2012.01.26 08:34|かんたん書評|
もはや1冊1冊、きちんと書評を書く余裕もないもので、今年からは、自分の備忘録代わりに、読んだ本を並べておくことにします。以下、順不同。
ゼッタイお勧め本には、★印、つけますね。
■小倉千加子「結婚の条件」
■駒崎弘樹 「働き方革命 あなたが今日から日本を変える方法」
・興味深かったのは、このエピソード。
在宅勤務で効率を上げようと導入したところ、企画スタッフらの効率が逆に下がってきて「何か、寂しいんですよね……」と。「集中できるんで、作業は効率的です。ただ、雰囲気というか、自分だけでやっていると気詰まりというか、息詰まるときがあるんですよ」と。それで企画スタッフは、在宅勤務は週2日まで、と。
(フリーランスから、会社員に戻ってみて、一番痛感するのはこれ。ちょっとした仲間とのやりとりで生まれるアイデアってあるのね。だからこそ、職場環境とか雰囲気って、ものすごく大事なんだと気付いた次第)。
■駒崎弘樹 「『社会を変える』を仕事にする」
(以下、自分のための読書メモ。あとで読んだら、意味不明?)
・「運動によって社会問題を解決する」から「事業によって社会問題を解決する」へ@アメリカ。
・榊原清則@慶応大の言葉。「全体を救うイノベーションは、つねに多様性から生まれる」
★★→社会起業に興味のある人にも、ない人にもお勧め。中高生にも読ませてみたい。
■竹井善昭「社会貢献でメシを食う。」
(自分のための読書メモ)
・日本ファンドレイジング協会、という存在
・「ソーシャル・イノベーションやソーシャル・ビジネスを『資本主義の対極』に位置づける考え方の危うさ」
・社会貢献系の雑誌「sympress」「alterna(オルタナ)」。こんなのあるのね。
・プロボノに挑むなら、サービス・グラントという会社も
■毛丹青「にっぽんやっぱり虫の眼で見たい」
■大野更紗「困っている人」
■長田弘「詩ふたつ」
あとがきにある言葉。「一人のわたしの一日の時間は、いまここに在るわたし一人の時間であると同時に、この世を去った人が、いまここに遺していった時間でもあるのだということを考えます」と長田弘さんが。2009年に亡くなった奥様の思い出をこめて作られた詩集のようです。詩の中にある、「病に苦しんで/なくなった母は、/死んで、また元気になった。/死ではなく、その人が/じぶんのなかにのこしていった/たしかな記憶を、わたしは信じる。」
■高橋秀実「からくり民主主義」
■山口文憲「日本ばかちん巡り」
■阿部三郎「破産者オウム真理教 管財人12年の闘い」
■森達也「A3」
■竹内精一「上九一色村発 オウム2000日戦争―富士山麓の戦い」
■熊本日日新聞社「オウム真理教とムラの論理」
■NHK放送文化研究所「現代日本人の意識構造 第七版」
とりあえず5年に1度調査しているので、日本にいなかった4年間の変化をデータで知りたいなあ、と思って図書館で借りた。手元においておくと、なにかと便利そうなので買おうかな。
若者の間に「奇跡」を信じる人が増えていて、いよいよその数38%! って辺りは結構驚いた。次の調査は2013年。大震災の影響がどんな風に出るのか。
■加藤嘉一「中国人は本当にそんなに日本人が嫌いなのか」
彼の場合は、本で読むより、直接、講演などを聴くほうが100倍面白い……と思った。いや、本がつまらなかった、とは言っていません。彼の講演が面白すぎるだけです。印象に残った部分をざくっと箇条書きに。
・「(中国に比べ)日本の若者の方が、自立して生きていく力が比較的高い」
・社会を拘束するもの。欧米では神。日本では「世間」。中国では何もない。
・中国人の愛国と欧米崇拝は両立する(!)。日本には愛国も欧米崇拝ももはやない。
・日本が戦後、一度の戦争にも参加せず、自衛隊は一人も殺していない、という事実を中国人は知らない。
・政治的自由と発展、どちらを優先するか、と尋ねると、北京大学など最高学府では95%が発展。自由は5%。これが「北京のシリコンバレー」と呼ばれる中関村のショッピングセンターでは、発展99%、自由1%に。
・中国にいじめという文化はない。(これはさすがにちょっと違うと思うぞ)。
・中国に来た日本人が「意外と中国って自由だね」という。「日本の社会には、空気も含めて、有形無形のお決まりが多すぎるんだろう。中国人は空気なんて読まない」「政治的、制度的には、日本が自由で中国が不自由なはずなのに、生活面というか、心理的には、中五億が自由で日本が自由でないような、そんな感じさえ受けている」
(→中国人とアメリカ人って似てる、個人主義的なところが、とよく思ったもんだったなあ、と思い出した)。
・中国人は臨機応変。「計画は変更に追いつかない」と信じている。(なるほど)
■大嶋寧子「不安家族 働けない転落社会を克服せよ」
・データが新しいので、貴重な資料
・途中、「共働き、というのは貧困防止の手段となりにくい」という項がある。世帯内で働く人の数が減ると貧困に突入する確率は高まるという。(これはもちろん、当たり前だ)。ところが逆に、世帯内で働く人の数が増えても、貧困に突入する確率が低くなる、とはならないんだって。統計的に影響を与えないんだって。うーん、なぜだろう? 本書では、「雇用の不安定化のためではないか」と書かれてるけど、それで説明つくか? もっと突っ込んでほしかったです。
・最後にちゃんと政策提言してくれているのがよかった。それも、あれをやれ、これをやれ、と提言するけど、財源確保のアイデアは出さず終い、って本とは違い、きちんと財源確保のための提言もしている。この点、とても信頼できると思った。ちなみに、筆者の挙げている、財源確保のための提言は……。
1、消費税率引き上げ 2020年までに15%まで。
(逆進性対策としては、給付付き税額控除。食品などに軽減税率を適用する方法は、所得再配分効果が小さいので、採らない)
2、相続税の強化
3、社会保障費の抑制。高齢期に貧困率が高いのは事実だが、現役世代をこれ以上疲弊させるわけにはいかない。ゆえに、年金給付額のマイナス改定に加え、年金収入への課税強化。
図書館で借りたんだけど、時間切れで丁寧に読みきれなかったので、あらためて買おうかなあ、と思う。
■海老原 嗣生「『若者はかわいそう』論のウソ」
■池澤夏樹ら「脱原発社会を創る30人の提言」
■池澤夏樹「春を恨んだりはしない」
昨年末から今年初めにかけて、何度も読み直した本。静かに心に染みていく本。★★おすすめ。
インタビュー時にうかがった言葉の一つひとつも、とても印象的でした。
ゼッタイお勧め本には、★印、つけますね。
■小倉千加子「結婚の条件」
■駒崎弘樹 「働き方革命 あなたが今日から日本を変える方法」
・興味深かったのは、このエピソード。
在宅勤務で効率を上げようと導入したところ、企画スタッフらの効率が逆に下がってきて「何か、寂しいんですよね……」と。「集中できるんで、作業は効率的です。ただ、雰囲気というか、自分だけでやっていると気詰まりというか、息詰まるときがあるんですよ」と。それで企画スタッフは、在宅勤務は週2日まで、と。
(フリーランスから、会社員に戻ってみて、一番痛感するのはこれ。ちょっとした仲間とのやりとりで生まれるアイデアってあるのね。だからこそ、職場環境とか雰囲気って、ものすごく大事なんだと気付いた次第)。
■駒崎弘樹 「『社会を変える』を仕事にする」
(以下、自分のための読書メモ。あとで読んだら、意味不明?)
