新聞記者でした。「行って、見て、書く」ことを大切に、現場を歩いたり、人と出会うことで、心の中の「?」が、ちょっと背伸びして「!」に変わっていく瞬間を、できるだけ毎日、書いてみたいです。(小国綾子)

「公の場における宗教的表現」

移民に関する授業をとる予定だった春期のカレッジだが、途中で長期欠席しなければならない事情もあって、結局、今季はお休みすることにした。
そんなわけで、ここ数カ月は、カレッジの代わりに、DCのあっちこっちの研究所なんかの主催する講演会とかシンポジウムとかを聴きに行く、ということにした。
レポート提出も、宿題も、成績もないとなれば、きちんと出掛けていくモチベーションを維持できるかどうか、ナマケモノ志向の私としては、かなりビミョー。
でもまあ、通い慣れたカレッジとは違う、別の場所に出掛けていく、というのは大事かな、と思って。

本日は、ブルッキング研究所で行われた、「アメリカの公的な場所での宗教的表現について」。
このタイトルを聞けば、とりあえず身近なところで、たとえば、

・学校で聖書や神について教えることの是非
・学校の子どもたちが毎朝言うことになっている 「忠誠の誓い」 におけるGodの扱い
・市役所前の広場なんかに、たとえば、12月にクリスマスの飾り付けをすることの是非

くらいは思いつくわけだけど、ほかになにか、あるのかしらん、という程度の知識で出掛けた。
いやはや。
やっぱり、この手の話は、きちんと下準備しないと、専門用語バシバシで、おまけに宗教用語もバシバシで、なんとなく分かるけど、厳密に理解できたことはほとんどない……というような悲惨なありさま。
言語の壁も厚いけど、知識の壁はなお厚かった〜。

憲法修正第一条の専門家だとか、公教育における宗教の自由についての専門家だとか、あるいは、キリスト教、ユダヤ教などを背景にした専門家がずらっと並んで、何をやったかというと、共同声明の発表。
共同声明、というからには、「宗教的表現は公の場では、こうであらねばならない!」 的な主義主張声明かと思ったら、全然違った。

あくまで、現在の法的解釈で何が許され、何が許されないのか、何が違憲で、何が合憲なのか、「法がどうあるべきか、という判断はあえて加えず、現在の法解釈がどうなっているのかについての共同声明」 なんだって。
で、そういう声明を出す目的は、「まだまだ結論の出てない問題も多いが、少なくとも、すでに法的に決着がついている問題について、あれこれ現場で議論が混乱しないようにするため」 だそうで。
実際のところは、「法がどうあるべきか」 なんて所まで踏み込んだら、「共同声明」 という企画自体が瓦解してしまうほど、意見の分かれる問題だった、ってことなんだろう。
ことほどさように、宗教国家アメリカで、信教の自由 (信教しない自由も含む)と、宗教の自由とを、きちんと守っていくのは大変で、気が遠くなるほどの議論がすでに重ねられてきているのだ。

声明は、Q&A方式になっていて、いくつか面白いテーマもあった。
たとえば、身近なところでは、

・宗教活動のために個人および団体は政府の施設を使っても良いか?
・自治体は、季節の飾り付けとして、宗教的な要素を含むものを飾って良いか?
(クリスマスツリーやサンタクロースなど)
・季節の飾り付け以外の意味合いで、自治体が、宗教的な像や聖書の一節を掲示して良いか?
(たとえば、裁判所に「モーセの十戒」を展示するなど)
・硬貨に 「In God We Trust」 と刻印されていることは、違憲ではないのか。
・雇い主は、従業員が宗教上の礼拝などができる場所を職場に設置すべきか。逆に、従業員は、職場で宗教活動を行って良いのか。
・公立の小中学校が宗教を教えて良いのか。
・Under God という言葉を含む 「忠誠の誓い」 を公立学校の生徒に唱えさせることは許されるのか。

などなど。
いちいち、結論をここに書けないけれど、これらの項目について、最高裁判決ではこうだったとか、色々な説明があって、それはそれで、現状を認識するよいテキストとなりそう。

たとえば、市が、年の暮れに、季節の飾り付けとしてクリスマスツリーを飾った場合、それが、キリスト教の布教を目的としたものであったり、キリスト教を支持すると表明するようなものであれば違憲だけれど、全体として特定の宗教を推進するような内容と判断できないものであれば、合憲、とか。
「モーセの十戒」 の展示については、同時期にまったく結論が逆の判決が出ちゃってるとか。
「忠誠の誓い」 については、まだまだ議論の余地の残るところなんだとか。

へええ、と思うことしきりの声明ではあった。

印象に残ったことが一つ。
質疑応答の時間に、ある男性が 「実に色々な宗教を代表する立場の方が加わり、共同声明を出されたことに敬意を表しますが、それならば、信教をしない立場の団体、たとえば、American Humanist Association とか数多くの団体があるわけですから、そういった立場を代表する人をワーキンググループに参加させるべきだったんじゃないでしょうか。そうすれば、内容も若干変わったのではないか、と思いますが」 と発言したこと。
実は彼の発言で始めて、そういう団体があることを知った私。

しかしまあ、これだけきちんと議論を詰めていく、という姿勢は、やっぱりすごいよなあ、と思った。
日本で、公共施設にクリスマスツリーを飾る時、こういう議論って、行われるのかなあ。
やっぱり、アメリカにおける宗教、人種・民族、銃所持の3点セットは、相当勉強しないと、日本人がきちんと理解するのが難しいテーマだなあ、としみじみ実感したのだった。

サンシャイン牧場で分かる動物観と植物観

先のエントリーへのコメントで、「4日で牧場に行ける?」 という質問がありましたが、ハイ、行けました。
レベルは7、です。ことほどさように、パソコンの前に張り付いてたってことなんでしょうねえ。とほほ。
ただ、この手の育成ソーシャルゲームは、たぶん、ほかの人がハイレベルに達したあとで参加した新参者は、お友達の収穫物を横取りすると、初歩レベルではありえないくらいのコインがたまり、レベルアップが早い、ってことなのかもしれません。
とにかく、お友達全員の収穫タイムテーブルをきちんと作って、取りこぼしがないように全部収穫したら、あっという間のレベル7でした。

……とはいえ。
さきほど、とあるお友達の畑に侵入し、高価格農作物の大量収穫を楽しみに、親子して、成熟時間の5分前からパソコンの前に陣取り、「あと5秒、4秒、3秒……」 とカウントダウンし、さあ、いよいよ、収穫だーーーーーっ!

と思ったら、持ち主さんがすかさず次々に収穫なさったらしく、こちらの画面ではまったく収穫できないまま、消えてしまいました。
おぬし、なかなか、やるなー。(って、あなたよ、あなた!)

