だと思います。(略)逃げるしくみというと、経済第一主義の人は、敗北だと考える傾向があります。我々祖先は自然を勝負の相手だと思ってこなかった。逃げることを負けとは考えて来なかった。そういう民族なのに、です。(67ページ以降)

*被災者の心のケアというのはとても大切です。ただ、そこにも節度やマナーが大切だと思うんですね。なかには、ランダムにいきなり仮設住宅を訪ねてくる人もいるそうです。ある仮設住宅の玄関の横には、「心のケアお断り」と書いた紙が貼ってありましたよ。(91ページ)

 少し間を置いて、再読しても良い本かな、と思いました。

■青山ファーマーズマーケット畑レシピ  農家が教えてくれたおかず100
 なかなかおいしそう。個人的には、パルメジャーノチーズの代わりに、薄くスライスした生のカリフラワーを、出来立てのペペロンチーノパスタにかけると、チーズみたいに食べられる、というのに興味津々。ほんとだろうか。

■凛として 花田憲子
 離婚して、藤田憲子さん、そして改名して、今は藤田紀子さんの古い著書。インタビューに先立ち、読みました。いきなり、本の冒頭に「勝と光司は、まぎれもなく、花田満と私の息子です」と書いてあって度肝を抜かれた。そもそも芸能ニュースに疎い私。ここまで色々な噂の中で生きてきたのねえ。
 インタビューでの印象は……。一言で言うなれば、「短すぎた青春」と「プレシャーの強いおかみさん生活」の後、いまだに「自分探し」が終わらない、という切実さとまっすぐさと痛々しさ、でしょうか。

■「覚悟のすすめ」 金本知憲
 阪神ファンとして。引退を知って、あわてて読みました。いつかインタビュー希望。かなうかな。

■香田証生さんはなぜ殺されたのか 下川裕治
 あの時期、イラクで人質になったり、殺されたりした日本人の中で、最も、気にかかっていたのが香田さんの存在でした。世論は「ジャーナリストとしてでもNGOとしてでもないのに、あの時期にイラク入りするなんて」と、バックパッカーの香田さんにとても冷たかったのですが、元バックパッカーの私としては、実は内心、香田さんこそが最も、「自分自身との距離を取れない相手」でありました。つまり、「私にだってありえたのではないか」とか「私と彼との間に何の違いがあったのだろう」とか、そんな風に思わざるをえなかったのです。
 下川さんが、同じような思いを共有し、この本を書いてくださったことにまず、心より感謝します。彼もまた、事件当時、香田さんが「無知」とか「バカ」とか批判されていた時に、いくつかのメディアから元祖バックパッカーとしての立場からコメントを求められ、「僕の返答は要領を得なかった」と本書の中で振り返っています。
 下川さんはだから、ある週刊誌に対して、香田さんの心情について「いかにイラクが危険かということはきっとわかっていたと思う。とてもこわかったでしょう。でも冒険心と『自分を変えたい』という気持ちが恐怖に打ち勝ったのでは。旅の仕方に批判はあるでしょうが、彼のなかで、イラクは行かざるを得ない場所だったのではないかと思います」という談話を寄せて、その後、ちゃんと香田さんの旅を追ってみよう、と考えたのです。本書は、そんな下川さんが、香田さんの足取りを追った本です。
 下川さんが本書のあとがきで書いている言葉が、すべてだと思います。「旅とはそういうものなのだ。確かな目的もなく、知らない国に分け入っていく。旅はそれでいいはずだ」。これはすとんと胸に落ちました。本当にそう思います。
 だからこそ私は、大学時代のバックパッカーの日々の後、旅に飽きたらなくなり、定住すること、仕事を持つこと、自分の立ち位置を獲得することにこだわったのだし、当時たくさんいた、「半年日本で稼いで、半年世界を旅行する」みたいな暮らしを選べなくなったのだし、旅の途中で出会った人々と「旅人」という立場以外で出会いなおそうとしたのだろうし、大学を卒業して新聞記者などになったのだろうし、だから今もこうしてこんな風に生きているのだろうし……。
 香田さんに、その迷いの先にあるたくさんの人生の可能性を、選んでもらいたかった。あの年で、迷いの渦中で、命を断たれたことは、やっぱり私には胸が裂けそうなくらい、切ないことでした。

■言葉が足りないとサルになる 現代ニッポンと言語力 岡田憲治

 今、インタビューしたい人リストの中の一人。帯の「話し始めて考えよう。声帯が震えると世界が浮上してくるよ!」も好き。
 興味深かった点を以下列挙。

*使っていけない幼児語として「うぜえ」とか「ちょーやばくねえ」とかを挙げた後、「感動をありがとう!」も挙げています。この言葉について筆者は、「(これは)幼児語ではありませんが、感動という行為を『まったくもってお大雑把で貧乏臭くさせてしまう』危険な仕様禁止用語です。精神が怠惰になる『やっつけ仕事的言葉』です。締め切りに追われて時間のない雑誌記者などが使い、『感動の涙』と『もらい泣き』の区別に興味のない人たちが飛びつきます」とばっさり。全身全霊で同意。「感動をありがとう!」と使う人の言語感覚を、私は一切信用できませんもん。(9ページ)

*筆者のゼミをやめたい、と言い出した学生の挙げた理由が「嫌いな人がいるから」。筆者は、ちゃんと理由を語れよ、といいます。ちゃんと理由を語らない、語るべき言葉を持たない人が増殖中であるのは、「分かり合うためには必ずいくらかの痛みが伴う」という覚悟の欠如であり、「コストはかかるが、絶対にやらなければならない社会関係の整備をする力、とりわけ言葉の力」がひどく弱まっている、と指摘するのです。(30ページ)

*寂しいくせに、つながりたいくせに、言葉が足りない、と筆者はいいます。筆者はSNSなどに見られる、やたら「いいね!」的な前向きレスポンスの付け合いについて「気持ち悪い」と指摘し、「それはおかしいだろ?」とか誰もつっこまない現状を憂い、「心理的(ときには肉体的)摩擦や葛藤を一切排除して、ただでさえ困難な相互理解にどうして立ち向かうことができるのか」「心のカサブタをいっぱい作る以外に方法はないのではないか」と指摘するのです。(41ページ)

*北川悠仁さん作詞の「逢いたい」という歌を引用し、「圧倒的に言葉が足りない」とばっさり。悲しい気持ちを表現するのに、「悲しい」と書くのは禁じ手中の禁じ手だったろ、と。「逢いたい」からって「逢いたい」を連呼してどないすんねん、と。言葉足らずなベタな歌については、「やっぱり最後に愛は勝つ」というような歌はかつて、中学生以下にしかもてはやされなかったのに、「逢いたい」はもはや、大人にまで人気をはくしている。筆者はいうのです。「あの人に『逢いたい』という気持ちを『逢いたい』というワード・チョイスで歌にされて、『これこそが僕の思っていた気持ちだ!』と共感できることが信じられないのです」と。これまた同感。(210ページ)

■幻獣ムベンベを追え 高野秀行
 早稲田大探検部が、アフリカはコンゴの湖にまで、幻の怪獣ムベンベを探しにいった話。こういうの、高校生あたりが読むと、良いのではないかなあ、と思いました。ちょっと仕事が忙しくて、最後まで読みきれなかったけど。

■AKB48白熱論争 小林よしのり、中森明夫、宇野常寛、濱野智史
 話題の書なので、一応読みました。AKBを苦労して取材したこともあったし、その時には濱野氏にお話をうかがいにいったりもしたので。
 個人的にちょっと詳しく知りたいと思ったのは、
*ムスリムの女性がたくさん見に来ているというJKB48の舞台を見てみたい
*創価学会の励まし合いと、AKB48の握手会とは良く似ている、という指摘(123ページ)
*宇野さんいわく「今はみんな将来が不安だから、自分の生活だけで精一杯なんですよね。でも、だからこそ、自分の利害関係とは離れたところで誰かを『推す』ことが心の支えになるんじゃないでしょうか」(127ページ)。たぶん、私が最後までAKB48を理解できないのは、こういう心情が自分にはあまりないからかも、と思いました。
 概ね、AKB48現象を宗教と絡めて語っているところは面白かったです。握手会や投票権利を獲るためにCDに費やすお金は「お布施」だとか。
 ちなみに84ページで濱野さんが語っている「毎日新聞社からの取材」は私のインタビューのことです。AKB48の総選挙とアメリカ大統領選との相違点。そういう話もそういえばあったなあ……。

■「ご縁をいただいて」「片岡鶴太郎 自伝・描きかけの自画像」「筆のゆくまま、心のままに」 以上3冊、片岡鶴太郎
 彼のインタビューをすることになり、下準備として読みました。
 一番興味深かったのは、彼が「俺たちひょうきん族」自体、迷っていた、ということ。ビートたけし、明石家さんま、山田邦子ら、強烈な個性に囲まれて、「自分はみなと違い、素のキャラクターだけでは勝負できない。誰かの物真似とか、誰かにふんしなければ力を発揮できない」と悟ったのが、役者への道を開いた、という所でした。
 だからインタビューでは、その点を書きました。自分のゆくべき道に迷ったり、自分が何に向いているか分からなかったりした時は、絶対に一人で悶々と悩まないこと。身体を動かし、何にでも挑戦してみること。他人の中でもまれ、他人の中で自分を相対化する中で、おのずと自分の弱みも強みも見えてくる……と。

■「希望の国」「非道に生きる」 園子温
 御本人インタビューの前に読んだ本。どちらもものすごく言葉が生きています。こちらも、私の読後感は、インタビューがすべて、です。http://mainichi.jp/feature/news/20121012dde012040012000c.html

■「日本の巨樹・巨木」「巨樹・巨木をたずねて」「神様の木に会いに行く」 高橋弘
■「巨樹・巨木」「続 巨樹・巨木」「パワーツリーに会いに行く!」 渡辺典博
■「古木の物語」 牧野和春
■「関東周辺の巨樹を歩く」 永瀬嘉平
 念願の巨木の取材、していいよ、と上司からゴーサインを受けて、片っ端から読みました。仕事を離れて、少しずつ見て回りたいと思いました。

■「ペコロスの母に会いに行く」 岡野雄一
 長崎のタウン誌で連載されていたのを、自費出版したところ、地元で大人気に。映画化が決定し、西日本新聞が再編集して出版しなおしたところ、フェイスブックなどで話題になり、10万部も突破する勢い……とか。
 心に染みる本です。介護を抱え込むのではなく、施設を上手に利用しながら、ユーモアでくるみながら、認知症の母親と出会い直していく感じが、とても希望を与えてくれます。超おすすめ。