・「運動によって社会問題を解決する」から「事業によって社会問題を解決する」へ@アメリカ。
・榊原清則@慶応大の言葉。「全体を救うイノベーションは、つねに多様性から生まれる」
★★→社会起業に興味のある人にも、ない人にもお勧め。中高生にも読ませてみたい。
■竹井善昭「社会貢献でメシを食う。」
(自分のための読書メモ)
・日本ファンドレイジング協会、という存在
・「ソーシャル・イノベーションやソーシャル・ビジネスを『資本主義の対極』に位置づける考え方の危うさ」
・社会貢献系の雑誌「sympress」「alterna(オルタナ)」。こんなのあるのね。
・プロボノに挑むなら、サービス・グラントという会社も
■毛丹青「にっぽんやっぱり虫の眼で見たい」
■大野更紗「困っている人」
■長田弘「詩ふたつ」
あとがきにある言葉。「一人のわたしの一日の時間は、いまここに在るわたし一人の時間であると同時に、この世を去った人が、いまここに遺していった時間でもあるのだということを考えます」と長田弘さんが。2009年に亡くなった奥様の思い出をこめて作られた詩集のようです。詩の中にある、「病に苦しんで/なくなった母は、/死んで、また元気になった。/死ではなく、その人が/じぶんのなかにのこしていった/たしかな記憶を、わたしは信じる。」
■高橋秀実「からくり民主主義」
■山口文憲「日本ばかちん巡り」
■阿部三郎「破産者オウム真理教 管財人12年の闘い」
■森達也「A3」
■竹内精一「上九一色村発 オウム2000日戦争―富士山麓の戦い」
■熊本日日新聞社「オウム真理教とムラの論理」
■NHK放送文化研究所「現代日本人の意識構造 第七版」
とりあえず5年に1度調査しているので、日本にいなかった4年間の変化をデータで知りたいなあ、と思って図書館で借りた。手元においておくと、なにかと便利そうなので買おうかな。
若者の間に「奇跡」を信じる人が増えていて、いよいよその数38%! って辺りは結構驚いた。次の調査は2013年。大震災の影響がどんな風に出るのか。
■加藤嘉一「中国人は本当にそんなに日本人が嫌いなのか」
彼の場合は、本で読むより、直接、講演などを聴くほうが100倍面白い……と思った。いや、本がつまらなかった、とは言っていません。彼の講演が面白すぎるだけです。印象に残った部分をざくっと箇条書きに。
・「(中国に比べ)日本の若者の方が、自立して生きていく力が比較的高い」
・社会を拘束するもの。欧米では神。日本では「世間」。中国では何もない。
・中国人の愛国と欧米崇拝は両立する(!)。日本には愛国も欧米崇拝ももはやない。
・日本が戦後、一度の戦争にも参加せず、自衛隊は一人も殺していない、という事実を中国人は知らない。
・政治的自由と発展、どちらを優先するか、と尋ねると、北京大学など最高学府では95%が発展。自由は5%。これが「北京のシリコンバレー」と呼ばれる中関村のショッピングセンターでは、発展99%、自由1%に。
・中国にいじめという文化はない。(これはさすがにちょっと違うと思うぞ)。
・中国に来た日本人が「意外と中国って自由だね」という。「日本の社会には、空気も含めて、有形無形のお決まりが多すぎるんだろう。中国人は空気なんて読まない」「政治的、制度的には、日本が自由で中国が不自由なはずなのに、生活面というか、心理的には、中五億が自由で日本が自由でないような、そんな感じさえ受けている」
(→中国人とアメリカ人って似てる、個人主義的なところが、とよく思ったもんだったなあ、と思い出した)。
・中国人は臨機応変。「計画は変更に追いつかない」と信じている。(なるほど)
■大嶋寧子「不安家族 働けない転落社会を克服せよ」
・データが新しいので、貴重な資料
・途中、「共働き、というのは貧困防止の手段となりにくい」という項がある。世帯内で働く人の数が減ると貧困に突入する確率は高まるという。(これはもちろん、当たり前だ)。ところが逆に、世帯内で働く人の数が増えても、貧困に突入する確率が低くなる、とはならないんだって。統計的に影響を与えないんだって。うーん、なぜだろう? 本書では、「雇用の不安定化のためではないか」と書かれてるけど、それで説明つくか? もっと突っ込んでほしかったです。
・最後にちゃんと政策提言してくれているのがよかった。それも、あれをやれ、これをやれ、と提言するけど、財源確保のアイデアは出さず終い、って本とは違い、きちんと財源確保のための提言もしている。この点、とても信頼できると思った。ちなみに、筆者の挙げている、財源確保のための提言は……。
1、消費税率引き上げ 2020年までに15%まで。
(逆進性対策としては、給付付き税額控除。食品などに軽減税率を適用する方法は、所得再配分効果が小さいので、採らない)
2、相続税の強化
3、社会保障費の抑制。高齢期に貧困率が高いのは事実だが、現役世代をこれ以上疲弊させるわけにはいかない。ゆえに、年金給付額のマイナス改定に加え、年金収入への課税強化。
図書館で借りたんだけど、時間切れで丁寧に読みきれなかったので、あらためて買おうかなあ、と思う。
■海老原 嗣生「『若者はかわいそう』論のウソ」
■池澤夏樹ら「脱原発社会を創る30人の提言」
■池澤夏樹「春を恨んだりはしない」
昨年末から今年初めにかけて、何度も読み直した本。静かに心に染みていく本。★★おすすめ。
インタビュー時にうかがった言葉の一つひとつも、とても印象的でした。
2012.01.21 22:21|身辺雑記|
1月から始めた試運転中のツイッターで、間違った情報を流してしまったことに気付きました。取り急ぎ、ブログにて、訂正の上、経緯を説明いたします。
私の尊敬している米国在住の方が、ご自分の骨粗しょう症検査をめぐる体験を書かれた上で、日本の医療について、
「日本は不必要な検査をしているだけ?」
とツイートなさいました。
私はこれに対し、
「中学生の医療費がタダなので近所の整骨院はマッサージ目的の野球少年のたまり場に。親はタダだから頻繁に行かせ、医者はもうかる。医療費はうなぎのぼり。我が家、米国では無保険だったのでCTなんて夢のまた夢だったのに」
と書き加え、非公式RT(という表現でよいのでしょうか?)しました。
こちらのツイートが、何人かの方にRTされました。
数時間後、何人かの方から、
整骨院には医師はいない
というご指摘をいただきました。
もう、真っ青!
ご指摘の通り、私の完全な勘違い、間違いでした。
整骨院ではなく、整形外科の誤りだったのです。
また、RTにて拡散されている中で、お医者さんが治療行為ではなく、マッサージだけをしているような誤解も招いていることを知りました。こちらも、私の舌足らずでした。
これに気付いた段階で、以下のような2件をツイートしました。
(外出中だったため、こちらの対応も遅れてしまいましたが)。
「ご指摘感謝。先のRT、整骨院ではなく、整形外科、でした。すみません! あと「マッサージ目的」なのはあくまで少年たち。医師は野球肘などの治療に加え、マッサージや年齢に応じた筋トレ指導まで相談にも乗ってくだるので親子の信頼は厚いし、貴重な放課後の居場所にもなってるらしいです。」
「だから、地域のスポーツ少年にとってはとてもありがたいお医者さんでもあります。ただ、これらが無料でいいのかなあ、と。税金の使い道としてどうなのかなあ、と。アメリカとの落差に、心底驚いちゃったんですよね。」
それでも、ツイッターを始めたばかりの私のフォロワーなんて30人程度で、私がこうして訂正ツイートをしたところで、すでに拡散してしまった前のツイートを読まれた方には、届けようがありません。
どうしてよいかわからず、とりあえず、外出先から帰ってきた今、あれこれ考えて、ブログにエントリーを書いた上で、RTくださった方と、お気に入り登録してくださった方には、ダイレクトメッセージにて、訂正内容をお伝えし、ブログのURLをお知らせしよう、と思っております。
(本来、そういう手法が適切なのかどうかも分からないのですが、それくらいしか思いつきませんでした。かえってご迷惑をかけてしまうのかも……と若干不安ではあります)。
今回のことで、最初にショックだったのは、自分が間違えた情報を発信したと気付いたとき、あとになって訂正したいと思っても、受け手の全員に訂正をお届けするすべを自分が知らない、ということでした。
(今もそうです。こういう場合、本来ならどうするべきなのか、ご助言ください。きちんと勉強していきたいと思います)。
さらに、しばらくして、もう一つのことに気付き、さらに立ち直れなくなりました。私の書いた内容をRTしてくださった方々に対して、私は、「間違えた情報を発信させてしまった」 ってことなんですね。
気付いた時は、さすがに食べ物がのどを通りませんでした。
ああ、どうすればいいんだろう、って。
以上が、今回の経緯です。
誤解させてしまった方々、本当にごめんなさい。
また、RTの形で、結果的に間違った情報を発信させてしまったお相手の皆様にはもう、なんとお詫びしてよいのか分かりません。
間違えた情報を読んだ方々に、どうか訂正情報が届きますように……と祈るような思いです。
その上で、140字ではとても書きつくせないので、今回、私が脳髄反射でRTしてしまった事情を少しだけご説明しようと思います。
アメリカに暮らしていたころ、野球少年だった息子が腰痛を訴えました。必死でネットで情報収集をして、もしかしたら、腰椎分離症ではないか、と考えました。
日本では、まずレントゲンを取り、それでも原因が分からないときは、CTやMRIをとることもある、と知りました。早期発見できれば、治療方法もあるが、治療が遅れれば、骨がくっつくことはない、ということも知りました。
アメリカでスポーツドクターにかかったところ、レントゲンの結果を見た医師が、「腰椎分離症ではないだろうから、様子をみましょう」とおっしゃいました。
「CTやMRIは撮らないのですか」と尋ねたら、
「現時点では必要ありません」と。