息子なんか、「ちくしょー、この人、ずるい!」 だって。
違う違う。
他人様の畑から高価格農作物をごっそりいただこう、という我々のほうが、「ずるい」 んだってば。

ところで。
サンシャイン牧場を4日間やってみて、おもしろいなあ、と思ったことが一つ。
このソーシャルゲーム、最初に畑で農作物を育て、ある程度のレベルになると、牧場で家畜も飼えるわけなんだけど。
案外、このゲームをやってみると、自分の植物観と動物観の違いがよく分かるんです。

他人の農作物に虫を付ける、という行為がありますよね。
これは、結果的には相手の収穫率を上げることにつながるので、相手からも喜ばれる行為です。
だから、私自身、最初は抵抗があったけれども、1日でその抵抗も消え、今ではお世話になった人へのお返しのつもりで、よそ様の畑に虫を入れまくっています。

一方、牧場における、「虫を付ける」 行為に当たるのが、「動物を驚かす」 です。
パチンと動物を驚かすと、動物にストレスがかかり、動物が病気になってしまう、って仕組み。
これを、きちんと注射針で治療すれば、いわゆる 「収穫率」 が上がるわけで、「虫を入れる」 のと同様、相手に喜ばれる行為ともいえます。
そこまで理解しているのに、なぜか、これがどうしてもできないんですよね、私。

なぜか。
動物が妙にかわいそうになってしまうから。
つまり、同じゲームで、同じアニメーションの絵で、生きた相手ではない、と分かっていても、植物の生育の害になる虫をつけることはできても、動物にストレスをかける、という行為は、できないってこと。
牧場の持ち主の相手に申し訳ない、というのではありません。
アニメーションの動物に申し訳ない、と思ってしまうわけです。

同じ生き物でも、植物相手と、動物相手で、こうも、感覚って違うのだなあ。

私は、実は、牧場での育成はあまり夢中になれません。
実は、畑のほうが育ててて楽しいし、収穫時もうれしいのです。
息子は逆。動物の絵柄のかわいらしさから、牧場にいると、それだけで楽しいみたい。
他人様の牧場の動物が病気になっていると、必死で看病するし、水のみ場に水を入れて回っています。
それどころか、あまり世話をしていない人の牧場で、動物が 「そろそろ引退させて」 などと訴えていると、「あああ、早く引退させてやればいいのに。○○さん、許せない!」 とか怒っているくらい。
そんなもんかなあ、と笑えます。

私が、動物を育てるのが苦手なのは、畑の農作物みたいに単純にゲームと割り切って、楽しむところだけ楽しむ、というのができないからなのかも。
収穫率アップとか、効率の良い収穫方法とか、そういうのはどうでも良くなってしまうし、病気していたり、水飲み場の水がカラッポだったりすると、なんか自分が動物虐待してるみたいで、すごく居心地が悪いんですよね。
でも、ここ数日間観察したところ、「他人の畑に虫を入れるのは抵抗がないけど、動物を驚かすのはちょっとできない」 というような私と似た人が、案外いるんじゃないかなー、という気がします。
また、息子みたいに牧場で動物を育てるほうが好きな人と、私みたいに畑で農作物を育てるほうが心地よいと思える人と、両方いるんじゃないかな、と。

以上、サンシャイン牧場に見る動物観と植物観の一考察でした〜。
(……って理屈こねながらも、まだまだはまり続けている私)

サンシャイン牧場と私。そして息子

知らない方、興味のない方にはまったく無関係の話題ですみません。
mixiなんかで人気のソーシャルゲーム、「サンシャイン牧場」 とやらに、思い切り遅ればせながら、参加してみたんです。
一応、「流行物は自分で試す」 が身上なので。
そのわりに、今回は、昨年秋から忙しかったり、ネット環境がぶった切られたりしたことで、随分と遅れての参加となってしまったわけですけど。
ところが、やっぱり、ああ、やめておけばよかった、って感じで、エライ目に遭っております。
いや、ニュースにもなったような、個人情報がダダ漏れした、とか、そういうんじゃありません。
単に、この 「牧場」 との付き合い方が分からない、というだけ。

ご存じない方に、簡単に説明すると、「サンシャイン牧場」 は、mixiというソーシャルネットワークの中で行うちょっとした育成ゲームみたいなもので。
畑でまず、野菜やら花を育て、それを売ることでコインや経験値を集める。
レベルが上がると、色々な高価な作物を育てられるようになり、実入りも増える。
ある程度、レベルが上がったところで、畑だけでなく、牧場で家畜を飼えるようになる。
こちらも、鳥の卵やら、家畜の肉を売ることで、コインや経験値がたまり、レベルも上がっていく。

野菜を育てる、といっても、やることは、水やりと虫とり程度。
ただし、「ソーシャルゲーム」 と呼ばれるだけあって、ソーシャルネットワークの中ですでにお友達として登録してある相手の畑に行って、相手の畑の土地が乾いていれば水まきをしてあげたり、害虫にやられていたら薬をまいてあげたりもできるんですね。
それだけでなく、相手の畑に虫をわざわざ入れることもできる。
ひどい行為のようだけれど、害虫におかされた畑は、その後に誰かが害虫駆除してくれた場合、収穫率がアップする、という仕組みになっている。
だから、お友達同士、相手の畑に虫を入れまくり、虫を退治しまくれば、お互いにハッピー、というわけ。
さらにさらに。
お友達の畑で熟した野菜や果物があれば、あるいは牧場に生み立ての卵なんかがあれば、これを勝手にとることもできる。
……って、それ、実社会でやったら、ドロボーじゃん。
と思うのですが。

これがmixiで爆発的人気となったのが確か去年の夏の終わりごろ。
アイテムなんかに課金するシステムができて、クレジットカードの情報がダダ漏れした、とニュースで大問題になったのが昨年11月だったか。
もはや、ほとんどの人が飽きて、今なお続けている人は、きっと、穏やかにこの牧場世界とお付き合いできる人だけ、になっているんだろう今になって、私が参加してしまったのでした。

以下、私の身に、息子の身に、何が起こったか、というのを日記形式にて……。

■1月7日 「サンシャイン牧場」 に参加する。

・最初は、自分の作物が育つのが待ち遠しい。
・お友達の畑に行って、せっせと水まきや、虫取りにいそしむ。
・「他人様の畑に虫を入れるなんて、頭ではそれが相手のレベルアップのため、と分かっていても、道義的にできないわー」 と、虫を入れるという行為には手をつけられない。
・同じく、「他人様の畑の作物を勝手にとるのは、ドロボーだもの」 とお友達の畑の作物には一切手を触れず。

■1月8日

・早くレベルアップして、いろいろ試してみたくなる。
・お友達に虫を入れてもらって、実際に収穫量が上がり、自分が得をする、ということを体験して以来、虫を入れてくれたお友達には 「お返し」 の気持ちで虫を入れてあげるようになる。
・他人の畑も、自分の畑も、一匹でも虫がいる状態のままにするのが耐えられず、数時間に1度の頻度でお友達全員の畑を何度も巡回し、虫退治と水蒔きを続けるようになる。
・そうこうするうち、他人の畑への愛着もわいていき、自分が世話をしているつもりになり、気づけば、すこし、収穫物をおすそ分けしてもよいかな〜、という気持ちになってしまい、とうとう、他人様の収穫物に手を出すようになってしまう。