読書日記7〜10月・中

エントリー「中」は、たぶん、8月あたりに読んだ本です。
イチオシ!は、「大陸へ アメリカと中国の現在を日本語で書く」著・リービ英雄。


■謎解きはディナーのあとで(東川篤哉)
 あんまりだ。
 本屋大賞だというし、アメリカにいた間に流行った本を一応読まなきゃ、と図書館で予約したら、順番が回ってくるまでに、真面目な話、1年かかったのだ。1年待った本がこれかよ。
 結局、4分の1も読めなかった。あまりにつまらなく、薄っぺらで。書店員さん、本当にこれがあなたの売りたい本なのですか。
 なんというか、45分で犯人のつかまるテレビドラマの脚本以前のアイデア書き、って感じ。なぜこれが売れるのか、さっぱり分からない。

■春から夏、やがて冬(歌野晶午)

 図書館で借りたため、本の帯もなく、謳い文句も知らず、おまけに、この著者がかの有名な「葉桜」の人だということも完璧に失念し、なんの先入観もないまま読めたのは、よかった。まあまあ楽しめました。でも、ちょっと設定に無理があるかな。

■毒婦 木嶋佳苗100日裁判傍聴記(北原みのり)
 話題作、ですね。佐高さんの作品と比較し、「女性だから書けた」などとよくいわれる本ですが、女性なら誰でも書けたかといえば違うと思いました。女性性にこだわり続けてこられた北原さんならではの視点、切り口、思い入れ、たくさんありました。女性だから、ではなく、北原さんだから、書けた作品だと思います。

 「毒婦は諸刃の剣だ。性的魅力のある女は愛され、ない女は女としてみなされないが、セックスを売ったり、性的魅力で男を利用したりする女は容赦なく侮蔑され、激しく憎まれる。女は、毒婦のように魅力的であれ、しかし毒婦にはなるなと、言われ続けているようなものだ。そんなことを、佳苗の裁判を通して感じた」(198ページ)

 こりゃ、絶対に私には感じ取れない視点だなあ、と痛感。

 この事件が「新しかった」のは、木嶋被告の背後に、彼女とにた女の子たちがたくさんいたからだ、と北原さんは指摘する。男へのいらだち、男へのドライさ、を挙げる。高年収の男性と結婚することを目指す「新・専業主婦」と、援助交際する女の子との狭間で、女としての魅力を最大限に利用し、男たちと交渉し続けた、とも。
 売春=自分を大切にしない行為、という図式とも違っていた、という指摘は面白い。木嶋被告は最初から最後まで自分を大切にし続けた、というのだ。

 そんなわけで、大変興味深く読んだ作品でしたが、この作品のあとがきで、木嶋被告が朝日新聞に長文の手記を寄せ、それがすでに掲載されていたことを知りました(どうして私、見落としていたんだろ)。これをネットで検索し、読んでみたら……。いやはや。どんなノンフィクションの書き手も真っ青の、迫力です。「本人の手による手記」にまさるものなし、なのかもしれません。

■コラム道 (小田嶋隆)

 大変尊敬しているコラムニストの小田嶋さんが、コラムについて書かれた本、と聞けば、読まないわけにはまいりません。
 以下、気に入った部分を列挙。

*107ページ スポーツ新聞の世界で、最後の一行を全体の要約で終える手法が蔓延していることについて、「一種の思考停止だ」。(例: 黄金の左足がサムライブルーを救う。/宿命のライバルが、いよいよ最終決戦の舞台に挑む。など)

*文章の最後に、映像換気的な情景描写を1行添えると、文章全体に、叙情的な色彩が加わる。(と小田嶋先生はシニカルに書いているわけで)。「これは、非常に効果的だが、同時にどことなく卑怯な方法で、やりすぎるとイヤミになる」とも。

*主語のない新聞文体(例: なりゆきが注目される。/幅広い議論を要望したい。など)について。小田嶋さんより、現実に近い実例を挙げられちゃうわよ、私。たとえば「議論を呼びそうだ。」「波紋を広げそうだ。」いずれも、記者が問題だ! と思っているわりには、あんまり社会が動いてくれていない時に、使う言い回しです。反省。
小田嶋先生曰く「とにかく、紋切り型には『何も考えない』という偉大な知恵が宿っている」。

 やっぱり、ああ、面白かった!
 最後に、小田嶋先生の名言を一つ。
 「良い文章は、95パーセントの普遍性に5パーセントの個性を付加したぐらいのバランスの上に成立している」
 ひたすらこれを自分に言い聞かせる日々です。

■モテたい理由 (著・赤坂真理)

 興味深かった点を以下に列挙。( )内はページ数。 

*社会が戦争を「考えてもいけない」禁止原理主義をとれば、男の価値は下落していく。古今東西、男の価値を究極的に担保してきたのは戦争だったからだ。(8)

*2006年。「モテ」は卒業、これからは「愛され」じゃなくちゃ。(29)
 モテ=出し抜き
 愛され=オンリー化(33)

*家を、「ハコ」の側からとらえるか。……男
 それとも「人」の側からとらえるか。……女(75)

*男に、好きな女のタイプを聞いて回ったとき、あまりにしばしば出くわす名前があることから、私は考えこんでしまった。誰だと思います? 漫画『タッチ』の浅倉南と、『めぞん一刻』の音無響子さん。(158)

*戦争とアメリカと私、という章(211より)
……「東京プリズン」を読む上で、とても大切な文章。ぜひ併せて読むと良いとおもいます。以上。

■ピエタ (著・大島真寿美)
 読者レビューでもとても評価が高いし、おまけに音楽も絡むとなれば絶対に好きになれると思ったんだけど……私にはピンときませんでした。そっち系の感性が鈍いんだろな、私。

■昭 田中角栄と生きた女 (佐藤あつ子)

 田中角栄の本としても、母娘関係の本としても読めます。一気に読んでしまいました。
 著者の佐藤さん、高野悦子さんの「二十歳の原点」を読んで、自傷していた場面が心に留まりました。いや、それがメインのノンフィクションでは全然ないんだけど。すみません。

■野田聖子さんインタビューのために読んだ本。
「生まれた命にありがとう」「この国で産むということ」「私は、産みたい」「不器用」

■「大陸へ アメリカと中国の現在を日本語で書く」著・リービ英雄
…… 図書館で借りて読んで、購入決定。以下、おもしろかった点。

*CHANGE WE CAN BELIEVE INという選挙スローガンについて。「不思議な言葉で、変化をするかどうか、以上に、本当に変化をすると信じられるかどうか、が問われているようにも聞こえた。信じる人たち、あるいは信じたい人たち、あるいは信じられると確認できた人たちが、就任式の翌日のMストリートの歩道に溢れて、単なる政権交代ではなく、ある種の『解放』を祝っているような明るさが滲んでいたのであった」。あの場所にいた1人として、よく分かる。でもスローガンにそんなニュアンスがある、あるいはそう感じ取る人がいたことを、私は知らなかったなあ。(25)

*オバマ当選について書いたヘンリー・ルイス・ゲイツ・ジュニアが11月4日の当選の日に書いた文章 <オバマがその「黒さ」を自由に「着る」ことができる「ポスト/モダン」の人種アイデンティティを持っている><ミシェルとペアになったことによって近代文明の深層にある非差別を「抱きしめて」、その歴史と「結婚」してしまった>について書いていること。この新聞、この記事、あの日切り抜いたなあ、と思い出した。(41)

*中国で筆者は、<「農民」はむしろ、身分のようなものである。>という。都市民のタクシー運転手から聞かされた言葉「農民は、昼会えば素朴で可愛い。だが夜になると虎、虎とまで言わなくても狼、狼になるのだ。だから夜の農村の中は走りたくない」というのを聞いた時、筆者は、<黒人街の「怖さ」を語るアメリカの白人の口調をぼくは思い出さずにはいられなかった。しかし、「農民」はマイノリティではない。「農民」は大陸の人口の七割なのである。都市を離れて、107を十分でも走ればその事実が明らかになるのだ。> と書く。この中国の様子を、<大きさというよりも広さと「奥行き」にぼくは何度も驚かされたのである>とも。分かるなあ!(64)

*中国で漢字を見た時、日本語で読んだりしてしまう。故郷アメリカに戻ると、途中で日本語で考える瞬間がある。中国語も操る筆者の、3ヶ国語の間のなんというか往来がものすごく素敵。

*中国の都市にある裏路地について。<古い路地は、元々みずぼらしいところではない。一九九〇年代初めまであった「普通の町」が、二〇〇〇年代の初めには「貧民街」と化した。「発展」という名のラディカルな変質の中で、ただ取り残された、これが二十世紀の大陸の都市の様子だった。>。これ、2012年夏に中国・青島に旅行にいって、しみじみと思いました。裏路地を歩いて、まだ残ってるじゃん、昔と変わってないじゃん! と思ったあの裏路地は、昔(私の場合、中国をよく旅した1889年ごろ)は普通の光景だったのに、今では貧民街、だ。私もいつか、こんな風に一文で表現できればいいのに、と思った。(74)

……以下多数。省略。

■ラバー・ソウル 井上夢人
 気味の悪いストーカー小説だと思った。それくらい気味悪かった。でもって、最後にまあどんでん返しもあるわけだけど、やっぱり私には、それはそれで気味悪かった。ごめん。

■望遠ニッポン見聞録 ヤマザキマリ
 映画「テルマエロマエ」がとても楽しかったので、漫画を読む前に、漫画家さんのエッセイを読んでしまうというヘンテコな順番。
 子どもを海外に出すことを躊躇しないというよりは、より積極的だった両親のお陰で、絵の勉強のために17歳でイタリアに渡った著者さんは、あまりの貧困生活ゆえに、賞金目当てで漫画を描き始めたというんだから、人生不思議なもの。中東、ポルトガルを経て、現在シカゴ在住というから、海外から日本を見つめるということをずーーーっとやってこられたわけですね。

*日本のビールのテレビコマーシャルについて
 「日本のものほどエネルギッシュで爽快感が弾けるものは他国ではなかなか見かけない」という。そうかなあ。アメリカで、クアーズライトとかのコマーシャル、思い切り馬鹿馬鹿しいのが多かったけれど、爽快感もあったような……。船が難破し、無人島に流れ着いた集団の中が、漂流物の中から瓶ビールの箱を見つけて……みたいなストーリーとか。でもまあ、あの、プハーーーーーーッみたいな音が聞こえてくるコマーシャルって、日本独特なのかもしれませんね。