親にしてみれば、日本にいたならCTやMRIを撮ることで、よりきちんと検査できたのに、という思いでした。無保険状態だった我が家では、アメリカでCTなど撮ろうものなら、何千ドルとかかると言われ、「念のために」なんて理由では、とうてい撮ることができなかったのです。将来、子どもの腰に何かあったら、私たち親の責任だ、とたまらない思いでした。親の英語力不足のせいで、何か大事な情報を聞き漏らしているのではないか、とか、怖くて怖くてしかたありませんでした。
それが日本に帰国し、地域のスポーツ少年たちが、整形外科に無料で通っているのを見た時には、本当に感動したものです。
医療行為である治療をしながらも、一方で、スポーツ少年の相談に乗ったり、年齢にふさわしいトレーニングの仕方を教授したり、マッサージしたり……そういう居心地の良い医療機関に、地元の子どもたちは頻繁に通い、親も「無料だから」と喜んでいることを知り、日本ってすごいなあ、と思いました。
でも一方で、税金の使い道を考えたときに、ここまで無料である必要があるんだろうか、とも思ったんです。限られた財源で、本当に困っている人を支えようと考えたとき、今の制度って本当にベストなんだろうか?と。
息子に関していえば、しばらく様子を見ることで、腰痛は治まりました。帰国してからもCTやMRIは撮っていません。もしかして撮ってみたら、「腰椎分離症を放置しちゃってたんですね」といわれるような状態なのかもしれません。
でも、今は症状もありませんし、あの時点で、「CTやMRIを撮る必要はない」とおっしゃったアメリカの医師の判断は妥当だったんだ、とも感じています。
そんなことを考えていた時、先のツイートを見たもので、ついつい、脳髄反射で非公式RTしてしまいました。
事実関係については十分に慎重であるべきだったのに、それを怠りました。
今後このようなことのないよう、ツイッターについてもう少し勉強して、情報発信するときにはもっと慎重に事実関係に誤りがないかを確認していきたいと思います。
正直いうと、「こんな私にツイッターを続ける資格なんてないわ。なんだか怖いし、やめてしまおう」と思わなかったわけでもないのですが……。
それでも、古いメディアに勤めながら、新しいメディアのありようをもっと知りたい、勉強したい、と思う者として、ここで閉じこもってしまっちゃいけないな、と。
失敗のたびに真摯に反省し、できる限りのお詫びしながら、それでもやっぱり、ひるまず、新しいことに一つひとつ挑戦し、学んでいくしかないなあ、と今は思っています。
そんなわけで、みなさま、今後とも、よろしくご指導お願いいたします。
今回、私の間違いをご指摘くださった方に、心より感謝します。本当に貴重な勉強をさせていただきました!!!
また、こういうケースの場合、どんな風に対応するのがもっとも誠実なのか、なんてご助言もお待ちいたします。
私の尊敬している米国在住の方が、ご自分の骨粗しょう症検査をめぐる体験を書かれた上で、日本の医療について、
「日本は不必要な検査をしているだけ?」
とツイートなさいました。
私はこれに対し、
「中学生の医療費がタダなので近所の整骨院はマッサージ目的の野球少年のたまり場に。親はタダだから頻繁に行かせ、医者はもうかる。医療費はうなぎのぼり。我が家、米国では無保険だったのでCTなんて夢のまた夢だったのに」
と書き加え、非公式RT(という表現でよいのでしょうか?)しました。
こちらのツイートが、何人かの方にRTされました。
数時間後、何人かの方から、
整骨院には医師はいない
というご指摘をいただきました。
もう、真っ青!
ご指摘の通り、私の完全な勘違い、間違いでした。
整骨院ではなく、整形外科の誤りだったのです。
また、RTにて拡散されている中で、お医者さんが治療行為ではなく、マッサージだけをしているような誤解も招いていることを知りました。こちらも、私の舌足らずでした。
これに気付いた段階で、以下のような2件をツイートしました。
(外出中だったため、こちらの対応も遅れてしまいましたが)。
「ご指摘感謝。先のRT、整骨院ではなく、整形外科、でした。すみません! あと「マッサージ目的」なのはあくまで少年たち。医師は野球肘などの治療に加え、マッサージや年齢に応じた筋トレ指導まで相談にも乗ってくだるので親子の信頼は厚いし、貴重な放課後の居場所にもなってるらしいです。」
「だから、地域のスポーツ少年にとってはとてもありがたいお医者さんでもあります。ただ、これらが無料でいいのかなあ、と。税金の使い道としてどうなのかなあ、と。アメリカとの落差に、心底驚いちゃったんですよね。」
それでも、ツイッターを始めたばかりの私のフォロワーなんて30人程度で、私がこうして訂正ツイートをしたところで、すでに拡散してしまった前のツイートを読まれた方には、届けようがありません。
どうしてよいかわからず、とりあえず、外出先から帰ってきた今、あれこれ考えて、ブログにエントリーを書いた上で、RTくださった方と、お気に入り登録してくださった方には、ダイレクトメッセージにて、訂正内容をお伝えし、ブログのURLをお知らせしよう、と思っております。
(本来、そういう手法が適切なのかどうかも分からないのですが、それくらいしか思いつきませんでした。かえってご迷惑をかけてしまうのかも……と若干不安ではあります)。
今回のことで、最初にショックだったのは、自分が間違えた情報を発信したと気付いたとき、あとになって訂正したいと思っても、受け手の全員に訂正をお届けするすべを自分が知らない、ということでした。
(今もそうです。こういう場合、本来ならどうするべきなのか、ご助言ください。きちんと勉強していきたいと思います)。
さらに、しばらくして、もう一つのことに気付き、さらに立ち直れなくなりました。私の書いた内容をRTしてくださった方々に対して、私は、「間違えた情報を発信させてしまった」 ってことなんですね。
気付いた時は、さすがに食べ物がのどを通りませんでした。
ああ、どうすればいいんだろう、って。
以上が、今回の経緯です。
誤解させてしまった方々、本当にごめんなさい。
また、RTの形で、結果的に間違った情報を発信させてしまったお相手の皆様にはもう、なんとお詫びしてよいのか分かりません。
間違えた情報を読んだ方々に、どうか訂正情報が届きますように……と祈るような思いです。
その上で、140字ではとても書きつくせないので、今回、私が脳髄反射でRTしてしまった事情を少しだけご説明しようと思います。
アメリカに暮らしていたころ、野球少年だった息子が腰痛を訴えました。必死でネットで情報収集をして、もしかしたら、腰椎分離症ではないか、と考えました。
日本では、まずレントゲンを取り、それでも原因が分からないときは、CTやMRIをとることもある、と知りました。早期発見できれば、治療方法もあるが、治療が遅れれば、骨がくっつくことはない、ということも知りました。
アメリカでスポーツドクターにかかったところ、レントゲンの結果を見た医師が、「腰椎分離症ではないだろうから、様子をみましょう」とおっしゃいました。
「CTやMRIは撮らないのですか」と尋ねたら、
「現時点では必要ありません」と。
親にしてみれば、日本にいたならCTやMRIを撮ることで、よりきちんと検査できたのに、という思いでした。無保険状態だった我が家では、アメリカでCTなど撮ろうものなら、何千ドルとかかると言われ、「念のために」なんて理由では、とうてい撮ることができなかったのです。将来、子どもの腰に何かあったら、私たち親の責任だ、とたまらない思いでした。親の英語力不足のせいで、何か大事な情報を聞き漏らしているのではないか、とか、怖くて怖くてしかたありませんでした。
それが日本に帰国し、地域のスポーツ少年たちが、整形外科に無料で通っているのを見た時には、本当に感動したものです。
医療行為である治療をしながらも、一方で、スポーツ少年の相談に乗ったり、年齢にふさわしいトレーニングの仕方を教授したり、マッサージしたり……そういう居心地の良い医療機関に、地元の子どもたちは頻繁に通い、親も「無料だから」と喜んでいることを知り、日本ってすごいなあ、と思いました。
でも一方で、税金の使い道を考えたときに、ここまで無料である必要があるんだろうか、とも思ったんです。限られた財源で、本当に困っている人を支えようと考えたとき、今の制度って本当にベストなんだろうか?と。
息子に関していえば、しばらく様子を見ることで、腰痛は治まりました。帰国してからもCTやMRIは撮っていません。もしかして撮ってみたら、「腰椎分離症を放置しちゃってたんですね」といわれるような状態なのかもしれません。
でも、今は症状もありませんし、あの時点で、「CTやMRIを撮る必要はない」とおっしゃったアメリカの医師の判断は妥当だったんだ、とも感じています。
そんなことを考えていた時、先のツイートを見たもので、ついつい、脳髄反射で非公式RTしてしまいました。
事実関係については十分に慎重であるべきだったのに、それを怠りました。
今後このようなことのないよう、ツイッターについてもう少し勉強して、情報発信するときにはもっと慎重に事実関係に誤りがないかを確認していきたいと思います。
正直いうと、「こんな私にツイッターを続ける資格なんてないわ。なんだか怖いし、やめてしまおう」と思わなかったわけでもないのですが……。
それでも、古いメディアに勤めながら、新しいメディアのありようをもっと知りたい、勉強したい、と思う者として、ここで閉じこもってしまっちゃいけないな、と。
失敗のたびに真摯に反省し、できる限りのお詫びしながら、それでもやっぱり、ひるまず、新しいことに一つひとつ挑戦し、学んでいくしかないなあ、と今は思っています。
そんなわけで、みなさま、今後とも、よろしくご指導お願いいたします。
今回、私の間違いをご指摘くださった方に、心より感謝します。本当に貴重な勉強をさせていただきました!!!