■1月9日

・何度も何度も他人の畑をチェックするのが面倒になり、結局、何時何分ごろ、誰の畑で何が収穫出来るようになるのか、収穫のタイミングのタイムテーブルを作成し、それに応じて、ネットにアクセスし、ひたすら他人様の畑から取りこぼしのないよう収穫するようになってしまう。
・「あと2時間起きていたら、これが獲れる」 という一心で、睡眠不足が削られ始める。
・そんな母親の異常事態に、息子が気づく。
・母親と同じように、息子もはまる。「母ちゃん、○○さんの畑で、そろそろイチゴがとれるはずだよ」 などと時計を見て、私を急かすようになる。
・私以上の几帳面さで、息子は、他人様の畑で水を撒き、虫を取り、収穫を繰り返すようになる。
・そうこうするうちに、レベルがあがり、牧場で動物を飼えるようになる。

■1月10日(つまり今日、だ)

・牧場の動物のあまりのかわいらしさに、息子がさらにはまる。
・息子は、他人様の牧場で、病気になっている動物があまりにかわいそうだといって、ひたすら、注射器を持って、治療にいそしむようになる。
・他人様の畑や牧場の構成が、ほぼ頭に入ってしまい、一目みただけで、何が育ち、何が消えたか分かるようになる。息子は、種を見ただけで、たいていの作物が当てられるような状態になってしまう
・「もはや、このゲームは、やめよう。親子で人間ダメになる」 と母 (つまり私) が宣言する。息子は、「鳥やらくださんを見捨てて、やめるなんてできない! 病気になっちゃう! 水飲み場の水がなくなっちゃう!」 と激しく抗議する。
・何をするでもなく、かわいい子どものタイガーだとか、その手の動物のアニメーションを息子が愛おしそうにぼーっと見ていることが増える。
・私は、昨日に引き続き作成した収穫タイムテーブルにもとずき、ひたすら他人様の畑からドロボーを繰り返す。

……とまあ、ここまで来るのに、わずか4日でした。
間違いなく、数時間、下手したら、10時間以上の時間を無駄にした気がします。

つくづく自分の、アディクション体質には参っちゃう。
なにより、その体質をひいているかもしれない息子が、これ以上、はまっていくのも怖いし。
だいたい、「他人のものを勝手に盗ったらドロボー」 とこれまで息子を育ててきたのが、水の泡、という気がするし。
「サンシャイン牧場」 を始めてから、パソコンの動きが妙に遅くなったような気がするのも気になるし。
だいたい、これ以上、他人様の畑や牧場で略奪を繰り返して、人間性を疑われたり、お友達を失ったりするのも怖いし。

みなさんは、この手の育成系ソーシャルゲームと、どうやって上手に付き合っているんでしょうか。
朝と夜寝る前に1度ずつチェックするだけにする、とか?
ふと思い出した時だけのぞきにいくだけにするとか?
なんか上手なお付き合いの仕方があったら、教えてくださいませ……とほほ。

(それにしてもmixiのお友達のみなさま。略奪を繰り返して、ごめんなさい)。

コスタリカでナマケモノ

年末年始のコスタリカ旅行は、動物三昧、温泉三昧、遊びまくりの、実に充実した旅だった。
数日前までお粥しか食べられなかった息子は、なぜか旅行に出掛けた途端に復活。あとはほとんど毎食のように、セビーチェを食べまくっていた。おいおい、生魚だぞ。
出発前日に鼻風邪をひいた私は、巨大なティッシュ箱片手を手放せない状態で飛行機に。どうなることかと思ったけれど、数日後には復活し、プールで泳ぎまくったのだった。

特に野生動物を見るのが目的のこと旅。
動物に関するトップ3といえば……。

1、マヌエルアントニオのホテル近くの森でみた、white faced monkey の群れの大移動。

 たまたま近くの、ワニのRefugeで15日に1度のエサやりの日だったらしく。
 ワニのエサ(つまり肉、だな、きっと)にまず、
 森中の black vulture (いわゆるハゲワシとかそういうヤツだろうか)が大騒ぎし、
 これに驚いた昆虫たちが、逃げまどい、
 それらの昆虫をえさとする white faced monkey が大興奮して
 高い木々の上をビョンビョンと渡り飛びながら、
 昆虫を追う姿を、たまたま見ることになったのだった。
 なんか森じゅうがワサワサと動き出した感じで、ぞくぞくした。

2、二本爪と三本爪、2種のナマケモノ。

 どちらかというと3本爪のナマケモノの顔のほうが好きだ。
 というか、案外私は、ミツユビナマケモノの顔に似ている気がする。
 行動的なようで、実は究極のナマケモノだしな。
 なんというか、こう、他人を見ている気がしなくて。
 ナマケモノを見つけたら、双眼鏡で顔ばっかりみていた。
 なんか私の顔をみて、ニヤリと笑った気がしたんだが、気のせいか。
 気のせいだよな。

3、神の鳥、ケツァール。

 これはツアー会社の、ケツァール観察ツアーというのに参加した。
 ガイドさんも 「14年いてこんなの初めて!」 というようなケツァールの乱舞ぶり。
 (これがセールストークなんかどうかは不明)。
 4〜5羽のケツァールが群れで目の前で乱舞する姿にはうっとり、なのだった。
 目元のカワイイ鳥だけど、一番美しいのは、やっぱり、飛び姿だもの。

blogデジカメ・コスタリカ 030

しかし、動物以外で、結局やっぱり、ここにはまるか……と思ったのは温泉。
息子も含め、我が家は大の温泉好き。
コスタリカには活火山があって、その近くには温泉施設がいっぱい。
中でもタバコン温泉は……びびった。温泉天国日本だって、こんなのないぞ。
熱帯雨林の中を流れる渓流(もちろん、人が手を入れてるわけだけど)が全部温泉、ってすごすぎ。
滝壺あり、打たせ湯あり、立った姿勢で肩まで湯につかれるスポットまであって、家族で大喜びしてしまったのだった。
もっとも水着着用、だけどね。
そりゃ、仕方なし。

おもしろいことに気づいた。
巨大な施設内で、湯につかるスポットはいろいろあるというのに、なぜか我が一家が気に入った場所には、決まって別の日本人グループがやってくる。
日本人と、それ以外の人たちで、どうやら、好みのスポットが違うらしいのだ。
日本人が好きなのは、

・ゆっくりたっぷりの湯量。
・のんびり湯につかれ、あまり混んでない場所。
・それなりの湯の深さがある場所。

一方、日本人以外の旅行客が好むのは、基本的に、

滝壺。

ま、言ってしまえば、日本人はこの地を 「やった〜。温泉だ! 風呂だ!」 と喜び、
それ以外の人たちは、「やった〜。滝だ! おもしろーい!」 と喜んでいるってことなんだろう。
のんびり、静かに、ゆったりと 「いい湯だな〜」 とやりたい日本人は、自ずと、同じような静かで深い湯どころを見出し、そこで別の日本人と出くわし、おたがいに 「ははは、やっぱり温泉はこういう感じでないと」 などと苦笑し合うというわけ。

水着から服に着替えたあとも、時間ぎりぎりまで、最後は 「足湯」 を楽しんだ。
水着を来てる人たちから、「あの人たち、足だけお湯につけて何やってんだろ」 とかなり不審な目で見られちゃったけど。
やっぱり最後は足湯でしょー。

もう一つ、意外にはまってしまったのが、キャノピー。
熱帯雨林の上空に張られたケーブルを、ターザンみたいに滑り降りてくるんだけど。
こんな感じで
さして期待もしてなかったけど、コスタリカとその周辺に特徴的なアトラクション、と聞いていたので、ちょいと試してみようかな、と。
ところが、ちょいと、どころか!