*食卓での家族の会話について
 イタリア人の夫と著者さん、息子さんの3人でご飯を食べていて、親子喧嘩になったという。妻、つまり著者さんは漫画のネームをぐるぐる考え中で、息子さんはテスト期間中で頭が悶々となっていたら、旦那さんが「なんで誰も何もしゃべらないんだよ!」とキレたそうな。「イタリアではご飯といえば家族の大事な交流の場じゃないか! 僕は会話がしたいんだ、いや会話じゃない、ディスカッションがしたいんだ!」と。で、矛先は日本人全体に向き、日本の人たちは会話の中でも「へえ、そうなんですか」とか受け入れてしまって、言い争うことを楽しまない、と指摘されたってわけ。
 筆者は書く。「日本での会話術というのはできるだけ波風立てず、できるだけ相互の意見を理解し合うことで懐を広げようという思いやりと働きかけが生じるのが常だ」と。筆者は、イタリア語でしゃべる時は声が低く、攻撃的になるらしい。これ、まったく私の身におきた変化と同じで笑ってしまった。私もアメリカでは声が低くなり、かつ、日本にいる時よりも討論好きになる。声が甲高いと感情的にしゃべってる感じがしちゃうし、低く落ち着いた感じで意見を述べたほうが説得力がある気がするから。ニュースを読む女性の声も、アメリカでは、圧倒的に低い。かしこまった場所になると、声のトーンが一段上がる(高い声=丁寧、礼儀、のニュアンスまであるという研究もあります)というのは日本の文化であって、あれをアメリカでやると、ガキっぽくなるだけだし。

 とまあ、彼女の体験した cultural bumps が結構面白く、楽しく読めました。

■ジョージとタカオ
 映画をまず見たいです。2011年3月だから、私が帰国する前の公開だったんですね。こちらの本は、その映画を撮った井手洋子さんの手によるもの。書くことがご専門の方ではないこともあって、本のほうはちょっと物足りないです。映画を見て、それからこの本を読む、という順番を守るべきだった〜と悔しい気分。布川事件で被告とされていた2人が仮釈放され、再審請求が認めあれ、無実判決が出るまでをこつこつと追い続けたドキュメンタリーフィルム。あああ、見たい。どこかでアンコール上映しないかなあ。

*被告と支援者は、主に手紙や詩などの作品で交流を続けているわけで、仮釈放直後の蜜月期を終えた後、色々と人間関係のきしみが見えてくる、というあたりを描いているのは興味深かったです。たとえば、ジョージさんが「詩のイメージと違う」と支援者に言われてショックを受けたとか、タカオさんが支援者の前で「優等生」であり続けることが窮屈で、ちょっとはめを外しては顰蹙かったり……みたいなこととか。あと、2人だから支え合えた部分があると同時に、2人ゆえに、支援者からお互いを比べられ、相棒だったりライバルだったりする微妙な関係があったことなども、なるほどなあ、と考えさせられました。

*撮り手の側からの思いを吐露されているのも興味深かった。仮釈放とか、その後の結婚とか再審請求とか、そういう「事件」ばかりでなく、普段の暮らしを軸に撮影していても、いわゆる絵になる「出来事」は決して多くなく、また、しばらくは再審請求を出す見通しすら立っていなかったわけで、1人で現場に立ち、1人でものづくりする孤独に耐えかね、段々とジョージさんやタカオさんを撮影のために訪ねる回数が減っていった、ということを正直に書いておられる。これに好感を持ちました。たぶん、映画の中だったら、編集することで、2人の撮影頻度が減っていったことなどごまかすこともできたはずなのに、これをこの本の中に正直に書いてくださったことで、私はとてもそれをしみじみと受け止めることができました。
 私も、新聞社の仕事とは別に、自分でテーマを決めて、コツコツと1人で取材することが多かったし、実際に薬物依存やリストカットでは本にまとめていますが、その何倍も、形にならなかったテーマを追いかけてきました。知れば知るほどに書けなくなったり、まとめようがなくなったり……そういうことも少なくありません。新聞社の社会部あたりでチームでキャンペーン取材するのとは全然違う質の孤独がいつもありましたから。そういうことをふと思い出しました。

読書日記7〜10月・上

仕事忙しくてブログ放置していたら、コメントまで記入不可となっていたのですね。すみません。
最近は、フェイスブックにかまけております。身辺雑記はともかく、自分の書いた新聞記事の多くに関しては、「友だち」でなくても、誰でもよめるように設定してあります。

では、たまりにたまった、読書日記を。
イチオシ!は、……やっぱりこれかなあ。
「娘よ、ゆっくり大きくなりなさい ミトコンドリア病の子と生きる」(堀切和雅)
このエントリーの一番最後に取り上げています。


まずは、松田聖子さんの記事を書くのに、参考図書として読んだ書物群

■松田聖子 絶対にまけない女の生き方/松田聖子研究会
■青色のタペストリー/松田聖子
■魔性のシンデレラ/大下英治
■松田聖子論/小倉千加子
■耳のこり/ナンシー関
■何様のつもり/ナンシー関
■ディアセイコ/佐藤秋美
■素顔の松田聖子/成川照美
■歌って踊って大合戦/林真理子
■アイドル工学/稲増龍夫
■人気者の社会心理史/市川孝一
■おばさん未満/酒井順子……40代になると独身で仕事を持つ女性と結婚し専業主婦に■なっている女性との「友情の再統合」現象が起こる、という指摘
■松田聖子と中森明菜/中川右介
■女装する女/湯山玲子……この「女装」という概念、ものすごく興味深かった。しばらく湯山さんの本を読み漁ることに決める。

■逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録/市橋達也
 オウムの菊地被告が捕まり、まだ高橋被告が逃げている最中に、妙に「逃亡」という行為が気になり始め、読んでみた本。もちろん、遺族やそれに連なる人々にとっては、大変残酷な内容でもあるので、出版することに賛否あっただろうけれど、逃亡中の記録としては、ものすごく興味深いし、誤解を恐れずにいえば、ものすごく面白い。 警察官を振り払って逃げてからの数日間の、彼の記憶の欠落と、一方でものすごく詳細におぼえていることの両方が、とてもリアルだからか。菊地被告も、平田被告も、逃亡中にうさぎを飼っていたというが、市橋被告は無人島にいた時、野良猫にずっと餌をやっていたらしい。そのあたりも興味深いと思った。

 2年7カ月を逃げ続けること、危なくなったら無人島でサバイバルし、一方で、整形手術を受けるための費用を稼ぐために日雇いを続け……なんというか、そのすごい能力、別の形で生かせなかったのかい、と溜息が出た。

■ひとりで死んでも孤独じゃない 「自立死」先進国アメリカ/矢部武
 ここのところの「孤独死」報道に何となく違和感があったもので、読んでみた本。私個人としては、死ぬ時は一人、という覚悟ができている。だから、死んだらある程度すぐに発見してもらえるように、緊急連絡システムのようなものをお金を払って利用することになるだろうな、とも。それさえやっておけば、社会の側から見れば、一人で誰かが死ぬことで大きな損害って一つもないんじゃないだろうか。あとは、本人の生き方の選択の問題じゃないだろうか。
 孤独の中で死にたくなければ、生前から、煩わしさも引き受けて、他人と関わっていけばいいのだろう。もちろん、病気や障がいその他の理由から、孤立しやすい人に対しては、ある程度福祉の側からアプローチする必要があると思うけれども。少なくとも、ここのところ「孤独死」やら「単身世帯」が、やたら騒がれた背景には、「男の単身世帯が今後数十年間で急増する」という現実がある気がする。
 それまでも、女は、夫に先立たれればどーせ一人になるわけで、結婚してようと、子どもを産んでいようと、最後は一人で死んでいく覚悟と、家族以外ともつながっていく努力を、女性は比較的積み重ねてきた気がするんですけどね。そんなわけで、男の単身世帯が増えるとなった途端に、わいのわいのと騒ぎ出したのを見て、「甘えんなよ」という冷めた思いがどこかにあったのでした。

 で、この本について。
 プロローグのところで、日本の「孤独死」やら、死ぬ以前の生前中の孤立について、特に、「仕事や家庭を失って孤立する中高年男性が急増している」と書く。一方、単身世帯の増加なんてものは、ほとんどの先進国で起きていることで、それが必ずしも独居者の孤立や孤独死の増加につながるわけじゃあないぞ、と問題提起している。日本では「2030年には単身世帯が全体の4割に迫る」と大騒ぎしているが、北欧ではすでに4割り近くになっている、とも。これは、私もずっと思っていたこと。単身世帯の増加については、より先を行っている国はいっぱいあるわけで、「孤独死」に結びつける必要はないんじゃないかな、って。
 著者が日本に関して、弱肉強食の小さい政府アメリカ社会より状況が厳しいのではないか、と指摘しているのは、生活保護の受給条件(家族の扶養能力などが審査されるから)▽55歳から64歳までの男性の孤独死の多さ(それより高齢になると、高齢者サービスの対象になるが、それ以前の年齢層が危ない)▽OECD調査によると、日本は社会的孤立傾向が強い(同僚や友人、文化グループなど家族以外の人と「まったく付き合わない」「滅多に付き合わない」と答えた日本人は15%で、調査対象20カ国の中ではトップ!)……などなど。
 思うに、社会的孤立は、日本では男女差が結構大きいと思う。あと、都会と地方でもだいぶ違うんじゃないかな。
 興味深かったのは、シカゴ大心理学部のジョン・カシオポ教授の研究。脳スキャンや自律神経内分泌モニター、免疫機能分析システムを使ってシカゴ市内の中高年を対象に10年間調査したところ、寂しさは高血圧、うつ病、睡眠障害などの原因になることが分かったそうだ。寂しさは副腎皮質ホルモンの一種であるコルチゾールのレベルや血管抵抗を高め、それが高血圧につながるんだそうな。社会的孤立は健康にも影響する、というのは、漠然と想像できるけれども、データまであるんだなあ、とちょっと驚いた。
 あと、上記OECD調査で、「近所の人たちにモノをあげたり、もらったりする」「近所の人たちと病気の時に助け合う」という2つの質問に対して、日本人は「はい」と答えた割合が順に51.6%、9.3%。アメリカ人は逆に21.8%と36.2%。本当に困った時にどれくらい手を出せるか、ってことなのかしら。

■「科学の考え方・学び方」
■「科学と人間の不協和音」
■「生きのびるための科学」
■「娘と話す原発ってなに?」
 以上4冊、著・池内了

 池内さんに「娘と話す……」シリーズがあるのは、彼に娘がいるというだけではありません。ご自宅は京都の池内さんですが、国立天文台の教授だった時期、高校生の娘さんと2人暮らしをされていたそうです。その時期、娘さんとは本当に色々なお話をされたそうです。だからそれ以来、何かを語る時、娘さんに説明するように話す習慣ができたんだとか。
 池内さんのご著書は、その分かりやすさと説得力、地に足のついた安定感のようなものが魅力なわけですが、そういう根っこもおありなんだなあ、とあらためて納得しました。ちなみに、その当時、高校生の娘さんが料理を担当し、買い物や掃除や洗濯を受け内さんが担当していたんだとか。口だけ学者ではない、実践派の科学者である池内さん、家事についても「実践派」なんですね〜。
 一箇所、引用しておきます。
 娘「今、アンケートでは原発を止めようという人が半分以上になっているよ」
 父「うん、それは良いことなんだけれど、実際にどうするか考えなくちゃいけないよ。ムードだけで脱原発と言うのではなく、自分の生活を見なおして、節電を実行することだ」