また、こういうケースの場合、どんな風に対応するのがもっとも誠実なのか、なんてご助言もお待ちいたします。
2012.01.16 00:34|仕事日記|
生まれて初めての訳書「自傷からの回復」(みすず書房、http://www.msz.co.jp/book/detail/07462.html へへへ、今さらながら、しつこく宣伝しよう!)で、一緒にお仕事させていただいた、尊敬する松本俊彦先生と先日、お話する機会がありました。
折りしもその日は、警察庁が2011年の月別自殺者数の速報値(http://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/H23_tsukibetsujisatsusya.pdf)を出したこともあり、話題はおのずと震災と自殺の話に。松本先生は、被災地での自殺数増加がはっきりと統計に出てくるのは2〜3年後ではないか、と言っておられました。周囲が復興する中で感じる格差感。あれに人は脆弱なんだよね、と。
胸にどっしりと来る話なのでした。
もう1点、被災地でのアルコール問題の話にもなりました。たとえば避難所で生活基盤を失った漁師さんたちが昼から酒盛りをしていたとして、「避難所では飲酒禁止」といえるのか? という問題。
それをバッサリと言ってしまうのはやはり、あまりに切ないものがあります。
でも、酒の上での小さな揉め事や暴言、場合によっては暴行や女性への嫌がらせ……お酒のもたらすかもしれないネガティブな結果は数え切れない、というのも現実なのです。
まして、仮設住宅で一人暮らしの被災者がアルコール依存症に陥ってしまう切ない事例っていうのも、これまでの災害でもいっぱいあったし、今もきっとあるのだと思います。
そんなわけで、もっとアルコールの問題をきちんと考えなきゃいけないよね、というような話になったのでした。
アメリカで一つ、学んだことがあります。
私の暮らしていたメリーランド州では、運転免許証取得の前に3時間のアルコール・ドラッグ講習を受けなきゃいけませんでした。この内容というのが、いわゆるアルコール&薬物乱用防止教室、みたいな感じでね。アルコールや薬物が人体に与える影響や各種ドラッグの呼び名、影響、依存の程度など、かなり膨大な知識を学ぶことになります。
挙句の果てに、最後はこれらの知識を問うテスト。
これに合格しなければ、免許は取れない仕組みなのです。
このテストの最初の問題ってのが、何より印象的でした。
文章の正誤を問う問題なんですが、こんな一文でした。
「Alcohol is a drug. (アルコールはドラッグである)」。
もちろん答は、「正しい」です。
考えてみれば当然の答なんですけどね。
この一文を見た瞬間、
「そうなんだなあ、アルコールって、最も安価で、手に入りやすく、それだけにコントロールもしづらいドラッグなんだよなあ」
と改めて気付かされた思いでした。
過去に薬物依存の取材やら、自傷の取材をしていた時も、あっちこっちでアルコール問題とぶつかったもんです。「切っちゃった」と電話してくる子が最初に飲んでたのも、そういえばお酒でしたっけ。
(すぐに、処方薬に移っていったけど)。
違法薬物乱用やら、ほかのアディクションへのシグナルとして、飲酒にもっと関心を払うべきだったなあ、と今、反省をこめてそう思います。
……ってな話し合いを、そもそも、お酒の席でやっちゃってる、アンタらってどうよ?
なーんて突っ込まないでくださいね。
(実のところ、この日の黒糖焼酎はホント、おいしかったのよ)。
お酒大好きで、時には一人で自宅飲みしちゃう私が、なにをエラソーに言うのか、って話ではありますが。
自殺予防を考えるとき、アルコール問題はとっても大事だとひしひしと感じます。
だって、こればっかりはアルコール依存症本人だけの問題じゃないから。
配偶者や、その子どもたちにまで、時には、自殺の影を引き寄せてしまうから。
そんな悔しいケースをいくつか取材してきた今、しみじみとそう思うのです。
折りしもその日は、警察庁が2011年の月別自殺者数の速報値(http://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/H23_tsukibetsujisatsusya.pdf)を出したこともあり、話題はおのずと震災と自殺の話に。松本先生は、被災地での自殺数増加がはっきりと統計に出てくるのは2〜3年後ではないか、と言っておられました。周囲が復興する中で感じる格差感。あれに人は脆弱なんだよね、と。
胸にどっしりと来る話なのでした。
もう1点、被災地でのアルコール問題の話にもなりました。たとえば避難所で生活基盤を失った漁師さんたちが昼から酒盛りをしていたとして、「避難所では飲酒禁止」といえるのか? という問題。
それをバッサリと言ってしまうのはやはり、あまりに切ないものがあります。
でも、酒の上での小さな揉め事や暴言、場合によっては暴行や女性への嫌がらせ……お酒のもたらすかもしれないネガティブな結果は数え切れない、というのも現実なのです。
まして、仮設住宅で一人暮らしの被災者がアルコール依存症に陥ってしまう切ない事例っていうのも、これまでの災害でもいっぱいあったし、今もきっとあるのだと思います。
そんなわけで、もっとアルコールの問題をきちんと考えなきゃいけないよね、というような話になったのでした。
アメリカで一つ、学んだことがあります。
私の暮らしていたメリーランド州では、運転免許証取得の前に3時間のアルコール・ドラッグ講習を受けなきゃいけませんでした。この内容というのが、いわゆるアルコール&薬物乱用防止教室、みたいな感じでね。アルコールや薬物が人体に与える影響や各種ドラッグの呼び名、影響、依存の程度など、かなり膨大な知識を学ぶことになります。
挙句の果てに、最後はこれらの知識を問うテスト。
これに合格しなければ、免許は取れない仕組みなのです。
このテストの最初の問題ってのが、何より印象的でした。
文章の正誤を問う問題なんですが、こんな一文でした。
「Alcohol is a drug. (アルコールはドラッグである)」。
もちろん答は、「正しい」です。
考えてみれば当然の答なんですけどね。
この一文を見た瞬間、
「そうなんだなあ、アルコールって、最も安価で、手に入りやすく、それだけにコントロールもしづらいドラッグなんだよなあ」
と改めて気付かされた思いでした。
過去に薬物依存の取材やら、自傷の取材をしていた時も、あっちこっちでアルコール問題とぶつかったもんです。「切っちゃった」と電話してくる子が最初に飲んでたのも、そういえばお酒でしたっけ。
(すぐに、処方薬に移っていったけど)。
違法薬物乱用やら、ほかのアディクションへのシグナルとして、飲酒にもっと関心を払うべきだったなあ、と今、反省をこめてそう思います。
……ってな話し合いを、そもそも、お酒の席でやっちゃってる、アンタらってどうよ?