標高1000メートルを超えるかと思うような高さを、時速50キロくらい(たぶん。一般的なコースで30キロ程度だと思うのだけど、今回試したコースは、高度差も長さもあり、体重の重い人は時速80キロくらいまで出るらしい) で滑り降りるの。
スリル満点、というか、ありすぎ。
コスタリカのおいしいご飯を食べてるうちに、3キロ増量した私だったのだけど、それでもなお体重がいま一つ足りず、「80キロゾーン」 は体験できなかったのだった。
今度は体重80キロにして、再挑戦してみたい。
ってウソ。
まずは、この体重を元に戻さなきゃー。

子どもがいなかったなら、同じ中南米でも、グァテマラとか、ペルーとかを選んで旅行していただろうに。
野生動物おたくの息子を持つと、結局、こういう旅になるのね、という感じの、しかし、大人もたっぷり楽しめた年末年始なのだった。ちょっと散財し過ぎた感じなので、今年も気持ちを引き締め治し、頑張って、働こうっと。

祝・ネット復活!

正月、コスタリカから帰国したものの、やっぱり我が家のテレビはうんともすんとも言わず。
インターネットにもまったくアクセスできず。
おいおい、陸の孤島状態で、2010年を迎えてしまったよ。
とほほ……。
と言う感じの年明けなのだった。

本日、週が開けたのを待って、ネット接続会社Comcastに電話した。
相変わらず、自動音声で、1番を押したり、2番を押したり、イエスと言ったり、ノーと言ったり、生身の人間と話しができるまで10分近くかかるカスタマーサービスなのだった。

「あの……ネットもテレビもサービスを受けられなくなってすでに3週間になるんですけど」
「えーっと。屋外のケーブルの再設置が必要というお話でしたね。リクエストは出ていますが、まだ、工事のスケジュールは決まってません」
「で、いつ、スケジュールは決まるんですか?」
「それはここでは分かりません」
「は?」
「ですから、私どもには、それを決める権限はないんです」
「ならば、工事のスケジュールを決める部署に電話を回してください」
「それはできません。私どもには、その番号は知らされていません」
「じゃあ、どうすればいいんですか?」
「とにかく、もう少しお待ちいただくことしか……」

私、ぐだぐだ文句言う前にこう言った。

「あなたのマネジャーと話したいんですけど」

そしたら、電話口の彼女は大喜びでマネジャーに回してくれた。
このあたり、日本と違うなあ、と思う。
日本だったら、上司に電話を回すと、上司から非難されそうで、ついつい、自分のところで問題を解決しようとする人が多いんじゃないかなあ。でもアメリカでは、「マネジャーに回して」 というと、むしろ、「ああ、やっかい払いができた!」 とばかりに大喜びでさっさと回してくれる。

次にマネジャーとしゃべった。
さらに、技術セクションに回された (つまり、しかるべき人間を通せば、技術担当セクションにだって電話を回せるのだ)。
技術セクションのマネジャーも出てきた。
でもって、

「明日の夜までに、いつ工事にうかがうか電話させます。それまでに電話がない時は、カスタマーサービスでこの番号を告げてください」

というところまでこぎ着けた。
電話にかかった時間は全部で40分。

さーて、どうなることやら、と思っていたら、ここからは速かった。
午後に突然、電話がかかってきて、「今日か明日中に、工事を終えますから」 なーんて言うから、ほんとかよ、と驚いていたら、それから1時間もしないうちに男が3人やってきて、我が家の庭を掘り返し始めた。
ここのところ、最高気温も氷点下の真冬日がずっと続いている。
雪は溶けているものの、土はほとんど、凍土状態。
掘り返すのに難儀しているのが分かる。

暗くなったころ、いつの間にやら工事の男たちは消えており、そして……。
ケーブル回線が復活していた!

ネットをつなげてみたら、……おおお、つながる!
息子がテレビを付けた。

「母ちゃん! テレビも! うわあああ! 久しぶりのテレビだなあ!」

なんか、久しぶりに文明に触れた子どもみたいなはしゃぎようなのだった。
2010年万歳。
ネット復活、万歳!
やっぱり、この国は、強く言った者勝ちなのねえ。

スペースシャトルは、一秒違わず予定時間きっかりに着陸させる技術を持ってるくせに、
地下鉄は遅れてばかり。
黙ってたら3週間も、ネットもテレビも不通のまんまで放置するくせに、
強く主張されたら、あわてて飛んできて、1日で仕事を仕上げてしまう。

つくづく面白い国。

さーて、明日はもう一度、Comcastに電話して、サービスが不通だった期間を日割りで料金減額しろ、と交渉しなきゃあ。
また電話40分、かなあ。

息子がインタビューし、私が書いた上原浩治選手の記事

今年最初に紙面化された私の仕事は、なんと週刊ポストの連載ではなく、息子がインタビューしたオリオールズの上原浩治投手の記事なのだった。

毎日小学生新聞1月3日付。
「あの人に会った」欄。
記事はこんな感じ。


最後の2つの質問は私がフォローしたものだけれど、それ以外の前半は、ほぼこの順番で息子が質問したそのまんま。
しっかし、息子が平然とした顔で、「走り込みが嫌だったから、ピッチャーをやらなかったってホントですか」 と聞いた時にはびびった〜。
いや、確かに、取材前には徹底的に資料を読み込む性分なもので、私、色々な情報を息子にインプットしましたよ。
でも、息子の心に残ったのが、「上原さんも走り込みは嫌いなんだ!」 という事実だったなんて。とほほ。

しかし、さすがは上原投手。
「本当です!」 と笑って答えたうえで、自分から選び取ってやる練習について、きちんとしゃべってくれたのでした。

実物紙面は写真付きですが、ウェブ紙面は写真もないことですので、別カットで撮らせてもらったのを小さく載せておこうっと。

bloguehara.jpg

この身長差はともかくとして、せいぜい真っ黒に日焼けしているはずの息子も真っ青のこの上原投手の日焼けぶり。
本気でトレーニングしたらこのようになるのだなあ、と圧倒されました。

今年は、毎日小学生新聞にどこかで再び書かせていただけそうです。
そんなわけで、今年は毎日小学生新聞をよろしくお願いいたします。
(……あれれ、年始挨拶をすっとばして、宣伝活動に入ってしまったか)。

アメリカ3度目の年越しは……

クリスマスツリー、ばっちし、で始まった我が家の師走。
今回も、キリスト教徒でもないくせに、思い切り派手にクリスマスを祝ってやるぞ、と張りきっていたのに。
なんだか、苦労の多い師走となった。

12日 電話会社が近所の配線工事をしている関係か、電話が不通になる。
    なぜかインターネットもつながらなくなる。

14日 インターネット接続会社の修理がやってくる。
    シューズカバーを靴につけてくれず、部屋の絨毯は泥だらけ。
    ネットは復旧するも、修理の6時間後、再び、ダウン。

15日 電話復旧。しかし、ケーブルテレビもまったく映らなくなる。
    テレビに続いて、息子が故障、いや不調。ウイルス性胃炎か?