■「ラブレス」桜木紫乃……第146回直木賞候補、第14回大藪春彦賞候補、第33回吉川英治文学新人賞候補

 姉妹もの。姉妹の一生を描いた大河小説風。途中でやめられなくなり、一気に読みました。なかなか良い感じで好きです。次の作品も読んでみようかな。

■「音楽と人生」中田喜直 
 ちいさな秋みつけた、などの作曲家である中田喜直さんの著書。「音楽と人生」とタイトルにはありますが、これ、編集者さんはどういうつもりで選んだんだろう。はっきりいって、中身は3分の2がタバコの害とタバコを吸う人間批判です。それはそれで笑えます。空気を読め、とかそういう馬鹿らしいことを突き抜けた人のすごさ、っていうのでしょうか。うむむ。

■「笑わなそんそん! 南京玉すだれ入門」花丘奈果
 南京玉すだれを練習している際、テキスト代わりに図書館で借りてみたら、ただの、大道芸がテーマのエッセイ集だった。とほほほ。タイトルに「〜入門」とかつけるの、詐欺だ〜。

■「伊藤みどり トリプルアクセルの先へ」野口美惠
 前半から中盤、よく書かれたノンフィクションです。後半、読者目線を失ったかな、という箇所が多数。ここはちょっと残念。たぶん、著者の登場の仕方が中途半端なんだと思います。この本の場合、ノンフィクション作品としては、著者が登場せず、伊藤みどりさんだけの物語にしたほうがすっきり仕上がったとおもいます。逆に、著者が登場するのであれば、「この作品は、著者が登場するスタイルでなければ絶対に成立しない、そういう本だよなあ」と読者に納得させるだけの説得力がほしい、かな。でも、伊藤みどりさんの今を知りたい方ならば、その部分に目をつぶり、楽しめるとおもいます。
 
■「銀盤のエンジェル 伊藤みどり物語」藤崎康夫

■「あなたに褒められたくて」高倉健
■「想 俳優生活50年」高倉健
■「貧乏だけど贅沢」沢木耕太郎(高倉健さんとの対談)
……高倉健さんのインタビューとりまとめの仕事があったので、これらを読みました。

■「女ひとり寿司」湯山玲子
 これはかなーーーーーり面白い! たぶん、湯山さんのご著書の中では最も面白い、と私は思います。今やどんな場所でも一人で出かけていける女性が増えている中、最後の難関が「高級寿司店」ではないか、と湯山さんはある日気づき、片っ端から、有名ドコロに突撃取材するわけです。女一人と知って、板前さんが、あるいは周囲のお客さんたちがどんな反応をするか、これを独特の観察眼とセンスで、抜群に面白く書きまくっていらっしゃいます。
 彼女の高級寿司屋に対する見方は次の文章に凝縮してます。
 「高級寿司屋というのは、ビジネスに不可欠な接待の有力な場所として、(戦後経済と)ともに成長していった間柄だということを忘れてはいけない。なんせ、やる気も才能もある女子総合職をあれだけ辞めさせた、悪名高きニッポンの社会システムである。そのホモホモ男子結社ぶりを、寿司ワールドは根本に持っている」。
 彼女は高級寿司屋のカウンターで一人寿司をつまみながら、あれこれ板前さんなんかといい感じで寿司談義に花咲かせ、はっと気がつけば、隣のカップルの女性はもはや、相手の男なんかより、湯山さんの話の面白さに夢中だったりして、デートを台無しにされた男の恨みを買っちゃったりするわけ。
 軽い感じで非常に楽しく読めます。

■「偉大なるしゅららぼん」(万城目学)
 「鴨川ホルモー」を手に取った時「ホルモーって何やねん」と思ったが、今度「偉大なるしゅららぼん」を手に取った時には「しゅららぼん」って何やねん、とやはり思った。なんか設定が派手ですな。楽しく読めましたが、このまま同じ路線で延々といってほしいような、全然別のを読みたいような、微妙な読後感でした。

■こども東北学(山内明美)
 若い著者が生まれ故郷で抱えてきた思い、東京に出てきてからもこだわりつづけてきた思いを縦糸に、そして「東北」とは何なのかを横糸に、ていねいにていねいに織り上げられた美しい布、というような書物です。
 著者の祖父の「アルコール依存症」を、周囲が「狐に化かされる」という表現で、「狐」を悪者にすることによって受け入れる、という話には、新鮮な驚きがありました。
 すごいなあ、と感服すると同時に、でも私には良くも悪くもものすごいしがらみだらけのコミュニティーで暮らすことは無理だろうなあ……とも。
 あいかわらず、「よりみちパン!セ」シリーズ、良い本を出してるなあ。

■木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(増田俊也)
 大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。
 圧巻です。
 もっとも、格闘技にも柔道にもうとい私には、理解できない記述も多く、そのあたりはぽんぽんと読み飛ばしつつ。
 増田さんが、「木村政彦の名誉回復」という明確な意図を持って取材を始め、しかしぶちあたる事実や証言には極めてニュートラルな姿勢で臨み、さらにそれを自分の言葉で再構築する際にはもう一度ぎりぎりのせめぎ合いの中で書き進めていく、その迫力がすごいです。
 いや、力道山も、木村政彦も、ものすごい迫力男だったんでしょうが。私にとっちゃ、書き手の増田さんの、実はぜーんぶ咀嚼した上で絞り出してくるエモーショナルな表現の迫力のほうが、ずーっと心にのこりました。
 おすすめ、です。分厚い本ですが。

■娘よ、ゆっくり大きくなりなさい ミトコンドリア病の子と生きる(堀切和雅)

 もしも、あなたがかつて「『30代後半』という病気」という本を読んで、同世代として、うむむむむ、と揺れた過去を持った人ならば、この本は、読み出す以前にまず、「ああ、堀切さん、お父さんになってたんだ……」とそれだけでしみじみとしてしまうと思います。私にとっては、堀切さんはなにより「30代後半という……」の著者でしたし、あんなに真剣な悩みを、あんなにポップに書いちゃうむちゃくちゃバランス感覚の良い器用な、才能あふれる方だったわけで、私なんかつい最近まで、「堀切さん、結局、つかんだはずのアメリカ留学の道までさっさと捨てて、今ごろいったいどうされているのかしら」と1年に3回くらいは気になっていたわけです。
 去年アメリカから帰国して、ひょんなことから堀切さんの名前でぐぐって見る気になり、検索してみてびっくり。この本に出会うことができたのでした。
 ものすごく良い本です。
 最後の付記、にある一文に、「30代後半……」以来ずっと堀切ファンだった私は、ひたすら胸を打たれたのでした。

 <かつて僕は宇宙の零下に怯えて、布団の中で丸くなる人間だった。けれど、もう謎は謎のままでいい。宇宙や存在についての抽象的な問いを、過剰に問うことはもう、なくなった。その態度は、確かに響(注:娘さんの名前)がくれたもの。謎を謎のままに、現実的な解決を探して明日も、僕ら家族は、その日を暮らす。
 大人になったのだ。そして、それも、思っていたよりわるくない。響、お父さんとお母さんはずいぶん大人になったよ。きみのおかげで。だからきみは、ゆっくり大人になりなさい。


 私自身が、息子を産むことで救われ、大人にしてもらったことをひしひしと実感しています。謎は謎のままでいい。本当にそう思います。今日を、明日を、暮らしていくんだな、って。

「ああ、オジサマ」というコラム

こんなコラムを書きました。

「ああ、オジサマ」
http://mainichi.jp/opinion/news/20120626k0000m070129000c.html


簡単に言えば、「オジサマ方、家事に限って言えば私の息子以下ですね」 という話。
だって、中学校に入ったら子育てなんて終わりだろ、と思ってるオジサマが、職場にも社会にも多過ぎるんだもん!

もっとも、こういう職場のオジサマ方が、「子育ては母ちゃんでなきゃ!」と私にフレキシブルな働き方を許してくれたからこそ、私の方もこれまで、育児と仕事を両立してこられたわけで、ホントは感謝もしているんです。
中には、「子育ては母ちゃんでなきゃ!」と私に理解を示すことで、仕事が忙しくて自分が子育てに関われなかった過去を贖罪しようとしているかのように見えた男性上司だっていました。
ライフワークバランスが改善して幸せになれるのは、子どもと母親だけでなく、実はオジサマだと思います。

フェイスブックやツイッターなどで、「痛快」「よくぞ書いてくれた!」「上司に読ませたい」などと反響がたくさん寄せられており、やっぱり、こんな風に周囲に言われた経験を、多くの人が持っていたんだなあ、とあらためて知りました。
「子どもが小学生になった途端、『子育ても終わったようなもんだな』と言われたことがある」とか、「子どもなんて中学生になれば手がかからないんだから、仕事や趣味はそれからやればいいだろ、なんて言うのもこの手の御仁」とか、「むしろ中学生や高校生のほうが、話し相手をしてやったり、要所要所で手がかかるともいえる」とか、様々なご意見やご体験も寄せていただいてます。

似たような体験をした方、似たようなことで悩んでいる子育て中の皆さんが、あちこちにいるんだなあ、と、私もなんだか元気をいただきました。
思い切って、書いてみて、よかった!

読書日記4~6月・後編

松井秀喜選手の取材ということもあって、関連図書を大量に読み続けたのが5月。
今月に入って読んだ、

「ブラック・カルチャー観察日記 黒人と家族になってわかったこと」
 高山マミ


これはとても興味深い本です。
アメリカに興味のある方、人種や民族、多様性ということについて知りたい方、異文化理解や多文化共生に興味のある方、どなたにも興味を持って読んでいただけると思いました。
イチオシ!はこれです。