なーんて突っ込まないでくださいね。
(実のところ、この日の黒糖焼酎はホント、おいしかったのよ)。
お酒大好きで、時には一人で自宅飲みしちゃう私が、なにをエラソーに言うのか、って話ではありますが。
自殺予防を考えるとき、アルコール問題はとっても大事だとひしひしと感じます。
だって、こればっかりはアルコール依存症本人だけの問題じゃないから。
配偶者や、その子どもたちにまで、時には、自殺の影を引き寄せてしまうから。
そんな悔しいケースをいくつか取材してきた今、しみじみとそう思うのです。
2012.01.12 22:01|行った見た書いた記事|
NHKの朝の連続テレビ小説「カーネーション」にはまっている。
毎朝見てしまう。
……と思ってたら、このドラマの主人公のモデルとなった小篠綾子さんの長女、コシノヒロコさんをインタビューする機会に恵まれた。
実に示唆深いお話でした。
インタビュー記事はこちら。
「幸せの99%は努力です」
いやはや、随分励まされるインタビューでした。
「努力は女のマタの力である」なーんて言いながら、私や妹に努力努力と言い続け、約18年前死んだうちのお母ちゃんに背中をどつかれた感じです。
大阪の母ちゃんは、努力、が好きなのかなあ。
そういや、あと5日で、うちの母ちゃんの命日なのねえ。
毎朝見てしまう。
……と思ってたら、このドラマの主人公のモデルとなった小篠綾子さんの長女、コシノヒロコさんをインタビューする機会に恵まれた。
実に示唆深いお話でした。
インタビュー記事はこちら。
「幸せの99%は努力です」
いやはや、随分励まされるインタビューでした。
「努力は女のマタの力である」なーんて言いながら、私や妹に努力努力と言い続け、約18年前死んだうちのお母ちゃんに背中をどつかれた感じです。
大阪の母ちゃんは、努力、が好きなのかなあ。
そういや、あと5日で、うちの母ちゃんの命日なのねえ。
2012.01.10 20:58|身辺雑記|
久しぶりに、13歳の息子の話。
(普段はもう、息子の話は書かないようにしてるんだけど、ま、今回は、ポジティブな話だから、公開しちゃおう)。
本日10日、いよいよ息子の中学で3学期が始まった。
(私の、お弁当作りライフも、再びスタートだ)。
実はこの週末、福井市に住む私の妹一家を、息子と訪ねたんだけどね。
越前ガニ(オス)だ、セイコガニ(メス)だ、寒ブリだ、ガサエビだ(生で食べると甘エビよりうまいっ! 甘エビとボタンエビの良いとこ取りみたいな味)、取れたての色とりどりの野菜だ、とごちそう三昧。
で、その帰り道。
こっちは、「あーあ、ちくしょー、明日からまた仕事だぜ」 なんて気分なのにさ。
隣で、息子がいう。
「明日、楽しみだな〜」
へ? 明日、なんかあったっけ?
「学校に行くの、久しぶりだし」
………。
ああ、神サマ。
しばらく口がきけなかったよ。
自慢じゃないが (いや、ホントに自慢になんないんだけど)、息子は保育園に通い始めた生後11ヶ月から常に 「登園拒否児」 だった。
5歳くらいになると、それでもなんだかんだと、病気もせず毎日通ってくれたけれども、それでも私は時々、見知らぬお母さんからこんな風に声を掛けられたもんだ。
「あの……おぐにさんですか? うちの子どもが保育園に行きたがらないんです。保育士さんに相談したら、『おぐにさんは登園拒否児の母の大先輩だから、聞いてみたら』 って言われて」
みたいな。
とほほほほ。
小学校に上がってからは、比較的穏やかに登校していたけれども、それでも、息子に 「学校楽しい?」 なんて尋ねた日には、必ずこういう答えが返ってきたもんだ。
「あのね、母ちゃん。オレは基本的に、学校は嫌いなの」
さらに、アメリカに行って最初の2年間くらいは、もう大変!
登校拒否傾向にはますます磨きがかかり、学校がいやだいやだ、が口癖みたいだった。
しかし、私のほうも、「登校拒否児母歴10年」 ともなれば 「いやだ」慣れしちゃっていて、本気の「いやだ」 とガス抜きの「いやだ」 の区別がつくようになってたもんね。
年に2〜3回、本気の「いやだ」 の時だけ親公認ずる休み宣言し、「休むのも生活の知恵。でも、明日は行けよ」 などと休ませて、遠出したり、外でバーベキューしたりして気分転換したっけなあ。
……なーんて長い長い闘いの日々の後、まさか、13歳という難しいお年頃の息子の口から、「学校が楽しみ」 なるセリフを聞かせてもらえるなんて、思ってもみなかったよ。
相手が思春期ですから、ここは大げさに感涙するわけにもいかず、「へええ」 などと無関心なそぶりを見せながら、心の中でこっそり、また一つ、子離れスイッチを押したのだった。
ちょうど去年の今頃だったよな。母息子でアメリカから一時帰国し、狭い狭いウィークリーマンションで、時差ぼけと闘いながら、今の中学を受験したのって。(いや、受験をしたのは息子なんだけど)。
息子が寝た後、夫婦でしみじみと、「あの時、頑張って良かったなあ」、と語り合ったのだった (いや、頑張ったのも息子なんだけど)。
ずっとずっとずっとうらやましかった。
「保育園大好き!」「お友だちと一緒にいたい!」「学校が楽しい!」 という子どもたちを持った親のこと。
あんなだったら、どんなに明るい気持ちで仕事できるだろうなぁ、と。
でも今、長い長い登校拒否児母の日々があったからこそ、この喜びがあるのだわー、と思う。
なんかもう、これから始まるだろう反抗期だって、怖くないわ、と思う。
だって、苦労が深いほどに、後の喜びも味わい深いと、子育ての奥深さを知っちゃったもんね〜。
(いや、やっぱり、子育てはラクなほうがいいし、子どもは育てやすいほうが助かるけど)。
あーあ。それにしても。
子育ても、いよいよ、あとちょっとだなあ。
(普段はもう、息子の話は書かないようにしてるんだけど、ま、今回は、ポジティブな話だから、公開しちゃおう)。
本日10日、いよいよ息子の中学で3学期が始まった。
(私の、お弁当作りライフも、再びスタートだ)。
実はこの週末、福井市に住む私の妹一家を、息子と訪ねたんだけどね。
越前ガニ(オス)だ、セイコガニ(メス)だ、寒ブリだ、ガサエビだ(生で食べると甘エビよりうまいっ! 甘エビとボタンエビの良いとこ取りみたいな味)、取れたての色とりどりの野菜だ、とごちそう三昧。
で、その帰り道。
こっちは、「あーあ、ちくしょー、明日からまた仕事だぜ」 なんて気分なのにさ。
隣で、息子がいう。
「明日、楽しみだな〜」
へ? 明日、なんかあったっけ?
「学校に行くの、久しぶりだし」
………。
ああ、神サマ。
しばらく口がきけなかったよ。
自慢じゃないが (いや、ホントに自慢になんないんだけど)、息子は保育園に通い始めた生後11ヶ月から常に 「登園拒否児」 だった。
5歳くらいになると、それでもなんだかんだと、病気もせず毎日通ってくれたけれども、それでも私は時々、見知らぬお母さんからこんな風に声を掛けられたもんだ。
「あの……おぐにさんですか? うちの子どもが保育園に行きたがらないんです。保育士さんに相談したら、『おぐにさんは登園拒否児の母の大先輩だから、聞いてみたら』 って言われて」
みたいな。
とほほほほ。
小学校に上がってからは、比較的穏やかに登校していたけれども、それでも、息子に 「学校楽しい?」 なんて尋ねた日には、必ずこういう答えが返ってきたもんだ。
「あのね、母ちゃん。オレは基本的に、学校は嫌いなの」
さらに、アメリカに行って最初の2年間くらいは、もう大変!