16日 テレビもネットもひとたび復旧。技術者の派遣をいったんキャンセルする。
    息子、胃を抱えてうずくまる日々。

18日 テレビもネットも再びなぜかダウン。もはやうんともすんとも言わない。
    息子を医者に連れて行き、薬をもらう。

19日 ワシントンDC郊外、歴史的な大雪。
    息子は病人、テレビとネットは故障中。とほほな週末。

22日 インターネット接続会社の修理再び。「家の外のケーブルがいかれちゃってる。
    最近、このあたりで工事があったでしょう?」。

で、今に至る。
結局、電話会社の配線工事の途中で、我が家のケーブルテレビとネットのケーブルが傷つけられてしまったと思われ。現在、新しいケーブルの敷き直しを待っているが、インターネット接続会社に電話しても、「まだスケジュールは組めていません。決まったらこちらから連絡します」 の一点張り。おまけに、家の外はまだ雪深く、雪のせいで今年中の工事はとうてい不可能ではないか、と。

そんなわけで、
テレビもなし。
ネットもなし、の年越し。
紅白歌合戦、みられへんやんけ……ってアメリカだからどうせ見られないんだけど。
いや、日本にいたって、たぶん、見ないんだけど。
テレビは良いとしても、やっぱり、ネットは常時接続でないとすごーく不便だ。

まあそれでも。
息子が1週間以上かかったものの、ようやく胃痛から復活。
1週間の、お粥生活で2〜3キロ痩せたそうだが、こっちは看病ストレスで2〜3キロ太ったんだから、いってこい、でOK……なわけないだろーっ。ちくしょー。
(息子が元気な時は、シーズンオフのトレーニングに付き合って、私も週に2〜3回は20分泳ぐか走るかしてきたけど、これも息子の病気で中断。あっさり太ってしまったのさ)。

息子の胃がまだ万全でなかったため、今年のクリスマスイブはトリの丸焼きもクリスマスケーキもなし、です。
我が家では、ツリーだけが、上品に、輝いております。

今夜から、我が家は念願のコスタリカ旅行。
病み上がりの息子と、逆に、一昨日から鼻風邪を引いた私と。
なんか先が思いやられるけど、
野生動物をいっぱいみて元気を出すぞ。
ナマケモノをいっぱいみて、ますますナマケるぞ……??

今年もお世話になりました。
来年もヨロシクお願いいたします。

おぐに

google book 検索と私

パリの地裁が、グーグルの電子書籍化を差し止め、損害賠償支払いをグーグルに命じたって。
全然知らなかったけれど、国を挙げて、政府を挙げて、この流れに反対する、ってあたりが、フランスらしい、ってことなんだろう。
日本は、作家さんたちの団体の動きは早かったけれど、政府の動きは全然だったもんね、確か。

売れない本ばかり書いている私としては (そして中には、「在庫払底増し刷り未定」になっている本もいくつかある私としては)、「どんな形ででもお読みいただければ……」 的な思いのほうが強いわけで、個人的には電子化に強い反対の気持ちはない。自分の収入のうち、書籍の印税の占める割合なんて、ほんのこれっぽっちしかない、という現実がこれまた、強く反対しない理由なのかも。
一方で、出版に携わる人たちにお友達が多いこともあって、この問題の切実さは、あちこちから聞かされることも多い。これ以上に出版不況が深刻化すれば、ますます 「売れる企画」 しか通らなくなるわけで、「売れない企画」 しか手持ちにない私は、もっと切実に焦ったほうがいいのかもしれないな。

それでも。
私はこの2年間、実は、google book検索にむちゃくちゃお世話になっている。

何かというと、カレッジのレポート書き。
1本のレポートを書くのに、それがインフォーマルな、せいぜい2〜3枚のレポートだったとしても、やっぱりせめて2〜3本の参考文献を読みたい私は、その文献探しに時間を取られているヒマがない。
だって、英語で本を読むのって、日本語の13倍くらい時間がかかるんだもん。
いや、もしかしたら130倍かも。
ところが、google book検索があれば百人力。
片っ端からキーワードを入れ、本を検索する。
いくつかピタリときそうな本の中で、今度は全文検索して、キーワードを使っている箇所を片っ端から読む。
これで外れることも多いけれど、時々、「ああ、この一文がほしかったのよ!」 という文献に出会う。
そしたら、まず、その一文を含む章を全部ネットで読む。
前後関係から、引用してよし、と思ったら、今度はその文献がその分野の研究においてどの程度の評価を受け、どの程度引用されているものかをざっと調べる。
さらに、「いけそう」 と思ったら、そこから引用。
ページ数まで全部分かるんだもの。
本を買う必要なし。

でも、最近気づいたけれど、その本の肝心なデータとか、一番引用したい部分に限って、きちんと閲覧制限がかかっている書籍も多い。
そんな時は、近所の図書館や大学の図書館の所蔵書をざざっとネットで検索し、あったらネットで予約を入れるし、なければさっさとアマゾンあたりで買っちゃう。(日本と違って、結構送料が高いのが玉に瑕なんだけど)。

いいのか、こんなに便利で?
20年以上前、卒論を書くのに、英国の成人教育なんてテーマを選んでしまった私は、英語の文献の所蔵の多かった東大まで、わざわざ京都から足を運んだもんだ。
大垣経由の各駅鈍行に夜中に飛び乗って、早朝にたどりつく東京駅。
あの数千円と、あの時間を今の学生は節約できるんだと思ったら、むちゃくちゃうらやましかったりする。
だいたい、本文全体をキーワードで検索できるって、外国人学生にはなんとありがたいことなんだろう。
レポートを書く、という場面でなくても、ちょっとこの分野の専門家を探したい、とか、どういう学説が主流なんだろうか、なんていう時に、あれこれ文献を効率的に読めるのは、「キーワード検索」 のお陰だとしみじみ思う。

学術の世界では、当然、自分の論文を引用してもらってナンボなんだろうから、きっと、論文にしろ、書籍にしろ、仲間の研究者が検索をかけた時に、その検索結果の上位に食い込むにはどういうタイトルをつけたらいいか、とか、どういうキーワードを多用したらいいか、とか、あるいは、私なんかにはうかがいしれないような、もっとテクニカルな方法なんかが、随分とすでに広まってるんじゃないかなぁ。

で、私みたいな、ネット初心者は、コロリとそれに乗せられ、まるで誘導されたかのように、ある文献にたどりつき、それを 「ああ、ありがたい、ありがたい」 と引用しちゃう、ってわけなんだろう。

私はまだ、小説や、大好きなヤングアダルト分野の文学を、たとえばキンドルで読みたいと思わないほうだ。
何しろ、装丁フェチみたいなところがあって、本の帯を外したり、カバーを外して、中に仕掛けがないか確認したり、装丁にたずさわったデザイン室を確認したり、紙の手触りをスリスリしたり、そういうのが大好きだし。
本当にお気に入りの本は、中身だけでなく、本の手触りやら、ページをめくる感覚まで、記憶に残しておきたくなるほうだから。

でも、はっきりいって、専門書はもう、紙でないほうがいい
………。
実際に書いてしまうと、ちょっとぞくっとするな。
紙でなくてもいい」 ではなく、 「紙でないほうがいい」。