■松井秀喜著で
「告白」
「不動心」
「信念を貫く」
の三冊。

■松井秀喜「語る 大リーグ1年目の真実」

松井選手が大リーグで発見したことが、まさに我が家がアメリカの少年野球で発見したことに重なって、興味深かった。以下心に残った点を列挙。

*大リーグ挑戦を兵衛位した2002年11月1日の会見での文言が極めて松井的で、かつ、日本人に好まれそうで興味深い。「何を言っても裏切り者と言われるかもしれないが決断した以上は命をかける」「ぼくは日本の球界に育てられた人間。その誇りを持って戦うしかない」「向こうでも巨人魂を見せたい」。今、松井に聞いてみたいな。「巨人魂、今も胸にありますか?」と。きっと、「はい」と言いそうな気が……うーむ。
*日本とアメリカのスプリングキャンプの違いについて。全体的にはそれほどハードではない/ただすべての面でペースが速い/日本のような着替えタイムがない/水も飲めない/アップの短さにびっくりさせられる。「いいの、これで?」という感じ。球場入り前に多少やっていかなければだめ/フリー打撃のテンポが速い。……これら、全部少年野球でも同じ。
*守備練習で日本ではほとんど使用しなかったサングラスを使用。→アメリカでは少年野球でもサングラス着用。日本の高校球児がサングラスをかけたら、審判に注意されるんじゃないかな。まあ、日差しの強さが違うけどね。
*「ぼくは大リーグでは中距離打者だと思う」。打球の飛び方がまるで違う。身体全体のパワーが違う。……これもよく思った。フォーム無茶苦茶なのに、とんでもなく振りが鋭く、よく飛ばすアメリカ野球少年、多かった。
*日本では右投手なら右ひざを見てタイミングを取ってきた。ひざが折れたらスイングを始動する。ところが、アメリカの投手は足の上げ方や下半身の使い方がまちまちでこの方法は使えない → アメリカの少年ピッチャーたちもフォームがまちまちで、タイミングが取りにくいだけでなく、変化球投げてる気がなくても、クセ球というか、変に手元で変化したりする。こういう子の球って打ちにくい。アメリカで頑張ってた日本人ピッチャーの少年たちは、みなフォームが良いから、球威がある日はいいけど、不調の日などは、球筋が素直だから、打たれるとえらく軽々と飛ばされる……というシーンをよく見せつけられました。
*ヤンキースで4月20日、監督のトーリから「お前は休みだから」と言われ、素直に「はい」と言った松井選手。あまりに素直にそう言ったから、監督もそれでいいんだと思ったが、あとで、日本の記者や広岡広報から「松井は連続出場記録を続けてる」と聞かされ、翌日になって、トーリー監督は松井に直接聞いてきた。「おまえ、その記録続けたいのか?」と。これまた松井は、「チームに迷惑がかからないのなら、続けたい」という答え方をしたそうな。そしたら、監督は「だったら、途中の守備か代打で使うから」って。それでも松井、ああ、日本人らしく、「それでチームに迷惑をかけたりはしたくありません」と言ったらしく……。その時のトーリ監督の言葉がこれ。「ノープロブレムだ。言いたいことは言え。自分のことは何でも伝えろ」。……→何度も我が家はこれで失敗した。息子なんて、監督のバントサインに素直に従っていたら、バントが好きと勘違いされ、毎打席バントの指示を出されたりしたことも。「だって、バントが嫌いだったら、普通、そう言うだろ?」と誤解が解けた時に言われたもんです。こっちにしてみれば「監督の指示は絶対でしょ?」でしたが。
*オールスター戦でイチロー選手と会話した時のこぼれ話。「盛り上がったのは、日本と米国では野球のスタイルが違うという話題です。日本は速い球を投げる投手はいるけれど、ストレートの回転がきれい。こちらは速い上に、いろんなクセ球を投げる。ぼくの場合はこれにアジャストするのに苦労しました、なんて話しをしたんです」。まさに、野球少年の世界における日米差と同じだ! 

■「ねむりねこ」「MODESTY」伊集院静

■「無縁社会の正体 血縁・地縁・社縁はいかに崩壊したか」橘木俊詔

にわかに注目されている無縁社会だの孤独死だのってのも、少し考えてみたくて、とりあえず読んでみた。個人的には、結婚しようと子どもがいようと、結構高い可能性で自分だって「孤独死」するだろ、という気がしているので、なんというのかな、男性単身者が増えて、男性も孤独死の可能性がぐぐっと高まった途端、社会がオタオタしてるのがちゃんちゃら……とまでは言わないにしろ、なんかすごく覚めた見方をしてしまっていたんですけどね。

*p20なぜ男性のほうが女性よりも自殺者が多いか……著者は第三の理由として「女性のほうが男性よりも精神が強い」と自己流の仮説と前置きつつ言ってる。
*p62単身者の貧困はなぜ深刻なのか……年収60万円以下の人が、婚姻経験なしの男性だと11.6%いるのに、女性では1.9%しかいない、という話について。これを著者は「不思議だ」という。女性読者でこれを不思議がる人、あんまりいないと思うんだけど。
(ちなみに、女性で、60万円以下が多いのは夫との離別で12.5%に上る。これは死別の3%よりずーーーっと高い。むしろこっち大変さに注目してほしいと私は思う)
*p113出生数を地域・学歴・職業ごとに検討している章……「あえて出生率を上げると期待できる例外としては、女性の無職(すなわち専業主婦)、特に、パート・臨時で働く女性である。最近の若い女性の間で専業主婦志向が少し高まっているとされるので、出生率は高まるかもしれない」、ってこの記述、どう思います? このあたりで、段々とこの本を読む気がなくなってきたのでした。
*P193 ついでにここも引用しておこう。なぜ、家庭内暴力が増えたか、という著者の論考。フェミニズムの台頭で経済的自立している女性は新たな行動をとれたが、「専業主婦のように抵抗したくともそれができない女性は、精神的ないらだちを高めることになった。そのいらだちの発散先が児童虐待であるし、子どもをもつことへの拒否である。夫が妻におよぼす家庭内暴力は、妻がいらだちを募らせて夫に非協力的になる姿に接した夫が、今度はいらだちを感じて、妻への暴力に走ることになるのである」だって。
 すごいよね。妻が夫に「非協力的」だから、夫は妻に暴力を振るうようになったんだぞ、と言ってるわけで。

ということで途中で読むのをやめた。こういう人とだけは子育てを一緒にしたくないもんだ、と思ってご経歴を見たら、立派な先生だったけど、もう70歳近い方なのだもの、世代ゆえのお考え、ってことなんだと納得。

■「働きながら、社会を変える。 ビジネスパーソン、『子どもの貧困』に挑む」 慎泰俊

とっても正直な書きっぷりが好感をもてました。色々な意見もあるのでしょうが、私には、「自分でちゃんと生業を持って、稼いだ上で、できることを社会に還元していく」というスタイル、好感がもてます。

p10 out of the box,つまり外からの客観的で独創的な視点の大切さ。納得。
p25「極度の貧困を持続可能なかたちで終わらせるために必要な年間支出は、先進国にいる人々の所得のたった2.4%」。そうなんだ。
p88 著者は、自身の半生やそれゆえに抱えてきた悩みについて、別に書いていないけれども、それでも、色々な思いを乗り越えてきたからゆえの、この活動だったんだな、と思わせる場面が随所に出てきます。中でも、茨木のり子さんの詩「汲む」の引用には、なるほど、これに響く人なんだ、と共感をいだきました。
p92 児童養護施設で、いったい、自分たちに何ができるのかと悩んでいた著者と、施設側の方との会話が面白い。施設にしてみれば、お金がない……というのは最も解決するのが難しい問題。一方、著者にしてみれば、公的な特別加算などの仕組みを教わった途端、「すごくないですか? 施設を新設したら、職員4人分、一人だいたい500万円として、毎年2000万円くらいのお金がもらえるってことですよね?」。で総工費4億円として、そのうち7割は国から補助がでると聞いて、「1億2000万円があれば、4億円の施設を立てられて、さらに2000万円のお金が毎年もらえるってことですよね」と瞬時に返す。頭の中でざっくり計算し「1万円が10万円にばける仕組み」と言い当てる。おまけに福祉医療機構から満期20年で無利子でお金を借りられると知り、「20年の間、毎月50万円ずつ集められたら、4億円の施設と毎年2000万円の補助金に変わる。めっちゃいい仕組みじゃないですかっ」となるのである。さすがは投資のプロ。餅は餅屋。こういうのを読むと、やっぱり、色々な人が自分の仕事を持ちながら、社会を変える方向に力を持ち寄り合うのって、大事だなあ、と思う。

最後の章に、パートタイムで「社会を変える」活動ができそうな団体も紹介している。また活動の方法においてのコツも列挙されている。「多様な仲間を集める」というところ、心より納得。

■「合唱指導テクニック 基礎から実践まで」 清水敬一

 宗教曲を歌うことの意味、自分なりの納得の仕方を求めていた時に、読んでみた本。この本のコラムの中に、「キリスト教の知識」という項目があります。合唱音楽は、文化としては西欧で生まれたもので、教会の宗教行事とも深く関わっているのだから、キリスト教の知識を増やすことは理解の助けになる、というお話。「そこまで入り込めない、という人々(私も含めて)にとっても、西欧文化の中核にあるキリスト教文化は、それだけで尽きぬことのない興味を与えてくれる世界です」とも。
 ま、色々悩みましたが、日本に帰国してだいぶたって、いわゆる日本の「宗教」と、一神教における、「RELIGION」とは違う、ってことを頭で理解して以来、少し楽になったかな、という感じです。これについては、あらためてブログでエントリーを一つ書こうと思ってます。