登校拒否傾向にはますます磨きがかかり、学校がいやだいやだ、が口癖みたいだった。
しかし、私のほうも、「登校拒否児母歴10年」 ともなれば 「いやだ」慣れしちゃっていて、本気の「いやだ」 とガス抜きの「いやだ」 の区別がつくようになってたもんね。
年に2〜3回、本気の「いやだ」 の時だけ親公認ずる休み宣言し、「休むのも生活の知恵。でも、明日は行けよ」 などと休ませて、遠出したり、外でバーベキューしたりして気分転換したっけなあ。
……なーんて長い長い闘いの日々の後、まさか、13歳という難しいお年頃の息子の口から、「学校が楽しみ」 なるセリフを聞かせてもらえるなんて、思ってもみなかったよ。
相手が思春期ですから、ここは大げさに感涙するわけにもいかず、「へええ」 などと無関心なそぶりを見せながら、心の中でこっそり、また一つ、子離れスイッチを押したのだった。
ちょうど去年の今頃だったよな。母息子でアメリカから一時帰国し、狭い狭いウィークリーマンションで、時差ぼけと闘いながら、今の中学を受験したのって。(いや、受験をしたのは息子なんだけど)。
息子が寝た後、夫婦でしみじみと、「あの時、頑張って良かったなあ」、と語り合ったのだった (いや、頑張ったのも息子なんだけど)。
ずっとずっとずっとうらやましかった。
「保育園大好き!」「お友だちと一緒にいたい!」「学校が楽しい!」 という子どもたちを持った親のこと。
あんなだったら、どんなに明るい気持ちで仕事できるだろうなぁ、と。
でも今、長い長い登校拒否児母の日々があったからこそ、この喜びがあるのだわー、と思う。
なんかもう、これから始まるだろう反抗期だって、怖くないわ、と思う。
だって、苦労が深いほどに、後の喜びも味わい深いと、子育ての奥深さを知っちゃったもんね〜。
(いや、やっぱり、子育てはラクなほうがいいし、子どもは育てやすいほうが助かるけど)。
あーあ。それにしても。
子育ても、いよいよ、あとちょっとだなあ。
2012.01.06 22:56|仕事日記|
2012年最初の仕事 (というか、取材自体は昨年末に行ったものですが) は、
作家、池澤夏樹さんのインタビューです。
特集ワイド:日本よ!悲しみを越えて 作家・池澤夏樹さん
昨年、池澤さんの近著、「春を恨んだりはしない」 を読みました。
なんというか、言葉の一つひとつが深くて、静かで、胸に染みてきて、たぶん、私にとっては、東日本大震災を書いたどの本よりも、胸に迫るものがありました。
2011年最後の仕事として、池澤さんの言葉に触れることができたこと、
2012年最初の仕事として、池澤さんの言葉を紙面にできたことは、
本当にうれしかった。
記事について、池澤先生から、「思想的共感関係でしょうね、基礎にあるのは」 というコメントをいただきました。
こちらも、ありがたいことです。
私の、仕事始めでした。
作家、池澤夏樹さんのインタビューです。
特集ワイド:日本よ!悲しみを越えて 作家・池澤夏樹さん
昨年、池澤さんの近著、「春を恨んだりはしない」 を読みました。
なんというか、言葉の一つひとつが深くて、静かで、胸に染みてきて、たぶん、私にとっては、東日本大震災を書いたどの本よりも、胸に迫るものがありました。
2011年最後の仕事として、池澤さんの言葉に触れることができたこと、
2012年最初の仕事として、池澤さんの言葉を紙面にできたことは、
本当にうれしかった。
記事について、池澤先生から、「思想的共感関係でしょうね、基礎にあるのは」 というコメントをいただきました。
こちらも、ありがたいことです。
私の、仕事始めでした。
2012年の初詣は、東北は遠刈田温泉の小さな神社。
お賽銭入れて、頭を垂れ、思わず
「会社がつぶれませんように……」
と拝みかけた自分に、ただただ愕然とした。
おいおい、どうしたっていうんだい?
こんなことを拝むなんて、おまえは経営者かい?
新聞社を退社したのが2007年。
それから4年間、アメリカで暮らした。
ありがたいことに、なんだかんだとアメリカ滞在中にも書く機会をいただき、
週刊誌連載 (週刊ポスト「ニッポンあ・ちゃ・ちゃ」) を書きながらアメリカ社会を理解し、理解しながらまた書く、というような日々だった。
新しい人、考え方、文化に出会えたあの4年間は、私にとっては今も宝物だ。
さらに、
新聞社の外側から新聞記事を読む機会を得られたこと、海外から日本語情報を得たい一心からソーシャルメディアに少しはなじむことができたことも収穫だった。
日本に帰国するにあたっては、諸条件あれこれ考え尽くしたうえで、かつての勤め先の新聞社に再就職する、という道を選んだ。
古巣の新聞社には新しい制度ができていて、子育てを理由に退職した者には、一定の条件のもとに、再就職の道が開かれていた。
そんな制度の適用第一号として、私は古巣の新聞社に再就職したのだった。
再就職先ではこれまた、上司にも同僚にも、仕事にも恵まれ、もはや打ちきりの心配もなければ、黙っていても仕事が振ってくる、給料は振り込まれる、というありがたい労働環境のもと、毎日がもう、楽しくて楽しくて、ありがたくてありがたくて……。
おまけに、悩んだときにふとつぶやけば、周囲にいる同僚がああだこうだとアイデアを出してくれる、その環境がなんとも新鮮だったこと!
なるほど、たいていの仕事は自宅勤務のほうが能率が上がるが、こと企画勝負の仕事の場合は、あながちそうとも言えない、という話をどこかの本で読んだよな、などと思い出したほどだった。
アメリカでは、何を書いても、相談できる相手がほとんどいなかったからね。
同僚がいるって、なんとありがたいんだろう!
私は単純だから、もうすっかり感動してしまい、原稿は基本的に自宅で書くし、取材は会社の外でする生活にも関わらず、毎日ちゃんと会社に顔を出すようにしてたんだ (当たり前か)。
そしたら、やっぱり、失いたくなくなったんだねえ。
今の仕事環境を、手放したくない、と切実に思うようになっていたんだねえ。
アメリカでバッタバッタと新聞社がつぶれ、ここ10年で記者職の4分の1が失業した (ごめん、データ元が見つからない)、なんて話も聞いていたし、実際に、失業した友人もいたからね。
日本の新聞業界の先行きの暗さについては、帰国前から、とても危機感があった。
新聞社に再就職をするにあたっても、そのあたりは覚悟の上だった。
再就職してからも、社内で、「新聞は今後どうなっていくと思います?」 などと相手構わず話を向けた。
ところが、時々こんな返事がかえってくるものだから、愕然とさせられた。
「先行き厳しいけどね〜。おぐにさんがいる間くらいは、まあ、大丈夫だよ」
二重の意味で、ショックだった。
一つは、組織を動かす立場にある50代が、すでに逃げ切りを考えている組織ってどうよ? というショック。
(全員ではありません。あくまで、一部の人の反応です)
もう一つは、「うそだろ、あと10年持つと思ってんのかよ?」 というショック。
それでも2011年の10月と11月と12月は、
45歳でいきなり 「新人記者」 になっちゃったアタフタな日々の中で、なかなかゆっくりじっくりとモノを考える余裕もなかったのだった。
だからだと思う。
冒頭の話に戻るけど、いきなり、初詣で、
「会社がつぶれませんように」
と願かけそうになっちゃったなんてね。
自分で自分の愚かさに愕然として、ひたすら恥じた。
お賽銭、わずか10円だったので、拝む中身の上書き保存なんて許されるかビミョーな気もしたのだけれど。
あわてて私は、つけたしたのだった。
「たとえ会社がつぶれようと、たとえ日本経済が破綻しようと、生きていける自分でありますように。
子どもと夫と、双方の両親とをきちんと守っていける私でありますように」
……それから、自分で自分にツッコミを入れた。
こんなこと、そもそも、神頼みして、どうするよ?
んなわけで、帰国から4ヶ月余。
30代(の一部の方)の覚悟と、20代(の一部の方)の才能に刺激をいただきつつ、上の世代の方々(の一部の方)の積み重ねてきたものに励まされつつ、私もどうにか性根入れ替えてあれこれ挑戦してみよう、と思っております。
2012年もよろしくお願いいたします。
追伸:今年の目標。「1本の記事も、思考停止せずに書くこと」
新聞社に戻ると決めたからには、まずはその場所で。
お賽銭入れて、頭を垂れ、思わず
「会社がつぶれませんように……」
と拝みかけた自分に、ただただ愕然とした。
おいおい、どうしたっていうんだい?
こんなことを拝むなんて、おまえは経営者かい?