なにがぞくっとするか、というと……。
おいおい、じゃあ、新聞、どうなるねん、って話。

紙フェチ系の私ですら、紙媒体でご飯を食べてきた私ですら、「紙でないほうがいい」 と思ってしまっているくらいに、実は事態は深刻なんだと、しみじみ思う。
だって、いくら装丁フェチだって、新聞の手触りが好きでスリスリはしない。
本ならば、電子媒体で読んだ上で、「これは手もとにおいておきたい」と購入することはあるが (私は図書館で読んだ本の5%くらいは、「手もとにおいておきたい」と買ってしまうタイプだ)、ニュースを電子媒体で読んで、「ああこれ、手もとにおいておきたい」 と新聞を買いに走ったりしないもんな。

死んだあとのことは、後の世代の方々にお任せするとしても。
とりあえず、メディアがどうなっていくのか、
自分が死ぬまでの間、きちんとメシが食えるためにはどうすれば良いのか、
google book検索の恩恵にあずかっている身として、切実に思い悩む日々だったりする。

カレッジ授業報告 試験終わった

アメリカの結婚・家庭の社会学、という授業がすべて終了。
本日は期末試験がありました。
選択問題と、言葉の定義を書く問題、論述問題の3部構成で、案の定、「定義書き」 に今回も苦労しました。わずか1〜2文で、社会学的な概念を 英語で 説明しろ、というのは、私にとっちゃ、社会学のテストというより、まさに、英語のテストだもんなあ。
それでも、論述問題は大変楽しく回答できたし、まぁ、今回も、A評定は固いな、がっはっは。
(……って、40代半ばにして、たかだかコミュニティーカレッジの成績がAだといって、胸を張ってしまう自分がちょっと情けないけど)。

今回のコースは、思いの外、役に立つ内容が多かった。

前回の、「アメリカ政治と人種・民族」 という授業は、あまりに私のほうに人種問題に関する基礎知識が足りなすぎて、また、アメリカという多民族社会の事象のあれこれを、日本の現状とストレートに比較することもできなくて、新しい知識を得たという意味では大変興味深かったし、人種や民族というテーマをこれだけ真正面に授業で扱えるんだ、という意味でも新鮮だったけれど、直接自分の仕事に結びつくようなことには、なりづらい部分もあった。
(とはいえ、人種・民族絡みの話題を、週刊ポストにも、学士会報にも、書いたっけな)。

一方、今回のコースは、アメリカの家庭や結婚に関するデータがたくさん拾えたし、日本社会とアメリカ社会を比較することもできれば、日本人と、日系アメリカ人の比較というのもできそうだったし、また、人種や民族という問題を、家庭や結婚レベルから検討する機会も得られた。
実におもしろかった。
そもそも、家庭とか結婚とか、私自身に興味があって、日本の現状やデータをある程度把握している分野だったから、アメリカのデータに触れるたび、日本との違いや共通点がすぐに見えて、アメリカとともに、日本をも知る結果になったんだと思う。

家庭とか結婚とか、身近なテーマを社会学する授業だからこそ、生徒たちも随分と自分の家庭での体験を語ってくれたと思う。たとえば、児童虐待についての授業の中で、児童虐待の件数と人種・民族との関係なんてデータが出てきて、アフリカン・アメリカンの家庭の虐待件数が、白人家庭のより、多い、という話になった時のこと。
ある黒人の男の子が、本当に本当に戸惑った表情で、「うちのオヤジ、子ども時代に、確かに俺を殴ったこともあったけど、それは俺が本気でまずいことをやったからで、あれなんかは、虐待って言わないよね」 とサントール先生に質問する場面があった。
なかなか日本の授業なんかでは出会えない場面だと思った。
「さあ、サントール先生、ここでどう答える?」 と私は思わず、先生の対応に注目してしまった。
サントール先生は、「そうだね。虐待かどうかは文脈の中で考えるべきで、そう簡単に線引きできないものなのかもしれない。むにゃむにゃむにゃ……」みたいな答え方をしていた。
全然焦ってなかったところを見ると、案外、これまでも似たような授業をし、似たような質問を何度もすでに受け慣れていたのかもしれない。

いずれにせよ、この国では、教育分野であろうと、家族・結婚という分野であろうと、雇用・就労の分野であろうと、すべてのデータは、白人、黒人、ラティーノ、アジアン (多くの場合)など人種・民族別に提示されるわけで、これらの背景について議論したり、考察したりする授業は、どの分野においても、常に人種・民族問題を考える授業にならざるをえない、ってわけだ。
おまけに、先生の力量によっては、生徒の偏見やステレオタイプ化をより強化してしまう恐れだってある。
また、マイノリティーの先生が指導する側に立つ時には、生徒の側に必ず、「先生の授業は、マイノリティーゆえのバイアスがかかっているのではないか」 というような視点が混じる。これは、どうしようもない。

知り合いのマイノリティーの先生なんか、「オンライン授業のコースを教えるほうがずっと楽なのよ。生徒にも私のエスニシティーが分からないし、私の目にも生徒の人種や民族的背景が見えない。だから、そのあたりのステレオタイプ化や偏見を、お互いに廃することができるの」 と話していた。
なるほどなあ、と思ったもんだ。

まあ、何はともあれ。
試験が終わったのは、めでたい。

今回の試験には、最後の最後に短い問題がついていた。
サントール先生は試験前に、こう言った。

「今回は、エクストラポイントを君たちにあげるために、おまけの問題を最後につけておいたからね。それが解ければ、2ポイント追加してあげる。せいぜい2ポイントなんだから、無理しなくていいよ」

どんなに分からない問題であっても、白紙で解答用紙を出すのが嫌いな私は (これ、間違いなく、共通一次世代の特徴だよなぁ)、そう言われると、解かずにいられないのだった。

さて、問題はこんな感じ。

アメリカとカナダの国境あたりで、飛行機が墜落事故を起こしたとしよう。
多くの犠牲者が出る、悲惨な事故だった。乗客は、さまざまな国からやってきていた。
彼ら被害者はいったい、どの地に埋められるべきだろうか。


最初にこの問題を読んで、思い出したのは、実は、「えひめ丸事件」 だった。そもそも船体引き上げをするつもりもなかったアメリカと、遺体捜索を強く望んだ日本の遺族側とのいきさつが、当時、とても印象に残っていたから。
それぞれの国、文化、宗教などによって、死をどのように受け止めるかも、遺体にどのような意味を持たせるかも、まったく違う。そんな違いから生じるすれ違いや意見対立は、事故であれ、臓器移植であれ、色々な場面でよく見られるものだ。

そんな事例をあれこれ挙げた上で、それぞれの乗客の遺族感情を出来る限り理解し、それぞれに応じて対応すべきだ、みたいな答を書き始めて、あれれ、と鉛筆を止めた。

victims という単語の綴りを間違えないように、念のため、問題文で確認しようと思って、もう一度問題文をよく読むと、私が victims と書いてあると思っていた場所には、代わりに、survivors と書いてある。

「生存者は、どの地に埋められるべきだろうか」

は?
なんだ、この問題?