■「ブラック・カルチャー観察日記 黒人と家族になってわかったこと」 高山マミ

 プロの写真家が、黒人男性と結婚し、親戚づきあいまでして初めて見たブラックカルチャー。ものすごく興味深かったです。実際にアメリカに暮らして、見知っていたこともあったけれども、実際に親戚づきあいまでしなければ分からないような深い部分がたくさん描かれていて、発見の多い本でした。単なる素人の体験記でよりずっと興味深く、深いものに仕上がっているのは、書き手がプロの写真家さんで、目の前の物事へのアプローチの仕方や観察眼もまさにプロフェッショナルだからだと思います。
 以下、興味深かった点の抜き書き。
*クリスマスプレゼントの包装紙に雪の中で遊ぶ白人の女の子。これは黒人の親戚への贈り物の包装紙には選べない。キャラクターであれば、シュレックのように緑色であれば、白人でも黒人でもラティーノでもアジア系でも誰でも飛びつける。著者によると、これがシュレック大人気の一要因、だと。なるほど。(メリークリスマスの代わりにハッピーホリデイズと挨拶するのと同方向の、より包括的な物へ、という指向性ですね。ディズニーキャラクターも、最初は白人一辺倒だったのが、多様性を帯びていったわけです。でも、今なお、キャラクターの話す英語のアクセントの調査を見てみると、アジア系、ラティーノ系、ドイツ系など、アクセントとキャラクターの属性においては、ステレオタイプ化がよく見られる、と他の本で読んだことがあります)
*「彼はアンクルトムだよね」という言葉は、白人にNOといえない黒人、白人社会に迎合し、うまくやっている黒人への揶揄として使われている。(黒人社会における、「アンクルトム」への批判は知っていたけれど、これは知りませんでした)。
*当然、「風とともに去りぬ」のスカーレット・オハラについても同じ。マルコムXがこの映画を批判したこともあって、スカーレットに憧れた、という黒人女性を著者は知らない、と書いている。なるほど。
*「エボニー&アイボリー」に対しても。最初、曲が発表された時、黒人はあまりに低レベルな「人種を超えてみんな仲良く」な歌詞に吹いた、という。おもしろいのは、マイケル・ジャクソンの「ブラック・オア・ホワイト」はOKなんだって。著者は、センスの差だ、と指摘している。
*オバマの1期目の選挙について。オバマ勝利宣言のあった2008年11月4日、著者はシカゴのグランドパーク会場にいた。集まったのは総勢20万人。著者はこれを大きく3つに大別する。メイン会場に入る、チケットを持っている人。1年間、ポケットマネーでオバマ陣営に寄付し、サポートしてきた人で、99%が白人だった、と。次に、チケットを持っていない人。会場近くの広場で大きなモニターの前で盛り上がっている人が5万人くらいいた。最後に、そのどちらの会場にも入らない、会場の外で盛り上がる群衆。はしゃぐ外組。世界中に流れた、喜ぶ黒人たちの映像は、こちら側だった、と。著者は、メイン会場にいた者たちを「肌の色ではなく制作優先で大統領を選んだ白人サポーター」と説明し、外組の黒人たちを「肌の色優先で選んだ人」として対照的に取り上げている。もちろん、肌の色に関係なく、オバマを選んだ黒人、逆に政策重視でヒラリーを選んだ黒人もいた、と書いている。このあたりの雰囲気は、当時アメリカにいたので、ものすごく納得できたのだった。
*黒人に向けられる偏見の一つが、「黒人なら歌がうまく、踊れるはずだ」という偏見。これは私も、友人のゼポリアから何度も聞かされた。特に、アメリカの外、留学先のスペインなどでは、何度も何度も、「歌って」「踊ってみて」などと言われたと言ってたもの。
*「黒人は水に浮かない?」という刺激的な一章も。このタイトルも、アメリカに暮らした人ならば、これだけで色々な体験を思い出すと思う。公立小にはプールが普通ない。私立の会員制プールはたいてい白人ばかり。だから泳げる黒人はとても少ない。これは私も見聞きしてきた。でも著者の指摘になるほど! と納得したのは、公営の、誰でも入れるプールが地域にあったとしても、黒人の母親は誰も、子どもをプールに連れて行きたがらない、という事実。その理由は、黒人女性は髪を濡らすのを極端に嫌うから、だって。こちらは思いもつかなかった。なるほどなあ。
*シカゴの映画の名作「ブルースブラザーズ」を見ているシカゴの黒人はあまりいない、という事実。
*黒人はなぜ、ベンツなど高級車を乗り回すか、という命題。これも、私は知りませんでした。車は名刺代わり、なのだと。アメリカでは、プロファイリングが進んでいて、高速道路なんかでも、黒人男性ばかりで車を走らせていると、ものすごい頻度で職質を受けてます。そんな現実を白人は知りません。一度、通っていた大学の授業で、この話しになった時、黒人学生は「おれも、俺の親戚もやられた」といい、白人学生は「そんな話し知らなかった」とびっくりしてましたっけ。また、黒人男性がよく語る話しとして、「エレベーターに乗ってると、同乗した白人女性が身構えるのが分かる」という話。大学の研究室では、尊敬を集める大学教授であっても、ひとたび大学の外でエレベーターに乗ると、性犯罪でも起こすんじゃないか、という目で見られてしまう、というのです。著者は本の中で、黒人男性が高級車を乗り回す理由について、「安全でまともで信頼できる黒人」であることの証明として、高級車に乗る必要があるからだ、と見破ります。「白人がおんぼろ車に乗っていたら、エコだなあ、とおもわれるだけなのに」とも。レストランなどで、黒人のほうがずっとフォーマルな服装をしているのも同じ理由だとも。確かに、「こんなところでも、どこでも短パンか?」と思うような服装をしているのはたいてい白人ですもんね。
*同じ理由で、黒人のほうが、酔っ払って、大声で騒ぐことが少ない、と著者は指摘します。白人は酔っ払って大声で騒いでも警察が飛んで来ないけれども……と。「ただし、しらふの時は黒人は大声で路上でしゃべる」という記述に、思わず、笑ってしまいました。
*黒人男性と付き合う他民族・人種の女性が必ず感じるのは、黒人女性からの「私たちの男を取らないで」的視線だ、というのも、私はまったく知らないでいたことでした。異なる人種間の結婚については、しょうしょうデータを調べたので事実として知ってましたが。
*アメリカの女性は、日本人女性より一般的に料理をしないが、それでも白人女性は料理をすることに抵抗感はない。黒人女性は、料理する=悪、と考える傾向がある、と著者は指摘する。それは長い歴史の中で、黒人女性=メイド、というステレオタイプ化があったことへの反発ではないか、と。これも、すごく納得。日本女性は「手作り」を誇るけれども、黒人女性はパーティーで、「自分が作ったのではなくケータリングであること」を誇る、というのもすごーーーく考えさせられました。
*黒人女性が、祖母から母、そして娘へとついでいくカルチャーは「文句」だと著者はいう。怒りと文句が、黒人女性社会での必須アイテムだと。文句に文句で応じて盛り上がるのが、カルチャーなのだと。こういうのって、確かにある。だいぶ違うけど、アメリカで暮らしていた時、一番つらかったのは、大阪風の「自分がいかにダメかをいい連ね、笑いを取って、『私だってさ』とダメさ自慢で盛り上がる」というのが、まったく成立しなかったこと。あと、母親の井戸端会議でも、日本だと「うちの子なんて……」「うちの子だって、あのバカが……」などと子どもの愚痴で盛り上がる。お互い、子どもを悪く言っているようで、案外、子どもへの愛情表現だったりする。アメリカでこれをやると絶対に理解してもらえない。あちらは自慢で盛り上がるから。「うちの子はこれができるのよ」「素晴らしいわね! うちの子はこんなことが得意なの」「それって素敵!」みたいな。あれにだけは大阪人としてはついていけませんでした。
 以上。
 この本、とってもお勧めです。

■単身急増社会の衝撃 藤森克彦

 こちらのほうが、先日読んだ「無縁社会」の本よりずっと読み応えがありました。なぜ単身世帯の増加が問題なのか。個人のライフスタイルにすぎないのではないか。この問いに対して、著者が挙げた理由は、1、一人暮らしは同居家族がいないという点でリスクが高い。病気や要介護状態になった時、手遅れになりかねない、2、失業や病気などで働けなくなった時、貧困にすぐ陥るリスクが高い、3、他者と交流が乏しい人が一人暮らしをすれば社会的に孤立するリスクも負う。孤独死の問題。
 これに対しては当然、自己責任じゃあないか、本人の選択じゃないか、という意見がある。これをふまえ、著者はいう。「生涯単身で生きることを覚悟している人には、そのリスクを認識し、現役時代から経済的な側面や人的ネットワークなどの面でリスクに備えることが望ましい」と。一方で、「一人暮らしはどこまで選択なのか」という問題も提起する。「配偶者と死別し、子どもと同居できない高齢者」や「親の介護のために結婚できなかった人」まで、本人の選択とはいえないだろう、と。
 以下、覚えておきたい点の列挙。
*北欧・西欧諸国の単身世帯比率は日本より高い。日本の特徴は2030年の段階で、50、60代の男性の単身比率が急に増えること。
*単身世帯では低所得者の割合が高い。貯蓄も低い。貯蓄現在高150万円未満の割合は、男性では、30~60代ですべて20%以上。一方、女性では30代のみが20%以上だが、40代以上は十数%。
*男性で単身世帯が急増傾向にあるのは、未婚男性が増えているから。なぜ、男性より女性のほうが未婚率が高くなるかというと、男性のほうが再婚率が高く、その場合に未婚女性と結婚することがあるから。未婚女性とバツイチ男性とのカップル、確かに、逆のパターンより多いのかも。

読書日記4~6月・前編

溜め込みすぎて、4月分から。
イチオシ!は、日本人闘牛士の半生記。

情熱の階段 日本人闘牛士、たった一人の挑戦 (著・濃野平)


たいていの人が楽しめる本だと思うので、ぜひぜひ。

「園芸少年」も素敵なヤングアダルトでした。

■「塔の思想 ヨーロッパ文明の鍵」

 東京スカイツリーの取材に関連して、手に取った本。1972年の本なんですが、塔と人間に関する本としては、今なおナンバーワンではないか、と思う名著でした。いや、一部意味不明に思えるところもあるんだけど。
 テーマは、人はなぜ塔を建てるのか。塔を見上げるのか。塔に登るのか。塔とは人にとって何なのか。そんな感じ。
 高所衝動(著者によると「人間の本性と肉体の有限性によって当然おこってくる障害を、あえてのりきろうとする純粋な精神力のこと」)。そして、塔に登った時に体験する「センセーション」(訳者は「戦慄(センセーション)」と訳されてますが、戦慄、というのは日本語の使い方として、ちょっと違う気がします)。つまり、とらえどころのない無限な空間を前にすると、人間は不快や不安を抱くものだけれども、塔はそこに「孤独な道標」のように、「人に地震と慰安を与える仲介者」のように、「形のない空間の脅威に対して、確実な定点を示す」と。だから、人は塔に登ると、「無限の空間と接触しているのだという旨をしめつけられるようなセンセーションにおそわれる」のだと。
 ヨーロッパの中でも国や地方によってまったく塔のありようが違っている、というのも面白かったです。たとえばギリシア芸術には、「塔を建設しようといういっさいの内的衝動を欠いている」とか、「なぜローマ建築は塔を持たぬのか」とか。
 あるいは、パリのエッフェル塔より高い建築物を建てようと、マンハッタンに高層ビルが次々と建った時、なぜそれが塔ではなかったのか、とか。著者は、マンハッタンの高層ビル群が塔と共通して持っている唯一の要素は「競争心」である、と。「アメリカは塔を必要としなかったからそれを建てなかった」「アメリカは、凌駕したいという自分の欲求を芸術的なしかたで解決し、表現する必要がなかったのである。無限への願い、逸脱したいという衝動は、そこでは日常生活の中で、物質の中で、技術的領域で、完全に満足のいう方法で解決されている」と。
 アメリカのことはなーんとなくわかるのですが、なにしろ欧州は、挙げられている多くの都市に行ったこともなく、そこの塔を見て回ったこともないだけに、今ひとつ実感としてわからないことも多かったです。
 一度この本を片手に、あちこちの街の塔を見て回りたい気持ちになりました。

■「塔」 梅原猛

 西洋の塔と東洋の塔との対比が面白かった。「ヨーロッパの塔が、限りなく上昇する生への意志を示すものであるとすれば、仏教の塔は、生と死とのたえざる争いの上に生まれると言ってよいかもしれない」だそうです。
 また、薬師寺の東塔の写真を掲載し、「薬師寺の塔を見て、われわれの眼にとびこんでくるのは、やはり横線である。(略)この多くの平行線が、何よりもこの建物に安定感を与えるのである」と書き、一方で「西洋の塔は、何よりも高さへの意志をあらわす。高さへの意志をあらわそうとする西洋の塔は、何よりも縦線を強調する」とも。