新聞社を退社したのが2007年。
それから4年間、アメリカで暮らした。
ありがたいことに、なんだかんだとアメリカ滞在中にも書く機会をいただき、
週刊誌連載 (週刊ポスト「ニッポンあ・ちゃ・ちゃ」) を書きながらアメリカ社会を理解し、理解しながらまた書く、というような日々だった。
新しい人、考え方、文化に出会えたあの4年間は、私にとっては今も宝物だ。
さらに、
新聞社の外側から新聞記事を読む機会を得られたこと、海外から日本語情報を得たい一心からソーシャルメディアに少しはなじむことができたことも収穫だった。
日本に帰国するにあたっては、諸条件あれこれ考え尽くしたうえで、かつての勤め先の新聞社に再就職する、という道を選んだ。
古巣の新聞社には新しい制度ができていて、子育てを理由に退職した者には、一定の条件のもとに、再就職の道が開かれていた。
そんな制度の適用第一号として、私は古巣の新聞社に再就職したのだった。
再就職先ではこれまた、上司にも同僚にも、仕事にも恵まれ、もはや打ちきりの心配もなければ、黙っていても仕事が振ってくる、給料は振り込まれる、というありがたい労働環境のもと、毎日がもう、楽しくて楽しくて、ありがたくてありがたくて……。
おまけに、悩んだときにふとつぶやけば、周囲にいる同僚がああだこうだとアイデアを出してくれる、その環境がなんとも新鮮だったこと!
なるほど、たいていの仕事は自宅勤務のほうが能率が上がるが、こと企画勝負の仕事の場合は、あながちそうとも言えない、という話をどこかの本で読んだよな、などと思い出したほどだった。
アメリカでは、何を書いても、相談できる相手がほとんどいなかったからね。
同僚がいるって、なんとありがたいんだろう!
私は単純だから、もうすっかり感動してしまい、原稿は基本的に自宅で書くし、取材は会社の外でする生活にも関わらず、毎日ちゃんと会社に顔を出すようにしてたんだ (当たり前か)。
そしたら、やっぱり、失いたくなくなったんだねえ。
今の仕事環境を、手放したくない、と切実に思うようになっていたんだねえ。
アメリカでバッタバッタと新聞社がつぶれ、ここ10年で記者職の4分の1が失業した (ごめん、データ元が見つからない)、なんて話も聞いていたし、実際に、失業した友人もいたからね。
日本の新聞業界の先行きの暗さについては、帰国前から、とても危機感があった。
新聞社に再就職をするにあたっても、そのあたりは覚悟の上だった。
再就職してからも、社内で、「新聞は今後どうなっていくと思います?」 などと相手構わず話を向けた。
ところが、時々こんな返事がかえってくるものだから、愕然とさせられた。
「先行き厳しいけどね〜。おぐにさんがいる間くらいは、まあ、大丈夫だよ」
二重の意味で、ショックだった。
一つは、組織を動かす立場にある50代が、すでに逃げ切りを考えている組織ってどうよ? というショック。
(全員ではありません。あくまで、一部の人の反応です)
もう一つは、「うそだろ、あと10年持つと思ってんのかよ?」 というショック。
それでも2011年の10月と11月と12月は、
45歳でいきなり 「新人記者」 になっちゃったアタフタな日々の中で、なかなかゆっくりじっくりとモノを考える余裕もなかったのだった。
だからだと思う。
冒頭の話に戻るけど、いきなり、初詣で、
「会社がつぶれませんように」
と願かけそうになっちゃったなんてね。
自分で自分の愚かさに愕然として、ひたすら恥じた。
お賽銭、わずか10円だったので、拝む中身の上書き保存なんて許されるかビミョーな気もしたのだけれど。
あわてて私は、つけたしたのだった。
「たとえ会社がつぶれようと、たとえ日本経済が破綻しようと、生きていける自分でありますように。
子どもと夫と、双方の両親とをきちんと守っていける私でありますように」
……それから、自分で自分にツッコミを入れた。
こんなこと、そもそも、神頼みして、どうするよ?
んなわけで、帰国から4ヶ月余。
30代(の一部の方)の覚悟と、20代(の一部の方)の才能に刺激をいただきつつ、上の世代の方々(の一部の方)の積み重ねてきたものに励まされつつ、私もどうにか性根入れ替えてあれこれ挑戦してみよう、と思っております。
2012年もよろしくお願いいたします。
追伸:今年の目標。「1本の記事も、思考停止せずに書くこと」
新聞社に戻ると決めたからには、まずはその場所で。
2011.11.17 00:14|行った見た書いた記事|
先のブログに、西水さんともう一方、会ってみたい人がいる、と書きましたが、それが彼です。
東大大学院生の若き社会学者、古市憲寿さん(26)。
彼の著書の中に、
*世代間格差に怒り、訴えるのは40歳前後が多い
*若者論は、実はオトナの「自分探し」
という指摘を見つけ、ああ、会って、話してみなきゃ、と思ったのでした。
そうして書いた記事が本日夕刊に掲載されました。
「若者って 『かわいそう』 なの?」
私は1990年に新聞記者になって以来、「若者論」 っぽい記事をたくさん書いてきました。まさに90年代の 「こころの時代」 に乗っかって、子どもや若者たちの、いわゆる 「心の闇」 (そう。新聞は一時期、これが大好きでした……) をさんざ書いてきたように思います。
私が渡米した2007年ごろからでしたっけ?
そのあたりの潮目が変わり、「こころ」 よりも、「格差」 やら 「貧困」 などの切り口で、子どもや若者の問題が描かれるようになっていった気がします。
そういう意味では、若者論の変遷は、オトナの自分探しであると同時に、社会を映しこむ鏡みたいでもあったんだなあ、と今さらながら気付かされます。
ところで。
恥を忍んで告白すると、私は10年くらい前まで、自分は若い人の取材が得意なんだと勘違いしてました。
実際、10年くらい前までは、相手の言葉が説明なしに、まっすぐに心に入ってきたし、言葉がなくても感覚で分かり合えることも多かったし、私はそれをただ、「新聞読者向けの言葉」 に翻訳すれば済んだんです。
どうして、40代、50代の先輩記者たちは、若者の記事を書かせると、こんなにトンチンカンになるんだろう、なんて思ったものです。
でも、得意なんかじゃなかった。
単に、年齢が近かった。それだけ。
8年くらい前に、自傷行為について本を書いたときも、自傷する若い男女の言葉は、とてもよく分かりました。
すくなくとも、分かる、と感じていました。
いくつかの言葉には、「ああ、私もかつてこう言ってた」 と感じたし、「今だって私、そう思ってるよ」 と思ったことすらありました。
ところが、ある日を境に、「分かってる」 と思うことをやめよう、と決めました。
自傷していた10代の女の子に、
「おぐにさんがお母さんだったら良かったのに」
と泣かれた日にです。
私は、せいぜい 「オネエサン」 くらいのつもりだったのになあ。
お母さん、なんて言葉が相手の口から飛び出すなんて、想像すらしていなかったんです。
私は、若い人の言葉を分かった気になっているけれど。
私は、若い人のとても近いところにいる気になっているけれど。
実はもう、全然そうじゃないんだ、と。
恥ずかしいくらい遅ればせながら、ようやく気付かされたのでした。
その日以来、自分はもう若い人の言葉をきちんとわかってはいないのだ、という地点から取材をスタートさせよう、と考えています。
今回、古市さんと会うにあたって、「20代の仲間を連れてきていただけませんか?」 とお願いしたのも、そのためです。私のほうも、知り合ったばかりの、ある雑誌の編集長の女性(29)を同行させていただきました。
20代の男女3人に、40代の私、そしてカメラマン、という構成で、「合コンインタビュー」的な感じでやってみようと思ったわけです。
同席くださった20代女性2人は、とても優秀な方々でした。
実際、古市さんとのインタビューの後、別の機会にあれこれと私に助言をくださいました。彼女たちの古市さん像と、私の見た古市さん像を比較したり、お互いに意見を交わしたりすることで、より立体感のある言葉を生み出せたように思います。
すべての試みが成功したとは決して言えませんが、すくなくとも、この2人の同席者の感想やアドバイスがなければ、私はいくつかの落とし穴に落ちて、古市さんの言葉や、古市さんの描く若者像について、あれこれ誤解していたようにも思います。
たとえば、古市さんの描く 「若者像」 と、古市さん自身の考え方やスタンスには、明確な違いがあるということ。これをついつい混同しそうになるところを、女性2人に救ってもらいました。
もっとも、それをきちんと紙面に生かしきれたかは、別問題。まだまだ、だなあ、と反省。
一対一のインタビューで、一方向 (やりとり、と考えると、双方向、か) のやりとりに終わらせず、インタビューに複数の方の同席をお願いすることで、色々な人の間のやりとりを通して、取材相手の人物像とその主張を浮き彫りにしていこう、という試みのほうは、あまり成功させられませんでした。
その点ももう、私の圧倒的な力不足。
これは今後の反省材料、というか、課題です。
自分のインタビューする姿を他人にさらすというのは、思った以上に覚悟のいることでもありましたが、これは良い勉強になったと思います。
また、今回、この手法の致命的な欠点にも気付きました (それは営業ヒミツですが)。それに気付いたという点も、収穫でした。
いずれにしても、この手法、もっと色々な可能性があると感じましたので、また機会を探して、挑戦してみるつもりです。
もう1点。
今回は新聞社のサイトに掲載された記事を、色々な方が twitter でつぶやいてくださいました。批判あり、共感あり、拝読していて、とても面白かったです。
恥ずかしながら、これまであまり気付いていなかったのですが、こうして記事についてつぶやいてくださったのを、まとまった数のツイートとして読むことで、記事中のどの箇所、どの言葉が引用され、槍玉に上がり、批判され、あるいは共感を集めているのかが、一目瞭然なんですね。
その点、ものすごく勉強になりました。つぶやいてくださった方々すべてに、感謝感謝です。
私自身は、twitter は情報収集のツールとして以外では、まったく使えていないわけですが、自分なりの使い方をもう少し時間をかけて、開拓してみてもいいかな、と思いました。
東大大学院生の若き社会学者、古市憲寿さん(26)。
彼の著書の中に、
*世代間格差に怒り、訴えるのは40歳前後が多い
*若者論は、実はオトナの「自分探し」
という指摘を見つけ、ああ、会って、話してみなきゃ、と思ったのでした。
そうして書いた記事が本日夕刊に掲載されました。
「若者って 『かわいそう』 なの?」
私は1990年に新聞記者になって以来、「若者論」 っぽい記事をたくさん書いてきました。まさに90年代の 「こころの時代」 に乗っかって、子どもや若者たちの、いわゆる 「心の闇」 (そう。新聞は一時期、これが大好きでした……) をさんざ書いてきたように思います。
私が渡米した2007年ごろからでしたっけ?