もしかして、survivors(生存者)という単語には、私のまったく知らないような、時には、死者を意味するような場合もあったりするのか。それとも何か文学的な比喩表現なんだろうか。
悩んでも悩んでも、よく分からない。
それで仕方なく、解答するのをあきらめ、答案を先生に提出する時に、質問してみた。

「これ、解こうとしたけど、問題文の意味がよく分かりません。survivors って、まだ生きてる人ですよね? buried ってこの場合、埋葬されることを意味してますよね? それって問題文として間違えてませんか? victimsとか書いてあれば分かるんだけど」

そしたら、サントール先生、困った笑いを浮かべつつ、「うーん、君は、right track にいると思うよ。うん。つまり、答はどういうことになる?」

禅問答のような先生の答に、余計に分からなくなった私は、思わず、「えひめ丸」の話まで持ち出し、「だからね、ここの言葉が victims であれば、すごく書きたいことがあるんです。遺体をどのように扱うべきか、というのは、実に、それぞれの国で、文化で、宗教で、異なるわけだから……」 と持論を展開せざるをえなくなった。

サントール先生、ますます困った顔で、「いや、まったく、ほんとに君に言う通りだ。でも、この問題文の場合、答はどうなるのかな?」 と言う。

おい、あんた、問題文の誤字をごまかして逃げる気?
思わず、怒気を含んだ声で、
「だって、生きてる人間は、埋めちゃだめでしょう!」
と言い返したら、サントール先生、降参したよ、という顔で、一言こう言ったのだった。

「うん。だから、それが答なんだ」

………。
おいおいおいおい。
こっちは真面目に、社会学の試験だと思って、問題に答えようとしてたのに、最後の最後にきて、ただの引っ掛けクイズかい?

ちなみに、私がサントール先生とひそひそ声でこの問答をかわしていた時、その教室にまだ居残って、テストと格闘していたのはわずか3人。でも、この3人にはきっと、私の 「生きてる人間は埋めちゃダメ!」 という怒りに満ちた声は届いていたと思うし、みんなそろって、2ポイントの追加点をもらえたと思うよ。
ああ、疲れた。

いまだもって、ああいうテスト問題ってありなのか、と納得いかないよ。
だって、相手は、一応、カレッジの学生さんたちなのに。

あまりに呆れたので、息子にこの話を披露した。

「でね、母ちゃんは、くそまじめに答を書こうとしたんだけどさ、victim って単語の綴りを間違えないように、って問題文をもう一度確認したら、そこに survivors って書いてあったのよ。なんだ、これって思って……」

とそこまで私が話したら、息子が、即答。

「じゃあ、『サバイバーは埋めちゃダメ』 ってのが答じゃん。
 小学生でも解けるよ、そんな問題」


だって。
小学生でも解ける、というか、
小学生にしか解けない、というか。
とにかく、授業も試験も無事終了。
あー、疲れた。

グランドキャニオンとセドナ旅行

11月末のサンクスギビングデーの短い休暇を利用し、さくっとグランドキャニオンとセドナにドライブ旅行に行ってきたのだった。そもそもは、飛行機で1泊2日というグランドキャニオンへのツアーを利用するつもりだったので、ツアー発着地であるラスベガスを拠点にしたわけだけど、あとでレンタカー利用に計画を変更したため、えらい長いドライブ旅行になってしまったのだった。

旅程 (計画ベース) は以下の通り。
1日目。DCからラスベガスへ。
    お昼ごろ、レンタカーを借り、一路セドナへ5時間半。
    セドナのB&B泊。
2日目。セドナでゆっくりしたあと、お昼前にグランドキャニオンへ。
    2時間半のドライブ。グランドキャニオン園内泊。
3日目。グランドキャニオンを散策したあと、ラスベガスへ5時間半。
    寿司三昧のビュッフェを食べまくったあと、シルクドソレイユのショー。
    ラスベガス泊。
4日目。ラスベガスからDCへ。

どうせレンタカー利用ならば、ブレイスキャニオンとか、モニュメントバレーとか、赤い岩だの、奇岩だの、その手の名所はいっぱいあったわけだが、どうして日数が足りないのだった。
それで、なんとなく、感謝祭の夜なんだし、うまいものが食べたいな、と食い気だけで、セドナを選んだ。
セドナは……一言でいえば、「スピリチュアル癒やしが好きな人のメッカ」。
一応、リゾート地でもあるので、レストランのレベルも高い。

こういう街は、ホテル泊より、B&B泊のほうが心に残る。
そんなわけで旅行前、あれこれB&Bを探した。
一番泊まってみたかったのは、部屋についたバルコニーに、ジャグジーの浴槽があり、ジャクジーを楽しみながら、真っ赤な岩山が夕日に照らされるのをながめられる、というような宿。
しかしながら、3箇所ほど見つけて、電話したけれど、ことごとく断られた。
理由は、

カップル専用。
子連れお断り。


ちなみにアメリカって、「温泉好きの子ども」 にはツライ国だ。
たとえば、プールサイドにあるスパだってサウナだって、「18歳以下はダメ」 だもの。
我が家で一番の温泉オタクは、息子なんだけどなあ。
まあ、そもそも、アメリカには、「温泉オタクの子ども」 なんていそうにないけどね。

仕方ないので、部屋の中にジャグジー浴槽がある宿にした。
Moestly Wood という宿。
庭に小鳥がたくさん来る、というから、息子も気に入るだろうと思って。

ここが、思った以上に良い宿でした。
キャロルとロジャーという老夫婦がやっていて、お互いに良い味を出していて。
朝食なんて、フツーの家庭用のテーブルで、キャロルとロジャーと一緒に食べるの。
客もほかにいなかったので、なんか、すごいリラックス。
夜明けとともに起き出し、まずはジャグジーで半時間ほど思い切り半身浴を楽しんで、かっかかっかと身体がほてっている状態で、今度はベランダから景色を楽しんだ。

blog1_20091211233714.jpg

こんな感じで、セドナの見所の一つ、Cathedral Rock がくっきりと浮かび上がっていて、気分爽快。
スピリチュアルかどうかは、知らないけど、霊感とかまったくない私だけど、とりあえず、気持ちがいいぞーっ、くらいのことは分かるもんな。

結局、このように朝日が昇っていらっしゃって、家族で合掌……。

blog2_20091211233721.jpg

ここのベランダ、野鳥が恐ろしいほどやってくる。
東海岸で見るブルージェイに似てるけど、明らかにそれより大きなスクラブジェイ。
花の蜜を吸う、ハミングバード、つまりハチドリ、ね。
飛べないウズラの家族がいーーーっぱい!
下手したら、動物園の野鳥園よりすごいかも。
こんなにたくさんの野鳥がなぜやってくるかというと……。

宿のじいさん、ロジャーが、ひたすら野鳥用のエサを撒きまくっているからだ。
ひまわりの種とか、かなり高級なエサを、まったく惜しげもなく撒きまくる姿にひえええ、とのけぞった。
おまけにペットフードまで撒いてるから、「おいおい、それは誰のため?」 と尋ねると、
「野生の豚が時々来るからね」 だって。
おまけに、このペットフード目当てに、raven (つまり、カラスだな)までやってくるらしい。