■「ヤングアダルト パパ」 山本幸久

 タイトルだけみて、ヤングアダルトコーナーから数冊借りてきた本のうちの1冊。面白いものがあれば、息子にも読ませようと思ったんだけど、「中学2年生の少年が、年上の女性と同居することになってしまい、自由奔放な女性に淡い恋をし、言い寄られるままにセックスして、いきなり父親になったところで、女性が出奔しちゃって、少年一人で子育てする羽目になっちゃった」という設定(あまりに無理があるじゃないか!)を見て、一瞬にして却下。
 少年自身が、そもそも親の自覚がほとんどないような父親と母親の間でそだち、おまけに両親の離婚で一人暮らしを強いられる羽目になった身の上で、それゆえに、赤ちゃんを「自分の唯一の本当の家族」として必死で愛そうとする姿は、痛々しくも悲しいけれど、とはいえ、赤ちゃんを一対一で育てるというのは、こんなきれいごとじゃないぞ、と思ってしまうよ、経験者としては。
 24時間365日、丸ごと、一人で赤ちゃんの責任をみたことのある人だったら、こういう作品にならなかったんじゃないかなあ、という気もした。とはいえ、主人公の周囲の友達たちもよい味を出していて、さわやかといえばさわやかな作品。

■情熱の階段 日本人闘牛士、たった一人の挑戦 (著・濃野平)

 これはすごいです。何がすごいって、即、異色のスポ根マンガ化決定、みたいな。
 スポ根マンガの設定って、かなり無理あるじゃないですか。主人公が無茶な挑戦して、それが見事にはまったり、でもその直後に大きな落とし穴が待ち受けていたり、でもそれを汗と涙と友情で乗り越えちゃったり、それでもさらなる試練が待ち受けていたり……読者はそのたび、何度も「ありえねーーーーっ!」と叫びながら、それでもついつい読んじゃう。
 はい、まさにそんな感じ。
 スポ根マンガと唯一違うのは、こちらの主人公は本当に現実を生きている一人の人間だってことです。だから、なんというのかな、ドラマ仕立てとしての典型的な浮き沈みが描けない。
 たいていの挫折と成功のドラマって、
 「マイナスからのスタート。暗中模索 ⇒ 思わぬ小さな成功 ⇒ 順風満帆かと思われたところで思わぬ苦難 ⇒ 葛藤、模索 ⇒ どん底 ⇒ 友情、家族愛あるいは努力 ⇒ もうだめか、と思ったところで最大の山場の末成功 ⇒ 感動の嵐」
 みたいなパターンじゃないですか。
 やっぱり最大の山場はぐいぐいと引っ張った最後に取り置いておく、みたいな。
 でも、こちらはノンフィクション。生身の人間ですから。最大の山場が思ったより早くきたり、そのあともやっぱり再び、どん底が来たり……ドラマのようにはうまく構成されてません。でも、だからこそ、リアリティーがあります。
 この作品の最大の魅力は、やはり、書き手の濃野さんのリアルな生き方と、その挑戦にあります。でも彼に伴走し、この本を書かせた編集者さんも、良いお仕事をされているなあ、とかんじました。

 以下、心に残った点を列挙。
*(7ページ)闘牛において、牛と向い合っている時は恐怖を感じない。むしろ恐怖を感じるのは、闘牛の前と、それから後だ、ということ。
*(50ページ)闘牛の賛成派・反対派のそれぞれの意見。「食べる目的ではなく、娯楽目的で動物を殺すのは残虐で許せない」という反対派の意見に対し、「動物の士点にたってみれば、理由はどうであれ、人間に一方的に殺されることには変わりない」と。
*(57ページ)闘牛は、なぜ闘牛と呼ばれるか。スペイン語では、コリーダ・デ・トロス(牡牛を走らせること)。これが外国語で、bull fightingと訳され、それを経て日本語で闘牛になったんだろう、という話。「闘牛は闘牛士と牛との闘いでは決してない」とも。そもそも、牛が死ぬことは最初から決まっているのだから、もしも闘牛に「闘い」という行為があるとしたら、それは牛との闘いではなく、自分の恐怖、自分の内部、自分自身との闘いなのだ、と。
*闘牛に使う牡牛は、1度しか使えない、というのも知らなかった。10分もすると牛は学習し、あのピラピラした布みたいなもの(ムレタ)ではなく、闘牛士の身体を狙うようになるんだって。だから、一度使った牡牛はもう、闘牛には使えない。となると、闘牛士の最大の問題は「練習台」(生きた牛)がなかなか確保できない、という点だという。
*(174ページ)著者は、生活を支えるために、オレンジの収穫の仕事をする。きつい肉体労働。多くの労働者が、要領よく手を抜くが、著者はそれができない。「その時の私にできた唯一のことがオレンジを切ることであった以上、せめてそれに全力で取り組みたかった。オレンジを切れば切るほど、よりマタドール・デ・トロスに近づけるのだと自分に言い聞かせていると、時には作業に熱中するあまり、高揚感に酔いしれて涙することまであった」。この一文、この心境はすごい。ここまで来られる人は強い。
 想像してみてほしい。オレンジを切る、という単純かつきつい労働の中で、高揚感に酔いしれて涙しちゃうのだ。でも何となく分かる人、多いんじゃないか。私は、たまらないほど、分かる気がしました。
*(182ページ)闘牛士はギャラをもらって闘牛しているのかと思ってたけど、違うのね。むしろ、多くの闘牛士は、金を払って出場機会をもらっているんだって。おまけに、スペインにおける闘牛の人気は凋落するばかりで、いわゆる伝統芸能の先細りから、闘牛する機会自体がどんどん減っているのだとか。知らなかった。
*(185ページ以降)進退窮まった著者が、「日本人でただ一人の闘牛士」という、ある時にはメリットに、別の時にはデメリットになる「希少性」をどう活用したのか。
*(253ページ)「日本人である私の存在そのものが唯一無二の個性だといえた。『優劣』ではなく『違い』で勝負してみよう」。このあたりからの、彼が「日本人であること」にこだわりながら道を切り開いていく道のりは、示唆深いです。
 お勧め。

■「園芸少年」(魚住直子)

 5年前の本だけど、見落としてたなあ。すごくいい。
 カルタだ、書道だ、と「文系部活青春路線」大人気ですが、この作品、ひと味違う。主人公たちが「しゃべり過ぎない」、あるいは著者が「書き過ぎない」。だから逆に胸に染みる。一言ひとことが、逆に生きてる。
 新聞記者が学ぶべきは、これだよなあ、と思ったりしました。……いや、これを新聞記事でやっちゃうと、読者を選ぶかなあ。
 最後の主人公の言葉「なるようにしかならない。でも、なるようにはなる」が、ぐっときました。投げやりではなく、達観でもなく、なんというか、信じること、待つこと、努力すること……みたいな。とても好きになりました。
(男子校に通う息子を持つ母としては、この小説だったら、共学じゃない、男子校を舞台にしちゃっても良かったんじゃないかな~、と思いましたが。どこかにないかねえ。男子校が舞台の素敵な作品)。

■ジェノサイド 高野和明

 このミス1位と聞いて、帰国直後に予約を入れて、図書館で順番が回ってきたのが今だもの。たいした人気だ。えらく長い本で、連休でもなかったら読めなかった。仕事の逃避&息抜きに読むにはちょっと重いかな。おまけに、ちょっとこの設定、反発食らってんじゃないかな、とアマゾンの書評を見てみたら、案の定、反韓国な人たちだけでなく、「右でも左でもないですが、日本人として気分が悪い」という人たちからも、叩かれまくってた。読後感=疲れた~。途中で命を落とした、きっと幼少期の被虐待経験を持つに違いない風に描かれている日本人傭兵、もちょっと彼自身が心揺らしたり、迷ったりする場面を書き込んでやってほしかった。あれじゃ、あまりに浮かばれないよね。

■大学キャリアセンターのぶっちゃけ話 沢田健太

 今や、就職実績で大学を選ぶ学生(というか親、か?)が多いそうで。鍵を握る大学キャリアセンター側からの情報発信本が、結構話題になっているようです。

*大手企業の説明会がショー化している(p112)……熱い自分語り、就職内定者の体験談、熱っぽい雰囲気の中で「弊社は、不安感を抱えたみなさんのシューカツをお手伝いしますよっ!」というメッセージがガンガンに伝えられるんだそうで、クライマックスには涙声で「がんばろうぜっ!」なんて展開すらあるらしい。が、企業側の思惑は、「企業イメージをアップしたい」に加え、「将来の商品のお客さんをつかまえたい」にあるらしい。おまけに、主催する企業の人事部の担当者にしてみれば、集まってくる学生の人数で、対前年比評価されるわけで……。

*キャリアセンターの職員には正直に言えないことがある。それは大学格差について。(182p)……「うちの偏差値で一部上場なんて甘い夢を見るな」と本音ではいいたくとも、それをいったら、大学格差を認めることになるので、表立ってはいえない、のだそうだ。そこは汲みとってほしい……というのが本音、らしい。

*インターンシップについて(p207)……実態として、1日だけの社会見学(ならぬ、会社見学)化しているので、やっても無駄なものも多いそうだ。こんな話を聞くと、「米国の実態と比べると、日本のインターンシップって結局、うまく機能しないんだなあ」とか思いたくもなるけど、実際米国でよく聞いたのは、「キャリアとしてアピールできそうなインターンシップの口をつかむのに、どれほどのコネや金が必要か……」というような話だったっけ。

*もしも自分がシューカツ生の親ならば……(p232)この章、結構衝撃でした。筆者はいうのです。「まず町の補習塾にでももぐりこませます」と。ちまたで高いカネを採ってる就活塾のような所に行くことに、筆者は懐疑的だという。大した中身でもないのに、何十万も金を取ったりするところもあるそうで。ちなみに、なぜ「補習塾」かというと、企業の筆記試験で問われる中高レベルの国語と数学の基礎学力すらない大学生が圧倒的に増えているから、だそうで。うーむ。

*もしも親なら……2(p239)子どもを会社の飲み会に連れていく。部下や同僚との飲み会に参加させると、案外社会人の先輩たちは、同僚の子どもに対し、あれこれ熱く語ってくれる、らしいのだ。それもかなり本音で。これが、OB/OG訪問では体感できない、集団力学を学ぶ格好のチャンスともなるらしい。なるほど。

*もしも親なら……3 最低限、四季報くらいは買い与えてやる、ともかいてあった気がします。確かに、ネットで企業研究するのもいいけど、四季報とか、日経テレコムとか、もうちょっとニュートラルなほうが、それぞれの特徴や立ち位置を確認しやすいもんなあ、と素直に納得。

■アート少女 根岸節子とゆかいな仲間たち 花形みつる

 どうやらシリーズ第二作、だったようで。一作目から読めばよかったのかも。
 文章がちょっと私には軽すぎて、ぴんとこなかった。同じ文化系部活青春ものでも、好き嫌いが当然出てくるんだなあ、とあらためて納得。
 中高生の女子なら、楽しめるんじゃないか、と思いました。

■放射線医が語る被ばくと発がんの真実 中川恵一

 一部の人からは「御用学者」とか言われちゃってるんだろう。でも、私は、しごくまっとうな説明として受け止めました。どこまでが「科学的に証明されているのか」をきちんと理解した上で、そこから、「まだ証明されていないけれども……」な部分については、自分なりの選択をしていけば良いのだと思うので。
 原爆投下された広島市に関する項で、「入市被爆者の平均寿命を調べると、日本の平均より長い」「広島市の女性の平均寿命をみると、日本一長い」(p84)というところで、ある人の顔が思い浮かびました。うちのばあちゃん、入市被爆者で、原爆手帳持ってます。今年で99歳になる予定。まだまだ元気。……きっとばあちゃんみたいな人がいっぱいいて、「平均」を押し上げてんだろな。みんながみんな、そうでもないんだろうけど。「平均」って難しいなあ、と時々思う。うちの母は53歳で死んでるわけで、私は46歳なわけで、おいおい、53+46=99かよ、とか。いや、ここで足し算するのはまったく意味ないんだけど。

■最期のキス 古尾谷登志江

 俳優、古尾谷雅人さんの自殺の後、妻登志江さんが書いた本。「家族が自死した遺族の心持ちを学ぶのに良い本」と聞き、読んでみました。
 入り組んだ家族関係の難しさやら、あれこれ考えさせられる本でした。本を書くことで、色々な気持ちを整理していったんだろう妻登志江さんはたぶん、根っこの太い方なんだと思います。むしろ、2人のお子さん(どちらも芸能界入り)が今どうされているのかなあ、と心配になってしまうのでした。

■ヤバい経済学/超ヤバい経済学 スティーヴン・レヴィット、スティーブン・ダブナー

 最初数項は楽しく読んだのですが、いかんせん忙しい最中だったので、とても全部読む気になれず、完読しないまま、図書館にお返しします。暇な時の頭の体操には良いかも。

■<つながり>の精神史 東島誠

 時期的な事情と、タイトルにひかれ、読み始めたのですが。歴史学の素養のない私には、ちゃんと理解できない感じ。教養不足の自分にとほほ。

■「社会的うつ病」の治し方 人間関係をどう見なおすか」 斎藤環

 これは内容があまりに濃いので図書館でいったん借りたものの、購入決定。
 あとで読みなおしてチェックが必要なメージ数を、自分のための備忘録としてここにメモ。
38、63、70、75,88,107,114,118,124,128,136,137,146,153,158,160,167,188,194,221,230,233,235,237。

■ぞわざわした生き物たち 金子隆一

 トライしたが、なんかぞわぞわして、読み込めなかった。ははは。

読書の千本ノック、というコラム

スポーツ少年にどうにか読書習慣をつけさせたい、
と思っておられる世のお父様お母様にお送りする、
本日朝刊掲載のコラム。

読書の千本ノック
http://mainichi.jp/opinion/news/20120612k0000m070091000c.html


アスリートの勝負強さって何なんだろう……という問いを入り口に書いてみたのですが。
うまくいけば、これを、14歳の野球少年である息子に読ませ、読書に開眼させられないか……などと欲深に期待したのですが。

息子に見せましたが、どうやら、全然効果なしです。
とほほほほ。

AKB48の第4回総選挙を見に行った、という記事

そもそもアメリカにいる間に、ぐぐぐーーーっと人気の出たグループのようなので、まったく手も足もでません。
もっとも、日本にいた時に人気のあった、おにゃんこくらぶも、モーニング娘。も、誰一人知らない私なので、今回も、総選挙の直前まで、前田敦子さんと大島優子さんの顔の区別がつきませんでした。

それでも、かなり真面目に下調べし、予習し、最後は赤と緑の暗記ペンまで使って、名前を覚えたのでした。ほとんど無駄でした。だって、フルネームだけでなく、あだ名を覚えないと、取材にならない………反省。

どんなに知らない分野のことでも、たくさんの人が集まっているのを見たら、なぜ人はそれに惹かれるのだろう、と知りたくなる。いろいろ考えたり、調べたり、あちこちの人に聞きたくなる。
思えば私の取材の根っこにあるモチベーションは、いつも同じなのかも。

AKB48を見に行くのも、
あごひげアザラシのたまちゃんを見に行ったのも。
やっぱり、色々な思いを抱えて、人はそこに足を運ぶんだと思うので。

記事はこれ。
AKB48の総選挙を見て感じた、切なさと居心地の悪さ
http://mainichi.jp/enta/news/20120612dde012200013000c.html




「松井の信念の陰に、『老人と海』?」という記事

こんな記事を書きました。
「松井の信念の陰に、『老人と海』?」
http://mainichi.jp/feature/news/20120531dde012040079000c.html

松井秀喜選手の記事を書いて、と言われた時点で、たぶん、私は、松井選手にそれほど興味がなかった気がします。
むしろ、ピリリと音立てて人の心に割り込んでくるような、イチロー選手の談話のほうが、優等生風の松井選手のいつものコメントより面白いと思っていたし。
松井選手を担当した記者を何人か知っているけれど、「本当に素晴らしい人だ!」と人格をほめる人ばかりで、「彼の取材は面白い!」という声は聞いたことがなかったしね。

それでまずは、彼の著書を全部読み、それから彼の父親の著書、伊集院静さんの松井選手関連の著書など、関連著書を全部読み、何時間もかけて彼が大リーグに挑戦して以来、今にいたるまでの新聞記事を読み込みました。

絶対に変だ、と思いました。
人間、あんな、大舞台で、あるいは肝心要の場面でばかり、活躍できるもんでしょうか?

大リーグに移籍し、ニューヨーク・ヤンキースの開幕戦でいきなり本塁打。
決して調子が良かったわけじゃない2009年、膝の手術を拒み、最後まで試合に出ることにこだわり続け、ワールドシリーズでおいしいところ全部持って行ってMVP。
いくら「勝負強い」っていったって、こんなの絶対に偶然であるわけない。

……とまあ、取材のスタート地点はそのあたりにあった気がします。
伊集院静さんは、来月の文藝春秋に、私とほぼ同じテーマで原稿を執筆中でした。「どうして私たちは松井選手が好きなんだろう」というタイトルで。
「私が書こうと思っていること、今日は話すし、それを先に書いてもらってもいいんだ。私も君と話している中で、原稿のヒントが見つかるかもしれないと思って、今日、取材を受けたのだから」 と前置きし、お話くださった伊集院さん。
取材が終わって、伊集院さんが、「君と話せてよかった。原稿の着地点が見えたよ」とかっこ良く立ち去ってゆく背中を見つめながら、私のほうはまだまだ取材不足で、「せ、せ、せんせ……。私はまだ、原稿の着地点、見えていません~」(落涙)。

それでも、石川県に出張に行って、松井秀喜ベースボールミュージアムに寄せられた感想文を見せていただいたり、館長でお父さんの昌雄さんにお話をうかがったり、金沢市の星稜高校の野球部グラウンドで山下智茂・名誉監督にお話をうかがったりする中で、段々と書きたいことが見えてきました。

(山下監督と2人、バックネット裏で練習試合を観戦しながら、思わず2人して並んで試合のスコアをつけつつ、野球談義に花を咲かせることができたのは、この上もない贅沢な時間でした。星稜1年のピッチャー君、いい球投げてたなあ……)。

長谷川滋利さんに国際電話でお話をうかがえたのも、本当に助かりました。

結局一番書きたかったのは、「老人と海」だったのかも知れません。
松井選手の著書「信念を貫く」の中に、「老人と海」についての記述を見つけた時、なんとなく、直感で、これは伊集院さんが手渡した本だろう、と思いました。
実は、星稜の山下監督も、父親の昌雄さんも、松井選手が帰国するたび、本を見繕って、手渡しているのです。でも、「老人と海」はきっと、伊集院さんだ、という確信がありました。

それで、取材のとき、伊集院さんに尋ねたんです。
「これを渡したのは伊集院さんですか」と。
答は予想通りだったけれども、驚いたのは、彼がそれを手渡したのが2003年だった、ということ。
実はもっと最近のことだと思ってました。
だって、2010年の著書まで、松井選手はまったくこの本について言及してなかったもんですから。

でも、1冊の本って、そういうものだと思います。
最初に読んだ時と、2度目に読んだ時で、心に刺さる部分が違う。
あるいは読み終えて何年もたってから、ああ、あの本にあったエピソード、本当にそうだよな、と実感することがある。
それが本の素晴らしさ。

松井選手は、プロ野球選手の中では珍しく、読書好き。
私は案外、松井選手が、出会った人や、出会った本や、出会った街から、どんどんと良いものを吸収していこうとする人だから、あの勝負強さ、メンタルの強さが育まれたんじゃないかな、と思うのです。

そういう意味も込めて、今回は、「老人と海」のエピソードを、きちんと書いておきたかったのでした。
ちなみに、老人と海、には、もうひとつ不思議なめぐり合わせがありました。
父親の昌雄さんに、松井選手が「老人と海」について著書で書いている話をしたら、お父さんはすっかりそんなことは忘れていたようで、驚いたように言うのです。

「それは不思議な符合です。実は私、以前、『老人と海』の英語の朗読CDを手に入れまして、いつかこれが分かるようになりたいもんだ、なんて思いながら、あれを聞きながら寝てるんですよ。英語を聴いてるとすぐ眠くなるもので」

息子が色々な思いで読んだだろうヘミングウェイの名作を、
その息子の精神的支柱だったとも言える父親が、眠り薬代わりに英語で聴いていた、という不思議。

スポーツの取材をしていると、人の出会いだとか巡りあわせだとか、不思議が偶然がたくさん見つかって、面白いなあ、とおもいます。
それはきっと、単なる偶然、と言い捨ててしまえない何かが、やっぱりそこにあるんだと思います。

記事出稿の日、松井選手のメジャー昇格の一報がアメリカから届けられました。
私はデスクに言いました。
「メジャー復帰初試合で本塁打を打ったら、若干、原稿を手直しします。松井選手って、メジャー昇格試合で今季初アーチ、とかやっちゃう人なので」
……そしたら、案の定。
もっとも、これからのシーズン、決して順風満帆ではないでしょうが。

彼の不屈の精神とひたむきさの一端を取材する機会を得られたことを、ありがたく思います。

以上。
ここまで読みに来て下さった方に、松井秀喜選手の記事のこぼれ話を、書いてみました。


プロフィール

おぐにあやこ

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。仕事を辞めて渡米。11年、新聞記者に出戻り。
趣味■読書、歌、旅
目標■ちょっと背伸びして、
 疑問符を感嘆符に変える事
苦手■勧善懲悪


著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
「アメリカなう。」(小学館)
「アメリカの少年野球 こんなに日本と違ってた」(径書房、ミズノスポーツライター賞)
「?が!に変わるとき  新聞記者、ワクワクする」(汐文社、読書感想画中央コンクール課題図書、高校生の部)

訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

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