そのあたりの潮目が変わり、「こころ」 よりも、「格差」 やら 「貧困」 などの切り口で、子どもや若者の問題が描かれるようになっていった気がします。
そういう意味では、若者論の変遷は、オトナの自分探しであると同時に、社会を映しこむ鏡みたいでもあったんだなあ、と今さらながら気付かされます。
ところで。
恥を忍んで告白すると、私は10年くらい前まで、自分は若い人の取材が得意なんだと勘違いしてました。
実際、10年くらい前までは、相手の言葉が説明なしに、まっすぐに心に入ってきたし、言葉がなくても感覚で分かり合えることも多かったし、私はそれをただ、「新聞読者向けの言葉」 に翻訳すれば済んだんです。
どうして、40代、50代の先輩記者たちは、若者の記事を書かせると、こんなにトンチンカンになるんだろう、なんて思ったものです。
でも、得意なんかじゃなかった。
単に、年齢が近かった。それだけ。
8年くらい前に、自傷行為について本を書いたときも、自傷する若い男女の言葉は、とてもよく分かりました。
すくなくとも、分かる、と感じていました。
いくつかの言葉には、「ああ、私もかつてこう言ってた」 と感じたし、「今だって私、そう思ってるよ」 と思ったことすらありました。
ところが、ある日を境に、「分かってる」 と思うことをやめよう、と決めました。
自傷していた10代の女の子に、
「おぐにさんがお母さんだったら良かったのに」
と泣かれた日にです。
私は、せいぜい 「オネエサン」 くらいのつもりだったのになあ。
お母さん、なんて言葉が相手の口から飛び出すなんて、想像すらしていなかったんです。
私は、若い人の言葉を分かった気になっているけれど。
私は、若い人のとても近いところにいる気になっているけれど。
実はもう、全然そうじゃないんだ、と。
恥ずかしいくらい遅ればせながら、ようやく気付かされたのでした。
その日以来、自分はもう若い人の言葉をきちんとわかってはいないのだ、という地点から取材をスタートさせよう、と考えています。
今回、古市さんと会うにあたって、「20代の仲間を連れてきていただけませんか?」 とお願いしたのも、そのためです。私のほうも、知り合ったばかりの、ある雑誌の編集長の女性(29)を同行させていただきました。
20代の男女3人に、40代の私、そしてカメラマン、という構成で、「合コンインタビュー」的な感じでやってみようと思ったわけです。
同席くださった20代女性2人は、とても優秀な方々でした。
実際、古市さんとのインタビューの後、別の機会にあれこれと私に助言をくださいました。彼女たちの古市さん像と、私の見た古市さん像を比較したり、お互いに意見を交わしたりすることで、より立体感のある言葉を生み出せたように思います。
すべての試みが成功したとは決して言えませんが、すくなくとも、この2人の同席者の感想やアドバイスがなければ、私はいくつかの落とし穴に落ちて、古市さんの言葉や、古市さんの描く若者像について、あれこれ誤解していたようにも思います。
たとえば、古市さんの描く 「若者像」 と、古市さん自身の考え方やスタンスには、明確な違いがあるということ。これをついつい混同しそうになるところを、女性2人に救ってもらいました。
もっとも、それをきちんと紙面に生かしきれたかは、別問題。まだまだ、だなあ、と反省。
一対一のインタビューで、一方向 (やりとり、と考えると、双方向、か) のやりとりに終わらせず、インタビューに複数の方の同席をお願いすることで、色々な人の間のやりとりを通して、取材相手の人物像とその主張を浮き彫りにしていこう、という試みのほうは、あまり成功させられませんでした。
その点ももう、私の圧倒的な力不足。
これは今後の反省材料、というか、課題です。
自分のインタビューする姿を他人にさらすというのは、思った以上に覚悟のいることでもありましたが、これは良い勉強になったと思います。
また、今回、この手法の致命的な欠点にも気付きました (それは営業ヒミツですが)。それに気付いたという点も、収穫でした。
いずれにしても、この手法、もっと色々な可能性があると感じましたので、また機会を探して、挑戦してみるつもりです。
もう1点。
今回は新聞社のサイトに掲載された記事を、色々な方が twitter でつぶやいてくださいました。批判あり、共感あり、拝読していて、とても面白かったです。
恥ずかしながら、これまであまり気付いていなかったのですが、こうして記事についてつぶやいてくださったのを、まとまった数のツイートとして読むことで、記事中のどの箇所、どの言葉が引用され、槍玉に上がり、批判され、あるいは共感を集めているのかが、一目瞭然なんですね。
その点、ものすごく勉強になりました。つぶやいてくださった方々すべてに、感謝感謝です。
私自身は、twitter は情報収集のツールとして以外では、まったく使えていないわけですが、自分なりの使い方をもう少し時間をかけて、開拓してみてもいいかな、と思いました。
仕事に復帰して、あっという間の1ヶ月半。
思うように原稿が書けず、うんうん悩んでいるところに、読者の方から、会社に1枚の絵葉書が届いた。
紅葉の記事を読んでくださった方らしい。
お帰りなさい!
小国さん!
久しぶりに、小国さんの書かれた記事が掲載されていて、
とてもうれしかったです。
とあって、ちょっと泣けた。
ちょっと自信喪失中の今、その絵葉書をまるでお守りのように、持ち歩いている。
はがきには、こんな文字も。
函館の旅でイカのお話に登場した息子さんも、大きくなられましたか。
びっくりした。
あれは2006年11月だから、そうか、きっかり5年前だ。
旅の記事で、こんなのを書いた。
あの5年前の記事を、覚えていてくださったなんて。
私が新聞から離れていた4年間、ちゃんと覚えていてくださったなんて。
ありがとうございますありがとうございます……と心で唱えながら、
締め切り目前、今夜も記事を書いてます。
思うように原稿が書けず、うんうん悩んでいるところに、読者の方から、会社に1枚の絵葉書が届いた。
紅葉の記事を読んでくださった方らしい。
お帰りなさい!
小国さん!
久しぶりに、小国さんの書かれた記事が掲載されていて、
とてもうれしかったです。
とあって、ちょっと泣けた。
ちょっと自信喪失中の今、その絵葉書をまるでお守りのように、持ち歩いている。
はがきには、こんな文字も。
函館の旅でイカのお話に登場した息子さんも、大きくなられましたか。
びっくりした。
あれは2006年11月だから、そうか、きっかり5年前だ。
旅の記事で、こんなのを書いた。
あの5年前の記事を、覚えていてくださったなんて。
私が新聞から離れていた4年間、ちゃんと覚えていてくださったなんて。
ありがとうございますありがとうございます……と心で唱えながら、
締め切り目前、今夜も記事を書いてます。