「妻のキャロルに、いつも怒られるんだよ。エサ代を稼ぎに、ウォルマート(巨大スーパー。品物の低価格ぶりと、労働者の低賃金ぶりで有名)で働いてこいって……」

ロジャーは苦笑いしつつも、恐ろしい量のエサを敷地に撒きまくっていた。
なるほど、野鳥がおそろしくたくさん来るわけだ。
息子はお陰で大喜び。
「グランドキャニオンより、ここにあと3泊ほどしたい」
とか言うほどなのだった。

さて、あれこれセドナを散策したあと、グランドキャニオンへ。
セドナのプライベートな旅から一転、人の多いこと多いこと!
氷点下10度とかになる酷寒でこれだから、春のハイシーズンの客の多さって、ハンパじゃないんだろうな。
それでもまあ、景色が広大だったことは確かで、一度は見てみるもんだ、とは思いました。

blog3_20091211233729.jpg

……。
息子の顔、こういう風に画像処理すると、なんか、ミイラみたいね。

何はともあれ、あちこちトレールを歩いたり、谷間に降りていくトレールも少し歩いたり、ツアーに参加しなかったお陰でゆっくりと満喫できた感じ。
朝夕ともに、セドナ泊の日よりお天気がいまいちで、真っ赤に染まるグランドキャニオン……、みたいな光景には恵まれなかったのだけれどね。

旅の3日目は、トラブル続きだった。
まず、私が、谷間に降りるトレールで、携帯電話を落とした。
普通なら、グランドキャニオンの谷間で朽ち果てるか、あるいは、悪いヤツに拾われて、悪用されまくるか、いずれにせよ、哀しい結末が待ち受けていてもおかしくなかったというのに。
なんと、グランドキャニオンの谷底から、汗をかきかきトレールを上っていたらしい、ナイスガイな誰かさんが、私の携帯電話を拾い、履歴に一番たくさん残っている電話番号を選んで、電話をしてくれた。
それが、夫の携帯電話。
(ああ、私、浮気とかしてなくて、良かった〜!)

実は、夫の携帯電話に、私の携帯電話から電話がかかってきたとき、私はまだ、自分が携帯を落とした事実すら気づいてなかったのよねー。
結局、このナイスガイが、近くのホテルに電話を届けてくれることになり、無事に電話をピックアップできたのだった。

き、き、奇跡みたいだ。
グランドキャニオンの谷間に落とした携帯電話が、
戻ってくるなんて!


でも、結局、ここで運を使い果たしてしまったんだろうなあ。
ラスベガスまでの帰りのドライブで地獄を見た。
5時間半のうち、4時間半ほど快適にドライブし、ラスベガスまであと40分、距離にして50キロ程度に迫ったところで、渋滞に巻き込まれた。
ほんと、一ミリも動かないような渋滞。
最初は少しずつ動いていて、だから、1時間半も渋滞の中で待った。
そしたら、ぴたりと動かなくなり、あれこれ調べていたら、その先で正面衝突があったことを知らされた。
折しも、場所は、フーバーダム。
地理的にも、事故処理に時間がかかっていることは想像できた。

「どうする?」
「このまま、待っていても、ラチがあかないよ」
「ちくしょー、あと40分で、寿司ピュッフェだったのに」
「寿司食べたいよー」
「しかし、このままじゃ、そのあとの、シルクドソレイユのショーに間に合うかどうか……」

渋滞に突っ込んだのが午後2時半。
事故と判明したのが午後4時。
ビュッフェは5時半から。
ショーは7時半から。

「この際、引っ返して、別の道を行ってみるか?」
「よし、決めたとなれば、急ごう!」

なんとなんと。
我々、えらい無謀な決断をしてしまった。
あと50キロでラスベガスに着くというのに、いったん高速道路まで引き返し、ぐるりと回り道をしよう、ってわけ。
聞いて驚くな、この回り道の距離はなんと……。

350キロ。
(地図でてきとーに計算しただけだけど)

時速100キロ以上で走れば間に合う、という計算。
冷静に考えれば、無理だって分かるだろうにねえ。
でも、この地域の高速道路の制限速度って70マイル、つまり、約113キロ。
となれば、フツーの人は135キロくらいで走ってるわけで。
このまま、いつまでかかるか分からない事故処理を待って、それから、この空恐ろしい渋滞が解消するまでここで待っているのとどっちが早いか、ビミョーだと思っちゃったのよね。

それで、go!
まあ、走った、走った。
段々と暗くなり、おまけに雨が降り……。
私なんか高速を走ってる時に、ぐんぐんとスピードが出ちゃって、はっと気が付いたら、一瞬ですが、時速100マイル (160キロ)、という人生40ウン年間、経験したこともないスピードで運転してしまっていたりして、その場で卒倒しそうになったよ。
それでも、見る見る時は過ぎていき、あと100キロ以上残っている段階でショーの開始時間まで1時間あるかないか、という状態になり、結局、ショーはあきらめたのだった。
キャンセル料もなしで、キャンセルできたから痛手は大きくなかったんだけれどね。
息子は、ショーより、寿司のほうが楽しみだったらしいので、ラスベガスでショーの代わりに寿司のブュッフェを食べられて、十分満足してたみたいだった。

一方、私はといえば、ショーにかなり未練たらたら。
それでも、今回の旅を振り返ってみれば、
一番印象に残ったのは……、
雨の中の恐怖の回り道ドライブの阿鼻叫喚ぶりだった、って事実に愕然としたりして。

特に、家族が一丸となって (時には激しい夫婦げんかも交わしながら)、「間に合うか、間に合わないか」 と遠路はるばる運転しまくった果てに、ラスベガスの街の明かりが砂漠の真っ暗闇の中に広がったのを見た時の感動ときたら!

夫 「これ、人間の作ったグランドキャニオンだよな、まさに」
私 「今回の旅で見た景色の中で、実は一番すごい景色かもね」
息子「すごーーーーーーーーーいっ!」

予定通り、早い時間にラスベガスに帰っていれば、夜にラスベガスに到着するという経験はできなかったわけで、また、あの阿鼻叫喚ドライブの苦労のあとだからこそ、この光景が心に染みるわけで、この景色を見られただけでも、「渋滞に感謝だよね」 という気持ちになれたのだった。
やっぱり、旅行って、巡り合わせ、なんですよねえ。

プロフィール

Author:おぐにあやこ
名前■おぐにあやこ
生年■1966年 ひのえうま
仕事■07年秋まで新聞記者。
   仕事を辞めて渡米。
   メリーランド州在住。
   現在、週刊ポストに
   「ニッポンあ・ちゃ・ちゃ」
   を連載中。
趣味■読書、ピアノ、旅、昆虫飼育
目標■ちょっと背伸びして、
    疑問符を感嘆符に変えること
苦手■勧善懲悪
著書■
▼「薬(ドラッグ)がやめられない 子どもの薬物依存と家族」(青木書店)
「ベイビーパッカーでいこう 赤ん坊とザックかついでスペインの旅」(日本評論社)
「魂の声 リストカットの少女たち」(講談社)
「いいじゃない いいんだよ 大人になりたくない君へ」(共著、講談社)
訳書■
「自傷からの回復 隠された傷と向き合うとき」(みすず書房)

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー